書いてみた

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俺に明日は来ない Type1 第13章

 朝を迎えたのがいままでと同様の一人暮らししているアパートではなかったので少し混乱してしまったが、すぐに昨日の記憶がよみがえる。  起き上がって全ての部屋を見たが、まだ両親ともに出勤前の時間のはずなのに、やっぱり家には誰も居なかった。  実家で日付を跨いだから、実家で復活したのだ。  もしかしたら、親方をこちらの世界に巻き込んでしまったかも知れない。慌ただしく最低限の身支度だけ調えると、普段は母さんが通勤に使っている車の鍵を取って家を出た。  生きている世界なら無免許運転だが、死後の世界なら法律なんて関係ない。自動車の運転は鈴木さんに少しだけ教えてもらっただけだが、多少ぶつけたくらいどうという事は無い。集落を抜けて山を下っていくと、みんなで温泉へ行ったときの国道に合流する。つい1週間ほど前は荒れてアスファルトの割れ目から所々雑草が生えていた道が、すっかりあっちの世界と同じくらいまで回復している。  死後の世界に物が持ち込まれているということは、この辺りで誰かが、その人にとっては初めて世界を移動したと言うことだ。  対向車がいないからその分だけスピードが出せて、かなり怖い思いをしながらも無事に麓の高校までたどり着く。 「あれ、樋口さん? 昨日は来なかったから、もうあっちで死ぬことはないだろうと思ってたんですけど、何かあったんですか」  門番をしている木下くんが不思議そうにしている。 「またうっかりやらかしちゃって……いやそれどころじゃないんだ。こっちの世界に物が増えてるというか、道が綺麗になってた」 「それじゃ、誰か樋口さん以外にも昨晩誰かが移動してきたって事ですか」 「そうみたいなんだよ。というか、それが誰か心当たりがあって」 「知り合いですか?」 「俺の、というよりは水上の知り合いなんだけど、出かけちゃった?」 「いると思いますよ」 「ちょっと呼んでくる」 「あ、ここに居てください」  木下くんは守衛小屋から陸上用のピストルを持ってくると、空砲を1回ならした。 「何それ」 「何かが校門であったときに鳴らすことになってるんです。水上さん以外も来ちゃうと思いますけど、食べ物が届いたなら今日は調達をしないといけませんし、ちょうどいいですよね」  見れば校舎から大人達が出てくる。細川さんが、俺を見て少し表情を硬くした。 「どうしたの?」 「なあ水上、お前の親方さんがどこに住んでいるか、知らないか」  細川さんの質問には答えず、水上に問いかけた。 「知ってる、というか住まわせてもらってた。なんで?」 「俺が道連れにしちゃったみたいなんだ」 「道連れ?」 「水上の親方さんに偶然会ってさ。車に乗せてもらったんだけど交通事故に遭って」  水上は無表情のままでくるりと踵を返すと校舎へ走っていく。 「校門を開けといてくれ!」 「おい、どこへ行くんだ」 「車でも取りにいったんじゃないですか」 「俺たちは調達活動に出かけないといけませんよね」  言われたとおりに校門を開けながら、木下くんが鈴木さんと細川さんに聞いた。 「そうだなあ。まだ前回のが残ってはいるけど、あるときに集めておかないといけないね」  鈴木さんが同意する。  俺は実家から乗ってきた母さんの車が邪魔になってはいけないので、高校の敷地の中に入れていると、軽トラックの低速ギアでエンジンを思い切り回しながら水上が飛び出してきた。 「出かけてくる、後はよろしく。もしかしたら今夜は帰らないかも知れない」  開けた窓から水上が叫んだ。 「ちょっと待て、俺も一緒に連れてけ」  思いだした。田口さんが乗っていた軽トラは、この車だ。 「勝手にしろ」  そう言いつつも彼は少しだけ速度を緩めた。俺が乗りやすいようにではなく、単に敷地から直角に曲がって道路に出るためだったかもしれない。走って荷台に飛び込むと、俺が乗ったことをバックミラーで確認した水上は再び強くアクセルを踏み込んだ。横に揺れながら加速していく軽トラックの荷台で、俺は危うく掴んだ鳥居を離してしまいかける。  滝のように冷や汗をかきながら、振り落とされないような姿勢を模索しながら両手でしっかりと出っ張りを握りしめた。 「こっちの世界に来てから俺はやたら吐いているんだけどさ。乗り物酔いではいやだなあ」  かなり乱暴な運転で人通りも他の車もない道をすっ飛ばしていく。 「うるせえ、着くまで舌を噛まないように黙ってろ」  舌の前に、荷台に打ち付け続けている全身に青たんができかけているような気がする。  かなり気が立っているようだった。無理もないか。  まだ決まったわけでは無いが、自分の死に、他の人にとって大事な人を巻き込んでしまった罪悪感もあって、俺は言われたとおり口をつぐむことにした。  冗談のつもりで口にした乗り物酔いを本気で懸念し始めたころ、タイヤが滑っているのではないかと思うほど喧しく、ある一軒家の前で軽トラックが停車した。  腰が痛くて荷台から降りられない俺のことなど眼中にない水上は、運転席のドアを開けっぱなしのままでその家に駆け寄って、玄関の前でその中へ飛び込んでいくのを寸前で躊躇した。  ドアノブと呼び鈴のどちらに手を伸ばそうか逡巡しているようだ。すると家の中からカタリと錠を開ける音がした。後ろから見て分かるほど水上の肩が震え、そのまま外開きの扉が開くと体がぶつかる位置から後ろへ飛び退いた。  出てきたのは昨日、俺が水上家の墓の前で会ったおっさんだった。 「……」 [...]

By |2022-07-14T15:42:28+09:007月 14th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第13章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第12章

 自分のうなされる声でふと気がつくと、俺のアパートの窓から朝日が差し込んでいた。  思い出すまでもない。  両手にかいた脂汗以上に、残る感触が気持ち悪い。  本人の意思とは関係なく、塞がれた気道と動脈がびくびくと酸素を求めて跳ねる。力ずくで上から押さえ続けていると、やがて彼の体全体が震え出した。徐々に大きくなっていったと思ったら、張り詰めたゴムが弾性限界を迎えたように力を失って動かなくなった。  手を離した途端に動き出すのではないかと無駄な心配をしながらゆっくり水上の首から両手をずらしていく。知らず知らず俺も息を詰めていたようで、肩で大きく息をしながら浮いていた腰を下ろす。水上の腹の上はついさっきよりも深く沈み込んだような気がした。  少しずつ俺の息が整えながら目を開けると、僅かも上下していない水上の胸の上に、代わり映えしない自分の両手が見えた。恐る恐る視線を上げていくと、伸びたTシャツの襟では隠しきれない赤黒い指の跡が、月明かりでもそれとはっきり分かるほど痣になっていた。大きく開いた口から下が突き出て、両目はそっぽを向いて見開かれている。  見なきゃ良かったのに水上の死相を正視して今夜だけで3回目の吐き気を覚える。死んでいたとて、幼なじみの体の上には吐瀉物を出したくなくて横に跳ね飛んで校庭の土へ僅かに残った胃液を吐き出した。  記憶に連想されて、生きている俺は再び吐きそうになり掛け布団を跳ね飛ばすと便器を求めて狭いアパートを駆けた。4回目の嘔吐は胃液だけでなく消化途中の食べたものも含まれていたので、前回よりは幾分楽だった。  ……今吐き出したこれは、いつ食べたものだ?  臭いも流すのも忘れて汚れた便器の水たまりを見つめて記憶を掘り返そうとしていると、外から踏切の音が聞こえた。  死後の世界に、鉄道は走っていない。走らせる技術を持つ人も居なければ、需要もない。踏切の音だけなら報知された機械の誤動作を疑えたが、やがて電車が線路の段差を踏み越える規則的な音に気がついた。  昨晩は、高校を出てアパートへ帰ってきた記憶は無い。  つまり、持ち帰れないはずの死後の世界の記憶を俺は保持したままだが、生きている世界に俺は居るのだ。  どれくらいそうしていたか分からないが、飛び出してきた寝室から、仕掛けられた目覚ましのアラームが鳴り出した。  水を流して手を洗い、ついでに春先の冷たい水で顔も洗って寝室に戻ると、死後の世界の俺の部屋にならあるはずの作業着はどこにもなかった。  いつまでも喧しいアラームを切ると、まさか寝間着のままで外の様子を見に行くわけにもいかないから、のろのろと高校の制服を身につける。条件付けによるものだろうが、無意識に通学カバンを持って家を出た。重い足を引き摺るように通学路を消化していく。 「よっす、今日も朝は苦手みてえだな」  振り向くと高橋が俺を自転車で轢こうとしていた。 「危ねえ」 「寝起きの樋口にどついて気合いを入れてやろうとした俺の優しさを分かってくれてもいいんだぜ? それにしても、2年になったばっかりなのに、制服を着崩しすぎじゃねえ? 先輩達にシメられるぞ」  見下ろしてみれば、シャツも学生服も普段通りの俺ならもう少しましな着方はないのかとまゆをひそめるほど、だらしなかった。  今日はそれを直す気力がどうしても沸かない。 「絞めたのは俺の方さ」 「……あん? 何て言った?」 「なんでもない」 「顔色も酷いし、体調でもおかしいのか」  少し真面目な表情になった高橋は俺の顔をしたからのぞき込んだ。 「起きたときから頭痛と吐き気がして」  嘘はついていない。 「変なものでも食ったんだろ。覚えはないのか」 「ないなあ」  今度は純度10割の嘘だった。内心はどうであれ顔色一つ変えずに人を殺せる水上と違って、俺に人殺しは出来ないようだった。  それでも。何が適材適所だよ。くそ食らえ。 「今日はこのまま帰れよ。先生には上手く言っておくから」  サボりか。たまにはそれも良いかもしれない。 「……そうする。よろしく」 「おう、気をつけて帰れよ。今にも車に轢かれそうだ」 「自転車だって車なんだぜ、確かにさっき轢かれかけたな」 「……俺のことかよ。やっと減らず口くらいはたたけるようになったか」  高橋との他愛ない、次の瞬間には忘れてしまいそうな遣り取りで少しだけ気分が上を向いたような気がする。  アパートに帰ったところで再び気持ちが沈み込みそうだったので、当てもなく散歩することにした。行き先を決めていなかったのだが、辿りついたのはあっちの世界で水上と忍び込んだディスカウントストアだった。  日が暮れたら柄の悪そうな同年代が店頭に屯する24時間営業の店だが、連中にとって今からならまだ1時限目にぎりぎり遅刻するこの時間帯は早朝なのだろう。既に朝日とは言えなくなった太陽に照らされた看板の下は平和そうだった。  狭いショーケースや天井まで棚に積み上げられた商品の間をすり抜けるような店内通路は空いていて、買い物をするために来たわけじゃない俺にとって丁度良い時間つぶしになる。  体感時間では1ヶ月以上もこっちの世界で生活していないから、ティッシュや洗剤といった日常消耗品を眺めていても家に買い置きがどれくらいあったのか思い出せない。  玩具売場で水上が使っていて見覚えのある自動拳銃のエアガンを見つけた。18禁指定されていて俺には買えないが、同い年の幼なじみが火薬式の本物を当たり前のように撃っていたのを考えると少しおかしかった。  レジ近くのブランドものコーナーで、ふと視界の端に何かが引っかかった。何かと思えば、整然と並んでいる中のある一つは、陳列されているところから取り出されたところは直接見ていないのに、あっちの世界で俺が使っていたオイルライターだと何故か分かった。無意識にライターの定位置となっていたズボンの左ポケットを左手が、煙草を入れていたシャツの胸ポケットを右手が、そこにあるはずのないものを探っていた。  記憶があるということは、経験も習慣も同様に持ち越したと言うことなのだと実感する。  つい一瞬前までは全く頭から抜け落ちていたのに、今は無性に煙草が吸いたくなっていた。 「あ、ちょっと、すみません。コレください」  レジの店員に声を掛ける。 「あと、えっと。……51番を一つ」 「はい?」  俺の顔を見て、そして服装を見て、大学生のアルバイトらしいレジ打ちのあんちゃんが怪訝な顔をしていた。  高校の制服を着たままだったことに今更気がついたが、高橋が3年に因縁を付けられそうだと言ったほど着崩してもいる。開き直ってしばしにらみ合いを続けると、先に折れてくれたのは店員だった。  さっと周りを見て、レジに並ぶ他の客も他の従業員も自分たちに注目している人は居ないことを確認して、彼は俺が指さしたライターとオイルを鍵付きのショーケースから手早く取り出した。続いて流れるような手つきでハイライトを2箱取り出すと、まとめて大人のおもちゃ用に用意されていると噂されている、中身が見えないレジ袋に入れた。 [...]

