雑記

『戦国の軍隊 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』西股総生 封建制の軍隊は、いかにして兵種別編成方式を成し遂げたのか?

2012年3月27日 雑記 No comments , , , , , , , , , ,

 西股総生さんは、これまでも雑誌『歴史群像』で『後北条氏の本土決戦』(No.77)や『河越夜戦』(No.103)など、主に東国の戦いに関する記事や、各地の城に関する優れた記事をいくつも書かれておられ、勉強させていただいている。
 その西股さんのこれまでの戦国時代に関する知見のまとめ的な本が、この『戦国の軍隊』である。もちろん、こういうものは研究が進むにつれて上書きされ、 修正もされるものなので、書かれたことのすべてが「真実の戦国時代!」というわけではないだろうが、戦国時代について興味がある方ならば、読んで損はない 素晴らしい内容となっている。

 内容について興味のある方には、実際に読んでもらうとして。
 この後は、本書を元に、私なりに日本の「武士」という軍隊の成り立ちから戦国時代、そして江戸時代までをざっくりと追いかけてみよう。

 大和による日本各地の勢力の制圧という時期を過ぎてまがりなりにも統一政権が出来ると、日本での軍隊は仕事がなくなってしまう。朝鮮半島の内紛に 乗じて外国に出たこともあるが、それも失敗に終わると律令の軍隊は維持コストばかり高い無駄な組織となり――朝廷が恐れていた大陸からの侵攻が来るのはま だ先の話である――国が運営するにはつらくなってくる。

 平安時代になると、軍事力(と警察力)はアウトソーシングが進んで各地の自警団に任せることになる。自警団といっても、守るだけではなく、水源や 良い牧をめぐっては武力で他人の土地や権利を奪う武装商会=ヤクザ屋である。源氏や平家は、その中でも特に有力な一団で、各地のヤクザ屋と盃を交わす大親 分であった。
 実質的な武力を持たない朝廷や貴族は、出入りのヤクザ屋に武力の必要な仕事を任せ、そのかわりに彼らに名誉や権威を提供した。武士=ヤクザの世界は実力 主義だが、テレビもネットも新聞もラジオもない時代に日本全国に散っているので、実際に実力を互いに確認できることなどそうはない。朝廷や貴族に使われる ことは、武士にとって名前を売る絶好のチャンスでもあったのだ。
 だから鎌倉時代までの武士の戦争は、今で言うところのヤクザとその出入りの喧嘩に近いところがある。基本は少人数の戦いで、それゆえに個人の武芸が戦況 に大きく影響した。この頃の武芸とは弓馬の道で、馬に乗り弓を射る。西洋だとこの頃の騎士は馬上槍で突撃をかけていたが、日本はあまり騎馬突撃に向いた地 形ではないし、日本の馬も山の上り下りは得意だが、チャージ向きではない。鎌倉武士は、むしろルネサンス以後の時代のピストル騎兵に近い存在と言えるかも しれない。流鏑馬は、カラコール戦法である。

 平安~鎌倉~室町にかけて日本の弓は合成弓として進化し、射程が長くなっていく。そのため、武士が馬に乗って敵に肉薄して矢をぶち込むという武芸の必要性は薄れてゆき、弓は歩行の兵が制圧射撃として用いるようになった。
 かわりに、武士は打ち物=刀、太刀を使って敵に切り込む重装騎兵の役割を担うようになっていく。加えて南北朝~応仁の乱にかけて軍事技術の発達から陣地 や城塞を用いることも増え、市街戦もしばしば発生したので、武士が下馬して戦うことも多くなる。乗馬戦闘でも下馬戦闘でも、鎧を着、武芸の鍛錬を積んだ武 士は現代の戦車のように、ここぞという要所を押さえる、あるいは崩すために投入されたのではないだろうか。西股さんは専業の武士を『戦場の缶切り役』 (P167)と書かれているが、うまい表現だと思う。
 WW2におけるドイツの電撃戦では、「缶切り役」戦車の集中運用がドイツ軍の勝利に大きく貢献している。集団戦では、役割分担が重要だ。弓は弓、槍は槍、という風に兵種別に編成してまとめて将校(奉行)に指揮させれば、未分離でごちゃ混ぜの部隊を圧倒することができる。
 日本の武士とはもともとが封建領主の集まりである。大親分(大名)から軍役を命じられて手勢を率いて戦場にやってくるが、その指揮官はあくまでそれぞれ の小領主=土豪、国衆だ。大親分(大名)の方が偉いかもしれないが、武士の筋目としては、手下や弟分に何かさせるには、それぞれの親分(小領主)に話を通 してもらわないと困る。勝手はできないので、どうしても手間がかかる。
 戦国時代が続き、各地で大規模戦闘が繰り返されるようになると、兵種別の編成への必要性は高くなってくる。
 最初に兵種別編成が行なわれるようになったのは、間に小領主を挟まない、大名直轄の部隊からである。織田信長だと小領主の次男、三男を集めて編成した子 飼いの部隊がいて家督相続後の尾張統一戦で活躍したし、武田信虎も甲斐の国人衆との戦いに、傭兵と思われる足軽隊を使っている。信虎の息子、武田信玄の部 下にも傭兵隊長(足軽大将)がいて、山本勘助がその代表格のひとりと考えられる。譜代で信玄としても気を使う必要があった重臣たちと違い、傭兵は大名が自 由に投入できる使い勝手の良い軍勢であった。西股さんは本書で北条早雲として知られる伊勢宗瑞が、京都から傭兵隊長(的な仕事をする人物)を引き連れてき たと分析している。

