ヨーロッパの歴史と魚の関わりを、
 人々が「どんな魚を食べていたのか?」
 その魚は「誰が、どこで取っていたのか?」
 そして、獲った魚は「どのように加工されて流通していたのか?」
 以上の3つの視点でまとめたものが主な内容になります。

 現代日本で、世界中を繋げた物流ネットワークと、冷蔵庫のある暮らしをしているとついつい忘れがちでありますが、人類200万年の歴史のほとんどで、我らがご先祖様は「歩いて1日」の距離にあるものを、ある時だけ食べておりました。
 それ以上の距離を大量に、そして日常的に運ぶのはあまり現実的でなく、また食べ物を長期間保存するのも、技術的に困難であったからです。

 じゃあ、その「歩いて1日」に食い物なかったらどーすんだ、飢えて死ぬのか、というと、その通りであります。それゆえ、飢えて死なないために人類は親戚筋である他のお猿さんと同様に、一カ所に留まらずに昨日はあっち、今日はここ、明日はそっちと、食べ物のある場所へ、ある場所へとフラフラしておったわけです。どのくらいフラフラしておったかというと、200万年前にはアフリカに住んでいたのが1万年くらい前には気が付いたら南アメリカの南端の方まで移動している者がいたりするくらい。私たちの故郷である日本にも、大勢がやって来て、狩猟採集をもっぱらの生活をしておりました。
 その頃から日本に住む人々はせっせと貝を掘って食っており、そのせいか今なお私らの味覚はやけに旨味成分に敏感というか、貪欲であります。

 やがて農耕の技術が発達して、ある程度の保存が利く穀物を生産できるようになると、うろうろするのをやめて定住する人間も増えてまいりました。肉も、狩猟以外に豚や鶏などを家畜として飼うことで食べることができるようになります。
 しかし、家畜は餌が不足する冬場には多くを屠殺して解体する必要がありました。その肉をせめて次の収穫が見込める春頃まで食いつなぐには保存方法も考えねばならず、塩漬けにしたり、干したり、燻製にしたりしたわけです。

 魚も、肉と同じく動物性タンパク質の供給源です。ですが肉と違い、家畜のように人が育てるのはごく一部の品種、そしてつい最近のこと。今なお、魚は海や川で獲ってくるものなのです。

 どんな魚が、どこにいるか?
 魚を食料源として考えた場合、これがまず大事になります。
 巨大な群れを作り、たくさん獲れる魚というのは、常に同じ場所に同じだけいるわけではありません。たいていは季節に応じて産卵して数を増やし、海を回遊してあちらへこちらへと移動しております。そして、しばしば、ふ、とその移動ルートが変更になります。

 北ヨーロッパでよく食べられた魚のひとつ、ニシン。
 ニシンの回遊ルートが移動したことがスカンジナビア半島での食料不足を招いてヴァイキングの移動を招いた原因のひとつかもしれない、などという意見があるほど、ニシンは当時のヨーロッパで重要な食料でした。
 北海やバルト海で大量に獲れたニシンですが、獲れただけではダメで、それを多くの人が食料源としてアテにするには保存がきかなくてはいけません。
 ニシンは不飽和脂肪酸が多く、すぐに酸素と結合して傷みやすいので、これを塩漬けにして保存する、というのは昔からあった手です。これを、より大規模に、より高品質にしたのが、ハンザ同盟諸都市でした。船を改良して樽を多く運べるようにし、岩塩を大量に輸入して品質の高い塩漬けニシンを作れるようにしたり、したわけです。
 後にこの手法を受け継いだのがオランダです。同じ時期のイングランドよりも高品質なのが売りであり、オランダの塩漬けニシンはイングランドの倍以上の値段で売れたという記録があります。
 イングランドは燻製ニシンの品質ではオランダに勝っていたようですが、大量に塩を輸入して安くあげる塩漬けニシンに比べると、燃料である木材を地元で消費する燻製ニシンは、やはり高価な上、大量に作ることができません。
 イングランドが海洋覇権を作り上げる前のオランダの強さのひとつは、塩漬けニシンの市場を独占していたことにあるようです。

 もう一つ、北ヨーロッパで食を支えた魚、タラ。
 タラは回遊魚のニシンほどには群れが増えたりしませんが、脂が少ないので、じっくり天日干しして棒ダラ(ストックフィッシュ)にすれば、塩漬けニシンよりもさらに長期間、最大で五年近く保存がききます。
 ここまでカチコチにしてしまうと、いざ食べようという時に、ぼこぼこに叩いてから水で一日以上戻して、ようやく調理、という手間もかかりますが、この保存性の良さは大航海時代の食料として、大いに役立ったようです。
 また、新大陸に渡った初期アメリカ移民の食を支えたのも、北米沿岸で獲れるタラでした。
 後には、カリブ海の島々で各国の砂糖のプランテーションが作られ、奴隷労働で砂糖ばかりを作る農園ができます。これらの島々は奴隷に食べさせる食料の自給ができませんから、北米植民地で作った干タラの格好の市場となります。
 今でこそ世界の超大国として君臨するアメリカですが、独立前は干タラが主要輸出品で、これと引き替えに砂糖や茶、その他諸々を輸入していたわけです。
 この時に英国本国が保護貿易として外国産の砂糖などに高い関税をかけたことへの不満も、アメリカ独立につながっているようで、干ダラといってもあだやおろそかにはできませぬ。独立後もマサチューセッツ州の州議会には、そのことを象徴するように『聖なるタラ』の像が飾られていたそうです。

 越智敏之先生の『魚で始まる世界史』はこうした面白エピソードが満載してあります。
 帯にある『ハンザとオランダの繁栄はニシンが築き、大航海時代の幕は塩ダラが開けた』にワクワク来る人には、オススメの一冊です。