By |2022-04-14T03:15:41+09:004月 14th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第12章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第11章

 耕された校庭の隅で地面にどっかりと座った水上は、隣の地面を叩いたうえで俺にも座れと目で語る。 「口で言え」 「人の仕事を勝手に盗み見て気が済んだか」  不機嫌そうな水上は言葉を吐き捨ててイライラと煙草に火を点ける。 「ついでに火をちょうだい」  咥えた自分の煙草を寄せるが、間に合わず水上のオイルライターは軽やかな音を立てて蓋が閉まる。 「遅えよ」 「ごめん」  座ったせいでポケットがしわになって手を入れづらい。もたもたライターを出そうと腰を浮かせた。 「こっち向け」 「あ?」  赤く輝く火口を、咥えたまま火の点いていない俺の煙草の先に押しつける。  反射的に息を吸い込んで火を移す。 「……エロいな」 「何がだよ! てめえが寄越せっつったんだろうが!」 「そうだね、ありがと」  頬が赤く見えるのは、火の色か、それとも照れているのか。ちょっと笑えた。 「なあ」 「なんだよ」 「いつも思っていたことだけど、一人で抱え込もうとするなよ」 「……誰がずっと俺と一緒に居て、一緒に荷物を持ってくれるんだ」  あっちよりも余計な光が少ない分だけ綺麗に星が見える空へ、二筋の青い煙が上っていく。 「ずっと一緒じゃなくたって、誰かが隣に居るときだけでも放り出してみろって言うんだ」 「また1人で持たなきゃいけないなら、渡すだけ無駄だ」  重い物であればあるほど、再び持ち上げるのにだって力が要るだろ? 「まあな。でも持たせてもらえないのも傷つくもんなんだぜ」 「これ以上に俺が他人へ気を遣えと」 「せめて俺たちの間だけは、常に気を遣い合う間柄でいたいんだけどな」  俺は水上の特別な友人にはなれないのだろうか。 「分かった」 「何が?」 「俺は今晩、もう1人殺すはずだったんだ。代わりにお前がやってくれよ」 「……それってさ」 「おう」 「お前自身のことか」 「そうだ」  胸いっぱいに吸い込んだ煙をゆっくり吐き出してから、幼なじみは肯定した。 「……分かった」 「真似するんじゃねえよ」  少し笑いながら、彼はくわえ煙草で両手を頭の後ろに組み、ゆっくり仰向けに寝転がった。 「土で背中が汚れるよ」 「作業着ってのは汚れる事を前提に着るんだぜ」  片足をぶらぶらさせて、半長靴の中に裾をしまい込んだニッカの膨らみを風に泳がせる。 「そうだろうけどさ。……貸して」 「何を?」 「拳銃。まだ弾は残ってるだろ」 「やだ」 「どうして」 「お前、銃を撃ったことはあるのか」 「あるわけないだろ」  平和な日本で、どこに実銃を使う機会があるって言うんだ。俺はヤクザでも警察官でもないんだぞ。 「ならやっぱりダメ。見た目より反動がきついんだよ、うっかりお前に怪我でもされちゃ目覚めが悪いし、当たり所が悪くて一発で死ねなかったら俺も痛い」  当たり所が良くて、ではないのか。 「じゃあどうやって殺……死なせれば良いんだ」  理由は分からないが、殺すと言いたくなかった。 [...]

By |2022-04-12T22:39:22+09:004月 12th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第11章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第10章

「ところでさ、この世界で生まれた子供も、その……亡くなったらあっちの世界に行くのか?」  いい加減に話題を変えようと苦し紛れに放った発言だったのだが、まず細川さんの顔色が変わった。 「試してみればいいじゃない。私はもう嫌、2度と子供なんて作りたくないけど」  語気の激しい否定に戸惑う。  何か地雷を踏んでしまったようだったが、どこにあったのかが分からない。戸惑って他の面々の表情を盗み見ると、青山くんは単にびっくりしているだけに見えたが、鈴木さんは沈痛そうな、水上は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 「そろそろ、私は戻るわね。あんまり長いこと二人に子どもたちを任せっぱなしなのも悪いから」  ごゆっくり。細川さんは、つい失敗してしまったと言いたげに下唇を噛みながら風呂場を出て行った。  残された4人の間には、先ほどまでの盛り上がりが嘘のような気まずい沈黙が横たわる。 「……じゃあ、僕もそろそろ出るよ。のぼせてしまったかもしれない」  やがて、脱衣所が空いたくらいのタイミングで逃げるように鈴木さんが先抜ける。  事情を知っているらしい水上と、どうしていいか分からずに戸惑っている俺と青山くんの3人になった。 「俺、拙いこと言っちゃったんだよな」  水上は黙ったまま煙草に火を点けると、やっと口を開いた。 「ここのこと、丁度良いから説明しとく」 「説明って今更、何のこと」  何も写していない彼の目が俺を真っ直ぐ向く。 「みんながどうやってここに居続けているのか、どんな理由でここに来たのか」  確かに考えてみれば、定められた日数を生き続ければこの世界から居なくなり、元の世界に戻るはずだ。なのに、高校で暮らしているみんなはいつも高校で暮らし続けているのはおかしいことだった。  それぞれの事情については……。 「最初に聞くなって言ってたことか。いいのか」 「お前だってもう4回目だし、そろそろいいだろ」 「確かに4回目だけど。関係があるのか」 「4回目は、こっちの滞在期間が8日だから、一週間を超えるんだ」 「だからなんだって言うんだよ。さっぱり分からん」 「俺を含めて、毎週日曜日の晩に、全員死ぬようにしてるんだよ」  毎週、全員、……日曜日? 「……なんの話?」  言われてみれば、今回こちらに来て最初の日に、細川さんが心配していたのは、曜日だった。学校も会社も何もかもないこの世界で、曜日を気にしていた。 「あっちに生き返りたくない奴らは、定期的にこっちで死ななきゃならねえ。高校で暮らしている全員にとって、こっちに居続けるために死ぬ日って言うのがそれは日曜の夜なんだ」 「そこまでして、こっちで暮らしたいのか」 「生き返ってちゃんとした人生を過ごすつもりのお前には分からねえよな。青山、お前らはどうしてた」 「俺らは意識して死ぬようにはしないっすけど、大抵無茶をして死んでました」 「へえ、例えば?」 「クスリやり過ぎたり、そのままバイクに乗って事故ったり。ケンカが撃ち合いになったこともあるっす」  日付が変わる直前にキメて、翌日のうちに死ねばキメ直さなくてもキマるんですよね。無意識だろうが、なにもない腕の内側をさすりながら言った。 「やっぱり生き返ろうとは思わないの?」 「樋口さんは、ちゃんとした生活をしてたんすね。俺らはそうじゃなかったし……こっちの方が居心地がいいっていうか。むしろなんであんなところにわざわざ戻らなきゃいけないんすか」  真顔で問い返されるとは思っていなかった俺は答えに窮する。 「カツアゲされてパシられて、暇だからって殴られて。俺らもやらされた。先輩達の見世物で、プロレスごっことか言われて小さい頃からずっと友達だったやつをお互いに立てなくなるまでボコすんすよ」 「……」 「グループから抜けたくても抜けさせてもらえないし、……俺たちの中で最初にあっちで死んだのは赤羽っす。あいつは小さい弟が居るんすけど、家に帰って面倒を見たいからもう一緒は遊ばないって先輩達に言ったらむちゃくちゃキレられて。大木が赤羽を押さえつけされられて俺が帰れなくなるまで殴れって言われて」  俯いて淡々と話される内容を聞いているだけで気持ちが沈んでくる。 「俺は仲の良い奴に大怪我させたくないから手加減するとそれでまた先輩達が手本だって俺を殴るんすよ。腫れた顔でそれを見てた赤羽が、俺ら3人だけが聞こえるようにもう良いから……殺してくれって」  本人が済んだ話だとばかりに続けるものだから、余計に聞いているのが辛い。 「それでお前はどうしたんだ」 「大木を見たら俺と同じ事を考えているっぽかったんで、赤羽の頭を石で殴ったっす。そしたら、むちゃくちゃ血が出て、動かなくなった赤羽を見た先輩達が慌てちゃって……そりゃそうっすよね。初めて俺たちが先輩にしてやれたんすよ。あの慌て方は笑えたなあ」  青山くんが鼻をすすりながら少し笑った。 「俺らだけ残してみんな乗ってきたバイクとかで逃げていなくなったんで、大木と俺はお互いに持ってたナイフで刺し合って……意外と人間って死なないんだなって思ったっす」 「ごめん、無神経なこと言って。もういいよ」 「全然よくないっすよ」 「いやだって」 「樋口さんにあんなことやっちゃったんすよ。今は3人で仲良くやってるし、……遊び方を知らないからこっち来てもどうすれば良いか分からなくて」  急に俺の名前が出てくるとは。 「あの日の昼間に、大木だけ川っぺりで殺されてたから、俺と赤羽で翌日の夜に大木を連れて行ったんすけど、覚えてますか」  ビルの非常階段でのことか。空中で復活した最初の0時には、3人揃って踊り場から落ちていく俺を見下ろして笑っていた。 [...]

By |2022-04-11T20:18:34+09:004月 11th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第10章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第9章

「着いたっす」  揺すり起こされると、バスはエンジンを止められて子どもたちも殆どが降りていた。  立ち上がって伸びをする。大木くんと赤羽くんは着替えなどの荷物を降ろすのを手伝っている。俺を待たず先に降りれば良いのに、取り残されるのを心配してくれたのか青山くんだけがじっとそばに立っていた。 「起こしてくれてありがとう、行こうか」 「うす」  着いたのは、俺たちの実家から山を一つ越えたところの温泉地だった。近すぎて、日帰り入浴には何度か来たことがあるが、改めて泊まったことはない。 「ここは玄関の自動ドアがタイマー式のオートロックだから、昼間ならいつ来ても建物を壊さずに入れるんだ」  いつものようにガラスを割って侵入するのかとばかり思っていた。 「青山くん達はまだ、3人で一部屋を割り当てたら危ないかしら」 「樋口に懐いているみたいだし、心配ねえだろ。むしろ、あいつらを分けて元々いた誰かと一緒にする方が嫌がりそう」  細川さんと水上が彼ら3人がまだ建物の外に居るのをチラチラと見やりながら、フロントデスクの裏に入って客室の鍵を並べて部屋割りを相談している。 「じゃあ私と花沢さんは子どもたちと一緒の大部屋で、鈴木さんと木下くん、あなたと樋口くん、青山くんと大木くんと赤羽くん、それぞれ1部屋ずつでいいかしら」 「おっけ、それでいこう。今日の夕飯当番は鈴木さんと木下くんだし丁度良いんじゃね」 「ならそれぞれ荷物を運び込みましょう」  鍵を持ってわいわい言いながら廊下で各部屋に分かれる。 「まずは温泉だよな」 「服は乾いたけど、一度濡れたらなんとなく寒いし」  部屋に荷物を置いたと思ったら、水上はタオルと着替えだけ抱えてすぐに出て行こうとする。 「この旅館は内風呂と外風呂が別なんだ。早い者勝ちだからさっさと行こうぜ」 「どっちへ行くか教えておいてくれないと合流できねえだろ」  扉の外へ向かって大声を出す羽目になった。せっかちなんだから。 「着いてくりゃいいだろ、早く来い」 「……はいはい」  落ち着いて荷物を整理する余裕が欲しかった。  温泉に入って、飯を食って、だらしなく畳の床に寝っ転がる。  ああなんていい休日なんだろう!  ……休日じゃないんだよなあ。学校はないし、毎日が休日みたいなものだ。腹をパンパンに膨らませて動く気力を失った俺の横で、床にお店を広げた水上はあぐらをかいて黙々と拳銃の整備をしている。 「食い過ぎたんなら、右を下にして横を向いた方が消化が早くなるらしいぜ」  片目をつぶってブラシとぼろ布で磨いている金属の部品をにらみつけながら、テレビ番組で紹介される裏技みたいなアドバイスをくれた。  体勢を変えるのさえだるい。 「仰向けが一番楽なんだよ」  スローテンポの会話はキャッチボールと呼べるのだろうか。  体は真上を向けたまま、首だけ回してテキパキと器用に動く手元を眺めている。 「好きにすれば」  大きい部品だけでなく、細かいネジやバネの類いまで一つ一つためつすがめつしていた。小さい頃からこいつは器用にいろいろな物を直したり壊したりしていたのが懐かしい。俺は不器用で、電車のおもちゃさえ電池交換のたびにプラスチックを割ってしまいやしないかとドキドキしていた。 「そういえば、拳銃の整備なんてどこで覚えたの」  そもそも、どこから拳銃なんて調達したのだろう。少なくともあっちの世界では実銃を見た事なんて無い。 「自衛隊の倉庫から取扱要項ごと拝借してきた」 「……そういえばこの街にも駐屯地があったんだっけ」 「この県で唯一の駐屯地だろ」  そうなんだ。知らなかった。 「この間テレビでやってたんだけどさ、駐屯地と基地の違いって知ってる?」 「陸自が駐屯地で、海自と空自が基地」 「はいこの話題おしまい」  一瞬で即答されてしまった。 「細かいところが見えねえ。ここのこれって傷になってる?」  俺にはどこに取り付ける何のための部品か分からないが、細い棒状の金属を渡される。 「接着剤かその類いのがへばりついて固まってるだけだと思う」 「じゃあ剥がせるな」  シール剥がしとかも好きだったよなあ。中学の時の昼飯に持ってきていた俺の菓子パンから、必ずお皿がもらえるパンのシールを綺麗に剥がして、母ちゃんにやるんだって集めてた。俺が自分で剥がすと、袋に糊が残ったままになって後で台紙に貼りづらいと言われたような覚えがある。 「お前が不器用すぎるんだよ。細かい作業をしないなら俺の遠視と交換してくれ」  まだ10代の同い年がおっさんみたいに、手に持った部品を手前に持ってきたり奥へ離したりしている。 「その歳で、もう老眼かよ」 「うるせえ」  しばらく部品をゴシゴシとこすっていたが、低くうなると諦めた様子でブラシを放りだした。 [...]