 そして実際に戦ってみれば、やはり兵種別編成で、命令系統がシンプルでそれゆえに素早い軍隊は、寄せ集めの軍隊よりも強かった。家臣の次男、三男 を集めたのか、傭兵として雇ったのかは別として、自分の直轄の手勢で武威を高めた戦国大名は、それ以外の国人衆を圧倒してゆく。
 戦国時代という最適化が進みやすい状況において、封建領主の軍勢は、小領主の子飼いの軍勢の集団から大名が思うがままに動かす軍勢へと変化していった。
 小領主は武士らしい武士として、鎧に身を固め、最新の兵器(火縄銃や軍馬など)を購入し、名誉ある斬り込み隊長的な役割を担当する。と同時に、社会の流 動性によって生まれた傭兵としての足軽や、食い詰めものとしての雑兵を、自分の所領に応じて雇い、大名へと提出する仕事も彼らの軍役の一部となった。
 従来であれば、小領主としての武士は、自分の身内や、所領の若者からそうした雑兵や人夫を提供してきた。血縁・地縁が深い彼らは小領主の子飼いであり、あくまで命令は小領主を通して行なうものであった。
 しかし、戦国時代が進むと、足軽や雑兵は小領主が必要に応じて金で雇い入れる非正規雇用者となる。傭兵的にそれなりに訓練を受け、戦場で働く意欲もある 者もいれば、戦乱や災害で食い詰めて、仕方なく戦場働きをする雑兵もその中にはいる。どちらにしても、小領主はそれまでのように足軽、雑兵への責任や思い 入れがない。軍役として課せられた人数を金で集めただけのパート従業員であるから、集めた足軽が兵種別に再編されて大名の奉行配下に組み込まれても問題は ない。それは戦場に来る前までの武士としての仕事で、戦場に来てからの武士としての仕事は「缶切り役」、つまり、戦意も高く技量もある専業の重装歩兵/騎 兵として、戦場のここぞというところで活躍すれば良いのだ。

 西股さんは、傭兵隊長的な足軽大将を三十年戦争で活躍したヴァレンシュタインの例をあげて説明されたが、私は佐藤賢一さんの描く『傭兵ピエール』的なシェフ(百年戦争の傭兵隊長)が山本勘助や骨皮道賢ら足軽大将にだぶって見える。
 戦国時代を通して傭兵的な足軽が増えてきた原因は、三十年年戦争における「宿営社会」も参考になるだろう。戦争においては略奪がつきものであるが、それ によって破壊された社会の難民やあぶれ者を、傭兵たちの「宿営社会」が吸収して拡大し、さらなる戦乱と略奪の連鎖を生んだというものだ。
 その中で生き残り、勝ち上がってきた織豊系の戦国武将が、合理的で強烈な上昇志向に支えられている一面、どこか刹那的で殺伐とした虚無感を漂わせている のも、彼らの戦いが略奪と、それによる従来の社会――彼ら自身のルーツ――の破壊を伴う、一種の根無し草であったからだと私は考えている。

 戦国の勝者として勝ち抜いた織田信長がその頂点で上昇志向の強い部下の裏切りにより破滅したように、秀吉もまた「自分の死後に何が起きるか」をす べて見抜いていたのではないかと思う。晩年の秀吉は自分の死後に己の身内や部下に何が起きるかを見抜いていたからこそ、平静を失って狂的で冷酷な手を次々 と打ち、それが逆に自らを追いつめるという負の連鎖を生んだ。そして両者の後を継いだ――継がされた――徳川家康と一門は、天下万民のために太平の世を求 めたというよりは、「徳川だけは織田や豊臣のようにはなりたくない」という強いエゴと危機感ゆえに、太平の世を求め、ガチガチの封建制度と地方分権という 停滞しているが安定した社会へと舵を切っていく。

 上昇志向と合理性は、戦国という淘汰圧の強い社会を勝ち抜くために必須であった。
 だが、それがもたらすのは不断の闘争社会であり、戦国の世が終わった後もなお、戦乱がなくては機能しない困った仕組みであった。
 その揺り返しのような江戸時代は、制度として停滞、閉鎖することで安定し、270年の「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」を生むが、日本以外では、上昇志向と合理性で勝利を続けたヨーロッパ的な闘争社会が世界を席巻していた。

