あいざわゆうのおひさるノート

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アルティナと、いう世界。第一稿

アルティナ、という世界

体育なんて、するもんじゃない。
疲れるし、汗かくし。
そして走ると、あの日のことをどうしても思い出してしまうから。
けれども、学校のカリキュラムでそう決まっているのだから、仕方がない。
人は、大きな力の前では無力なのだ。
それでも、人は生きてゆかなきゃならない。
この、現実の中で。
伊波礼司はそんなことを思いながら、私立秋津洲学園高等部の、赤紫色のブレザーに着替え終え、自分のクラスである2-Bに戻ってきた。
教室の一番窓側、後ろから二番目の、自分の席の前にたどり着く。
そして大きくため息を一つつき、席についた。
同年代からすれば大人びて見え、大人になったら童顔に見える、いわゆる年齢不詳な顔の礼司は、無表情な顔で周囲を見渡した。
体育の授業後の、休み時間。
ざわめく教室をクラスメイト達の話す声が、穏やかな海の波のように満ちている。
その音が、いつしか波のように聞こえて、礼司は不快だった。
いつ「あの波」が来るのか。
礼司はその音を聞くとそう思えて、怖かった。
体が震えだしそうだった。
だが、彼はそれを顔や態度には出さずにいた。
ただ、教室の大きな窓から見える、静かな青空と、色とりどりの屋根の二階建て住宅の群れに、ところどころマンションやビルが生えている、平和な秋津洲市の街並みを眺めていた。
その時だった。
彼の前の席に、金髪碧眼で気品高い顔立ちの、いわゆる美少女と呼ぶ──日本人は西洋人を見ると、誰もを美人と錯覚しがちなのだけれども──いや、その姿は姫君と呼んでもいい、留学生のアルティナ=トルニアが、彼と同じように、疲れた表情で帰ってきた。
帰ってくるなり、水面に石を投げて、王冠に似た水しぶきを起こすにも似た勢いで椅子に座り、ゆっくりと机に落とす。
彼女の、頭の後方左右で二房に分けた長い金髪が、太陽を受けてキラキラ輝く黄金色の湖面のように、ぱっと輝いて広がる。
礼司にはその様子が、白鳥が優雅に湖で翼を休める様子に、似ているようにも思えた。
それから彼女は、疲れを砂糖水のように目一杯含んだ小声で、こうつぶやいた。
「ふぅ……。疲れてマナが足りないですの……。『いひく』であとで補給しないと……」
と。
礼司はそのつぶやきに、
(まただよ!? また『いひく』だよ!?
こいつはいつーも、こういうことを俺のすぐ近くでつぶやくんだよ……。
わざとらしく。)
顔をしかめ、彼女の背中に広がる、金髪の大海から目をそらす。
彼女のつぶやきが始まったのは、約一ヶ月前。
彼が転校してきて、すぐのことだった。
それは、傾いた赤い日の光が教室に暖かく差し込む、放課後のことだった。
一日のすべての授業を終え、礼司は教科書などを鞄にしまっていた。
転校してきたばかりだったけれども、既に友人は、幾人かできていた。
「おーい、礼司ー。遊びに行かないかー?」
「ああ、ちょっと待ってよー。すぐ行くー」
そんな他愛もないやり取りをしながら、カバンに色々なものをしまいこんでいた所だった。
その時だった。彼の机の前に、波がたったのは。
そこは留学生の、アルティナ=トルニアの席だった。
背高で、長い金髪を二房に分けた、赤紫色のブレザーを着た青い目の、どこかしら気品さを感じさせる美少女のもとに、ちょっと背が低い、黒髪でショートヘアーの、赤い縁のメガネをかけた、落ち着いた風貌の少女がやってきた。
そこまではいい。よくあることだと礼司は思う。
ふたりとも留学生だし、連れ立ってどこかへ行くというのはあるだろうし。
それは理解できたけれども。
奇妙だったのは、二人が交わした会話の内容だった。
それは……。
「ねえ、セイレン。今日『いひく』へ行きますの?」
「ひ……、アルティナさんが言うなら行きますけどね。
最近はもめごとが多いのであまり行きたくないのですが。何が楽しいんでしょうね?」
「そういうのを観覧するのも、『いひく』の醍醐味でしょ?
術法士と宇宙人と超能力者と異能使いと怪人が、勢力を争うなんて、興味深いですの。……外で観覧する分には、ですけれども」
そう言って、アルティナはいったん窓の方を見る。
そして、おもちゃを欲しがる子どものような声でつぶやいた。
「……もし、あの方を誘えたのなら、『いひく』がもっと楽しくなるのですのに……」
「アルティナさんは、大層なご趣味をお持ちですね」
「ひどいですの、セイレン……。まあ、それがあなたの持ち味ですけれども。
さ、行きますの」
「ええ、アルティナさん」
そう言いながらアルティナは席を立ち、セイレンと呼ばれた留学生とともに、教室を後にしていった。
二人のふるまいと話し方は、礼司に美貌の姫君と老練の侍女を思い浮かばさせた。
その会話を無言で聞いていた彼だったが、彼女らが去った後、内心で絶叫した。
(『いひく』って……。一体なんなんだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?)
