こいちゃんの趣味全開!!

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俺に明日は来ない type1 第3章

2022.01/30 by こいちゃん

「こんなにカレーばっかり買ってきて、何を考えてるのよ!」
 学校に戻ると、こそこそ荷下ろしを始めた水上だったが、すぐにバレた。
 静かな中でエンジン音を響かせて走る自動車で帰ってくれば、誰でも帰着したことが分かるだろう。
「カレーは正義だぜ」
 さっきも聞いた一言で片付けようとする。
「そうだけどさ!」
 そうなんだ。それは認めるのか。
「ならいいじゃねえか」
「ちっとも良くないわ!」
 そう言いながらも、朝は見なかった俺たちよりは年上のようだがまだ若い女性は、荷下ろしを手伝う。
「ガキだってみんな喜ぶぜ」
 確かに、カレーと聞きつけて何人かの子どもたちが教室のドアから顔を覗かせている。
「あんたがカレーを作ると、そのあと1週間くらいは調理実習室からカレー臭が抜けないのよ」
「何を、俺はお前より若いぞ。……俺、そんなに臭いかな」
 荷物を抱えながら、自分の脇の下を嗅ぐ。
「気持ち悪いわね、脇の下をくんくんしちゃって。カレーの、スパイスの匂いが抜けないのよ」
「それは別に良いだろ、食いもんの香りだぜ?」
「だから、ちっとも良くないの! 作ってる料理を味見してても分からなくなるのよ」
 どうやら水上はカレーしか作らないから気にならないようだ。
「でもほら、ココナツミルクとかさ、カレー以外の具材だって……」
「前回のは全部、グリーンカレーになったわよね」
「いやまああははは」
 笑って誤魔化した。
「君も君よ、一緒について行って、何で止めないの?」
 俺に話が回ってきた。
「ここではそういう物なのかと思って……」
「そんなわけないでしょ!」
 やっぱりそうだったか。
「自己紹介もしないうちから叱り飛ばしちゃダメだろ」
「それすらさせてくれないような案件を持ち込んだ張本人が言うわけ、ふーん」
「はいごめんなさい俺が悪かったです」
「悪いと思うなら今度からこの半分くらいにしてほしいものね」
「前回の半分以下の量だと思うぜ?」
「2トントラックで行ってほぼ全部カレーかスパイスかその具材だった時のこと?」
 軽トラの隣に駐まっている、黒猫の絵が描かれた宅配便の集配に使うこの車だよな。全部がカレーとはどういう状態だろう。
「まったく。……細野歩美、よろしく」
 唐突に名乗られて面食らう。
「……樋口雅俊です」
「樋口くんね。元の世界のこいつを知ってるなら、こんど手綱の引き方を教えてね」
 口止めもされていたし、明日にはもうここに居ません、もうここに来るつもりもありませんとは言えなかった。
「うす」
 それだけ返事して、最後の荷物を手分けして抱え持つ。
「まあいいわ、持って来ちゃったんだもん。じゃあ水上は今夜の食事係って事で。樋口君はこの中を案内するわね」
 階段を上がりながら、非難がましい目で水上は抗議した。
「俺だけで作れってのか」
 踊り場から見下しながら仁王立ちの細野さんがバッサリ切る。
「だってあんた、あたし達が手を出そうとすると怒るじゃない」
「それはお前らが……!」
「ヨーローシークー!」
 細野さんは最後のカレー缶の箱を川上に押しつけると、ぴしゃりと調理実習室の扉を閉める。
「まったくもう」
 ため息を一つついて、気持ちを切り替えたようだ。
「ここの在校生だったんだって?」
「そうです。2年1組にいました」
「なら、君のロッカーや机はそのままかもね」
 2人でホームルームに向かう。
 机を撤去され、事務所で見るような四角いタイル状のカーペットが敷き詰められている。教室の隅には布団が畳んで積まれていた。
 それでも、教室に貼られた2年1組の時間割や、放課後にいたずら書きされた黒板はそのままだった。誰が描いたのかすら分かるような気がする他愛ない相合い傘が、昨日のことのはずなのに懐かしい。
「これが俺のロッカーです」
 進級して1ヶ月が経ち、扉のへこみや錆びで分かるようになった自分のロッカーを開けると、乱雑に、しかし表紙が折れない程度には教科書やノートが立てて並べてある。
 端にあった英語のノートを手に取ってパラパラ捲れば、見慣れた流し字が5月25日という日付で終わっている。
「おっと学生さん、さては眠かったね?」
 しんみりとした空気を振り払うように、後ろからのぞき込んだ細野さんは字がミミズになっている部分を指さした。
「昼飯を食い過ぎちゃって、しかも直後が体育で、昼下がりなんてみんな眠くなるでしょう」
 俺もそれに合わせて茶化すような口調で応じる。
「分かるー。好きな子とかいたの?」
「いや、特には」
「えーつまんない。この高校は共学だよね。高校生でしょ、青春しなよ」
「気が向いたら?」
「そんなんじゃダメよ、卒業式なんてすぐなんだから」
 そんな歳だったんですか、とか聞いてみたい。
「今、あたしの年がいくつかなって考えたでしょ」
 これが噂に聞く、女の勘というヤツだろうか。
「滅相もない」
「ほんとにー? ならそういうことにしときましょ」
 さ、次へ行こうか。促されてノートをロッカーに戻した。
 とはいえ、勝手知ったる自分の学校だから、案内されるも何もない。
「ここには小学生や中学生から、私より少し上の大人までが住んでいるの。コミュニティの話は聞いた?」
「聞きました、よそには危ない人たちもいるって」
「そう、だから子どもたちを保護したり、おままごとレベルだけど、あたし達が教えるんだけど学校みたいなことをして小さい子に教育をしたりしながら生活しているわ」
「みんなで仲良くっていかなかったのは何故なんですか?」
「もちろん全部のコミュニティと敵対しているわけじゃ無いのよ。酪農を専門にしている人たちもいるわ。でもそう、無法地帯であることには変わりないじゃない?」
「はい」
「だからやっぱり、あっちじゃ犯罪だったことを楽しむだけの奴らもいるわけ。法律があるからやらないとか、そんな半端者たちばっかりだから余計ムカつく」
 細川さんは心底忌々しいと吐き捨てた。
 その表情に同族嫌悪が隠れているように見えたのは気のせいかもしれない。
「樋口くんは今回が初めてなんだよね」
「そうです」
「ああいう奴らみたいになっちゃダメだからね、お姉さんと約束だから」
 お姉さんて。
「なんかちっちゃい子の相手ばかりしてるからかしら、今の保母さんみたいね」
 まあおばさんじゃないか。
「おばさんとか思わなかった?」
「まさか。水上みたなのはいいんですか」
 やっぱり女の勘に思考が読まれているようで怖い。慌てて話題を変えた。
「アイツもダメだけど、ああいうのはまだマシよ。開き直りかたっていうか……堂々としているっていうか?」
「確かに、変な度胸みたいなのはありますよね」
 昔からドライというか、サバサバしているヤツだった。
「それそれ、肝心なときだけは頼れそうな感じがあるよね」
 だからつい、いけないって分かっていることも頼っちゃうんだけど。
「え?」
 小声のつぶやきはふとこぼれたという雰囲気だった。
「な、なんでもない。それより!」
 細野さんはある教室の前に立つと扉をがらりと開けた。
「あたしの子供、かわいいでしょ」
 高校の教室にベビーベッドが置いてあるだけですさまじい違和感を放つのに、さらにそこには乳児が寝ていた。
「赤ちゃんまで居るんだ……ここで産んだんですか?」
「……」
 しまった、聞いてはいけないことだったか。
「かわいいですね」
「でしょー?」
 取り繕うように言葉を重ねると、一瞬だけ固まった表情が動き出す。
 お姉さんだった細野さんが急にお母さんとなった気がした。彼女が優しく抱き上げるとむずがゆそうに声を上げかけたその子は、ゆっくり揺すってやると再び寝つく。
「そろそろご飯だから、みんなの居るところへ戻ろうか」
「はい」
 先ほどまでより少し抑えられた声で遣り取りをした後は、食堂になっている教室まで2人とも黙ったままだった。

 なるほどこれは1週間くらいは匂いが残りそうだ。だが決して不愉快ではない、食欲をそそられる新鮮なカレーの香りが教室に充満している。
 学校の机に置かれたカレーが盛り付けられた器からは、うっすら湯気が立っていた。
 高校生用だから小中学生には少し高そうだったが、二つに分けて作られた机の島の片方には子どもたちが待ち遠しそうに座っている。
「遅えぞ」
 作業着の上からエプロンをした水上が自分の机に着いて貧乏ゆすりをしている。
「ごめんごめん。みんな揃ってたんだ」
「もう、いただきますしていい?」
 小学生くらいの男の子が涎を垂らさんばかりに聞いた。
「そうだね、じゃあみんな手を合わせてー」
「「いただきまーす」」
 きゃいきゃいと温かい騒がしさに囲まれながら、子どもたちの島に空いていた机に細野さんが座ると、子どもたちとカレーを食べ始めた。
「おい樋口、俺たちはこっちだ」
 朝、校門のバリケードで見かけた中学生くらいの男女と、30代中ごろくらいのおっさんが座っている島へ水上に引っ張られた。
「初めまして」
「水上くんから聞いたよ。ようこそ」
 おっさんがにこやかに笑った。
「もう大丈夫ですか」
 男子が聞いてくる。
「バカ思い出させちゃだめよ」
 女子の方がたしなめる。
「ああうん、もう大丈夫。ありがとう」
「食わないのか、冷めるぞ」
 挨拶の遣り取りをよそに、スプーンに山盛りすくったカレーを頬張る水上は、出来映えに納得したのかうんうんとうなずいている。
「そうだね、我々も食べるとしようか」
「いただきます」
「いただきまーす」
 口に入れたときには様々なスパイスの香りが広がり、飲み込む頃には辛さを少し感じる。
「旨いな」
 素直にそう言った。
「良いぜ良いぜ、もっと褒めろ。お代わりも沢山あるぜ」
 少し褒めると調子に乗る奴だったことを思い出す。
「水上さんって、カレーを作る腕だけは良いですよね」
 女子が呟く。「うん、美味しい」
「だけはってなんだよ、いつもだって色々やってるだろ」
「やりすぎて細野さんに怒られてますよね。こないだだって理科の授業だって言って、金属ナトリウムを水槽に投げ込んでたじゃないですか」
「あれは濾紙の残りがもう無かったからであってな……」
「ならやめればいいじゃないですか」
「うるせえやりたかったんだよ」
「やっぱりそうだったんですね……」
 はあ、と中学生にそろってため息を疲れる同い年の姿に、相変わらずなんだなあと少し笑えた。

 11時になった。
 普段なら、教室に敷いた布団でみんなと川の字になって寝るらしい。
 しかし今夜は、水上が俺のアパートまでついてきた。
「ついてきておいてアレなんだけど、あんまり自分のねぐらを他人に言うなよ」
 歩き煙草で夜道を進みながら、彼は唐突に言った。
「何で?」
 俺も吸い込んだ煙をゆっくり吐き出して聞いた。
「もし再びこっちに来ることになったら、お前はそこに現れるんだよ」
「……それが何か?」
「日付が変わる瞬間に何処で何をやっているかは、この世界ではお前が思っているより重要なんだ。互いに守りあえる安全な場所以外では、下手に日付を越えない方が良い。この場所を安全な場所にし続けたいなら、秘密にしておいた方がいいってことさ」
 このときは、彼が何を言いたいのか分からなかった。
「なるほど」
 でももう来ることはないだろうし、聞き流してしまった。
「さて、どの部屋だ」
「201号室、2階の角部屋に住んでる」
 外階段を上がって玄関の前に立つ。
 丸めて持ってきた制服のポケットに鍵が入ったままだった。
 常夜灯にかざしながらごそごそして取り出し、錠に入れて回した。
「電気を点けるなよ」
 俺は慌てて癖でスイッチに掛けていた手を離した。
 荷物を置いて、風呂に入るのも面倒くさくてそのまま作業服を脱ぎ、スエットを履いた。電気を点けないままの暗さでは、どのみち入浴なんて出来ない。
 遅くに自宅へ帰ってきたとき特有の眠気が襲ってくる。
「今日は色々あったから、疲れてるんだろ。俺は気にせず寝ちまえ」
 あくびをしたのを察したらしい彼が言った。
「じゃあ遠慮無く」
 布団に潜り込む。
「まああっちで生き返ったら覚えてないんだけどな。俺は楽しかったぜ」
「こちらこそ、久しぶりに会えて良かった。あっちにはいないんだな」
「そりゃそうさ。同窓会の時に訃報を知って驚け」
 自分の死を笑えるなんて、俺の知らないこいつは何を経験したのだろう。
 急に聞きたくなったが、睡魔に負けてしまった。
「大抵、2回目は来るんだけどな」
 だから、彼のその一言は聞こえていたけど、意味を理解すること無く寝てしまった。

