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このお話は、『アリアンロッドRPG2E サガ・クロニクル』(菊池たけし/F.E.A.R.)収録のワールドセクションに書かれた、人類戦争後のアルディオン大陸に関するネタバレを含みます。
あと、小説の内容については私の妄想でありますゆえ、ふたりの過去と合わせて、そういうことが本当にあったわけではありません。ご了承のほどを。
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早朝のノルウィッチ。この町で最初に朝日を浴びるのが、町のシンボルとも言うべき、高い城壁だ。まだ周囲が暗い中、壁だけがやんわりと白く浮かび上がって見える。
「春は曙、ようよう白くなりゆく壁ぎわ、ってか……ふわあ」
まだ闇が残る下町の通りを歩きながら大きくあくびをした眼帯の男。名前をギィという。
フェリタニア合衆国の密偵を束ねる立場にあり、戦いにおいては弓を得手とする。狙った獲物を決して逃さぬ弓の腕前から、敵対する連中に『隻眼の鷹』なるあだ名をちょうだいしているが、本人はあまり気に入っていない。
「朝になっちまったし、そろそろ帰って寝るか……うーむ……」
ねぐらに向かう足が重い。
理由は分かっている。見たくない顔が、そこにいるからだ。
「いるんだろうなぁ……マム」
ギィがマムと呼ぶ人物の名はオーレリー・カルマン。小柄で童顔なフィルボルの女性だ。ギィにとっては弓を始めとする戦闘術の師匠であり、可愛らしい外見とは裏腹に恐るべき女傑だ。マムという名の由来にしても、王蛇会という犯罪組織の女首領であることから来ている。
そのマムが、王蛇会を放り出してギィの家に転がり込んで、もうずいぶんになる。
「まったく、いつまでいる気なんだか」
王蛇会の本来の縄張りはアルディオン大陸東部だ。今もそこに本部があり、マムの留守をギィにとっては妹分にあたるルナ・チャンドラが守っている。この間もギィ宛に手紙がきてマムがいなくて大変だという愚痴とギィへの恨み節が延々と書かれていた。
「昔はけっこう可愛かったのに、すっかり甲冑の似合う魔術師になりやがって……だいたい、俺はもう王蛇会とは縁が切れて……切れてるようなもんだろうが」
歯切れが悪いのは、王蛇会が犯罪結社によくある、裏切りを許さない組織だからだ。
裏切り者は処刑される。その恐怖の掟があればこそ、王蛇会は裏社会で一目置かれているのだ。実力がいくらあっても、そのあたりが甘い組織は、舐められる。
「もう、そんな時代じゃないだろうに……って、俺が言っても説得力はないか」
ギィは立ち止まり、がっくり首を落として大きくため息をついた。
「ん……」
その動作の際に、ギィの鼻が白粉の匂いをかぎ取った。懐から、白粉の匂いと、そしてもうひとつの臭いが漂う。
「あー……昨夜のアレか……」
朝帰りのギィが、夜の間にどこにいたかというと、白粉と香水を付けた女たちが大勢いる、そういう界隈にいたのである。
「この匂いはまずいな……何か、わざとらしくない別の匂いは……」
きょろきょろと周囲を見回したギィの鼻に、香ばしい匂いが漂ってきた。ソースの焼ける匂いである。
「お、焼きそばの屋台か」
朝の早い労働者向けの朝食を出す屋台が並ぶ一角に、焼きそばの屋台があった。焼きそばはノルウィッチからみて南方にあるニュービルベリの名物で、最近はあちこちにビルベリ焼きそばの屋台が進出している。
「おっちゃん、ひとつくれ」
「あいよ」
気のよさそうなドゥアンの男が、鉄板の上で焼きそばを焼いて皿にのせる。一緒に入っているのはそこらの店で出たクズ野菜を刻んだものだが、歯ごたえがしゃきしゃきしていて、旨い。
「そういやニュービルベリじゃ、ギデオンのおっさんが焼きそば作ってたな」
何の気なしにギィがもらした言葉に、ドゥアンの店主が驚いて聞き返す。
「あんた、ギデオンさんの知り合いかい?」
「まあ、そんなものだ。ギデオンを知ってるってことは、おっちゃんは、ニュービルベリの出身かい」
「ああ。出稼ぎでな。この屋台はここで借りたモノだが、ソースはニュービルベリで作ったやつを運んできた。どうだ、違うだろ」
「ああ。こっちのソースは味が平板でな。こんなに複雑な味はしちゃいないよ」
「そうだろう、そうだろう。ギデオンさんが町の連中と苦労して作ったソースだ」
得意そうに語るドゥアンの店主の話を聞きながら、ギィはギデオンという男について考えていた。
――あいつも俺も、どっちかといえば、俺たちが戦っている悪党の側に近い人間だ。いったい、何が俺やギデオンを、悪党の側に追いやらなかったんだろうな。
今の自分やギデオンには、仲間がいる。守りたいものがある。だからもう、悪党の側に回ることは考えられない。
けれど、その前は? 仲間がいなかった頃の自分とギデオンは、なぜ、悪党の側にいなかった?
