北前船についていろいろと調べていると、近江商人の名前をよく見かける。
 近江商人は、江戸時代の一時期に松前藩の経済を牛耳るほどの働きをみせた。この地で出荷される昆布や、干鰯(金肥)は、当初は船で北陸に、そして琵琶湖水運ルートをたどって大坂に、そして全国へと運ばれる。
 水運の発達と共に、後に、瀬戸内海を通るルートが主流となる。
 近江商人の面白いところは、たとえば松前藩で3代過ごしたとしても、コンスタンティノープルのヴェネチア商人よろしく、松前では旅人扱いで、本籍はあくまで近江に置いてあるという点である。あくまで、根っこは近江に置いてあるのだ。私のイメージとしては、華僑に近い。
 そしてそうした近江商人らしさは今も残っている。
 屋敷でガイドの方と、秩父の方に住む近江商人の一族の話(現代でも、造り酒屋などを行っている)が出た際。

「ああ、そこの本家でしたら、この近所にありまして、このあいだ、ご葬儀があって、秩父の方からも来られていました」

 なんと、現代の日本においても、近江商人の一族は、冠婚葬祭を通して地元とつながりを維持しているのだ。