 幕末の動乱で再び上昇志向と合理性を手にした明治日本は、それまで抑圧していた分の反動もあってか「ひゃっはー、弱いのはそれだけで罪だぜー!」とノリノリで帝国主義的な闘争社会に踏み込んでいくのである。

『機動戦士ガンダムAGE』のSFネタ解説その7:ビッグリングの戦いとモビルスーツ戦術

2012年3月22日 『機動戦士ガンダムAGE』のSFネタ解説 No comments , , , , , , , , ,

 機動戦士ガンダムAGEに出てくるギミックや台詞を元に妄想をたくましくしていくSFネタ解説シリーズの7回目。

 第7回は第22話『ビッグリング絶対防衛線』を題材に、モビルスーツ戦術について考えてみよう。モビルスーツと戦術の組み合わせは、ミリタリー ファンは現実の戦術や兵器を持ち込み、SFファンは現実の科学や数式を持ち込み、ガンダムファンはガンダムへの愛を持ち込むことで皆が不幸になる、悪魔の 三位一体である。その全員にいい顔をしたいコウモリ村の有袋類である私としてはできるだけ地雷は避ける方向でいきたい。どちらにせよ、いつもとおり真面目 七分に法螺三分、大嘘ついても小嘘はつくなの三割精神だ。最後までおつきあいいただければ、幸いである。

●なぜビッグリングは宇宙にあるのか?
 初代ガンダムでは、南アメリカの地下の洞窟に連邦軍本部ジャブローがあった。きわめて堅牢な基地であり、コロニー落としでもなければ無力化は困難なほどだ。
 ジャブローに比べると、ビッグリングは宇宙に浮かんでおり、攻撃には脆そうだ。司令部をこんなところに置くのは間違いのようにも思える。
 だが、ビッグリングが宇宙にあることには、立派な理由がある。
 というのも、衛星軌道を優勢な敵に制圧されると、地上のどこもが安全とは言えなくなるからだ。地球のどの地点にも、空から質量兵器を落とすだけで甚大なダメージを受ける。分厚い岩盤に守られていない地下基地ならともかく、都市も工場も農地も鉱山も、爆撃され放題である。
 かつて米ソ冷戦時代にソ連が衛星スプートニクを打ち上げた当時、アメリカに「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃が走った。衛星軌道に物体を打ち上 げる能力を保有するということは、地上のどこにでも爆弾を落とせるということを意味していたからだ。余談ながら、ロケットに軍用か科学用かの技術的な違い はない。弾頭を搭載すればミサイルであり、衛星や探査機を乗せれば宇宙ロケットなのである。
 それと同じで、ヴェイガンが衛星軌道を支配すれば、地上のどこもが危険にさらされる。核弾頭でなくとも良い。十分な質量を持つ石ころを月か資源小惑星か ら切り取ってコンテナに詰めて落とすだけで、ピンポイント爆撃から都市への戦略爆撃まで自由自在である。十分な岩塊が手に入るのならば、火山灰が太陽光を 遮る要領で、気象を制御して飢饉を起こすことだって可能なのだ。
 侵攻作戦においても、軌道を支配する有利は圧倒的だ。衛星軌道を支配する側は、手薄な場所を狙って奇襲攻撃を仕掛けることができる。一戦した後で地上か ら宇宙へ上がるにはツィオルコフスキー的に大変であるが、機動性が高いモビルスーツ兵器によるゲリラ的な降下作戦と離脱――ガンダムに大きな影響を与えた ロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』で、強化歩兵部隊が得意とした作戦でもある――ならば、連邦軍がおっとり刀で集まってくる前に撤退が可能だ。
 そして、敵の動きを読んでの待ち伏せ以外の方法でこの襲撃を防ぐ手だてはない。衛星軌道を敵に奪われるというのは、部隊の展開に関してそれほどのアドバンテージと主導権を敵に与えることを意味するのだ。

●ビッグリング攻略
 連邦にとって是が非でも死守しなければならないビッグリングだが、宇宙空間の拠点防衛は、超技術(エネルギーバリアとか)がなければ、それだけで難しい。
 たとえば、ヴェイガンが地球近傍天体(NEO:Near Earth Object)にブースターを取り付けて加速させ、ビッグリングとの衝突軌道に乗せたとしよう。時間をかけて加速した巨大質量は、それだけで脅威となる。 もちろん、加速する側にも超技術(バーゲンホルム機関的な慣性制御)がなければ、衝突時の相対速度はせいぜいが秒速10~30kmであろうが、こういうの は質量さえあれば速度は遅くても脅威は高い。
 質量兵器に対する現実的な回答は、ビッグリングを動かすことである。宇宙空間に浮かぶものは、それがたとえコロニーであろうが要塞であろうが、動かせ る。そして、質量兵器ほどに巨大な物体は、遮蔽物のない宇宙空間で隠れるのは難しい。惑星のように動けない物体と違い、軌道上の物体は敵が質量兵器を持ち 出すことさえ想定していれば、対処は可能なのだ。

