魔法工学者 ―― Who am I?
「あなたは何者なのか?」
と聞かれたら、ぼくは何と答えるべきだろう?
もちろんぼくは魔法使いで魔法学者だが、「何の」魔法学者なのかと言われるとちょっと言いよどんでしまう。
若い魔法使いの多くは、実践的な魔法よりも先に、まず魔法の基礎理論を学ぶ。そうしないと、思春期に重大な魔法の暴走を引き起こして二度と魔法の使えない身体になってしまうことが多いからだ。
「師匠は理論ばかりで何も魔法を教えてくれない」
というのは光の魔術師なら誰でも一度はこぼしたことのある愚痴。
若くてやる気のある、真面目な魔法使いの多くは、そうした下積み時代から『The Scroll』などの査読つき論文誌に論文を書いて投稿することになる。魔法学会では、魔法理論の基礎研究というと若者のやること、という風潮があって、実際に十代の魔法使いが『The Scroll』に名を連ねることもそんなに珍しくはない。ぼく自身、論文の投稿を始めたのはまだ二十歳になる前のことで、21歳の時に最初の編集長賞を取った。
そういう意味では、ぼくの実績から言えばぼくは「理論魔法学者(Theoretical Magician)」ということになる。3つ目の編集長賞は言語翻訳術で取ったので、「人類魔法学者(Anthropomancer)」とか「神経魔法学者(Neuromancer)」を加えても良いかもしれない。
でも、ぼく自身は、ぼくの本分は魔法工学者(Technomancer)だと思っている。少なくとも、ぼくはそのつもりでいる。
『The Multi-booting Photo-scripted magical circuit spread.』(多段起動光学式魔術反応路、展開)
淡々とした女性の声が術式の手順を読み上げる。大規模術式ではいちいち術式の手順を読み上げていると喉が嗄れてしまうので、あらかじめ吹き込んでおいた音声を呼び出して代用するのが主流だ。自分で声を吹き込む者もいれば、フリーの音声素材を使う者もいる。 ぼくの場合は市販のソフトを使ったもので、プロの声優が術式を読み上げる声が耳に心地よい。
『Neural Magic Interface, linked up.』(神経魔法接続、確立)
緑色の無数の歯車が虚空に浮かび上がり、積み上がり、組み合わさる。それらは無秩序を装いながら、全体としてはひとつのリズムを刻みながら回転していく。
チキチキチキ。
チッ、チッ、チッ。
カシャン、カシャン、カシャ。
ぼくの頭の周囲に浮かぶ歯車の一部から、稲妻のような光が飛び出し、脳を刺激する。
『Synaptic Signaling Processes, interrupted.』(神経信号への割込開始)
ぼくは人類が積み上げてきた知識や技術の結晶を集めるのが好きだ。手のひらの上で動く小さな機械や、腹の底まで響くような音を立てて回転するエンジンを一日中眺めていても飽きない。分子のひとつひとつまで緻密に計算されて配置された設計図に、畏怖に似た憧憬を感じずにはいられない。そしてそれを、自分の魔法で真似るのを止められない。
たとえ文明かぶれの人形遣いと誹られようとも。
『Level V Sacrification fulfilled.』(供犠による世界支配、第五章終了)
遺憾ながら、魔法工学者の地位はあまり高いとは言えない。基礎理論に比べると研究者の数は少なく、ぼくでも簡単になにがしかの分野で第一人者になれる。こんなことを言えば不快に思う魔法使いは多いだろうが、普通の――魔法使いとは関係のない――学会と比べればまだまだ発展途上であり、ぼくらは学会の真似事をしているに過ぎない。
それでも。
それでもなお、最先端の技術よりさらに先の世界を見たいと欲するならば、魔法工学者になるより他ない。
『The Molecular Structure Reconstruction Programs, started.』(分子構造制御術式、開始)
