これは、『MC☆あくしず』連載『戦術入門たくてぃくす!!』の第12回の後の出来事をショートショートにしたものである。
 『MCあくしず』26号か、rondobell(ろんどべる)さんの、こちらのイラスト MCあくしずvol.26と合わせてどうぞ。

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『戦術入門たくてぃくす!!』番外編:無人島サバイバル

 雨粒が、強い風に煽られて洞窟の内側まで吹き込んでくる。嵐の到来と共に気温も下がったのだろう。水着にパーカーを羽織っただけでは寒いくらいだ。
「こっちにおいでよ。ちょっと狭いけど、ここなら濡れないし」
 だから、守人のその言葉は何ら下心のない、相手を気遣うものだったのだが、返ってきたのは、警戒心に満ちた冷たい視線だった。
「……いいです」
 しばらくして、視線をそらしてからぼそっと呟くように言ったのは、ミーシャという少女だ。戦闘妖精(タクティカルフェアリー)の名を呼び名を持つ妖精族のひとりである。
 こちらは地球の、何のことはない一般的な青年である防人守人(さきもりもりと)は、どうしうたものか、と頭をかいて考える。
 ふたりがいるのは、昨日の演習で使い、今日は皆で遊んだ海岸に近い小島である。演習時に召喚した兵器のいくつかが残っていることが判明し、手分けして片づけていたら、突然の嵐に襲われ、とりあえず洞窟に避難したのである。
 ――やっぱり、俺が何かやったんだろうなぁ。
 いつも彼と妖精界で戦闘演習に参加している四人の戦闘妖精(ファン、キャノ、エリル、アルモ)の後輩にあたるミーシャは、もともと引っ込み思案なところがあるが、守人に対してこのような態度に出ることは、これまでなかった。
 連戦に疲れ果てた守人が浜辺で寝ているところに、ミーシャがやってきて……そう、そこで何かを守人はしでかしたらしい。
 本人は夢の中にいたので何をしたのかは分からないが、気が付くと、ミーシャにぼこぼこにぶっ飛ばされていたのだ。かすかに覚えているのは、掌に残る柔らかな感触……ボリューム的にはちょっと微妙。
「……じーっ」
 手をわきわきさせている守人を、ミーシャは疑惑の目で見た。
 ――やっぱり、信じられません。こんな人が妖精界を救う勇者だなんて。
 普段は女王の侍女をしているミーシャだが、将来は戦闘妖精として世界樹を侵略者から守るべく、研鑽を積んでいる。だが、戦闘妖精が単独で使える力は、 微々たるものだ。レベルに応じた分身をひとつかふたつ。自らを危険にさらさずに戦えるのは利点だが、戦争でものを言うのは、やはり数だ。
 ――昨日の戦闘演習での、先輩たち……すごかった。
 対上陸演習。小鬼兵たちが扮する大軍に、四人の戦闘妖精はそれぞれ数百の分身を出して戦った。演習ということで力を加減しているが、実戦ではひとりが千、あるいは万の分身を出して戦うことになる。
 そして、それを可能にしたのが、戦闘妖精と契約を結んだ守人の力だ。戦闘妖精と勇者の契約は、唇を重ねることで行なう。ミーシャの先輩たちは、嫌がる様 子もなく……というか、むしろ競い合うかのように、守人と唇を重ねた。そして、守人から得た指揮力を費やして、分身たる歩兵や戦車、戦闘機や大砲を顕現さ せて戦ったのである。
 その時の凛々しくも艶やかな四人の姿を思い出し、ミーシャはそっと自分の唇に指をあてた。
 ――私も、いつかあんな風に……女王様はまだ早い、って言ってたけど。私だって、ちゃんと鍛錬はしてるもの。心の準備だって……心の準備は……まだ、だけど……
 ちらり、と守人を見る。
 昼間、守人に胸を掴まれた。セクハラである。
 だから、たたきのめした。正当防衛である。
 その後の四人の戦闘妖精の取り調べで、守人は寝ぼけていただけで、守人がかぶっていたエリルの下着も小鬼兵の悪戯なのだと分かった。だから、守人をそのことで恨んではいない。
 ミーシャが気にしていたのは、別のことである。
 ――あの後、守人さんを取り囲んで拷問……尋問していた先輩たち、すごく……活き活きしてた。
「まったく! まったくもう! 守人はしょうがないんだから! ボクたちがいないと、すぐ、しょーもないことするんだから!」
 手をぶんぶんと振り回し、乳もゆさゆさと揺らして怒るファン。
「これはもう監視カメラの設置が必要、なの」
 砂浜に正座させた守人の後頭部を、ぺちぺちと叩くキャノ。
「今回は小鬼兵のいたずらだったようですが、騒ぎになるのは精神の鍛錬が足りてないからですぞ、守人殿」
 腕組みをして守人の正面に立ち、くどくどと説教をするアルモ。
「それより私が気にしてるのはね、守人がなーんにも覚えてないってことなのよ。なんかあるでしょ! 乙女の下着を顔にかぶったんだから!」
 守人のほっぺたを、ぎりぎりと締め上げるエリル。