By |2022-02-24T12:25:33+09:002月 24th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第9章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第8章

 夕飯に呼ばれたが、赤と黄色の髪をした2人は応じなかった。俺だけが食堂へ向かう。  今夜はハンバーグだった。 「何か寒気がする」 「ずぶ濡れでトラックの荷台にいたもんな、風邪でも引いたんだろ」 「風邪薬ってある?」 「食い終わったら持ってきてやるよ」 「わりいじゃん」  少し時間が経ったからだろうか。水上の様子は普段通りに戻っていて、調子を合わせて何事も無かったかのように振る舞うのは俺には少しきつかった。  実際に体調も優れなかったが、その振りをして口数少なく食事を済ませる。 「みんな~、今日はカルピスの日よ」  小さい子達も食べ終わった頃を見計らって、細川さん達が子どもたちにコップを持たせ、1人1人にカルピスを注ぎ回っていた。 「お前ももらえば?」  傍目には物欲しそうにしていたのだろうか。風邪薬の入った瓶を片手に戻ってきた水上が声を掛けて、俺の分ももらってきてくれた。 「お前は要らないの?」 「要らねえ。ガキじゃあるめえし」 「どうせ、俺は子供だよ」  いじけてみせると声を上げて笑われた。  苦い薬を甘いカルピスで飲み下す。  空になったコップと食器を洗い場に持って行き、他の人の分と一緒にまとめて洗ってしまう。手を拭いて外廊下に出てから思い出す。 「水上、煙草一本くれ」 「やだ」 「なんでだよ、ケチ」 「貴重な煙草を灯油まみれにしたのはどこのどいつだよ」  その通り。頭に血が上った勢いで、作業服のポケットに入れていた煙草もダメにしてしまったのだ。 「ごめん」 「仕方ねえなあ」  自分の分を咥えてから箱ごとこちらに向けてくれる。 「ごっそさんです」  火も貸してもらった。いくつか離れた教室から、子どもたちの高い声と、布団を敷いている細川さんや木下くんの声が漏れてくる。  それ以外は静かな、星の綺麗な夜だった。  あくびが出る。 「眠そうだな」 「何かね。今日も色々あったし」  ゆっくり紫煙を吹き流す。 「体調もよくねえんだろ。今日はさっさと寝ちまえ」 「……そうしようかな」  腹が一杯になって、一服して落ち着いたからか、急に眠気を覚えた。  まだ少し残っていたが火をもみ消して、大人組の寝室になっている教室に向かう。自分の布団に潜り込むと、すぐに寝落ちた。  ぐっすり寝たはずなのにまだ寒気がする。  朝飯を食いながらそう話すと、子どもたちにうつしたらいけないと保健室へ連行された。  昨日のことを思いだしたが、青髪が殺されて汚れた布団は綺麗に片付けられていた。 「今日は一日、ゆっくり寝ていなさい」  体温を測りながら細川さんに命じられる。 「38度。完全に熱を出したわね」 「ごめんなさい」 「まったく、いい年して世話が焼けるわね。おやすみなさい」  怒って見せながら細川さんが出て行った。  お言葉に甘えて寝させてもらうことにした。  寝たり起きたり、うつらうつらしていたら、いつの間にかもう日が暮れていた。  ガラガラと戸の開く音に目を開ける。 「起きてたんすか」  盆の上に茶碗といくつかの皿を載せた黄色と、後ろからおひつを抱えた青がやってきた。 「今さっき目が覚めたところ」  夕飯を持ってきてくれたらしい。体を起こして布団に掛けられていたフリースの上着を羽織った。 「水上さんが、持っていけって」 [...]

By |2022-02-21T11:48:20+09:002月 21st, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第8章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第7章

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。  手を伸ばして止めようと思ったのだが、なんとなく全身がだるい。特に身体に異常は無さそうだったが、大怪我をした後のような倦怠感が残っている。  それほど夜更かししたわけではないし、疲れが残っているとは思えないのだが、気味の悪さを感じた。そういえば、変な夢を見た気がする。  気合いを入れて起き上がる。いつもよりテキパキと朝の準備を心がけて家を出る。  1時限目が始まる頃には違和感を忘れていた。  今日の授業中に補充したシャープペンの芯が最後の1本だったが、町へ出て会に行こうか考えたときに、ふと昨晩の夢のことを思いだした。  電車を待っているときに、誰かに線路へ突き飛ばされて自分が死ぬ夢だった気がする。  朝起きたときに謎の体調不良を感じたこともセットで頭をよぎり、帰る準備をして自分の机から腰を上げるまでにしばし逡巡した。  ……やっぱり、出かけるのは止めておこうかな。 「帰ろうぜ」  同じく帰宅部の高橋に声を掛けられる。 「一緒に帰ろうと思っても、お前は自転車だろ」 「駐輪場までで良いからさ」 「学校の敷地内じゃないか」  とはいえ、その短い遠回りを断る理由も無かったので、徒歩通学の俺には関係ない駐輪場までは付き合うことにした。  家に着く頃には忘れてしまうような何でも無い雑談を交わしながら階段を降りる。  下足室で上履きを仕舞おうとして、見慣れない白い封筒が運動靴の上に置かれているのを見つけた。下駄箱の扉を見返してみるが、間違いなく自分の場所だった。封筒の下にある運動靴だって、今朝の登校時に履いていた俺の物だった。 「おっ、モテモテ樋口くんは下駄箱にラブレターっすか!」  俺の下駄箱の中をのぞき込んで高橋が茶化す。  駐輪場までつきあうなんて、一緒に帰ろうという誘いを断れば良かった。 「みたいだなー」 「興味なさそうだな。お前、彼女いたっけ」 「いないけど」 「なんで嬉しそうにしないんだよ。短い高校生活を彩る恋の始まりかもしれねえじゃん」  彼女なんていないけど、欲しいと思ったこともないんだよなあ。 「あげる」 「俺がもらってどうするの。……開けてみていい?」 「好きにすれば」  宛名も差出人の名前もない白い封筒は、小さいピンク色のシールで封がされているだけだった。  ぺりっと高橋が開けて中の便箋を取り出すのを横目に見ながら運動靴を床に落として上履きを仕舞う。 「どれどれ」  便せんを広げた高橋が、ピューと口笛を吹いた。 「放課後、体育館裏にお呼び出しだってよ!」  今日の下校時間ぎりぎりに、体育館の裏手にある木の下で待っています。必ず来てください。 「テンプレかよ」 「……あ」 「何?」  変な興奮をしながら便せんを呼んでいた彼は、急に顔色を暗くした。 「これ、見なかったことにした方が良いかも」  さっきまで楽しそうにしてくせに、神妙に言った。 「お前としては、高校生活の彩りなんじゃねえの?」 「こいつのじゃ無かったらな」  便箋の末尾に書かれた差出人らしい署名を俺に示し見せる。 「三雲さやか?」 「クラスメイトだよ、お前の二つ後ろの左側に座ってる奴だけど、わからねえ?」  お下げにした暗い雰囲気の女子か。 「名前と顔が一致してなかった」 「もうクラス替えしてから1ヶ月以上経つんだけど。……同じ中学だったんだけどさ、こいつはちょっと……お勧めしない」 「なんで?」 「色々あってさ……俺とって事じゃないけど。いつも長袖の制服着てるだろ」  まだ5月だしな。 「季節の問題じゃねえよ。体操着とかも」 「寒がりなんだろ」 「そうじゃなくて。……体育の着替えって女子は更衣室へ行って着替えるだろ。その時に俺と仲の良い女子に聞いたんだけどさ、どうやら常に手首に包帯を巻いてるのを、隠してるらしいんだと」 「……」 [...]

By |2022-02-20T18:30:33+09:002月 20th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第7章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第6章

 だからその日も、俺の1日はたった数秒で終わるのだと思っていたのだ。  暗くても分かる何か白い大きなものが、ある日は復活したとき真下に見えた。  落ちるのまでは一緒だったが、落ちきってぶつかったのがいつもと同じ固い地面ではない。 「よし、ゆっくり降ろせ」  聞き覚えのある懐かしい声がする。 「おい、まだ生きてるよな」  今にも死にそうだけど。  そう言いたかったのに、腫れた顔ではうめき声にしかならなかった。 「急いで帰るぞ」  深夜なのに高校は明かりが点けられていて、年上組の総出で服を脱がされ、温かい濡れ布巾で全身がくまなく拭われる。  ほとんど全身が湿布と包帯で覆われて、わざわざ布団乾燥機で温めてあったのだろう、暖かい布団に寝かされた。 「朝になって死んでたら許さないからな」  殆ど気絶したように寝付いたはずなのに、目が覚めたときにはまだ外が暗かった。  トイレに行きたい。  全身が痛くてだるい。呻きながら身を起こすと、足が重たいと感じたのは怪我のせいだけでは無かった。 「……水上。ごめんちょっとどいて、トイレに行きたい」  腰の痛くなりそうな姿勢で、俺の足の上で腕を組んだ水上が寝ていた。  手を伸ばすと肩と脇腹が痛むのだが、彼の体重をどけないと足を引き抜けなさそうだった。  しばらく揺すっているとピクンと震え、勢いよく水上が体を起こした。彼の体からバキバキと音が鳴るのが俺にも聞こえる。 「……腰が痛てえ」 「そりゃそうだよ、そんな姿勢で寝てるんだから」 「起き上がってて大丈夫なのか」 「……おしっこもらしそう」  俺は一体いくつになったんだ。  恥ずかしいが言葉にしないと動くのを許してもらえなさそうな表情が、暗がりの中でも分かった。 「車椅子を用意してやるから、もうちょっと辛抱してろ」  車椅子だなんて大げさな。だけど有り難かった。 「悪いじゃん」  俺が寝かされているのは保健室だったらしい。すぐに片隅から車椅子が出てきた。 「中学の時に保健の授業で習ったときには、こんな知識をすぐに使うとは思ってもみなかったぜ」  言われて思い出す。 「そういやあのときは、俺がお前を押してやったよな」 「今回は逆の立場になっちゃったわけだ」  二人で密かに笑い合う。  笑ったら腹が痛い。笑いすぎというわけでは無く、怪我のせいだ。  意味があったのか分からないが、彼が悶絶する俺の背中を慌てたようにさすると、すっと痛みが和らいだような気がする。 「トイレだっけ。これじゃ老老介護ならぬ、若若介護だな」  だから笑わすなって。 「出すところまで見て……いや、介助してやるからな」  笑うたびに全身に痛みが走るんだ、お願いだから止めてくれ。  絶え絶えになった声でそう言ったのに、心配させた罰だと言って彼は取り合ってくれない。 「心配させさせたのは、悪かった。助けてくれてありがとう」 「まあ、どっちもお前のせいじゃないけどな」  答えた水上の声は、つい数秒前まで面白がって俺を笑わせていた時とは別人のように冷たかった。 「……不注意だったのは俺だし」 「この世界は死後の世界だが天国でも地獄でもないってことを、まだ3回目で実体験できて良かったな」 「出来れば何回目だろうが知りたくは無かったけど」 「違えねえ」  小声でしゃべりながら、小さな振動も与えないようにゆっくりと、水上が車椅子を押してくれる。俺は安心してトイレに着き、こちらの世界に居る限り一生話題にされるんだろうと、気が気じゃない思いをしながら水上の介助で用を足す。  饒舌だった行きと引き換え、無言で保健室まで戻る。  ベッドに寝かせるところまで手取り足取り助けてもらう。 「なあ、煙草一本ちょうだい」  ずっと黙ったまま居る彼に不安を覚えて、あえて小さい子供みたいにおねだりしてみた。 「赤ちゃんみたいに求める物と違うだろ」  確かに。 [...]

