今回は、もう死後の世界で目が覚めても、驚きすら無かった。生きている世界なら、自分の枕元に作業服が置いてあるはずがない。だから同じ高校へ行くのでも、制服では無く作業着を着て向かった。
雨が降り出しそうな空だった。降り出す前にと早足で高校に向かうと、校門のバリケードで門番をしていたのは、水上と鈴木さんの2人だった。
「単なる夢だとは思ったんだけどさ、夢なのにやたらリアルで嫌な予感がしたから、学校帰りに電車で町に出るのは止めたんだ。なのに今度は階段を踏み外して、打ち所が悪かったみたいなんだよな」
恐らくこの辺だろうと思う後頭部をさする。
「足元には十分注意しろよ」
昨晩の0時には無かった怪我だから、もちろんコブにはなっていない。
「本当だよね。17にもなって、通学路の階段で転ぶとか、ださすぎる」
現実世界の5月26日を迎えるまでに、何日分の遠回りをすれば良いのだろう。
「3回目だから、最低4日間は連続して生き残らないとな」
今回も最短で生き返ってやる。
「またしばらく、みんなのやっかいになる」
「俺たちとしては、何日でもいたいだけ居てくれて良いんだけどな」
気持ちだけで十分だ。
「そういや今朝は農作業じゃないんだな」
「雨が降りそうだろ。昔の人はよく言ったもんだよな、晴耕雨読ってやつさ」
天気の悪い日は朝から勉強らしい。耕された校庭には誰も居ない。
「そうすると俺はずっと門番だから、暇なんだよなあ。図書室から本を持ってきても、雨が降り始めたら本が傷むって怒られるし、ケータイは使えないし」
「ゲーム機は? 携帯ゲームならインターネット接続が無くたって」
「だから雨なんだって。小さい子供が乱暴に扱っても壊れない強靱性はセールスポイントになっても、家の中で遊ぶ前提のゲーム機に防水性を謳っている機種なんざそうそう無いだろ。外で門番をやってるときに雨が降られたらゲームなんて出来ねえって」
それもそうか。
「まだ朝だから、頭が回ってないんだなあ」
笑って誤魔化そうとした。
「お前の天然は昔から変わってねえよ」
水上は誤魔化されてくれなかった。
「こういうときに誤魔化されてくれないんだからケチっていうんだよ」
「ケチもくそもあるか、馬鹿」
バリケードの中と外で漫才みたいな会話を繰り広げていれば、鈴木さんはおかしそうに笑い転げていた。
「この人、笑い上戸なんだよ」
「そうなんだよねえ。これじゃ僕が門番の役に立たないから、君らは遊びに行ってきなよ」
鈴木さんは涙を拭いながら言ってくれた。
「お仕事の邪魔してすみません」
「いやいや、いいって。……君が来なかったら、段々不機嫌になっていく水上くんと二人っきりになるところだった」
わざとらしく声を潜めてはいるが、いかんせん俺より水上の方が鈴木さんに近いわけで、彼にも充分聞こえただろう。
当の本人はそっぽを向いて口笛を吹き、聞こえないふりをしている。
「遊びに行って良いってさ。行こうぜ」
何処へ行こうというのか。
「そりゃ、遊ぶ場所なんてないよなあ」
ゲーセンへ行ったって、アーケードゲームの電源なんてどうやって入れれば良いのか分からない。
「次に生き返ったときにはさ、ゲーセンでバイトしてくれよ。そうしたら今度来たときに好きなゲームを好きなだけ遊べるじゃん」
「4回目のことを3回目の初日から予定しないでくれるかな」
「冗談だよ」
行く場所のない俺たちは、天気が悪いというのに軽トラで河川敷に来て、ひたすら水切りで時間を潰していた。
小学校や中学校の放課後を思い出してみても、何もない山奥だったからだろう。山へ入るか川へ下るか、そうして見つけた場所で暗くなるまで、ただ昼寝をしたり、他愛もない話をしたり、学区に唯一の同い年で、ずっと一緒に居たはずなのに、この幼なじみとあえて何かをやったという記憶は無い。
