明治維新後、日本の工業化が成功したのはよく知られている。
 緻密なデータで知られるパラドックス社のゲーム『Victoria』では、文化や技術というその国が固有に持つパラメタを「書き換える(チート)」かのごとき大成功イベントとして、明治維新を扱っている。

 もちろん、結果として日本は世界史に残るほどの成果を出した。そしてそれは、欧米列強がお手本としての工業化をすでに成し遂げており、その手法を真似たからでもある。
 しかし、何もないところから成果が出たわけではない。
 すべてが、真似たいと思っていた通りにできたわけではない。

 SFでは昔から、タイムスリップ物で現代人が過去へ行き、現代(未来)の知識や情報を元に社会を変革するというお話がある。マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のヤンキー』や、L・スプレイグ・ディ・キャンプの『闇よ落ちるなかれ』などだ。
 21世紀の現代でも、ライトノベルでは異世界転移・転生などの形で、先進情報による社会変革が描かれた作品が書かれている。
 しかし、世の中は「先輩がうまくいってたやり方で、俺も成功したっす!」とはいかないものである。憧れの金持ち父さんになるには、成功者がやった手法を無批判に取り入れてもうまくいかないものだ。

 というわけで、日本が近代技術を取り込むに至る流れを、本書を通して自分なりにまとめてみる。誤読・勘違いがあればご寛恕いただきたい。

 古来、日本は大陸から海を渡ってやってくる文物に憧憬を抱いてきた。それは仏像や貨幣などの物だけではなく、言語も、宗教も、思想にいたるまで、日本は中国の強い影響を受け、学び続けてきた。
 欧州列強が大航海時代を迎えて、ユーラシア大陸の果てから商船が到着するほどに海上交通が発達した室町時代の後半より、そこに新しいものが加わってきた。

 木綿である。『朝鮮王朝実録』にある朝鮮側の交易記録によると15~16世紀の日本との交易においては、朝鮮からは主に木綿が輸出され、日本はその代金として銀を支払っていたとある。(村井章介『中世倭人伝』より)
 交易が統制された江戸時代になると木綿は国内での生産が中心になる。
 江戸時代半ばまでの、日本が海外から多く輸入した品が生糸である。西陣などは、ほぼ完全に中国産生糸に頼っていて、これが海外への金銀の流出につながっていた。
 その後、元禄の頃より日本国内でも生糸の生産が始まる。諸藩は財政的にきつくなっていたこともあって、風土が養蚕に向いているようであれば、藩が主導して生糸の生産を始めるようになった。余談であるが、朝日新聞で連載中の宮部みゆきさんの小説『荒神』でも生糸の殖産が物語に関わっている。

 生糸はこの後、昭和の時代まで長く日本の主力輸出品となる。その始まりは、江戸時代にあり、ここで明治を迎えるまでの一世紀、あれこれ試行錯誤を繰り返してノウハウや人材が日本全国に浸透していたことが、明治以後の大ブレイクにつながっている。
 このあたりは木綿の生産もそうで、明治のチート的な日本の工業化は何もないところから生まれたわけではなく、貿易統制をされていた江戸時代にちゃんと国内産業として発達をしたものが下地になっていることが分かる。

 だが、幕末になって国を開いたとたん、日本は容赦なく海外との品質競争にさらされることになる。ここで、日本が幕末に結んだ通商条約が不平等であったことも大きい。関税などを自由に決めることができないため、もろに品質と価格で海外製品に圧倒されてしまうのだ。このまま滅びるわけにはいかないという強い危機意識も、積極的な技術導入につながったことだろう。

 本書では、海外と日本の綿糸の品質の差について、当時の人の記録が紹介(P86~87)されていて、これが面白い。
 同じ織機で、国産の糸と輸入糸とを使って織らせてみると、音が違うのだそうだ。
 国産の糸の織機は、3秒ごとに、「パタン・・・パタン・・・パタン」。
 輸入糸の織機は、それが「パタンパタンパタン! パタンパタンパタン! パタンパタンパタン!」と3倍の速度になる。
 この違いは、海外綿糸が製糸に工夫をかけて細く長く強い糸を作り上げたことで生じたものだ。そして、そうした工夫も、自然になったのではなく、インドの優れた綿布に圧倒されたイギリスの織物業界が、国際競争に打ち勝つために知恵と金を注ぎ込んだ結果である。海外との交易が競争を生み、競争が品質の向上を促したわけである。

 開国の後、日本は一時は先行していた海外の高品質の商品に圧倒される。日本製の生糸にせよ、綿糸にせよ、海外では『安かろう悪かろう』で今ひとつ評判がよろしくない。
 そこで、国が主導して海外から成功事例を導入しようとしたわけであるが、これは直接的にはうまくいかないことが多かったようだ。
 富岡製糸工場など官営の工場は、海外から技術者や機械を導入して『成功した』『実績のある』ものを取り入れようとしたが、それは当時の日本においては高コストになりすぎ、利益よりも維持費が高い、というものになっていた。このあたりは、八幡製鉄所の建設においても言えることで、自分にノウハウの蓄積がないものを取り入れると、うまくいっている時にはいいのだが、何かトラブルがあった時に解決できずに詰まる、ということになる。タイムスリップした時や、異世界に転移した時のために覚えておきたい。

 鉄道もまた製糸業と深い関係がある。明治13年に政府主導から民間資本導入へと切り替わってから、上野~前橋など、北関東に向けて鉄道が延びていく。北関東は江戸時代から生糸の産地であり、これが前述した海外からの技術導入によって発展しているところへ、輸送インフラである鉄道がやってきたのだ。建設着工から1年。上野から60kmの熊谷まででもう、沿線が活況を呈し、前橋まで到達するや北関東全体の経済を押し上げた日本鉄道株式会社とは、ずいぶんと違う。以後、まるでPCゲーム『A列車』のごとく、両者ががっちりと噛み合って、日本の産業は驚くべき持続的発展を遂げ始める。
 ちなみに、この逆が本書ではメキシコ鉄道の例としてあげられている。首都で大産業地帯であるメキシコシティと、海外との交易を行うベラクルス港の間、400kmは人も産業もほとんど存在しないこの鉄道は、まったく国内経済を活性化しなかったというのだ。

 経済発展なくして技術発展は定着しない。自分の金になるから、人は頑張るのである。

 ここまでがだいたい本書の前半を読んでのまとめである。本書の後半、二度の世界大戦と戦後の発展については、また機会があればまとめてみたい。