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魔機復元05

盗賊になろう ―― Parallel World

 ぼくのライブラリによれば、「カウバ」という単語には少なくとも2つ該当する言語がある。ひとつはハワイ語で「奴隷」という意味だが、ここがハワイのようには思えない。もうひとつは……ぼくの考えが正しければ、「カウバ」はこの大陸の先住民の言葉で「岩」という意味のはずだ。彼らは白人種ではないので、このお嬢さんは後からやってきた移民かその子孫だろうと思われる。

 そこまで考えたところで、ぼくは彼女を「追って」くるという人たちに話を聞くことを思いついた。何にせよ、すべての情報を彼女ひとりに頼り切るのはよくない。彼女を質問攻めにしたいのは山々だが、引き留めるのも限界だろう。
 そうと決まれば、彼女には最後にひとつ“協力”していただかなくてはならない。
「(君の名前は?)」
 ぼく自身を指さしながら「ソウヤ」と続ける。同時に、魔力奪取術式を起動。
「(ソウヤ様、私はエルランです)」
 無垢な微笑みを浮かべる少女から、無慈悲にも魔力を奪い取る。死地に向かおうとしている少女によくもそんなことができるものだと自分でも思うのだが、こればっかりは仕方がない。死にかけているのはぼくも同じなのだから。
 ただ彼女の体力が落ちていることを想定して、生体魔力の1%だけを奪うように設定した。まあ10基数も取れれば良い方だろう。
 ……と思っていたらタブレットに警告がでた。

『魔力貯蔵量が上限に達しました』

 精密機械、特にコンピュータなどの電子機器は魔法と特に相性が悪く、タブレットに貯めておける魔力は100基数が限界となる。1%抜いただけで上限に達したということは、この子が素で1万基数くらい魔力を持ってるということになる。
 確かに生体魔力というのは個人差が大きく、美男美女は魔力が溜まりやすいことが知られている。あとは、有名人や宗教家、政治家など人々の注目を浴びる職業の人も魔力は高い。世界的なスポーツ選手ともなれば、数万基数の魔力を有していることもザラにある。
 そういう例からすると、彼女は宗教的あるいは政治的に指導的な立場にあるのだろう。どこかの国のお姫様だった、としても不思議ではない。生来の魔力が高い人間は、幸運と不運の両方を招くと言われている。そういう意味では、この出会いは決して偶然というだけではないのかも知れない。
 ついでに言うと、こういう無自覚に魔力を貯める体質の人は、外から魔力感知術式を使っただけでは見破れない。魔力を体外に放出しないからだ。

「(ソウヤ様に何のお礼もできず済みません。いつか必ずお返しに参ります)」
 そう言って深く頭を下げる少女に、ぼくはさすがに複雑な思いを抱いた。助けられたのはぼくの方だというのに。しかし、表情には出さず、ぼくは彼女の脳内から別れの言葉を探した。
「(君の行く手に幸多からんことを)」
「(賢者様にも)」
 そうして、ぼくらはごく和やかに別れた。彼女に掛けたすべての術を解く時、彼女が愛馬に向かって言った言葉が最後にぼくのタブレットを彩った。
「(さあ、行きましょう、イスカンダル。もう少しだから、頑張って)」
 ……こっちの世界にもアレクサンドロス大王はいるんだなあ。

 少女の背中が砂丘の向こうに消えるのを見守ってから、ふと空を振り仰げば、南十字星の鮮やかな輝きが目に映った。

 ――「カウバ」とはアボリジニの言葉で「岩」を意味する。
 ここはオーストラリアだ。ただし、ぼくの知っているオーストラリアじゃない。並行世界のオーストラリアだ。

 比較的広く知られている並行世界(パラレルワールド)は、ぼくらの知っている世界から分岐した別の歴史を持つ世界、というところだろうか。物理学の知識のある人なら、それがSFとしてではなく、大まじめに存在が議論されていることを知っているだろう。ただし、ここで議論されている並行世界は「本質的に行き来することのできない」概念のはずだ。
 とはいえ、「不可能を可能にするのが魔法だろう」と言われると返す言葉もない。思い返してみると納得のいく点が多々ある。

 ぼくが書いた転移術式では、自分自身をまず「どこでもない場所」に放り込む。自分と宇宙との関わりを断ち切り、「自分が今どこにいるか」という属性を故意に破壊する。すると、「どこでもない場所にいる」という矛盾が起き、矛盾を許容しない世界規定によって自分が元いた宇宙の「どこか」に放り出される。この時、魔法で自分の位置属性を書き戻してやれば、任意の場所にテレポートできる。

 この理論自体は昔からあるのだが、根本的な問題として何か適当な物品をテレポートしようとしても、絶対に成功しない。これは「どこでもない場所」に行く時に術式が壊れてしまうからだと考えられていて、術者自身を実験台としてテレポートさせることで解決できる、と思われていた。
 しかしそれでも成功者が現れなかったので、ぼくは術式にいくつか手直しをした。具体的には、テレポート後の座標の指定を「宇宙の中心」を起点とする座標系に変えたことと、物質透過術式を組み込んで、テレポート後に多少のズレがあって地面にめり込んだりしても大丈夫なように安全装置を張り巡らせたこと。
 そして、確かに、ぼくは「転移」そのものには成功したが、「どこの並行世界に現れるか」は指定していなかった。たぶん、これが盛大に座標ズレを起こした原因だろう。

