もの書き競作お題「台風直前」その1
外はティフォーンとゼウスが戦っているような騒がしい世界だったが、ホテルの部屋の中は、空調音だけが響き渡る、静かな世界だった。
部屋の隅にある大きな机の上のノートパソコンの前で、ワイシャツ姿の真面目な顔つきの男が、椅子に座りながら神妙な表情で悩んでいた。
彼は作家である。
そして今、彼は締め切りを目前にして、ホテルで缶詰状態なのである。
『編集の監視』付きで。
「んー。これから山場をどうしようか……」
「ちょっと気分転換する? どこかに出かける? それともここでアレしちゃう?」
机の少し後ろで男とは別の椅子に座っている、ホテルに備え付けの浴衣を着込み、長い黒髪をアップにまとめた、眼鏡でつややかな顔つきの女性が、新婚主婦のような声でそう提案した。
自分の担当編集である彼女の思いつきに、男は眉間にしわを寄せて女の方へ振り返る。
「こんな台風上陸直前の天気で、どこに出かけるんだよ? すでに電車とか止まってるだろ? 第一締め切り直前だし、ここでアレなんて始められるか!」
「あら。締め切りならいつでも伸ばせるでしょ?」
「原稿が落ちるだろ! 発売予定に穴が開いたら会社に迷惑がかかるし、なにより俺に原稿料入ってこないだろうが!」
「原稿を落とすのは貴方の責任でしょ? 私の責任じゃないもーん」
「責任あるだろうが! まったく、担当編集なのに……」
「あら。私を缶詰に付きあわせたのは貴方の責任でしょ? 責任取ってよねー?」
「妊娠して認知を迫る女みたいなことを言うな!」
それを聞くと、彼女は急に下を向いて縮こまり、体調が悪いような素振りを見せる。
「うっ……。生理……。来ないの……。どうしよう……」
「誰にでもわかる芝居を即興で打つな!」
「あれ。バレちゃった?」
「わかるよ!」
次の瞬間、彼女は急に立ち上がった。
ダブルベッド脇まで歩いて行き、ベッド脇の小机に置いていた、自分のスマートホンを手に取り椅子に戻って座り直すと、画面をタップする。
次の瞬間、大机の上にある男のスマートホンから、着信音が鳴り響く。
男は顔をしかめながら、スマートホンを手にして通話ボタンをタップし、耳に近づける。
「……あー。オレオレ、俺だけど?」
「何オレオレ詐欺の真似なんてやっているんだ……」
言うまでもなく、その電話は女編集からだった。
つまらなそうな顔で、彼女は通話を終了させる。
「だって暇だしー」
「暇だったらTVでも見てろよ!」
「TVだって台風情報しかやってないしー」
「自分のノートパソコンで動画でも見てろよ」
「修理中よー」
「大事なときに壊すな!」
「バックアップ取ってあったし、会社のパソコンがあるし、スマホがあるし平気ですもんねー」
「まったく、それでも編集かよ……」
男は彼女が修理中よ。と言った弁解が嘘なのは、すぐに分かった。長い付き合いでわかる。
「締め切り近くになっても原稿を完成できないなんて、まったくそれでも作家ですかねー?」
「作家ならまれによくあるだろ?」
「『まれによくある』って……。正しい日本語使いなさいよ?」
「ネット用語だよ。それは」
「ネット用語なんて使っているから、貴方の小説売れないんじゃないの?」
「……」
彼女のきつい一撃に男は黙り、ため息をついて机の前に向き直ると、執筆の続きを始めた。
暫くの間、キーを連打する乾いた音と空調の潤った音が、部屋を支配していた。
男が再び執筆し始めて、どれくらい時間が経っただろうか。
何かを欲しがる表情で女編集は立ち上がり、男に優しく近寄る。
それから男のそばにしゃがみこみ、彼を見上げると何かを企んでいる顔つきで笑う。
「ねえ」
「なんだよ」
「いつまで売れてない作家を続けるつもりなの?」
「売れるまでに決まっているだろ!」
「台風が過ぎたら収穫の秋が来るけど、貴方に黄金の秋は来るのかしらねー」
「黙ってぶどうでも食ってろ!」
「なら。貴方の股間にぶら下がっている、二粒の大きなぶどうを舐めちゃうわよ?」
「ぶどうじゃなくてふぐりだろ! それにお前始めからそのつもりだったろ!」
彼の抗議も聞かず彼女は股間を撫で、慣れた手つきでズボンとパンツと靴下を脱がす。
そして、彼の屹立した一物を、優しく弾いては微笑んだ。
「あら。体は正直なくせに。ほら、貴方の体に台風が上陸しているわよ」
男はしょうがないな、という顔で女を立ち上がらせると、彼女に唇を重ねた。
9月 26, 2013 木曜日 at 7:19 am