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魔機復元02

井戸を掘る ――Wishing Well

 エアコン代わりに気温を下げる簡単な魔法(といってもこれのおかげで魔力の集まる速度が8割に減った)を使い、ようやく砂の上に腰を落ち着けることができた。尻が熱いとか砂まみれになるのはもう気にしていられない。どっちみち、魔法陣を描いた時に砂まみれの手で顔をぬぐったりしたから、何もかも手遅れだ。

 冷静になって考えると、ぼくは手持ちの魔力をほとんどすべて使い切ってしまった訳で。もし転移術式に成功していても、そこに誰か他の魔法使い――考えたくないけど元カノとか――が踏み込んできたら、さっくりぼくを殺して研究室の中の一切合切を持ち去ったのではなかろうか。失敗して砂漠の真ん中に放り出されたのは良い方の結果だったかもしれない。まあ、なんにせよぼくが馬鹿だったというのは変わらない。

 言い忘れていたけど、魔法使いというのは総じて度しがたい犯罪者だ。ぼくらに良識を期待してはいけない。ぼくらは魔法という「効果が科学的に実証されていないもの」を使ってあれやこれやの悪事を働くのが趣味の生き物で、見つけ次第排除するべき厄介者だ。殺されても文句は言えないくらいのことをやってきた自覚はぼくにもある。彼女がデートに新しい服を着てきたのに褒めなかったこととか、プレゼントのストラップを引きだしに仕舞ったままにしてたこととか。

 気分が暗くなってきた。未来に目を向けよう。お先真っ暗だけど。

 仮に1日が24時間だとして、ぼくが明日の朝を無事に迎えるためには、ぼくは水を確保しなければならない。砂漠に放り出されてから1時間くらい経つが、既にかなりの水分を失っている。ぼくが放出した水分を魔法で集めて戻すことはできるけど、根本的な解決にはならない。そもそもこの砂漠の湿度が低すぎるせいだ。砂漠なんだから当たり前だけど。
 と言うわけで、ぼくの未来を切り開くには大きく分けて2つの方法がある。

 その一、水場を探す。
 その二、井戸を掘る。

 個人的にマルをつけたいのは一番で、わざわざ魔法でなんとかしなくても、周囲にオアシスがあればいい。人里があれば最高だ。でも、あてどもなく砂漠を彷徨ったら遭難確実である。魔法で空を飛ぶには魔力が足りなさすぎるので、まずは探知魔法をできるだけ広範囲に打たなければならない。しかし魔力が少ないと、1時間あたりに調べられる範囲が狭くなる。仮に50キロ先に水場があると分かっても、その頃ぼくは脱水症状を起こして身動きできなくなっているかもしれない。
 二番目の方法は、この場に留まって魔法で井戸を掘ることだ。ここが地球上のどこかであるなら、砂漠であってもとにかく深く掘りさえすればそれなりの量の水が出てくる。仮に井戸としては充分な水が出なくても、湿った土の層から魔法で水分を集めるのはそれほど難しくはない。使える魔力が少ない分、掘るのには時間はかかるが、掘りながら水分を集めていけばぼくが乾き死ぬ未来を結構遅らせられる。

 と言うわけで、ぼくは井戸を掘ることにした。掘っても土が出てこなかったら、その時は別の手を考えよう。今のところ思いつかないけど。

 タブレットにいつも仕込んである、自動書記術式(Auto Scripting Programs)を起動する。これは術式の筆写をサポートするもので、よく使う術式を書く時に自動的に補完してくれる。ぼくの指先の筋電を読み取って意志通りに補完してくれるので、どこかのオートコンプリートのようなお節介焼きとは違う優れものだ。魔力の無駄遣いはできないけれど、このくらいはしないとやってられない。

 次に、太陽光魔力変換術式を書き換えて、範囲を最大の半径50mの円にする。これ以上広げても変換効率が極端に悪くなるので意味がない。魔力を効率よく集積できる大釜があれば別だけど、今自作しようとすると数時間はかかるので却下。ついでに、変換膜の表面を砂漠迷彩柄にする。万が一、上空を飛行機や人工衛星が通りかかった時、怪しまれないようにするためだ。ここが地球上のどこかなら、今必要なのは自力で街を探してたどり着くことで、飛行機に向かって手を振ることじゃない。