 それゆえに、だろうか。AGE22話でヴェイガンが取った作戦は、きわめて正攻法だった。モビルスーツ部隊を展開してビッグリングの防衛線を突破し、取り付いてこれを落とすというものだ。
 ビッグリングを要塞と考えた場合、城攻めにはふたつの方法がある。ひとつは、ドイツ軍がセヴァストポリ要塞を攻めたように、ひたすら大火力を集中するや り方。もうひとつは、日本軍が旅順要塞を落としたように、ひたすら守備兵力を消耗させ、失血死させるやり方。ゼハートが選んだのは後者である。
 ここでポイントとなるのがヴェイガンの特殊なステルス能力である。第22話でも撤退時には使っているところから見て、使用に制限があると思われる。おそ らく推進時の噴射ガスがステルス圏外に出ると赤外線が漏れて発見される、一度解除した場合二度目の利用に一定時間経過後などの条件があるのだろう。加えて 連邦軍側にも、ステルスを防ぐ備えはあると思われる。
 だが、たとえ完全な戦術的奇襲ができなくとも、接近をぎりぎりまで悟らせないことで、連邦軍に対応の時間を与えない作戦レベルでの奇襲は可能だ。第22 話で連邦側が戦力的に不利、というのはステルスで接近したヴェイガンに対し、連邦軍には戦力を集中する時間がなかったためだと思われる。

●『ビッグリング絶対防衛線』の流れ

 まずは司令部の画面からだいたいの戦況の流れを。

 攻める側のヴェイガンは大型艦5隻、守る連邦軍は母艦が9隻である。出撃したモビルスーツについては不明ながら、ビッグリングを直接基地とする部隊なども含めて100~200機前後というところだろうか?
 戦闘規模から考えると、Xラウンダーの持つ優位性は高い。どちらも数で揉み潰すような戦いができず、手持ちの駒をどう使うかの戦術が重要な戦いとなる。

 双方がモビルスーツ部隊を展開させた後、最初に動いたのはヴェイガンだった。Xラウンダー部隊『マジシャンズエイト』を投入し、戦線に突破口を開こうとしたのである。
 だが、これは連邦の司令官フリットの想定内の動きであった。フリットは、複数の部隊で局所的な戦力優勢を実現し、Xラウンダーの動きを封じ込める。突破 前進ができなくなったXラウンダーの一部は弱い箇所を狙って戦線中央へと移動し、そこでウルフとAGE2に乗るアセムと交戦している。

 味方の攻勢が頓挫したことで、ヴェイガンの司令官であるゼハートは兄デシルと共に出撃する。これは、状況を打破するに足る予備戦力がヴェイガン側 にもうなかったことを意味する。ゼハートは、ビッグリング攻略に、最初からほぼ全力を投入したのだ。戦力の逐次投入は各個撃破の的であるから、考え方とし ては正しい。また、あまり時間をかけると、ビッグリング救援のため、連邦軍部隊が集結してしまう。時間はヴェイガンの敵だ。

 しかし、おそらくそこまでフリットは見切っていたのではないかと思う。
 ゼハートとデシルのふたりのXラウンダーが戦線を押し上げ始めた時、フリットはためらうことなく自らAGE1で出撃している。
 これはこの時点でフリットが勝利を確信したためであろう。すでにこの状況までが想定内で、自分が出撃することも含めて後の作戦をどうするかもあらかじめ決めてあり、それゆえに参謀のアルグレアスに何も言わずに出撃し、アルグレアスもまったく驚く様子がなかったのだ。

 では、いったい何がフリットとアルグレアスをして、ゼハートとデシルが出撃した時点で勝利を確信させたのか?
 それは、「時間」ではないかと思う。

 この後、カメラはフリット対デシル、アセム対ゼハートに集中しており、他の戦線でどのような戦いがあったかは分からない。
 が、結果としてヴェイガンは大型艦1隻を失う損害を被り、ゼハートに代わって指揮をしていたメデル・ザントがゼハートに撤退を進言することになる。この時のメデル・ザントの言葉が興味深い。

「連邦の戦術によって、我が部隊の多くが退却を強いられており――」

 そう、撃墜されたのではなくて、退却を強いられているのである。
 可能性として考えられるのは、ヴェイガン側のモビルスーツ部隊が燃料や弾薬が切れて母艦へと後退し、それを連邦が追撃してついには大型艦の一隻を落とした、ということである。
 ヴェイガン側のモビルスーツは攻勢に出る必要上、推進剤をどんどん消費して機動し、連邦軍の防衛線に穴を開けようとした。Xラウンダー部隊『マジシャン ズエイト』が戦線の左翼で頭を押さえられた後、戦線の中央まで出てアセムとウルフと交戦していることからも、それが伺える。
 華々しい機動戦は、だが、推進剤の過剰消費につながる。推進剤と共に攻勢のモメンタムを失ったヴェイガンは、部隊単位で後退し、前線からは櫛の歯が抜けるように穴が生じる。そこを連邦軍は突いたのだ。敵を倒すのではなく、敵が後退した穴を埋めるように。
 序盤からの、やたらと細かいビッグリングからの戦術指揮も、モビルスーツ部隊の推進剤消費をできるだけ小さくするため、だとすると納得できることは多い。
 それを悟ったからこそ、ゼハートは撤退を決めたのであろう。フリットのAGE1が脅威だったのではない。フリットがゼハートとデシルとの戦いに出る前に、すでに自軍の勝ちを決めていたことに気が付いたのだ。

