【映画感想】劇場版gdgd妖精s

注意

この記事には、映画「gdgd妖精s」のネタバレ、および批判が含まれます。

作品概要

  • 監督:菅原そうた
  • 主演:三森すずこ、水原薫、明坂聡美
  • 公式サイト:http://gdgdfairy.com/movie/
  • ジャンル:ナンセンス・ギャグ
  • キーワード:笑える、楽しい、かわいい

gdgd妖精sとは

 テレビアニメ「gdgd妖精s」がアニメ界に与えた衝撃は凄まじかった。
 全体が3Dアニメで制作されていることはもちろん、その中心になるのはMikuMikuDanceというフリーウェアだ。
 言うまでもなく、超低予算である。キャストは3人、動画スタッフもごく少数。
 15分で視聴者を笑わせてきっちり終わらせる、連続短編アニメという形式にひとつの回答を出した、ある意味歴史的な作品だ。

 さて、本作はそんなgdgd妖精sの劇場版だ。
 放送時間はおよそ80分。うち15分ほどは同時上映の新作アニメ「なりヒロwww」が放映されるので、差し引き65分。
 普通の作品なら短いぐらいだが、何せ「gdgd妖精s」はもともと15分という枠のアニメ。
 テレビ版なら4回から5回分に相当する長丁場だ。
 果たしてその時間を、どのように活用するのかという期待を持って見に行った。

あらすじ

 ピクピク(声:三森すずこ)、シルシル(声:水原薫)、コロコロ(声:明坂聡美)は仲の良い森の妖精。
 いつものように森のお茶会でくだらない話をしたり、「メンタルとタイムのルーム」で魔法を使って遊んだりしていた。
 ところがある夜、シルシルは夢の中で恐ろしい呪いをかけられたと告げられる。
 シルシルはふたりに心配をかけまいと、ひとりで呪いを解く宝があるという「グンマー国」に向かう。
 ピクピクとコロコロもまた、彼女を追う。
 はたして、呪いを解くことはできるのか……。

 というのが大まかなストーリーだ。
 こう聞かされれば、テレビアニメを見ていた視聴者はこう思うだろう。
「……という真面目な話を前振りにして、ボケ倒すっていう映画なんだろう」
 本編でやっていたことを期待するなら、もちろんそれが自然な流れだ。
 だが、これはこのストーリーの通りの映画だ。

 驚かないで聞いて欲しい。
 シルシルは本当にふたりに迷惑をかけたくないと思ってるし、コロコロもシルシルとの友情に駆られて危険に飛びこんでいく。
 テレビ版で見られたような、ピクちゃんがなんとか話を進めようとしているのに、二人が引っかき回してぜんぜん話が進まない、という展開はない。
 そんな映画ではないのだ。

 いいところもある。
 たとえば、本職の声優かと思うぐらいアフレコがうまいでんぱ組.incとか。
 ピクちゃんよりアドリブがきくでんぱ組.incとか。
 もちろん、でんぱ組.incが歌う主題歌も世界観にばっちり合っている。
 なぜかこの映画、良いところがでんぱ組.incに集中している。
 理由は後に回そう。

異界訪問譚として

 本作は、大まかに言って異界訪問譚になっている。
 テレビアニメでは、森の中だけが舞台になっていた(例外はあるが)。その妖精たちが別の世界、グンマー国に行き、再び森に戻ってくるまでを描いているわけだ。
 いつもの場所を飛び出すことでスケールも広がるし、本編とは関わりのない話として楽しむことができるから、「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」をはじめ、アニメの劇場作品にはよく見られる形式だ。

 監督の菅原そうた氏は、テレビアニメ一期では映像監督、二期では監督を務めた作品の中心人物だ。
 当然、この構成にも狙いがあって選択したはずだ。
 それは何かと言えば、おそらくgdgd妖精sという作品が広げてきた世界を「還元する」ということだろう。

 テレビアニメ本編にあった「アフレ湖」というコーナーでは、妖精たちが「別の世界の景色を見て、それに勝手に声を当てる」という遊びをする。
 グンマー国は、そのアフレ湖に映し出されていた世界のひとつなのである。
 だから、本来なら妖精たちにとって「別の世界」だったアレやコレが同じ画面に登場する。
 また、「メンタルとタイムのルーム」のコーナーで魔法を使って遊んでいた内容が、後半のあるシーンで重要な役割を果たすことになる。
 今まで妖精たちが、そして視聴者が遊びとして消費していたはずのものから手痛い反撃をくらうという形になっているのだ。これは、シルシルが呪いを受けるシーンではっきりと示されている。

 遊んでばかりいた妖精たちが、おふざけではないリアルな局面に向き合ったとき、彼女らが何によってそのトラブルを解決するのか……というのが、本作のストーリーラインになっている。

 ネタバレしてしまうと、それは三人の友情である。

 三人が互いを思い合う気持ちが話を進める原動力にもなるし、問題解決の手段にもなる。
 が、これははっきり言って悪手だ。
 普段のテレビアニメとはまったく違う、その延長線上にはとても見られないストーリーを見せられると、さすがに興ざめしてしまう。

 異界訪問譚である以上は、テレビアニメ版を踏まえた作品を描くべきだ。
 異界側から見れば、やってきた妖精たちの方こそ異物であり、その中だけでは解決できない問題を、彼女らが持ってきたものによって解決するべきだ。
 たとえば、劇場版クレヨンしんちゃんでは多くの場合、野原家の家族の絆がトラブル解決のキーになる。「プリキュア」シリーズなら、プリキュア自身が異世界からやってきた問題の解決装置として作用する。
 その役割を妖精に与えるなら、「友情」が相応しいと、菅原監督は判断したのだろう。

