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魔機復元03

既知の言語に該当なし ――No data in a known language.

 さて、タブレットの表示を見ると、井戸の方はまだ時間がかかるようだ。既に夜を越す算段はついているので、次はもうちょっと快適に過ごす方法を考えよう。
 まず、簡単な魔力感知術式を組む。たいていの生き物は強い魔力を帯びているので、生き物が動くとその周囲にさざなみのような魔力の波紋が生まれる。この魔力の波を計測する術式を複数の箇所に置いて、三角法を用いれば対象までの方向と距離が分かる。まあもちろん、面倒な計算はタブレットにやらせるけど。

 魔力感知術式がぼくの魔力に反応するのを確認してから、ぼくを除外して検出するように設定する。これで、毒蛇やサソリのような小動物が近づいて来ても分かるはず。

 ちなみに、人間にも魔力は備わっている。健康な成人男性でおよそ1千基数程度。女性の場合はもう少し多くて1200基数くらい。体重1キロあたりの魔力量では、地球上に存在する生物の中で人間が最も密度が高い。おおむね食物連鎖の上位に位置するほど魔力密度が高いことが知られている。なお、一頭あたりの生体魔力が一番多いのはシロナガスクジラ。
 これ豆知識。

 生体魔力は生命の恒常性を維持するために使われていて、あまり大きく失うと健康を損なう。だいたい、基礎魔力の10%までなら失っても問題ないが、20%以上失うと体調に影響が出始める。50%を割り込むと生命維持に支障を来し、死に至る。
 もちろんぼくは転移術式のために20%ぎりぎりまでつぎ込んでしまったので、他に回す余裕はまったくない。生体魔力は普通にしていれば自然回復するが、それは今タブレットの電力を維持するのに使われてしまっている。
 意識を失っても構わないのであれば、数百基数の魔力をつぎ込んだ魔法を発動できるけれども、その後ぼくが無事に目を覚ます可能性は極めて低いと考えなければならない。

 魔法使いの多くは、何かあった時のために、自分の最後の魔力をつぎ込む緊急発動魔法を仕込んでいる。普通は家族や弟子に最期の言葉を伝えるために使われるが、自分の研究所を爆破したり、死体を処分するために使うこともある。
 ぼくの場合は、物質透過術式を準備してある。もしもの時は、ぼくの身体(とタブレット)は地面をすり抜けて地球の核に向かって落下する。ぼくの意識がなくなると同時に術式は終了し、ぼくの身体は地中深くに埋め込まれ粉々に砕け散るか、灼熱のマントルに焼かれて骨も残さず灰になる予定だ。
 魔法使いの死に方としてはたぶん上等な方。

 なぜそこまでするのかというと、ぼくが不慮の死を遂げた時、ぼくが身につけている魔法の道具類が誰かに回収されるのを防ぐためだ(今はタブレット以外身につけてないけど)。魔法使いは、自分が死ぬ時に、自分が使った魔法の影響をできる限りなくしてから逝かなければならない。極端な話を言えば、「何でも願いが叶う魔法の指輪」のようなものを、普通の人がうっかり拾ってしまう、みたいな事態は何が何でも避けなければならない。
 実際に、そういう拾いものをした人の話がニュースに出てこないのは、ぼくらがそれだけの覚悟をして身を処してきたから、という訳。

 また話が暗い方向に行ってしまった。
 水でも飲んで気分を変えよう。そろそろ水分補給をしないと危ない。

 太陽は西の地平線にさしかかる頃で、魔力の変換効率も弱まってきたので変換術式を終了する。術の維持に使っていた魔力が少し戻ってくる。これを利用して、粘土を集めて素焼きのマグカップを作った。
 なぜそんな手間をかけるのかというと、まだ井戸の底に薄く水が溜まっているくらいで、手で掬って飲むのも手間だからだ。同じ手間をかけるなら魔法使いらしくやりたい。
 井戸掘り術式を微調整して、カップの中に水が集まるように設定し直す。外から見るとカップの外側を水が駆け上るのが分かってしまうが、まあ誰が見ている訳でもない。
 ……とか考えていたらタブレットから警告音がした。

『接近警報、3時の方向、大型ほ乳類とヒューマノイド』

 目を凝らしてみると、確かに豆粒のような何かがこっちに近づいているのが見える。魔力感知術式の分析によると、どうやら『馬に乗った女性』が一番近い魔力パターンであるらしい。この術式では、対象が外に発散している魔力の大きさを測れるだけで、相手が魔法使いかどうかまでは分からない。魔法がかかっていないことが分かるだけだ。

 少し考えて、魔術光で符丁を送る。いわゆる「SOS」みたいな魔法使い同士の共通符丁で、「事故対応中。当方に敵意なし」を意味する。「不慮の事故であなたの縄張りに入り込みましたが、こちらで対応できます。すぐ出て行きますので、心配は要りません」というニュアンスがある。
 つまり、ぼくはその女性が魔法使いか関係者で、ぼくが突然、その縄張り――領地(domain)とか封土とか呼ばれる――を侵犯したことについて調べに来たのかも知れない、と推測した訳だ。

 基本的に、魔法使い同士は助け合わない。ことに、誰かが魔法の実験に失敗したような場合にまず考えるのは、そいつごと自分の縄張りからたたき出す方法だ。だから、「穏便に出て行くから手荒なことはしないでくれ」とまず伝えることが重要になる。
 もし相手がそういうルールを知らないはぐれ魔法使いだった場合、事態はちょっと複雑になる。ただまあ、魔法使い同士の実力が拮抗するということは小説の中でしか起こらない。向こうが「その気」でかつぼくの方が弱い場合、ぼくは砂漠と同化して終わり。ぼくの方が強ければ、護身用の術式をいくつか緊急発動して穏便に叩きのめした後、使った分の魔力を相手から回収することになる(さっきも言ったけど、成人女性の生体魔力は1200前後だ)。回収できなかったら、やっぱりぼくは砂の海に沈むことになる。

