もうかれこれ二十年ほども前の話になる。
陰暦四月の初め、父と共に僕は丹沢山中にわけいり、頂を目指していた。春霞む卯月の頃と言っても桜並木に花は無く、見渡す限り芽吹いたばかりの葉が淡く緑色に茂っていた。
山頂も間近となり、ふと視界が開けた頃、突然生暖かい風が吹き抜けたかと思うと中天より桜の花びらが舞い落ち、あれよという間に僕と父は桜吹雪に見舞われた。周囲に桜の花などないというのに、である。
僕はなんとも言い表しがたい気分を抱いたが、口には出さず、父もまた無言で歩き続けた。
後に山頂にたどり着いてみると、そこには未だ桜が咲いており、なるほど先の花吹雪は山頂の桜の花が風に乗って舞い降りたものかと合点した。思うに、世に言う「狐に化かされる」とはこういうことだったのではなかろうか。
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