こいちゃんの趣味全開!!

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Monthly Archives: 2月 2022


俺に明日は来ない Type1 第9章

2022.02/24 by こいちゃん

「着いたっす」
 揺すり起こされると、バスはエンジンを止められて子どもたちも殆どが降りていた。
 立ち上がって伸びをする。大木くんと赤羽くんは着替えなどの荷物を降ろすのを手伝っている。俺を待たず先に降りれば良いのに、取り残されるのを心配してくれたのか青山くんだけがじっとそばに立っていた。
「起こしてくれてありがとう、行こうか」
「うす」
 着いたのは、俺たちの実家から山を一つ越えたところの温泉地だった。近すぎて、日帰り入浴には何度か来たことがあるが、改めて泊まったことはない。
「ここは玄関の自動ドアがタイマー式のオートロックだから、昼間ならいつ来ても建物を壊さずに入れるんだ」
 いつものようにガラスを割って侵入するのかとばかり思っていた。
「青山くん達はまだ、3人で一部屋を割り当てたら危ないかしら」
「樋口に懐いているみたいだし、心配ねえだろ。むしろ、あいつらを分けて元々いた誰かと一緒にする方が嫌がりそう」
 細川さんと水上が彼ら3人がまだ建物の外に居るのをチラチラと見やりながら、フロントデスクの裏に入って客室の鍵を並べて部屋割りを相談している。
「じゃあ私と花沢さんは子どもたちと一緒の大部屋で、鈴木さんと木下くん、あなたと樋口くん、青山くんと大木くんと赤羽くん、それぞれ1部屋ずつでいいかしら」
「おっけ、それでいこう。今日の夕飯当番は鈴木さんと木下くんだし丁度良いんじゃね」
「ならそれぞれ荷物を運び込みましょう」
 鍵を持ってわいわい言いながら廊下で各部屋に分かれる。
「まずは温泉だよな」
「服は乾いたけど、一度濡れたらなんとなく寒いし」
 部屋に荷物を置いたと思ったら、水上はタオルと着替えだけ抱えてすぐに出て行こうとする。
「この旅館は内風呂と外風呂が別なんだ。早い者勝ちだからさっさと行こうぜ」
「どっちへ行くか教えておいてくれないと合流できねえだろ」
 扉の外へ向かって大声を出す羽目になった。せっかちなんだから。
「着いてくりゃいいだろ、早く来い」
「……はいはい」
 落ち着いて荷物を整理する余裕が欲しかった。

 温泉に入って、飯を食って、だらしなく畳の床に寝っ転がる。
 ああなんていい休日なんだろう!
 ……休日じゃないんだよなあ。学校はないし、毎日が休日みたいなものだ。腹をパンパンに膨らませて動く気力を失った俺の横で、床にお店を広げた水上はあぐらをかいて黙々と拳銃の整備をしている。
「食い過ぎたんなら、右を下にして横を向いた方が消化が早くなるらしいぜ」
 片目をつぶってブラシとぼろ布で磨いている金属の部品をにらみつけながら、テレビ番組で紹介される裏技みたいなアドバイスをくれた。
 体勢を変えるのさえだるい。
「仰向けが一番楽なんだよ」
 スローテンポの会話はキャッチボールと呼べるのだろうか。
 体は真上を向けたまま、首だけ回してテキパキと器用に動く手元を眺めている。
「好きにすれば」
 大きい部品だけでなく、細かいネジやバネの類いまで一つ一つためつすがめつしていた。小さい頃からこいつは器用にいろいろな物を直したり壊したりしていたのが懐かしい。俺は不器用で、電車のおもちゃさえ電池交換のたびにプラスチックを割ってしまいやしないかとドキドキしていた。
「そういえば、拳銃の整備なんてどこで覚えたの」
 そもそも、どこから拳銃なんて調達したのだろう。少なくともあっちの世界では実銃を見た事なんて無い。
「自衛隊の倉庫から取扱要項ごと拝借してきた」
「……そういえばこの街にも駐屯地があったんだっけ」
「この県で唯一の駐屯地だろ」
 そうなんだ。知らなかった。
「この間テレビでやってたんだけどさ、駐屯地と基地の違いって知ってる?」
「陸自が駐屯地で、海自と空自が基地」
「はいこの話題おしまい」
 一瞬で即答されてしまった。
「細かいところが見えねえ。ここのこれって傷になってる?」
 俺にはどこに取り付ける何のための部品か分からないが、細い棒状の金属を渡される。
「接着剤かその類いのがへばりついて固まってるだけだと思う」
「じゃあ剥がせるな」
 シール剥がしとかも好きだったよなあ。中学の時の昼飯に持ってきていた俺の菓子パンから、必ずお皿がもらえるパンのシールを綺麗に剥がして、母ちゃんにやるんだって集めてた。俺が自分で剥がすと、袋に糊が残ったままになって後で台紙に貼りづらいと言われたような覚えがある。
「お前が不器用すぎるんだよ。細かい作業をしないなら俺の遠視と交換してくれ」
 まだ10代の同い年がおっさんみたいに、手に持った部品を手前に持ってきたり奥へ離したりしている。
「その歳で、もう老眼かよ」
「うるせえ」
 しばらく部品をゴシゴシとこすっていたが、低くうなると諦めた様子でブラシを放りだした。
「天気のいい屋外じゃないとこれ以上は無理だな」
 彼は床へ置いた部品を次々と手に取ると、あっという間にいつも背中に挟んでいる拳銃の形が出来ていく。すげえなあ。仕上げとばかりに、金属のいい音をさせて握りの下から細長い筒を差し込んだ。
「うー、目が痛え」
 俺の足を避けてあぐらをかいたまま後ろへばったり倒れ込んだ。
「疲れ目は温めるといいらしいぞ」
「よし風呂さ行くべ」
 足を高く上げてから、反動で一動作で立ち上がった。落ち着き無いなあ。
「飯前に行ったじゃん」
「お前も行こうぜ」
 まだ腹がいっぱいで動きたくないよう。

 渡り廊下を歩いて離れへ行くと、貸切露天風呂と書かれたのれんが左右に並んでいる。飯前は子どもたちを連れた女子班が使っていた、右側の広い方へ入っていく。脱衣所に置かれた籠を見ると、先客が4人居るらしい。
 水上はあっという間に着ていた物を脱ぐとひとまとめに籠へぶち込む。俺をおいて風呂場へ出て行こうとして、外への扉を開いたまま何かを思いついたように脱いだばかりの服を探り出した。脱ぎかけの俺に、隙間から夜の谷間を流れる冷たい風が吹き付けてきてブルッとくる。
「寒いんだけど」
「これから温かい湯船に入るんだからちょっとくらい、我慢しとけ」
 何をごそごそやっているのかと思えば、ライターと煙草と灰皿代わりのいつもの缶を持った手が出てきた。
「こういう露天風呂って、屋外だけど禁煙じゃないのか」
「こんな世界で、誰に気を遣うんだ?」
 はいはい俺はまだ馴染めていませんよ。考え直して、俺もタオルに包んでそれらを持ち込むことにした。
 こちらの湯船は確かに広い。子供なら15人くらいが一緒に入っても狭くなさそうだ。
 脱衣所を出ると揺らめく湯気の向こうで、鈴木さんがどこから持ってきたのか日本酒を飲んでいるのが目に入った。かけ湯をするために置かれた桶の中には、洗ってあるガラスのコップが3つ置かれていた。
「来ると思ってたよ」
 酒が入って少し声が大きくなっている。湯船に浸かっているから、赤い顔色からは上せかけているのか酔っているのか分からない。
「おじゃましてまーす」
 振り向いた赤羽くんの声色は明らかに酔っている。
「ごちそうさまです」
 湯船に満たされた濃白色の濁った湯をザブザブ掻き分けて、二人並んでコップに酒を注いでもらった。
「せっかく良い物なんだから、放置して呑み時を過ぎたらもったいないからな」
「単に自分が飲みたいだけだろ」
 注いでもらったコップに口をつける前に、水上は片手で煙草に火を点けた。
「意地悪を言うやつにはやらんぞ、返せ」
「やだね」
 煙を一吸いしてから透明な酒をすすり、一番奥で湯船の石段に掛ける鈴木さんの横に水上が腰を落ち着けた。
 俺はコップの酒をこぼさないようにしながら入口近くに戻って、少し冷めて温めのお湯にゆっくり浸かることにした。
「君らもいくらか馴染めた?」
「まあ……大人組の名前は覚えられたっす。みんないい人達っすね」
「水上さんだけまだ……ちょっと苦手で」
 そりゃ普通の人なら、あれだけ殴られて脅されれば苦手意識を持つだろう。
 ……気にせず3人組と話をできてしまう俺はやっぱり変なのかな。
「いい人だってのは分かってます!」
「慌ててフォローしなくても良いのに」
 そりゃ、あんな風に雑な殺され方をさせられれば、良い印象なんて持てないと思う。
 のんびりした遣り取りを交わしていると、脱衣所の入口が細く開いた。
「みんな、やってるわね」
「ちょっ、細川さん!?」
 まだ服を着ている。入ってくるのかと思ってビックリした。
「もともと混浴なんだからいいでしょ。私も混ぜて」
 入ってくるつもりらしい。
「若い青少年には刺激が強すぎやしないかい?」
「鈴木さんったら失礼しちゃうわね、私だって若い乙女でしてよ」
「こりゃ一本取られた」
 思いとどまらせてくれるのかと思ったのに、漫才みたいな掛けあいは結果的にむさ苦しい中へ紅一点が混じるのを認めてしまった。
「お土産を持ってくるわね」
 上機嫌で上半身を覗かせていた細川さんが脱衣所に引っ込み、扉が閉まる。
「若干一名がもう限界みたいだぞ」
「え?」
「……でへへへへ」
 見ればのぼせて完全に酔っ払った赤羽くんがうつろな笑い声を上げながら鼻血を噴いている。
「おい大丈夫かよ!」
「細川さんが戻ってくる前に片付けた方が良いんじゃね?」
 隣で慌てた大木くんに対し、他人事のように水上が言う。
「そうっすよね。俺、こいつを連れて部屋に戻ってます」
 自分自身も足元が危なさそうだが、大木くんがぐてんぐてんになった赤羽くんにほら上がるよと声を掛けながら肩を貸して立ち上がる。
「俺もついていこうか」
「大丈夫、青山は好きにして」
「分かった、じゃあもう少ししたら戻る」
 二人が脱衣所に消えた。
「いやあ、彼らは勇気があるなあ。水上くんも今すぐには立ち上がれないだろう」
 鈴木さんにしては珍しい、下世話な笑みを浮かべながら意地悪そうに問いかけた。
「今すぐは無理だな」
「……俺もっす」
 少し恥ずかしそうにしている水上と青山くんが同意する。
「何のこと?」
 わけが分からない。
「お前はなんともないのか」
「だから、何が」
「起立!」
 日直か。
 言われたままに立ち上がる。座ばっとお湯に波が立つ。
「……本当になんともないんだな」
「すげえっすね」
「僕ですら少しはくるものがあるのに」
 また脱衣所の扉が開いた。
「二人は帰っちゃったのね、せっかく人数分を持ってきたのに。……あらやだ、レディにそんな物、無防備に見せちゃダメよ」
 汗をかいた缶ビールを手に抱えた細川さんが、体にバスタオルを巻き付けて現れた。
 ああなるほど。言われてみれば全く俺は反応してなかった。
 女性が混じっているとは思えないほど品格の欠如した、せめて純文学作家の随筆から言葉を借りてバランスを取りたいと思うのだが、ビロウな話が始まった。俺への暴言から始まったそれは、俺の尊厳に関わるので割愛する。