なんなんだ。今の会話。術法士とか、宇宙人とか、超能力者とか、異能使いか、怪人って。
それに『いひく』。
なんか、場所のようだけど……。
どこかにあるのだろうか。
それとも、彼女らは厨二病で、そういう妄想で遊んでいるのだろうか。
気になってしまう……。
……。
ああ、あいつらに呼ばれてたっけ。行かなきゃ。
そう思い直し、荷物を全部カバンに入れて、礼司は椅子から立ち上がった。
(それにしても……懐かしいな)
と礼司は窓の向こうに映る、遠くの景色を眺めた。
赤く燃え上がる炎も、灰色に濁り、押し寄せる波もなにもない、平和な世界だった。
そして、自分の机から離れ、教室を出ながら、思う。
自分にも、ああいうことを思う頃があった。
マンガや文庫を読んで、そういうことを妄想する時期があった。
しかしそれもあの時、すべてが押し流された後で、そんなことを思うのはやめた。
自分は現実を知ったからだ。
自分は、大きな力の前では無力であると。
あの頃信じていた異世界も、魔法も、奇跡も、異能も、超科学も、何も実在しない。
VRMMORPGで、敵を次々と切り倒し、俺TUEEEEEできる世界もない。
物質をすべてエネルギー転換する魔法で、何もかも吹き飛ばせる事ができる世界もない。
遠い宇宙で光の剣を振りかざして、暗黒の騎士と戦う世界もない。
右手で異能をかき消せることができる世界もない。
ここに今いる世界。自分の世界。
それがすべてであり、真実で、現実だ。
彼は傲慢と思えるほど、そう信じていた。
いや、信じさせられていた。思い知らされていた。
けれども。
彼女の言葉を聴いていると、やはり懐かしさと興味が湧き上がる。
彼女たちが話している事について聞いてみたい、と思うこともある。
けれども、その事について聞いてしまえば負けだな、という思いが礼司のどこかにあった。
だから、彼女に訊けなかった。訊こうとしなかった。
その時の話は、それで終わった。
そうこうしているうちに、一ヶ月が流れていった。
彼女、そしてその友達との厨二病話は、断続的に聞こえていた。
異世界。
術法と彼女らが呼んでいる魔法。
魔法使い。
宇宙人。
超能力者。
異能使い。
モンスター。
怪人。
そして、『いひく』という謎のキーワード。
教室で自分と彼女(と友だち)が一緒にいるときに、わざとらしくそんなわけのわからないことばかりを話すものだから、
(自分にわざと聴かせるんじゃないかこれ?)
礼司は、机に突っ伏したり勉強したりしながら盗み聞きしては、そう疑ったりする。
彼女のそんな厨二病な残念な点を除けば、金髪碧眼で端正な美少女で、背が高くて胸は大きいし、性格も明るくて皆に気づかいができて人気者だし、いい物件なんじゃないかなー、好みだなー、とか思っていたりしていた。
そこに、今のアルティナの独り言。
(また出たよ、『いひく』!?)
彼女の言葉に、思わず耳をそば立ててしまう。
気がつけば、彼女の一挙一動が気になってしまい、自分がかつて、そんな人間だったことをつい思い出してしまう。
(いけないいけない。俺はあの世界から離れたんだ。現実はここにある世界だけ。異世界なんてありはしないんだ)
そうかぶりをふるも、どこか懐かしさをつい感じてしまうのであった。
懐かしさ。
そう思うと、礼司はふと、自分のスポーツバッグをまさぐっていた。
そして、ある一冊の文庫をそっと取り出だした。
じっと、礼司はそのちょっとだけしなびれた文庫本を見つめる。
夜の森のイラストを表紙にしたその文庫は、携帯や財布などとともに、『あの日』礼司が持ち出せた数少ないものだった。
向こうで過ごしていた思い出が詰まっていた。
今の彼を守ってくれているお守りだった。
この本の世界だけが、彼に唯一残された『異世界』だった。
礼司は優しく、緑の森の白い少女を見つめていた。
その時、チャイムが鳴った。
そして、それと同時にこの授業の担任が入ってきた。
(あっ、いけねっ)
礼司は慌てて文庫を机の中にしまい、カバンから教科書やノートを取り出し、授業に集中することにした。
文庫のことなんて、頭の中からすっかり抜け落ちていた。

その日の授業が全て終わり、日が傾き、校舎を赤く美しく照らしている放課後のことだった。
校舎の玄関口を出ようとした礼司は、ふと、あることを思い出した。
忘れ物を、だ。
(いけね! 大事な本を机の中にしまったままだった!)
それに気がついた礼司は、慌てて下駄箱に戻り、靴を履き替えると、ダッシュで教室へ向かった。
(多分盗られてるとかそういうことはないだろうけど、あれは大事なもんだ!
持ってないと!)
急ぎ足で教室へ向かう。
走ってはいけない廊下をダッシュで駆け抜け、角を猛スピードで曲がる。
普段なら一段ずつ登る階段を、二段飛ばしで登る。
走っているのに、教室へ向かういつもの道が、やけに長く、遠く思えた。
「はぁ……、はぁ……」
ようやくのことで、たどり着いた。
教室の扉の上に付けられた「2-B」の札。
息を切らしながらそれを確認すると、後ろの扉を勢い良く横に引く。
そして、彼は目を疑った。
そこは教室のはずだった。
机と椅子が行儀よく並べられ、タイルが敷き詰められ、天井には蛍光灯が取り付けてある、いつもの教室。
その教室が、深く暗い、夜の森になっていた。
天井は暗い夜の空となり、空には満月が輝いていた。
机と椅子は硬く太い木々になり、床には草が生え、風が優しく吹いていた。
どこからか動物や虫の鳴き声が聞こえ、メロディーを奏でていた。
あの本の世界が、そこに、あった。
そして一つだけ、木々の間に置かれていた、机と椅子──そこは礼司の机と椅子だった──の上に。
あの留学生、アルティナ=トルニアが座って、礼司の本を読んでいた。
彼女のそのたたずまいは、まるで『夜の森の真昼姫』のようであった。
(あ、あれって……。まさか!?)
礼司はその瞬間、言葉にならず、持っていたカバンとスポーツバッグを取り落とす。
ただただ、その光景を見つめていた。
が、アルティナの手にあるものを見つけ、我に返る。
そして大きな声で、
「と、トルニアさんっ!? これどーゆーことですか!? なんでその本持っているんですかあ!?」
と叫びながら、教室の中へ足を踏み入れた。
本を読んでいたアルティナは、彼の強い水鉄砲のような声に撃たれ、
「い、伊波さんっ!? ななななんで!?」
慌てた顔で、同じくらい大きな声で撃ち返した。
その瞬間、夜の森はかき消え、いつもの何もない教室に戻っていた。
そして、座っていた机から降り、文庫本を机の上に置くと、
「……みましたわねー?」
美少女的な表情から、目と口の端を吊り上げ、妖しい美女の表情へと変わったかと思うと、その青い目が金色に光った。
……アルティナは何かを仕掛けてきた!
