「着いたっす」
揺すり起こされると、バスはエンジンを止められて子どもたちも殆どが降りていた。
立ち上がって伸びをする。大木くんと赤羽くんは着替えなどの荷物を降ろすのを手伝っている。俺を待たず先に降りれば良いのに、取り残されるのを心配してくれたのか青山くんだけがじっとそばに立っていた。
「起こしてくれてありがとう、行こうか」
「うす」
着いたのは、俺たちの実家から山を一つ越えたところの温泉地だった。近すぎて、日帰り入浴には何度か来たことがあるが、改めて泊まったことはない。
「ここは玄関の自動ドアがタイマー式のオートロックだから、昼間ならいつ来ても建物を壊さずに入れるんだ」
いつものようにガラスを割って侵入するのかとばかり思っていた。
「青山くん達はまだ、3人で一部屋を割り当てたら危ないかしら」
「樋口に懐いているみたいだし、心配ねえだろ。むしろ、あいつらを分けて元々いた誰かと一緒にする方が嫌がりそう」
細川さんと水上が彼ら3人がまだ建物の外に居るのをチラチラと見やりながら、フロントデスクの裏に入って客室の鍵を並べて部屋割りを相談している。
「じゃあ私と花沢さんは子どもたちと一緒の大部屋で、鈴木さんと木下くん、あなたと樋口くん、青山くんと大木くんと赤羽くん、それぞれ1部屋ずつでいいかしら」
「おっけ、それでいこう。今日の夕飯当番は鈴木さんと木下くんだし丁度良いんじゃね」
「ならそれぞれ荷物を運び込みましょう」
鍵を持ってわいわい言いながら廊下で各部屋に分かれる。
「まずは温泉だよな」
「服は乾いたけど、一度濡れたらなんとなく寒いし」
部屋に荷物を置いたと思ったら、水上はタオルと着替えだけ抱えてすぐに出て行こうとする。
「この旅館は内風呂と外風呂が別なんだ。早い者勝ちだからさっさと行こうぜ」
「どっちへ行くか教えておいてくれないと合流できねえだろ」
扉の外へ向かって大声を出す羽目になった。せっかちなんだから。
「着いてくりゃいいだろ、早く来い」
「……はいはい」
落ち着いて荷物を整理する余裕が欲しかった。
温泉に入って、飯を食って、だらしなく畳の床に寝っ転がる。
ああなんていい休日なんだろう!
……休日じゃないんだよなあ。学校はないし、毎日が休日みたいなものだ。腹をパンパンに膨らませて動く気力を失った俺の横で、床にお店を広げた水上はあぐらをかいて黙々と拳銃の整備をしている。
「食い過ぎたんなら、右を下にして横を向いた方が消化が早くなるらしいぜ」
片目をつぶってブラシとぼろ布で磨いている金属の部品をにらみつけながら、テレビ番組で紹介される裏技みたいなアドバイスをくれた。
体勢を変えるのさえだるい。
「仰向けが一番楽なんだよ」
スローテンポの会話はキャッチボールと呼べるのだろうか。
体は真上を向けたまま、首だけ回してテキパキと器用に動く手元を眺めている。
「好きにすれば」
大きい部品だけでなく、細かいネジやバネの類いまで一つ一つためつすがめつしていた。小さい頃からこいつは器用にいろいろな物を直したり壊したりしていたのが懐かしい。俺は不器用で、電車のおもちゃさえ電池交換のたびにプラスチックを割ってしまいやしないかとドキドキしていた。
「そういえば、拳銃の整備なんてどこで覚えたの」
そもそも、どこから拳銃なんて調達したのだろう。少なくともあっちの世界では実銃を見た事なんて無い。
「自衛隊の倉庫から取扱要項ごと拝借してきた」
「……そういえばこの街にも駐屯地があったんだっけ」
「この県で唯一の駐屯地だろ」
そうなんだ。知らなかった。