ぼくのLast Magicは、ぼくが構造を把握している機械を復元できる、というものだ。すべての部品はその場にあるものを使って創り出される。その場にない素材は何らかの手段で代替される。その部分だけ空白にしておいたり、同じ効果を持つ魔法で代用することも可能だ。その他、ありとあらゆる手段を駆使して補われ、組み替えられ、強引に実現させることができる。
細かいパーツを再現するためには、ぼくがその設計図をすべて記憶していなければならない。この魔法はぼくの脳に直接アクセスして、記憶を引きずり出す。その間、ぼくの脳はてんかんの症状に似たオーバーロードを起こし、意識は真っ白に焼き付く。もちろん途中の記憶などは残らない(この記録は後から想像で補完したものだ)。
立っているのも困難なのだが、神経信号に割り込みをかけて肉体を制御し、姿勢を維持する魔法が組み込んである。それでも本来はマウスピースで歯を保護したり、椅子に身体を固定したりする必要があるのだけど、今回は省略した。たぶん、大きな事故にはならないはずだ。
笑いながら自分の脳や神経をいじくり回せるのが、現代の魔法使いの一番度しがたいところかも知れない。ぼくらに良心の呵責があったとしても、ぼくらはその良心自体を好きなときに取り外すことができる。本当にやるかどうかは別として。
まあ、良心の痛みに耐えかねて自分の記憶を改ざんした挙げ句、『自分は誰かに精神を乗っ取られている』という妄想に取り憑かれて自ら死を選んだ魔法使いの話はたまに聞く。いつかぼくもそんなことになるかも知れない。
『Brainscanning completed, The Middle Circle engaging.』(記憶読み出し完了、中陣接続)
ぼくの記憶から設計図を読み出す作業が終わり、ぼんやりと意識が戻ってくる。次に行うのは設計図の通りにパーツを創り出す作業だ。
今、ぼくが創ろうとしているのは「ロータス・セブン」と呼ばれた往年のスポーツカー。ユーザーが自分のガレージで組み立てられるキットカーとして売り出されたもので、部品点数が少なく現代の車に比べれば構造も単純。設計図を手に入れるのも簡単だったので重宝している。
砂から長石をより分けてアルミを精錬し、エンジンにする。砂鉄を集めれば車軸とサスペンションくらいなら鋼鉄が使える。
魔力を節約するため、セブンの流麗なチューブラー・フレームの大部分はセラミックで妥協するしかない。タイヤには石油から合成したブタジエンゴム、シートにはポリウレタンを使う。問題はエンジンの点火プラグだが、食糧袋に入っていた銅貨を潰して使うことにした。たぶん何かの法に触れるはずだが知ったことか。鉛は確保するのが難しいので、バッテリーの代わりにアルミ電池を使う。充電はできないが、いざとなれば魔法で直接点火すればいい。
『Assembling started, The Outer Circle turns over.』 (組み立て開始、外陣反転)
その後、エンジンの燃焼テストやらフレームの強度テストやら、面倒くさいが心楽しい過程を無事に通過。最後に石油から精製されたガソリンがタンクに注入され、オイルの匂いもかぐわしく、ぼくの新しい恋人に命が吹き込まれる。
『Programs have normally ended.』 (術式正常終了)
「テストドライブと行こうか。マイ・フェア・レディ」
元の世界への郷愁を誘う排気ガスの匂いを振り切って、ぼくはアクセルを踏み込んだ。
『月の沙漠』を口ずさみながら、月明かりに照らされた砂漠を征く。せっかくのスポーツカーなのだから飛ばしたいのはやまやまだが、車体が軽いセブンでそんなことをしたら激しく上下に揺さぶられてサスペンションが保たない(尻が痛いどころの騒ぎじゃなく)。時速30キロくらいに留め、安全運転を心がける。
せめて視界を確保するためにヘッドライトを照らしたいのだが、長時間照らすにはフィラメントにタングステンなどの融点の高いレアメタルが必要になる。当然そんな持ち合わせはないので、ごく短時間しか照らせない仕様になっている。ここぞという時にだけ使うことにして、今のところは魔法で強化した視力だけを頼りにゆっくりと進むしかない。