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俺に明日は来ない Type1 第8章

2022.02/21 by こいちゃん

 夕飯に呼ばれたが、赤と黄色の髪をした2人は応じなかった。俺だけが食堂へ向かう。
 今夜はハンバーグだった。
「何か寒気がする」
「ずぶ濡れでトラックの荷台にいたもんな、風邪でも引いたんだろ」
「風邪薬ってある?」
「食い終わったら持ってきてやるよ」
「わりいじゃん」
 少し時間が経ったからだろうか。水上の様子は普段通りに戻っていて、調子を合わせて何事も無かったかのように振る舞うのは俺には少しきつかった。
 実際に体調も優れなかったが、その振りをして口数少なく食事を済ませる。
「みんな~、今日はカルピスの日よ」
 小さい子達も食べ終わった頃を見計らって、細川さん達が子どもたちにコップを持たせ、1人1人にカルピスを注ぎ回っていた。
「お前ももらえば?」
 傍目には物欲しそうにしていたのだろうか。風邪薬の入った瓶を片手に戻ってきた水上が声を掛けて、俺の分ももらってきてくれた。
「お前は要らないの?」
「要らねえ。ガキじゃあるめえし」
「どうせ、俺は子供だよ」
 いじけてみせると声を上げて笑われた。
 苦い薬を甘いカルピスで飲み下す。
 空になったコップと食器を洗い場に持って行き、他の人の分と一緒にまとめて洗ってしまう。手を拭いて外廊下に出てから思い出す。
「水上、煙草一本くれ」
「やだ」
「なんでだよ、ケチ」
「貴重な煙草を灯油まみれにしたのはどこのどいつだよ」
 その通り。頭に血が上った勢いで、作業服のポケットに入れていた煙草もダメにしてしまったのだ。
「ごめん」
「仕方ねえなあ」
 自分の分を咥えてから箱ごとこちらに向けてくれる。
「ごっそさんです」
 火も貸してもらった。いくつか離れた教室から、子どもたちの高い声と、布団を敷いている細川さんや木下くんの声が漏れてくる。
 それ以外は静かな、星の綺麗な夜だった。
 あくびが出る。
「眠そうだな」
「何かね。今日も色々あったし」
 ゆっくり紫煙を吹き流す。
「体調もよくねえんだろ。今日はさっさと寝ちまえ」
「……そうしようかな」
 腹が一杯になって、一服して落ち着いたからか、急に眠気を覚えた。
 まだ少し残っていたが火をもみ消して、大人組の寝室になっている教室に向かう。自分の布団に潜り込むと、すぐに寝落ちた。

 ぐっすり寝たはずなのにまだ寒気がする。
 朝飯を食いながらそう話すと、子どもたちにうつしたらいけないと保健室へ連行された。
 昨日のことを思いだしたが、青髪が殺されて汚れた布団は綺麗に片付けられていた。
「今日は一日、ゆっくり寝ていなさい」
 体温を測りながら細川さんに命じられる。
「38度。完全に熱を出したわね」
「ごめんなさい」
「まったく、いい年して世話が焼けるわね。おやすみなさい」
 怒って見せながら細川さんが出て行った。
 お言葉に甘えて寝させてもらうことにした。

 寝たり起きたり、うつらうつらしていたら、いつの間にかもう日が暮れていた。
 ガラガラと戸の開く音に目を開ける。
「起きてたんすか」
 盆の上に茶碗といくつかの皿を載せた黄色と、後ろからおひつを抱えた青がやってきた。
「今さっき目が覚めたところ」
 夕飯を持ってきてくれたらしい。体を起こして布団に掛けられていたフリースの上着を羽織った。
「水上さんが、持っていけって」
 だいぶ調子は良くなっていたが、それにしたって量が多い。旅館でよく出てくるおひつ一杯にお粥が入っていた。
「ありがとう、いただきます」
「どうぞ」
 茶碗によそって食い始める。箸休めは漬物と佃煮に、味噌汁だった。野沢菜にマヨネーズがかかっている。
 互いに殺した側でもあり、殺された側でもある。3人で黙り込んで気まずい。
 おひつから2杯目をよそったところで、黄色と青のどちらか分からないが腹の虫がなった。顔を赤くしてさりげなく腹を押さえたところを見ると、どうやら青髪の方らしい。
「もしかして飯を食ってないの?」
「……別に」
 そっぽを向いて唇をとんがらせる。
「俺たちには気にしないで、食べて良いっすよ」
 黄色い髪の方が取り繕うように言うが、直後に音色の違う腹の虫がまた鳴いた。
「……」
「……」
 この状態で素知らぬ顔して食い続けられるほど、俺は肝っ玉が太くない。
「食べ残しで悪いけど、残りやるよ」
「だめっす、それは樋口さんの分っすから」
「腹一杯でさ。動いていないからかな」
「そんなこと言われても。俺らはその……罰として今日一日は飯抜きなんすよ」
 なるほど。そんなことだろうと思った。
「それは俺に対する行為による物なんだろ。俺がいいって言ってるんだから気にせず食ってくれ」
「でも……」
「命令だ、食え」
 2人で顔を見合わせる。
「本当に良いんすか」
「せっかく作ってもらった物を残したらみんなに悪いし、心配させるだろ。それに俺、マヨネーズが食えないんだよな」
 野沢菜を見ながらそう言った。
「じゃあ……すみません」
「いいよ。……ちょっと出てくる」
「えっ、どこへ」
「いやその……トイレだけど」
 食事を前に、彼らが気にしないなら良いのだが。おひつからしゃもじ山盛りに茶碗へよそっている様子からは気にした風には見えなかった。
「いってらっしゃい」
 よほど腹が減っていたのだろう。がっつき始めた2人を残して保健室の扉を閉めた。
「お人好し」
「……お前だって人のことを言えないだろ」
 暗がりに、やっぱり水上がいた。
「何のことだ」
「あの食事はお前が用意したんだろ。あの1人では食い切れない量のお粥は何だよ」
「……昼飯を食ってないから腹が減ってるんじゃないかと思っただけだ」
「俺が小さい頃からマヨネーズを嫌いなことをお前ならよく知ってるだろ」
 せっかくの野沢菜に余計な物をかけて寄越しやがって。
「そんなこと忘れちまったぜ」
「都合の悪い嘘をつくときに鼻をかく癖も直ってないんだな」
 水上は舌打ちをして俺をにらむと、余計なことばっかり覚えていやがってと呟いた。
「お前を心配して見に来てやったのに、必要なかったな。戻るわ」
「はいはいツンデレだなあ」
「んだと?」
「何も言ってないよ、空耳じゃないの」
 もう一つ舌打ちをして、水上は逃げるように階段を上っていった。

 トイレから戻り保健室の扉に手を掛けると、鼻をすする音が中から聞こえた。慎重に細く開けて中を窺うと、2人して泣きながらお粥を食べている。
 こんな所に入っていけねえじゃん。
 気がつかれないようにそっと扉を閉め、俺は踵を返して校舎の外に出た。下足室の外にしゃがみ込んで煙草に火を点ける。
 誰かが見ているわけではないのに、ため息を隠すような煙を吐いた。

 意識して時間をかけて、2本を灰にしてから今度こそ保健室に戻る。
 綺麗に米粒一つ無く食べ終わった食器を持って、泣き止んでこそいたが、目を赤くした彼らが待っていた。
「ごちそうさまでした」
「俺が作ったわけじゃねえし、そういうのは作った奴に言えよ」
 気恥ずかしくてぶっきらぼうな言い方をしてしまった。
「熱を測りますか」
 黄色い方がそういうと、青い方がすかさず立ち上がって体温計を手にして戻ってきた。
「何から何まで悪いなあ」
 ケースから取り出した本体を脇の下に挟み込む。
「……俺たちのしたことに比べれば」
 すぐに俯く。
「もう気にすんなよ」
 気にして居なさそうに聞こえただろうか。
「そういや君らは何て名前なの」
 ずっと髪の色で呼ぶのも気が引ける。
「青木っす」
 青い髪が言う。
「大木です」
 続いて黄色い髪が言う。
「もう1人が赤羽です」
 ……苗字と髪の色が連動している。
「トレードカラーだったの?」
 会話をするには少し高すぎる角度だった俺の目線が伝わったらしい。
「そうっす。先輩達が、信号トリオって」
「別に好きでこの色に染めたわけじゃ無いっすけど」
 そうなんだ。意外とこいつらも苦労をしてきたのかも知れない。
 暇つぶしにポツポツと言葉を交わしていると、体温計から電子音がした。画面を見れば平熱に戻っている。
「今晩は念のため、ここで寝た方がいいって細川さんが言ってたっす」
「そっか。じゃあそうさせてもらおうかな」
「食器も片付けておくんで」
「おやすみなさい」
「ありがとう。おやすみ」
 ちゃんと挨拶をすると、彼らはそそくさと保健室を出て行った。
 思ったよりいい奴らのような気がしてきた。