 つまるところ、この戦いは最初から最後まで、フリットの掌の中で行われていたことになる。高いステルス能力を持ち、Xラウンダー部隊をも有する ヴェイガンの戦術的有利と、短期決戦でビッグリングを落とす必要がある戦略的不利を見切って作戦を立てていたフリットに、ゼハートはまったく歯が立たな かった。

 恐るべきはやはり、天才フリット・アスノということだろうか。がんばれ、アセム! お父ちゃんを超えるのは息子の役目だ!

『機動戦士ガンダムAGE』のSFネタ解説その6:火星植民

2012年2月28日 『機動戦士ガンダムAGE』のSFネタ解説 No comments , , , , , , , , , , , , , , , ,

 機動戦士ガンダムAGEに出てくるギミックや台詞を元に妄想をたくましくしていくSFネタ解説シリーズの6回目。

 第6回はガンダムAGEの敵役、UE(アンノウンエネミー)あらためヴェイガンが生まれるきっかけとなった火星植民である。真面目七分に法螺三分、大嘘ついても小嘘はつくなの三割精神でいく。最後までおつきあいいただければ、幸いである。

 火星植民とその失敗というと、SFでその例は列挙の暇もない。
 有名どころをいくつか紹介すると、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』。これの失敗は、人々が地球に魂を引かれてしまったからだ。東西の冷戦が全面核戦 争となり、ラジオでそのニュースを聞いた火星植民地の人々が、何やかにやと理由をつけて夜空に浮かぶ地球をながめていると、そこから発光信号で伝えられ る、戦争勃発の知らせと、「カエリキタレ」の言葉。この「カエリキタレ」は今読んでも涙がだばだばとあふれんばかりの名シーンである。
 また、光瀬龍さんの『宇宙史シリーズ』における火星植民都市も、その多くが荒廃し、砂に埋もれるようにして消えていく。火星の乾いた砂の上に作られたこの中でしばしば語られる“東キャナル市”という言葉は、日本SFの生み出した素晴らしい言霊のひとつであろう。
 漫画でいえば、萩尾望都さんの『スター・レッド』の火星でも植民が失敗している。なぜかあらゆる胎児が死んでしまうため、植民不可として見捨てられた火 星は流刑星として扱われるが、そこでどういうわけか生き残り、子孫を残し続けた火星人が超能力を得て、再び地球を訪れた人間と敵対する、というものであ る。
 ガチな戦争というと、川又千秋さんの『火星人先史』はカンガルー改良型の知的生物を火星に送り込んで奴隷&食料として使役するもカンガルーの反乱で火星 から人間が追い出されてしまうし、荒巻義雄さんの『ビッグ・ウォーズ』では火星はテラフォーミングによって海を持つ惑星になるも、太陽系に帰ってきた神々 によって人類は火星から駆逐されてしまう。

 さて――それまで大量に描かれていた火星植民を扱ったSFは、ヴァイキング1号、2号が火星に到着した頃になると、しだいに新しい話があまり語ら れなくなっていく。もちろん、『マン・プラス』『赤い惑星への航海』『レッドマーズ』『火星夜想曲』『火星縦断』などなど、その後も火星を扱ったSFはそ れなりに豊作である。谷甲州さんの『航空宇宙軍史』でも、『火星鉄道一九』のように、オリュンポス山の火口をまるごとリニアカタパルトにしている工学技術 的に希有壮大なお話も出てくる。

 だが、それらに共通するのは――『火星夜想曲』のような、少しファンタジー寄りの話をのぞくと――ガチでハード寄りのSFなのである。
 ひとむかし前の、火星にまだ運河が見えてた時代には、それこそH.G.ウェルズが『宇宙戦争』でタコ型の火星人だしたり、エドモンド・ハミルトンの 『キャプテン・フューチャー』シリーズの地球よりも古い古代王朝が存在する星だったり、エドガー・ライス・バロウズの『火星のプリンセス』あられもない格 好のお姫様に卵を産ませたりと「ちょっとエキゾチックで、手頃な舞台装置」として扱われていた火星も、気が付けば、生半可な科学知識で触れにくい、ちょっ と重たい星になってしまったのだ。

