戦国時代の記録を読めば必ずといっていいほどに出てくる『国友の鉄砲鍛冶』。
 ゲーム『信長の野望』などでも、武器生産でお馴染みである。
 この資料館では、江戸時代によく製造された細筒だけではなく、中筒、そして大筒まで展示されており、それらが使用された時の、鎧の破壊された具合も見ることができる。
 野戦においては細筒や中筒のように取り回しが便利なものが重宝されるが、城攻めになると、大筒の破壊力が頼もしい。
 大筒であれば、木や竹で作った盾などの仕寄道具も破壊できるからだ。戦国時代の末期になると、小牧長久手のように、野戦であっても塀や堀といった陣地構 築が盛んになっていく。おそらく、江戸幕府による徳川の平和(パックス・トクガワーナ)がなければ、より大型の銃砲が主流になったことだろう。
 火縄銃は銃床を頬に当てる頬打ちであり、銃の反動は、銃身を上に跳ね上げて、くるりと回転させることで逃がす。現代のライフルのように、肩に銃床を当てて吸収する撃ち方とはちょっと違う。
 この打ち方は、江戸時代にも猟師の間で受け継がれてゆく。明治になって長い銃床を持つ近代的な銃が使われるようになっても、猟師(マタギ)の中には、銃床のこしらえを火縄銃と同じものに変えて頬打ちを続けた例があるとのこと。