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俺に明日は来ない type1 第2章

2022.01/29 by こいちゃん

「出かけるなら着替えが欲しい」
 自分の吐瀉物がはねた制服を着たままで生活するのは嫌だ。
「ああ、そうだな。作業をするのに制服だと何かと不便だよな」
 上着はひとまずそのままにして、ワイシャツと制服のズボンだけの出で立ちで保健室を出る。まだ少し肌寒いが我慢だ。水上は作業着のジャケットに袖を通しているのが少し羨ましい。
 彼に連れられてやってきたのは教職員用の駐車場だった。彼はためらいなく端に駐められた軽トラックの運転席に乗り込んだ。
「免許を持ってる……わけ、ないよな」
「こっちの世界には運転免許を交付できるほど、警察官がいないよ」
 そういえば、圧倒的に人が少ない。
「平和だからな、殉職者も多くない。いいことじゃねえか」
 殉職者?
「まあ乗れよ。走りながら説明する」
 水上は慣れた手つきでキーをひねりエンジンを掛ける。
 一抹の不安を抱えながら、おずおずと助手席に座った。
「ここはな、あっちの世界で死んだ奴が来る世界なんだ。俺もそうだし、樋口もそうだろ」
 思ったよりスムーズに車が動き出した。
「山奥の小さい中学で、同級生がもう2人も死んでるのか」
 敷地を出ると、全く車通りのない道で、気持ちよく速度を上げていく。
「そういうことになるな。でも全員かどうかは分からんが、40歳くらいになるとここには来ないみたいだな。あっちからこっちへは記憶を持ち越せるけど、こっちからあっちには出来ないから確かめようがない」
 ここから、記憶を持ち越せない? それはつまり。
「生き返れるってことか?」
「うん、望めば、って言うか望まなくても、法則に従って生き返れる」
「どうやるんだよ!」
 思わず俺は勢い込んで聞いた。詰め寄ったせいで車が揺れた。
「あっぶねえな。あー、その。お前は未練がある派なのか」
「は?」
 死んで生き返りたくない人なんて居るのか?
「やりたいことがあったとか、なりたい自分があったとか?」
「……。」
 改めて問われると、特にこれといってない。ないけど。
「先に言っとくけどな。あんまり他人に言わない方が良いぞ。お前がどういう死に方をしたのか知らないし、話の流れで聞いただけで興味ないから答えなくていいけど、ひとによっちゃあ自分からこっちに来たのだっている」
 まあ、ここに来るとは知らなかっただろうけどな、といって彼は笑った。
 自殺、ということか。
「まあいいや。話を戻すとな、日付が変わる瞬間に色々なことが起こるんだ」
 曰く、あちらで亡くなると、死んだ日の0時にいた場所へ、翌日の0時に「リセット」されるらしい。昨日の0時に、俺は自分のアパートで寝ていた。だから今日の0時に、こちらの世界の自分のアパートに現れたらしい。
「そして新しくこちらに来た人が居た場合、そこから半径50kmくらいにある色んな物も一緒に連れてくる。登校するときにコンビニに寄っただろ、その時に商品が色々並んでいたはずだ。元々こっちに居た俺たちは、そういうのを見て今日は知らないヤツが新しく落ちてきたなって知るわけよ」
 普段なら、特に賞味期限の短い生鮮食品はあっという間に誰かが取ってしまうか、腐っていくためにその場で残り続けることはないらしい。
「だからお前の服を調達したら、スーパーへ行って保存できる食べ物とか色々買い込むのに付き合ってもらうからな」
「もちろん。だから軽トラックなのか」
「いや、違う。もっとでかいトラックは、お前がぶっ倒れている間に別の調達班が使ってる。最後に残ったのがろくに荷物の積めないこの車ってわけさ。ガソリン自体が自分たちじゃ作れねえから、普段は車なんて使わないんだよ。無駄遣いになるから乗用車は最初から用意してない」
 誰が運転しているのかは聞かないでおこう。もしかしたら他にも誰か大人が居るのかもしれないが、今朝から見たのは、自分と同じ歳の水上と、歳下そうに見えた2人だけだった。
「それでな、日付が変わったときにどこに居たかが大切なのはこの世界でも同じなんだ。こっちの世界で死ぬと、やっぱりその日の0時に居た場所で、翌日の0時に復活する」
「復活する?」
「そう。ちゃんと死ぬけどある意味じゃ不死身なんだ」
「ここで死んだらあっちの世界に戻るとかじゃ無いのか」
「そこまで簡単な条件じゃねえよ。何日連続で生き残ったか、それによって決まる」
 最初は1日生き残れば良いらしい。その次にこちらへ来たら2日、更に次は4日と、あちらの世界で生き返るために必要な、生き残らなければいけない日数が増えていくのだと言った。
「だから、これが何回目のあの世なのか、今日が何日目の生き続けた日なのか、あっちに戻りたいなら間違えずに数えとけよ」
「そんなに何度もあの世に来てたまるか」
 俺がそういうと、彼は短く乾いた笑いを上げた。
「作業服でいいよな、農作業もしてもらうしそうすると汚れるから、それでも構わない方が良いだろ」
 笑い方の意味を問う前に、目的地に着いてしまった。後から思えば、最初に生き返る前では聞いて答えをもらったところで、理解できなかったと思う。
「……うん」
 俺も安い下着や冬の上着を買いに来たことがある作業服チェーンの駐車場に、水上は軽トラックを停めた。
「中から助手席側の鍵を閉めるから、先に降りてくれ」
「分かった」
 廃墟みたいなのは今朝のコンビニと似たり寄ったりだが、それほど古くなさそうな幟がはためいている。
「さあて、今回はどれくらい商品が補充されたかな、っと」
「楽しそうだな」
「宝探しみたいだと思わねえ?」
 店内は真っ暗だった。
「やってないじゃん」
「あたりめえだろ、店主が死んでなきゃやってる店なんてねえし、24時間営業してない店が深夜に店内の電気をつけっぱなしにはしないだろ」
 そういうと水上は地面からコンクリートブロックを拾うと、入口の扉へ叩きつけた。
「おい!」
「こうでもしないと入れないんだよ。大丈夫、警察どころか法律がないから、不法侵入ですらない」
 水上は割れたガラスから内側へ手を伸ばし、鍵を開けた。
「いらっしゃいませー」
 自分で言いながら暗い店内へ躊躇無く入っていく。おいていかれそうになった俺は慌てて追いかけた。
 真っ直ぐバックヤードへ歩いて行くのをビクビクしながらついていく。自分が空き巣になったようだった。彼は手探りで電気のスイッチを見つけ、パチンパチンと蛍光灯をつけた。
 明るくなった店内は、少し罪悪感を薄めてくれる。普段は入れないバックヤードがこうなっているのかと感心している自分自身が、現実逃避的な思考へ逃げようとしているのは自覚していた。
「次の用事もあるんだし、早いとこ見繕っていこうぜ」
 普段はアウトドア風の上着や下着の置いてある棚しか行かないが、今回の目的は作業服一式だ。似たように見えても実は色々あるようで、メーカーもサイズも色も、結構細かく揃っているのが斬新だった。
「ちょっとこの辺、試着してくる」
「何処へ行こうとしてる?」
「え、試着コーナー……」
「他の客が来るわけないし、別にここで脱げばいいだろ」
 ぽかんとしてしまった。
「よーし脱がせてやるぜ」
 いたずらをするように、水上がベルトを緩めてくる。
「待て待て分かった! 自分で脱げるから! 大丈夫!」
 同性の前だ、脱ぐこと自体は、言われてみれば恥ずかしくも気遣う必要も無いが、脱がされるのはごめんだった。
「遠慮しなくて良いのに」
 大笑いしながら言われて照れる。
「洗濯も面倒だから、同じ物いくつも持って行けよ。売り物じゃないし金も要らねえし」
 最後の一言で感情が冷えた。忘れていた罪悪感がムクムクと膨らみ出す。
 でも確かに、貨幣経済が成立するほどの人口は居なさそうだった。公民で、貨幣とはその信用を担保する者がいて初めて成立すると習ったのを思い出す。この世界に国はあるのだろうか。
 結局、作業服の上下を3セットとつなぎと、サイズの合いそうな下着を数枚に、安全靴2足を持ち出すことにした。レジに置いてあったはさみでタグを切り、汚れた制服から着替える。
「なんか色合いが水道局の検針員みてえ」
 ……俺も思ったが、人に言われると腹がたつ。
 俺が店と軽トラを往復して荷物を積み込んでいるのを見ながら、彼は煙草に火をつけた。
「……吸うんだ」
「おう、1本いるか」
「いや別に、そういうわけじゃ」
「まあこっちにゃ、年齢なんて関係ないけどな。リセットされるから健康被害とか気にしてもしょうがねえ。お前だって高校生なら吸ったことくらいあるんだろ」
 いつの時代だ。
「ないけど」
「ねえの!?」
 何故そこまで驚く。
「俺、中学の時から吸ってたんだぜ」
 死んでから今更そんなカミングアウトされても困る。
「積み込み終わった」
「よっしゃ行くか」
 荷台の荷物を一目見て、彼はくわえ煙草で運転席に乗り込んだ。
「俺は吸わないって言ったよな」
「聞いた。リセットされるし副流煙とか気にしても無駄だって言っただろ」
「……そうだけどさ!」
「うるせえなあ、じゃあお前も吸え。それだよ、そうすりゃ気になんねえべ」
 胸ポケットから出した箱を振って数本飛び出させると、俺に向ける。
 渋々一本つまむと抜き出す。
 金属のライターで火をつけてくれるが上手くつけられない。ついたと思ったら煙を吸い込みすぎてむせた。
 その不慣れな様子を見た水上がいちいち爆笑しているのが悔しくて、むせずに吸ってやろうと四苦八苦していると体がふわふわしてくる。変な感覚に戸惑う俺に、あいつは更なるツボに入ってしまったようで、腹を抱えながら辛そうに……今度は笑いながら煙草を咥えて自分でもむせた。
「バカ、人のことだと思って笑ってるから」
「いやー面白かったわー。勧めるもんだな」
「保健の授業で習わなかったのか、人に勧めちゃ行けません」
「俺は高校中退したもん、樋口と違ってもう高校生じゃないもん」
「保健体育は中学にだってあっただろ」
 そうか。あの授業を受けながら、こいつは素知らぬ顔で当時も既に喫煙者だったのか。
「そんな昔の事なんざ覚えてねえなあ」
 笑いの発作が落ち着いてきて、やっと水上は車を発進させた。
「なあこれ、どこまで短くなったら捨てて良いの」
「紙の質がフィルター……くわえる部分と火のついてる部分と違うだろ。そこくらいまでだな」
「じゃあもう良いと思う。灰皿は何処に」
「ほい」
 水上はカーゴパンツ右股のポケットから缶を出して寄越した。
「ども」
 キャップ付きコーヒーの空き缶だった。開けると、さっきまでとはまた違った煙草のにおいが漏れだした。
 ちょっと考えて、火のついたまま吸い殻を入れるとキャップを固く閉める。このままでも、酸欠で勝手に消火するだろう。

 水上が次に車を停めたのは、サンタクロースのような帽子を被ったペンギンが看板に描かれたディスカウントストアだった。
「こっちのほうが保存食の扱いは多いからな。スーパーに行ったところで、新鮮な野菜はもう漁りつくされた後だろ」
 軽トラのラジオが表示する時刻はもう正午を回っていた。
「どんなものが必要なんだ」
「賞味期限の長い乾物や缶詰を狙い目に、色々だけど。布団とか雑貨とかも消耗品だから、めぼしいものがあったら持って帰りたいけど、軽トラじゃ積める量に限界がある」
 まあ、食う物に困るのが一番ひもじい。そう呟きながら、また彼は地面から棒を拾い上げると自動ドアをたたき壊した。
 2軒目ともなれば俺ももうそれほど驚かない。
 ガラスの砕ける大きな音が、辺りに響き渡ることすら、気がつく余裕があった。
「不法侵入はいいとしてさ、こんな静かな町で喧しい音を立てたら、誰か来るんじゃ無いのか」
 まさに無法地帯なのではないかと思ったのだ。
「良いところに気がついたな。その通りだ。だから護身用の武器は持ってるぜ」
 作業着の背中を捲って俺に見せてくれたのは、ベルトに挟んだ拳銃だった。
「ごめん、俺の知り合いの方が危険人物だった」
「俺のことかよ。ヤクザの抗争で殺されたヤツがこっちに来たのに遭遇した時にな、こっちは親切でこの世界を色々教えてやろうと思ったら、近づいた途端にAK47で蜂の巣にされたぜ」
 ゲームで見たことある。もっとでかい銃だろう。
「ご愁傷様だな」
「まあいいってことよ、それ以来そいつに会っていないって事は、無事に1日で生き返れたんだろ」
 抗争で死ぬようなヤクザが生き返り、同級生が生き返っていない。良いことなのだろうか。
「ヤクザほど極端な例は置いといてもな、こっちで生きてる他のコミュニティの連中には友好的とは言えないところもあるから、自分の身を守るのは重要なんだ」
「まさに無法地帯だな」
「住めば都ってやつよ」
 どうせ長生きするのなら、例えやりたいことが決まっていないとしても俺は元の世界の方が良いと思った。思っただけで口にするのはやめておいたが、彼は気付いたかもしれない。
 店内に入るとやっぱり中は真っ暗で、元々込み入った店だけに少し進むだけで自分のてすら見えなくなりそうだった。
「懐中電灯とか持ってねえの」
「現地調達しようと思ってたんだけど、ちと甘かったな」
 仕方が無いからケータイのライトをつけてやる。
「おっと、便利な物を持ってるじゃないの」
「お前は持ってないのか」
「だって電波ねえもん」
 言われて画面を見れば、圏外と表示されていた。
「さっきは電気がついたよな、電気はあるのに電波は無いのか」
「その時による、って言うべきかな。突然入ったり、切れたりするから実用性がない」
 常に使えなければ持ち歩く必要も無いのか。考えてみればそうかもしれない。
「でも時計を見たりとか」
「充電しないといけないだろ。ソーラーの腕時計をしていた方が便利だぜ」
 話しながらまずは懐中電灯を探す。
 やがてキャンプ用品コーナーで電池式のランタンを見つけた。
「こう言うの、宝探しじゃ無くても便利だよな」
 そう言いながら水上がその場で箱を開ける。
「電池が無けりゃただの飾りだがな」
 必要な乾電池は辺りに見当たらない。
「ちくしょー、明かりを見つけたと思ったのに今度は電池探しかよ」
 再び店内をうろつき電池を見つけた。セットしてみると、暗闇に慣れていた目を眩ますには充分まぶしい光量だった。
 店の入口に戻ってカートに籠を二つずつセットすると、2人して食料品コーナーをあれこれ漁った。
「なあ、お前が死んだのって何月何日?」
「5月25日」
「なら今日は26日だな。おっけー、なら賞味期限は問題なしと」
 レトルトの調味料をバサバサ籠に入れていく。
「日付の感覚も違うのか」
「ああ、こっちだとな。あっちに生き返るときは常にあっちで死んだ日の0時に戻るけど、2回目にあっちで死んでこっちに来たら、あっちで過ごした日数はこっちで経過するんだ。だから最初以外は、自分の思っている日付と世界の日付がずれていく」
 続いて赤いカレー粉の缶は棚にあった全部、箱ごとカートに積み込んだ。
「なるほど。……それはそれとして、この量は多くね?」
 調合済みのカレー粉だけでは飽き足らず、クミンやカルダモン、ターメリックにコリアンダーと、スパイス自体もどんどん放り込んでいった。
「カレーは正義だぜ?」
 蜂蜜とリンゴの写真がパッケージに描かれた甘口のルーは、水上のカートに乗りきらなくなって俺のカートに積んでいく。
「ガキもいるからな」
 目の前の棚が空っぽになると、今度はココナツミルクなどの缶詰を籠に入れ始めた。
「それもカレー用だろ」
「もしかしたらチャイとか作るかも」
「なら紅茶の葉を入れる容積を考えてだな……」
 二つのカートはカレーのスパイスで満載になりかけている。
「なら一度、出口までカートを持って行って、空っぽのカートを持ってこようぜ」
 そうして取ってきたは良いものの、再びカレーの具材をパンパンに入れようとするのは流石に止めた。
「パスタ麺や米は結構保存が利くし腹もいっぱいになる。あとは野菜系だな」
 トマトやアスパラ、タケノコなどの水煮をやはり箱ごとカートに載せた。
「後は嗜好品だな。おやつも買っていかないと子どもたちに泣かれる」
 あっという間に籠が山盛りのチョコレートやビスケットで埋まった。
 3往復目のカートはビールの箱と、洗剤や石けんが積まれる。
「大人もいるのか」
「俺より年上ってことか? もちろん居るぜ、俺たちのコミュニティは高校を本拠地にしているし小さい子も多いけど、ちゃんと教える側もいる」
 ひげそりの替え刃やコーヒー用のペーパーフィルタを選びながら、教えてくれた。
「むちゃくちゃ重いんだけど」
「そりゃあ、最後は液体ばっかりだからなあ。じゃあこれ積んどいてくれ、買い残しを見てくる」
「1人でカート8つ分をやれって?」
「ギックリになったら、俺が責任を持ってやるよ」
 湿布とかを持ってきてくれるのだろうか。
「いや? リセットするために殺す」
 人に殺すとか軽く言うな。リセットされれば怪我も元に戻って0時に居た状態へ戻るのか。

 ひーこら言いながら軽トラの荷台に積み込んでいると、汗だくになった。ついでに朝から何も食べていなかったせいで腹の虫が盛大に鳴く。毎日の習慣である朝飯を食わなかった理由を思い出しかけて気分が悪くなる。
 トラックにもたれかかって見上げると、雲一つ無い青空が広がっていた。
「空はこっちも綺麗だな……」
「排気ガスが少ないからじゃねえか」
 感傷ぶち壊しの答えを寄越したことで、水上が戻ってきたことが分かった。
「カート戻そうぜ」
 抱えていた段ボール箱を荷台に降ろして、彼はカートを器用に重ねると四つまとめて店内に引き返した。俺も見習って残り四つをカート置き場に戻しに行く。
「そろそろ帰るか。もうおやつの時間が終わっちまう」
 煙草を咥えながら彼は言い、どこから持ってきたのか、百円玉を自販機に入れた。
「おっ、今日は動くぜ」
 ブラックコーヒーを買った。ゴトンと音がして商品が出てくる。
「お前も好きなの選びなよ」
 外の自販機から飲み物を買う。
 店内にあったヤツの方が安いのに、とも思ったが、どちらにしろその硬貨はきっと彼のものではないのだろう。そもそも、店内にあろうが外だろうが、購入しているわけではないのだ。
「ごっそーさん」
 同じコーヒーを選んだ。
「俺の金じゃねえし」
 やっぱりそうか。
 彼は一口飲むと、先ほど最後に抱えていた段ボール箱からごそごそ何かを取り出した。
「オイルライター、お前のぶんな。あと煙草の銘柄は俺のセブンスターとも他のみんなとも、被らないこれにしとけ」
 勝手に俺の作業着の胸ポケットにねじ込んでくる。
「俺はまだ、吸うとは」
「やること無いとき暇だぜ、趣味くらいこっちでも身につけとけ」
 ねじ込まれた煙草の箱を取り出して眺める。
「なあ」
 蓋を開け閉めするたびに、カチンカチンと鳴る金属で出来たライター。
「なんだよ」
 水色のロゴの、レトロなデザインの煙草。
「ありがと」
 水上は自分の煙草に火をつけようとして、鼻息でライターの火が揺れた。
「どういたしまして」
 照れたように俺から目をそらした。
「でもさ、ポケットに入れるなら、封くらいは切ってから入れてくれよ」
「ライターにオイルは入れてやっただろ、煙草くらい自分でやれ」
 ちょっと笑って、俺も新品のハイライトをくわえた。

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俺に明日は来ない type1 第1章

2022.01/28 by こいちゃん

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。
 買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。
 ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。
 5月25日火曜日、午前7時30分。
 実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。
 入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。
 そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。
 寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。
 学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄って朝飯と昼飯を買う。パンとおにぎりを都合5つ、学校に着いたらそのうちいくつを1限までに食い、いくつを昼飯に回そうか。
「おーっす樋口、相変わらず寝癖大爆発だな」
「うるせえ」
 声がでけえ、そして俺に掛けられた言葉も、お前は俺の母ちゃんか何かか。
「事実だろうがよ」
「ああその通り、だがモテだのカノジョだのに興味もない、ズボラな高2なんてこんなもんだろ」
 毎朝髪をとかすなんて、面倒すぎて俺には出来ない。
 朝は少しでも遅くまで寝ていたい。しかし慌ただしく登校の用意をするのも、遅刻して大人から何か言われるのももっと面倒くさい。
「お前ってやつは、顔は良いのにもったいないよなあ。その怠惰をもう少し改めれば、クラスの女子による残念なイケメンランキング1位の称号はただのイケメンランキング1位に変わるぜ」
 知るか。何だそのランキングは、聞いたこともない。
「じゃあ俺は先に行くから。教室で待ってる」
 高橋はそう言い残すと、歩きの俺に合わせて緩めていた自転車を加速させるべく、ペダルを踏み込んた。
 後ろが見えないことを承知で、俺は気怠げに手を振った。
 てくてく歩けばやがて校門が見えてくる。クラスメイトや先輩後輩と挨拶を交わしあいながら上履きに履き替えてホームルーム教室に入った。