 そして同時に、火星の扱いが難しくなった理由のひとつが「なんで苦労して火星で暮らすの?」である。これは、こと日本においてはガンダムもおおい に関係していると我田引水できなくもない。機動戦士ガンダムが、「スペースコロニー」という宇宙に浮かぶ人工の大地を、もっともらしく描けてしまったせい で、「わざわざ惑星に降りなくても」という、コペルニクス的転回が、あまりSFに濃くない人にも、それなりに広まったのである。やはり、視覚情報は偉大で ある。
 実際問題として、火星を「人が暮らすようにする」ためのテラ・フォーミングには、どう見積もっても、天文学的な時間とお金がかかる。お金の方は何とか誤 魔化すとしても、時間は難しい。なお、これまたコロンブスの卵的に「時間がかかるなら、時間を早めればいいじゃない」という火星植民のSFがロバート・ チャールズ・ウィルスンの『時間封鎖』である。
 むろん、ここでも人間の叡智に限りはなく、「火星全部をテラ・フォーミングしようとするから難しいんだ。火星には渓谷がたくさんあるんだから、そこに蓋 してその底だけ暮らせるようにするとかどうだろう」とか「特殊な植物でドームのように覆った中で暮らすというのはどうだろう」とかいろいろと手は考えられ ている。アニメ『カウボーイ・ビバップ』の火星も、そんな風にして都市の周囲に、空気の壁を作っている描写があった。

 だが、やはり火星は遠い。
 そこに植民都市のひとつふたつを作るのは何とかなっても、大金のかかるプロジェクトを、いつまでも維持することは政治的な理由で難しいだろう。
 
 そこで思い出すのが、人類が月へと熱狂的に向かった1960年代の月レースである。
 松浦晋也さんが、この時代の宇宙開発をして『戦争型宇宙開発』(大人の科学マガジン/ロケットと宇宙開発)と称されたことがあるが、戦争や宗教などで生まれた人々の熱狂は、時に、経済原則を無視してでもひとつの方向へすべてを投入することがある。
 ガンダムAGEにおける過去に連邦が行った『マーズ・バースディ計画』というのは、そういう、一時の熱狂が生み出した計画なのかもしれない。そして熱狂 が冷めた時、連邦も、地球に残った人々も、火星について忘れてしまったのだろうか。金のかかる地球からの物資や援助を打ち切り、それが火星に住む人々の命 の綱を断ち切ることにつながると分かっていても、いや、分かっていたからこそ、後ろめたさのこもった思いから、すべてを「忘却しようとした」のではないだ ろうか。
 次第に乏しくなる物資をやりくりしながら、火星の人々は、明日は、物資が届くか。来年には、支援が再開されるのではないか。そう望み、何度も地球へ通信を送るが、やがて自分たちが捨てられたことに気付かされる。
 明日の人類の未来を切り開く英雄として送り出されながら、金や物資がもったいないからという理由で打ち捨てられ、それだけなら我慢もできたろうに、記録も消され、すべてが「なかったこと」にされていく。
 ある程度民主的で、そこそこに開かれた情報化社会でそのようなことができる場合、その理由は一部の支配階級、ビッグブラザー的な統制ではありえない。地 球に暮らす人々の多くが、政府が消していく火星植民の情報を、「黙って受け入れた」からに他ならない。罪の意識を、いつまでも持ち続けたくないがために。
 そしてそれこそが、ヴェイガンという組織の根幹にあるのだろう。政治的・経済的な理由で援助が打ち切られたのなら、それは仕方がない。そもそもが、火星植民とは無理のある計画だったのだ。壮大な計画が失敗に終わったことは無念ではあるが、受け入れることもできよう。
 けれども、「なかったこと」にされるのだけは。これは許せない。
 火星植民に抱いた夢を、理想を。それが無惨に打ち捨てられていく過程での苦労を、悲しみを。
 そのすべてが、「なかったこと」にされてしまうのであれば。
 それらの思いは、どこに行けばいいのか。
 ヴェイガンが、そうやって生まれ、「なかったこと」にされた恨みを糧に成長していったのだとすれば。
 彼らがUE(アンノウン・エネミー)と呼ばれていることを知りながら、長い間、じっと沈黙を守り続けたことには、理由があったのではないかと私は考える。

 ――呼んでくれ。
 ――私たちの名前を呼んでくれ。
 ――私たちの先祖が、どうやって、どこに送り込まれたのか、言ってくれ。

 もしここで、彼らの名前を呼んでやっていれば。
 「なかったこと」にした過去を取り戻させてやれば。
 UE(アンノウン・エネミー)との間には、また、別の関係が築けたのかもしれない。

五箇山、塩硝の館 見学レポ

2011年11月7日 見学メモ No comments , , , , , , , , , , , , ,

 火縄銃で使う黒色火薬は、硝石75%、木炭15%、硫黄10%を混ぜて作ります。
 戦国時代の日本では、木から作る木炭も、火山で採れる硫黄もありましたが、硝石はありませんでした。
 硝酸カリウムを主成分とする硝石は、中国やインドから戦国時代の日本に輸入されました。しかし、日本中が戦乱の時代のこと。最大火力である鉄砲の運用を輸入硝石だけに頼るのはいかにも心もとないものです。
 そこで、量には限りがありますが、人馬の糞尿の混ざった土から硝石が作られたのです。
 『戦国火薬考』(桐野作人/歴史群像67号)によると、本願寺の文書に人造硝石についての記述があり、もっとも古いものでは、毛利元就(1571年没) 書状で触れられていることから、火縄銃伝来(1543年?)とそれほど時を置かずして、人造硝石の技術も伝来していたようです。