「この間テレビでやってたんだけどさ、駐屯地と基地の違いって知ってる?」
「陸自が駐屯地で、海自と空自が基地」
「はいこの話題おしまい」
一瞬で即答されてしまった。
「細かいところが見えねえ。ここのこれって傷になってる?」
俺にはどこに取り付ける何のための部品か分からないが、細い棒状の金属を渡される。
「接着剤かその類いのがへばりついて固まってるだけだと思う」
「じゃあ剥がせるな」
シール剥がしとかも好きだったよなあ。中学の時の昼飯に持ってきていた俺の菓子パンから、必ずお皿がもらえるパンのシールを綺麗に剥がして、母ちゃんにやるんだって集めてた。俺が自分で剥がすと、袋に糊が残ったままになって後で台紙に貼りづらいと言われたような覚えがある。
「お前が不器用すぎるんだよ。細かい作業をしないなら俺の遠視と交換してくれ」
まだ10代の同い年がおっさんみたいに、手に持った部品を手前に持ってきたり奥へ離したりしている。
「その歳で、もう老眼かよ」
「うるせえ」
しばらく部品をゴシゴシとこすっていたが、低くうなると諦めた様子でブラシを放りだした。
「天気のいい屋外じゃないとこれ以上は無理だな」
彼は床へ置いた部品を次々と手に取ると、あっという間にいつも背中に挟んでいる拳銃の形が出来ていく。すげえなあ。仕上げとばかりに、金属のいい音をさせて握りの下から細長い筒を差し込んだ。
「うー、目が痛え」
俺の足を避けてあぐらをかいたまま後ろへばったり倒れ込んだ。
「疲れ目は温めるといいらしいぞ」
「よし風呂さ行くべ」
足を高く上げてから、反動で一動作で立ち上がった。落ち着き無いなあ。
「飯前に行ったじゃん」
「お前も行こうぜ」
まだ腹がいっぱいで動きたくないよう。
渡り廊下を歩いて離れへ行くと、貸切露天風呂と書かれたのれんが左右に並んでいる。飯前は子どもたちを連れた女子班が使っていた、右側の広い方へ入っていく。脱衣所に置かれた籠を見ると、先客が4人居るらしい。
水上はあっという間に着ていた物を脱ぐとひとまとめに籠へぶち込む。俺をおいて風呂場へ出て行こうとして、外への扉を開いたまま何かを思いついたように脱いだばかりの服を探り出した。脱ぎかけの俺に、隙間から夜の谷間を流れる冷たい風が吹き付けてきてブルッとくる。
「寒いんだけど」
「これから温かい湯船に入るんだからちょっとくらい、我慢しとけ」
何をごそごそやっているのかと思えば、ライターと煙草と灰皿代わりのいつもの缶を持った手が出てきた。
「こういう露天風呂って、屋外だけど禁煙じゃないのか」
「こんな世界で、誰に気を遣うんだ?」
はいはい俺はまだ馴染めていませんよ。考え直して、俺もタオルに包んでそれらを持ち込むことにした。
こちらの湯船は確かに広い。子供なら15人くらいが一緒に入っても狭くなさそうだ。
脱衣所を出ると揺らめく湯気の向こうで、鈴木さんがどこから持ってきたのか日本酒を飲んでいるのが目に入った。かけ湯をするために置かれた桶の中には、洗ってあるガラスのコップが3つ置かれていた。
「来ると思ってたよ」
酒が入って少し声が大きくなっている。湯船に浸かっているから、赤い顔色からは上せかけているのか酔っているのか分からない。
「おじゃましてまーす」
振り向いた赤羽くんの声色は明らかに酔っている。
「ごちそうさまです」
湯船に満たされた濃白色の濁った湯をザブザブ掻き分けて、二人並んでコップに酒を注いでもらった。
「せっかく良い物なんだから、放置して呑み時を過ぎたらもったいないからな」
「単に自分が飲みたいだけだろ」
