兵站補給とは何だろう?
本書で紹介してある、第一次世界大戦でのアメリカ海兵隊ソープ少佐の言葉がなかなか、洒落た言い回しとなっている。
『戦争を演劇にたとえれば、戦略は脚本で、戦術は役者の演技、ロジスティクスは舞台管理、舞台装置、舞台の維持である』(P18)
太平洋戦争において、日本軍は最終的に、『舞台管理、舞台装置、舞台の維持』に失敗して敗北している。
本書では、この日本軍の失敗が、何に帰因しているのか、について、平時における日本軍の兵站補給の体制作りから、実際の運用に至るまでを丁寧に追っている。
本書を読んだ上での私なりの理解としては、次のようになる。
まず、日本軍の兵站補給は、平時における法制度や組織の準備がきちんと行われており、『軽視』は当てはまらない。
だが、平時においては日本の持つ国力の限界から、どこを優先してどこを後に回すか、という判断が成されており、兵站補給は出来るだけ、平時には小さい組織と人材で回し、戦時には必要とされる動員を行いつつを、不足分を民間人の徴用や、民間組織の利用で補うという仕組みとなっていた。
この仕組みは、日清と日露というふたつの戦争を教訓として、それなりに当時の日本の国力としては、まともなものだった。
それが歪み始めたのは、戦前の日本の他のこととも関係するが、中国との戦争の始まりと、その長期化である。
日華事変の前、日本陸軍は17個師団を有していた。陸軍の兵站補給の諸制度や人員・予算も、この17個師団を戦わせることを前提として作られている。
中国との戦争がなし崩しに拡大し、止めどころを失ってから4年。太平洋戦争の直前には、これが51個師団に3倍増している。
そして太平洋戦争の間に、戦争末期の本土防衛の動員も含めると、120個師団が増設されている。もちろん、陸軍の臨時予算も増額されてはいるが、どう見ても兵員の増加分には達していない。
太平洋戦争における日本の兵站補給は、まず、軍の規模の拡大に追いついていない。末期の動員になればなるほど、武器も弾も装備も何もなく、すでに30代40代になっているおっさんまでが徴兵されているわけだから「この戦争はもうだめじゃろ」と感じた国民が多くいたのは当然である。
では、兵站補給において、まったく打つ手がなかったのか、と言われるとそうではない。
合理的に考えれば、動員しても使えない軍隊を増やすよりは、戦線を縮小して兵站補給の負担を軽減し、その余力でもって、より機動的でアメリカにとって「いやらしい」戦い方は可能であったろう。
実際、太平洋戦争序盤のマレー半島におけるマレー電撃戦が本書では日本の兵站補給が成功した事例として紹介されている。ここでは、日本軍は自動車化された補給部隊を重点配備した第25軍でもって、電撃戦を成功させ、その兵站補給も無事にこなしている。
しかし、戦争の半ば以後、日本軍が主導権を失ってからは、広げすぎた戦線の整理も追いつかず、それどころか、戦局の打開がアメリカ相手には不可能となったので中国戦線での攻勢を行うようになったりと、人が負けが込んでいる時にやらかす迷走ぶりだけが目立つようになる。
打開策のない状況に追いつめられると人間というのは、「どうせ」とか「いっそ」とかの自暴自棄な精神になりやすく、この精神状態では、ロジスティクスはうまく機能しない。
ロジスティクスの語源は「計算術」である。兵站補給を考えるには、定量化して、数字にする必要がある。さらに言えば、数字に「従う」必要がある。ダメなものは、ダメなのである。無理なものは、どうやっても無理なのだ。出来ることにするため、数字の方をいじりはじめてはいかんのである。
だがダメだ、無理だ、という声を人や組織が聞き入れるには、未来への展望や、希望が必要となる。
展望や希望がないのに、ダメだ、無理だと数字を持ち出されては、「なら対案を出せ」「んなものあるかボケ」的な感じで売り言葉に買い言葉となってゆき、「お前の言うことが正しかろうが聞いてやらん」という状態になってしまう。
数字や正論で相手をへこますだけでは意味がない。
その上で、より良い未来を提示することが出来て、人も組織も動かせるのである。
そういう意味ではやはり――
アメリカもイギリスも中国も敵に回して戦争している状態で、より良い未来を提示しろ、というのは、かなり難易度が高かったようにも思う。
著者の林譲治さんは、あとがきで、このテーマではまだまだ扱うべき題材が多くあると述べられておられる。しかし、本書は日本軍の兵站補給の組織がどのようなもので、どう動いていたかを含め、たいへん分かりやすく、網羅的に知ることができる。また、導入部で兵站補給を「地区の野球大会を開催することになった」という日常的で身近な例で例えられており、こうして点でも初心者にも分かりやすい良書である。
兵站補給についてちょっと勉強してみようかしら、くらいの軽い気持ちでも十分に楽しめると思うので、是非、多くの人に読んでいただきたい。