その目を見た途端、礼司は何かを言おうとして、何も言えなくなった。
彼女のなんとも言えない美しさ、綺麗さ、妖しさに魅入られる。
(なんでだろう……)
今なら彼女の言うことなら、なんでも聞いてしまいそうな気がする。
そう予想したとおりに、彼女はこう命令してきた。
はちみつの川のような甘い声で。
「ねえ……、伊波くん……。これからわたくしの言うことを──」
その時だった。
鼻がむずむずしたのか、アルティナは言葉の途中で、くしゅん、と一つくしゃみをしてしまった。
その瞬間。
ドンッ! と言う大きな音がして、彼女の周りから爆風が、津波のように飛んだ。
その爆風に飲み込まれ、幾つもの机と椅子が宙に飛ぶ!
爆風と椅子と机の波は、あっという間に礼司の方向へと広がって行く。
そして……。
ドッシャン! ガラガラガラアアン!!
という幾つもの木と鉄パイプと床のタイルが叩き合う音が何度も起こり、そして音がやんだ。
その瞬間、爆発の時は顔を腕で覆っていたアルティナが、腕を外して目を開けると。
礼司のいた、教室後方の扉のあたりには、机と椅子がうず高く積み上がっていた。
「い、伊波くんっ!?」

アルティナのくしゃみにより(?)、飛び散らかった机や椅子が、礼司がいたあたりに埋もれ、小さな山を作った。
埃が水しぶきのように巻き上がり、そして静かに舞い落ちる。
それをしばらく呆然と見ていたアルティナだったが、礼司が埋もれたのではないか、と我に返ると、
「い、伊波くんっ!?」
一つ叫ぶと、慌てて小山のもとに駆け寄った。
そして大きな声で呼びかける。
「伊波くんっ!? 伊波くんっ!? 大丈夫ですの!? 大丈夫ですの!?」
机と椅子の山の中からは、まったく返事がない。
シーンと、静寂の波を保ったままだ。
「……伊波くん!?」
彼女はそう叫びながら自分に近い机や椅子を持ち上げると、近くに放り投げるように置く。
その作業を何度も繰り返しながら、
「なんでこんな時に失敗しちゃうの!? わたくしのバカッ! バカッ! バカーっ!!
……うっ、エグエグ」
彼女は泣きじゃくっていた。
しかし、礼司の姿はまだ見えない。
彼女が机を掘り出しながら、さらに、
「伊波くんっ!?」
と叫んだ時だった。
「トルニアさん……。ちょっとうるさいですよ!? 周りに聞こえるじゃないですか!?」
という声が全く別の方向から聞こえてきた。
アルティナがべそをかきながらそちらの方へ顔を向けると。
いつの間にか、礼司は教室の前方の扉に立っていた。
そして、ちょっと頭の横を手のひらで抑えながら、こんなことを言う。
「それに何泣きながら俺呼んでんの?」
「え……?」
一体、どういうことなのか。
混乱したアルティナの頭では、理解できない様子だった。
「どっ、どっどうして巻き込まれなかったですの? もしかしてあなたも魔法使いですの!?」
アルティナは驚きながら、礼司のもとに駆け寄る。
そしていきなり飛びつくように、抱きついた。
彼女の重みが、彼の体にのしかかり、礼司の体が後ろに傾く。
「えっ!? えっ!?」
礼司は傾きを抑えて踏ん張る。
アルティナの驚きと喜びが入り混じった顔を見ながら、彼はへ? という困惑とも呆然とも取れる顔を見せていた。
どうやらいきなり抱きつかれたり、魔法使いと呼ばれたりして、困惑しているらしい。
その困惑した顔のまま、礼司は当たり前、というような声色で、
「え、どうしてって? 机や椅子が飛んできたから、教室の出口から逃げたんだけど?」
そう説明した。
どうやら、机が飛んでくるのを見て出口から飛び出し、難を逃れたらしい。
その言葉を、頭で咀嚼していた様子のアルティナだったが、それが理解できたのか、突然、顔を朝焼けの海のように真っ赤にすると、
「ひどいですのっ! ひどいですのっ!」
泣きながらアルティナは、礼司の頭をぽかぽかと叩いた。
礼司はなぜ自分が叩かれるのかわからないまま、痛みの波を次々と受けつつ、
「イテテテッ! 頭を本気でぶつなよっ!?」
と抗議した。
その言葉に、アルティナははっとして手を止めると、さらに顔の朝焼けが真っ赤になり、
「ごっ、ごめんなさいですの!?」
慌てて礼司から離れた。
彼女はさっと顔を伏せてしまう。
礼司も、はあっ、と言う顔で顔を伏せてしまう。
そのまま二人は黙り込んだ。
しばらく、外のグラウンドでのスポーツ部員の声や、吹奏楽部の演奏の音などが、二人の間を満たしていた。
しかし、聞きたいことが色々とある様子で、礼司はゆっくりと顔を上げた。
そして、アルティナに声をかけた。
「しかしトルニアさん。あれ、なんだよ? どーゆーことなの?」
礼司の問いのあと、沈黙の波が二人の間を流れていく。
だが、何かを決意したのか、アルティナは伏せていた顔を上げた。
その何かを決意した表情に、何を話すんだろうか、と礼司は興味を引かれた。
彼女は一つうなずくと、すたすたと歩き、自分の席へ向かうと、椅子に座った。
礼司もそれに誘われて、自分の席に座る。
それを確認すると、アルティナはある話をし始めた。
「んーとね、これから言うことは、地球人の皆には、秘密にして欲しいんですけれども。
わたくしは、実はアークシャードという世界にある、ザウエニア皇国という国の人間なの。
あなた達から見るとわたくしは異世界人、なの」
「あ、アークシャード? ザウエニア? 異世界人?」
「ええ、そういう世界と国があるですの」
彼女は一つうなずいた。
そして、小川のようによどみなく流れる言葉で、話を続ける。
それは、礼司にとって信じがたい話だったが、彼女の口調は、本当のことを真剣に話していると不思議に思えた。
それに、彼女のしゃべり方は、同じ年とは思えないほどとても落ち着いていて、年上とか、高貴な身分の人間と、話しているような錯覚を感じた。
「貴方達の世界の時間で一年前の夏休みのことなの。
ザウエニアで神々が、幾人かの地球人を召喚したの。世界間の戦いに備えるために。