妖精sの友情について

 でも、果たしてそうだろうか?
 妖精たちにだって、もちろん友情はあるだろう。
 でも、その友情って本当に「こういう」ものだっただろうか。
 シルシルが決死の特攻をしたり、コロコロが「二人との友情を大事にしたい」と言い出すような、そんな直接的な友情を、この作品は描いてきたのか、もう一度考え直して欲しい。

 ここであらためて、「森のお茶会」の大まかな流れを振り返ってみよう。
 妖精のうち誰かが、何かに悩んでいる。眠いとか、遅刻するとか、本当にくだらない悩みだ。
 いろいろ話していると、やがて物事にこだわらない性格のシルシルは話を脱線させはじめる。ピクピクをからかうほうが楽しくなったり、まったく別のことに興味が行ってしまうのだ。
 ピクピクはなんとかシルシルにツッコんで話を戻そうとするが、コロコロの突拍子もないボケも始まったりして、話はどんどんおかしくなってる。
 最後にはたいてい、コロコロが話を台無しにするような一言を言って、お茶会は終わる。

 さて、この流れの中で、重要なことがふたつある。

gdgdであること

 ひとつは、この状態こそ「gdgd」だということだ。
 作品のタイトルにもなっている「gdgd」は、こののんびりしているようでボケをどんどん重ねていくことを指している。
 このとき、gdgdにはふたつの意味があると言える。
 第一に、「話が進まない」ということ。
 第二に、「ボケがエスカレートしていく」ということだ。
 前には進まないのに、ボケだけは肥大化して、どんどん収集がつかなくなっていく。
 結果的に、元の話がなんなのか分からないぐらい、とっちらかった結末を迎える……という、この状態こそが「gdgd」の真の意味といえる。

実は問題解決をしている

 もう一つの重要なポイントは、実はこの無駄な会話が、問題解決のプロセスになっているということだ。
 最初に何らかの悩みを持っていたはずなのに、話をしているうちにだんだん話が「gdgd」になっていって、気づけば何に悩んでいたのかもよく分からなくなってくる。
 コロコロが最後に台無しにすることによって、「最初から悩みなんかなかった」という状態に帰結するのである。
 その問題の解決、というより昇華が、gdgdにおける「オチ」なのだ。

 アフレ湖やメンタルとタイムのルームも、基本的にはこの構造からはみ出してはいない。
 もちろん、あれは「遊び」だから、最初から本当の意味でのトラブルなどないのだ。

まとめ

 おわかり頂けただろうか。
 妖精たちの友情は、つまり誰かが困っているとき、全力で助けてあげるという、そんな前向きでアッパーな性質のものではない。
(彼女らがお互いに別の私生活を持っていることからもそれは類推できる)
 むしろ、困ったときにはお互い干渉しないけど、悩みを聞くぐらいはする、それを茶化して笑い合ったりもするという、非常にゆるやかでのんびりした友情なのだ。
 そんな彼女らに対して、本当に本当のトラブルがやってくるというのは、いかにも「空気が読めていない」。

 シルシルは自分の遅刻癖について話しているはずなのに、だんだんそれがどうでもよくなってくる。
 やがて、「遅刻なんて最初から問題ではなかった」という風になってくる。
 劇場版で発生するトラブルも、これと同じように解決すべきだったのだ。つまり、問題なんか最初からなくて、それを妖精たちが笑って終わる、という、そんな展開こそ見たかったものだ。

 今作にも、それを目指そうとした形跡はあるにはある。
 ただ、「一回真面目にやっちゃってから言い訳されても……」というようなタイミングでのものなので、あまりフォローになっていない。
 一期の脚本担当の石ダテコー太郎氏しかこのキャラで話は作れないのだ、とは思いたくないのだが……。
 エンディング後の演出であんなことを言うなら、作品本来の面白さをもう一度突き詰めるところからはじめて欲しい。

 そうそう、なぜでんぱ組.incの登場シーンだけが面白いのかというと、彼女らだけが「gdgd」的なことをしているからだ。
 話は前に進めない。ボケはエスカレートする。これぞgdgdだ。
 なお、コール&レスポンスや、映像作品として成立しそうな登場シーンなど、映画として「楽しい」ポイントもでんぱ組のシーンに集中している。
 ここだけは、あまりネタバレをしたくないので、劇場で確かめて欲しい。

 鑑賞後、テレビアニメ版BDが欲しくなった。
 テレビアニメ版が、いかに優れた作品であったかが見直せるという意味では、見る価値がある。

 

追記

 あまり重要ではないシーンで「魔法少女まどか☆マギカ」のパロディがある。
 声を大にして言いたいが、パロディをするなら「新編 叛逆の物語」からパロってくるべきだ。でなければ劇場版でやる意味がない。
 いつ他の映画のパロディがあるのかと思っていたのに、それらしいものが見られなかったことには純粋にがっかりだ。

追記の追記

 「なりヒロwww」は本当に面白くなかった。
 アドリブもないし、笑いどころもよく分からない。
 最初は「待ち合わせ」をしていたはずなのに、3人揃ったら普通に家に帰るだけというのは、脚本が破綻してないだろうか。
 こんな短い作品でいきなりそんなあらの目立つことをされたら、さすがにテレビアニメ版を楽しみにしようという気にはなれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)