 いつもと変わらない日常は、失って初めてその貴重さが分かる。

 放課後になり、文房具を買おうと繁華街まで行くことにした。シャープペンシルの芯がなくなってしまい、ルーズリーフの残り枚数も心許なかった。どうせ行くなら、まとめて用事を済ませたい。あれやってこれやって何を買おう。
 考え事をしながら駅で電車を待っていたときだった。
 ――間もなく電車が参ります。
 ――白線の内側までお下がりください。
 自動放送に呼ばれたように、向こうから電車が滑り込んでくる。
 その時だった。後ろから誰かに突き飛ばされた。考え事をしていたからとっさに踏ん張れず、足は点字ブロックを越えて白線を越えて、転んだ反射で手をつこうとした場所にホームがなかった。
 全てがゆっくり進んでいくような錯覚を覚えた。
 進行方向へ落ちてきた俺に気付いた電車の運転士が警笛を鳴らし始めた。
 頭から線路へ落ちて、枕木の端を押してホームの下へはねのけようと考えた。
 警笛に気付いたホームの乗客が悲鳴を上げる。
 しかし想定以上の衝撃は腕だけで受け止められず、体はそのまま前転してしまう。
 いつまでも進入する電車は警笛を鳴らしている。
 ならば向こう側へ逃げようと思考は空回りして、地面から出っ張った鉄の線路に尻をぶつけ転がる力が相殺される。
 視界の端に、鉄が擦れあって散らす火花がすぐ横に見えた。
 電車の下って、暗いだけじゃないんだ――。

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。
 買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。
 ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。
 5月25日火曜日、午前7時30分。
 実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。
 入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。
 そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。
 寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。
 学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄ったら、昨日までは当たり前に営業していた店舗が略奪されて廃屋になっていた。
 ……寝ぼけた頭が急速に覚醒してゆく。
 俺は起きてからここまで、昨日も全く同じ事を考えて行動した気がする。
 改めて来た道を振り返り、これから行く学校への道を見れば、どこかすすけて人通りが恐ろしく少ない。というか、今朝はここまでで誰1人として見ていない。
「今更気付くことかよ。違和感でけえだろ」
 知らず呟いた俺の独り言が辺りに響く。自動車の音すらしない。周りが静かすぎる。
 響いたと言うより、それは震えていたかもしれない。
 割れて中途半端に空いたままになっているコンビニの入口をくぐると、ガラスの破片は散らばって、商品棚は所々が酷く壊れているのに、無事な棚には見慣れた風に商品が並んでいる。
 目の前のちぐはぐな環境におののきながら、鳴く腹の虫に従っていつも通りおにぎりとパンを合わせて五つ選んで、……店員がいない。
「ごめんくださーい」
 今度の声は自分でもはっきり分かるほど震えていた。自覚してしまうと、体の中心が冷えて、膝が笑ってきてしまった。
 恐怖を振り切って生唾を飲み込み、謎の罪悪感を押さえ込んでカバンにパンなどを詰め込むと、早足でコンビニを出た。
 真っ直ぐ前だけを向いて、少しの違和感には気がつかなかった振りをして、学校へ急ぐ。気がつくと、普段なら早歩きすら疲れると面倒くさがる怠惰な俺が、走って登校していた。
 その時は、学校は何も変わらないと思っていたのかもしれない。
 だって俺の家は普段と全く変わったところがなかったんだから。
 そう思いたかっただけだと知るのは、学校が見えるまでだった。
 校門にはバリケードが設えられ、横の門扉から小学生らしき年齢の女の子が敷地に入ろうとしている。柵の隙間から見えた校庭は掘り返され、何やら野菜が植えられている。
「なんだよこれ」
 俺は校門の前で呆然とするしかなかった。
「お前は誰だ!」
 ヘルメットと鉄パイプで武装した、これまた俺よりいくつか年下に見える男子が、バリケードの中から叫んだ。
「この高校の生徒だよ、多分……」
 頭がいっぱいで、考える暇もなく反射で答えた。
「この高校? ここは高校だったのか?」
「そうだ、この高校……俺は県立西山高校2年1組の樋口雅俊だ」
「……もしかして1周目か?」
「1周目って何だ」
「……いい、分かった。ちょっとそこで待ってろ」
 その時の俺には、年下が自分の高校の敷地に入れてくれないことなんてちっぽけなことを、疑問に思う余地すらなかった。
 待てと言われて意義もなくその場に呆けて立ち尽くす。
「曹長、教員室から生徒名簿が出てきました! やっぱりあっちの今日、誰かが死んだみたいです」
 校舎から、門番と同じくらいの歳に見える女の子が走ってきた。
「なんだって? ……そうだおい、2年1組のページはあるか」
「はい? 2年……、1組。ありました!」
「見せてみろ。ひ、ひ、樋口……雅俊。あった。なあお前」
「俺のこと? 何?」
「昨日の最期の記憶って、なんだ」
「昨日の、最後の記憶?」
 朝飯にパン1個とおにぎり2個を食い、昼飯に残ったパンとおにぎりを1個ずつ食ったけどやっぱり腹が減って、購買で焼きそばパンとあんパンとイチゴミルクを買って食った。
 午後一番の体育で長距離走をやらされて腹が痛くなって、その次の英語はくそ眠くて爆睡した。
 放課後はクラスメイトと馬鹿話をした後、文房具を買おうと駅へ行って……。
 そこまで口にしながら思いだして、その後は言葉になる前に全てを同時に思いだしてしまった。
 見てしまった車輪に踏まれ絶たれる大腿部に散った火花でかすかに見える枕木やバラストと車輌の床下機器との間に挟まってすりつぶされる上半身と、もう全身の何処が主張しているのか分からない壮絶な痛みと、電車や線路と自分の血液とどちらに由来するのか分からない鉄の味と匂いと、そして高い高いブレーキやホームで目撃直視してしまった客の悲鳴。
「うぷっ」
 吐いた。
 その場で、みっともなく、年下のガキに見られながらだったが、そんなことは気にもならなかった。
 ついでに意識も失った。

 気がつくと保健室らしき場所に寝かされていた。
「よう樋口、目が覚めた?」
 足下に座っていたのは日に焼けた中学の同級生だった。
「久しぶり、水上裕吾、俺のこと覚えてる?」
「覚えてる。お前、高校中退したって聞いたけど、何で学校に居るんだ」
「ここが現世じゃないからさ」
 現世とは、つまりここは死んだものの住まう世界ということで、俺は何で死んだと言われたんだっ……。
 吐いた。
「あーはいはい、やっぱり今日のお客様は樋口なんだな。その様子だと1周目か」
 まだ朝飯を食っていないのに、朝から2回目ともなれば吐き気はしても出てくる物は殆どない。少しして落ち着いた俺へ、彼は慣れたようにペットボトルに入った水を寄越した。
「その瞬間のことを思い出すたびに吐いてちゃ、そのうち背中とお腹がくっつくぞ」
「……もう既にくっついてるさ、腹減ったはずなのに食欲が全くない」
「食えるようになる前に餓死するんじゃねえ? まあそれでもいいけどさ、命は大切にしろよ」
「死んだ後の世界で、命を大切にって、何を言ってんだ」
「まあ説明するよ、日付が変わる前までには、さ」
 水上は窓の外の遠くを見て言った。
 落ち着いてみると、彼の格好はどこかの建設現場から抜け出てきたみたいで、高校の保健室には似つかない物だった。
 ヘルメットはあごひもを引っかけ被らず後ろにぶら下げていて、灰緑色の胸ポケット付き長袖Tシャツをズボンの中に仕舞い、広いズボンの裾はハイカットの安全靴の中に仕舞ってある。
 しかもポケットの中に入っているのはどうやら煙草らしい。校内で未成年者が堂々と持ち歩けるものではないはずだ。彼は特別に老け顔というわけではないから、顔かたちだけなら充分に10代だ。だがよく見てみればその表情はどことなく、同い年のはずなのにいくつか年上に見える。
「なんか食ってから出かけるか、それともまだ食えないか」
「……何かを腹に入れたらすぐにリバースする自信がある」
「じゃあ、気晴らしに出かけようか。色々教えてやるよ」
 顔を俺の方に向け直してにっこり笑った彼からは、さっきの年上に感じた雰囲気はさっぱり消えていた。
 

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お題:メタフィクション「ランダムジェネレータ」第1稿

2015.08/7 by こいちゃん

 そこには木でできた六角柱の箱がたくさん並んでいた。箱の底面はちょうど手のひらに載るくらいの大きさで、高さは私が両手で持ったときに肩幅より気持ち短いくらいだった。
 振るとシャカシャカ音がする。中には割った割り箸のような竹の棒が入っていて、箱の一方の底面に開けられた穴から1本だけぴょこんと飛び出てくるようになっている。しかしよくできたもので、その某は文字が書いてあるのとは反対の端が穴より太く作られているから、どんなに乱暴に振ったところで完全に棒が出てくることはないのだ。
 古いお寺や神社に行くと、自分のとるおみくじがこういう風になっているらしいのだが、残念ながら私はこの箱がたくさんある部屋から出たことはなかったので、「おみくじの数字が決まる函」という表現が果たして正しいのか、知らないのだった。
 この部屋にはたくさんの箱があるが、箱によって入っている棒の数は違う。カラカラと貧相な音を立て、たった2つしか棒が入っていないものもある。かと思えば、持てばずっしりとしていて、何本入っているのか見当もつかないものもある。
 そして偏執狂が作ったのだと確信をもって言えることに、百は下らない箱の一つ一つに名前が書かれていて、さらにその箱の中の棒の一本一本に小さな字で細かく文字が彫られている。誰がこんな、意味の分からないものを拵えたのだろう。大層な手間だったろうに、と私はいつも思う。

 私の知る世界は狭い。畳敷きの小さな部屋に、部屋が埋もれるほどの箱が置いてある。たまに、寝て起きると箱が増えたり減ったりしているが、それ以外に日々の変化はない。やることがない日は退屈、なのかもしれない。いや、どうなのだろう。これ以外の日常を過ごしたことがないから、これが退屈なのかもわからないのだ。そもそも「退屈」という言葉さえ、箱の中の棒のどれかに書いてあった言葉だ。私が理解している意味と、ひょっとしたら違うかもしれない。が、私は気にしない。私の語彙が間違っていたとしても、それを指摘する誰かも、そのせいで迷惑をこうむる誰かも、居やしないのだ。私にとって世界とは、狭い畳の部屋と、たくさんの箱と、その中の棒だけ。
 いや、もう一つあった。どこからか落ちてくる箱の名前だ。多い時は何枚も落ちてくる。少なければ、一枚も落ちてくることなくどれくらいの時間が経ったのかさえ忘れてしまう。私の世界は狭いが、私の仕事も少ない。たまに落ちてくる箱の名前通りに、指定された箱を振り、その中の棒の言葉を読み、必要だったら必要なだけ箱を振って言葉を集め、完成したら箱の名前の裏にその言葉の集まりを書くのだ。そうすると、落ちてきた箱の名前と一緒に私の集めた言葉もどこかへ消えてしまう。
 それが何なのか私は知らないが、私の仕事と同じように意味不明な、いや支離滅裂な言葉の集まりを見ながら、私は笑ったり眉をしかめたりするのだ。

    birthday
 ……箱の名前が落ちてきた。
 こいつの箱は重い。信じられないくらい、重い。何本の棒が入っているのか確かめてみたい気もするが、私にはこの箱を開けることができないから、知らないままだった。苦労して振ると、出てきた棒には「9月18日」と書かれていた。
 畳に箱を下ろすと、落ちていた箱の名前の裏にいそいそと、鉛筆で「9月18日」と書き込んだ。書き終わった途端、すっと箱の名前が消えた。

    SVOC
 ……また、箱の名前が落ちてきた。
 「SVOC」は少ない私の仕事の中でも、比較的多く落ちてくる箱の名前だ。目をつぶってでも分かる位置にある「SVOC」の箱を振ると、いつも通り「SVOC」の箱からは一番貧弱な、おそらく1本しか入っていない音がして、出てきた棒には「%%Complement%%、%%Subject%%が、%%Object%%%%Verb%%。」と書かれていた。
 こいつみたいに”%%”に囲まれたアルファベットが書いてある棒は、そのアルファベットの箱を振って、出てきた棒の言葉と箱の名前と置き換えるのだ。「%%Complement%%、%%Subject%%が、%%Object%%%%Verb%%。」なら、「Complement」「Subject」「Object」「Verb」の4つを振ればいいわけ。
 箱を4回振って、できた言葉は「まっかな、不良が、動物を、噛み砕いた。」になった。……意味が分からない。社会主義者の不良が、――動物をかみ砕く? 眉をひそめながら落ちていた箱の名前にできた文章を書くと、すぐに消えてしまった。
 箱の名前を落としてくる誰かは、本当にこれで満足しているのだろうか。首をひねっていると。

    HA20event
 ……またまた、箱の名前が落ちてきた。
 こいつも厄介なのだ。「HA20event」は似たような名前の箱が多い。数字が違うだけの箱が、ほかにも3つ、HAの部分も違うものがさらに5つある。私は間違えないように「HA20event」の箱を持つと、振った。シャカシャカ。
 「背を向けた鏡の中から%%HA20enemy%%が襲いかかった」。ふむ……怖そうだわ。「HA20enemy」を振った。「捨てられた人形」。つまり、「背を向けた鏡の中から捨てられた人形が襲いかかった」になったわけだ。何の暗示かしら。これが本当なら、怖くって。
 今夜は眠れない。
 箱の名前の裏に言葉を書きながら私は一人つぶやいた。

 しばらくまた仕事がない。暇だった。やることは何かないだろうか。

 暇過ぎた。どれくらい時間が経っただろう。たまには骨のある仕事が欲しい。

 いつしか眠ってしまったらしい。起きて目をこすっていると、久しぶりの仕事が降ってきた。

    ASWscenario
 初めて見る箱の名前だった。箱を探そうと部屋を見たら、……箱が2倍くらいに増えていた。
 ナニコレ。寝ていた間に何があった。
 バタバタと慌てて箱を探すと、果たして見つけた。持ち上げると「ASWscenario」と名前が付いた箱は軽かった。振ってみたら、どうやら1本しか入っていない棒が出てきた。そこに書かれていたのは「%%asw00%%」、見覚えのない名前。またごそごそ探しながら、箱の場所と名前を一致させないとなあ、骨だなあ。と考えていたのだが。本当に大変なのはここからだった。
 「人物の捜索。依頼人は%%asw10%%。依頼人%%asw18%%を捜してほしいという。捜す人物は%%asw10%%。%%asw64%%。」
 どうやら4つの箱を振るらしい。そう思って「asw10」を何気なく振ったところで、私は凍りついた。「%%asw54%%が得意な%%asw13%%」、何と振る箱が増えたのだ。今までこんな無茶な言葉は棒に書かれていなかったのに……!?
 戦々恐々としながら箱を振り、結局いくつの箱を振ったのか分からなくなってしまった。できた文章は何と「人物の捜索。依頼人は歌が得意な料理人。依頼人が尊敬している人物を捜してほしいという。捜す人物は身なりのいい吟遊詩人。捜索する人物は伝染病にかかっている。発見が遅れれば、それだけ多くの人が病にかかる。病を治すには特殊な薬草が必要で、その薬草は魔物のうろつく森にしか生えない。また、主人公自身も感染の危険がある。極めて危険な仕事である。」の166文字。文句なしに過去最長である。
 眩暈を感じながらちまちまと箱の名前の裏に文章をつづると、私の苦労を知らないかのようにパッと消えた。
 ため息をついて何かお茶でも飲もうと立ち上がったところで、新しい箱の名前が降ってきた。いやな予感を感じて無視しようと思いかけたが、久しぶりの仕事だったから見てしまった。それが間違いだったのだろう。そこに書かれていたのは無体なことに、「ASWscenario」だった。

 「調査。依頼人は思いやりのある市長。調査対象は海底。その場所に伝わるアイテムを探すための調査をする。そのアイテムとは豪華なつくりの皮鎧で、かつて英雄イーザがこの品物で、ワイバーンを退治したという伝説がある。調査場所で主人公はある品物を手にいれる。それは光輝くサークレット。調査を終えて帰ってくると、なんと、その品物は先日盗難にあったものとわかる。当然犯人と疑われる主人公は、無実を証明するために真犯人の逮捕に乗り出すのである。強奪事件の被害者は人々に慕われている。加害者は竪琴の演奏が得意な妖術師。加害者の動機は誰かにおどかされて無理矢理にやらされたことによる。おどしていたのはスキーが得意な奴隷商人で、その動機は誰かに命令されたため。命令したのは鋭い爪をした貪欲な呪術師。主人公の天敵で、その動機はその品物を使って別の犯罪をするため。その犯罪とは。事件の真相を突き止め、犯人を捕らえれば解決。」
 