どちらかがゲーム機を買ってもらったら、しばらくはお互いの家に行って対戦したこともあった。でもすぐに飽きて、結局は家の外で何もしないことが多かった気がする。
このときも、やがてどちらとも無く言葉数が少なくなり、交代でひたすら石を投げるだけだった。
「それが不愉快じゃない他人って、貴重だよな」
「は? なんの話?」
脈絡無く考えていたことが口から飛び出す。
「なんでもない」
「樋口に友達が居ない話か。なんでもなくはないだろ」
さらっと友達が居ないとか言うな。傷つくだろ。
「いやまあ……普段のお前は何をしてるの」
「えー……何にも。あっちへふらふら、こっちへぶらぶら、って感じ」
「それこそ、そんなことねえだろ」
この間は水上もみんなと農作業をしていた。食べる物を自分たちで作らないと、物流のないこの世界では何も食べられなくなってしまう。
そうか、普段はちゃんと仕事してるから、そうそう日中に暇を持て余すなんて事は無いのか。
「みんなに悪かったな、貴重な労働力が一人足りなくなっちゃうわけか」
「いや、本当に俺は何にもしてないぞ。一昨日はお前がいたからさ」
「……みんなはそれでいいって?」
「俺は俺にしか出来ない仕事をやってるからな」
仕事の中身が気になったが、それは教えてくれなかった。
やがてしとしと雨が降り始め、俺たちは橋の下で雨宿りをしながら、何もしない時間が過ぎていくのを待っていた。
ふと、水の音しかしない静かな世界に、エンジンの音が聞こえた。
水上も気付いたようで、真剣な顔で橋の下をにらみつけている。
「まずいかもな」
彼がぽつりと呟くが、俺には何がまずいのか分からない。
「樋口はここで隠れてろ、軽トラを持ってくる」
「分かった」
まだこの世界に不慣れな自覚が俺にはあったから、彼の言うとおり雨に濡れない橋の下で一人待つことにした。
ついていけば良かったのに。
何台か居るらしいことが分かるくらいにエンジン音が近づいてきて、向こう岸から橋を渡っているようだ。そのまま通り過ぎてくれれば良いものを、しかしどうやら土手から俺の居る橋の下に降りてきた。
陰から盗み見ると、降りてきたのは髪色もバイクもド派手にした3人だった。寒いだの雨が鬱陶しいだの、口々に騒いでいるが、呂律が回っていない。
眉をひそめて見ていると、一人がビニール袋を取り出して中の何かを吸っている。
「何だあれ。アンパン?」
細川さんが言っていた、法律が無くなって犯罪に走る連中というのが彼らだろうか。
仲間内で袋を回しながら何かしゃべっているようだが、余計に呂律が回らなくなった彼らの会話が、俺には単に奇声を上げあっているようにしか聞こえない。
そこに水上が戻ってくる。
軽トラに気付いた彼らは、屋根のある乗り物を見つけて強奪を目論んだようだった。
3人組がバイクのエンジンを掛けると載せていた武器を手に取って跨がり、走っている水上に襲いかかる。
考えてみれば、いくら3対1とはいえ自動車に乗っている水上が、しかもクスリでラリっている彼らに負けるはずはないのだが、水上が躱した一人が後ろの死角からバイクを乗り捨て荷台に飛び移ったのを見て、うっかり声を上げてしまう。
直接攻撃されないように軽トラの窓を閉めて、しかもバイクのマフラーを改造しているのかやけにうるさいエンジン音が近くに居るのだから、俺の声なんて聞こえるはずがないのに。
その声に気付いたのは当然だが、水上では無く3人組の片割れだった。タイヤを滑らせ、河川敷の悪い地面を気にすること無く俺に突進してくる。
やっちまったと思いながら飛んで躱すが、橋桁に激突してくれれば良い物を、すぐ手前で転回して向かってくる。バイクは避け切れたと思ったのだが、そいつが持っていた鉄パイプの先端が翻った俺の上着に引っかかって、奴もバランスを崩したが俺も引っ張られて転んでしまう。
慌てて起き上がろうとしたが、その前に別の1台が容赦なく俺を轢いた。
このところ、乗り物に轢かれるのがマイブームらしい。