そして彼らは、世界を股にかける長い戦いの後、地球に帰ってきたの。
でも地球の時間では、その間数日しか流れていなかったの」
「……」
「戦いが終わり、神々の助けで地球に帰ろうとしたその時、ある事件が起きて、異世界と地球の間に恒久的な門《ゲート》がつながってしまったの。
それを利用して、様々な異世界人が地球にやってきて、この国の政府と密約を結んで、普通の地球人には秘密で暮らし始めたの。地球のことを知るために。
わたくしも、その一人というわけなの。
それがわたくしたちがこの学校にいて、魔法を使える理由。そういうわけなの」
彼女の話はそれで終わった。
しばらく、二人の間に再び沈黙が流れた。
その沈黙の堤防を破るように、礼司は驚きと疑いが入り混じった顔で、ちょっと芝居がかったような声で返す。
「そんな世界が、いくつもあるのかー……」
「伊波さん、あなたまだ信じてないみたいですのねー?」
「い、いやっ、そんなことないよっ!? 信じてるよ!? 信じてますよ!? なんか幻覚みたいなもの見ちゃったけど!?」
「ほら信じていませんの! あれは本物ですの! 術法ですの! 魔法ですの!」
「君が俺に言うことを聞かせようとしてくしゃみして勝手にキレて、机と椅子を蹴飛ばしたじゃないか!? あれに巻き込まるところだっただろ!?」
「ああっ、記憶がなんか混濁してますの!? 魅了の術法が失敗したから記憶が変に書き換わっていますの!? ここは記憶を全部消した号がいいですの!?」
「何変なコト言ってんだよっ!? やっぱりお前厨二病だろ!?」
「わたくしは厨二病なんかじゃありませんですの! ……って」
アルティナの返しは少し感情的なものであったが、それでも丁寧さや気品の良さ、育ちの良さが感じられる口調だった。
顔を近づけあいながら言い合っていた最中、アルティナは何かを思い出した様子で、突然自分の体を引き、落ち着いた顔を整えた。
礼司はそれに面食らう。
「なんだよ……?」
「……そういえば、何故伊波くんは、教室に戻ってきたですの?」
「あ……、って忘れてた!? ……忘れ物取りに来たんだよ。これ」
そう弁解しながら、礼司は机の上にあった文庫本を、宝石を持つように大事に手にする。
アルティナも、緑の背表紙の本を宝石のように見つめる。
「この本を取りに来たんですの……」
「どうしてこの本を読んでいたんだよ?」
「わたくしもちょっと忘れ物がありまして、教室に戻って来ましたら、あなたの机の中に本があるのが見えまして、つい……」
「勝手に人の本を読むなよ……」
「その点に関しては本当に申し訳ありませんでした……。
でも、なぜその本をそのように大事になさっておられているのでしょうか……?」
アルティナの問いに、礼司は顔を伏せ、黙ってしまった。
彼女は、その様子に、触れてはならない何かに触れたと確信した。
申し訳ない、と言う顔で、礼司の顔をのぞき込む。
気がついたか気づかずか、礼司はやがて、顔を上げた。
遠い海を見るような目で、話し始める。
「……実は俺、かつてあった大きな地震と津波の被災者なんだ」
「大きな、地震と、津波ですの?」
「そうだよ」
礼司は文庫から彼女に視線を移すと、昔話を続ける。
彼にとって、思い出したくない昔話を。
「……一年前のことだよ。
あの日、俺は中学校を卒業して、家で春休みを楽しんでいたんだ。
そして部屋で本を読んでいた。その時だった。
大きな揺れが襲ってきて、部屋の本棚とかが倒れてきた。
俺は必死で中学校のバッグに色々なものを放り込んで、命からがら家を出た。
その時だった。
大きなサイレンが鳴った。津波のサイレンだ。
その時、親父とお袋は港で仕事をしていて、妹は中学校だった。
皆のことは気になったけど、津波が来る、というので、俺は山まで走った。
走った。走った。必死で走った。
一度、後ろを振り向くと、遠くに何かが見えた。
濁った波。津波だった。
あれに巻き込まれたら死ぬ!
俺はそう思って、山まで走った。
……ようやく山にたどり着いてしばらくしたら、その下を、津波が駆け抜けていった。
家、車、もの、そして人々の悲鳴。
色々なものが濁流に流されていった。
しばらくして、水が引いてって、俺は避難所に避難した。
そこで俺は親父とお袋と妹を探した。でも見つからなかった。
一日、二日、三日、一週間、一ヶ月……。
探したけど、遺体すら見つかってない。
行方不明のままさ。
それから一年して、お袋の方の祖父母が俺を引き取って、ここに転校してきた。
それが、俺がここに来たわけ」
「そうだったんですの……」
礼司は首を縦に振った。
それから、大きくため息を付いて、言葉を続ける。
手にした文庫の方に、目を移しながら。
「俺も昔は本を読んだりアニメを見たりして、空想の世界を考えたりしていた。
異世界も、魔法も、超能力も、宇宙人も、異能もどこかにあると信じてた。
でも、あの津波で、俺は思い知らされた。
そんな世界は、どこにもありはしない、と。
この世界がすべてで、現実なんだ、と」
「……」
「この文庫は家から持ち出せた数少ないものさ。妹も読んでいた、大事な思い出だよ。
でも、これを読むと、あの頃のことを思い出してしまって辛くなるから、読んではいない。
お守りとして、持っているんだ。あの時の自分を守ってくれたお守りとして」
「だからこうまで大事に……」
話を聞いて、アルティナは同情する目を見せた。
彼女はしばらくなにかを考えていた様子だったが、やがて礼司の目をしっかり見つめ、こう告げる。
「伊波さん。あなたが想像していた、信じていた世界はありますの。この世界の隣に」
「この世界の、隣に……」
「ええ」
アルティナは力強くうなずいた。
礼司はしばらく黙っていたが、しばらくすると、突然、さっきのような冗談だろ、という表情になる。
「……嘘だー! そんな世界本当にあるのかよっ!?」
「あるですの!」
「そんなもんあったら世界のバランスが色々と変わってるわっ!? 侵略とかされているだろうしっ!?」