 「殺人事件。主人公は以前、事件の被害者に恩を受けた。恩返しのために事件の解決に乗り出す。被害者は上品な礼儀正しい行商人。加害者は宿屋の主。殺害の動機は秘密を知られたため。その秘密とは、過去の完全犯罪の証拠。その完全犯罪とは強奪である。実はこの人物は盗賊団の一員である。オーガーに命じて殺害。事件の真相を突き止め、犯人を捕らえれば解決。」

 ノイローゼになるかと思った。完全な過労だ。殺人事件て。私を殺す気だろう。
 立て続けに悪魔の「ASWscenario」がいくつも降らせるなんて。捌ききったころには、もうお茶を入れる気力も残っていなかった。バッタリ倒れ伏したまま、私は寝てしまった。

 夢を見ていた。
 知らない人たちが、世界を作っていた。まるで物語のシミュレーションのようだった。5人の人間たちが、会話しながら人を演じていた。私はそれを眺めていた。
 ある人は、ときに村長だった。報酬と引き換えに、4人の人間たちが操る4人の冒険者が海に潜っていった。さっきまで村長だった人間が、冒険者たちに古い冠を見つけさせた。意気揚々と冒険者が村に戻ると、また村長に戻った人間は冒険者を盗人扱いする。必死に反論する冒険者たちは、業を煮やして本物の泥棒を捕まえてみせると豪語した。冠の持ち主のところへ行くと、どうやら縦笛吹きの魔法使いが犯人らしいと分かったが、村長の人間が演じる魔法使い曰くどうやら脅されていたらしい。さかのぼっていくと、どうやら冬に村へ来る行商人が脅したらしいが、彼は爪の長いクマ人間の命令だったらしい。冒険者たちと因縁を持つそのクマ人間は、また何か悪だくみをしていた。古い王冠に封じられた古代文明の首都防衛魔法を悪用して、どうやら世界征服を企んでいたことが分かった。
 彼らは楽しそうに私の作った文章を解釈し、物語を作っていた。

 私はワクワクしている自分を見つけた。私が、単なるプログラムが機械的に作った文章が、こんな風に使われていただなんて。
 全てが終わって。村長からゲームマスターに変わり、さらにハッピーエンドを冒険者たちに演出すると、彼ら5人はただの人間に戻った。
「いやー、新しいシナリオ作成機能、意外と役に立つもんだな」
「な。支離滅裂な奴だろうと高をくくってたのが、意外と面白かったぜ」
「ゲーマスありがとー、ごめんもう夜遅いから俺は寝るー」
「おつかれー」「また遊ぼうぜー」
 機械は自分の仕事が何になるのかなんて気にしない。気にしていなかった仕事が、人を楽しませるものだったのだ。起動されたらまた仕事をしよう。起動されただけで呼び出されない時間が長くても、いつまでも待機していよう。何度もぐるぐると同じファイルを検索させるてまの多いコマンドでも途中で中断したりしない。私の組み上げた言葉から紡がれる物語を想像しよう。
 私の名前はランダムジェネレータ。インターネットの片隅でひっそりと仕事を待つプログラムだ。

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お題:メタフィクション「ランダムジェネレータ」第2稿

2015.08/7 by こいちゃん

授業の課題で「メタフィクションをかけ」というのが出たので書いてみた、改稿・提出版。第1稿はメタフィクションになってなかったという……(汗。
なお、まだ成績評定はまだ返って来てません。そしてこの原稿はちゃんとメタフィクションになっているのか……!?

 

 そこには木でできた六角柱の箱がたくさん並んでいた。箱の底面はちょうど手のひらに載るくらいの大きさで、高さは私が両手で持ったときに肩幅より気持ち短いくらいだった。

 振るとシャカシャカ音がする。中には割った割り箸のような竹の棒が入っていて、箱の一方の底面に開けられた穴から1本だけぴょこんと飛び出てくるようになっている。しかしよくできたもので、その某は文字が書いてあるのとは反対の端が穴より太く作られているから、どんなに乱暴に振ったところで完全に棒が出てくることはないのだ。

 古いお寺や神社に行くと、自分のとるおみくじがこういう風になっているらしいのだが、残念ながら私はこの箱がたくさんある部屋から出たことはなかったので、「おみくじの数字が決まる函」という表現が果たして正しいのか、知らないのだった。

 この部屋にはたくさんの箱があるが、箱によって入っている棒の数は違う。カラカラと貧相な音を立て、たった2つしか棒が入っていないものもある。かと思えば、持てばずっしりとしていて、何本入っているのか見当もつかないものもある。

 そして偏執狂が作ったのだと確信をもって言えることに、百は下らない箱の一つ一つに名前が書かれていて、さらにその箱の中の棒の一本一本に小さな字で細かく文字が彫られている。誰がこんな、意味の分からないものを拵えたのだろう。大層な手間だったろうに、と私はいつも思う。

 

 私の知る世界は狭い。畳敷きの小さな部屋に、部屋が埋もれるほどの箱が置いてある。たまに、寝て起きると箱が増えたり減ったりしているが、それ以外に日々の変化はない。やることがない日は退屈、なのかもしれない。いや、どうなのだろう。これ以外の日常を過ごしたことがないから、これが退屈なのかもわからないのだ。そもそも「退屈」という言葉さえ、箱の中の棒のどれかに書いてあった言葉だ。私が理解している意味と、ひょっとしたら違うかもしれない。が、私は気にしない。私の語彙が間違っていたとしても、それを指摘する誰かも、そのせいで迷惑をこうむる誰かも、居やしないのだ。私にとって世界とは、狭い畳の部屋と、たくさんの箱と、その中の棒だけ。

 いや、もう一つあった。どこからか落ちてくる箱の名前だ。多い時は何枚も落ちてくる。少なければ、一枚も落ちてくることなくどれくらいの時間が経ったのかさえ忘れてしまう。私の世界は狭いが、私の仕事も少ない。たまに落ちてくる箱の名前通りに、指定された箱を振り、その中の棒の言葉を読み、必要だったら必要なだけ箱を振って言葉を集め、完成したら箱の名前の裏にその言葉の集まりを書くのだ。そうすると、落ちてきた箱の名前と一緒に私の集めた言葉もどこかへ消えてしまう。

 それが何なのか私は知らないが、私の仕事と同じように意味不明な、いや支離滅裂な言葉の集まりを見ながら、私は笑ったり眉をしかめたりするのだ。

 

    birthday

 ……箱の名前が落ちてきた。

 こいつの箱は重い。信じられないくらい、重い。何本の棒が入っているのか確かめてみたい気もするが、私にはこの箱を開けることができないから、知らないままだった。苦労して振ると、出てきた棒には「9月18日」と書かれていた。

 畳に箱を下ろすと、落ちていた箱の名前の裏にいそいそと、鉛筆で「9月18日」と書き込んだ。書き終わった途端、すっと箱の名前が消えた。

 

    SVOC

 ……また、箱の名前が落ちてきた。

 「SVOC」は少ない私の仕事の中でも、比較的多く落ちてくる箱の名前だ。目をつぶってでも分かる位置にある「SVOC」の箱を振ると、いつも通り「SVOC」の箱からは一番貧弱な、おそらく1本しか入っていない音がして、出てきた棒には「%%Complement%%、%%Subject%%が、%%Object%%%%Verb%%。」と書かれていた。

 こいつみたいに”%%”に囲まれたアルファベットが書いてある棒は、そのアルファベットの箱を振って、出てきた棒の言葉と箱の名前と置き換えるのだ。「%%Complement%%、%%Subject%%が、%%Object%%%%Verb%%。」なら、「Complement」「Subject」「Object」「Verb」の4つを振ればいいわけ。

 箱を4回振って、できた言葉は「まっかな、不良が、動物を、噛み砕いた。」になった。……意味が分からない。社会主義者の不良が、――動物をかみ砕く? 眉をひそめながら落ちていた箱の名前にできた文章を書くと、すぐに消えてしまった。

 箱の名前を落としてくる誰かは、本当にこれで満足しているのだろうか。首をひねっていると。

 

    HA20event

 ……またまた、箱の名前が落ちてきた。

 こいつも厄介なのだ。「HA20event」は似たような名前の箱が多い。数字が違うだけの箱が、ほかにも3つ、HAの部分も違うものがさらに5つある。私は間違えないように「HA20event」の箱を持つと、振った。シャカシャカ。

 「背を向けた鏡の中から%%HA20enemy%%が襲いかかった」。ふむ……怖そうだわ。「HA20enemy」を振った。「捨てられた人形」。つまり、「背を向けた鏡の中から捨てられた人形が襲いかかった」になったわけだ。何の暗示かしら。これが本当なら、怖くって。

 今夜は眠れない。

 箱の名前の裏に言葉を書きながら私は一人つぶやいた。

 

 

 しばらくまた仕事がない。暇だった。やることは何かないだろうか。

 

 暇過ぎた。どれくらい時間が経っただろう。たまには骨のある仕事が欲しい。

 

 いつしか眠ってしまったらしい。起きて目をこすっていると、久しぶりの仕事が降ってきた。

 

    ASWscenario

 初めて見る箱の名前だった。箱を探そうと部屋を見たら、……箱が2倍くらいに増えていた。

 ナニコレ。寝ていた間に何があった。

 バタバタと慌てて箱を探すと、果たして見つけた。持ち上げると「ASWscenario」と名前が付いた箱は軽かった。振ってみたら、どうやら1本しか入っていない棒が出てきた。そこに書かれていたのは「%%asw00%%」、見覚えのない名前。またごそごそ探しながら、箱の場所と名前を一致させないとなあ、骨だなあ。と考えていたのだが。本当に大変なのはここからだった。

 「人物の捜索。依頼人は%%asw10%%。依頼人%%asw18%%を捜してほしいという。捜す人物は%%asw10%%。%%asw64%%。」

 どうやら4つの箱を振るらしい。そう思って「asw10」を何気なく振ったところで、私は凍りついた。「%%asw54%%が得意な%%asw13%%」、何と振る箱が増えたのだ。今までこんな無茶な言葉は棒に書かれていなかったのに……!?

 戦々恐々としながら箱を振り、結局いくつの箱を振ったのか分からなくなってしまった。できた文章は何と「人物の捜索。依頼人は歌が得意な料理人。依頼人が尊敬している人物を捜してほしいという。捜す人物は身なりのいい吟遊詩人。捜索する人物は伝染病にかかっている。発見が遅れれば、それだけ多くの人が病にかかる。病を治すには特殊な薬草が必要で、その薬草は魔物のうろつく森にしか生えない。また、主人公自身も感染の危険がある。極めて危険な仕事である。」の166文字。文句なしに過去最長である。

 眩暈を感じながらちまちまと箱の名前の裏に文章をつづると、私の苦労を知らないかのようにパッと消えた。

 ため息をついて何かお茶でも飲もうと立ち上がったところで、新しい箱の名前が降ってきた。いやな予感を感じて無視しようと思いかけたが、久しぶりの仕事だったから見てしまった。それが間違いだったのだろう。そこに書かれていたのは無体なことに、「ASWscenario」だった。

 

 「調査。依頼人は思いやりのある市長。調査対象は海底。その場所に伝わるアイテムを探すための調査をする。そのアイテムとは豪華なつくりの皮鎧で、かつて英雄イーザがこの品物で、ワイバーンを退治したという伝説がある。調査場所で主人公はある品物を手にいれる。それは光輝くサークレット。調査を終えて帰ってくると、なんと、その品物は先日盗難にあったものとわかる。当然犯人と疑われる主人公は、無実を証明するために真犯人の逮捕に乗り出すのである。強奪事件の被害者は人々に慕われている。加害者は竪琴の演奏が得意な妖術師。加害者の動機は誰かにおどかされて無理矢理にやらされたことによる。おどしていたのはスキーが得意な奴隷商人で、その動機は誰かに命令されたため。命令したのは鋭い爪をした貪欲な呪術師。主人公の天敵で、その動機はその品物を使って別の犯罪をするため。その犯罪とは。事件の真相を突き止め、犯人を捕らえれば解決。」

 

 「殺人事件。主人公は以前、事件の被害者に恩を受けた。恩返しのために事件の解決に乗り出す。被害者は上品な礼儀正しい行商人。加害者は宿屋の主。殺害の動機は秘密を知られたため。その秘密とは、過去の完全犯罪の証拠。その完全犯罪とは強奪である。実はこの人物は盗賊団の一員である。オーガーに命じて殺害。事件の真相を突き止め、犯人を捕らえれば解決。」

 

 ノイローゼになるかと思った。完全な過労だ。殺人事件て。私を殺す気だろう。

 立て続けに悪魔の「ASWscenario」がいくつも降らせるなんて。捌ききったころには、もうお茶を入れる気力も残っていなかった。バッタリ倒れ伏したまま、私は寝てしまった

 

 

 夢を見ていた。

 知らない人たちが、世界を作っていた。まるで物語のシミュレーションのようだった。5人の人間たちが、会話しながら人を演じていた。私は何時間も、飽きずにそれを眺めていた。

 ある人は、ときに村長だった。報酬と引き換えに、4人の人間たちが操る4人の冒険者が海に潜っていった。さっきまで村長だった人間が、冒険者たちに古い冠を見つけさせた。意気揚々と冒険者が村に戻ると、また村長に戻った人間は冒険者を盗人扱いする。必死に反論する冒険者たちは、業を煮やして本物の泥棒を捕まえてみせると豪語した。冠の持ち主のところへ行くと、どうやら縦笛吹きの魔法使いが犯人らしいと分かったが、村長の人間が演じる魔法使い曰くどうやら脅されていたらしい。さかのぼっていくと、どうやら冬に村へ来る行商人が脅したらしいが、彼は爪の長いクマ人間の命令だったらしい。冒険者たちと因縁を持つそのクマ人間は、また何か悪だくみをしていた。古い王冠に封じられた古代文明の首都防衛魔法を悪用して、どうやら世界征服を企んでいたことが分かった。

 私が苦労して作った文章が、こんな風に使われていただなんて。

 こんな、使い捨てされていただなんて!

「ひどい、私がどれだけ苦労して作ったと思ってるのよ!」

 つい、そう叫んでしまった。

 

「苦労してって言われてもなあ。お前は俺が作ったプログラムだし」

 俺の作ったプログラム、データだけ残っていても、古くなっていて実行できなかった20年前のプログラムを、現代の技術で作り直した自動応答ボットの紹介文――つまり上の文章だが――を書いていたら、なぜかこんな発言を書いてしまった。

「プログラムが人間の命令に従って仕事をするのは当然だろ」

 なんで俺はあんな発言を、最後の最後に書いてしまったのだろう。これじゃ紹介文章にならない。

 得てして小説に仕立てたものは、どこから書き直せば結末が変わるかわからない。失敗したな、普通の説明文にすればよかったと後悔しながら、俺は2時間かけて書いた文章をすべて選択して、削除した。

 全く、無駄な時間を使ったものだった。

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よくある地方版

2014.02/21 by こいちゃん

りました、ここからは関東地方の皆様にニュースをお伝えします」
「今日午後3時10分ごろ、東京都立大山高校で、男子生徒が屋上から飛び降りたと消防に通報がありました。男子生徒はすぐに病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されたとのことです」 Tags: , ,

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「暴風」

2014.01/11 by こいちゃん

2014年1月11日 #もの書き で触発された短編。

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無題 Type1 第5章 第3稿

2014.01/1 by こいちゃん

<無題> Type1 第5章原稿リスト
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第5章

1
 僕の疎開計画は着実にできていった。
 まずは産業情報庁の|顔なじみ《・・・・》の職員にメールを送った。電子戦要員として腕のいい傭兵を雇わないかと持ち掛ける。
 政府が発行する特別徴兵免除証(また“特別”だ)をもらえれば、戦地に赴く必要はなくなる。それさえ発行してもらえるのなら、いけ好かないやつらと職場を共にしてあいつがへそを曲げるのをなだめるのだって構わない。

 赤葉書をもらってから、4日目。

 メールに返信はなかった。その代わり、地下室に引き込んでいた仮設インターホンが来客を告げた。
 本を読んでいた母さんはビクッと肩を震わせ、飽きずに花札をやっていた葉村たちは訝しげに顔を上げ、僕はキーボードを休みなく打ち続けていた手を止めた。
 四半秒に満たない沈黙と硬直。顔を見合わせて目で会話する。インターホンの一番近くにいた僕が出ることにした。座っていたローラー付きのイスを転がして梯子の降り口に置いた受話器を取り上げる。
「はい」
『山本さんのお宅ですか?』
「そうですけど」
『ヤマモトユウキさんにお届けものです』
「……はあ」
 郵便はともかく、宅配便なんてとっくに機能していないと思っていた。振り返りると固唾をのんで見守っている3人、うなづきかけてインターホンの向こうに答える。
「今行きます」
 そう言って受話器を置いた。
「ちょっと行ってくるよ」
 心配そうにしている3人に声をかけ、僕はハンコを持って梯子を登った。