しばらく考えて、ギデオンについては答えが浮かんだ。
――あのおっさん、悪党になるには、怠け者すぎるな。
悪党は、勤勉だ。バルムンクも、他の悪党も、アンリのような男でさえ、勤勉だった。恨み、憎しみ、欲望……そういう強い負の感情が、彼らを駆り立て、行動させた。怠惰に適当に、のんべんだらりと過ごすことを許さなかった。
怒ったり憎んだりすることすら面倒に感じるギデオンが、悪党になれるはずもなかった。
――俺は、どうだ? ギデオンのおっさんに比べれば、まだしも勤勉だ。何より、王蛇会って組織で育てられ、マムに鍛えられている。悪党の側にいても、おかしくはないよな。
答えは見つからず、焼きそばを平らげたギィは、ねぐらのあるアパートへ戻った。
「た・だ・い・ま~~?」
相手はマムである。今さら足音を隠すような真似はしない。だが、どうしても声が探るようなものになってしまうのは、子供の頃からの刷り込みの効果か。
「よう、お帰り放蕩息子」
今日のマムは、どういう心境かエプロンドレスのメイドさんだった。
――似合っているのが、腹が立つな。
「まったく、毎日毎日、朝帰りとはいいご身分だな」
「仕事だよ、仕事」
「ほう……?」
マムがすっと間合いを詰めてギィの胸元に飛び込んできた。これが恋人や夫婦なら抱きしめるところだろうが、相手がマムとなると子供の頃からの条件反射で、思わずギィはのけぞってしまう。
「その動き、やめてくれよ。そのままブスっとやられそうで怖いんだよ!」
「ほほう、ブスっとやられる心当たりはあるようだな」
くんくん、と近づいたマムがギィの胸元で鼻をならす。その顔がアテが外れたという表情になり、ギィはにやっと笑った。
「これは……ソースを焼いた香り?」
「夜っぴいての仕事帰りだからな。腹が減ってたんで、そこの屋台で焼きそばを食ってきたんだよ。じゃ、そういう訳なんでもう寝るぜ」
してやったりというギィが、あくびをしてみせる。
「待て、ギィ」
そのまま寝室へ向かうギィの背中に、マムの声が届いた。
ぴたり、と足が止まる。
「なんだい、マム?」
「服を脱げ、今日はいい天気だ。洗濯してやる」
「おう」
ギィは服を脱いだ。服の中に仕込んであるさまざまな道具や武器をはずして居間にある机に置く。そちらにはマムも手を触れない。プロが持つ仕事の道具は、同じプロだろうが家族だろうが、他の人間が触ってよいものではない。彼らはそういう決まりの中で生きている。
「ほいよ」
上半身裸になったギィが、服をまとめてマムに渡そうとする。マムはそれを受け取ろうと手を伸ばし――
すっ、と間合いをつめてギィに身体を密着させるほどに近づいた。
予測していたギィが、くるりと身体を回転させて離れようとする。
エプロンドレスのスカートから伸びたマムの足が、ギィの軸足を払う。
洗濯物がばさっ、と広がって周囲の床に散らばる中、体勢を崩したギィを床に押さえつけて馬乗りになったマムがギィの右の脇腹に手をやった。一カ所、青黒くなっている場所があった。魔法で癒したが、完全には塞がっていない傷を探られてギィが痛みに呻く。
「ふん、下手に策を弄するからだよ」
「……」
ギィはだんまりである。
「あんたが昨夜、どこにいたかは知ってる。白粉の匂いなら、ごまかす必要はなかったんだよ。いつものようにあたしに皮肉を言われて、それで終わりだろ」
「……」
「ギィ、あんたが隠そうとしたのは血と薬……毒の匂いだ」