 ぼくらは、魔法使いであること、魔法を使ったことを可能な限り隠さなければならない。

 これはすべての魔法使いの共通認識だ。「世の中には魔法なんてない」という常識があるからこそ、ぼくらは魔法を使っても誰にも見とがめられずにいられる。魔法の存在が実証されてしまったら、また魔女狩りの時代に逆戻りしてしまうだろう。

 そんなの、真っ平ごめんだ。

 前の術式を消してまっさらになった砂漠に、せっせと新しい術式を描く。今回は自動書記があるからスムーズだ、と思いきや、風が吹いてきて術式の一部が崩れてしまった。
 涙目になりながら描き直し、自動書記の機能を使って保護する。まあ、セーブ機能みたいなものだ。

 さっさと使えって? ごもっとも。

 魔法には、得意なことと不得意なことがある。何かをより分けたり混ぜ合わせたりするのは得意。その一方で、直接エネルギーを創り出すのは不得意。
 どういうことかというと、例えば空気から酸素をより分けたりするのは、化学的な手法よりも魔法の方が効率がいい。一方で、魔法で身体を浮かせて空を飛ぼうとすると途端に難しくなる。専門的な話はまた後でするけど、砂漠に井戸を掘ると言っても、ずごーんと大きな穴を開けるには莫大な魔力が要るってこと。半径50cm、深さ100mくらいの穴をあけるならだいたい200基数くらいかな?
 手持ちの魔力はようやく2基数くらい。えーと、50m地点で水が出ると仮定しても50時間かかる計算だ。その頃ぼくはすっかり干物になっているだろうね。

 あっはっは。

 プランB。まず、砂漠の砂をより分ける術式を描く。井戸の中心に大きめの砂粒を、その周囲に細かい砂が集まるようにして、細かい砂をぎゅっと押し固めるように魔力を誘導する。井戸の周囲からは水分と塩分を集めて井戸に流し込む術式を描く。砂の下にある岩や粘土の層でも同じようにする。太陽から集めた魔力では足りないので、地中の魔力を吸収する術式も組み込む。首尾良く帯水層に到達すれば、あとは毛管現象で水が押し出されてくる、はず。

 よし、これでいこう。

 試行錯誤をするだけの魔力の余裕がないので、ひたすら術式を描いては調整し、描いては調整しを繰り返す。砂の上についた手足には血がにじんできていて、腰が痛む。脱水症状の徴候は既に始まっている。身体が熱い。
 井戸の最上部は少し広い穴を掘り、砂の中に含まれている僅かな粘土と砂とを高温で圧縮してレンガのタンクを作る。ここに真水が蓄えられる予定。見た目は井戸というより泉に見えるはずだ。砂漠の真ん中にあることを除けばどこも怪しいところはない。不純物を取り除く装置もつけておこう。
 最後に、タンクの横に水から塩分を収集する装置を作る。砂漠の表層には塩分が結構蓄えられているから、ぼくの身体に必要なナトリウムを集めるのは簡単。

 すべての術式を描き終えた時、20m四方の砂のキャンパスはびっしりとルーン文字で埋め尽くされていた。術式に北欧のルーン文字を使うのはぼくらの慣習で、元々はチョークで床や石畳に描き込んでいた時代の名残だ。曲線の多いアルファベットより、直線だけで構成されたルーンの方がミスが少なくなる。

 フラつく足を踏ん張って、術式を起動する。さっきより複雑な分、発動にも時間がかかる。発動時間が延びれば延びるほど、残り少ない魔力を無駄に垂れ流すことになる。何とか1基数残ったところで発動成功のグリーン・ライトが点った。思わず安堵の溜息。
 サラサラと砂の流れる音がして、ぼくの描いた術式の通りに砂が動いているのが分かる。進行状況はタブレットでも把握できるように組んだ。掘り進む速度はだいたい2分~3分に1m程度。