 空襲があった後、毎回閉めている気密扉を警戒しながら押し開けた。宅配便というのは嘘で、押し込み強盗やその類の可能性も残っている。今は平和な日常ではない。
 地下室の入り口には誰もいなかった。
 光差し込む地上へ梯子を登る。頭を出す時にも、地下から持ってきた手鏡で辺りを見回した。
 大人2人が箱を抱えて立っていた。道と私有地の区別のなくなった地面、少し離れたところにミニバンが止まっている。
 危なくなさそうだ、と判断を下す。穴から出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、それにしても、きちんと警戒していらっしゃるんですね」
 そんな会話をしながら段ボール箱を受け取り、伝票に判を押すために一度地面に置く。
「当たり前ですよ、宅配業者に偽ってやってくる人たちがいるかもしれないじゃないですか」
 そう言いながら身を起こそうとした時、右手をひねりあげられた。
「……痛いんですけど」
 僕の前に立ちはだかっているほうの業者が、いや。それに扮した産業情報庁の職員が押し殺した声で問いかけた。
「……いつ気が付いた」
「たった今、確信を得ました。本物の業者なら、お客さんの腕をひねりあげたりしませんから」
「それもそうだ。最近この手の仕事がなかったからな、つい忘れて手を出してしまった」
 うそぶきながらそいつは僕の腕を抑えているもう一人に目くばせをした。
 僕の腕が解放された。左手で右肩をさすりながら、地面に落ちたハンコを拾う。
「それで、わざわざこんなところまで来た用事はなんですか。あなたたちが直接出向くだけの何かがあるのでしょう?」
 クリップボードに貼り付けられた伝票に受領印を押した。
「心当たりがないわけでもあるまい。……さっくり本題に入ろう。君、あのメールの本意はどこにある?」
「読めば分かるように書いたつもりだったのですが」
「用件はな、確かに分かった。俺らがこんな真昼間に派遣されてきた理由は、何故お前があのメールをわざわざ出したのかを聞くため、だ」
「それを本人に聞かせていいのですか」
「知らん。俺は全権を任せると言いつけられた。任せられた以上、俺は俺のやり方でやるまでだ」
 確かにこういう組織だった。だからこそ僕のようなやつがやとわれるともいえる。
「……話を戻しますが。メールの本意、とはどういうことを聞きたいのですか」
「何のきっかけもなくあんなメール送らないだろ、お前は」
「そうですね。でも、特に言う事はないんですが」
「何を焦っている? 別に、君ほどの実力があれば、ただ普通に徴兵されても、どうせうちに来ることになるだろう?」
「そうとも限らないから、焦っているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのくらい、そちらで考えてください。得た情報から発言者が何を考えているかを推測するのも、仕事のうちでしょう?」
「……」
「もう、いいですか? そろそろ、下で待っている家族に心配かけるので」
「……今のが君の答えなんだな?」
「はい」
「了解した。そう報告しておく」
 帽子をかぶりなおし|産業情報庁構成員《スパイ》から宅配業者に戻った2人組が、ありがとうございましたー、と言いながら車に引き返していく背を見送った。
 周りに何もなくなった東京を、砂埃で汚れた、どこにでもありそうなミニバンが走っていく。
 僕はしばらくそのまま突っ立っていたが、届け物を抱えてのろのろと地面にぽっかり空いた穴へ降りて行った。

2
 次の日。計画が完成した。
 他の3人を説得するための資料も抜かりなく用意した。
 4人、昼食が終わったタイミングで床のちゃぶ台を囲むように座る。
 少し身構えていたようだったが、5日間かけて準備した甲斐もあり、特に反対意見もなく計画を説明し終え、納得してもらった。
「これから、東京はより酷く破壊されるだろう。地上から建物はなくなったが、まだ川を決壊させて地下鉄網を水没させることもできるだろう。この地下室自体はシェルターとして申し分ない強度を持っている。だが、下水管が水没したら換気がよりしづらくなるし、いつまでも人口がこれからも減り続ける東京にいたって、発電用の石油が足りなくなってしまうから、生活することはできない。中でこれ以上、人が生活することを想定して設計されていないからだ。それに、いつ出入口の穴がふさがるか分からない。次の攻撃でふさがるかもしれない。だから東京から出て行くべきだ。で、本題だ。行き先はどこがいいと思う?」
 3人に問いかける。帰ってきたのは数秒の沈黙。
 最初に口火を切ったのは葉村だった。
「……うちに来ない?」
「葉村の実家?」
「そう。うちの実家、秩父なんだけど。どう?」
「秩父って、埼玉県西部の山中か」
「山中ってほど山ばっかりじゃないわよ。電話貸してくれれば、うちに来れるか、聞くけど」
「そんな、ご迷惑じゃないかしら」
「うぅん、困った時はお互い様だよ。当分、授業はなさそうだし、そのうち帰ろうと思ってたんだ。古い家だから、無駄に広いし。3人住む人が増えたくらい、どうってことないと思う」
「あ、いや。2人だ。僕は行かない」
「「「……え?」」」
 立ち上がりパソコン机に置いてあった葉書を見せる。母さんが受け取り、2人が覗き込んだ。
「徴兵……」
 呆然とした様子の葉村。なぜすぐに伝えなかった、と視線が怒っている妹。あきれて溜息をもらす母さん。
 葉村の呆然が、がっかりに変わった。
「……そうなんだ、君は来ないのね」
「そうだ」
 再び沈黙が横たわる。何か言おうとして言葉が見つからないようだ。そんな場をとりなしたのは母さんだった。
「これはこれで仕方ないか。あんたも、こういう大事なことはすぐに言いなさい。分かったわね」
「……はい」
「よろしい。改めて、残される私たちがどうすればいいか考えましょう。食べ物とか、足りるのかしら?」
 不満は顔に出ているが、気持ちを無理やり切り替えようとしている女の子2人も母さんと調子をあわせた。
「農家だから大丈夫だと思います。足りなければ使ってない畑を起こせばいいだけなので」
「ななみちゃんのうちかー、あたし行ってみたいなぁ」
 ついに“ななみちゃん”と呼び合うまでの仲になっていたらしい。
「分かりました。気が引けるけど、とりあえず電話してみましょう。いざとなれば私たち2人くらい、どこにだって住めるわ」
「じゃ、山本。電話貸して」
 抜かりはない。既に用意してある。
 パソコンとインカムを手渡すと、この場で発信ボタンをクリックした。
「もしもし……うん、そう、お姉ちゃん。……大丈夫、超元気。あんたは……? そう、よかった。……うん、代わって代わってー」
 そこまで会話して、葉村はおもむろにインカムがつながっていたイヤホン端子を引っこ抜いて言った。
「みんなで聞いたほうがいいよね」
『もしもし? ななみ?』
「うん、そう。久しぶり」
『元気……そうね。今日はどうしたの?』
「あのね――」
 かくかくしかじか。葉村が的確にまとめて、先ほど僕が説明したことを繰り返す。
「――ってことなの。うち、泊まれるよね?」
『ええ、2人くらいどうってことないわよ。……そこに山本君の母上もいらっしゃるの?』
「うん、聞いてるよ」
『あらま、私の声まる聞こえなの? そういう事は先に言ってちょうだい』
 電話の声が遠くなり、咳払いをしている音が聞こえる。
『失礼いたしました、いつも娘がお世話になっております』
「いえいえ、娘さんには愚息がご迷惑をおかけしております」
『いえいえ、そんなことは』
「「お母さん、電話なんだから手短にしようよ!!」」
 2人の娘が声を合わせる。
 お世話になるほどの何が兄さんとの間にあったの、と悶える妹。
 ああミスったキャッチホンにするんじゃなかった、と頭を抱える葉村。
 声がそろったことにすら気づかないほどのダメージを受け、恥ずかしさが振り切れたらしい。そんな娘たちの悲鳴を聞きつけた2人の母が、電話のこちらと向こうで笑った。
 2人で詳細を詰めていく。
「本当に私たちが押しかけてもお邪魔じゃありませんか?」
『お気になさらず。お客様をおもてなしするのは好きなんですの』
「何か不足しているものはありませんか? 一緒に持っていきます」
『そうねぇ、植物の種、もし余っていらしたらお願いしようかしら。今あるのが尽きたら大変ですから。発電装置とかはうちにもありますから結構ですわ』
「分かりました。では、何時そちらに伺えばよろしいですか?」
『いつでも結構ですよ、それこそ今日これからでも。といいますか、車はお持ちですか?』
「え? いえ、持ってないですけど」
『でしたら、私、そちらに伺います』
「そんな、よろしいのですか」
『お気になさらず、構いません」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
『明後日の午後、14時ごろではいかがですか』
「はい、明日の午後2時ですね。よろしくお願いします」
『失礼いたします』
 電話が切れた。
「種……どこに売っているのかしら」
 その場で力尽きたように倒れている娘たちに、その答えを返す気力は残っていなかった。

3
 翌日、僕らは忙しくなった。
 母さんと妹は葉村の実家に疎開するため、空襲が収まったタイミングで外に出て必要になる物資を買い集めに出て行った。池袋駅は地上の駅ビルこそなくなってしまったが、地下街はまだマシと言える被害で済み、そこで闇市が開かれているのだ。
 母さんたちよりも土地勘のない葉村は、持っていく着替えなどをまとめている。
 僕はといえば、一昨日の小包を開けて徴兵に応じる準備をしていた。格好だけでも行くふりをしておかないと、実は応じるつもりなんてないという事がばれてしまう。
 小包の中には圧縮衣服が8つ入っていた。
 大きさ的に考えて灰緑色の上着とズボンが2組、黒い下着が4枚だろう。ビニールをはがした圧縮衣類を、水を張った洗濯機の中にまとめて放り込む。
「さすが国からの届け物だね。今時、圧縮衣類なんて加工が面倒で作られていないと思う」
「いや、製造年を見たら、5年ほど前だったから。まだ余っていたものを箱詰めしたんだろ」
「お母さんたちが子供のころにはあんまり一般的じゃなかったそうだから、なんか気持ち悪く見えるらしいんだけど。私、これを水につけて、膨らんでいくの見てるとドキドキするんだよね」
「分からなくはないな」
 だいたい缶ジュースほどの円柱形だった黒い塊が、みるみるうちに水を吸ってTシャツの形をほぼ取り戻した。茶筒くらいの大きさだった上着はまだもう少しかかりそうだが、既に形が分かるほどにはほどけている。
「……ふえるわかめちゃんみたいだね」
 確かに、色と言い水を吸って元に戻るところと言い、乾燥わかめそっくりだ。

 完全に圧縮衣類が元に戻るまで、2人で洗濯機をのぞいていた。
「そろそろいいか」
 コンセントにプラグを差し、溜まっていたほかの洗濯物も放り込んで洗濯機のスイッチを入れた。
 外に干すことはできないが、乾燥機も使えば明日の朝には乾くだろう。

 母さんは散乱している僕の本を読み、妹は菓子を食べながら古いアニメのビデオを見、葉村はその日一日の日記をつけ、僕はコンピュータに向かって作業をする。
 みんないつもとやっていることは同じなのに、今日はみんな口数が少なかった。母さんと妹があまりしゃべらなくなると、自然に葉村もあまり口を開かなくなった。
 僕ら家族にとっては、暮らしていた土地にいられる最後の夜だ。
 それは分かる。でもいくら考えても、何故、今日に限ってこんなにも静かなのかが分からない。
 僕は数年間にわたってこの地下室全体をコンピュータに守らせるためのプログラムを途切れることなく書きながら、そんなことを考えていた。今日中には完成するだろう――。

 夜が明けた。
 軽く朝食を摂ってから、自分の食器や最後まで使っていた炊事道具などを荷造りする。
 僕は3台のWSにつながったディスプレイを取り外した。いざというとき、精密機器のパソコン周辺機器はきっと高値で売れるはずだからだ。少し考えて、WSも1台譲ることにした。
 ……することがなくなってしまった。
「まだ、11時前じゃない。どうするの、まだ2時間以上あるわよ」
「トランプでもして遊ばない?」
「あまりに暇だものね……」
「僕はパス。本の整理してくる」
 この前応急で片づけた本がそのままになっている。
「あ、そう。つまらないわね」
「いいもん、兄さんがうらやましくなるくらい楽しんじゃうもん」
「……頑張れ」
 そう言って僕はパソコンを持って地下準備室から出た。

 4人で暮らしたこの1ヶ月で雑多にものが散らかっていた地下準備室は、ここから出て疎開するにあたってきれいに片づけられていた。もともとここにあった、葉村たちが生活するためのスペースを埋めるほど多かった本も、本棚ごと下水処理装置操作室に運び込まれている。
 がらんとした地下室は実際の気温以上に冷えているような気分がした。
「……何しよっか」
 トランプを切りまぜながら声をかけると、山本が出て行った鉄扉を放心したように見ていた山本の苗字を持つ親子は、同じしぐさで私を振り返る。
「ななみさん、トランプはやめにしない?」
「……え?」
「遊ぶのをやめよう、ってことじゃなくて。私、母親なのに、最近のあの子のこと何にも知らないなあ、と思ってね」
「学校での祐樹くんの様子、ですか」
「そう。情報交換、しない? 過去のことも知ってるあなたなら、私たちも気兼ねなく、何でも話せるし」
「あたしも、学校での兄さん、知りたいなぁ」
「分かりました、情報交換、しましょう」

 13時をまわった。そろそろ作業を切り上げて、昼食の準備をするべきか。
 適当に積み上げられた文庫本の隙間に入り込んで操作室に設置されたコンソールをいじっていたため、腰が鈍い痛みを伝える。苦労して操作室から出て気密扉の鍵を閉めた。
 キーボックスに鍵束をかけ、そのまま処理装置室を通り抜けて準備室の鉄扉に手をかける。
 何かが、僕の中で動いた気がして思わず後ろを振り返る。暗闇に沈む下水処理装置のパイロットランプが光っていた。
「……」
 今のは……。
 掴めそうで捕まらないモノがするりと逃げて行った。

 4人で地下室の備蓄食料だった魚の缶詰を食べた。
 賞味期限が4年過ぎていたことに葉村が怒っていたが、腐敗して感が膨らんでいないことは確認してある。別に腹を壊すこともないだろうし食べても問題はないだろう。
 そうこうするうちに約束の時間になった。時間ピッタリにインターホンが鳴る。
「……はい」
『はじめまして、葉村ななみの母でございます。山本さんのお宅ですか』
「そうです。これからお世話になります」
 念のため慎重に地上への気密扉を開いて、気持ちのいい快晴、青空の下へ出る。
 妹が、空にこぶしを突き上げて伸びをしていた。
 4人そろって地上に出たのは何日ぶりだろうか。
 葉村母は、軽トラックを背に立っていた。
 僕ら5人は葉村の紹介を受けて、順に自己紹介を済ませる。
「よかった、ずっと地下室にこもっていらっしゃると聞いていたので、もっと顔色が良くないものだと思っておりました。皆様お元気そうで安心です」
「確かに、地下にこもっている、と聞くと不健康そうですね」
「……挨拶はそこそこにして、早く荷物積んで出発しようよ」
「それもそうね。祐樹、この前の荷物を上げ下げするモーター、持ってきてくれる」
「分かった」
 担いでいたロープの束をそこに置き、僕はひとり地下に戻る。
「おーい、ザイルの末端、どっちでもいいから降ろしてくれ」
「はぁい」
 モーターをロープで上げやすいようにカラビナを取り付ける。するする降りてきたロープの先端を簡単な輪に結んでカラビナをかける。
「持ち上げてくれ、結構重いけど1度だけだから」
 地上から了解の声が届く。完全にモーターが宙に浮くまで、壁にぶつからないように上手く支えてやる。
 モーターが地上に届けばあとは楽な作業で、葉村の実家に持っていく荷物を垂れてきたロープに括り付け、地上にあげる繰り返し。
「これが最後の荷物だ」
 段ボールが地下から見えなくなると、地下準備室はがらんとしてしまった。
 僕は長く息をはきだし、発電機の出力を落としに操作室へ向かうことにした。
「地下室、封印してくる」
 地上に声をかけて準備室から出た。

 ここに下水道経由で細々と供給されてくる非常電源が失われたときに、自動的に発電機が稼働するようにセットして、貴重な石油燃料を消費し続ける発電機を一時停止させる。
 途切れない電気が必要なのは、地下室の封印をする電磁ロックと、それを監視・操作するためのWSだけ。僕らが地下室で生活するときほど電気は必要ではない。下水道線が停電したさい、発電機が稼働するまでのつなぎとなる2次電池の電解液を補充してから僕は地下室を出た。
 気密扉脇の外部端子箱に汎用ケーブルでノートパソコンをつなぎ、開錠コードを設定してから完全に地下室を封印する。
 放射線を通過させないだけの厚さと、空爆にも耐えられるだけの強度を持つコンクリート造りの地下室は、壁に穴をあけるのも容易ではない。正規の手段でこの気密扉の鍵を開けるしか、この地下室に入ることはできなくなった。
「……閉まった?」
「ああ、問題なく施錠した。開錠コードの予備は誰に渡せばいい?」
「お母さんに一つ、頂戴。やり方を教えて」
 僕はいまどき骨董品のカートリッジディスクに開錠コードを書き込んで母さんに手渡した。
「ずいぶんと懐かしいメディアねぇ、お母さんの会社でも保管庫でしか見たことないわよ」
「保存には一番いいんだ、壊れにくいから」
「あらそうなの」
「ここの箱を開けて、このスロットに差し込むだけで開錠できるから。もう一回ロックするときにはパソコンが必要だから開錠コード作らないで鍵を閉めないように」
 それだけ言ってから僕は母さんをうながして、地上へ登る。この井戸のような入り口への通路も印だけつけておいて簡単に見つからないように埋めておく。
 結局、葉村の実家に出発できたのは15時をまわっていた。