感じた痛みに、反射で現実逃避をしてしまう。
ふと見上げると、俺に気を取られてしまった水上も荷台から軽トラの窓を割られてやられていた。頭を切ったらしく血を流しながら、手に握った拳銃を俺を転ばせたついでに自分も転んだ敵に向けると、一発で殺した。
響いた銃声と同時に跳ねて動かなくなる仲間をみて、やられたのを見た残り2人が激昂する。
起き上がるのを忘れていた俺はもう一度、自分の体の上をバイクが走るのを感じて意識を失った。
大量の水をぶっかけられて気がつくと、知らない部屋で椅子に縛り付けられていた。
「よくもやってくれたな、あ?」
空になったプラバケツを放り捨てたそいつの顔を見て、混乱していた記憶が脳裏に走る。
正面から見ると、どこか路地裏に屯しているにはひ弱な印象が残る男だった。おまけに、俺より年下そうに、それこそ木下くんくらいに見える。
汚らしい青色の髪以上に、似合わないピアスを顔中にしてむしろ痛々しい。
続けて唾を飛ばしながら何か喚いているが、俺には何て言っているのかさっぱり分からない。
困って黙り込んでいると顔を殴られた。縛られた椅子ごと後ろに倒れ込む。殴られた顔も、身動きが取れないせいで受け身も取れずに床へぶつけた頭も痛い。目の奥で火花が散るというのはこういうことを言うらしい。
後から思い返せば、このときは決して冷静なのでは無く、現実逃避に一生懸命だった。
汚い言葉で罵っているのだろうと想像はついても何を叫んでいるのかも分からないまま、3人組から2人組になった彼らに殴る蹴るの暴行を何も出来ず受けて朦朧としていると、自分の頭もおかしくなってきたのか、段々何を言っているのかが分かるようになってきた。
どうやら水上は、俺をどうにか助けようとしてあの場でしこたま殴られて、大怪我をした結果リセットして改めて俺を助けようとしたようだ。だから殺された1人の代わりに、自殺されたせいで殺し損ねた水上の代わりに、俺が殺されようとしているらしい。
段々痛覚が無くなってくる。まあ、水上がやったとおり、こちらの世界では死ねばその日の0時に居た場所で、0時になったときの状態で、戻るらしい。最短の4日で生き返るのは諦めなければいけないが、このまま今日は死んでも良いかと思い始めてきた時だった。
ふと嵐のような暴行が止んだ。
晴れ上がって持ち上げるのに難儀するまぶたを持ち上げてみると、1人がいなくなっている。もう1人はと言えば、俺をにらみつけながら返り血を浴びたままで、カップラーメンにお湯を注いでいた。2つを作っているということは、片割れもすぐ戻ると言うことか。
なんだこいつ。腹が減ったから俺で遊ぶのを止めたのか。
俺も腹が減ったなあ。
「食い終わったら、一緒にお出かけしようなー」
ちゃんと普通に通じる日本語を、こいつから初めて聞いた気がする。
開き直って何か混ぜ返そうと思ったが、腫れ上がって端が切れている唇が上手く動かせない。口の中で気持ち悪い血を吐き捨てようにも頬を涎が垂れていくだけだった。
「俺はシーフード味だからな」
悠長にトイレ休憩を兼ねていたらしい。社会の窓を閉めながら戻ってきたもう1人も、同じくらいの年頃に見えた。こいつは髪を赤くして、やっぱり同じくらい似合わないドクロのネックレスをじゃらじゃらいくつも首に提げている。
「俺は醤油でいいよ、あと2分で出来る」
「サンキュー」
俺にも一つくれ。……もらったところで口が食えそうにないが。目を開け続けているのが辛い。まぶたを持ち上げ続けるというのはこんなに疲れることだったのか。
やがて2人がずるずる音を立ててラーメンを食い始めると、俺の腹が鳴った。
ラーメンを食いながら爆笑する。
「そんなにボコボコにされてても腹が鳴るのかよ」
「俺たちよりも図太えなあ」
笑い声が止んでもラーメンをすする音が聞こえてこない。