By |2022-02-18T21:28:48+09:002月 18th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第6章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない Type1 第5章

 今回は、もう死後の世界で目が覚めても、驚きすら無かった。生きている世界なら、自分の枕元に作業服が置いてあるはずがない。だから同じ高校へ行くのでも、制服では無く作業着を着て向かった。  雨が降り出しそうな空だった。降り出す前にと早足で高校に向かうと、校門のバリケードで門番をしていたのは、水上と鈴木さんの2人だった。 「単なる夢だとは思ったんだけどさ、夢なのにやたらリアルで嫌な予感がしたから、学校帰りに電車で町に出るのは止めたんだ。なのに今度は階段を踏み外して、打ち所が悪かったみたいなんだよな」  恐らくこの辺だろうと思う後頭部をさする。 「足元には十分注意しろよ」  昨晩の0時には無かった怪我だから、もちろんコブにはなっていない。 「本当だよね。17にもなって、通学路の階段で転ぶとか、ださすぎる」  現実世界の5月26日を迎えるまでに、何日分の遠回りをすれば良いのだろう。 「3回目だから、最低4日間は連続して生き残らないとな」  今回も最短で生き返ってやる。 「またしばらく、みんなのやっかいになる」 「俺たちとしては、何日でもいたいだけ居てくれて良いんだけどな」  気持ちだけで十分だ。 「そういや今朝は農作業じゃないんだな」 「雨が降りそうだろ。昔の人はよく言ったもんだよな、晴耕雨読ってやつさ」  天気の悪い日は朝から勉強らしい。耕された校庭には誰も居ない。 「そうすると俺はずっと門番だから、暇なんだよなあ。図書室から本を持ってきても、雨が降り始めたら本が傷むって怒られるし、ケータイは使えないし」 「ゲーム機は? 携帯ゲームならインターネット接続が無くたって」 「だから雨なんだって。小さい子供が乱暴に扱っても壊れない強靱性はセールスポイントになっても、家の中で遊ぶ前提のゲーム機に防水性を謳っている機種なんざそうそう無いだろ。外で門番をやってるときに雨が降られたらゲームなんて出来ねえって」  それもそうか。 「まだ朝だから、頭が回ってないんだなあ」  笑って誤魔化そうとした。 「お前の天然は昔から変わってねえよ」  水上は誤魔化されてくれなかった。 「こういうときに誤魔化されてくれないんだからケチっていうんだよ」 「ケチもくそもあるか、馬鹿」  バリケードの中と外で漫才みたいな会話を繰り広げていれば、鈴木さんはおかしそうに笑い転げていた。 「この人、笑い上戸なんだよ」 「そうなんだよねえ。これじゃ僕が門番の役に立たないから、君らは遊びに行ってきなよ」  鈴木さんは涙を拭いながら言ってくれた。 「お仕事の邪魔してすみません」 「いやいや、いいって。……君が来なかったら、段々不機嫌になっていく水上くんと二人っきりになるところだった」  わざとらしく声を潜めてはいるが、いかんせん俺より水上の方が鈴木さんに近いわけで、彼にも充分聞こえただろう。  当の本人はそっぽを向いて口笛を吹き、聞こえないふりをしている。 「遊びに行って良いってさ。行こうぜ」  何処へ行こうというのか。 「そりゃ、遊ぶ場所なんてないよなあ」  ゲーセンへ行ったって、アーケードゲームの電源なんてどうやって入れれば良いのか分からない。 「次に生き返ったときにはさ、ゲーセンでバイトしてくれよ。そうしたら今度来たときに好きなゲームを好きなだけ遊べるじゃん」 「4回目のことを3回目の初日から予定しないでくれるかな」 「冗談だよ」  行く場所のない俺たちは、天気が悪いというのに軽トラで河川敷に来て、ひたすら水切りで時間を潰していた。  小学校や中学校の放課後を思い出してみても、何もない山奥だったからだろう。山へ入るか川へ下るか、そうして見つけた場所で暗くなるまで、ただ昼寝をしたり、他愛もない話をしたり、学区に唯一の同い年で、ずっと一緒に居たはずなのに、この幼なじみとあえて何かをやったという記憶は無い。  どちらかがゲーム機を買ってもらったら、しばらくはお互いの家に行って対戦したこともあった。でもすぐに飽きて、結局は家の外で何もしないことが多かった気がする。  このときも、やがてどちらとも無く言葉数が少なくなり、交代でひたすら石を投げるだけだった。 「それが不愉快じゃない他人って、貴重だよな」 「は? なんの話?」  脈絡無く考えていたことが口から飛び出す。 「なんでもない」 「樋口に友達が居ない話か。なんでもなくはないだろ」  さらっと友達が居ないとか言うな。傷つくだろ。 「いやまあ……普段のお前は何をしてるの」 「えー……何にも。あっちへふらふら、こっちへぶらぶら、って感じ」 「それこそ、そんなことねえだろ」  この間は水上もみんなと農作業をしていた。食べる物を自分たちで作らないと、物流のないこの世界では何も食べられなくなってしまう。 [...]

By |2022-02-17T20:17:47+09:002月 17th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない Type1 第5章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない type1 第4章

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。  手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。  5月25日火曜日、午前7時30分。  朝から妙にリアルで、しかも自分の死ぬ夢を見て少しばかり目覚めが悪かった。  それはそれとして、二度寝しないうちに起き上がって頭をかく。避けられるなら遅刻は面倒くさいからしたくなかった。  通学路のいつものコンビニでパンとおにぎりを買い、通学路を歩いていると後ろから、朝なのに陽気な声が追いかけてきた。 「おーっす樋口、相変わらず寝癖大爆発だな」 「うるせえ」  声がでけえ、そして俺に掛けられた言葉も、お前は俺の母ちゃんか何かか。 「事実だろうがよ」 「ああその通り、だがモテだのカノジョだのに興味もない、ズボラな高2なんてこんなもんだろ」  毎朝髪をとかすなんて、面倒すぎて俺には出来ない。  朝は少しでも遅くまで寝ていたい。しかし慌ただしく登校の用意をするのも、遅刻して大人から何か言われるのももっと面倒くさい。  ……この遣り取りをした記憶がある。 「どうした急に黙り込んで」 「ああいや、何か既視感があってさ」 「夢にでも出てきたか」  遂に俺もお前の夢に登場するほどの有名人になったかー。 「ばっかじゃねえの」  馬鹿なことをほざく高橋の発言を一言で切り捨てて、でもそう、こいつの言うとおりだった。既視感の正体は、夢で見たのだ。 「じゃあ俺は先に行くから。教室で待ってる」  高橋はそう言い残すと、歩きの俺に合わせて緩めていた自転車を加速させるべく、ペダルを踏み込んた。  後ろが見えないことを承知で、俺は気怠げに手を振った。  このときは単なる偶然だと、不思議なことがあるもんだと、それくらいに思っていたのだ。  放課後になり、文房具を買おうと繁華街まで行くことにした。シャープペンシルの芯がなくなってしまい、ルーズリーフの残り枚数も心許なかった。どうせ行くなら、まとめて用事を済ませたい。あれやってこれやって何を買おう。  考え事をしながら駅で電車を待っていたときだった。  ――間もなく電車が参ります。  ――白線の内側までお下がりください。  自動放送に呼ばれたように、向こうから電車が滑り込んでくる。  その時だった。後ろから誰かに突き飛ばされた。朝の偶然が、いやそれ以外の何かもが、脳裏に走る。  一瞬だが全身が硬直した。  その一瞬が命取りだった。  夢に見たとおり、俺は線路に落ち、そして電車にひかれた。  目覚ましが鳴る前に目が覚めた。  昨日の記憶が昨日と一昨昨日の分の二つに、昨日は忘れていた一昨日の記憶が一瞬ごちゃ混ぜになって叫びだしそうになる。  時計を見ると6時を少し過ぎたところだった。 「やっぱりこうなるよな」  俺しかいないはずの自分のアパートで、他人の声を聞いて今度こそ叫んだ。  いや、叫びそうになって、寸前に首を絞められて声は出なかった。 「だから自分のねぐらは秘密にしとかないと危ないんだってば」  耳の後ろから水上の声がする。  口をふさぎなおされてから、首を絞める彼の腕が緩んだ。  窒息した後で反射的に咳き込みたいのに手が邪魔だ。 「落ち着け? パニックになるのは俺にも心当たりがあるが。いいな、すぐにはしゃべるなよ」  そしてそろそろと俺の口をふさぐ手もどいた。 「なんでここにお前がいるんだ」  低めた声で尋ねた。大声を出さないようにとは言え、容赦なく首を絞めたことを非難すべきだったか。息が出来なくてむちゃくちゃ焦った。 「こうなるだろうと予想していたからさ。俺もそうだった」  大抵の場合において、最初に生き返ったときはほぼ全く同じ行動を取り、全く同じように死ぬのだそうだ。そして1日ぶりにこちらの世界に来て、記憶がごちゃまぜになって混乱する。 「なんで先に言ってくれなかったんだよ!」 「大声を出すな! こっちの記憶をあっちには持って行けない。それに言ったところで、お前は信じたか?」 「……」 「信じねえだろ。だからだよ」  百聞は一見にしかず、習うより慣れよ、だ。  理由を言われて理解は出来たが、感情が納得できない。 [...]

By |2022-02-17T15:38:31+09:002月 17th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない type1 第4章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない type1 第3章

「こんなにカレーばっかり買ってきて、何を考えてるのよ!」  学校に戻ると、こそこそ荷下ろしを始めた水上だったが、すぐにバレた。  静かな中でエンジン音を響かせて走る自動車で帰ってくれば、誰でも帰着したことが分かるだろう。 「カレーは正義だぜ」  さっきも聞いた一言で片付けようとする。 「そうだけどさ!」  そうなんだ。それは認めるのか。 「ならいいじゃねえか」 「ちっとも良くないわ!」  そう言いながらも、朝は見なかった俺たちよりは年上のようだがまだ若い女性は、荷下ろしを手伝う。 「ガキだってみんな喜ぶぜ」  確かに、カレーと聞きつけて何人かの子どもたちが教室のドアから顔を覗かせている。 「あんたがカレーを作ると、そのあと1週間くらいは調理実習室からカレー臭が抜けないのよ」 「何を、俺はお前より若いぞ。……俺、そんなに臭いかな」  荷物を抱えながら、自分の脇の下を嗅ぐ。 「気持ち悪いわね、脇の下をくんくんしちゃって。カレーの、スパイスの匂いが抜けないのよ」 「それは別に良いだろ、食いもんの香りだぜ?」 「だから、ちっとも良くないの! 作ってる料理を味見してても分からなくなるのよ」  どうやら水上はカレーしか作らないから気にならないようだ。 「でもほら、ココナツミルクとかさ、カレー以外の具材だって……」 「前回のは全部、グリーンカレーになったわよね」 「いやまああははは」  笑って誤魔化した。 「君も君よ、一緒について行って、何で止めないの?」  俺に話が回ってきた。 「ここではそういう物なのかと思って……」 「そんなわけないでしょ!」  やっぱりそうだったか。 「自己紹介もしないうちから叱り飛ばしちゃダメだろ」 「それすらさせてくれないような案件を持ち込んだ張本人が言うわけ、ふーん」 「はいごめんなさい俺が悪かったです」 「悪いと思うなら今度からこの半分くらいにしてほしいものね」 「前回の半分以下の量だと思うぜ?」 「2トントラックで行ってほぼ全部カレーかスパイスかその具材だった時のこと?」  軽トラの隣に駐まっている、黒猫の絵が描かれた宅配便の集配に使うこの車だよな。全部がカレーとはどういう状態だろう。 「まったく。……細野歩美、よろしく」  唐突に名乗られて面食らう。 「……樋口雅俊です」 「樋口くんね。元の世界のこいつを知ってるなら、こんど手綱の引き方を教えてね」  口止めもされていたし、明日にはもうここに居ません、もうここに来るつもりもありませんとは言えなかった。 「うす」  それだけ返事して、最後の荷物を手分けして抱え持つ。 「まあいいわ、持って来ちゃったんだもん。じゃあ水上は今夜の食事係って事で。樋口君はこの中を案内するわね」  階段を上がりながら、非難がましい目で水上は抗議した。 「俺だけで作れってのか」  踊り場から見下しながら仁王立ちの細野さんがバッサリ切る。 「だってあんた、あたし達が手を出そうとすると怒るじゃない」 「それはお前らが……!」 「ヨーローシークー!」  細野さんは最後のカレー缶の箱を川上に押しつけると、ぴしゃりと調理実習室の扉を閉める。 「まったくもう」  ため息を一つついて、気持ちを切り替えたようだ。 「ここの在校生だったんだって?」 「そうです。2年1組にいました」 「なら、君のロッカーや机はそのままかもね」 [...]