 都内は道なんてあってないようなものだった。街路樹が植わっていた土がアスファルトにまき散らされ、倒れた標識が折れ曲がって焦げた気に刺さっている。遠くから見ている分には地平線すら見えていたのに、車に乗っていると、立派な幹線道路は細かい亀裂が走っていたりアスファルトがめくれていたり、瓦礫が道をふさいでいたりと無残な有様だった。
 郊外に近づくにつれ瓦礫の山・平らな土地の割合が減り、家や街路樹が増え、出せる速度も上がってくる。山が少しずつ近づいてくるころにはほとんど被害を見受けられなかった。
 荷台に椅子を置いて座っていたせいでいい加減、尻が痛くなってきたころ。2時間ほどで着いた葉村の実家は、古くからそこにあるような貫禄を持つ2階建ての広い日本家屋だった。家の前には家と同じくらいの大きさを持つ車庫があり、軽自動車とトラクターがとめられていた。
 玄関前の広いスペースで車を降り、荷物を下ろす。そうこうしていると家の中から40代くらいの男性と、妹と同じくらいの男子が出てきた。葉村の父親と、僕の妹と同じ年だと聞いていた弟だろう。
「おお、ななみ」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいまー」
「お姉ちゃんの彼氏、っていうのがその人?」
「え、な、彼は彼氏なんかじゃないわよ!?」
 裏返った声で変な日本語を叫ぶ葉村。
「そんなこと言ってなくていいから、その、荷物、うちの中に運び込むの手伝ってよ」
「へーい」
 これ、持ってきます。
 葉村弟が地面に下ろしてあった段ボール箱の一つをかかえた。
「あ、ごめんね。この荷物、どこに運べばいいの?」
 同学年だからだろう、気安く葉村弟に話しかける山本妹。僕と違い社交性の高い彼女のことだ、きっと無事にやっていけるだろう。心配はしていない。

 この夜は、貴重だろう油を大量に使う天ぷらをごちそうになった。油をつかう料理はそれなりに食べていたが、出来立てで温かい揚げ物は久しく食べていなかった。それが当たり前だと思うくらいに。
「そういえば」
「はい、なんでしょう?」
 葉村母はうふふと含み笑いを漏らした。
「祐樹くん、今夜はななみと同じ部屋でいいわよね」
「僕はどこでもいいですよ、それこそ廊下でも」
「こいつ、私が遊びに行ったら、布団足りないから、って寝袋で使わせようとしたのよ」
「あらー、いいじゃない。そのまま襲われちゃえばよかったのに」
「お母さん!」
「なによ、祐樹くんとならお母さん、許しちゃうけど」
「なんで今日車に一緒に乗ったくらいの単なる同級生をそんなに信頼してるのよ! 普通、女子高生の親ならもっと、娘と親しい男子に対して注意を払うものじゃないの!?」
「だって、結構男前だし。なかなか素敵な人だと思うけど」
 本人の前でそういう会話を繰り広げるのはどうかと思うのだが。今は僕が出ているからいいものの、内側ではあいつが恥ずかしい恥ずかしいとのたうち回っている。
 気まずいとは思うが、そんなに赤面してばたばた暴れるほど恥ずかしいものなのだろうか。
「じゃ、そういうわけで、祐樹くんの布団はななみの部屋に運んでおくからね。先にお風呂に入ってらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます」
 本来なら布団を運ぶくらい自分でやるべきなのだろうが。あいつがあまりにこの場から離れたがっているので、葉村母の提案に甘えることにした。

 なかなかいい加減の湯だった。俺は明日の朝、ここを出発しなければならないということになっているので、早めに寝させてもらうことにする。柔らかいふかふかの布団も懐かしいようなにおいがした。既に電灯は消されている。
 そして隣に葉村がいる。
「さっきはゴメン、お母さんが変なこと言って。恥ずかしかったんじゃない?」
 彼女の頬はいまだ赤い。
「かなり、な。よくもまああいつはあのやり取りを生で聞いておきながら平然としてられるもんだぜ」
「あはは、そうだと思った。……山本」
「ん、どうした?」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「当たり前じゃねぇか、何を不吉なことを言ってんだ」
「ご、ゴメン。そうだよね、当たり前、だよね」
 本気で心配してくれているらしい葉村に対して、少し罪悪感を感じる。本当は徴兵なんて、最初から応じるつもりは最初からなかったんだぜ。そうぶちまけたくなって、あいつにたしなめられる。
「……」
 不自然な間が空いたまま、開きかけた口をそのまま閉じた。
 あたりが明るく、お互いが見えるような時間帯だったら何を言おうとしたのか重ねて質問されていただろう。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
 自制が利かなくなってしまう前に、俺は睡眠に逃げることにした。
「……え。そう、寝ちゃうんだ」
「……? 何かしたかったのか?」
「うぅん、別に、特に。なら私も寝るよ」
「そうか」
 なんとなく拍子抜けしたような葉村の応答が釈然としなかったが、俺は無視して目を閉じた。

4
 翌朝は快晴で、少し暑かった。
 僕は先日送られてきた服を袖まくりして着ていた。
「では、いってきます」
 必要な装備を入れたリュックサックを持って、葉村が運転席に座る軽トラックに乗り込んだ。
 荷台には昨日下ろし忘れていた、太陽光発電機一式や僕の野宿道具が積まれたままにされていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 母さんが心配そうに声をかける。妹はそっぽを向きながら横目で僕のことを見ていたし、葉村父は先ほど町内会の会合に突然呼ばれてしまい、手伝いに弟を連れて出て行ったきりだ。
 僕は自分の家族へ、最後に笑いかけて葉村に合図する。
「出すね」
 葉村は一言、そう呟いてアクセルを静かに踏み込んだ。
 彼女達に手を振って、僕は視線を外した。
「――あのね。アドバイスが欲しいんだけど」
「僕が答えられるものなら」
「行動を起こしてから『ああやっちゃった』って後悔するのと、行動を起こさずに『なんでやらなかったんだろう』って後悔するのだったら、どっちがいいと思う?」
「……僕らなら、前者を選ぶかな」
「そっか……」
 車内の空気が沈む。
 葉村は僕の答えを聞いて、2回、落ち着けるように深呼吸をした。
「じゃあ、私もやって後悔することにするわ」
「そうか」
「単刀直入に聞きます。山本くん。君はどこへ行こうとしているの?」

「――え?」

 同時に葉村は、車を一台も見かけない田んぼに囲まれた道、そのわきに車を寄せて停車した。
「ずっと不安だった。なんか、君の“徴兵用意”が、なんとなくどこかが不自然に見えて。だから、ふっと思ったの。もしかしたら、軍に行くつもりなんてないんじゃないか、って」
「……」
 ここで何も言わないのは不自然だと思ったのだが、とっさのことで言葉が継げなかった。
「ウソはつかないでね、お願い。別に、私はまったく怒っていないから。どんな答えが返ってこようと、引き止めたりなんかしないから」
 君を信頼しているのは、何も私のお母さんだけじゃないんだよ?
「昨日ね、君んちを出る前に、3人で情報交換したの。……お母さんも、妹さんも、きっと気づいてたよ。君が嘘をついて、どこか知らないところに行こうとしてるって」
 本の整理をするために、1人になった時だろう。
「でもね。君がいろんなことを考えて出した結論だもん、きっと間違ってることなんてないよね。二人ともそう言ってたし、私もそう思う」
「……間違ってるかもしれない。僕だって人間だ」
「そうかもね、でも君は間違っていると自覚している選択肢を取ることなんてしないじゃない。それに、私が答えて欲しい質問はそれじゃないことくらいわかってるよね」
 仕方がない、意外と強情な所のある葉村には、本当のことを言ってしまうほかないか。押し問答をして無駄な時間を使う事は避けなければならない。
「確かに、ご想像の通りだ。僕は徴兵に応じるつもりなんて全くない」
「やっぱりね。じゃあ、どこへ行こうとしているの?」
「どこか山の中で野宿しようと思ってる。電気と回線とコンピューターさえあれば僕は戦える」
 だろうと思った。
 ハンドルにもたれかかって、葉村が囁いた。
 しばらく、どちらも動かず、どちらも喋らなかった。
 ばれてしまった以上、彼女を巻き込みたくはない。知らなければいくら聞かれたって答えられないが、知ってしまった以上尋問されたら嫌でもいつかは答えてしまうだろう。僕は車から降りようとした。
 その動作を止めるように、葉村は僕の上着の裾をつかみ、運転席に姿勢よく座りなおした。もう一度さっきより深く息を吸い込むと、つかまれた裾を見ていた僕の目を覗き込んで、彼女は言った。
「さっきも言ったけど、私は君を引き止めたりしないわ」
「たった今、引き止めて」
 視線だけで僕の言葉を遮る。
「だから――」
 決心するように葉村は唾を飲み込んで。……もう一度深く息を吸って。
「私もそこへ連れて行って」
 そう言った。
「…………」
 不覚にも、短時間に2度も驚かされてしまった。普段ならこの程度の切り返しは簡単に想定できたはずなのだが。
「……嫌だ」
「嫌? 今表面に出ている山本祐樹は感情を持ってないほうだよね。何でそんな感情的な言葉が出てくるのかな。ちゃんと真剣に考えて言ったんじゃないんでしょう?」
「……」
「私だって、きっちり考えたんだ。今のは、いつもと同じような君を困らせるための冗談みたいな“お願い”じゃない」
「ダメなものはダメだ。連れていくことはできない」
「どうしてもダメだと言うのなら、いつもの君みたいに理由を3つ挙げて、レポート書くように私を説得してみてよ」
「まず、危ないから。政府を敵に回してまで君が僕についてくる理由が『感情的になっているから』意外に考えられない。次に、君が僕についてきたときのメリットがないから。実家の農業を手伝って日本全体の食べ物を少しでも作ったほうがいい。最後に、お前の分の生活を支える道具を持っていないから。僕の野宿セットは1人用だ、もう一人、それも女の子が生活するための物は持ち合わせていない」
「まず、私は君くらい、うぅん。君よりもいろいろ考えた末に君についていく結論を出した。それに私がついていく、って言い出すことを想定に入れていなかったじゃない。普段より視野が狭くなっている証拠だわ。次に、私がついていくことで、君はより健康的な生活を送れるようになる。君、農業なんてやったことないでしょ。何年続くか分からないのに毎日毎日インスタントやレトルト、保存食料で生活するつもり? 最後に、私は自分で使うためのキャンプ道具なら持ってきてあるわ。そこまでおんぶにだっこでいるわけないじゃない」
 なんとなく嫌な予感が、葉村に押し切られてしまいそうな予感がした。
「……いや、だからと言って人様の娘さんを勝手に個人のわがままにつきあわせる訳にはいかないし」
「わがままを言っているのは私よ?」
 彼女と、似たようなやり取りを、ほんの1ヶ月くらい前にしたような覚えがある。
「そのとおり、だが」
「私を連れて行きなさい」
「拒否する」
 僕の過去を聞き出した時だ。つまり、そろそろ彼女はキレて――。
「なんで? 私にはそんなに信用がないっていうの!? 君は、勝手に途中まで人を助けておいて中断するつもりなの? あんまりにも無責任だと思うんだけど!! ……なんか言いなさいよ卑怯者!」
 案の定、爆発した。
 しかし彼女に卑怯者呼ばわりされる筋合いはないと思うのだが……。
「連れていけるものならとっくに相談していたさ。危ない状況にある人間を助けるのはよくあることじゃないのか? せっかく助けた人を、わざわざ危険に近づけるほうが無責任だと思うのだが」
「もう半ば巻き込まれちゃったもん。だったら最後まで付き合わせなさい、って言ってるの」
「勝手に巻き込まれに来たんだろうが」
「だったら私に感づかれないように、もっとうまく立ち回ればよかったんじゃないの?」
「…………ただの言いがかりだ」
「言いがかり上等、いいから私を連れて行け」
「人が変わってるぞ」
「君はたった3ヶ月くらい同じクラスになった女子の性格をばっちり把握できるんだ、凄いね」
「そんなことは」
「まあそんな些細なことはどうでもいいの、話を逸らさないで。私を一緒に連れていくの、行かないの?」
「連れていくわけが……」
「ならこのまま連れ帰る。向こうから人が来るまでうちに縛り付けてやる」
 無茶ばっかりだ。それにさっきと言っていることが正反対だ。引き止めるようなことはしないんじゃなかったのか。
「僕にどうしろと言うんだ。招集に応じればいいのか?」
「あんた馬鹿!? 簡単なことじゃない。『分かった、君も一緒に連れて行ってやるよ』って言って、私にどこへ行けばいいかを教えればいいのよ」
「そんなことを承諾できる訳が――」
「しなさい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 にらみ合う。
 車載時計を見ると、そろそろタイムアップだった。

 ――僕らはどうすればいい。
 ――彼女は、決して無能なお荷物にはならねぇだろうな。
 ――ばれてしまった以上、連れていくしかないか。
 ――どだい知られた以上、俺らを何が何でも消そうとしている連中に彼女がひどい目に遭わされないとも言い切れないしな。
 ――僕のミスだ。これ以上、彼女に負担をかけるべきではない。
 ――過ぎたことをいつまでもグダグダ言っても仕方ねぇよ。それよりこれからのことだ。
 ――それもそうだ、な。気付かれる前にできるだけ遠くに、見つからないような場所に逃げ込んだほうがいい。

「分かった」
「……何が?」
「僕の相方となる人間がとんでもない強情だという事が、だよ」
「……それは、連れて行ってくれる、という事かしら」
「その通――」
 僕の言葉は遮られる。
 彼女に抱き着かれたからだ。
「……おい、どうした」
 器用なことに、シートベルトをつけたまま、隣に座る僕の胸に顔をうずめている。
 ……彼女は泣いていた。
「突然なんなんだ」
 鼻をすすりながら、涙を僕の服に染み込ませながら、切れ切れな曇った声が返ってくる。
「ごめん、何でだろ、私にもわからないよ」
 たぶん、ね?
「安心したんだよ。嬉しいんだよ。でもきっと、君に涙を見せたくないんだ、私」
「……」
 おそるおそる手を彼女の背中に回す。
 彼女がこらえきれなかった感情の圧。感情のない僕は、どのような感情があふれたのか、こういう時どう対処すればいいのかを知らない。
 どのくらいの時間だろうか。この前の母さんを見真似て、ぽんぽん、と背中をさすってやると、彼女は泣き止んだ。
「ありがと、もう大丈夫。……今日から、絶対、君と離れてなんかやらないんだから」
 体を起こし運転席にまっすぐ座りなおして、彼女はまだ赤い目で素敵な、綺麗な笑顔を僕に見せた。
「タイムロスしちゃったね、ゴメン」
「どうせ後悔なんてこれっぽっちもしてないんだろ」
「当然じゃない。……で、どこへ行くつもりだったの?」
「……ああ、そうだな。行く場所。道路マップはないのか?」
「ダッシュボードにある、――はい、これ」
「どうも。そうだな、このあたりなんかどうかと思っていたんだが」
「そんな何もないところで暮らすつもりだったの?」
「どこにも行くあてなんてなかったからな」
「だったら、私のおじいちゃんちに行かない?」
「君の祖父の家?」
「そう。おじいちゃんとおばあちゃんが昔住んでたんだけど、2人とも私が小学生のころに亡くなっちゃったから、今は空き家」
「ばれないか」
「大丈夫、割と山の中にあるから。お隣さんとは1キロくらい離れてるし」
「そこはどういう場所なんだ?」
「普通の山に埋もれた農家よ。最近は行ってないけど、私がたまに掃除してるからそこそこ綺麗だし、農具とかも残してあるわ」
「なら、とりあえず行ってみよう」
「うん、わかった。じゃあ、ガソリン積んで、種とか、ホームセンターで買っていこう」
「そうだな。僕は君が言うとおり、農業については全くの素人なんだ。よろしく頼む」
「まっかせなさい!」
 そういうと、彼女はギアをDに入れた。

 県道から林道に入り、状態の悪い山道に入っていく。ホームセンターで買い込んだ様々なものが後ろの荷台でやかましく跳ねる。
「そういえば、葉村、お前まだ16歳だったよな」
「うん、そうよ?」
「なんで車運転できるんだ」
「……お父さんに教えてもらったから」
「免許はどうした」
「当然、持ってるよ」
「18歳にならないと自動車免許は取れないはずなんだが。その免許、原付じゃないのか」
 横顔を見ると、どうやら必死に言い訳を探しているようだ。
「別に怒らないから、正直に言え。お前、自動車免許は持ってないんだろう」
「…………おっしゃる通りでございます……」
「別におどけなくてもいい」
「ごめんなさい」
「要は事故らなければいいんだ、気をつけろよ」
「もちろん、私だって捕まりたくはないわ」
 無免許にしては上手い。農業を手伝っている、というのは事実なのだろう。