 砂の上にごろん、と寝っ転がって小休止。
 既にだいぶ日が傾いていた。

 砂漠では日が沈むと急速に冷え込む。体温を維持するための術式をあらかじめ仕込んでおく。タブレットを確認すると、タンクに水が溜まり始めていいた。順調だ。
 しばらく休んでいる内に、ぼくの命を繋ぐ水と塩が溜まることだろう。何ならこのまま寝ていてもいい。どうせ、朝になるまで生きた人間が通りかかるとも思えない。

 むくり、と起き上がる。

 休んでいると、さっきからなるべく考えないようにしていることが首をもたげてくる。ぼくがなくした2千万基数の魔力。普通の人に例えれば、全財産を宝くじにつぎ込んだようなものだ。いやもちろん、本当に何もかもなくしてしまった訳じゃない。
 考えようによっては、転移後の地点を制御できなかったというだけで、転移自体には成功しているのだ。この結果を論文にまとめて『The Scroll』に載せれば、編集長賞は堅い。

 魔法学会で最も権威ある月刊誌『The Scroll』には、毎月数十本の論文が掲載される。魔法学会の年会費は高額(ちなみに2百万基数相当の魔力で支払う)だが、学会から認定された査読つき論文誌に論文が一本でも載れば1年間会費が免除されるため、魔法使いたちは皆必死で論文を投稿する。

 認定論文誌は『The Scroll』以外にもいくつかあるけど、魔法学者の間では『The Scroll』の人気は格別だ。特に魔法学の発展に貢献する優れた論文には編集長の推薦がつくのだけど、投稿者の間では「編集長賞」と呼ばれている。5回推薦を受けると表彰されて「殿堂入り」となり、以後永久に学会費が免除となる他、『The Scroll』のバックナンバーすべてと、これまでに投稿されたすべての論文の閲覧資格が得られる。他の論文誌にも似たような制度はあるけど、魔法学会の永久会員資格がついてくるのは『The Scroll』だけだ。長い魔法学会の歴史の中でも、『The Scroll』の殿堂入りを達成した魔法使いは120人しかいない。

 こう見えても、ぼくは編集長賞を既に3回もらっている。殿堂入りまではあと2回。実は魔法学会を揺るがすような、重大な発見をした魔法使いは5回より少ない推薦でも殿堂入りできる場合がある。正式な名称はないが、投稿者の間では4回の推薦で殿堂入りすることを「バード」、3回なら「イーグル」と呼んでいる。今のところ、バード達成者は30人、イーグルは5人いる。もし2回の推薦だけで殿堂入りすれば「アルバトロス」と呼ばれることになるけど、残念ながらまだアルバトロス達成者は確認されてない。
 もし、ぼくが転移術式に成功して、その論文を『The Scroll』に誰よりも早く投稿できていたなら、ぼくは栄えある「バード」として世界最高の魔法使いの仲間入りをしていただろう。そうなれば、ぼくは各国の魔法研究機関から熱烈なラヴコールを受ける身となり、使い放題の研究費と莫大な魔力を蓄積できる研究室をもらって、毎日研究三昧の薔薇色の人生を送れたはずである。

 恋愛? 後継者? そんなの、自分で理想のホムンクルスでも自動人形でも作ればいいじゃないか。

 はぁ。

 溜息をつく。転移術式の完成には至らなかった。それは認めよう。でも、多少なりとも成果は得た。それを活かすには、なんとしても生きて日本に帰らなければならない。今のところ、対処法を思いつかないようなひどいことは起きていない。楽観はできないが、悲観するほどのことでもないはずだ。

 朝になったら、魔法で人里を探して移動しよう。何日か時間はかかるかも知れないけれど、仮に食糧が何も見つからなかったとしても、魔法で命を繋いでいる間にどこかの街か村かにたどり着けるはずだ。そこまで行けばあとは簡単。何なら電話を借りて日本領事館に救助を要請してもいい(ここが日本と国交のある国だと仮定して)。
 魔法使いの命を救うのに税金を費やすのは無駄遣いだと思うけれども、利用できるものは遠慮なく利用するのが魔法使いの生き方ってものだ。

 でも、この時、ぼくはまだ自分の身に起こった本当のトラブルに気づいていなかった。

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