By |2022-01-30T14:15:26+09:001月 30th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない type1 第3章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない type1 第2章

「出かけるなら着替えが欲しい」  自分の吐瀉物がはねた制服を着たままで生活するのは嫌だ。 「ああ、そうだな。作業をするのに制服だと何かと不便だよな」  上着はひとまずそのままにして、ワイシャツと制服のズボンだけの出で立ちで保健室を出る。まだ少し肌寒いが我慢だ。水上は作業着のジャケットに袖を通しているのが少し羨ましい。  彼に連れられてやってきたのは教職員用の駐車場だった。彼はためらいなく端に駐められた軽トラックの運転席に乗り込んだ。 「免許を持ってる……わけ、ないよな」 「こっちの世界には運転免許を交付できるほど、警察官がいないよ」  そういえば、圧倒的に人が少ない。 「平和だからな、殉職者も多くない。いいことじゃねえか」  殉職者? 「まあ乗れよ。走りながら説明する」  水上は慣れた手つきでキーをひねりエンジンを掛ける。  一抹の不安を抱えながら、おずおずと助手席に座った。 「ここはな、あっちの世界で死んだ奴が来る世界なんだ。俺もそうだし、樋口もそうだろ」  思ったよりスムーズに車が動き出した。 「山奥の小さい中学で、同級生がもう2人も死んでるのか」  敷地を出ると、全く車通りのない道で、気持ちよく速度を上げていく。 「そういうことになるな。でも全員かどうかは分からんが、40歳くらいになるとここには来ないみたいだな。あっちからこっちへは記憶を持ち越せるけど、こっちからあっちには出来ないから確かめようがない」  ここから、記憶を持ち越せない? それはつまり。 「生き返れるってことか?」 「うん、望めば、って言うか望まなくても、法則に従って生き返れる」 「どうやるんだよ!」  思わず俺は勢い込んで聞いた。詰め寄ったせいで車が揺れた。 「あっぶねえな。あー、その。お前は未練がある派なのか」 「は?」  死んで生き返りたくない人なんて居るのか? 「やりたいことがあったとか、なりたい自分があったとか?」 「……。」  改めて問われると、特にこれといってない。ないけど。 「先に言っとくけどな。あんまり他人に言わない方が良いぞ。お前がどういう死に方をしたのか知らないし、話の流れで聞いただけで興味ないから答えなくていいけど、ひとによっちゃあ自分からこっちに来たのだっている」  まあ、ここに来るとは知らなかっただろうけどな、といって彼は笑った。  自殺、ということか。 「まあいいや。話を戻すとな、日付が変わる瞬間に色々なことが起こるんだ」  曰く、あちらで亡くなると、死んだ日の0時にいた場所へ、翌日の0時に「リセット」されるらしい。昨日の0時に、俺は自分のアパートで寝ていた。だから今日の0時に、こちらの世界の自分のアパートに現れたらしい。 「そして新しくこちらに来た人が居た場合、そこから半径50kmくらいにある色んな物も一緒に連れてくる。登校するときにコンビニに寄っただろ、その時に商品が色々並んでいたはずだ。元々こっちに居た俺たちは、そういうのを見て今日は知らないヤツが新しく落ちてきたなって知るわけよ」  普段なら、特に賞味期限の短い生鮮食品はあっという間に誰かが取ってしまうか、腐っていくためにその場で残り続けることはないらしい。 「だからお前の服を調達したら、スーパーへ行って保存できる食べ物とか色々買い込むのに付き合ってもらうからな」 「もちろん。だから軽トラックなのか」 「いや、違う。もっとでかいトラックは、お前がぶっ倒れている間に別の調達班が使ってる。最後に残ったのがろくに荷物の積めないこの車ってわけさ。ガソリン自体が自分たちじゃ作れねえから、普段は車なんて使わないんだよ。無駄遣いになるから乗用車は最初から用意してない」  誰が運転しているのかは聞かないでおこう。もしかしたら他にも誰か大人が居るのかもしれないが、今朝から見たのは、自分と同じ歳の水上と、歳下そうに見えた2人だけだった。 「それでな、日付が変わったときにどこに居たかが大切なのはこの世界でも同じなんだ。こっちの世界で死ぬと、やっぱりその日の0時に居た場所で、翌日の0時に復活する」 「復活する?」 「そう。ちゃんと死ぬけどある意味じゃ不死身なんだ」 「ここで死んだらあっちの世界に戻るとかじゃ無いのか」 「そこまで簡単な条件じゃねえよ。何日連続で生き残ったか、それによって決まる」  最初は1日生き残れば良いらしい。その次にこちらへ来たら2日、更に次は4日と、あちらの世界で生き返るために必要な、生き残らなければいけない日数が増えていくのだと言った。 「だから、これが何回目のあの世なのか、今日が何日目の生き続けた日なのか、あっちに戻りたいなら間違えずに数えとけよ」 「そんなに何度もあの世に来てたまるか」  俺がそういうと、彼は短く乾いた笑いを上げた。 「作業服でいいよな、農作業もしてもらうしそうすると汚れるから、それでも構わない方が良いだろ」  笑い方の意味を問う前に、目的地に着いてしまった。後から思えば、最初に生き返る前では聞いて答えをもらったところで、理解できなかったと思う。 「……うん」  俺も安い下着や冬の上着を買いに来たことがある作業服チェーンの駐車場に、水上は軽トラックを停めた。 「中から助手席側の鍵を閉めるから、先に降りてくれ」 「分かった」 [...]

By |2022-01-30T14:15:20+09:001月 29th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない type1 第2章 はコメントを受け付けていません

俺に明日は来ない type1 第1章

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。  手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。  買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。  ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。  5月25日火曜日、午前7時30分。  実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。  入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。  そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。  寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。  学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄って朝飯と昼飯を買う。パンとおにぎりを都合5つ、学校に着いたらそのうちいくつを1限までに食い、いくつを昼飯に回そうか。 「おーっす樋口、相変わらず寝癖大爆発だな」 「うるせえ」  声がでけえ、そして俺に掛けられた言葉も、お前は俺の母ちゃんか何かか。 「事実だろうがよ」 「ああその通り、だがモテだのカノジョだのに興味もない、ズボラな高2なんてこんなもんだろ」  毎朝髪をとかすなんて、面倒すぎて俺には出来ない。  朝は少しでも遅くまで寝ていたい。しかし慌ただしく登校の用意をするのも、遅刻して大人から何か言われるのももっと面倒くさい。 「お前ってやつは、顔は良いのにもったいないよなあ。その怠惰をもう少し改めれば、クラスの女子による残念なイケメンランキング1位の称号はただのイケメンランキング1位に変わるぜ」  知るか。何だそのランキングは、聞いたこともない。 「じゃあ俺は先に行くから。教室で待ってる」  高橋はそう言い残すと、歩きの俺に合わせて緩めていた自転車を加速させるべく、ペダルを踏み込んた。  後ろが見えないことを承知で、俺は気怠げに手を振った。  てくてく歩けばやがて校門が見えてくる。クラスメイトや先輩後輩と挨拶を交わしあいながら上履きに履き替えてホームルーム教室に入った。  いつもと変わらない日常は、失って初めてその貴重さが分かる。  放課後になり、文房具を買おうと繁華街まで行くことにした。シャープペンシルの芯がなくなってしまい、ルーズリーフの残り枚数も心許なかった。どうせ行くなら、まとめて用事を済ませたい。あれやってこれやって何を買おう。  考え事をしながら駅で電車を待っていたときだった。  ――間もなく電車が参ります。  ――白線の内側までお下がりください。  自動放送に呼ばれたように、向こうから電車が滑り込んでくる。  その時だった。後ろから誰かに突き飛ばされた。考え事をしていたからとっさに踏ん張れず、足は点字ブロックを越えて白線を越えて、転んだ反射で手をつこうとした場所にホームがなかった。  全てがゆっくり進んでいくような錯覚を覚えた。  進行方向へ落ちてきた俺に気付いた電車の運転士が警笛を鳴らし始めた。  頭から線路へ落ちて、枕木の端を押してホームの下へはねのけようと考えた。  警笛に気付いたホームの乗客が悲鳴を上げる。  しかし想定以上の衝撃は腕だけで受け止められず、体はそのまま前転してしまう。  いつまでも進入する電車は警笛を鳴らしている。  ならば向こう側へ逃げようと思考は空回りして、地面から出っ張った鉄の線路に尻をぶつけ転がる力が相殺される。  視界の端に、鉄が擦れあって散らす火花がすぐ横に見えた。  電車の下って、暗いだけじゃないんだ――。  ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。  手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。  買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。  ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。  5月25日火曜日、午前7時30分。  実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。  入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。  そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。  寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。  学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄ったら、昨日までは当たり前に営業していた店舗が略奪されて廃屋になっていた。  ……寝ぼけた頭が急速に覚醒してゆく。  俺は起きてからここまで、昨日も全く同じ事を考えて行動した気がする。  改めて来た道を振り返り、これから行く学校への道を見れば、どこかすすけて人通りが恐ろしく少ない。というか、今朝はここまでで誰1人として見ていない。 「今更気付くことかよ。違和感でけえだろ」  知らず呟いた俺の独り言が辺りに響く。自動車の音すらしない。周りが静かすぎる。  響いたと言うより、それは震えていたかもしれない。 [...]

By |2022-01-29T21:07:31+09:001月 28th, 2022|Categories: 俺に明日は来ない, 書いてみた|Tags: , |俺に明日は来ない type1 第1章 はコメントを受け付けていません