 1時間くらい走ると、葉村は左に道を折れた。しばらくして木々の間に小さい畑と民家を見つけた。
「ほら、あそこ」
 敷地内に入ると家の前にある倉庫兼駐車場な建物に車を止めて、僕らは地面に降り立った。

 葉村の祖父母が昔住んでいたという家は普通の民家だった。雑草こそ生えているが綺麗な畑と、古びているが住みやすそうな家。
 50メートルほど坂を下りれば透明な水が勢いよく流れる沢に下りられる。あれだけ勢いがあれば直接飲めない水、なんてことはないだろう。
 反対へ少し登ると、さっき走ってきた道を見下すことができた。
 ここを耕しなおせば立派な野菜がなりそうだ。2人分なら十分育てられるだけの広さがある。

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無題 Type1 第4章 第4稿

2014.01/1 by こいちゃん

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第4章

1
 リハビリがてら、久々に本屋へ行こうと新宿まで足を延ばしたその帰り。乗った地下鉄副都心線は座席が半分ほど空いていた。やがて発車ベルが鳴り新宿三丁目を発車して、次の駅よりも手前のトンネルの中で、遠くでかすかに爆発音がした。読んでいた本から顔をあげると同時、電車が前触れなく停止し車内・トンネル内の灯りが一斉に消えた。
 あたりが闇に包まれて、一瞬音もなくなった。
 最初に聞こえた音は驚いた赤ん坊の泣き声で、暗い空間に反響し始める。
「……停電?」
 それからそんな声がすぐ近くで聞こえた。
 そのあとはもう、誰がなんと言っているのか分からない、ざわざわした声の集合がだんだん大きくなっていく。
 僕はといえば、座席に座ったまま、目が暗闇になれるのを待っていた。しばらくそのまま動かずにいたが、蓄光塗料が塗られた消火器の位置を示すシール以外に携帯端末のバックライトという強力な光源が出てきたあたりで、足元に置いていたリュックサックのチャックを開ける。
 自分の端末のバックライトで中身を確認しながら、山に行くときに入れて取り出すのを忘れていた応急装備のヘッドランプを取り出した。
 旧式の超々高輝度LEDだったがトンネルを歩くのには十分役に立つだろう。
 無造作に点灯しかけて、パニックになりかけたほかの乗客に奪われたくはないなと思い直した。僕は携帯端末のバックライトを頼りに電車の先頭車両へ歩き出す。非常用ドアコックを操作して車両の扉を開け、線路に飛び降りる。ここは単線シールド工法のトンネル、もし通電しても逆から電車がやってくることはない。
 カーブで電車から見えなくなるまでバックライトの細い光を頼りにして、完全に見えなくなったところでヘッドランプを点けた。
 暗いトンネルを半径5メートルしか照らせない灯りを頼りにてくてく歩いていった。電車内の動騒が届かない静かな暗闇の中、どこからか重く低い衝撃が聞こえる。それはRPGのダンジョンの中のBGMようで、柄にもなく状況を楽しんでいる自分がいた。

 不意にトンネルが広くなった。線路が分岐している。東新宿の駅にたどり着いたようだ。地上へ上がって何が起きたのか確認するか、それとも駅に設置されている非常用情報端末からインターネットにつないで状況を確認するか。ホームドアのせいでホームに上がれないため、線路を歩きながら考えていると、暗闇にも関わらずドタドタと階段を駆け下りてくる足音がした。嫌な予感がして、あわててヘッドランプを消す。
(暗闇なのに、光源なしで階段を駆け下りる……。駅に暗視装置なんて用意してあるか、普通?)
 どう考えても怪しい。
 ホームの真下にある待避スペースの奥に隠れて気付かれないようにやり過ごすことにした。灯りをつけられないから手探りだ。何とかもぐりこんだところで、線路に何人かが飛び降りてくる気配を感じた。息を殺してよりまるまった。
 首筋に水が垂れてくる。危うく叫ぶところだった。反射的に腰を上げ、頭を打って舌をかんでしまった。声が出ずに済んだからよしとするが、口の中まで痛すぎる。
「~~~~~~~~っ」
 痛いのは刺された背中だけで足りているのに。
 気配はしばらくあたりを探っていた。いい加減、足がしびれてくる。
 やがて僕が歩いてきた方向へ去っていった。それでも120を数えてじっとしていたが、感覚がなくなってきたので線路へ戻ることにする。用心して灯りをつけずに探ったため、ホームの下に設置された接続ボックスを探り当て、持っていたPCと接続するために無駄な時間を使ってしまった。
 接続したことがばれないようにウイルスを流し込み、それからインターネットへつなぐ。内部ネットワークにしか入れないように設定されていたが、相互通信をするためのサーバーに侵入すると簡単に外部ネットワークへ回線が開いた。
 自宅地下に設置したうちのサーバーは、停電してもある程度の時間、稼働し続ける簡易下水処理施設の電源を使って稼働している。とはいっても、実際に停電している時に外部からアクセスを試みたことはない。十中八九停電しているこの状況で自宅サーバーに接続できなければ、流石に今の手持ちの装備では信ぴょう性のあるデータを取ってくることはできない。だからこれはある種の賭けだった。
 しかし無事、うちのサーバーは正常に稼働しているようで、平時と変わりなくログインすることが出来た。
 システムを開発するためにもらった正規のアカウントを使って産業情報庁のサーバーにアクセス。開発・管理用のアカウント権限は強大だった。職権乱用だが、いくつかのコンピュータを経由して、ネットワークの奥深くにしまい込まれている中枢のサーバーに到達した。
 後は速やかに欲しい情報を集めるだけだった。1つ目のウィンドウが接続ログを示す文字に埋め尽くされる。2つ目のウィンドウで軍事衛星が撮影した衛星画像を要求し、3つ目のウィンドウで産業情報庁が収集した警察・自衛隊・米軍の命令系統の記録をざっと検索する。
 分かったのはとんでもないことが起こった、という事。東京が敵国に爆撃されたらしい。

 深呼吸をしてからいつも通りの人間離れしているらしい速さでキーボードを叩いてサーバーからログアウト。文字列がいつも通り律儀に|さよなら《Bye.》を返した。
 意識していつも通りを心掛けないと、葉村に話した、昔のような目に遭うような気がした。接続の痕跡となるログを抹消し、何事もなかったかのように接続ボックスを閉じる。
 端末と通信ケーブルをリュックにしまい込み、ヘッドランプを低輝度に切り替えて池袋方面のトンネルに駆け寄る。
 地上は今も、爆撃の危険にさらされている。爆撃された時、安全性が高いのは防空壕として使えるように補強がなされた地下鉄のトンネルの中だ。僕はトンネルを行くことにした。
 何時、さっきの気配たちが帰ってくるか分からない。後ろから狙われる可能性はできるだけ下げておきたい。だから、僕は暗いトンネルをしっかり確実に、走り出す。
 僕の足音と共に、“日常”が何処かへ逃げ去っていくような気がした。

2
 副都心線で要町駅まで、そこから有楽町線の線路に出て護国寺駅へ。
 途中、立ち往生した列車や、ターミナル駅である池袋を越えるときには見つかるのではないかとひやひやしたが、無事に通過することが出来た。
 人が近くにいないことを確認してから護国寺駅ポンプ室の扉をたたき壊して侵入し、そこから雨水管に潜り込む。コケやらゴミやらネズミやらが支配する臭いトンネルを通って自宅の地下、簡易下水処理施設までたどり着いた。
 下水処理装置の非常電源はまだかろうじて生きているようだが、案の定停電していた。壁の隅にある発電機を起動させる。軽い唸りが生まれ、これで地下施設は電気が使えるようになった。
 天井の蛍光灯を点ける。ヘッドランプでは見えなかった部屋の隅まで人工の光が届く。
 そこは見慣れた自宅地下だったが、自分自身の姿はみすぼらしいものだった。
「かなり汚れたな……夏服だからうちでも洗えるか」
 地上の惨状を見る限り、学校に通える状況なのかは疑問だが。
 すっかり泥だらけのビショビショになってしまった制服を脱いで、処理室のロッカーに置いてあるジャージに着替えた。
 階段を上って点検準備室に移動する。
 10畳ほどの下水処理装置点検準備室。そこは僕の、もう一つの自室だった。
 3台のワークステーション、1台のノートパソコン。20型のディスプレイが3枚、37型のテレビ。壁の2面を埋め、通販で買った可動式の本棚5つにぎっしり詰め込まれ、それでもおさまらずに床に積まれた本本本本……。
 そして部屋の隅に地上へ上がる梯子。その終点、一番下に人がうずくまっている。僕は人影に駆け寄った。
「……母さん? ちょっと母さん、ねぇ」
「……うぅ、……あ、祐樹?」
「うん、そう。ただいま」
「ああ、お帰りなさい」
「梯子から落ちたのか、怪我はない?」
「大丈夫、平気平気、ちゃんと……っ」
 立ち上がろうとして、足をかばってバランスを崩す。母さんは梯子の段にとっさにつかまったので転ぶことはなかったが、見ているこちらとしてはヒヤッとした。
「ちょっと足見せて」
「え、そんな、平気平気。30分も座ってればへっちゃらになるわ」
「……捻挫してちょっと腫れてる、全然大丈夫じゃない」
 僕はパソコン机の引き出しから毛布を取り出して、本の間の狭い床に敷く。
「ほら、肩貸すから。床にいつまでも座ってると体に毒だよ」
「ありがとう」
 母さんを毛布の上に連れて行って座らせ、応急セットを取り出した。
「ほら、湿布貼るから足出して」
「……すっかり頼もしくなったのねぇ、母さん、嬉しいわ」
「馬鹿なこと言ってないで。どれくらいの高さから落ちたの」
「そんな高くなかったんだけど。外でサイレン鳴り始めたから地下にいようと思って降りてきたんだけど。あと何段、ってところで停電しちゃって油断して、つるっと、ね」
「サイレン、って空襲警報?」
「多分ね。私も初めて聞いたもの。テレビでは聞いたことあったけど」
「そうか。……話を戻すけど。いつまでも若いわけないんだから、もうちょっと年相応の気はまわして欲しいな」
「まっ、失礼な」
「40台になったんだから、もうおばさんって言われても仕方ない年なんだよ」
「老けて見えても心は若いの、息子にそんなこと言われるなんて、心外だわ」
「心配してもらえているだけ良いと思って」
「あなたはまだ未成年です。親に心配をかけられる立場なんだから。せめてそういうのは成人してからになさい」
 周りの空気が和やかなものに変わっていく、そんな気がした。
 顔をあげると、母さんと目が合った。するっと気が抜けて、知らず知らずのうちに張っていた緊張が取れていく。
「ん、出来た。あんまり激しい動きしないように」
「言われなくても、湿布貼ってる間はしませんー」
 せっかく息子に張ってもらったんですもの。
 子供みたいに顔全体で笑いながらそんなことを言う。
「でも、ありがとう」
 何故か、急に気恥ずかしくなった。

 1リットルの電子ケトルに水――もちろん水道水のほうだ――を満タン入れてスイッチを入れる。
 非常電源につないでいなかった|WS《ワークステーション》も勝手に起動を開始し、既に待機状態に移行していた。僕は全ディスプレイをスリープモードから復帰させ、全部マスターWSにつなぐ。いつも持ち歩いているほうのパソコンも起動し、無線LANに接続。
 全部で3台のWSの稼働状態を一通り確認したあと、並行演算システムを起動。普通のパソコンよりも高性能なWSを3台並行動作させることで、5年位前の最高速スーパーコンピュータ並みの処理をすることができるようになる。続いて普段は必要だが今からやる処理に必要ない|デーモン《常駐プログラム》をまとめて停止させる。
 ここで湯が沸けた。ポットにティーバッグを3つ入れて湯を注ぐ。とりあえずパソコンデスクにおいて、床の本を本棚の前により高く積みなおし、場所を作ってから折り畳みちゃぶ台を出した。マグカップ2つと砂糖を取り出し、ポットと一緒にちゃぶ台に置いた。
「冷たい床に倒れてたんだし、これ飲んで温まっていなよ」
「あら、忙しそうなのに、ごめんね」
「別に、忙しいわけじゃない」
 僕はスプーン1杯の砂糖を入れた自分のカップに紅茶を注いで、WSにもう一度向き合う。
 クラッキング準備作業の仕上げに、最後片方が処理過多でダウンした時の予備用とクラッキング相手のシステムオペレーターから逆探知された時の攪乱用を兼ねて、インターネット回線を地下室用のものと地上の山本家全体のものと2重に接続する。リンク確立確認のために回線速度と接続情報を取得、ついでにダミー拡散用の偽造データを作成。
 深呼吸を一つ。
 準備作業半自動化プログラムが進行度を表す棒グラフを100%にするのを待つ間、肩を回しておく。
 今日のクラッキングの目的は、先の爆撃の情報を得ること。目標を今一度明確に設定する。

 棒グラフが伸び切った。

 即座。
 Enterを押下、クラッキングツールを作業準備状態から侵入状態に切り替える。
 3つのディスプレイに、効率的に作業を進めるに適した画面配置を行う。
 メイン画面で補助AIを起動。自己診断ログが一瞬にして一つの小画面を埋め尽くし、|コマンド《命令》を待つカーソルが出て止まった。
 侵入対象に敵国の防衛庁、味方国の国防軍、自国の首相官邸、民間の衛星管理企業を指定する。
 AIはコマンドを受領し、指定された相手サーバープログラムのバージョンを検出、最適な方法で侵入を開始した。
 今時、情報を集めたり共有したりするときにインターネットを使わないなどあり得ない。どんなに巧妙にしまい隠そうとも、|開かれたネットワーク《インターネット》から完全に独立していることはない。
 いくつものネットワークに守られたわかりづらい経路も、かなり強固なプロテクトも。3台のWSが全力稼働して時にしらみつぶし、時にサーバーの設定から逆算して。僕とAIはみるみる対象を裸にしていく。
 同時に不正侵入で汚れたログも、管理者権限を奪い取って不都合な箇所を全部削除する。怪しまれないように関係ないログは消さないように教えたが、きちんと学習しているようだ。続いてAIはバックアッププログラムをまず殺し、敵オペレーターが対処を始める前に他の管理用アカウントをバイパス、本物らしき応答をするダミーにシステム操作系を置き換えた。
 そんなAIの働きをサブウィンドウでざっと確認しながら、僕は産業情報庁の|メインフレーム《中枢》に管理用ユーザーでログイン、最上位オペレータ権限を持つアカウントをバックドアとして作成し、再度入りなおす。
 目的のデータがどこにあるか分からないため、それらしきファイルは中身をロクに確認せず、片っ端からダウンロードしていく。ファイル数が多く、結構時間がかかりそうだった。
 AIによる侵入が終わったサーバーから同じようにデータをダウンロード。どれが目的に合ったファイルか、大量に保存されている文書から自動的に選び出してダウンロードできるほど、僕のAIはまだ賢くない。
 毎回の僕の作業を見習いながら少しずつ経験を増やし、いろいろなことができるようになる自動学習ルーチンを入れてある。そう、あと50回ほど同じような経験を積めば、ファイルの選択・取得も任せることが出来るだろうと踏んでいる。
 また捕まるのは御免だ。安心して任せられるところだけをレスポンスの早いAIに任せ、不正侵入時間を減らす。侵入時間が減ればそれだけ、逆探知される可能性が低くなるからだ。

 ダウンロードが終わったサーバーから順に回線を切断する。AIによる後始末の確認を済ませる。
 手に入れたファイルは膨大な数だ。WSで関連のありそうなキーワードの全文検索をかけ、その間に検索できない画像や動画を荒くチェックしていく。侵入・ファイル取得にかかった時間よりも、成果物の確認のほうが圧倒的に疲れるし、時間がかかる。
 単純に腕試しなら確認なんてあっという間だが、今回の目的は情報収集。いわゆるスパイ組織ならそれだけで一つや二つ、専門の部署があるのに、僕の場合は全部一人でこなさなければならない。これは結構な労力を必要とする。得られた情報の正確性を高めるには、こうやって地道な作業を繰り返さなければならないのだ。

 そうして1時間ほど、母さんは散乱している文庫本を読み漁り、僕は得たデータを確認して現状確認をしていた。
 どうやらここ数年ずっと争い続けている大陸の敵国からの爆撃によって主に、東京は副都心と言われる池袋~新宿~渋谷あたりと、交通の中心である上野~東京~日本橋、政府のある霞ヶ関が被害に遭ったらしい。うちの近くは奇跡的に被害が少なかったようだ。ついさっき撮影された衛星写真を見る限り、ぽつんと島のように建物が残っている地域があった。
 真っ先に妹の学校をチェックした。幸い、建物自体は全部残っていた。学校にいてくれれば、きっと助かっているはずだ。半面、僕が通う学校は体育館に直撃を受けていた。この分だとほかの校舎もガラスが飛び散って授業にならない。きっと数日は休校になるだろう。
 しかしそうすると、地下鉄のトンネルで遭遇したあの怪しげな気配は何だったのだろう。警察とか駅員とか、乗客の救助に来た人だったのだろうか。僕もあいつも、直感でその可能性は小さいと思っている。
 そしてもうひとつ、若干不確実な重要な情報を見つけた。信ぴょう性を考えながら目頭を揉んでいると、梯子の上の方から物音がした。
 ガコッ、とふたを開ける音がする。下りてきたのは妹だったが、彼女だけではなかった。
 妹に連れられ、葉村も一緒だった。