「仕事だからな。毒を持った敵とやり合うことだってあるさ」
「ああ、そうだね。でも……あんたが昨夜戦って、殺したのは自分の部下だ」
「……知ってたのか」
その部下は、表向きは歓楽街の女たちを専門にみる薬師だった。おしゃべりがうまく、人好きのする青年で、女たちから情報を聞き出して集める任務に就いていた。しかし、合衆国を裏切ってラングエンドに情報を流し、そのせいで別の部下が死ぬことになった。
最初から殺すつもりだったわけではない。だが、捕らえようとして抵抗された時、ギィには殺す以外の選択肢はなかった。
「組織を裏切った間諜は、組織の手で殺さなきゃいけない。あんたがいる場所は、王蛇会と変わらないんだよ、ギィ。だから――」
そこでマムは何かを言いかけて口をつぐんだ。
「だから、戻れってか? それはできない相談だぜ、マム」
「どうしてだい? 王蛇会でなら、あたしが――」
再びマムの言葉が途切れた。ギィの人差し指が、マムの唇に当てられていた。
「それはダメだ、マム。俺はもう、あんたにそういうことをさせたくないんだ」
ギィはようやく思い出した。
何が自分を悪党の側から遠ざけていたのかを。
子供の頃に、一度だけ、ギィはマムが泣いている場面を見たことがある。
「なんで……なんで、あんたが……あんな男のために……」
王蛇会を裏切り、自分が殺した女の形見となった髪飾りを前に、マムが泣いていた。
マムとは仲のいい、友達のような女性だった。気だてがよく、お日様のような笑顔が似合う優しい女性だったと、ギィも覚えている。
悪い男に恋をして、悪い男に騙されて、王蛇会の金を盗んで男と一緒に逃げようとしたところで、殺された。
「あの男、逃げた先であんたを殺して金を独り占めにするつもりだったんだよ……あんただって、分かってたはずじゃないか。好きな男と一緒になれる、そんな甘い、綺麗な話が、あたし達に来るはずないって……なんで、そんな、夢を……」
子供のギィにとって、無敵だと思っていたマムのそんな姿は衝撃だった。
マムを泣かせたくない。マムが泣かないためには、どうすればいいだろう。
ギィという男の歩く道は、その先にあった。そこにしかなかった。
――だから俺は今、ここにいる。
上半身裸で床に押し倒され、マムに馬乗りにされたまま、ギィは言った。
「なあ、マム。マムの方こそ、王蛇会を――ぐほぉあっ?!」
みぞおちに、掌底を一発。横隔膜が大痙攣を起こし、呼吸すら困難になったギィは苦しさで床をごろごろと転げる。
「まったく、朝から何を間抜けなことを、間抜けな格好で言おうとしてるんだい」
立ち上がったマムは、涙目でのたうつギィには目もくれず、ギィが脱いだ服を床から拾い上げて抱えあげた。
マムは部屋を出て洗い場へ向かう。扉を閉じると、扉に背を預けてため息をついた。
「あたしに、裏切り者を処分するなんてことさせたくないなら、まず自分が王蛇会に戻って裏切り者でないことを証明すべきだろうに……そこをやらずに、どこに向かってるつもりだい、あいつは」
マムは洗濯物を抱えたまま、人指し指でそっと自分の唇に触れてみる。
「……ま、しょうがないね。もうしばらく、あたしが面倒を見てやらないとね」
ふふっ、と笑ってから、マムはぎゅっ、とギィの脱いだ服を抱きしめた。
服からは、ソースの匂いがした。
おしまい
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