 もちろん現時点で断定はできない。転移してきて初めて出会った少女がどうみてもオーストラリア人に見えないとか、そのくせ「イスカンダル」なんて単語を知っているというだけで、ここが並行世界だと決めつけるのは早計だ。何としても別の証拠を見つけなければならない。

 という訳で、ぼくはちょっと盗賊になろうと思う。

 井戸(仮)の底に少しだけ溜まった水を掬い、喉を潤す。タブレットで15分のタイマーをセットする。
 それから、静かに砂漠に座し、しばし瞑想する。頭を空っぽにして、何も考えず、何も思わず、ただ自分の呼吸と循環する血液のリズムに意識を向ける。
タイマーが鳴ると同時に目を開き、術式を起動する。

「Start Reset programs.(再起動術式、開始)」

 視界が暗転し、過去の――あまり思い出したくない類の――記憶がランダムに呼び出される。修行中のこと、家族のこと、別れた彼女のこと、知人の魔法使いの、冷ややかな笑みと、ぼくでは決して届かない美しい術式。それから、ぼくの研究室の、埃とカビの匂い。

 目を開く。息を吸う。……砂を吸い込んで咳き込んだ。
「Programs have normally ended.(術式正常終了)」

 魔法使いにとって死ぬより辛いことは、誰かに記憶をいじくられたり、精神支配を受けたまま魔法を使わされることだ。再起動術式はそうした精神支配を強制的に解除し、あらかじめバックアップしておいた記憶との整合性をチェックしてくれる。

 ただし、副作用として直前の記憶が飛ぶ。

 まさにその名の通り、コンピュータを再起動するようなものだ。さらに、1万回に2~3回の確率で精神に重篤な障害を引き起こすと言われている。あまり気軽に使える術式ではないが、今回はどうしてもやっておく必要があった。
 最初から使わなかったのは、魔力に余裕がなかったのと、あれこれ術式を書いてる時に再起動して記憶が飛ぶのは危険だからだ。

 しばし自分の記憶を点検し、特に問題がないことを確認する。術式を起動する時のことは覚えていないが、瞑想を始めたときのことは覚えている。失ったのは短期記憶だけのようだ。
 ということはつまり、目の前に広がる砂漠は現実で、ぼくを精神操作している悪い魔法使いなんてどこにもいないってこと。ここが並行世界のオーストラリアで、仮に日本に戻れたとしても、そこにぼくの研究室は存在しない可能性が高くなった。

 ああ。

 研究室に残してきた大量の本、コンピュータと工作機械、ガレージの中のぼくの“嫁たち”とパーツの数々……。それらはすべて諦めなければならない。二度と手に入らないものもたくさんあったのに。元の世界に戻る方法を考えるとしても、何年かかるか分からない。家のことは弟がなんとかするだろうが、ぼくのコレクションは勝手に処分されてしまうだろう。せめて有効に使ってくれと願うばかりだ。

 ふう。

 溜息をつく。取り戻せないものは、また作れば良い。ぼくは魔法使いなのだから。前を向こう。ぼくはこれから略奪を働くのだ。落ち込んでいる暇なんてない。

 ぼくがやろうとしているのは、俗に“マナリーチ”と呼ばれる伝統的なマジック・サバイバルの手法だ。「伝統的」というのはつまり、荒っぽくて雑で古くさいやり方で、要するに道行く人を襲って魔力を奪って生き延びようという話。
 人間から魔力を吸い取るには、さっきエルランという無垢な少女にしたような、相手の弱みにつけ込むやり方とは別に、魔法で脅かしたり打ちのめしたりして生体抵抗を弱める荒っぽいやり方もある。マナリーチの「リーチ」とはヒルのことで、動物に取りついて血を吸うのと同じように他人に寄生して魔力を吸い取ることからつけられた。有史以前から似たようなことをした魔法使いの話は枚挙にいとまがなく、たぶんよくあるおとぎ話や妖怪話のいくつかはぼくらのせい。

 ぼくには今85基数ほどの魔力の「元手」がある。これを使って、今からやってくる「追っ手」とやらをちょっとばかり脅かして魔力を奪うつもりだ。できれば2~3人まとめてやっつけて300基数くらいまで増やしたい。それだけあればこの砂漠を出るのに充分だろう。もしかしたらその途中で健気な女の子を助ける余裕もできるかも知れない。

 ただし、それには「相手が魔法使いではない」というのが絶対条件だ。もし相手に魔法使いがいるか、あるいはその関係者がいたら、ぼくは無条件で撤退する。とにもかくにも尻尾を巻いて逃げ出す。自分が絶対的に不利な状態で魔法使いと接触するのは自殺行為である。何もかも奪われるという覚悟をした方がいい。
 ぼくは他の魔法使いに一切の良識を期待しないし、ぼくが相手に信用されるとも思えない。魔法使い同士でまともな交渉が成立するのは、お互いに余裕があって、どうでもいいようなことを話し合う時だけだ。

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