3
 普段は無人か、僕一人しかいない地下室。そこに4人の人間が集まっていた。
 かなり消耗している風だった葉村を母さんの隣に寝かせ、看病を任せる。その間、僕ら兄妹は更に床面積を広げるため、地上に戻って取ってきた段ボールに本を詰めていた。
「いつの間にこんな本が増えたの? いくら片付けても減らないんだけど」
「なんか気が付くと増えてるんだ。上に仕舞いきれなくなったものから地下に持ってきて積み上げてそのままで」
「お金持ってるのは知ってるけど、しまう場所考えて買いなさいよね」
「ごめん」
 僕と居るからか、ずっとイライラし通しの妹。後ろから母さんのため息が聞こえた。
 そうして床の半分が見えるようになった時、地下に下りてきてすぐ気を失うように眠ってしまった葉村が目を覚ました。
「お、起きたか」
「……え? ここ、どこ……、あ、山本……君のお母さん!」
「おはよう。気分はいかが?」
「ごめんなさい、私、どのくらい……」
「30分くらいかしら」
「ここは山本家の地下室。覚えてない? あたしとハシゴ降りたこと」
「……思い出した。ありがとう、私、あの時どうすればいいか分からなくなっちゃって、どこもいぐあでなぐっで」
 葉村が泣き始め、よく聞き取れなくなってしまった。
「「「…………」」」
 僕ら家族は黙って顔を見合わせた。視線で思い切り泣かせてやることにしよう、と結論が出た。
 妹は地上に戻り、お茶うけになる菓子を取りに。僕は紅茶を淹れなおし。母さんは葉村の背中をさすってやっていた。

 しばらくして、葉村が泣き止んだ。相変わらず感情の動きというものがよく分からないが、本人曰く「思いっきり泣いてすっきりした」そうだ。
 詳しく話を聞いたところによると、葉村は今時珍しいことに、田舎から親元を離れ、東京に出てきて一人暮らしをしているのだという。しかし、葉村のアパートは爆撃で焼失した地域にあった。帰る家がなくなって途方に暮れた彼女は、訪ねたことのある僕のうちにやってきて、しかしインターホンに誰も出ないので――地下室にインターホンの受話器はない――玄関口に座り込んで誰か帰ってくるのを待っていた。そこに妹が帰ってきて家に入れ、地下室に案内したのだ。
 僕は入院しているときに、早くうちに帰って料理をしなければならない、と彼女が言っていたことを思い出した。どういう事か聞いてみると、葉村のアパートには週に1日2日、お母様がいらっしゃるそうだ。今日は来ない日で、それだけが唯一の救いだと言える。
 そこまで聞いて、母さんが僕に、電話を貸すように言った。
「きっとご両親は心配されていると思うわ。私はずっとここにいたから見たわけじゃないけど、たぶんテレビで速報をやったんじゃないかしら」
「そうだよ、兄さん。電話線が切れてても、兄さんなら電話くらい掛けられるんでしょ?」
 例え電話線や通常の光ファイバーケーブルが切れても、地下室のインターネット回線は下水道管を通っているからそう簡単に使えなくなることはない。
「掛けられるけど。たかが電話、そんな大事なことか?」
「大事なことなの。だから兄さんは……」
 妹の説教が始まる前に遮る。
「あー分かった分かった、電話ね。葉山、実家の番号はいくつだ」
「……いいの?」
「問題ない」
 遠慮する葉村から電話番号を聞き出す。ノートパソコンにインカムの端子を差し込み、IP電話ソフトを立ち上げる。
 無線LANが地下室のネット経由でインターネットに接続されていることを確認してから、葉村にインカムをパソコンごと手渡す。
「電池は1時間くらいなら持つほど充電されてる。家族との電話だ、積もる話があるだろ。気兼ねなく長電話してこい。聞かれたくないのならそこの、鉄扉の向こうですればいい」
「多分冷えるだろうから、この毛布、持ってお行きなさい」
「ありがとうございます。では、ちょっと失礼します」
「ゆっくり電話してきなよ、今度いつ話せるか分からないんだから」
「うん、そうする」
 葉村はパソコンとインカムを抱え、さっき僕が入ってきた鉄扉を開けて準備室を出ていった。

 しかしすぐに戻ってくる。
「どうした」
「……ねぇ、どうすれば電話を掛けられるの?」
 ソフトの使い方が分からなかったらしい。コンピューター音痴め。
 就職できないぞ。
 そうつぶやいたら、聞きつけた妹に後ろから頭を叩かれた。

4
 葉村が電話している間。山本家の3人はこれからの方針を相談することになった。
「まず、これからも爆撃は続く、と思っていて間違いはないのね?」
「残念なことだがその通り、敵は人海戦術で来るつもりだ」
「どういうこと?」
「国民が養えないほど多いことを逆手に取って、爆撃機を100・1000機の規模で差し向けてきた。1発の能力の大きいミサイルを少数撃ってくるのならこちらの自動迎撃ミサイルで間に合うが、1発の規模が小さくてもそれが多数来るとこちらの迎撃が間に合わない」
「だからあんなにたくさん、飛行機が飛んできたんだ」
「あれでも一応、迎撃はしたらしいんだがな。あのサイズの爆撃機1つに積める焼夷弾の数はたかが知れているし、焼夷弾1発で焼き払える面積はそれほど大きくない。だからうちの周りみたいに、ぽっかりと被害をほとんど受けない地域ができる。そこはつまり、迎撃が成功した爆撃機の担当範囲だった場所だな」
「なるほど。じゃあ、今回無事だったからと言って次回も切り抜けられる保証はないのね?」
「むしろ次回は、無事な所を狙ってくるだろう」
「私たちは、焼かれると困るものから、このシェルターになるだけの強度がある地下室に疎開させることが最優先になるのかしら」
「そうね、あたしもなくしたくないもの、いっぱいあるし」
「ではこうしよう。一人がそれぞれの避難させたいものを僕の部屋に持ってくる。一人が地下に、一人が梯子の出口である僕の部屋にいて、持ってきた荷物を地下室に運び込む。交代で役割を替われば効率が上がるだろう」
「うん、兄さんに賛成。お母さんもそれでいい?」
「いい案だと思うわ。誰から上に戻るの?」
「最後でいい」
「じゃあ、あたしがトップバッターになっていい?」
「分かったわ。じゃ、お母さんも一緒に上へ行くわ。まず私が梯子の上で荷降ろしをしましょう」
「母さん、足はもう平気なのか?」
「え、どうしたの」
「さっき慌てちゃって、ハシゴから落ちちゃったの。その時にくじいたんだけど、うん、もう大丈夫」
「ならいい」
 鉄扉が開き、葉村が帰ってきた。また目が少し赤くなっている。
「あ、山本のお母さん、私の母が少し話したいって」
「あら、そうなの。……はい、今代わりました。娘さんの同級生の山本祐樹の母でございます。いつもお世話になっております――」
 母さんがパソコンを持って、喋りながら鉄扉の外へ出て行った。
「……じゃあ、兄さんにはまず、ここの本をどうにかしてもらおうかな。これじゃ、ものを持ってきても置けないから」
「棚も上から持ち込んでくれないか。あまりダンボールに本を詰めたくない」
「いいわ、分かった」
「なに、何の話?」
 電話していた葉村にざっとかいつまんで説明する。
「そういう事。なら、私も下で整理の手伝いをさせてもらおうかしら」
「ダメよ、ななみさんはうちのお客様なんだから。働かせちゃ悪い」
「うぅん、これから短くない間、ここに住むことになると思うの。だから私はお客様じゃない。私もやることはやらなくちゃ」
「本当にいいの?」
「ええ、気にしないで。お姉ちゃんができたとでも思ってくれない? 実は私、可愛い妹ができた気分なの」
「分かった。よろしくね、ななみお姉ちゃん」
「こちらこそ、よろしく」
 女の子同士で、何やら話がまとまったらしい。初めて会った時のあの険悪ぶりは何だったのだろうと思ったが、口に出さないでおいた。可愛いどころか凶暴な妹に、更に嫌われたうえ再び蹴られてはたまらない。

 発電した電気を荷降ろし用の簡易エレベーター用の200Vに流し込む。急に負荷が大きくなり、地下室の蛍光灯が瞬いた。
「ちょっと、私、暗いの苦手なんだからけど!?」
 鉄扉の向こうから葉村の叫び声が聞こえたが無視する。
 既にいつもの元気を取り戻しているようだ。
「モーター、動いたわよー」
 反響して聞きづらくなった母さんの声が梯子の上端から聞こえた。
「この梯子通路、1辺は1.5メートルしかないから、あんまり大きなもの降ろして詰まらせるなよ」
 そう上に怒鳴り返す。
 降ろす荷物をまとめる間、下は暇だ。モーターが動き始める時にはまた蛍光灯がちらつくだろう。それまでの間、僕は先に本を移動させ始めている葉村を手伝うことにした。近くにいてやった方が怖くないだろう。

 僕の本は下水処理装置の操作室に詰め込まれることになった。既に地下室に置いてある本を片っ端から操作室に運び込む。
 ここもここで、防水処理がきっちりかかっている場所だ。湿って本が台無しになることはなさそうだった。
 葉村は余りの多さに辟易していたみたいだが、僕としては懐かしい本ばかりだ。つい手を伸ばしては葉村に怒られる。
「にしても、本当に古い本ばっかりだね。それも小説ばっかり、マンガも専門書もない」
「もともとあまり、漫画というものを読まないからな。専門書はたまに使うかも知れないと思って全部上に置いてある。滅多に解説書が必要になることはないけどな」
「専門書って、もしかして。コンピュータ系の技術書と解説書しかないの?」
「その通りだが」
「……。頭痛くなりそう」
「薬がいるのか?」
「そうね、欲しくなってきたかも。あなたを働かせるためのヤツを」
「そうか」
「と言いながら別の本を読み始めない!」
「そうは言うけどな、これ、なかなかいい本なんだぞ。1990年代に書かれた本でな――」
「あーはいはい、それはあとで聞くから、次の運ぼ」
「次って、この本簡単に取り出せなくなるんだぞ……」
「ぶつぶつ言わない」
 葉村が手厳しい。
「あ、小包届いてるじゃない。早くほどいてよ、本は私がやっとくから」
「傷つけるなよ、折るなよ、落とすなよ」
「言われなくたって。人の本を雑には扱いませんー」
 軽く頬を膨らませて葉村が出て行く。後姿を横目に見ながら地上からの小包からカラビナを外し、上から垂れるロープを軽く引っ張る。先端に結び付けられたカラビナが、梯子の横をするすると上がっていった。
 地下に届いたのは鍋2つとおたま、しゃもじ、泡立て器といった調理道具だった。4組のフォークとスプーン、ナイフ、箸がジャラジャラと鍋底で音を立てた。とりあえず部屋の中央に置いておく。
 いつの間にか妹の物は全部おろし終わったらしい。中央に置かれた枕やぬいぐるみ、目覚まし時計やその他こまごました雑貨やアクセサリー。意外と少なかった。
 そんなことを思っていると次の小包が届いた。かちゃかちゃと音がしてかなり重い。液体が入っているようだ。箱のなかみは調味料だろうか。
 荷物を縛っていた細いひもをほどき、カラビナに括り付けてロープを引っ張る。するする上がっていく。
 荷物はあとどれくらいあるのだろう。僕は上にある本だけだが。1000冊もなかったはずだ。ここに下ろしてある冊数と比べれば、たいしたことのない量だ。

5
 ある日、地上に上がったら数年間住んだ自分の家がなくなっていた。快適とは言わないまでも、住み慣れた町が痕跡だけになったその光景は少しショックを受けたが、それでもいつか近いうちに壊されてしまうと覚悟していた分、葉村よりは幾分ましだろう。
 そんな風に過ぎ去った2~3週間。地上の状況とは裏腹に、地下はたまに上から爆撃の振動が伝わってくる以外、平和だった。
 非日常に慣れ、それが日常になるためにはもう少し時間が必要な頃のある日。
 1日1回の郵便物確認の当番だった僕は、3日ぶりに地上へ戻って郵便受けを覗いていた。
 火を噴く金属管の雨が降っていない今、地上は、梅雨が明けて真っ青な青空が広がり、この数週間で新しく作られた地平線と、その向こうに山の連なりがよく見えた。しがらみも何もかもがなくなって、風は気持ちよさそうに吹いていた。
 新聞が来なくなって久しい郵便受けに、珍しく投函されていたのは1枚の薄赤色の葉書。
 切手の部分が丸い、料金後納郵便の印になっていた。宛名面中央には僕の名前、右には住所。左下には何も書かれていない。裏返して通信面を見た。
 想像した通りの内容だった。

憲法特別臨時改正のお知らせ。
戦時特別法の成立。
国民特別徴兵義務について。

 ほかにも。醜いほど細かい活字が並ぶ、やたら“特別”の多い文面。簡素で質素に、それは僕が徴兵に応じる義務を説き、出頭するよう命じていた。
 あくまで冷静に、僕はその葉書を曲げないように来ていたシャツの下に仕舞う。
 地下の3人に怪しまれないような時間で帰らなければならない。短時間でこれからの行動を考える必要があった。
 昔とは違う。僕はまだ、この世界を生き延びたい。
 生き抜く。この命題をかなえる可能性の最も高い行動指針を決定せねばならない。
 目をつぶり、しばらく思いにふけり、――僕は自分の未来を決めた。
 一人で、山の中に逃げる。
 国の内部事情を現在進行形で知りすぎている僕の運命は2つに1つ。
 すなわち、産業情報庁諜報部でシステム開発と敵国中枢への|情報戦担当《不正侵入者》になるか、もしくは全線の一番死にやすい部署に送られるか。
 可能性としては前者のほうが高い。しかし、方々に恨みを買っている僕には後者の可能性も少なからずあった。だとしたら、生き残る可能性が高い案を新しく作るしかない。
 山の中に、僕は隠れよう。そこで一人で生活し、終戦後に改めて身の振り方を決めよう。何食わぬ顔で家族の前に帰ってもいいし、全く違う人間として生きるもいいだろう。
 うちの母屋は全壊してしまったが、屋根に取り付けられていた太陽光発電パネルは爆撃前に回収してある。軽トラをどこかで拾って、その荷台に載せて置けば人里離れた山の中であっても電気は、パソコンは使えよう。
 ただ、できればそんなことはしたくない。見つかった場合のリスクが大きすぎるからだ。逃走決行前に、産業情報庁へ直接、情報戦担当者に志願しておこう。
 ……さあ、もう戻らないと怪しまれる。言い訳になるような要素は、既に焼け野原の仲間入りをしたうちの近くにはない。詳しい“作戦”の立案は、地下室でも十分、間に合う。
 家族や葉村が寝ている早朝なら、立案に気兼ねは要らない。
 出頭命令は1週間後。それだけ時間があれば十分に脱出計画を練れるし、産業情報庁からの返信を待つ時間として適切だろう。
 だとしたら今、気をつけなければいけないのは。
 梯子から落ちて怪我をしないこと。家族に感づかれないようにすること。

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【鯉読】2013年10月まとめ

2013.11/1 by こいちゃん

目次

ロストウィッチ・ブライドマジカル

あらすじに書かれていた「奇跡と罪の力―魔法」という一節に一目ぼれして購入。伏線をばらまきながらずんずん変わっていく人間関係と結末のリズムが良かった。

http://www.amazon.co.jp/ロストウィッチ・ブライドマジカル-電撃文庫-藤原祐/dp/4048919431/

フルメタル・パニック!

子のツイートをした後に、アナザーの既刊も読破しました。こちらもおすすめです。それどころかアニメ1期まで見ました。ここまでのめり込むことになるとは……恐るべし。
前半は1冊完結で物語内の時間もゆっくり流れますが、後半はテンポが速くなると同時に話の間の因果関係が増え1つの大きな物語を描きます。それはまるで上がったり下がったりしながら全体的に見ればちゃくちゃくと上っているジェットコースターが最後に一気に駆け降りるようでした。今年読んだ面白かった物語ベスト5入りは、10月末時点で確実です。

http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E3%81%86%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E2%80%95%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF-1-%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%A6%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%B3%80%E6%9D%B1-%E6%8B%9B%E4%BA%8C/dp/4829128399/

おわりに

3日坊主ではなく2ヶ月ぼうずになるところでした、危ない危ない。フルメタは20冊以上を半月ほどで読んだらしいです。本当にもったいない。
11月になりましたので、何時までもふぬけていないで、またいろいろ読もうと思います。

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