注いでもらったコップに口をつける前に、水上は片手で煙草に火を点けた。
「意地悪を言うやつにはやらんぞ、返せ」
「やだね」
煙を一吸いしてから透明な酒をすすり、一番奥で湯船の石段に掛ける鈴木さんの横に水上が腰を落ち着けた。
俺はコップの酒をこぼさないようにしながら入口近くに戻って、少し冷めて温めのお湯にゆっくり浸かることにした。
「君らもいくらか馴染めた?」
「まあ……大人組の名前は覚えられたっす。みんないい人達っすね」
「水上さんだけまだ……ちょっと苦手で」
そりゃ普通の人なら、あれだけ殴られて脅されれば苦手意識を持つだろう。
……気にせず3人組と話をできてしまう俺はやっぱり変なのかな。
「いい人だってのは分かってます!」
「慌ててフォローしなくても良いのに」
そりゃ、あんな風に雑な殺され方をさせられれば、良い印象なんて持てないと思う。
のんびりした遣り取りを交わしていると、脱衣所の入口が細く開いた。
「みんな、やってるわね」
「ちょっ、細川さん!?」
まだ服を着ている。入ってくるのかと思ってビックリした。
「もともと混浴なんだからいいでしょ。私も混ぜて」
入ってくるつもりらしい。
「若い青少年には刺激が強すぎやしないかい?」
「鈴木さんったら失礼しちゃうわね、私だって若い乙女でしてよ」
「こりゃ一本取られた」
思いとどまらせてくれるのかと思ったのに、漫才みたいな掛けあいは結果的にむさ苦しい中へ紅一点が混じるのを認めてしまった。
「お土産を持ってくるわね」
上機嫌で上半身を覗かせていた細川さんが脱衣所に引っ込み、扉が閉まる。
「若干一名がもう限界みたいだぞ」
「え?」
「……でへへへへ」
見ればのぼせて完全に酔っ払った赤羽くんがうつろな笑い声を上げながら鼻血を噴いている。
「おい大丈夫かよ!」
「細川さんが戻ってくる前に片付けた方が良いんじゃね?」
隣で慌てた大木くんに対し、他人事のように水上が言う。
「そうっすよね。俺、こいつを連れて部屋に戻ってます」
自分自身も足元が危なさそうだが、大木くんがぐてんぐてんになった赤羽くんにほら上がるよと声を掛けながら肩を貸して立ち上がる。
「俺もついていこうか」
「大丈夫、青山は好きにして」
「分かった、じゃあもう少ししたら戻る」
二人が脱衣所に消えた。
「いやあ、彼らは勇気があるなあ。水上くんも今すぐには立ち上がれないだろう」
鈴木さんにしては珍しい、下世話な笑みを浮かべながら意地悪そうに問いかけた。
「今すぐは無理だな」
「……俺もっす」
少し恥ずかしそうにしている水上と青山くんが同意する。
「何のこと?」
わけが分からない。
「お前はなんともないのか」
「だから、何が」
「起立!」
日直か。
言われたままに立ち上がる。座ばっとお湯に波が立つ。
「……本当になんともないんだな」
「すげえっすね」
「僕ですら少しはくるものがあるのに」
また脱衣所の扉が開いた。
「二人は帰っちゃったのね、せっかく人数分を持ってきたのに。……あらやだ、レディにそんな物、無防備に見せちゃダメよ」
汗をかいた缶ビールを手に抱えた細川さんが、体にバスタオルを巻き付けて現れた。
ああなるほど。言われてみれば全く俺は反応してなかった。
女性が混じっているとは思えないほど品格の欠如した、せめて純文学作家の随筆から言葉を借りてバランスを取りたいと思うのだが、ビロウな話が始まった。俺への暴言から始まったそれは、俺の尊厳に関わるので割愛する。
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