 ――先輩たち、守人さんのこと、本当に信頼してるんだ。そうだよね。これまでたくさん一緒に演習を重ねてるんだもの。心が結ばれてなきゃ、あんなすごい演習、できないよね。
 戦闘妖精と言っても、誰もが勇者と契約できるわけではない。実戦経験を積んでレベルが高くなった戦闘妖精が契約すると、元の世界では一般人でしかない勇 者など、精気も生命力も根こそぎ吸われて干物である。そうならないためにも、召喚した勇者とレベルの低い新米戦闘妖精を組み合わせて演習で育てなくてはな らないのだ。
 ――なのに、私は演習のお手伝いをするだけ。契約なんか全然させてもらえない。
 守人と契約する前の四人の先輩は、ミーシャとさほど変わらない力しか持っていなかった。しかし、今や力の差は歴然としている。守人もそうだ。もし契約で はなく、実戦でマナを消費して戦闘妖精にあれだけの分身を顕現させるには、古老(エント)の森をまるごとひとつ、枯れ果てさせる覚悟がいるだろう。
 ――私では、守人さんと契約できないのかな。私には何が足りないんだろう。まさか……その……色気、とか?
 そこでミーシャは、はっ、と気が付く。彼女は妖精族女王の侍女をしているせいで、いわゆる極秘文書みたいなものを、その気がなくても見ることがある。
 ――お城でのパーティーの後、女王様は守人さんのこといろいろ調べてた。守人さんは昔、女王様が戦闘妖精だった頃に出会った勇者様の子孫らしいって……そして前の勇者様は、それはそれは……おっぱいが大好きだったって……
 ミーシャは自らの胸に手をあてる。
 ぺたん。
 悲しいほどにささやかな感触。対して、先輩たちの胸はいずれも――エリルでさえ――それなりのボリュームを誇っている。もしも、守人との契約の可否を決めるのが、胸の成長であるのだとしたら……
 くらり。
 努力ではとうてい超えられぬ壁の高さに、めまいがする。視界が歪み、洞窟の床が眼前に迫り……
 がしっ。
 意外なほどに逞しい腕が、倒れかかったミーシャの細い身体を支えた。のぞきこんでくるのは、演習の時にちらちらと横目で見た真面目な守人の顔。普段のだらけた表情とはまるで違う。
「やっぱり熱があるんだな。くそっ、なんで言わなかったんだ」
 体調の不良に気付かれていた、という恥ずかしさと。
 自分の様子をきちんと見ていてくれたんだ、といううれしさに、ミーシャはどぎまぎする。
「その、ちょっと寒気がするくらいで……この程度なら、大丈夫ですから」
「大丈夫なら、倒れたりしないって」
「……すみません」
「謝らなくてもいい。それより、どうするかだな」
 守人は洞窟の奥のくぼみに自分のパーカーを脱いで床に敷くとミーシャを座らせた。そしてミーシャを守るようにその前に立ち、洞窟の外を見る。
「雨は止みそうにないし、暗くなってきたな。ここで夜を過ごすわけにはいかないし、助けを呼ぶ必要があるな」
「でも、どうやってです?」
「そうなんだよな。装備は何もないし」
「装備……装備、ですか……あのっ! 守人さん!」
 ミーシャは守人の背中に思い切って声をかけた。
「ん?」
「私と、契約してください!」
「え?」
「私も戦闘妖精です。守人さんと契約すれば、装備が呼び出せますから、それで連絡を取れると思います」
「あー、そうか。ミーシャちゃんは、確かエリルやキャノに近いタイプだっけ」
「はい。ロケットやミサイルなどの誘導兵器、無人兵器が私の担当です」
「それなら、通信関係に強そうだね。でも君は大丈夫なのかい? 体調も悪いみたいだし」
「契約はしたことありませんが、体調が悪くても問題はないです。むしろ、戦闘妖精にとっては、パワーアップになるんで怪我や病気、呪いなんかが治る効果もあるそうです」
「あー……思い当たることが多すぎるなぁ。みんな、肌がツヤツヤするんだよね」
「むしろ、負担がかかるのは守人さんだと思います。すみません」
「いや、いいって。俺も最初に何度かぶっ倒れてからいろいろ調べたんだけど、筋肉を鍛えた時の超回復みたいなもので、ああやって吸われることで、俺の中の指揮力の容量が増えるらしいし。最近は、むしろ……モニョモニョ」
「?」
 守人が口を濁したのは、吸われた後でやたらイロイロと昂ぶる、身体への副作用のことであった。
「そういうことなら、いいか。じゃ、その……やるよ?」
「はい」
 両手を胸の前で組み、ミーシャはおとがいを上げて目を閉じた。まるで修道女が祈りを捧げているようで、この少女の唇を奪うことに守人はためらいを覚えた。
 ――やっぱり、四人と比べると華奢だよな。キャノは小さいけど、ああみえてタフだし……なんか、女の子を騙している悪いお兄さんな気分になっちゃうな。
 しかし、今は他にいい手がない。最悪でも、契約の力でミーシャを元気にできる。
 ――ごめんよ。
 罪悪感を押し込め、守人はミーシャの上にかがみこみ、唇を重ねた。

 ずるっ。

 ――?!