無題 Type1 第6章 第2稿

<無題> Type1 第6章原稿リスト第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む<無題>トップへ戻る第6章1 農業生活を始めて約半年。葉村に指示されるままに地面を耕し、夏植えでも実のなる野菜の初収穫を終えた頃。いくつか気付いたことがあった。 この道は廃坑へ続く道だが、それなりに往来があること。 僕らが通ってきた道を、軍用の大型トラックが週に1回くらい通過すること。 それ以外にも結構乗用車が通ること。 普通の地形図には60年くらい前に廃坑になった鉱山くらいしか載っていないのにもかかわらず、結構な頻度でこの道を行き来する人たちがいる。おかしいと思ってあちこちのサーバーに侵入して調べてみたら案の定、廃坑のあたりに産業情報庁の秘匿研究所があるらしい。 葉村には言わなかった。必要ない心配をかけたくないからだ。 葉村が寝ている隙に、僕はあいつと2人で今後を相談した。 ――場所、移ったほうがいいと思うか? ――その必要はないと思うぜ。というより、ここよりいい場所が多いとは思えねぇ。 ――そうか。 ――ただ、見つかる確率が変わるわけじゃない。灯台下暗しになるかもしれねぇが、距離が近い分このあたりの監視もきついだろう。 ――一理あるな。 ――どうにかして、戦闘の備えくらいはしておいたほうがいい。 ――……下の道を通るトラックを襲うか。 ――もっと穏便な方法はねぇのかよ。 ――今さら下の街に下りることはできないし、持ってきた道具は必要最低限しかないからな。 ――今さら葉村を危険なことに巻き込むつもりかよ。あいつは家族に黙って俺らについてきたんだ、世間では俺と一緒に雲隠れだぞ。俺らには、葉村を無事にうちへ返す義務があるんだぜ。 ――ガタガタうるさいな。……でも、葉村を更なる危険に巻き込むのは上策ではないな。 ――その通りだ。藪蛇になったら元も子もねぇしな。 ――葉村が気付かないように注意しつつ、偵察する程度にとどめておくってことで。 声が少し、口から漏れていたかもしれないが、葉村を起こさずに済んだからいいとするか。 半年ほどかけて彼らを観察した。週に往復2回行き来するトラックを、毎回場所を変えつつ相手のことを探っていた。すると予想通り、相手はやはり「お役所」の、毎月決まったスケジュールを持っていることが分かった。 常駐している職員のための食料は毎回積み込まれ、このほかに週によって違うものが一緒に運ばれるようだった。運び込まれる荷物量から予想すると人数規模はおそらく30~40人といったところだろう。 職員向けの嗜好品や日用品、研究用の消耗品などが第1週目。 研究に使うのだろう、液体窒素や様々な薬品類が第2週目。 武器弾薬の補充が第3週目。 中で自家発電をしているのだろう、その燃料と思しきガソリンが第4週目。 月曜日にトラックが出発して、荷物を積んで水曜日に帰ってくる。これを毎月毎月ローテーションしていた。 もちろん、観察だけではない。 連夜、僕は関係しそうなあちこちのサーバーを渡り歩いて、あのトラックの仕入れ先、次回の積載物は何か、そういった情報を手に入れては、積み荷を観察した。 一度、送信中の注文リストを発見した。それは日用品の週だったのだが、試しにトイレットペーパーの注文を取り消してみた。取り消してから思い出す。実際に職員が困ったか確認する方法がない。 そんなくだらないことを繰りかえし、さらに季節が過ぎ去って迎えた2度目の春。 秋に残しておいた種を畑にまき終え、のんびりしていた頃。 農作業と2人の山中生活に慣れてきた頃。 僕らと葉村はともに、18歳になっていた。 僕らの生活は、再びひっくり返される。2 収穫した野菜を料理して朝ごはん。雰囲気は老夫婦の日常、だ。「今日は何をするんだ? ――この漬物美味いな」「農作業は今日はお休みかな、水やって育ってるか見るくらいでいいと思う。――くねくねになったきゅうりでも漬けちゃえば同じよ」「そうか、なら今日は車の整備の日にするか。――漬物のセンスあるな」 もぐもぐ「いいんじゃない? 最近やってなかったから。機械油残ってたっけ? ――そして女子高生に対して漬物のセンスを問うとはどういう心づもりだ」「ああ、まだ残ってる。――単純に料理の腕前を褒めただけだったんだが」「そっか。――そっか」 防寒着を着込んでもこもこになった僕らはちょっと離れた畑へ向かう。 ホウレンソウはそろそろ収穫してもよさそうだ。青い葉がいい感じに育っていた。「大根もおいしそうだよ」 水をまきつつ、虫がついていないかチェックする。「やっぱり、ジャガイモ収穫しちゃおうか」「そうか。袋とってくる」「よろしく~」 勝手口から家の中に入り、土間に置いてあるバケツからレジ袋を2つ3つ取る。引き返して外に出ようとした時。 奥から物音が聞こえた気がした。「……」 半分扉を開けたまま、動きを止める。台所に続くふすまを見つめる。 しばらくそうしていたが、畑で葉村が待っていることを考え外へ出た。 きっと気のせいだろう。こんな山奥の田舎の農家に、泥棒を働こうなんて人間はいない。 早足で畑に向かったが、そこに葉村はいなかった。葉村がさっきまで持っていた小さなシャベルだけがその場に残されている。「……葉村?」 呼びかけて待ってみるが声は返ってこない。 道具を取りに行ったのかと倉庫へ行ってみる。 ……しかしそこに行った形跡はない。「葉村!」 何かがおかしい。 敷地内をあちこち探しまわっても見つけられない。山に入ったのかと靴箱を見ても、登山靴はきちんとしまわれている。車にエンジンがかけられた様子もない。 おかしい。葉村がいないことも、……自分の中に生まれた|何か《・・》も。 得体のしれない、把握できないことが起こっている。 家の前、車の展開ができるように広くなっている庭の中央で、僕は困惑していた。 葉村がいないで僕はこれからどうすればいい――? と、ここまで分析を進めて違和感に気が付いた。 僕は、何故こんな必死になって葉村を探しているのか。 知らず、息が詰まる。思考が空回りする。これは、なんだ。 懐かしいような、恐ろしいようなこのモノは。 そんな僕らしくもなく状況を忘れてつまらない思考を続けていたのがまずかった。背にした玄関が軽い音を立てて開いた。1拍おいて振り返って、ごめんごめんちょっとおはなつんでたの、といつものように軽く弁解をする葉村を探し、しかし玄関には誰もいない。 ただ開いただけに見えた。 陰に隠れているのかと近づいた。実に不用意に。 敷居をまたぐ最後の1歩を進もうと足をあげたタイミングで、建物内の暗がりから男が現れた。「……!?」 闇に溶け込むような濃灰緑色の作業服を上下に着込み、20リットルくらいのザックを背負ってさらにウエストポーチを装着したヘルメットの男。暗くて顔がよく見えない。「お前は誰だ。誰に断わってうちに入り込んだんだ」 僕が誰何しても落ち着き払っている。 葉村は、彼女はあいつにやられたのか。確認しようとした時、陰に隠れたままの相手は右手に持った銃を僕に向けた。 逃げようと動き始める前に引き金を引かれる。ガスが抜けるような音。 ぎりぎり見えるが逃げられるほど遅くはない弾が右頬にあたる。反射的に手を当てると、手が赤く染まった。怪我はない。「ペイント弾?」 知り合いによる単なるドッキリだったのか? 葉村も共謀している……? 怪訝な顔を相手に向け、――突然膝から力が抜けた。「――!?」 敷居に腰をぶつけたが、その痛みはすぐに退いていく。 ようやく理解が追いついた。どうやらペイント弾の中身は揮発性の麻酔薬だったらしい。 地面に倒れた僕へ、無造作に相手が近づいてきた。朦朧としつつ、必死に顔を覚える。次に目が覚めてから誰だったか思い出すために。 <無題> Type1 第6章原稿リスト第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む<無題>トップへ戻る

By |2017-01-14T18:15:24+09:006月 23rd, 2013|Categories: 書いてみた, 無題|Tags: , , |無題 Type1 第6章 第2稿 はコメントを受け付けていません

