失意淡然

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寄生獣をみたんやで

 というわけでちょっと色々すっとばしながら、映画「寄生獣」をこないだみた感想を書いてみます。殴り書きみたいなもので整理できてなかったらごめんなさい。あと、一応原作はかなり前に読んで好きだったのと、ネタバレ意識もしてないのを最初にお断りしときますん。
 映画版最初の感想は、よくも悪くも原作からDirectされた(方向づけられた)作品、ということ。
 個人的には原作付の作品を映像化するときって、結局原作からどこまで距離を取るのか・映像独自のものをいれるのかっていうのがかなり大きなポイントになってくると思う。「原作のほうがよかった」「原作と違う」「原作みたくなった」とかね。そういういろいろな意味で、原作の比較という呪縛から逃れられない運命にある、私の観方は。
 当然それに対して映像も「原作を忠実に再現しました」~「原作とは別のものとして楽しんでほしい」まで、両極端の主義のグラデーションからどこを選択するかというのが必要になってくるんじゃないか、と思うのだけど、映画「寄生獣」はそういう意味で後者に結構吹っ切れてる作品ではある。あとは「別のもの」を観客がお気に召すかどうかだ。但し、「寄生獣」の場合の「別のもの」は原作を咀嚼し敬意を払った上でのものだ、というのは感じられたことを付け加えておきたい。

 ようやくこれからが本題なのだが、映画版は多くの人が感じて指摘する通り「母性」という「別のもの」にフォーカスされている。原作はもうちょっと幅広いというか、普遍的な人間性全体を問題にしていたと思うのだけど。
 平凡で普通の高校生シンイチが、普通じゃない寄生獣との関わりを通して、人間の本性とその価値をさぐっていくみたいな。普通だと思い見過ごされていることの異常性とか本質とか価値を、はっと気付かされる。それは食事だったり環境破壊だったりいろいろな形で表現されてるのだけど、母性もその一つとしての扱いだったのではないか、どうもそんな気がしてならない。
 
 フォーカスの成否はなんともいえない。そもそもまだ後編がある作品に評価を下すのはおかしいのかもしれないし。
 ただまあ、後編になるにつれて、「寄生獣」はより人間の普遍的なものを扱っていくストーリーだ。広川剛志も、浦上もその一端として存在する。その辺り映画版は、整合性をどうするのかに興味がある。映画に関する現在一番素直な感想は、そんなところである。

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dain


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