「今までゲートがなかったから他の世界は知らなかっただけですの! 神々も秘密になされておられてましたし!」
「どうして秘密にしていたんだよ!?」
「知ると他の世界にも知られるからですの!」
「というかそもそも全部お前の妄想じゃないだろうな!? そういう厨二病ごっこを皆としているだけだろ!?」
「術法を見ましたじゃないの? わたくしが創りだした、夜の森を!」
「あれは俺の見た幻じゃねーのか?」
「本物の術法ですの! 魔法ですの! 幻術ですの!」
「ならなんでそんなことしてたんだよ!?」
「本の表紙と文章の描写が良かったので、再現してみようかと、つい……」
「ほんとかよ……? それに、他に証拠はあるのかよ!? 証拠は!」
詰め寄る礼司に、アルティナは感情を込めながらも、品の良い口調で返していく。
それでも疑い深い様子の礼司に、アルティナはうーんと海よりも深く考える様子で目を閉じた。
色々と証拠はありますけどねえ……。
というような素振りでちらっ、ちらっと、アルティナは礼司を見た。
しばらくして、うん! と一つ大きく頷く。
そして、アルティナは、満月のような満面の笑みで、礼司にこう告げた。
「そうね! あなたがわたくしたちのクラブに入ればいいですの! 世界の秘密を共有するクラブに! わたくしたちのクラブに入って、新しい世界に行くですの! そうすればあなたもきっと信じるですの!」
彼女の笑顔が、星空を映す海のようにぱあっと広がる。
その笑顔に、礼司はなぜか気後れを感じてしまった。
彼女のペースに飲まれてしまってもいいのか。
けれども。
彼女の言うとおり、自分の望んでいた世界が、彼女のいうクラブにはあるんじゃないか。
自分かかつて信じていた世界は、そこには実在するんじゃないか。
色々な気持ちが、ないまぜになっていた。
その気持ちのまま、礼司は疑問を返す。
「そんな異世界人とやらが集まるクラブが、どうしてこの学校にあるんだよ?」
「学校は学び舎であり、様々な人々が集まりやすい場所ですし、警察などの権力の力が及びにくいところですので。
それに、ザウエニアに召喚された人達が通っているのがこの学校ですし、ゲートがある場所がここに近いというのが、この学校にクラブがあるという理由ですの」
「なるほど、理屈はあっているな……」
「じゃ、ちょっとついてきてくださいな。クラブの場所に案内しますの」
「そこに行けば、新しい世界に出会えるのかよ? ほんとーにー?」
「ええ、必ずですの!」
そう言って、アルティナは自信たっぷりの笑顔を見せた。
その笑顔に礼司は、
(彼女を信じてもいいかもな……)
と考え始めていた。
そう思う間もなく、
「ほら、行きましょ!」
「ちょ、ちょっと待てよ! カバンとかが!」
礼司の声に構わず、アルティナは立ち上がる。
それから片手で自分のカバンなどを手にし、片方の手で礼司の手を取り、引っ張って立ち上がらせる。
妹や母親以外の女子の手に触れ、礼司はそのぬくもりにどきっ、とする!
(あまりにも無防備じゃねーかよ!?)
という思いと、
(……これが女の子のぬくもりというものか!)
という思いがまぜこぜになり、それに気を取られながら、礼司は引っ張られていく。
気を取られすぎて、床に何が転がっているか、失念していた。
倒れていた椅子か机の脚に、彼の足がごつん、とつまずいた。
礼司は大きくバランスを崩し、転がった!
彼の体が、柔道の投げ技のように、アルティナの体を巻き込む!
二人はもつれるようにして、机と椅子の間の床に倒れていく!
ドッシャンガラリーンという、轟音とともに衝撃!
礼司の頭と体に痛みが走る!
「いでででででで!!」
そして……。
彼は痛みにしばらく意識がぼんやりしていたが、頭を振って、そのぼんやりを吹き飛ばす。
背中に、硬い床の感触。
そして体の下腹部に柔らかい重みが。
「う、うん……」
と気がつくと。
自分の体の上に、アルティナが乗っかっていた。
赤紫色のブレザーが形作るラインが、大きな二つの胸を強調する。
その下乳、そしてアルティナの頬を赤く染めた顔を見て、礼司は頬がかっ、となった。
鼓動の波が早く、狭く押し寄せるのを感じている。
(こいつ、こんなにエロいんだ……)
そう内心感じた時、
「ごっ、ごめん! だっ、大丈夫!? 怪我などないですの!?」
アルティナが、朝焼けの空のように、頬を真っ赤に染めながら謝ってきた。
そして、不意に黙ってしまった。
彼女も、鼓動の波が次々と押し寄せている様子だった。
礼司もどうすればいいのかわからず、黙りこんで、動こうとしなかった。
このまま時が止まってしまえたら。
そんなフレーズが、頭の片隅でよぎった。
しばらく無言だったアルティナだったが、ややあって、恥ずかしそうに声を上げた。
「ご、ごめんなさいですの。いまどきますの……」
言いながらアルティナが、体を動かそうとしたその時。
教室の扉近くで足音がした。
二人が起き上がりながらそちらの方を見ると、人影が一つ。
その影は……。
アルティナとよく一緒にいる女子だった。
留学生の、メガネショートヘアで無表情の彼女だ。
たしか、セイレンとか言ったと、礼司は記憶していた。
彼女の姿を見ると、礼司の鼓動の波が、更に速く押し寄せる。
まさに津波のようだ。
彼はやばい、なにか言い訳を、と考えようとしたが、それよりもその留学生の女子が口を開く方が速かった。
「なにをしているのですか姫様。教室で魔力移譲に及ぼうなど、なんて度胸がよろしいのやら。
そのままことに及べばよかったですのに。
……話は全て聞いておりました。その男、伊波礼司を入部させようというのですね。
私の一存では何も出来ませんが、個人的にはよろしいと思います」
「せ、セイレン、あんた相変わらずね……。あ、ありがとう……。
伊波くん、わたくしが部長とかに掛けあってみる。多分入部できると思うわ」
どうやらこのセイレンとやらは、アルティナの味方……? バラされることはないみたいようだ、と礼司はホッとした表情を見せた。