不安に駆られて彼らを見ると、二人して暗い目をして俺をにらみつけている。
「俺たちも、こいつくらい脳天気だったら」
「こんなところにいなかったのにな」
普段なら屁でも無い年下の2人を見て、背筋が寒くなる。
「……こいつ、ただ殺すんじゃつまらなくね?」
「何か思いついたのかよ」
「ちょっと大変だけどな。食い終わったら話す」
そう言った青い髪の方が、残ったラーメンを流し込むように食べ始めた。
食べ終わると、まだ熱い汁を俺に掛けた。
熱湯と言うほどではないが充分火傷できそうな液体を顔に浴びて呻く。
「へへっ。……日付が変わる瞬間にさ、ビルから落としてやろうぜ」
「お前、酷いこと思いつくな。面白そうじゃん」
「3人で見に行ったら胸がすっとしそうだろ」
この世界では、死んだら死んだ日の0時に居た場所で復活する。
復活した途端に、また死ぬじゃないか。
藻掻くがボロボロの体では固く縛られた縄をほどけるわけが無かった。
後ろ手を拘束され、逃げられないように縄を何処とも知れないビルの非常階段に縛り付けられた。五階建ての最上階の踊り場で、雨は止んだが濡れた床に転がされていると金属の冷たさが染みてくる。全身を殴打されて熱を持っているはずなのに、体の芯が冷えていくのが分かる。風邪も引き始めているのかも知れない。
そんな俺を横目に見ながらチンピラ二人は肉体労働の後は旨いとばかりに缶ビールを飲んでは苦さに顔をしかめている。味が分からないなら飲まなければ良いのに。
「そろそろ0時になるそ」
「ぶらさげるか」
酔ってふらふらした足で二人が立ち上がると、覚束ない手つきで俺を手すりの下に押してくる。日付が変わってしまえば彼らはまた24時間待たなければいけないから、時間稼ぎに抵抗するのだが、そもそも俺には今が何時何分で、後どれくらいの時間が残されているのか分からない。
先の見えない中で、不自由な体に鞭打っているのも限界だった。
ついに濡れて滑る手すりの向こうに落ちる。一瞬の自由落下は、手すりに結ばれている縄の長さで止まる。ぴんと張ったときの衝撃で息がつまる。
こうなってしまえば、今度は結ばれている縄を日付が変わる前に切って落ちてしまえば、明日の0時に無事な状態で復活できる。体を揺すって結び目が緩くなるのを期待するが、そう上手く事は運ばなかった。
「どうでも良いと思うけど、俺は釣りが趣味だったんだ。結びには自信があるんだぜ」
赤髪の興奮しきって嘲るような言葉は裏返っている。
「日付が変わるまであと1分」
千鳥足で赤髪が1階分の階段を駆け下りて、俺がぶら下がっている4階で視線の高さが合った。
「ブランコみたいに揺すれ」
一つ上の階で結び目に手を掛けている青髪の指示に従って、赤髪が乱暴に俺の体を向こう側に押し込んだ。振り子の要領で大きく空中と階段の上を俺の体が行き来する。
「分かった」
頭が下を向いているせいで、血が上ってクラクラする。
「さーん、にー」
どうにか最悪の事態は避けたい俺には、もうどちらのカウントダウンなのか興味も無い。
「いーち」
俺にとっては運の悪いことに、その瞬間は空中に居た。何か透明なオーロラのようなものが世界を拭った。
「ゼロ」
あんなに藻掻いてもほどけなかった結び目なのだから簡単には解けないだろうと最後の望みを掛けていたのだが、青髪は無造作にナイフで縄を絶ち切った。
3回までは数えていた。
1回目はあっという間に12メーターの高さを落ちて、その速さに覚悟を決める暇も無かった。
2回目は、宣言されたとおり水上に殺されたはずのもう1人も揃って三人が大笑いしながら落ちていく俺を見ていた。
3回目はすぐ横を抜けていく各階の踊り場を見ていた。
どうにか踊り場に当たって、地面に激突するときの勢いを殺そうとしたのだが、どうやっても掠りすらしなかった。
何回も何回も。
ただ墜ちていく。
Tags: 俺に明日は来ないType1第5章, 小説