 糞尿の混じった土から硝石=硝酸カリウムが作られる過程で重要なのが、バクテリアです。硝化バクテリアは窒素を含む有機物(アンモニアなど)を分 解し、そのときに発生する酸化エネルギーを利用します。そうやって分解された有機物が硝酸塩で、これが土中のカルシウムと結合して硝酸カルシウムとなりま す。この硝酸カルシウムを灰汁(炭酸カリウム)を使って煮て、両者のカルシウムとカリウムを交換して、硝酸カリウムを含む水溶液を作ります。こいつを海水 から塩をつくるように煮詰めて濃縮し、結晶化させて硝石を作り出すわけです。
 『ドリフターズ』(平野耕太)の2巻でノブこと織田信長がやっているのも、これと同じやり方です。

 戦国時代が終わり、日本が平和になってからも、硝石の需要はゼロにはなりません。『鉄砲を手放さなかった百姓たち』(武井弘一)にもあるように、獣害を防ぐため農民は農具として鉄砲を保有し続けましたし、各地を治める大名も、演習その他で黒色火薬を消費したのです。
 富山県五箇山は、江戸時代における日本国内の硝石生産拠点のひとつです。山奥に孤立した集落で、谷川沿いに世界遺産ともなった合掌造りの集落が並んでいます。

 雨の中、鷹見一幸さんと五箇山を訪れた私が最初に思い出したのが「ひぐらしのなく頃に」のオヤシロコロニー、雛見沢でありました。そういえばあのモデルになった白川郷も、合掌造りの建物の床土から、焔硝(硝石)反応がある、硝石生産拠点でありました。

 五箇山や白川郷でどのように硝石が作られていたかというと、基本は馬屋や厠の古い土から硝石を作る方法と同じで、硝化バクテリアの働きによりアン モニアから亜硝酸が作られるわけです。この硝酸態窒素は、植物の葉っぱにも蓄えられることがあり、五箇山では、囲炉裏近くの床下に1.8~2.1mほどの 深い穴を掘り、そこに硝酸イオンが葉に多いシソやツユクサらの葉っぱを、蚕(生糸生産も、重要な産業でした)の糞と一緒に混ぜ、上には通気性の良いほろほ ろと崩れる土(硝化バクテリアは、好気性細菌)をかぶせます。
 後は年に何回か土を掘り出してかき回し、五年くらい経過してからは上の方の土に硝酸カルシウムの結晶が多く含まれるようになります。

 屋内で作る理由は、硝酸が水に溶けて流れないように。囲炉裏のそばに穴を掘るのは、寒い冬場でも硝化バクテリアが活動できるように。
 ……なのですが。

 さて、ここから先は、私の妄想です。

 ──なぜ、五箇山で硝石を作ったのでしょう?

 五箇山の案内では、幕府の目が届かない秘境だから、と説明されています。
 しかし、本当にそれだけにしては、五箇山は秘境に過ぎます。まるで幕府どころか、同じ加賀藩内部にすら、ここで作っている硝石についての情報が漏れないよう、気をつけているかのよう。

 しかも、それだけの秘だというのに。
 作られた硝石は、意外なほどまっとうに「塩」として、金沢の町にまで出荷されています。箱を牛の背にのせて、五箇山の住人が山奥から届けに来ています。まるで、塩硝(硝石)であること自体は、バレてしまってもかまわない、という風に。

 五箇山の硝石造りで、本当に秘すべきことは、もしかしたら硝石を作っているということではなく、その造り方だったのかも知れません。そしてそれは、後に書物としてまとめられた、観光案内に記されている造り方ではなく。

「なんまんだぶ、なんまんだぶー」
「来年も、ようけ塩硝が採れそうだわ」
「骨の太いお侍さんだったからの」
「お、これは去年の……親子連れだったか」
「子供の方は、きれいにおらんなっとる」
「ありがたや、ありがたや。なんまんだぶ、なんまんだぶ」

 みたいな意味で、秘すべきことであったとしたら。
 それはまさに、村の外に知られてはならぬ禁忌ではなかったかと。
 雨にけぶる合掌造りの家々をながめつつ、あれこれと妄想を楽しんだのであります。

RPG今昔物語外伝:ゲーム脳を防ぐために寒冷地仕様の軍用レーションを

2009年3月1日 RPG今昔物語 No comments , , , , , , , , ,

 ゲーム脳、という言葉がある。
 Wikipediaによると
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「テレビゲーム(正確にはコンピュータゲーム全般)が人間の脳に与える悪影響」
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 を象徴したものということらしいが、本稿では私なりの定義をさせてもらう。

 ゲーム脳とはすなわち、ゲームのやりすぎで、ブドウ糖が不足して疲弊した状態の脳のことである。
 いやいや、笑うなかれ。
 ゲーマー、特にディプロマシーなどのマルチゲームや、TRPGをプレイするゲーマーであれば一度はそのような経験があるに違いない。