無題 Type1 第1章 第5稿

<無題> Type1 第1章原稿リスト序章原稿リストへ戻る 第2章原稿リストへ進む<無題>トップへ戻る 第1章1 ざわついている教室の中、窓際の席にて。 高校に入って初めての中間試験が終わり、僕こと山本祐樹《やまもとゆうき》はのんびりと伸びをしていた時。「ねぇ、今日こそは付き合ってくれるんでしょうね?」 席の隣の葉村ななみに話しかけられた。 入学から約1ヶ月ちょっと。たまたま隣の席で少しずつ話をするようになった相手だった。友達を作るのが苦手な僕にとって、このクラスで誰よりも話しやすい女子、いや同級生だ。これまでにも何回か、一緒に遊びに行かないか、と誘われていたのだがずっと断っていた。「さすがに試験終了日には勉強もしないでしょ?」 先に逃げ道をつぶされてしまう。いい加減、適当な言い訳を探すのも億劫になっていたので、たまにはいいか、という気分になる。 脳内で家計簿を読み込み、確かそんなに使っていなかったと思いながら今月の遊興費の残額を確認した。 まぁ、いいかな。今日遊びに行っても今月の新刊はちゃんと買えそうだ。「あまり遅くまではだめだけど、それでいいなら」 そう返すと、割と大きい声が、まだそれなりに生徒が残っている教室に響いた。「いよっし。やっと落とせたー!」 どこぞのシミュレーションゲームをやっているような台詞。教室中の注目を集めるほど大きな声を出してしまうほど、はしゃぐことなのだろうか。僕には分からない。 一呼吸、教室がしんとなり、視線が集まった。うげ、ヤバい、とつぶやいた葉村が逃げ出そうと動き出す前。 デートだ、カップル成立だ、よりにもよってあいつが!? はやし立て驚く同級生に僕らはもみくちゃにされた。2 その後僕らは池袋のカラオケやゲーセンへ行った。こういうところへ一緒に出掛ける知り合いの少ない僕はめったに来ないし、一人では絶対行かない場所だった。最近の音楽は全然分からなかったためほとんど聞き役に徹していたが、それでもほかの人と騒ぐのは楽しかったし、葉村も楽しんでいたようだった。 そして今は19時前。僕らは池袋駅東口にいる。2046年、数年前に始まった東アジア戦争で夜間店舗営業縮小令が発令され、18時から翌朝6時まではあらゆる店が閉店することになっていた。既に21時までの深夜営業を許可されたコンビニや、終日稼働の自販機以外、通りに並ぶ店店から漏れる光はない。今日はこれ以上街にいても、もう面白くない。 百科事典に載っている“大都市の夜景”なんて言うものは今では見ることができないし、それを見るための商業施設も軒並み閉店してしまう。どうしても見たいのなら丹沢や奥武蔵といった首都圏近郊の山に登るか、飛行機などに乗る必要がある。たとえ乗ったって見る光の規模は海辺のコンビナートと高い建物の赤い指示灯だけ、事典の写真とは比べ物にならないくらいつまらないのだが。 夜は軍事施設と治安維持組織が電気を消費する時間帯。彼らは夜、自分たちの敷地に引きこもり、何をしているのか知らないが何かやっているらしい。都市伝説ではいろいろささやかれているが、僕はそれらに興味はない。 夜の治安が悪化した都市。面倒事に巻き込まれたくないのなら、そろそろ帰る時間だ。「送っていくよ」 一応僕も男だ、そういうと。彼女は丁重に、しっかりと断った。「いいわ、一人で帰れる。家、反対方向でしょう?」 買い物もしたいし、これ以上付き合わせるのは悪い気がするもの。 彼女の家の最寄り駅はJR山手線の高田馬場。僕は地下鉄有楽町線の護国寺だ。 相手がそう言っているんだし、家を知られたくないのかな。そう思って、僕らは駅前で別れた。3 面倒なチンピラにからまれた。「おいそこの女、いつまでも逃げてんじゃねぇぞ!」 自分の運の悪さにうんざりしていたのは最初の1分だけ。私《葉村》は暗くなった池袋の繁華街を走り抜ける。 もともとそれなりに土地勘のあるところでよかった。こう思っていたのはそのあとの30秒。 私の逃げ足は遅くはないが早くもない、徒競走ではそれなりの順位である。だから逃げ切れるはず、という思いが消えたのはその後の15秒。その後はもう時間の感覚なんてほとんどない。 しかし特に運動部に入っているわけでもないただの女子高生が、制服で街を逃げ回るのはかなりきついものがある。おそらくもう10分は走り続けているだろう。撒いたと思ったら見つかり、ということを繰り返すのもそろそろ限界だった。 周りの他人たちは、制服で全力疾走している女子高生に目を向けても、それを追いかけているチンピラを見たとたん、たとえ目が合ったとしても気まずそうに目をそらし道をあける。ぶつかりそうになってあからさまに舌打ちをする人すらいる。誰にも助けを求められない。まずいことに電車・バス共通のIC乗車券は財布の中で鞄に入れてあるためすぐには出せないし、携帯端末のクレジット機能はセットアップをしていないため使えない。何か乗り物に駆け込んで一息つくこともできない。 もう、逃げられない。 体力が続かない。 諦めかけた時。十字路先、前方のコンビニから出てきた、さっき別れたばかりの、同じ制服姿の男が視界に入った。間違えていてもいい、誰か助けて。「山本ー!」 走りながら出しうる限りの大声を出す。この時の私に、見た目や印象を気にする余裕はない。「私の彼氏でし、ゲホッゴホゴボッ!?」 走り続けた上に叫んだものだから咳で語尾が濁った。 一度学校帰りに――それも今日――カラオケへ行ったくらいの相手、根も葉もない嘘だけどかまわない。周囲にいた通行人の一部が今さら、驚いたように振り向くが、しかし肝心のあいつは気が付いていないようで、コンビニ前の縁石にしゃがみ込み、手に持っていた肉まんにかぶりつき、呑気にポケットから取り出した携帯端末をいじりだす。私の今の声が聞こえないはずはない、と思う。 もう嫌、誰でもいい。 誰もかれも、何で私に気づいて、助けてくれないの!? 近づいて、気づいてもらえなかった理由が分かった。彼は両耳にイヤホンをつっこんでいた。 私がこんなつらい目に合ってる、っていうのに、暢気に音楽聴きながら肉まんなんて美味しそうに食べて……!! 勝手にキレ始める私。それを自覚して、落ち着くために息を吸ったところで足がもつれた。 こけた。 捕まる……! 覚悟した、のだが。 追いかけていた4人のチンピラは。私を追い抜き、走るのをやめて山本へと近寄っていく。やっと手が届いた獲物をゆっくり追い詰めるように。「おい、てめえ。あの女の彼氏なんだってなぁ?」「お前も、あんな馬鹿な彼女持つと苦労すんなぁ、え?」 感じの悪い笑い声をあげて山本を取り囲むように立ち止まる。 うつむいて相変わらず携帯端末をいじっている山本。その様子にチンピラの一人がキレた。 胸ぐらをつかんで無理やり立たせ、威嚇するように至近距離から大声を放つ。「なんとか言えよこの野郎。彼女が馬鹿なら彼氏は間抜けってか?!」 彼は驚いたように口を半開きにし、数秒たってから自分の身に何が起こったのか認識すると無造作に手を挙げ、両耳からイヤホンを抜いた。携帯端末にコードを巻きつけてそのままポケットにしまいこむ。 ちっともおびえた様子がないばかりか、何でもない普通の行動で逆に気圧されかけているチンピラがイラついたように殴りかかる直前、彼はやっと口を開いた。「どちら様でしょうか。僕のご用ですか? それにしてはいささか乱暴に過ぎると思うのですが」 私はパニックになりかけて、道のド真ん中に両手をついて息を整えている、っていうのに。山本はちっともおびえてなんかいなかった。 あっけにとられたのは私だけではなかったらしい。チンピラは振り上げた手を静止させ、言葉を失ったように数度口を数回開け閉めする。チンピラが何か言う前に、主導権を確かにするように山本が言葉を継いだ。「あと、彼女ってどちら様のことでしょうか。誰とも話していないので、そんな三人称代名詞を使って呼ぶ人はいませんし、僕には恋人もいませんよ」 丁寧だが相手を完全に馬鹿にした口調。 喧嘩勃発寸前の殺伐とした雰囲気に足を止めた数人の野次馬たちがくすくすと笑う。 馬鹿にされたと分かったのだろう、今度こそチンピラに殴られる山本。派手な音がしてその場に崩れ落ちた。「カノジョのほうはテメェが恋人、だって言ってんだよ」 地面に倒れたまま、彼は足元に置いてあった荷物を抱え逃げ出そうとしたが、すぐにチンピラに襟首をつかんで起こされる。反動で鞄がふっ飛び、コンビニのガラスにぶち当たって地面に落ちる。 夜に吸い込まれる、鈍い衝突音で私は我に返り携帯端末を取り出す。……取り出せない。 映画やドラマでしか見たことのなかった街中でのケンカ騒ぎを前にしているせいか、それも知り合いが巻き込まれているせいか、手が震えてどうしようもなく止まらない。力尽くで抑え込もうとすると今度は手汗で滑ってしまう。落ち着きかけていた意識がパニックへ戻ろうとする。ついに携帯端末を落としてしまった。 地面に携帯端末を置いたままやっとのことで画面を点けても、震える手ではロックを解除できない。 私がもたもたしている間にさらに数回殴られてしまった山本を見て、しかしどうしようもなく抜けた腰は立たず、焦りだけが積もっていく。 無抵抗に、しかしできるだけ衝撃を吸収しようと努力して殴られ続ける山本を見て、何処かへ電話をかけた後の野次馬たちは感心して見ていた。 関係者ではない|他人《野次馬》たちはせっかくの見世物、少なくなりつつある娯楽を止めようともしない、そればかりか、端末のカメラで撮影しているヤツもいる。 もしかしたら、彼がさっき私を無視したのはチンピラどもを引き付けるためだったのかしら。 私の動かない頭はどうでもいいことを考える。 という事は。私は私の囮になってくれた彼に、暢気だと勝手にキレて、そして今は巻き込まれないように離れた所からただ傍観しているってこと? 声をかけて止めようともしなければ、満足に自分の体を動かすことも出来ないで道に座り込んでいるの……? 何も出来ない私は、見ているだけの私は、彼に何をしてあげればいいの……? こんなことを考えていたら、いたら、いたら……。何かに置かされたように思考がぶつ切りになる。現実から思考が飛ぶ。感情が麻痺して、見ているだけの機械になるってこういう感じなのかな。そんな思考が流れて。   ―――― やがてサイレンの音が遠くから聞こえてくる。それはチンピラにも聞こえたようで、一人が防戦一方で地べたに転がっている山本の体を漁り、財布を探り出すともう3人に合図し、逃走しようとした、が。 気を失って動かないように見えた山本が跳ね起き、一番近くにいた奴の足に抱きついた。 せめて逃がさないようにしたのだろう、私も周りの人もそう思った。「クソ、このっ……」 振り払おうとするが、山本は。 私たちの想像を超える行動を起こした。 抱え込んだチンピラの足に噛みついたのだ。 反撃。 上がる野太い悲鳴。 あまりのグロテスクな絵に後ずさり、息をのむ|傍観者《ギャラリー》。 道の真ん中で乱闘騒ぎを起こしていて通れず、落ち着くのを待つように喧嘩を見ていた知らない人たちは突然のR-18な光景にぎょっとして。一方的でつまらないとイライラ隣同士でこぼしていた不平が、人の声が消える。 強調されて聞こえるのはチンピラの絶叫と、近づいてくるサイレンと自動車の音。 噛みついた山本を引き離そうと、もがくたびに噛みつかれた痕から血が飛び散る。「てめえ……っ」 一人が戻ってきて山本の髪をつかんで足から引きはがし、後ろから首を絞めた。 彼は口から赤い唾液を吐きだし、締めているチンピラの太い腕の上を垂れる。続いて左手を自分のポケットに入れ、すぐ細長いものを取り出して、後ろ手で加害者のわき腹に刺した。 一瞬力が弱まったのだろう。腕を下へすり抜けて拘束から逃れると、刺した細いもの――文房具屋で1本100円で売っているようなシャープペン――をぐりぐりと回しだした。 私は不意に込みあがってきた吐き気を必死にこらえた。 垂れる血液、上がる悲鳴、そして顔色ひとつ変わらない山本。 ついに目をそらし損ねた一人の女性が路肩にしゃがみこんで嘔吐し始めると、あとは連鎖的に、直接見ていない人も。すぐに空気が酸っぱくなる。 そして。3人目のチンピラに、いつの間にか背後に回られていた。コンビニのごみ箱に立てかけられた不法投棄の蛍光灯で背を殴られる。直撃は避けたものの、破片は避け損ねた彼の背中に刺さる。滑らないように強く握りしめていたチンピラは握力で蛍光灯を握りつぶし、切り口は手を切り裂いて血だらけにした。 もう、私には限界だった。だが、今、目の前で起こっている事件は私が呼び込んだようなものだ。 気持ち悪い、頭が痛い、もう何も見たくない。目に赤い色が焼き付いていた。 私は失神しかけていると自覚しながらも、体が震えてうまく動かせなくなっていても、全てを見なくてはいけない。 我慢できずに下を見ると、嘔吐物と血液でどろどろに汚れた側溝があった。この汚れは、私のせいで出たものだ。4 背中が感じ続ける重さと痛さ。それを紛らわそうと視線を外に向けると、視界の隅で地面に両手をついた葉村が、下を向かず懸命に俺らの喧嘩を見続けようと努力しているのが見えた。 責任感の強いやつなのか? そう思うと|意識《メモリ》の隙間に少し余裕ができた気がした。 かかり続けていたストレスで壊れそうだったもう一人と交代した後に刺されたのが唯一の救いだった。五感に敏感なあいつだけだったら既に錯乱していたかもしれない。 敵の足に噛みつくなら、これくらいの報復くらい、あらかじめ考えておけよな。 最後にそう思考を回し、そして余裕が消える前に現状に意識を戻す。 前には胴体にペンが刺さり、口から泡を吹いて白目を見せているチンピラが、後ろには気が狂って何かをぐいぐいと俺に叩きつけ、刺しているチンピラが。左右に逃げたら背中の傷口が開いてしまうだろう。 一瞬考えて、俺は仕方なく、後方からこの状態から脱出することにした。 今さらだ、と思いながら、多少増える鈍い痛覚を覚悟して後ろに体重をかける。見えないが、背中に刺さっている何か――おそらく地面に散らばっている、形状からしておそらく蛍光灯の欠片だろう――がより深く自分自身に入っていく感覚を得る。 まさか自分から痛い思いをするとは思わなかったのだろう、背後にいた敵は何かから手を放して驚いたように跳ね避けた。後ろの障害物が消えた俺はくるりと180度方向転換。両手に付着したまだ生暖かい赤い液体を凝視して呆然と立ちすくんでいる敵にゆっくり、できる限りの速さで歩み寄り、残った力を使って股間を蹴飛ばした。「ぐふ――」 3人目の敵は避けもせず、うめき声をあげて仰向けに倒れる。 最後の1人はとどめを刺すタイミングをうかがっていたようだったが、残ったのが自分だけになったところで逃げだした。 逃がしたくはなかったが、もうとっくに限界を超えている俺には追い掛ける力が残されていなかった。 肩で大きく息をつき、コンビニに向けて投げた鞄を取りに行こうとして、バランスを崩して倒れこむ。 うつ伏せになれてよかった、とヒヤッとした。仰向けだったら刺さったままのガラス片がさらに突き刺さって飛び出ている部分が割れるところだった。 立ち上がろうとして、無理そうだったので這いずって鞄を取りに行こうとして。でも時間切れのようだった。救急車が5mくらい先に止まるのが見えた。 緊張が解けたのだろう、少しずつかすんでくる聴覚にパタパタと足音が届いて、すぐ近くで止まる。視線を向けると葉村だった。 よかった、これで。「……なあ」「!? え、な、なに、どうしたの?」 もう気絶していると思っていたらしい、少し慌てた返答。「お願いがあるんだが」「どんなこと?」 切羽詰まった葉村の声。死に際の遺言だとでも思っているのだろうか。少しおかしい。俺たちはまだまだ死ぬつもりなんてないのに。