「ご心配をおかけしました」
 朝一番に起きて、朝食の用意をしている細川さんのところへ行った。
「もう大丈夫?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「なら良かった。……そろそろ出来上がるから、お皿の準備をしてもらえる?」
「はい」
 配膳を手伝っていると、ほかの人たちも起きて集まってきた。

「今日は天気が持ちそうだから、色々野菜を植えようか」
 スクランブルエッグを食べながら、鈴木さんが言った。
「今年は何を育てるんですか?」
「ピーマンとか?」
「俺、ピーマン嫌い」
「中学生が子供みたいなこと言わないの」
 あちらの島では、木下くんがおどけて一笑い起きる。
「……いつもこんな感じなんすか」
 人数が増えたから、大人の島が前から居た4人と、俺を含め新しく来た4人の二つに分かれた。あぶれる水上はその時によって細川さん達と机を囲んでいたり、俺たちと一緒に居たりする。
 大木くんの羨ましそうな視線を感じながら、質問に答えてやる。
「俺も来たばっかりだけど、こんな感じな事が多いみたいだよ」
「……平和で良いっすね」
 しみじみ呟かれると、何て声をかけてやれば良いのか分からなくなる。
 それきり会話の途絶えたこちらの島はあっという間に食べ終えて、誰からというわけでもなく食器をまとめ始めた。
 給食のようにみんなでごちそうさまをして、隣の家庭科室へ手分けして食器を運んだり、机を拭ったりする。
「じゃあ、今日は農作業の日ということで。今が8時半だから、各自準備をしたのち9時になったら校庭に集合すること!」
「はーい」
 鈴木さんの号令で、三々五々に食堂を出て行く。一日の始まりだった。

 俺は鈴木さんと水上と一緒に外廊下に出て煙草を吹かしていると、洗い物を済ませてきたらしい木下くんと3人組がやってきた。
「何だ、お前らも吸うんだ」
 みんな中学生だよな。
「ここでいう大人って言うのは中学生以上ですから」
 向こうの世界でなら、真面目で絶対に手を出さなそうな木下くんが、開き直ったようにメンソール煙草を取り出し火を点けた。
 対照的に、向こうの世界でも不良そうな3人組が気まずそうにそれぞれ煙草を咥えた。
「大人組の男は、結局全員喫煙者なんだなあ」
 鈴木さんが笑って言った。
「そう考えるとこのご時世にすげえな」
 水上が妙に感心したような顔で応じる。
「ちゃんと20歳になってるのって……鈴木さんだけっすか」
 おずおずと赤羽くんが聞いた。
「そうだね。今年で34になる」
「俺と水上が同い年の17歳で」
「まだ誕生日が来てないから俺はまだ16だけど。木下は中3だっけ」
「そうです。こないだ誕生日が来たんで15歳になりました」
「俺たちは中2のはずなんで」
「青木だけ14で俺と大木は13っすね」
 全員の年齢が分かった。……こっちの世界で良かった。
「僕1人だけおじさんだなあ。学校の敷地内で喫煙なんて、不良くんたちをを叱らなくちゃいけないかな?」
「今更じゃないですか。それに僕は最初に鈴木さんから勧められた記憶があるんですけど」
「だってあのときは、君があまりに落ち込んでたんだもの」
「まだあのときは小6だったんですよ」
 木下くんと鈴木さんが過去の話を始めると、どこに地雷が埋まっているか分からない俺には口を挟めない。
「そろそろ準備するか」
 それを察してくれたのか、水上が話を切り上げようと煙草の火を消した。
「長靴があればいいかな」
 これ幸いと俺も乗っかる。
「ゴム手袋も用意しておいた方が良いよ」
「分かりました」
 先に喫煙所を出て倉庫へ向かった。

 この日は農作業を、翌水曜日は雨が降っていたから勉強の日になった。
 木曜日になっても降り続けた雨は金曜日になってやっと止んだが、朝から冷たい風が吹いていた。それもやがて雷の音がして、午前中で農作業を切り上げようと片付けていたら雨が降ってきた。
「急に降ってきたから、濡れちゃったわね」
 農作業の出来ない小さな子どもたちと遊んでいた細川さんが、濡れたみんなにタオルを配る。
「寒いよう」
 花沢さんが濡れた髪を拭いている。
「ちょっと時間が早すぎますけど、お風呂でも沸かして入りますか?」
 木下くんはみんなの長靴の中に古新聞を詰めてくれた。
「でも交代で入らなきゃいけないから、また誰か風邪を引くんじゃねえ?」
 意地悪そうな目の水上が俺を見ながら難色を示す。
「なんだよ」
「いや別に」
「まだ時間も早いことだし、たまにはみんなで遠足に行こうか?」
 ニコニコしながら話を聞いていた鈴木さんが唐突に言った。
「遠足?」
 久しぶりにそんな単語を聞いた。
「バスに乗ってみんなで温泉に行くんだよ」
 水上が事情の分からない俺たちに開設してくれる。
「どうだろう、最近はあんまり行ってなかったし」
「確かに、温泉ならいっぺんに暖まれるけど」
「子どもたちも喜ぶと思います!」
「ねー細川さん、お肌つるつるになる温泉だよ」
「……たまには、いいか」
「えっ、じゃあ」
「今日のお昼ご飯はサンドウィッチのつもりだったから、バスの中で食べられるの。お出かけしましょうか」
「やったー」
「みんなに知らせてくる!」
 細川さんが承諾すると、木下くんと花沢さんの中学生コンビが満面の笑顔で駆けていった。
「バスのエンジンはかかるわよね? バッテリーが上がってたりしない?」
「バッチリだと思うよ。昨日も点検したときは問題なかった」
 鈴木さんが太鼓判を押した。
「暖機して待っているね」

 はしゃぐ子どもたちを連れていくのは木下くんと花沢さんに任せ、細川さんが手際よくラップにくるんでいくサンドウィッチを袋に詰めて、俺たちは校舎を出た。
「ぼろっちいな」
 校庭の真ん中でリズムよくエンジン音を響かせていたのは、地元のバス会社のラッピングがそのまま残る、今時珍しい前後扉の一般路線バスだった。
「ボロく見えてもこいつは産業史に残る偉大な車輌なんだ」
 俺がうっかり呟いてしまった一言を、聞きつけられてしまった。
「あーあ、始まっちゃった」
 水上があきれたように荷物をバスの座席に積み込んでいく。
「世間ではトータの乗用車プリンがもてはやされているけど、世界で最初に量産されたハイブリッド自動車はこのバスでね。この車はその最終型、つまりは一つの完成形と言えるわけだ」
 鈴木さんはいつの間にかバス会社の制服に着替えて、帽子まで被っている。
「何年前に製造されたんですか」
 鈴木さんは生前、この会社で働いていたらしい。
「2000年式だよ。大丈夫、点検整備はバッチリしてあるから」
 気のせいでなければ、この中で最も大人のはずなのに、おもちゃを与えられた子供のような軽い足取りだった。
「古巣のバス会社の車庫から、何でわざわざこの車輌を選んで持ってきたのか、前に俺も訊いた事があるんだけどさ」
「へえ」
「単に鈴木さんの趣味だってさ」
「……そうなんだ」

 前の方に子どもたちと、子守のために花沢さん・木下くん・細川さんが座った。誰が一番前に座るのかで少しもめ、細川さんの雷が落ちていた。
 後ろには、俺と水上に、まだ馴染めていない3人組が落ち着いた。
 ――発車します、ご注意ください。
 ドアを閉めたときに流れる自動放送まで整備されていた。
 ――毎度ご乗車有り難うございます。このバスは……。
 わざわざ次の停留所の案内まで流してくれて、前の方で子どもたちが大盛り上がりをしている。
「ご利用ありがとうございます。遠足バス、温泉行きです。安全のため、ご乗車中は安定した姿勢で深くお座席におかけいただき、危険ですので走行中は立ち上がりませんようお願い致します。降りる停留所の案内が流れましたら、降車ボタンでお知らせ下さい。本日この10073号車で皆様を目的地へお連れ致しますのは、信濃電鉄バス赤松営業所の鈴木でございます。狭い車内ではありますが、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
 ……プロの放送だった。
 小さい手を一生懸命に叩いて、子どもたちが喜んでいる。
「楽しそうだなあ」
 俺も、小学生の頃の遠足はあんな感じだったのだろうか。

