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魔機復元04

脳と心の相関地図 ――Brain-mapping

 賢明なる読者諸兄は先刻承知と思うが、現代の魔法の多くは「科学技術の後追い」である。すでに原理の解明されたものを魔法で再現しているに過ぎない。燃料を使う代わりに魔力を使っているだけで、そこに不思議なことは何もない。しかし、いくつかの部分では科学よりも魔法の方が進んでいる分野もある。

 そのひとつが、ブレインマッピング――脳と心の相関地図だ。

 ぼくら魔法使いは、他人が考えていることを魔法で読み取ったり、別の他人に送信したりすることができる。脳のどこをどう刺激すれば任意のイメージを発生させられるのかについて詳細なデータを持っているのだ。「心象マトリックス」と呼ばれるこのデータベースを作った魔法使いは「イーグル」を取った。
 そのデータを得るために、一体どれだけの被験者がどんな扱いを受けたのかは分からない。論文には「被験者中100名の脳に対し所定のアルゴリズムに基づく刺激を繰り返し与え続け、神経細胞の反応を記録した」とあるだけで、被験者の総数がいくつだったのか、彼らが日常に復帰できたのかどうかは不明なままだ。しかし、ぼくはそのデータを使うことに良心の呵責を覚えたりはしない。魔法使いというのはそういう生き物だ。

 ぼくの言語翻訳術式には心象マトリックスを最大限に活用して、相手の脳裏に浮かんだイメージと、それに対応して発火している言語中枢のニューロンを読み取る術式を組み込んである。例えば、ぼくが猫の絵を相手に見せると、相手の脳のなかでは「猫」や「かわいい」といった言葉も同時に浮かんでいる。それを魔法で読み取ることで、言語翻訳術の精度を大幅に上げることができるし、未知の言語に対する受け答えも可能になる。
 いわばこのモードは、言語翻訳術を作るための開発モードみたいなものだ。ぼくの術式をコピーして使っているだけの人は気づいていないかも知れない。

 ところで、相手の頭の中を勝手に覗くのは重大な人権蹂躙である。いまさら何を言うのかと思うだろうが、魔法使いにとってはちょっとした問題がある。
 通常、人間は魔法に対する生来の抵抗力を持っていて、本人が意識しなくてもあらゆる魔法に対して抵抗している。ちょうど、人間の身体が病気に効く薬に対しても抗体を作ってしまうように。
 言語翻訳術のような魔力消費は少ない割りに繊細で複雑な術式になると、生体抵抗の影響は無視できない。薬の量を増やすのと同じように、魔力を盛れば抵抗をねじ伏せられるけど、当然の帰結として術式の精度が悪くなる。

 もちろん対策はある。長い長い魔法使いの歴史は、生体抵抗との戦いの歴史でもある。FGシンプルが世に出る前から知られる「契約法」がそれだ。
 近代魔法史以前からある「契約法」は、単純に言えば詐欺の手口だ。魔法使いを信用している相手は、生体抵抗も弱まることが分かっている。被術者を騙して信用させ、魔法使いの言葉に「はい」と言わせるだけで、たいていの魔法はかけることができる。
 これを読んでいる君がもし魔法使いに何か同意を求められたら、決して「はい」と言ってはならない。「いいえ」とも言わない方がいい。「ぼくに同意しないということですか?」くらいの引っ掛けは常套手段だからだ。

 ぼくがうろんなことを考えている間に、娘さんはぺちゃんこの水袋をぼくに指し示して来た。何を言っているのかは分からないが「水を分けて下さい」と言っているのは分かる。素晴らしい。渡りに船とはことのことだ。
 ぼくは和やかに笑顔を浮かべて(付き合っていた彼女からは「人畜無害そうだけど女性受けはしない笑顔」と評されたことがある)、井戸(仮)に歩み寄った。娘さんも特に警戒せずに着いてくる。
 井戸(仮)の中のマグカップには、水がなみなみと溜まっていた。

 ぼくがマグカップを取りだして、彼女の手に持たせると、途端に彼女は慌て始めた。

 魔法使いから何かモノを受け取るのは、魔法使いに同意するよりも強く「契約法」の影響を受ける。彼女に言語翻訳術の裏モードの効果を与えるのは実に簡単だった。たぶん、彼女は魔法使いに対抗する方法を心得ていない。以下、「()」でくくられた台詞は現地語を日本語に翻訳したものだ。

「(これは、あなたが必要とする水でしょうか?)」

 よし、成功。もう一歩意訳するなら「これはあなたの分の水なのでは?」だろうか。
 人間が何かを話そうとする時、脳の中では「相手の反応」を勝手に予想して、それに対応するニューロンが反応している。言語翻訳術の裏モードでは、この予測反応を検知して、相手がぼくにどんな返答を期待しているかを文章として表示してくれる。それも相手の言語を発音記号に直して、だ。
 実際には、ぼくらが「文章」で思考しているという自覚は少ないと思うが、それでも言語に対応するニューロンはぼくらの思考を「先読みして」反応を始めている。この微弱な反応の差違を翻訳できるようにしたことが、『The Scroll』の選評にも高く評価されていた。

 彼女の思考の中では、「はい」と「いいえ」に類する言葉が揺れている。
「(いいえ)」とぼくは答えた。
 ぼくにも水が必要なのは確かだが、まだ我慢できる。そのうち井戸も完成するはず。時間はぼくの味方だ。
 言葉が通じたと思ったのか、彼女の表情が明るくなった。お礼に相当する言葉を何度も言った後で、はた、と何か思いついたように言った。