「コンビニの入口に……投げ込んだ……俺のかば……げほっ……鞄、持ってきてくれないか」 出来心が働いて少し演技を入れてみる。 泣きそうな顔で“願い”を聞き届けた彼女は、何度もうなづきながら、担架を用意していた救急隊員に引き渡すと破片がばらまかれた地面を踏みつけてコンビニの入口へ近づいていった。 心底おかしくて、ふふ、と笑いながら、俺は重症患者らしく意識を手放した。 おい、次に気が付いた時には、お前が表面にいろよ。俺は医者から説明を聞くなんて面倒なことはごめんだからな。5 ここはどこだろう。 私は薄暗い廊下に置いてある長椅子で寝ていたようだった。用意した覚えのない毛布が体にかかっていた。 きょろきょろと周囲を見回し、ふ、と上を見上げたとき、赤い“手術中”のランプを見つけて昨夜の記憶がよみがえる。 そうだ、私は――。 自己嫌悪に陥る寸前。赤いランプが消える。体を起こし、手術室の扉を見つめた。出てきた医師は私を見つけると一直線に歩み寄ってきた。「あなたが、山本さんの付き添いの方ですか?」 そういえば彼の家族らしき人はおらず、この場には私一人だけがいた。 多少の罪悪感を感じたが、とりあえずうなずいた。「そうですか。では、少々お話があります。私の部屋でしましょう。よろしいですか?」「はい、よろしくお願いします」 長椅子の下から2つの鞄を取り出し、医師の後について病院内を進み始めた。 彼の病室で枕元に持ってきたパイプ椅子に座って、山本の担当になったという高橋医師から今の状態について詳しく説明してもらったのだが。私はインパクトの強かった一部分しかよく覚えていない。「先ほども言いましたが、命に別条はありません。ただ、彼の体には不自然なほど傷が多かったのですが、何かご存知ですか?」「……どういうことですか」「ご存知ないようですね。……まあいいでしょう。説明します」 先ほども言いましたが、彼の体には、傷が多い。火傷、切り傷、ほかにもいろいろ。 まるで、何らかの虐待を受けたような……。 寝ている山本の顔を眺めている私の頭のなかをぐるぐると、“虐待”という言葉がまわっていく。 教室で、一人で本を読んでいる。 体育、暑い日でも下着を脱がずに体操着を着ている。 にぎやかな昼休み、一人ふらっと教室を出ていく。 人気のない校舎裏でいつまでもぼぅっとしている。 情報の授業中、キーボードを尋常でない速度でたたき続ける。 いつものあいつを思い出しても、私の中の彼はいつも、一人だった。誰かと関わろうとせず、むしろ自らを遠ざけていた。 何をやっても退屈そうで、誰といてもかったるそうで。 無視されているわけでもない、勉強やコンピュータについて質問されれば先生より丁寧にわかりやすく答えているし、嫌われているわけでもなさそうなのにいなくてもわからない希薄な存在感、頼まれたって面倒なことは引き受けない。 引き受けないのに、……なら昨日の彼はどうして私を助けたのだろう。 彼は目を覚まさず、一人でいくら考えても結論は出ない。 ……それに、あんなひどい姿を見られてしまった。私は、彼が起きたとして。どんな顔をして向き合えばいいのだろう。6 感覚が戻りつつある。冬の朝、暖かい布団のなかで起きたくないのに目が覚めていくあの感覚。触覚が意識に接続され、巻かれている包帯類と麻酔で鈍くなった痛覚を認識した。そして、腰のあたりに重さを感じる。 二度寝せずにさっさと起きやがれ。 人ごとだと思って声をかけてくるあいつを無視して目を開ける。ベッドで寝ている僕の体の上で、葉村が突っ伏して寝ていた。起こすのも忍びないが、その体勢だと後で体が痛むだろう。僕自身の足もしびれていたし、なにより重さが傷口に響く。 ここは病院のようだ。治療が終わっているだろうと予想した。出そうになった悲鳴をかみ殺しながらゆっくり、しっかり足を動かす。 上に載っていた彼女はうめきつつ、目を覚ました。「ほら、そこの簡易ベッド使いなよ」「むー。おはよう」 いまひとつ寝ぼけているようだ。一発で目が覚めるような言葉をしばし考え、「学校遅刻するぞ、もう8時15分だ」 始業時刻は8時半である。今が何時か知らないが。「えっ、や、やばっ、なんで起こしてくれ……」 案の定、真面目な彼女に効いた。ばっ、と起き上がる。きょろきょろ周囲を見回して。 ばっちり目が合う。どういう状況だったか、思い出したようだ。彼女は想像していたよりあわてているようで、何も声を出さず、ただ口を開閉している。 しばらくはまともな会話はできなさそうだな、と赤くなっていく葉村の顔を眺めて考える。だったら会話をすることではなく、思考を遮るようなことを、何か行動をしてもらった方が思考の冷却にはいいかもしれない。「なぁ、ここって携帯端末使える場所?」「うん、マナーモードでいいって、先生言ってたよ」「そうか。じゃあ悪いんだけどさ、僕の PC と携帯端末、それと汎用ケーブルを取ってもらえないかな」「あ、え、うん、ちょっと待ってね」 ぴょん、という効果音がつけられそうなほど椅子から器用に跳ね上がるとごそごそと足元に置いてあるらしい鞄をあさりだした。 あんな状態だったのに、ちゃんと言いつけ通り、鞄を持ってきてくれていたようだ。「はい、これ」「どうも。 AC アダプター、どっかにつないでくれないかな」「……うん」 壁のコンセントにプラグをさし、PC側の端子を渡してもらう。 案の定、携帯端末の電池は空っぽになっていた。 PC を立ち上げ、汎用ケーブルで携帯端末をつないで充電開始。 てきぱきと PC を使う準備をする僕を見て葉村はやることを思い出したように、「あ、じゃあ私、先生呼んでくるね」 そう宣言し、席を立つ。「よろしく、いってらしゃい」「まったく、自分の事のくせにさ……」 ぶつぶつ言いながらも僕なんかのために動いてくれる。ありがたい、とは思うものの、こういう世話好きと親密なコミュニケーションをとった経験があまりない。少し戸惑う。 いつの間にか、 PC がログインプロンプトを出して待機している。ユーザー名とパスワードを半秒かけずに入力し、続いて携帯端末の電源を入れる。 PCが起動する時間、約1分の間充電すれば、大抵起動できるようになる。 携帯端末がオンラインになるまでの間、やることがなくなってしまう。手持無沙汰に、無線 LAN 接続認証突破ツールを走らせる。画面いっぱいに16進数の数列が流れては消えていく。 想定より単純な暗号化。「割とちゃんとしてそうな総合病院のくせに」 総当たりで計算をしても、あと5分と暗号キーが持たないと表示された棒グラフが無情に告げる。 と、そこで医師を連れた葉村が帰ってきた。医師は僕とPCを一瞥してから言葉を発した。「……おはようございます。思ったより元気そうで安心しました。私が、担当医の高橋というものです」「初めまして、山本です。この度はありがとうございました」「こちらこそ、無事に意識が戻ったようでよかったです。それで、その、説明したい事とお聞きしなければならないことがありまして」「よろしくお願いします。……あ、お座りになってください。君もな?」 そういうと、彼女が隅に立てかけられていたパイプ椅子をもう一つ用意した。 2つの椅子にそれぞれ座って、高橋医師は咳ばらいをした。「まずは怪我の状態についてですが――」 退屈な10分が始まった。無線 LAN の暗号キーはとっくに解読できていた。命令者の予想より早く仕事を終わらせたと、そう自慢するようにカーソルが同じ場所で点滅している。「最後に、お聞きしなければいけないことがあります」「はい、なんでしょうか」「その、……言いづらいことなんですが――」「体の傷についてならお話しすることはありません。調べれば出てくるでしょうから」 口ごもる様子と僕の腹あたりに向いている視線から話題を推測する。 どんぴしゃりだったようで、医師は目を白黒しながらもごもごとつぶやく。 あと一押し。少し冗談めかして言葉を継ぐ。「虐待を疑っていらっしゃるのなら、そんな事実はありませんのでご安心ください。説明しましたら、それこそ先生がこのような目に遭いますので」 まだ何か言いたそうにしていたが。目に拒否の色を浮かべて口を閉じていたら根負けしたらしい、溜息を一つついて医師が立ち上がる。「では、何か質問はありますか?」「いえ、特には」 この数分で、医師は一気に疲れたようだった。「そうですか。何かありましたら、枕元のボタンを押してください。ではこれで失礼します」 それだけ言い残すと一礼して病室を出ていく。 包帯や固定具で固められた首を動かせるだけ使って会釈を返した。 葉村はといえば、呆けたように座っていた。医師が出て行き、扉が完全にしまってから。「……ねぇ。さっきの、本当のこと?」「さっきの、が何を指しているのか今一つよく分からないんだが」「虐待されたことはない、って」「ないよ。断言できる」 一拍。 何かが切れたように、葉村は椅子を蹴倒して立ち上がる。 椅子と床が発するけたたましい音にかぶせて怒鳴る。「じゃあ、何で傷だらけなのよ!?」 耳をふさぐジェスチャーをしようとして腕が動かない。仕方がないから苦笑しながら答えてやる。「落ち着け。……いいか、先に聞くが。君は、日常が、壊れてもいいのか?」「……何を言ってるの? 意味が分からない。日常、ってどういうこと?」「言葉通りだ。君の――」 途中で遮り、葉村は言葉を継いだ。「いいよ、私はなんとしてでも聞き出す、って決めたもん。そんなに話したくない事なの?」「そりゃ、人に隠すならそれなりの理由があるだろ」「でも教えて」「嫌だ」「なんで!? 心配するな、っていうの?」 落ち着いたと思ったら再び怒鳴りだす。「おい、ここどこか分かってるのか、病院だぞ?」「分かってる、分かってない。どうしてはぐらかすのよ」「落ち着けって。支離滅裂だぞ」「嫌。絶対、教えてくれるまで騒ぎ続ける」「そんな駄々こねるなって」「じゃあ教えて」「ダメだ」 話が堂々巡りしているうえ、微妙にかみ合ってない。「なんでそんなに他人が気になるんだ? 理解できない」「……はぁ? 私は他人なの? そうなの、ねぇ!」 彼女が爆発した。「他人だろ。そうでなきゃ単なる同級生――」「そんなわけないじゃない、馬鹿!! なんで? 私には何も出来なかったって、あてこすっているつもりなの!? そんなこともわからないの?」 どの単語だったのか知らないが、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。更に過剰に感情をぶちまけ騒ぎ出す。何か拙いことを言っただろうか。「君、おかしいよ。どうかしてる。私のせいでこんな目にあった、ってストレートに言ってくれたほうがまだマシだよ。なんでそんな皮肉を言って片付けようとするの? 言いたいことがあるなら言えば、見ているだけでなぜ何もしてくれなかったんだって、糾弾したいならすればいいじゃない、本当に君は人間なの? 思いやりって知ってるの? 私を助けてくれたのはうれしかった、でも。こんな仕打ちをするくらいなら、あんな私だけのヒーローみたいなことしておいて。……好きになっちゃった相手にこんなに無神経にひどいこと言われるほうが、傷つけられるほうが何倍も辛いんだって、ねぇ教えて、君は感情を持ってるの? おかしい。変。異常。教えて、どうしてそんなに歪んでるの?」 一気に畳みかけられた。 歪んでいる? まあそうかもしれないな。 感情がない? そうさ、僕の感情は後付で作られたものだ。 異常だって? 今さら何を言っているんだ、そんなこと自明じゃないか。 黙り込んでしまった僕を見て、怯んだように押し黙る葉村。「ごめん、言い過ぎた。……ちょっと頭冷やしてくる」 そう言い捨てて葉村が出て行く。引き止める隙を逃す。 はぁ、仕方ない。押し問答を続けるのにこんなに体力を使うなんて知らなかった。 それに病院にずっと、一晩も付き添ってくれる献身的な女の子を傷つけた、とか看護師さんたちに思われるのも面倒だ。しょうがない、荷物はここに置きっぱなしだし、帰ってきたら少し話してやろうか。 溜息を一つ。 PC の画面内で無感動に点滅しつづけるカーソルを眺める。「……お前はいいな、何も気にせず、ずっと止まっていられて」 しばらくして傷心したような彼女が帰ってきた。 目を合わせないように無言で自分の荷物をまとめ、鞄を肩にかける。 そして何も言わず、視線を逸らせたままおざなりにただ一礼してあいつは病室を出ていこうとした。「なぁおい、身の上話を聞きたいんじゃなかったのか?」 足を止め、振り返らずに小さくつぶやく。「言いたくないんでしょう、私には話してもらえるほどの信用ないんでしょう?」「そう僻むなよ。悪かった。教えてやるよ、過去を。もしかしたら、僕らも誰かに、自分たちがやったことを自慢したいのかもしれないから」 彼女がさっと体の向きを変え、僕と視線を合わせる。 そして最終確認。「でも、」 一言一言、語調と表情の調整に細心の注意を払って。「本当に、君は。周囲が、環境が、日常が、生活が。壊れてもいいのか? 引き返すことも、やり直すことも。なかったことにすることもできなければ、きっと忘れることもできないぞ」 おそらくは。このことは、他人に教えたことがばれたら、関係者の生活と価値観が激変する。 それはもう、残酷なまでに。「それでもいいんだな」 少しづつ、葉村の表情が変化する。 何か、痛みをこらえたような顔が、悔しくてたまらない顔に。 ああ、これは泣くな。 そう思った直後。涙を流す直前。「……そんなに私に信用がないの……?」「いや、たぶん耐えられないだろうな、と危惧している」「それでも聞きたい、ってさっきから何度も言ってるじゃない……」「そうか、分かった。準備してきなよ」「心の準備なら……」「違う。僕の喉が渇くだろうからなんか飲み物買ってきて欲しいんだ。ついでに君の分も買ってきなよ。財布は……どこやったっけ」 制服のズボンに入れたままだったか。 一瞬呆けたような顔をして、勘違いに気付いた葉村の顔がみるみる赤くなっていく。「い、いい、私が買ってくるから」 帰るために持っていた鞄を投げ落として逃げるように病室を出て行き、財布を忘れた彼女が更に顔を赤くして慌てて駆け戻ってくる。 ……お前はサザエさんか。7「話すのはいいけど、学校はいいのか? 飲み物買いに行ってもらってる間に時間確認しておいたんだけど、今、13時過ぎじゃないか」「今日はいいの、病院へ行くって電話してきたし。私、ウソは吐いてないよ? 昨日はあんなことなっちゃって寝れなかったからきっと授業中寝ちゃうし、それに……」 私が居たかったんだもん。「最後、なんて言った?」 最後の言葉が小さくて聞こえなかった。「……いいの、気にしないで。何も言ってないから」 引いてきた血がまた上ってくる葉村。「……そうか。あんまりサボるなよ?」「山本には言われたくないわ」「心外だなあ、僕はちゃんと授業に参加してるよ」「いつもノート書いてないじゃない」「だって要らないし。あんなの、手が疲れて汚れるだけだ」「ふん、この成績優秀者め」「もう一つ。君が僕の怪我を心配する必要はない。これは僕が勝手に巻き込まれに行ったもので、その判断に君はまったく関係ない。いいね?」 不服そうな、申し訳なさそうな表情を見せる葉村。でも言葉は挟まなかった。 さて、始めようか、つまらない話を。僕の過去と、僕の由来と、僕の犯罪と。教えられる部分だけでもたぶん彼女の許容を超える話を。 残酷で救いのない、本来なら僕ら2人だけで背負っていくべき話を。 <無題> Type1 第1章原稿リスト序章原稿リストへ戻る 第2章原稿リストへ進む<無題>トップへ戻る

By |2017-01-14T18:15:24+09:006月 23rd, 2013|Categories: 書いてみた, 無題|Tags: , , |無題 Type1 第1章 第5稿 はコメントを受け付けていません