 整備されなくなったアスファルトを踏みしめながら、山道を俺たちの地元に向けてバスが進んでいく。
 やがて30分ほどすると、小学生は騒ぎ疲れて寝てしまったらしい。子どもたちを楽しませていた停留所放送が流されなくなると、車内はゴトゴトと古びた車輌がきしむ音に、力強いエンジン音とたまに聞こえるのは電車のようなモータの音だけが聞こえるようになった。
「ハイブリッドバスだからな」
「なるほど」
 何回か乗ったことがあるらしい水上が教えてくれた。
「あの……っ」
 振り向くと、俺の後ろの席から決死の表情の青木くんと目が合った。
「どうしたの」
「一つ聞きたいことがあるっす」
「いいよ、俺に答えられることなら」
「何で、樋口さんは俺たちによくしてくれるんすか」
「って言われても……何で?」
「その……自分で言うのもアレっすけど、すげえ酷い目に遭わせたわけじゃないっすか」
 そうだね。ボコボコに殴られて蹴られて、その上で何度も地面へ叩きつけられた。
「なのに、どうして……俺たちがやられるのを止めてくれたり、樋口さんが死にそうな目に遭ったり、飯を分けてくれたりするんですか」
 もしかして、そういうことをされるのが好きなんすか。
「反省したのは見た目だけかよ、やっぱり殺すぞてめえ」
 横から聞いていた水上が凄んだ。
「だってそうとしか考えられねえじゃないっすか。意味わかんないっすよ」
「いや、君らのためにああしたってわけじゃないから」
「……は?」
「俺の行動は基本的に、全部自分のためだよ。目覚めが悪いじゃないか」
「……?」
 俺にとっては、当たり前のことなんだよな。だから改めて説明しろと言われても、言葉にしにくい。
「誰かが傷つくのを放置するってさ、後から思いだして嫌な気持ちになるだろ」
 飯が不味くなるっていうか。
「君らが可哀想だから水上が復讐しようとしたのを止めたわけじゃない」
「でも、あのときは樋口さんは俺らの事なんて知らなかったっすよね」
「相手が知り合いかどうか何て関係ないよ」
 俺はやりたいようにやりたいことをやっているんだ。
 それが他人からどう見えるかなんてどうでも良い。
「たまたま、あのときの俺の行為が君たちにとってもいいことだっただけさ。利害が一致したって言うか」
 質問してきた青木くんだけでなく、隣で聞いていた他の2人にも、納得できないという顔をされた。
「俺はもっと自己中心的な、君らが思っているより利己的な人間だよ。買いかぶりすぎだ」
「理解しよう何て無理だぜ、諦めろ」
 水上があきれたように口を挟んだ。
「俺はこいつが鼻水垂らしてた頃から知ってるけどな。昔からこうなんだ」
 俺だって、水上のことなら寝小便していた頃から知っているぞ。
「他人にありがたがられると、今度は利己的な行動だったのにお礼を言われた、そんなつもりはなかったのにって勝手に凹み始める。面倒くせえ奴だと思わないか」
 悪かったな。
「それにこの上なく頑固で、誰に対しても優しいくせに、それを自分では絶対に認めない」
 お前だって人のことを言えないくらいの石頭じゃないか。
「……そうなんすか」
「そうなんだよ。たまたま手を出したのが、こいつで良かったと思えよ? 俺だったら、お前らの今頃は全身に治らない大火傷をして、体中から体液をまき散らしながら死んでたんだぜ」
 俺が灯油を被ったことを思いだしたのだろう、3人揃って顔色が悪くなる。
「だから俺はこいつの言うことならそれなりに聞くんだ。こいつの身に何かが起こったら助けに行くんだ」
「……そうだっけ」
「へっ、知るか」
 自分のことだろう。
「こっ恥ずかしい思い出話をさせやがって。……着くまで寝る」
 自爆だろう。
 窓の方を向いて狸寝入りを決め込み始めた。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさい」「ごめんなさい」
 目を赤くして改めて謝られると、こっちがいじめたみたいで気まずいじゃないか。
「もう、いいって。いつまでも気にすんな」
 俺も水上を見習って、寝たふりをすることにした。

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俺に明日は来ない Type1 第7章

2022.02/20 by こいちゃん

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして止めようと思ったのだが、なんとなく全身がだるい。特に身体に異常は無さそうだったが、大怪我をした後のような倦怠感が残っている。
 それほど夜更かししたわけではないし、疲れが残っているとは思えないのだが、気味の悪さを感じた。そういえば、変な夢を見た気がする。
 気合いを入れて起き上がる。いつもよりテキパキと朝の準備を心がけて家を出る。
 1時限目が始まる頃には違和感を忘れていた。

 今日の授業中に補充したシャープペンの芯が最後の1本だったが、町へ出て会に行こうか考えたときに、ふと昨晩の夢のことを思いだした。
 電車を待っているときに、誰かに線路へ突き飛ばされて自分が死ぬ夢だった気がする。
 朝起きたときに謎の体調不良を感じたこともセットで頭をよぎり、帰る準備をして自分の机から腰を上げるまでにしばし逡巡した。
 ……やっぱり、出かけるのは止めておこうかな。
「帰ろうぜ」
 同じく帰宅部の高橋に声を掛けられる。
「一緒に帰ろうと思っても、お前は自転車だろ」
「駐輪場までで良いからさ」
「学校の敷地内じゃないか」
 とはいえ、その短い遠回りを断る理由も無かったので、徒歩通学の俺には関係ない駐輪場までは付き合うことにした。
 家に着く頃には忘れてしまうような何でも無い雑談を交わしながら階段を降りる。
 下足室で上履きを仕舞おうとして、見慣れない白い封筒が運動靴の上に置かれているのを見つけた。下駄箱の扉を見返してみるが、間違いなく自分の場所だった。封筒の下にある運動靴だって、今朝の登校時に履いていた俺の物だった。
「おっ、モテモテ樋口くんは下駄箱にラブレターっすか!」
 俺の下駄箱の中をのぞき込んで高橋が茶化す。
 駐輪場までつきあうなんて、一緒に帰ろうという誘いを断れば良かった。
「みたいだなー」
「興味なさそうだな。お前、彼女いたっけ」
「いないけど」
「なんで嬉しそうにしないんだよ。短い高校生活を彩る恋の始まりかもしれねえじゃん」
 彼女なんていないけど、欲しいと思ったこともないんだよなあ。
「あげる」
「俺がもらってどうするの。……開けてみていい?」
「好きにすれば」
 宛名も差出人の名前もない白い封筒は、小さいピンク色のシールで封がされているだけだった。
 ぺりっと高橋が開けて中の便箋を取り出すのを横目に見ながら運動靴を床に落として上履きを仕舞う。
「どれどれ」
 便せんを広げた高橋が、ピューと口笛を吹いた。
「放課後、体育館裏にお呼び出しだってよ!」
 今日の下校時間ぎりぎりに、体育館の裏手にある木の下で待っています。必ず来てください。
「テンプレかよ」
「……あ」
「何?」
 変な興奮をしながら便せんを呼んでいた彼は、急に顔色を暗くした。
「これ、見なかったことにした方が良いかも」
 さっきまで楽しそうにしてくせに、神妙に言った。
「お前としては、高校生活の彩りなんじゃねえの?」
「こいつのじゃ無かったらな」
 便箋の末尾に書かれた差出人らしい署名を俺に示し見せる。
「三雲さやか?」
「クラスメイトだよ、お前の二つ後ろの左側に座ってる奴だけど、わからねえ?」
 お下げにした暗い雰囲気の女子か。
「名前と顔が一致してなかった」
「もうクラス替えしてから1ヶ月以上経つんだけど。……同じ中学だったんだけどさ、こいつはちょっと……お勧めしない」
「なんで?」
「色々あってさ……俺とって事じゃないけど。いつも長袖の制服着てるだろ」
 まだ5月だしな。
「季節の問題じゃねえよ。体操着とかも」
「寒がりなんだろ」
「そうじゃなくて。……体育の着替えって女子は更衣室へ行って着替えるだろ。その時に俺と仲の良い女子に聞いたんだけどさ、どうやら常に手首に包帯を巻いてるのを、隠してるらしいんだと」
「……」
「雰囲気だけじゃ無くて、実際にちょっと危ないみたいで」
 高橋が手首を切るジェスチャーをする。
「会って断るくらいなら何にも無いだろ」
 下校時間ぎりぎり、という指定時刻からすると、図書室で1時間半ほど時間を潰すのが良さそうだった。
「そうだろうけどさ……」
 高橋はまだ何か躊躇していたが、一度出した運動靴を下駄箱に入れて、内履きを出し直した。
「図書室で本でも読んで待つよ」
「……どうなったか明日教えてくれよ」
「いいよ」
「……本当に恋愛への興味が無いんだな」
「そうかな」
 帰るという高橋を下足室で見送ると、図書室へ向かった。