「(失礼ですが、この子に与えても構いませんか?)」
 この子、というのは彼女が乗っていた馬のことだ。別に、水をどう使おうと自由だと思うのだが、ぼくが外国人のように見えるので、何か禁忌にあたるのかもしれないと気を遣っているのだろうか。

「(どうぞ)」
 ジェスチャーを交えつつ答える。ふと、なぜ彼女は水袋に水を入れてしまわないのだろうかと気になった。
 日は西の地平線の向こうに沈もうとしているが、彼女がまだ日の高い時間から、灼熱の砂漠を駆けてきたのは疑いようがない。それなのに水袋が空っぽというのは、砂漠の過酷さを舐めていたのだろうか。

 そうではあるまい。

 馬に乗り慣れている様子からして、彼女は何度も砂漠を渡ったことがあるのだろうし、そういう民族の出身だと思われる。水が足りなくなるのを承知で、彼女は砂漠を渡ったのだ。たぶん、時間は彼女の敵なのだろう。
 よく見れば、砂漠を渡ってきたにしては、馬はそこそこ元気なように見える。典型的なアラブ種の、小柄だがよく鍛えられた馬体。
 不意に、ある閃きが衝撃を伴ってぼくの背中を駆け抜ける。

 彼女は、自分が飲むべき水や食糧をすべて馬に与えてここまで来たのではないだろうか。

 持っていた水袋を馬の背に戻して、彼女はマグカップの水を慎重に掌にこぼしながら、馬に舐め取らせていく。馬の方でも主人の意を汲んだたのか、マグカップの方は舐めようとしない。マグカップが空になるまで、彼女はじっと、そうしていた。
 この砂漠の真ん中で、わずかに与えられた水をすっかり馬に飲ませてしまうからには、彼女には自分の命よりも優先するべき使命があるのだろう。使命を果たすために、たとえ身体がどれほど水を欲していたとしても、馬の体力を維持することを選ぶ。水袋に入れないのは、自分が意識を失った時、馬に与えられなくなるから。
 それが、彼女自身も生き残る唯一の道なのだと、彼女は信じている。断固たる意志がそこにある。

 ああ、美しい。

「(おいしかった? よかったね)」
 最後に濡れた手で馬のたてがみを梳いてやりながら、彼女は忠実なる従者にそう呼びかけた。馬は主人の顔に鼻先を寄せながら、彼女の身体を案じているようにさえ見えた。

 見た目の美しさなどに、魔法使いは心を動かされない。たとえ目の前で全裸の美女が腰をくねらせていたとしても、ぼくは眉ひとつ動かさずにいられるし、そういう訓練を積んでいる。色仕掛けに迷うなどというのは、魔法使いにとって何より不名誉なことだ。
 だからこそ、ぼくらは純粋な意志と、その意志によって為される行いをこそ美しいと感じる。己の死を間近に見つめながら、最後の最後まで諦めないという意志と勇気に、最大の敬意を措いている。

 そう、ぼくらを跪かせるのは、いつだって正直者の真心なのだ。
 おとぎ話の時代から、ずっと。

「(ここで、何をしているんですか?)」

 ぼくにマグカップを返した後で、彼女は当然の疑問を口にした。彼女の予想する回答の中に「人を待っている」があったので、ぼくは井戸(仮)を指さしながら「人」を「水」に変えて答えた。

「(ここで水を待っている)」

 嘘はついていないが、ぼくが井戸掘りの魔法を使っていることは彼女には分からないだろう。彼女は半信半疑の様子で聞き返す。
「(待っていれば水が湧くんですか?)」
 ぼくは頷いた。すると、彼女はまじまじとぼくの顔を見つめて来た。そして、ひとりで何か納得したかのように言った。

「(あなたは、砂漠の賢者ですね)」

『砂漠の賢者』というのは、身ひとつで砂漠に放り出されても生きていた神話上の英雄とか、宗教上の指導者みたいなものを指すらしい。彼女のイメージから先住民神話っぽいニュアンスが垣間見られ、ぼくの中で文化人類学者としての(より正確には、魔法史研究者としての)魂が首をもたげた。ちなみに、彼女の文化においては、他人とのコミュニケーションに問題を抱えている人間を揶揄する意味合いもあるようだった。
 あまり積極的には反論できないので黙っていると、彼女はそれを「答えないのが答え」と受け取ったらしい。

 そこからしばらくの間、彼女の頭の中で様々な単語が浮かんでは消えて行った。プライバシーの侵害を承知の上で、ぼくはそれらの単語を組み合わせて文章を作るパズルを楽しんだ。
 彼女は何らかの使命のために先を急がねばならないが、ぼくをここに放置していっていいのかどうか、葛藤があるようだ。彼女には追っ手がかかっていて、ぼくが巻き込まれないかどうかを心配していた。
 しかし、彼女がぼくを連れて行くのは無理だ。共倒れになるだけだろう。ぼくとしても井戸(仮)から離れたくはない。ぼくだってそろそろ限界だ。
 少しして、彼女は「追っ手と言えども砂漠の賢者に手荒な真似はしないだろう」と自分を納得させることにしたらしい。たぶんそれは幻想だと思うけど、彼女を責める気は毛頭ない。それよりも、彼女の思考の中に2つの重大な点があった。

 ひとつ。彼女の思考の中に工業製品らしいものはひとつも現れなかった(ちなみに、ぼくが持っているタブレットに反応した単語は「石板」だった)
 ふたつ。彼女は「カウバ」という名の街を目指しているらしい。

 ぼくはその単語に心当たりがあった。

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