アルティナも、ホッとした表情で立ち上がる。
そして慌ててブレザーを整える。
体が軽くなったのを感じながら、礼司も立ち上がる。
それから、彼女らの言葉に目を丸くした。
「ひ、姫様……?」
「あ、言い忘れていたの」
そう言いながらアルティナは左手で制服のスカートをつまみ、膝を曲げた。
物語のお姫様がそうするように。
そして、頭をたれながら、こう挨拶する。
「わたくし、アルティナ=フィメル=レティス=トルニア。
ザウエニア皇国の一国、トルニア王国の第二王女ですの。
以後お見知りおきをよろしくお願いしますの」
「……あ、あー」
「こちらはセイレン。
セイレン・フィメル・イクストラ・メイガス。わたくしのおつきの侍女なの。
ちょっと無口で毒舌だけど、優しいから安心してね」
その言葉に、セイレンは黙って体を折る。
二人の佇まいは、王女とおつきの者との、それだったけれども。
礼司には、それでもまだ、そういう遊びなんじゃないかと思うところもあったけれども。
それよりも、彼女と、その彼女の話に惹かれていった。
異世界は、あるんじゃないかと。
「さっ、行きましょ。今日の集会はもう始まっているはずですの」
そうアルティナに促され、礼司はカバンと、忘れ物の大事な文庫本を手にすると、彼女らとともに教室を後にしようとしたが、
「……それにしても散らかした机と椅子、そのままにしておいていいのかよ?」
つぶやいた。
するとセイレンが平然とした顔で応える。
「下々の者に掃除させておきますので、大丈夫です。さあ、参りましょう」
「それならいいけど、本当かいな?」
「ご心配なさらずに。さあ」
と急かすので、礼司は後ろ髪ひかれつつ、教室を後にした。

日はさらに傾き、地平線に沈みかけたその頃。
礼司、アルティナ、セイレンの三人は、ある場所にいた。
そこは──。
「なにもないじゃないですか!?」
学園の片隅にある、森の中にある、小山の前だった。
秋津州学園は広大な森を切り開いて建てられた学園であり、今もところどころに、そういう森が残っているのであった。
木々が生い茂る薄闇の中で、礼司は不安そうにあたりをきょろきょろと見回す。
アルティナの言うことは、やっぱり嘘や妄想なんじゃないか、騙されたんじゃないか、と言うような表情で。
「ここで厨二病ごっこですか!? ここで妄想チャンバラですか!? ああ、それとも秘密を知っちゃったからここで絞められるとかそういうのですか!? あー俺死にたくないー!!」
「何を言ってるんですの? さっ、伊波くんは中でちょっと待っててくださいな。わたくしは部長と話をしに行ってくるの。セイレンも一緒に待ってて」
「わかりました姫様」
セイレンはうやうやしくおじぎをする。
そして、アルティナは草花が生えた小山の前に立つと、何事かを唱えた。
次の瞬間。
その小山の斜面の一部が、音もなく長方形に切り取られた。
人より少し大きな長方形に切り取られた先は、IT会社のそれにも似た、金属色で染められている未来的なデザインのロビーが見えていた。
「え?」
それを見た瞬間、礼司は大きく眼と口を開いた。
呆然とする間もなく、アルティナが、
「さ、入って」
とうながしながら、自分もその長方形の空間の中へ入っていく。
礼司は自分の片頬を、手でつねった。
そして顔を大きくしかめる。
本当に痛そうな顔だった。
「なにをやってるのですか? 姫様が急かしておられますよ。さあ。お入りください」
横にいたセイレンに、眼鏡越しにじろりと睨まれる。
思わず礼司は身を縮こませながら、二人の後をついて長方形の入り口の中へと、足を踏み入れた。
どこでも嗅いだことのない匂いが、つん、と鼻に来た。
人気のない、金属色を基調としたチリ一つないロビーに、何脚もある銀色の奇妙な形の長ソファに、礼司とセイレンは隣り合わせで座った。
アルティナは、すたすたとロビーの奥の方にある通路へと姿を消す。
礼司はあたりを見回した。
照明はLEDの間接照明のようだったが、どことなく、太陽のような暖かさを感じる不思議な色合いだった。
天井にいくつもあるディスプレイには、見たこともない文字や風景が次々と映しだされては、消え、移り変わっていく。
礼司は、見知らぬ会社かディスコとかにいるような、自分がいにくいような、それでもここに来るのが待ち遠しかったような、そんな気分だった。
その気分のまま、彼は隣で無表情に待っているセイレンに質問する。
「あのー。もし、その部長とやらに入部を拒否されたら、俺どうなっちゃうんでしょうね?」
「あなたの記憶を消します。すっきりばっさりと」
即答だった。
その身も蓋もない、感情のない言い方に、礼司は身を地震のように震わせた。
(おいおいどうなっちゃうんだよ。こんな訳のわからないところに来て、俺、記憶を消されちゃうのかよー!?)
目の大きさを大きくしたり小さくしたり、体を小刻みに動かしたりしながら、礼司はアルティナが消えていった通路の方を見た。
何分たっただろうか。
何回息を吸って吐いただろうか。
柔らかい絨毯を刻む軽快な足音が、聞こえてきた。
アルティナが、駆け込んできたのだ。
その表情は、走ってきたというのに、疲れは微塵もない明るさだった。
「おまたせいたしました! 部長と話してきましたの!
……入部を認めるだって! 今は秘密を守るという条件付きでね!
良かったね! 伊波くんっ!!」
そう言いながら体を曲げて礼司の両手を取り、台風が近い海水浴場の波のようにブンブンと揺らす。
礼司は、ちょ、ちょっと待ってよ、と言いながら事態を飲み込めない様子だったが、しばらくして一言、
「それって……、記憶を消さなくてもいい、ってこと?」
と恐る恐る訊く。
アルティナは、そんなこと不安にしてたの? と言う顔を一瞬しながらも、もとの明るい南の島の太陽のような笑顔に戻って、
「そうですの!
さっ、行きましょ! 部長がメインホールの奥のほうで待っていますの!
