ROGM回顧録19 死体の数を数えよ
600kの攻撃を当てても、相手の防御が1Mクラスだと、戦闘結果に敵の総防御力は表示されない。 […] «ROGM回顧録19 死体の数を数えよ»
600kの攻撃を当てても、相手の防御が1Mクラスだと、戦闘結果に敵の総防御力は表示されない。 […] «ROGM回顧録19 死体の数を数えよ»
もうかれこれ二十年ほども前の話になる。 陰暦四月の初め、父と共に僕は丹沢山中にわけいり、頂を目指していた。春霞む卯月の頃と言っても桜並木に花は無く、見渡す限り芽吹いたばかりの葉が淡く緑色に茂っていた。 山頂も間近となり、ふと視界が開けた頃、突然生暖かい風が吹き抜けたかと思うと中天より桜の花びらが舞い落ち、あれよという間に僕と父は桜吹雪に見舞われた。周囲に桜の花などないというのに、である。 僕はなんとも言い表しがたい気分を抱いたが、口には出さず、父もまた無言で歩き続けた。 後に山頂にたどり着いてみると、そこには未だ桜が咲いており、なるほど先の花吹雪は山頂の桜の花が風に乗って舞い降りたものかと合点した。思うに、世に言う「狐に化かされる」とはこういうことだったのではなかろうか。
群狼作戦は第二次世界大戦でドイツの潜水艦(Uボート)が使用した戦術で(*1)、後にアメリカ海軍でもパクっ取り入れられたため「ウルフ・パック・タクティクス(Wolf Pack Tactics)」とも呼ばれる。 […] «ROGM回顧録09 群狼作戦»
攻撃をキャンセルすると、その部隊は所属キャンプに帰還するまで操作不能になる。攻撃側が手を控えるということは、防衛側に援軍が到着するまでの時間的余裕を与えることになる。 おそらくこの日はじめて、共和国軍はミスを犯した。 […] «ROGM回顧録08 教国が得たもの»
ごく当然の結果として、守備隊は全滅した。 […] «ROGM回顧録07 死体は情報を持ち帰らない»
午前9時38分、僕のラスダン隣接キャンプに「被攻撃4」の表示が点った。防衛側のキャンプから分かるのは攻撃者の数と攻撃開始地点、到着予定時刻のみ。 最も早い“着弾”予定時刻は19分後。20分後にさらにもう一部隊。少し間をあけて1時間後に2部隊が襲来していた。間髪を入れず国別チャットで援軍要請を行う。 […] «ROGM回顧録06 自軍の4倍の敵と殴り合う»
ここで少し退屈な話をしなければならない。 このゲームが陣取りゲームであることは既に述べたが、敵国の支配下にあるセルを奪い取るには戦闘で勝利する必要がある。 […] «ROGM回顧録05 数千の命が一瞬で失われる»
異世界のマップには、中央付近3箇所に謎のオブジェクトがある。「????」などと意味ありげな名前がついていて、直接の元ネタになったゲーム(*1)ではこれが「ラストダンジョン(ラスダン)」とされていた。 […] «ROGM回顧録04 彼らはあらゆる努力をしたはずだ»
僕のリアルの友人たちはサーバーも所属国家も別々だったため、お互いに軍事機密には触れない範囲で情報交換をしていた――とはいえ、いわゆる「対人層」と呼ばれるグループに所属していたのは僕だけだったが。 […] «ROGM回顧録03 本当に狂信者の群れだった»
このゲームは異世界マップ上で四角の「セル」を取り合う陣取り合戦である。具体的な勝利条件はまた別にあるのだが、サービス開始当初は明かされず、僕らは漠然と「陣取りゲームである」という認識でいた。 […] «ROGM回顧録02 人数差による「力負け」»
――今でも午前四時に目を覚ます。 あの頃、僕は確かに“異世界”にいた。 ** 「教皇聖下に栄光あれ」 ラグナロクオンライン ギルドマスターズ その地は「異世界」とだけ呼ばれている。僕らが世界に名前を付けないように、彼らは異世界に名前を付けなかった。世界樹たるトネリコに守られたその地に僕が降り立ったのは、2011年晩秋のこと。 […] «ROGM回顧録01 教皇聖下に栄光あれ»