 久しぶりに本を読んでいたら思いのほか面白かった。適当に選んだ物を読んでいるとあっという間に下校時間を知らせるチャイムが鳴る。
 読みかけの上巻と続きの下巻を貸出手続きに通してカバンにしまい、体育館へ向かう。
 面倒くさくてかかとを踏んだままの上履きが、生徒の居なくなった廊下にペタペタと音を響かせる。
 日が落ちかけて暗くなった体育館の裏手に、ひっそりと1人の女子が立っている。
「ごめん、待った?」
 足音で気付いているだろうに、声を掛けるまで顔を上げず、前に抱えたバッグの中身を見つめている。
「……そうでもない」
 見た目通りの細い声だった。
「三雲さん、手紙、読んだよ」
 全く話をしたことのないクラスメイトに、こういう状況でどんな雑談を振れば良いのか分からなくて、用件を直球で投げた。
「……ありがとう」
 前置きなしの発言にたじろいだ様子で目をしばたかせる。
「私、同じクラスになったときからあなたが好きでした。つ、……付き合ってください」
 会話もしたことないのに。俺が彼女のことを知らないように、彼女だって俺のことをどれくらい知っているのだろう。
「ええとさ。俺は今まで誰か女子と付き合ったこともないし、君のこともよく知らないから、まずはお友達からでいいですか」
「そうなの? 樋口くんはかっこいいし、私と違って誰とも話せる明るい人だから、経験豊富なんだと思ってた」
 経験て、どこで身につけられるどんな物を指しているのだろう。
「そんなことねえよ。買いかぶりだ」
 今だって、初めての状況に少しドキドキしている。
「なら、お友達じゃ無くて、最初から……特別でも良くない? 樋口くんなら……いつでも良いよ」
 ちょっとスカートの裾をつまんで言われても。むしろ身持ちは堅い女子の方が良いんだけどなあ。……と言うことすら俺のことを知らない状態で彼女と言われても。
「いやいいです、遠慮しておきます」
 見ているこっちがはしたないことをしているようで恥ずかしい。
「何で? 同じくらいの歳の男の子ってやりたくないの?」
 むしろ同じくらいの歳の女の子から、それほど仲良くない間柄でやるとか言わないでくれ。
「……人に因るんじゃないかなあ、俺は別に、それほどでも……」
「私に魅力が無いから?」
「三雲さんの問題じゃ無いよ」
「私が可愛くないから?」
「俺の気持ちの問題なんだって」
「そんなに私はダメな女だってこと?」
「違うって」
 人の話を聞いて欲しい。
「みんなみんな私のことを好きになってくれない、私はいつもみんなのことを見ているのに、みんなは私のことをちゃんと見てくれない」
 何かスイッチが入っちゃったようだ。
「そんなことないよ、きっといつか君を好きになってくれる人が見つかるって」
「適当なこと言わないで!」
 だって適切なことが言えるほど、俺は三雲のことを知らないんだ。
「もういい、私のことをちゃんと教えてあげる」
「教えてくれなくても良いけど」
「……やっぱり私のことが嫌いなんだ」
「好きとか嫌いとかじゃ無くてさ」
「嫌いだって事を否定しないんだ」
 何でそうなるんだ。
「好きでも嫌いでもないってば。俺は三雲からじゃ無くても振るつもりだったことを知らなかっただろ」
「じゃあ私に教えて。……ううん、やっぱりいい。勝手に知る」
 彼女はバッグの中に手を入れると、中で何かを握りしめてバッグを地面に落とした。
「……おい、それ」
 暗くなってきた木々の下でも分かるほど金属が輝いている。
「これ? 大丈夫、使い慣れているから。今時の普通の女子高校生にしては私、包丁をちゃんと砥石で研げるんだよ」
 つまり研ぎたての包丁だと言うことか。
「普通の女子高校生は、バッグにむき出しで包丁を入れておくことはないだろ」
 ……むき出しじゃ無くても刃物を持ち歩かないと思う。
「えー、そうかなー。他の女のことなんて知らない。……樋口くんは、私のことは知らないのに、他の女のことは知っているんだね」
「一般論だ」
「私のことも知っておいてね」
 うふふと笑ったのがもの凄く不気味だった。
「どうするつもりだ」
「こうするの」
 一歩前に出て真っ直ぐ包丁を持った右手を前に突き出す。
 慌てて後ろに避けようとしたが、木の根に引っかかって尻餅をついた。
「逃げるんだ。やっぱり私のことが嫌いなんだ」
「……この状況で逃げないやつなんていない」
 背中を打ってしまいすぐに立ち上がれない。
「逃げられないようにしてあげる」
 三雲が俺の太股の上に座り込んで、スカートのしわを伸ばす。
「やめろ」
「君のことを教えて……!」
 切っ先が制服を突き破って腹に刺さる。焼けるような痛みが走った。
「ああ、筋肉が……男子の腹筋ってやっぱり固いんだね……」
 恍惚とした表情で刺した包丁を出し入れする。……男が女にやるように。
「でも中は柔らかい……それは女子と同じみたい」
 包丁を抜かれるたびに赤い血が飛び散る。唇についた俺の血を三雲は舌を出して舐め取った。
「鉄の味がする……私のことも知りたいよね」
 針山にまち針を刺すように、また俺の腹に一刺しした包丁から彼女は手を離すと、血だらけの手で自分の左袖のボタンを外して肘までまくった。丁寧に隙間無く巻かれた包帯を外して露わになった手首には、高橋の言ったとおりいくつもの赤い線が描かれていた。
「私の血の色も、樋口くんと同じ赤い色をしているんだよ」
 俺の腹から抜いた包丁の血糊を、ほどいた包帯でゆっくり拭う。白い包帯がみるみる赤くなっていく。金属の銀色に赤い液体が無くなったことを、三雲は両面をじっくり見て確かめた。
「……ほら」
 そして無造作にその包丁で自分の手首を切った。慣れた物なのか、玉になった血液を包丁に乗せて見せてくれる。
「混ぜてみるね……見てみてこんなにおんなじ色をしてる。私たちの相性はぴったりだよ。……ねえ、私のことを好きになってくれた? お友達じゃ無くて、彼女にしてくれる気になった?」
 手首から流れ落ちてくる三雲の血が、俺の制服を染めていく。
「樋口いるか。体育館の裏だったよな」
 校舎の方から俺を呼ぶ高橋の声がする。
「……邪魔者が来たみたい」
 三雲は憎々しげに表情をゆがめると、素早く立ち上がるとバッグを持って体育館のより奥の方へと去っていく。
 唐突に眠気が襲ってきた。
「料理部の女子が包丁がないって騒いでたから戻ってきたんだ」
 大声が段々近づいてくる。
「まだいるなら早く逃げたほうがいいぞ」
 もう今更だよ。
 ざくざくと冬を越した枯れ葉を踏む音とともにやってきた高橋が、狭くなってきた俺の視界の外で足を止めたようだった。
「おい、大丈夫か!?」
 大丈夫なわけないだろう。
「救急車! 110だっけ……あれ」
 声がだいぶ慌ててうわずっている。
 119番だよ。
 声に出したはずなのに、音になっていなかった。
 睡魔に抗しきれずに目をつぶると、すぐに意識が落ちた。

 また、作業服が脱ぎ散らかした自室で目を覚ましてしまった。
 今回の死因は最悪だった。いっちゃった同級生に刺されるなんて。
 高橋が呼ぼうとしてくれていた救急車は間に合わなかったらしい。あれだけ何度も刺されれば必要な血液が流れ出るのはあっという間だっただろう。
 深いため息をついてからのろのろと着替えた。

 愚痴を聞いてもらおうと、高校に向かう。
 これが4回目だから、最短で8日間の滞在になる。
 登校すると、妙に慌ただしい雰囲気が漂っていた。
「細川さん。……おはようございます。何かあったんですか」
「おはよう、今それどころじゃ……樋口くん!? どうしているの?」
 どうしてって。
「……また死んだからですけど」
「そりゃそうでしょうけど。樋口くんなら分かるかしら、昨日から書き置きだけ残して水上くんがいないのよ」
 はい?
「何て書いてあるんですか」
「探さないでください、そのうち戻りますって。それだけなの」
 心ここにあらずという雰囲気で、水上が居ないことよりも、そのせいで出来ない何かを恐れている様子だった。
「なら、書いてあるとおりいつか帰ってくるんじゃ無いですか?」
「でも心配で……心当たりはない?」
 すがりつくようにお願いされたら、手伝わなければいけないような気になってくるじゃないか。
「ないですけど……探してきます」
 ないとは言ったが、実は俺だけは知っている場所が、1箇所だけあった。
 こちらの世界の約1週間前に、俺が連れて行かれてボコボコにされた、三人組の住処だった。だが、水上はそれがどこかを知らないはずだった。

 少し遠かったが、歩けない距離でもだった。
 あの日に水上と乗って出た、窓ガラスの割れた軽トラの隣に、こちらの高校の職員駐車場で見た覚えのあるトラックがもう一台停められていた。
 水上は軽トラを頼りにこの場所を見つけたのだろう。
 中に居るだろうと確信して、そのわりには世界が静かだから、少しの物音だって外で漏れ聞こえてもおかしくなさそうなのに、しんとしていた。
 警戒しながらそのマンションに侵入する。
 玄関ホールでエレベータの階数表示が最上階を示していることを確認し、横にあった階段からいくことにした。足音を殺しながら登っていくが、自分の吐息以外に聞こえる音はない。
 このマンションで最も高価だろう最上階は、1フロアの部屋数が最も少ない。だが、3つ並んだ玄関の扉のどこに連れ込まれたかまでは思い出せなかった。
 逡巡していると、ある扉の前に捨てられた吸い殻が目についた。……セブンスターの吸い殻は、まだそれほど古びていない。
 違っていたらすぐに他を試せば良いか。
 もう一度だけ耳を澄ませて何も聞こえないことを確かめてから、そのドアを勢いよく開けて身を滑り込ませた。
 合ってた。
 廊下の向こうのリビングで、数日前の俺と同じように顔を腫らして椅子に縛り付けられている三人組と、その前にどっかりあぐらをかいてこちらを振り向いている水上が見えた。
「……4人目が居たのかと思ったぜ」
「間違いなく三人組だと思うけど。なんでお前はこんな所にいるんだ」
「またいつかおいたをされる前に、出来ないように懲らしめてやろうと思ってな」
 長い廊下を進んでいくと、青色の髪のやつが1人だけ腹から血を流していた。今回の死因を思い出して眉をひそめる。
「1人だけ怪我してるのか」
「単なる見せしめだよ、一番元気の良い奴に一発、ズドンてな」
 椅子の下に血だまりが出来て、息はあるようだが顔が真っ白になっている。
「これくらいなら、1日位はほっといても死なないよ。2日になったら知らんけど」
「殺すわけじゃ無いんだな」
「ただ殺すだけじゃ、つまらないだろ。それよりなんでお前は戻ってきたんだ」
「クラスメイトに腹を刺された」
「なんだそれ。痴情のもつれか」
 面白い冗談を聞いたように水上が笑った。
「全くその通りで笑えねえ」
「モテモテでいいじゃねえか」
「ちっともよくない」
 憮然として答えると、大笑いになった。
「そんなことより、これからどうするつもりなの」
 顎で三人組を示しながらそう聞くと、ピタリと笑いが止まって表情が無くなる。
「日付が変わる前くらいまでこのままだな。……小さい頃、一緒にテレビで見たよな」
 水上が、取り出した煙草で部屋の隅に置かれた赤いポリタンクと消火器を指し示した。……灯油か。
 ライターをならして咥えた煙草に火を点ける。
 灯油、火、縛られた人間。連想して気分が悪くなる。
「俺がされたよりずいぶん酷いことを思いつくんだな」
「絶対助からないようにしてやる」
「……ごめんなさい、もうしないから」
 水上が憎しみのこもった暗い声で宣言すると、真ん中で縛られている赤い頭の奴が泣きべそをかきながら言葉を発した。
「樋口は良いところに来た。お前の時は、誰の発案だったんだ?」
 謝罪が全く聞こえなかったように、夕飯の献立を話すように水上が尋ねる。
「ごめんなさい」
「そんなこと知ってどうするんだ」
「助けてください」
「そいつを最後まで残して、見せつけてやるのさ」
「許してください」
「復讐なんて要らないって言っといたよな」
「殺さないでください」
「お前に要るかどうかじゃない、俺がしたいんだ」
「お願いします」
「……俺も助かったんだからさ、止めようよ」
「お願いします……」
 涙と鼻水で腫れた顔をなおぐしゃぐしゃにして、赤いのが懇願する。
「うるせえ!」
 立ち上がった水上がそいつを椅子ごと蹴倒す。
 ガターンと転んだ音がして、彼は倒れた衝撃で息をつまらせて咳き込んだ。
 ぐったりしている青色の髪がかすかに目を開け、もう1人の黄色い髪が大きな音に怯えたように震える。
「おねっ……がい」
「泣いたって聞くかボケ」
 その胸を踏んづけて水上が声を荒げる。
「戯言は何をしたかきっちり理解してから言え。身をもって体験しねえとお前らには分からねえだろうから手伝ってやろうって言ってんだ」
 ぎゅうぎゅうと体重を掛けて叫んだ。
「やめろよ」
 水上の肩に掛けた手を引っ張ると、怒って俺のことも突き飛ばした。
「邪魔するんじゃねえ」
 靴下にフローリングだったから、そのまま足を滑らせてポリタンクに肩をぶつけた。近づくと間違いなく灯油のにおいがする。俺と一緒に倒れたタンクの中身が、満タンに入っている液体が、チャプチャプと揺れる。
「なあ、このまま帰ろうよ」
 タンクを支えにして起き上がり、座り込む。
「つべこべ言うなら樋口も一緒に燃やすぞ」
 転ばされてカチンときた。昔からこいつは余計なところばかり頑固なんだ。
 何回も生き返っては同じ日のうちに死んで、しかも今回は同級生に殺されて、俺も機嫌が悪かったのだ。
「いいよ、そうしようぜ」
 横にあったタンクの蓋をひねって開けると、そのまま頭から被った。部屋中に灯油のにおいが充満する。
「な、てめえ……」
 蓋と空になったポリタンクを驚いて固まっている水上に投げつける。
「ほら早く、その短くなった吸い殻をこっちへ投げろよ」
 水上が咥えている煙草を慌ててこすりつけて火を消した。
「何やって……!」
 三人組は揃って怯えた目でこちらを見ている。
「お前を手伝ってやってるんだろ。お前がやらないなら自分で火を点けるぞ」
 灯油で濡れた服が肌に張り付いて気持ちが悪い。四人の視線を浴びながら、重たくなったズボンのポケットからオイルライターを取り出した。
 何かを叫びながら俺の手から水上がライターをもぎ取って向こうへ投げる。
「ふざけんな」
「そりゃこっちの台詞だ」
「お前はあっちに帰って生きるんじゃねえのかよ。なんで自分からこっちで死のうとしてるんだ」
 匂いで頭がぐらぐらしてきた。
「これで4回目だぜ。何時になったら明日が来る? もう疲れたよ」
 実際のところ、嫌になってきていたのも事実だった。
「くそ野郎。おい、風呂場はどこだ」
「……廊下を出て左側の一番手前っす」
 水上が唐突に発した質問に、倒れ込んだままの赤髪が答えた。
 俺の後ろ襟をひっつかむと、もの凄い力でずるずると風呂場へ引き摺っていく。
「痛い……痛い」
「知るか、自業自得だろ」
 広い風呂場へ俺を連れ込むと、服を着たままシャワーを浴びせかけてきた。
「ぶえ、ごぼっ、冷てえ」
「灯油が落ちるまで我慢してろ」
 頭から顔から胸から背中から、力尽くでひっくり返されたりバスタブに押しつけられたりしながら洗い流されていく。
「これでよし」
 一仕事を終えた水上が呟く頃には、すっかり濡れ鼠になって凍えていた。くしゃみが止まらない。
「……寒い……っくしょい」
 ガタガタと震えが止まらない。水上だって下半身がびしょ濡れになっているのに、顔は汗をかきながら荒い息をついていた。
「わがままだな……行くぞ」
 また襟をつかんで連れて行かれそうになるのを振り払って、自分で立ち上がる。
「い、行くってどこへ」
「いいところ」