まずはそこに参りますの!」
言いながら彼の手を離し、立ち上がる。
今度はすっ、と背筋を伸ばし、ゆっくりと歩き出す。まるでお姫様のように。
セイレンが彼女の前を行く。
これもまるで、お姫様を案内する侍女のように。
「あっ、ああ……」
事態を未だ飲み込めていなかった礼司だったが、彼女が毅然とした様子で歩き出したのを見て、カバンなどを手にして、彼女の後をついていった。
廊下は広々としていて、壁は銀色一色。壁にはどこかの風景を描いた絵画がいくつも掛けられている。
床はふわふわとした赤絨毯で、はいている靴が、くるぶしまでのめり込むほどだ。
天井は幾つもの太陽色のスポットライトが線状に並び、奥の方へと誘っている。
(どこへ行くんだろう?)
そう思いながら礼司は二人の後をついていくと、大きな扉の前に出た。
映画館などでよく見られる、木製のように見える扉に、金属の取っ手がついた、両扉開きの扉だ。
そこには、執事の黒い燕尾服を来た……人間に似た姿のロボットが、二人、いや、二体、それぞれの扉の前に立っていた。
「いらっしゃいませ、アルティナ姫御一同様」
「いつもありがとうですの。執事自動人形さん」
礼司は、えっ、という声を上げた。
(こんな精巧なロボット、ネットでも見たことがないぞ!? 一体どうなっているんだ!?)
礼司は、二人の後ろでキョロキョロと執事ロボットを見回す。
だが、耳に金属製の突起物がついており、顔が人形のような固さを持っている以外、どう見ても人間にしか見えない。
……どこぞのメイドロボの男性版のようにも思えますが。
彼が混乱している間もなく、それぞれのロボットが、両扉を引いた。
開く隙間のあいだから、光と音が怒涛のように雪崩れ込む。
彼女らの目の前で、世界が広がる。
そこは──。
そこは、異形の人々だらけだった。
「えっ、ええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
そこは、大きな室内競技場や、一流ホテルの大宴会場もかくやという広さの、ホールだった。
高い天井にはいくつも大きく、きらめくシャンデリアが備えられ、その間を、様々な色の光が、いくつも飛び回っている。
天井から視線を下ろすと、壁際を中心に大勢の人がいた。
彼彼女らは、いくつも設けられた白いテーブルクロスが敷かれた丸テーブルを中心に、何人かのグループで集まっていた。
そして彼らは、ただの人ではなかった。
「こ、これって……!?」
目を丸くする礼司の目の前を、きらめく影が通り過ぎた。
礼司がその影を目で追う。
それは、きらびやかな白銀の鎧に赤いマント、竜の紋章をつけた大きな盾を手にした、ファンタジー世界の騎士だった。
が、よく見ると……。
その鎧に白色の大きな機械の腕がついていて、それで盾を保持している。
彼が歩いて行った先には、数人のファンタジー的衣装に身を包んだグループが、テーブルを取り囲み談笑していた。
その内の一人、黒いローブを着た魔法使いらしい人がいる。
彼は、手に持った大きな丸い宝石がはまった機械的な先端部の、長い金属の杖を手にしていた。
そこから伸びたコードが、彼の首元のプラグに挿さっている。
「ま、魔法でサイバーだ……」
礼司は魔術師を見て、小さく声を上げた。
彼のそばには、何らかの紋章のホログラムを、頭の上に輝かせたチェインメイルをつけた人──どうやら僧侶らしい──人などがいて、やってきた機械騎士の人を笑って迎える。
(げ、幻覚じゃないよな、これ?)
礼司は相変わらず疑うものの、この水のようにまとわりつく空気の感覚が、現実だと教えてくれる。
サイバーファンタジーの人たちの、少し離れたところを見る。
さっきの人たちとは異なる雰囲気の人達が、透明なグラスでピンク色の飲み物を飲んでいた。
見かけは、あざやかな布をいくつも着重ねた民族衣装を着た、中東系の男子達に見える。
が、頭に一個から数個の角をつけている。
彼らは一様に、腰に金属の輝きを持った、中央部が何かを差し込むソケットか何かに思える、ベルトを巻いていた。
いかにも変身しそうだった。
「鬼にライダーなベルトっ!?」
礼司は声を上げる。
さらに彼は、別な場所に目をやる。
体に電撃のような青白い光をまとい、秋津州学園の制服を着た金髪の欧州系風の男子が、あるテーブルのそばにただずんで、誰かを待っている様子だった。
そこへ、同じく学園の制服を着て、右腕が獣と化し、左腕は西洋騎士の小手のような機械の腕を装備した、同じく金髪の欧州風少女が、やってきた。
彼に明るく声をかける。
その男子は女子に笑いかけ、言葉を返す。
「ち、超能力者に超人……!?」
礼司は呆然として声にならない。
その近くでは、体にぴったりフィットした宇宙服を着た数人の、スラヴ系の顔つきの男子達が、ストローを差した細長いチューブを、そばに浮かべて輪を作っていた。
彼らの前にはホログラムのウィンドウが浮いていて、それでゲームでもしているのか、その画面を見つめながら、手や視線を忙しく動かしている。
一見彼らはスラヴ系に見えるが、肌の色は青白く、とても地球人とは思えなかった。
「う、宇宙人だ……! 宇宙人がおる……! ここは宇宙ステーションなのか……!?」
礼司は今や自分が今どこにいて、何を見ているのか、よくわかっていない様子だ。
それぞれの人達は、それぞれ違った言葉で会話している。
彼らの言葉は、まるで海の交響曲を奏でているようだった。
姿も言葉も異なるそのような人達(?)が、このホールには潮のように満ちていた。
その彼、彼女らの間を、グラスを載せたお盆を、頭の上で宙に浮かせた人間型ロボットが、その間を魚のようにすり抜けていく。
しばらくこの集会会場の様子を、大海で遭難した時のように呆然と眺めていた礼司だった。
が。
やがて気を取り直すと、首をいくどか横に振る。
それから、隣にいるはずのアルティナに、
「なあ、これってコスプレ──ってええ!?」
と問いかけかけて、次の瞬間、心臓が大波のように高鳴った。
アルティナ達は、秋津州学園の赤紫色ブレザーを着ていなかった。
アルティナは、薄いクリーム色に金の刺繍で飾られた、気品良い体と腕を覆う上着と、幾つもの菱形状のパーツにわかれた、可動式のロングスカートを身に着けていた。
ハードポイントをつけた肩からは、美しいラインの白い一対の機械の腕が伸びている。
装甲スカートから見え隠れしている、雪のように白い、太ももを覆うロングソックスと、プラスチックにも金属にも思える白いロングブーツで覆われた、足のくねった曲線が、とても美しい。
そのたたずまいは、機械の戦乙女《ヴァルキリー》にも似た姿だった。
礼司は、彼女にはそれが似合っていると思え、そして制服よりもずっと艶かしいと思えた。
セイレンも似たようなもので、彼女のものよりかなり簡略化されたものだったが、クリーム色を基調とした装甲風スーツを、身にまとっている。
「それって──?」
礼司が彼女らをキョロキョロと魚のような目で問いかけると、
「ああ、これね。これがザウエニアのドレスですの。ドレスというか装甲服ですけれどもね」
「……どーゆーことなの!?」
「私達の世界は、術法と科学が融合している世界なの。今も見たでしょ、あの人達を。
あの人達も、ザウエニア人ですの」
と言いながら、機械の腕で最初に礼司が見た騎士たちを指差す。
礼司はそちらの方を見る。
それから、アルティナの機械仕掛けのドレスをもう一度見て、
「なん、だって……!?」
と呟いた。
その声には、よろこびの色が含まれていた。
あの日以来、含まれていなかった声色だった。
そんな彼に、アルティナは満面の笑みで告げる。
ああ、ようやくあなたにこう告げられる、という表情で。
「ようこそ、『異世界秘密クラブ』、暗号名『いひく』へですの! ここにあなたが信じていた世界がありますの! そして、これからパートナーとしてよろしくですの! 礼司さん!」
あるんだ……!