 ずるるっ。

 ――な、なんだっ?!

 ずりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ。

 ――何が起きてるんだっ?

 他の四人の戦闘妖精との契約では感じたことのない違和感。そして次の瞬間。まるで底なしの沼に足を踏み入れたような、身体の中の何もかもが吸い取られていくような恐怖に、守人は無意識にミーシャから離れようとした。
 がしっ。
 逃げられなかった。ミーシャの両手が守人の首にまきつき、しがみついている。そしてその間も、契約は続行していた。守人の中から、意識と共に精神力のこ とごとくが吸われ、ミーシャの中に入っていく。すでに一回の演習で四人の戦闘妖精全員に分け与える分の指揮力はとうに吸われている。なのに、ミーシャの底 は、まるで感じられない。どれだけ注ぎ込んでも満たされることがない空っぽの聖杯。
 がくん。
 守人の膝がくずれ、洞窟の床に落ちた。そしてそのまま、仰向けに倒れていく。
 ミーシャは離れない。目を閉じ、唇を重ねたまま、守人に覆い被さってくる。
 ごつん。
 洞窟の床に後頭部をぶつけ、その痛みが消え落ちかけた守人の意識を一瞬だけ覚醒させた。ミーシャとの唇が離れ、契約が終わる。
 消えゆく意識の中で守人が見たのは、祈りを捧げていた時と同じ、あどけなさの残る少女の顔。だが、その唇には、他の戦闘妖精との契約では見たことのない、妖艶な微笑みが浮かんでいた。
 再び守人が目覚めた時、目の前には逆さまになったミーシャの顔があった。心配そうな顔で、じっと守人を見つめている。
「ん……ミーシャ?」
「守人さん。よかった、痛いところとか、ありませんか?」
「ああ。キスしたら、なんかこう……吸い込まれるような感覚があって……」
「私のせいです。私が吸い過ぎちゃったせいで……」
 ミーシャは今こそ、女王の言葉の真意を理解した。『契約するには、まだ早い』のは、ミーシャの側ではなく、守人だったのだ。守人がもう少し成長して己の力を増さなくては、ミーシャとの契約で守人がシオシオになってしまう、という意味で。
「……でも、良かった。守人さん、目を覚ましてくれて」
 ぐすっと、涙ぐむ様子からは、守人が気絶前に見た(?)妖艶さは欠片もなかった。
「ごめんな、かっこ悪いところ見せちゃって。契約もうまくいかなかったし」
「そんなこと、ありません。契約はちゃんとできました。ほら」
 きゅらきゅらきゅら。履帯の音に首を傾けると、旅行用トランク大の箱形のボディに無限軌道を取り付けた車両が洞窟の入口に見えた。
「あれは弾薬運搬車両(ゴリアテ)じゃないか」
 危険な地雷原や障害物に無人で接近し、自爆して切り開く車両である。今は投光器を背負っており、その明かりで洞窟の中を照らしている。外はもう、真っ暗だ。
「はい。洞窟の外には、誘導ミサイルもあります。私、守人さんと契約できたんです」
「良かった。よ……っ、とと」
 起きあがろうとして、守人はふらついた。ミーシャがそっと身体を寄せて支える。ぴとりと吸い付くように重なる肌の感触に、守人の中の獣の部分が滾る。
「うわっ、こりゃまずい」
「そうです。だめですよ、守人さん」
「いや、そっちじゃなくて。この格好でこの体勢だと肌がこすれて……いろいろ、まずい」
「何がどう、まずいんですか?」
「いやその……男にはいろいろ……うひょぉっ」
 守人の足と足の間に、ミーシャの足がするりと滑り込んだ。太股やふくらはぎがこすれあい、守人は情けない声をあげる。
「み、ミーシャちゃん、あの……」
「何も、まずくないんですよ、守人さん」
 ミーシャがにっこりと笑う。あどけなく、愛らしく。そして、捕食者の笑みで。
 しゅばばばっ。しゅばばばばっ!
 猛烈な光と、音。そして煙と熱せられた蒸気が洞窟の入口から吹き込んできた。
 ミーシャが呼び出した誘導ミサイルが打ち上げられたのだ。
 螺旋を描く白い煙の尾を引いて、誘導ミサイルが天高く上がっていく。暗い夜空を切り裂くこの目印を見て、ふたりを探している他の戦闘妖精たちも、すぐに駆けつけるだろう。
 洞窟の中でふたりのシルエットがひとつに絡み合い、床へと倒れたところで。
 弾薬運搬車両(ゴリアテ)の投光器が、消えた。

(おしまい)