 3人組も床にこぼれた灯油もそのままに、水上はさっさとマンションから出るとトラックのエンジンを掛けた。
「濡れ鼠は荷台だ、シートが汚れるだろ」
 言われて荷台によじ登る。腰を落ち着けた俺を確認して、乱暴にトラックを発進させた。とっさにトラックの鳥居をつかんだが、かじかんだ手では体を支えきれずに荷台を派手に転がった。
 猛スピードで飛ばすせいで、強い風を直に受ける濡れた全身からは急速に体温が奪われていく。
 右へ左へと荷台を転がっているうちに、時間の感覚もなくなってきた。山道に入ってカーブが多くなり、なお空気が冷たくなっていく。体のあちこちをぶつけているはずなのに、痛みをあまり感じない。
 自分から灯油を被ったとき以上に死を近く感じるようになって、やっとトラックが止まった。
「降りろ」
 そう言われても、意識が朦朧として体が動かない。のそのそとうごめくだけの俺を見て、水上は舌打ちをすると俺を背負った。
 どれくらいの距離を歩いたのか分からないが、おんぶされて連れてこられた先で、池の中に放り捨てられた。気管に水が入って、溺れかけて体を支えようとするが底に手が当たっても上手く体勢を整えられない。
 服を脱いだ水上が池に入ってきて支えてくれると、やっとまともに息が出来るようになって咳き込んだ。
 発作が落ち着いてくると、水が温かいことに気がついた。
 これは池じゃない。
 見慣れた地元の、小さい頃からよく来ていた公衆野天温泉だった。

 体が温まってきてから、まだ着ていた服を脱ぐ。完全に濡れて重くなっているから脱ぐのにも一苦労で、そのうえ荷台でぶつけた全身が鈍い痛みを主張するせいで抜いている間にまた寒くなってくる。
「寒気がする。風邪でも引いたかな」
「濡れた服を着て風に当たってりゃ体調を壊したっておかしくねえ」
「お前の運転のせいだ」
「樋口が灯油を被るなんて無茶なことするからだ」
「その灯油は誰が何のために用意した物だったっけ」
「そもそも探すなって書き置きをしたはずだったんだけどな」
 口々に言い合ってにらみ合う。
 険悪な雰囲気になったが、2人同時に吹き出して大笑いしてしまった。

「細川さんが青い顔をしてたぜ」
「うわ、帰るの嫌だなあ」
「何で?」
「ぜってえ怒られるじゃん」
「なら、後先考えずに行動するのを止めろよ」
 トラックに積んであった予備の服に着替えながら、さりげなく聞いた。
「あの3人組はどうするの」
「あー……何か拍子抜けしちまったなあ。肝心の本人がピンピンして帰ってきたし」
 怒ってはいるようだが、思ったより落ち着いているようだった。
「どうしよ。樋口ならどうする?」
「俺に聞くのかよ。……連れて帰るかなあ」
「3人も生活する人が増えるってなると、細川さんに相談しないとなあ。その前に怒られる……」
「俺も一緒に怒られてやるからさ。それに、何も言わずに連れて行けば怒られなくて済むんじゃね?」
 水上は俺の顔をまじまじと見た。
「本当にそれでいいのか?」
「いいのか、って?」
「あんなコトされて、お前は許せるのか、って言ってるんだ」
「……聞かれたって、分からないけど。でもそれでいいよ」
「お前がいいなら、いいけどさ。俺なら絶対に許せない」
 相変わらず優しい奴だなあ。
 水上は何かを諦めたように笑って、呟いた。

 トラックできた道を引き返し、マンションに戻ると、3人組は灯油のにおいがする部屋で変わらずに居た。
 拘束されているのだからどうしようも無かったのだろう。怯えた目で俺らを見る。
「逆らうんじゃねえぞ、今度こそ殺す」
 縄をほどきながら水上が機嫌悪そうに脅すと、慌てたようにこくこくと2人は頷いた。腹を打たれているもう1人は、もうその気力も無いようだった。
「思ったよりやべえかも」
 ぐったりとした様子を見た水上が小声で俺にささやいた。
 顔が腫れているだけで自分で立ち歩ける2人に肩を支えさせてトラックに戻り、3人組は荷台へ、俺たちは運転席と助手席に乗った。
 気のせいかもしれないが、水上が少しだけ丁寧な運転で暮れた人気の無い道を高校に向かう。
「鈴木さん! ただいま、急患だ!」
 水上が、門番をしていた今日もつなぎの男の人に叫んだ。
「今までどこに……、急患って何のことだ」
「いろいろあって。それより早く開けて!」
 トラックのエンジン音を聞きつけて、細川さんが鬼の形相で走ってくる。
「あんたたち! 心配したじゃないの!」
「ごめん、それに関しては後で聞くから。こいつらのことを診て!」
「あたしは医者じゃ無いのよ」
 そう言いながらも、荷台で横たわる青い髪のやつを一瞥すると、保健室へ運ぶように指示を出した。
 出血は殆ど止まっているようで、乾いて張り付いた服を剥がすと、銃創と呼吸を確かめて悲しそうに首を振った。
「ダメか」
「ここじゃちゃんと直すのは無理よ。ここは病院じゃないし、私は医者じゃないし」
 黄色と赤の髪をした仲間達が肩を落とす。
「じゃあ、しょうがねえか」
 邪魔にならないよう、外から様子を窺いながら煙草を吸っていた水上が平坦な声で言った。
「どうする気だよ」
「こうする」
 やけに即答する水上から不穏な雰囲気を感じて振り向くと、彼はくわえ煙草で歩み寄ってくると、拳銃を向けた。
「お前、殺すのは止めるって……!」
「それ、やめた」
「ちゃんと言うこと聞いて、おとなしくしてたじゃないか!」
 赤い髪が叫んでつかみかかろうとしたが、それより早く彼が発砲した。
 銃声とともに、辛うじて息をしていた青い髪が頭を打ち抜かれて死んだ。
「な……」
 絶句して黄色い髪が崩れ落ちる。赤い髪が泣きながら水上を殴ろうとして、あっけなく返り討ちにされる。
「どういうつもりだよ」
 俺は沸騰しかけた頭を必死に落ち着けようとしながら、歯の隙間から問うた。
「治らない怪我をしたまま日付を跨いだら、こいつはずっとこのままなんだぜ」
 顔色を変えずに拳銃を後ろ腰のベルトに挟みながら水上は当たり前のことを語るように答えた。
 そうかもしれない。すっかり忘れていたが、死後の世界であるこの世界では、水上の言うとおりだった。
 だとしても、もうちょっと他に方法があるってもんじゃないか。
「今晩のうちにまた、迎えに行ってくるよ」
 そう言って彼は保健室を出て行った。