 魔法使い同士の戦いというのは万事がこの調子である。魔法使いを力尽くでどうにかしようとするのは、お互いにとって利益にならないという共通認識ができるまでどれだけ不毛な戦いがあったか、今更歴史を紐解く必要はないだろう。

 ぼくの目でも馬と人が見分けられるくらいになるまで待ったが、符丁への反応はなし。

 残り少ない魔力をやりくりして視覚強化術を使うことを考える。ただ、待っていれば向こうから近づいてくるのに、わざわざ魔法を使う必要はあるだろうか。
 もちろん、ぼくには身を隠すという選択肢がある。ただ、向こうが身を隠さずに堂々と近づいてくるということは、他に協力者がいて罠にかけられようとしているのでない限り、向こうには穏便にぼくと接触したいという意志があるものだと考える。仮に罠だとして、魔力感知に他の反応はないのだから、ぼくの術式を完全に欺くような仕込み方をされているなら抵抗するだけ無駄だ。
 ぼくとしては、彼女と友好的に話し合って、ここがどこで、最寄りの街がどっちにあるか聞き出したい。食糧を分けて貰えるならなお嬉しい。

 というか、もう何でも良いから人と話したい。ここまでずっと命の危険を感じながら、必死に失敗できない術式を組み立て続けて来たのだ。いくら魔法使いの意志力は無尽蔵って言ったって限度というものがある。

 彼女が偶然通りかかった、ただの旅行者か地元の遊牧民か何かだった場合、どうしてぼくがこんなところにいるのか言い訳が必要になるが、まあ盗賊に襲われたとでも言うしかない。最近流行りのテロ集団に濡れ衣を着せるのも悪くないだろう。彼女がその一員だったりしないといいが。

 騎影に向かって手を振る。すると、相手もこちらに向かって手を振り返してきた。よし、ジェスチャーは通じる。少なくとも相手は知的生命体だ。
 魔力の余剰分を使い切る覚悟で、言語翻訳術を準備する。これはあらかじめタブレットに仕込んである術式のひとつで、魔力をつぎ込みさえすれば発動する。この術式を作ったのはぼくが修行時代に世界各国を旅した時で、『The Scroll』の編集長賞をもらった3回のうちの1回はこの術式に対するものだ。
 ちなみに、ぼくは道順を尋ねるだけなら9カ国語でできるけど、ちゃんと話せるのは日本語と英語だけ。細かいニュアンスを受け取りそこねて険悪になるのは避けたい。

 近づいてくるのは、ゆったりとした白と黄色の服を着た白人の少女だ。髪の毛はターバンに隠れていて見えない。どことなく、フェルメールの有名な絵画を思わせる美少女だった。

「こんにちは」とぼくは日本語で言った。

 残念な事ではあるが、世界ではアジア人を見ると中国人だと思う人は多く、政治的に微妙な地域ではあらぬ誤解を招くことがある。ぼくの経験では、まず日本語で挨拶した方が受けがいいことが多かった。
 それを聞いた少女は、少し驚いたような顔をして、こう答えた。

「#@@*$%!」

 まったく聞き取れない。思わず聞き返す。

「えっ?」
「#@@*$%!」

 彼女は優雅な動きで馬を下りながら、もう一度同じ言葉を繰り返した。
 タブレットを見ると、《既知の言語に該当なし》と表示されていた。
「……ここは、どこ?」
 返ってきたのは、少女の困惑した表情だけだった。

 人類が言語を編み出したのは約七万五千年前からだという。しかし、ヒトの脳は15万年前には既に「言語を理解できる形」になっていたとも言われる。人類がいかにして言語能力を育んでいったのかについては、21世紀の現在でもまだ分かっていないことが多い。

 この娘(こ)の話す言葉が、ぼくが知る言語とまったく共通点を持たない隔絶した言語だったとしても、少なくとも15万年前までのどこかにぼくとこの娘との共通の祖先がいる、というのは間違いない。人類皆兄弟。

 ……などと現実逃避している間に、少女は馬から何か荷物というか、たぶん水を入れる袋――動物の内臓を使ったもの――を降ろしていた。
 よくよく見ると、彼女の衣服や馬の装具はほとんどが革や布でできていて、プラスチックや合成繊維の類が一切見当たらない。金属製品も見える範囲ではあぶみと荷物の留め具ぐらいだろうか。
 ぼくの知識では、文化的・言語的に隔絶した地域に住んでいる白人種に心当たりはない。

「タイムスリップ」とか「異世界転生」とか不穏なキーワードがぼくの脳裏に浮かんでは消えて行く。

『冷静になりたまえ。時間はいつだって魔法使いの味方だ』

 知人の魔法使いの声がフラッシュバックする。まったくだ。冷静になろう。
 まず、ぼくの言語翻訳術のライブラリは完璧ではない。中央アジアやオーストラリアにも足を伸ばしてライブラリを作ったが、既に失われた言語や、一部の話者が著しく少ない言語ではカバーできていない部分がある。ぼくのうっかりミスで抜けている言語だってあるかも知れない。今のところ、これは検証する方法がない。
 次に、この娘の発語や発声に問題があるケースが考えられる。だいたい、ひとつのサンプルを見ただけで判断を下そうというのが間違いなのだ。衝撃を受けている間にやるべきことがある。

 ぼくが作った言語翻訳術のもうひとつのモードを起動するのだ。

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