昔夢見た世界は、あるんだ……!
そこに、俺はいていいんだ……!
彼女と、一緒に……!
彼女の歓迎の告白と、目の前に広がる「現実」に、礼司は体を震わせて、叫んだ。
「……俺で、俺で、いいのか!?   ……ありがとう! よろこんでーーーーーーーーー!!」
ホール中に、響き渡るほどに。
あちこちで様々な色の瞳が、何事かと彼を見つめていたけど、構わなかった。
「現実」は、今、目の前に広がっていた。
奇跡も。魔法も。異能も。超能力も。そして、超科学もある、異世界たちがある現実が。
彼がかつて望んでいた世界達が、そこにあった。
彼がいたかった、夢の世界が。
(ああ……。こんなにうれしいことはないよ……)
「さあ、行きますの。礼司さん」
そう語りかけながら、アルティナは肩のアームを後方に動かすと、空いた腕を腰につけ、腕で輪を作った。
礼司はそれに少し驚いた表情を見せながらも、幸せの潮に満ちた表情で、
「あ、ああ!」
そう一つ首を縦に振って笑い返すと、アルティナと腕を組み、歩調をあわせ、ホールの奥の方へと歩き出した。

エピローグ

次の日の朝。
伊波礼司は制服に、カバンとスポーツバッグといういつもの出で立ちで、学校に向かっていた。
ただし、いつものように、一人ではなかった。
「ですのー。ですけど部長があんな事言ってきたときは、どうしようかと思ったですけどー」
「ああ、だよなー。まあ、結局何とかなったけどなー」
背高の金髪の美少女留学生、アルティナ=トルニアが一緒に歩いているのだ。
今まで彼女無し歴=生きてきた年数の礼司にとって、生きていて本当に良かったー! と叫びたいほどだった。
そんな胸が波を立てて踊りたいほどウキウキしている礼司の視界に、三人の生徒たちの姿が目に入った。
「あ」
「どうしたの?」
「あの人達……」
「ああ、あの方々ですの……」
留学生の三人組。
彼らのことは覚えていた。
いひくのホールに入った時、最初に出会ったザウエニア人たちだった。
彼らは鎧も来ておらず、機械も装備していなかったけれども。
彼らがほんとうにいる、というのは実感できる。
そう思う間もなく、自転車に乗った数人の学生が、二人の横を通り過ぎていった。
あ、とまた礼司は思う。
(あの民族衣装の鬼たちだ。
角はないけれども、顔はもちろん覚えているぞ。
彼らも、ほんとうにいるんだな……)
思いつつアルティナと一緒に歩いていると、楽しげに語らう、あるカップルを追い抜いた。
西洋人風の留学生のカップル。
またまた覚えがあった。
あの、超能力者と異能使いのカップルだ。
耳を澄ませると、何かの言葉で色々しゃべっていて、楽しそうだ。
昨日までだったら、リア充爆発しろ!と叫んでいたかもしれないけど、今は違う。
俺にも、アルティナがいる。
と、彼女の顔を見やる。
アルティナは不意に見つめられ、頬を赤らめる。
「なんですの?」
「ちょっとね。君のその素敵な顔を見たくなって。本当に可愛いなっ、て」
「……もうっ、そんなお世辞を言っても何もあげませんの!」
照れて顔を真赤にした彼女に、軽く突き飛ばされる。
「よせよ~」
突き飛ばされても、礼司の声は明るかった。
よろけながら、アルティナに笑いかける。
そして肩でアルティナの肩を軽く突く。
二人で見つめ合い、笑った。
そこに、数人の肌が一様に色白い、男子留学生達が二人をちらっと見ては、ちょっと殺気立った顔で通りすぎていく。
ああ、あれは。肌の色は違うけれども。
礼司は思い出した。
(あいつら、ホールでゲームか何かをしていた宇宙人たちだ。
あいつら、非リア充だったのか。だからゲームばかりしていたのか……。
ふふっ、俺の勝ちだな)
思わず胸を張ってしまう。
(それにしても)
礼司は再び前を見つめながら思う。
自分はこの世界、自分の世界が、すべてだ、と思っていた。
でも本当は、この世界とは違う様々な世界が、自分のすぐ近くにある事を、昨日知った。
本当に色々な世界が、この世界にはあるんだ。
本やゲームなどの中だけじゃなく。
そして……。
今自分のとなりに、異なる世界、異世界がある。
そう思ってから、隣にいる美少女の顔に笑いかける。
彼女は再び見つめられて、真夏の海に浮かぶ、大きな黄金の太陽のような笑顔を見せた。
二人はお互い笑い合い、自然と手をつないだ。
彼の隣には、アルティナ、という世界がいる。

(終)

作品の無題転載などを禁じます。あいざわゆう。


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