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俺に明日は来ない Type1 第6章

2022.02/18 by こいちゃん

 だからその日も、俺の1日はたった数秒で終わるのだと思っていたのだ。
 暗くても分かる何か白い大きなものが、ある日は復活したとき真下に見えた。
 落ちるのまでは一緒だったが、落ちきってぶつかったのがいつもと同じ固い地面ではない。
「よし、ゆっくり降ろせ」
 聞き覚えのある懐かしい声がする。
「おい、まだ生きてるよな」
 今にも死にそうだけど。
 そう言いたかったのに、腫れた顔ではうめき声にしかならなかった。
「急いで帰るぞ」

 深夜なのに高校は明かりが点けられていて、年上組の総出で服を脱がされ、温かい濡れ布巾で全身がくまなく拭われる。
 ほとんど全身が湿布と包帯で覆われて、わざわざ布団乾燥機で温めてあったのだろう、暖かい布団に寝かされた。
「朝になって死んでたら許さないからな」

 殆ど気絶したように寝付いたはずなのに、目が覚めたときにはまだ外が暗かった。
 トイレに行きたい。
 全身が痛くてだるい。呻きながら身を起こすと、足が重たいと感じたのは怪我のせいだけでは無かった。
「……水上。ごめんちょっとどいて、トイレに行きたい」
 腰の痛くなりそうな姿勢で、俺の足の上で腕を組んだ水上が寝ていた。
 手を伸ばすと肩と脇腹が痛むのだが、彼の体重をどけないと足を引き抜けなさそうだった。
 しばらく揺すっているとピクンと震え、勢いよく水上が体を起こした。彼の体からバキバキと音が鳴るのが俺にも聞こえる。
「……腰が痛てえ」
「そりゃそうだよ、そんな姿勢で寝てるんだから」
「起き上がってて大丈夫なのか」
「……おしっこもらしそう」
 俺は一体いくつになったんだ。
 恥ずかしいが言葉にしないと動くのを許してもらえなさそうな表情が、暗がりの中でも分かった。
「車椅子を用意してやるから、もうちょっと辛抱してろ」
 車椅子だなんて大げさな。だけど有り難かった。
「悪いじゃん」
 俺が寝かされているのは保健室だったらしい。すぐに片隅から車椅子が出てきた。
「中学の時に保健の授業で習ったときには、こんな知識をすぐに使うとは思ってもみなかったぜ」
 言われて思い出す。
「そういやあのときは、俺がお前を押してやったよな」
「今回は逆の立場になっちゃったわけだ」
 二人で密かに笑い合う。
 笑ったら腹が痛い。笑いすぎというわけでは無く、怪我のせいだ。
 意味があったのか分からないが、彼が悶絶する俺の背中を慌てたようにさすると、すっと痛みが和らいだような気がする。
「トイレだっけ。これじゃ老老介護ならぬ、若若介護だな」
 だから笑わすなって。
「出すところまで見て……いや、介助してやるからな」
 笑うたびに全身に痛みが走るんだ、お願いだから止めてくれ。
 絶え絶えになった声でそう言ったのに、心配させた罰だと言って彼は取り合ってくれない。
「心配させさせたのは、悪かった。助けてくれてありがとう」
「まあ、どっちもお前のせいじゃないけどな」
 答えた水上の声は、つい数秒前まで面白がって俺を笑わせていた時とは別人のように冷たかった。
「……不注意だったのは俺だし」
「この世界は死後の世界だが天国でも地獄でもないってことを、まだ3回目で実体験できて良かったな」
「出来れば何回目だろうが知りたくは無かったけど」
「違えねえ」
 小声でしゃべりながら、小さな振動も与えないようにゆっくりと、水上が車椅子を押してくれる。俺は安心してトイレに着き、こちらの世界に居る限り一生話題にされるんだろうと、気が気じゃない思いをしながら水上の介助で用を足す。
 饒舌だった行きと引き換え、無言で保健室まで戻る。
 ベッドに寝かせるところまで手取り足取り助けてもらう。
「なあ、煙草一本ちょうだい」
 ずっと黙ったまま居る彼に不安を覚えて、あえて小さい子供みたいにおねだりしてみた。
「赤ちゃんみたいに求める物と違うだろ」
 確かに。
「ありがと」
 水上に選んでもらってからずっと吸っているハイライトでは無く、彼の胸ポケットから出てきたセブンスターをくわえさせてもらう。差し出されたライターで火を点けると、体感的には数時間かもしれないが、実際には何日も吸っていなかった煙を胸深くまで吸い込む。
「樋口もすっかりニコチン依存症だな」
 自分の分も煙草に火を点けた水上が言う。
「誰のせいだよ」
「俺ですが。……保健室で吸ったなんて知れたら、後で細川さんがうるせえぞ」
「だって俺は満足に動けねえんだもん、しようがなくないか」
「開き直りやがってこのヤニカスが。怪我人病人は健康に悪いヤニなんて吸ってないでずっと寝てろ」
 ごもっともだ。
 水上は静かに立ち上がると、換気のために窓を開けた。
「寒くねえ?」
「大丈夫、熱があるせいで感じる寒気以上に、殴られた全身が火照ってる」
「それは……良かったと言うべきなのか悩むな」
「助かったんだからいいんじゃね?」
「そうか」
 また彼の顔が暗くなる。
「復讐とか、考えなくて良いからな」
「考えとく」
 ……会話が噛み合っていない気がする。
「さて、寝ようぜ」
 それぞれの煙草が短くなり、灰皿代わりの空き缶が差し出された。
 俺が吸い殻を入れると、最後にひときわ赤々と火種が輝くまで煙を吸い込んだ水上もフィルターだけになった煙草を缶に捨てた。

 次に目が覚めたのは、細川さんの女性らしい高い声でだった。外はもう明るくなっていた。
「あんたねえ、親友が心配だからって一緒に寝たんじゃないの? なんで保健室が煙草臭くなってるのよ」
「だって心配で離れたくなかったんだもん」
 叱られた水上が子供のように少しいじけた口答えをする。
「なら煙草も我慢すれば良いでしょ」
「だって暇だったんだもん」
「寝ている病人の看病なんだから、暇なのは当たり前なの!」
「……あんまりうるさくすると樋口が起きるぜ」
「もう起きてます」
 やっと会話に割り込めた。
「あっ、その、ごめんなさい。寝ているのに枕元で大声を出しちゃった」
「大丈夫です、それよりその……女性に言うのもアレなんですけど」
「トイレね。別に、お母さんやってる女には気にしなくて良いのよ」
 俺が気にするんだ。まだ高校生で、つまりは思春期なんだぞ。野郎同士ならまだしも、そういう話題を女の人とはしたくないんだ。
「また手伝ってやろうか」
「お願いしたい」
 お説教から逃げる良いタイミングだと思ったのだろう、水上がそそくさと車椅子の用意をする。
「まだ歩けないだろ」
「すまん」
 痛みはだいぶ引いてきているのだが、体を起こすところから手を貸してもらう。
「お腹も空いたでしょう、なんか食べられそうなものを用意してくるわね」
 細川さんはそう言って保健室を出て行った。
「ありがとうございます」
 扉を開けたままにしていったけど、聞こえただろうか。
 足音が遠ざかっていくのを確かめてから、水上が言う。
「な、言ったとおりだっただろ」
「うん」

 それから3日間はずっと保健室で寝ているだけだった。入れ替わり立ち替わり、みんなが様子を見に来ては、少し話をしていってくれる。
 今晩寝れば生き返るという夕方に、細川さんが周りの目を盗むようにこっそり保健室にやってきた。
「今回は災難だったわね。それで一つ、お願いがあるんだけど」
「いえいえ、自分の不注意もありましたから。お願いですか」
「そう。多分、君が生き返る前に水上くんが、その……加害者のことを聞くと思うのよ」
 加害者のことを……?
「君がいなくなっている間の彼は、何というか。私たちも初めて見るような……小さい子どもたちがおびえちゃうような感じで」
「つまり、復讐を考えていそうだと言うことですか」
「察しが良いわね。私は、いえ私たちは、彼がいないと生きていけなくなっているの」
 水上がいないと、生きていけない?
 死んでから来るこの世界でも、生きていけない?
「だから彼を失うかもしれないようなことをできるだけ避けたいの。この際だからついでに謝らせてもらうけど、最初は君が見つかっても、君を助けに行くのを止めようとしていたくらいなの」
 話題が急に飛んだ。俺を助けたくなかった?
「今から考えれば随分自分勝手だったと反省しています。ごめんなさい」
「よく分からないけど。いいですよ」
 あまりに神妙そうな謝罪を、意味も分からず許す。
「ありがとう。だから、彼が復讐に向かうような、3対1の喧嘩を始めるような危険な真似を避けたいの」
 水上を失いたくないから、危険を事前に防ぎたいという。俺だって彼が危ない目に遭って欲しいわけではないから、謎は残るものの彼女の申し出を受け入れた。
 食事中に中座してきたらしい彼女は、俺の承諾を得るとそそくさと食堂代わりの教室へ戻っていった。
 1人残されて、どういうことなのか考えたが、彼女たちの真意は伺えなかった。