結局、アルファくんたちから奪った魔力はほとんど使い果たしてしまった。残った魔力をつぎ込んで細胞賦活術を使い、疲労と眠気を取り除く。疲労がスッキリポンと取れるのでこの術を別の名前で呼ぶ魔法使いもいるが、一応依存性はないことになっている。長期的影響になるとちょっと分からない。
ロータス・セブンを運転しながら、魔力感知術を東と西の両方に放つ。西はエルランが去った方、東はアルファくんたちが引き返した方だ。
見渡す限り砂ばかりと思っていたが、ちょっと車を走らせるとすぐに乾いた土ばかりの荒れた地面と、ウニのような鋭い葉を持つ植物が目立つようになった。オーストラリアのほとんどはこうした土砂漠で、砂の砂漠はごく一部だったことを思い出した。
ぼくの記憶が確かなら、オーストラリア中央部のシンプソン砂漠が砂丘の名所として知られていたはずだ。試しに、時間旅行はしていない前提で緯度を測ってみると、南緯25度30分前後とおおむねそれっぽい数字になった。まあ、1度や2度ずれたところで「オーストラリアの真ん中ら辺」というのは変わらない訳だが……。
思い返してみると、ぼくは転移術式の“安全装置”として、上空に放り出された時はなるべく下が砂地の開けた場所を選んで落下するように設定していた。とすれば、わざわざ砂ばかりのところに落ちたのは安全装置が上手く働いたおかげだと言える。転移直後の記憶が曖昧なのは、おそらく転移の瞬間から着地するまでのどこかで脳震とうを起こしたせいだろう。むしろ、よくそれで済んだものだ。
西南西、約12キロの地点にエルランの反応を確認。試運転を切り上げてそちらに向かうことにする。アルファくんたちは順調に東北東へ移動中。当分、こちらに戻ってくるようなことはなさそう。それよりエルランの反応が動かないことの方が気になる。休んでいるだけなら良いが、急いだ方がよさそうだ。
原油混じりの泥水から水を精製して水袋に詰める。もったいない気もするが、油井は埋め戻しておく。魔法を使った痕跡を残していく訳にはいかない。僅かな荷物を車に載せ、西南西へ。
30分とかからず、エルランの反応があった地点の手前までやってきた。うっかり轢かないように車を停め、魔法で強化された目を凝らすが、すぐには見つからない。ヘッドライトを点けると、ようやく前方に半ば砂に埋もれた白い影が見つかった。
「エルラン!」
車を降り、念のためエアピストルを片手に駆け寄る。彼女の愛馬、イスカンダル号の姿は見えない。たぶん、彼女は最後の手を打ったのだ。
「エルラン!」
呼びかけながら、ゆっくりと横向きに寝かせる。呼吸はあるがやや浅いか。衣服は冷たく濡れていた。顔を叩くとうっすらと目を開ける。指先を強く押さえて痛みを与えると、うめきながら手を引っ込めようとした。GCS(グラスゴー・コーマ・スケール)10点。魔法でごく簡単な検査を行い、脳出血などの可能性をまず取り除く。血液検査の結果、高ナトリウム血症(いわゆる脱水症状)と判断する。
マグカップを吸い口の形に変形させて水を飲ませる。彼女がどんな持病やアレルギーを持っているかまでは診断できないので、点滴はしない。代わりにごく弱い細胞賦活術をかけて、彼女の弱った内臓が水分を吸収しやすいように助けてやる。ついでに体温を調節する術も。
少し呼吸が苦しそうだったので、襟のボタンを外してやると、サラシのようなもので胸を圧迫しているのが目に入った。半ば無意識の行動でサラシを緩めると、「ふわっ」という感じで押さえつけられていた何かが解放されるのが分かった。
あっ。お嬢さん、結構いいものをお持ちですね。
……などと愚にもつかないことが頭を過ぎったが、落ち着いて考えてみると、これはあれだ、未婚女性はみだりに男を誘惑する格好をしてはならないとか、そういう文化的なアレではなかろうか。だとするとヤッチャッタ案件じゃないのかなコレ。
内心冷や汗をかきながらともかくも一通りの処置を済ませると、ヘッドライトの明かりが消えた。フィラメントが焼き切れたようだ。
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