 脳を使うと、ブドウ糖が消費される。勉強や仕事でも、もちろん減る。だが、もっとも大量に消費するのは、ゲームをした時だ。
 ゲームは楽しい。楽しいから、歯止めがなくなる。イギリスから北海の制海権をいかに奪うか。どのタイミングで清国に攻め込むか。どうやって依頼人を裏 切って宝を独占するか。そんな楽しくてうれしいことばかり考えているものだから、ゲーマーの脳は常時使用率100%の状態だ。
 その集中力を仕事か勉強に使えと言ってもせんのないことである。

 そして、脳を使えば、ブドウ糖が減る。
 (陰謀や裏切りが)激しいゲームを数時間プレイすれば、脳のブドウ糖は枯渇状態になり、ゲーマーは疲労困憊になる。
 そこで終わっていればいいが、まだ続くと、ゲームがだれてしまう危険もある。

 ゲーム脳を防ぐ方法はただひとつ。
 ブドウ糖を補給することである。
 しかし、これは言うは易く、行うは難い。たとえば、昼前にゲームをはじめて昼食をとってからゲームを続けるというパターンでは、ゲーム脳対策にならないのだ。ちゃんとした食事の消化と吸収にはそれなりに時間が必要で、ゲーム脳対策としてのブドウ糖の補給には適さない。
 では、チョコレートやキャンディといった消化吸収が早くて糖分の多いお菓子はどうかというと、これも実はタイミングが合わない。
 ゲームに集中しはじめると、ゲーマーはゲーム以外のすべてを忘れる。暇な時に舐めていた飴の糖分など、集中を始めて10分で使い切る。以後、10分おき に、あめ玉を口に放り込むなり、マックスコーヒーをぐびりとやるなりすればいいが、ゲームに集中しているゲーマーはそのようなことをきれいに忘れている。
 むろん、ゲーマーも最終進化段階になると、たとえ大脳を99%までゲームに費やしていても、残った1%を条件反射に用い、パブロフの犬的に機械的に糖分 を口に運ぶようになる。が、ここまで進化できるゲーマーは限られているし、どういうわけか、そこまで進化したゲーマーはやたらとメタボになってしまい、日 常生活に支障を生じるようになる。

 となれば、対策はただひとつ。
 ゲーム開始前に、十分なブドウ糖を体内に蓄え、数時間のゲームを経ても脳にブドウ糖が供給できるようにするのだ。

 そんなことが本当に可能なのか?
 可能なのである。
 そのための食材が、今回のお題にある寒冷地仕様の軍用レーションだ。

 寒冷地仕様の軍用レーションとは、その名の通り、寒いところで戦闘をする兵隊さんのための食事(レーション)で、一食で3000キロカロリーだの 4000キロカロリーだのの、信じがたい数字が並ぶ。氷点下-30度といった過酷な環境では、兵士が自らの体内に蓄えたカロリーを消費して体温を維持しな いとあっというまに凍えて死んでしまうのだ。

 むろん、こんなものをいかに過酷といってもゲームのために丸ごと食ったのでは、ゲーム脳にはならなくとも、健康によろしくない。
 食べるのは、軍用レーションにパックされているデザートのケーキだ。

 先だっても、ミラノ北部にあるBalconiのスイートロールケーキを食べたのだが、これの効き目がものすごかった。
 そのときは、ゲームではなく仕事の打ち合わせであったのだが、いくら脳を使っても、まるでブドウ糖が切れない。まさに夢のような感覚であった。
 日本では大和物産などが輸入しており、関東近辺の人であれば1本300円くらいのお手軽な値段で購入が可能だ。

 むろん、カロリーは多い。けれど、さすがはイタリア人のお菓子というべきか、Balconiのスイートロールケーキは、さわやかな甘みであり、口触りもよくて食べやすい。

 食べ過ぎてはまずいが、ゲーム前にみんなでつつくのならば、問題は少ないと思う。
 なお、このときにはコストコのチーズケーキも食べたのだが、こちらは軍用レーションではないが、実に実直な、“まじめな”味の濃厚なチーズケーキであっ た。ブドウ糖の補給という点では今ひとつかもしれないが、ゲーム脳を防ぐ役目は十分に果たせる。女性漫画家の仕事場にもっていったら、「チーズケーキには ちょっとうるさい」を自認する彼女達がうなったという曰くつきのチーズケーキである。

 ゲーム脳を防ぎ、ゲームを楽しくプレイするためにも、ぜひ軍用レーションのデザートを試してみてはいかがだろう。

 新たなゲーム展開が、皆さんを待っている!

 ……
 …………
 ………………今思ったのだが、これってつまり、単純に皆が疲れて諦めないので、泥沼の戦いが延々と続くだけかもしれんな。ゲームによっては。

 まあでも、ゲームは楽しく遊ぶのが何よりということで――

 今は昔の物語である。