 夜になって、いつも通り水上がやってきた。
「毎晩のように子守歌を歌ってもらわないと寝られないガキじゃ無いんだからさ」
「生き返る樋口にとってはこの記憶もあっちでは忘れちゃうかもしれないけど、俺にとってはお前に会って話しをするのは最後かもしれないんだぜ?」
「俺だって、あっちじゃお前はもう死んでるんだから、水上と話は出来ないんだが」
「俺が死んだこともあっちのお前は知らないだろ」
 知らないけどさ。
 そういえば、狭い地元で、何で同級生が亡くなったことが話題になっていないのだろう。数年前に3軒向こうに住んでいたお爺さんが亡くなったときだって、地区全体にお悔やみが回った物だ。
「それはそうとさ。お前、河川敷から何処に連れて行かれたの?」
 来た。細川さんが口止めした話題だ。
「気絶してたから覚えてない」
 これは事実だ。
「俺もさ、お前が動かなくなったからてっきり先に死んだんだと思って、ならいいやリセットしようと思ったんだよな」
「なるほど」
「なのに起きたらお前がどこにも居なくて。そんで慌てて探したら、ビルから落ちて死んでるじゃん。それでやっと気絶してただけだったお前はあいつらに連れて行かれて、何かされたんだなって分かって」
「俺も、人間って意外としぶといんだなって思ったよ」
「でだ。今後も奴らに襲われないように、アジトが何処にあるか知っておきたいんだけど」
「でも、気絶していたときに運ばれて、散々殴られて目がよく見えないうちにあのビルに連れて行かれたからなあ。俺もよく分からないんだよ」
 後半は半分嘘だった。なんとなく、どのあたりに彼らの住処があったのかは想像がついている。
「そうか。まあ、写真に撮って後で笑いものにしたいくらいには、漫画みたいな酷いツラしてたしな」
「ひでえ」
 もううっかり笑っても、そこまで体に響かない。
 一緒に笑っても、水上の目が笑っていなかったのが少し気になった。
「……もう寝るわ」
「そっか。もう来るなよ」
「そうできるならそうするさ」
 そういうと、一瞬だけ彼は少し寂しそうな顔をしたような気がした。

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俺に明日は来ない Type1 第5章

2022.02/17 by こいちゃん

 今回は、もう死後の世界で目が覚めても、驚きすら無かった。生きている世界なら、自分の枕元に作業服が置いてあるはずがない。だから同じ高校へ行くのでも、制服では無く作業着を着て向かった。
 雨が降り出しそうな空だった。降り出す前にと早足で高校に向かうと、校門のバリケードで門番をしていたのは、水上と鈴木さんの2人だった。
「単なる夢だとは思ったんだけどさ、夢なのにやたらリアルで嫌な予感がしたから、学校帰りに電車で町に出るのは止めたんだ。なのに今度は階段を踏み外して、打ち所が悪かったみたいなんだよな」
 恐らくこの辺だろうと思う後頭部をさする。
「足元には十分注意しろよ」
 昨晩の0時には無かった怪我だから、もちろんコブにはなっていない。
「本当だよね。17にもなって、通学路の階段で転ぶとか、ださすぎる」
 現実世界の5月26日を迎えるまでに、何日分の遠回りをすれば良いのだろう。
「3回目だから、最低4日間は連続して生き残らないとな」
 今回も最短で生き返ってやる。
「またしばらく、みんなのやっかいになる」
「俺たちとしては、何日でもいたいだけ居てくれて良いんだけどな」
 気持ちだけで十分だ。
「そういや今朝は農作業じゃないんだな」
「雨が降りそうだろ。昔の人はよく言ったもんだよな、晴耕雨読ってやつさ」
 天気の悪い日は朝から勉強らしい。耕された校庭には誰も居ない。
「そうすると俺はずっと門番だから、暇なんだよなあ。図書室から本を持ってきても、雨が降り始めたら本が傷むって怒られるし、ケータイは使えないし」
「ゲーム機は? 携帯ゲームならインターネット接続が無くたって」
「だから雨なんだって。小さい子供が乱暴に扱っても壊れない強靱性はセールスポイントになっても、家の中で遊ぶ前提のゲーム機に防水性を謳っている機種なんざそうそう無いだろ。外で門番をやってるときに雨が降られたらゲームなんて出来ねえって」
 それもそうか。
「まだ朝だから、頭が回ってないんだなあ」
 笑って誤魔化そうとした。
「お前の天然は昔から変わってねえよ」
 水上は誤魔化されてくれなかった。
「こういうときに誤魔化されてくれないんだからケチっていうんだよ」
「ケチもくそもあるか、馬鹿」
 バリケードの中と外で漫才みたいな会話を繰り広げていれば、鈴木さんはおかしそうに笑い転げていた。
「この人、笑い上戸なんだよ」
「そうなんだよねえ。これじゃ僕が門番の役に立たないから、君らは遊びに行ってきなよ」
 鈴木さんは涙を拭いながら言ってくれた。
「お仕事の邪魔してすみません」
「いやいや、いいって。……君が来なかったら、段々不機嫌になっていく水上くんと二人っきりになるところだった」
 わざとらしく声を潜めてはいるが、いかんせん俺より水上の方が鈴木さんに近いわけで、彼にも充分聞こえただろう。
 当の本人はそっぽを向いて口笛を吹き、聞こえないふりをしている。
「遊びに行って良いってさ。行こうぜ」
 何処へ行こうというのか。

「そりゃ、遊ぶ場所なんてないよなあ」
 ゲーセンへ行ったって、アーケードゲームの電源なんてどうやって入れれば良いのか分からない。
「次に生き返ったときにはさ、ゲーセンでバイトしてくれよ。そうしたら今度来たときに好きなゲームを好きなだけ遊べるじゃん」
「4回目のことを3回目の初日から予定しないでくれるかな」
「冗談だよ」
 行く場所のない俺たちは、天気が悪いというのに軽トラで河川敷に来て、ひたすら水切りで時間を潰していた。
 小学校や中学校の放課後を思い出してみても、何もない山奥だったからだろう。山へ入るか川へ下るか、そうして見つけた場所で暗くなるまで、ただ昼寝をしたり、他愛もない話をしたり、学区に唯一の同い年で、ずっと一緒に居たはずなのに、この幼なじみとあえて何かをやったという記憶は無い。
 どちらかがゲーム機を買ってもらったら、しばらくはお互いの家に行って対戦したこともあった。でもすぐに飽きて、結局は家の外で何もしないことが多かった気がする。
 このときも、やがてどちらとも無く言葉数が少なくなり、交代でひたすら石を投げるだけだった。
「それが不愉快じゃない他人って、貴重だよな」
「は? なんの話?」
 脈絡無く考えていたことが口から飛び出す。
「なんでもない」
「樋口に友達が居ない話か。なんでもなくはないだろ」
 さらっと友達が居ないとか言うな。傷つくだろ。
「いやまあ……普段のお前は何をしてるの」
「えー……何にも。あっちへふらふら、こっちへぶらぶら、って感じ」
「それこそ、そんなことねえだろ」
 この間は水上もみんなと農作業をしていた。食べる物を自分たちで作らないと、物流のないこの世界では何も食べられなくなってしまう。
 そうか、普段はちゃんと仕事してるから、そうそう日中に暇を持て余すなんて事は無いのか。
「みんなに悪かったな、貴重な労働力が一人足りなくなっちゃうわけか」
「いや、本当に俺は何にもしてないぞ。一昨日はお前がいたからさ」
「……みんなはそれでいいって?」
「俺は俺にしか出来ない仕事をやってるからな」
 仕事の中身が気になったが、それは教えてくれなかった。
 やがてしとしと雨が降り始め、俺たちは橋の下で雨宿りをしながら、何もしない時間が過ぎていくのを待っていた。
 ふと、水の音しかしない静かな世界に、エンジンの音が聞こえた。
 水上も気付いたようで、真剣な顔で橋の下をにらみつけている。
「まずいかもな」
 彼がぽつりと呟くが、俺には何がまずいのか分からない。
「樋口はここで隠れてろ、軽トラを持ってくる」
「分かった」
 まだこの世界に不慣れな自覚が俺にはあったから、彼の言うとおり雨に濡れない橋の下で一人待つことにした。
 ついていけば良かったのに。
 何台か居るらしいことが分かるくらいにエンジン音が近づいてきて、向こう岸から橋を渡っているようだ。そのまま通り過ぎてくれれば良いものを、しかしどうやら土手から俺の居る橋の下に降りてきた。
 陰から盗み見ると、降りてきたのは髪色もバイクもド派手にした3人だった。寒いだの雨が鬱陶しいだの、口々に騒いでいるが、呂律が回っていない。
 眉をひそめて見ていると、一人がビニール袋を取り出して中の何かを吸っている。
「何だあれ。アンパン?」
 細川さんが言っていた、法律が無くなって犯罪に走る連中というのが彼らだろうか。
 仲間内で袋を回しながら何かしゃべっているようだが、余計に呂律が回らなくなった彼らの会話が、俺には単に奇声を上げあっているようにしか聞こえない。
 そこに水上が戻ってくる。
 軽トラに気付いた彼らは、屋根のある乗り物を見つけて強奪を目論んだようだった。
 3人組がバイクのエンジンを掛けると載せていた武器を手に取って跨がり、走っている水上に襲いかかる。
 考えてみれば、いくら3対1とはいえ自動車に乗っている水上が、しかもクスリでラリっている彼らに負けるはずはないのだが、水上が躱した一人が後ろの死角からバイクを乗り捨て荷台に飛び移ったのを見て、うっかり声を上げてしまう。
 直接攻撃されないように軽トラの窓を閉めて、しかもバイクのマフラーを改造しているのかやけにうるさいエンジン音が近くに居るのだから、俺の声なんて聞こえるはずがないのに。
 その声に気付いたのは当然だが、水上では無く3人組の片割れだった。タイヤを滑らせ、河川敷の悪い地面を気にすること無く俺に突進してくる。
 やっちまったと思いながら飛んで躱すが、橋桁に激突してくれれば良い物を、すぐ手前で転回して向かってくる。バイクは避け切れたと思ったのだが、そいつが持っていた鉄パイプの先端が翻った俺の上着に引っかかって、奴もバランスを崩したが俺も引っ張られて転んでしまう。
 慌てて起き上がろうとしたが、その前に別の1台が容赦なく俺を轢いた。
 このところ、乗り物に轢かれるのがマイブームらしい。
 感じた痛みに、反射で現実逃避をしてしまう。
 ふと見上げると、俺に気を取られてしまった水上も荷台から軽トラの窓を割られてやられていた。頭を切ったらしく血を流しながら、手に握った拳銃を俺を転ばせたついでに自分も転んだ敵に向けると、一発で殺した。
 響いた銃声と同時に跳ねて動かなくなる仲間をみて、やられたのを見た残り2人が激昂する。
 起き上がるのを忘れていた俺はもう一度、自分の体の上をバイクが走るのを感じて意識を失った。

 大量の水をぶっかけられて気がつくと、知らない部屋で椅子に縛り付けられていた。
「よくもやってくれたな、あ?」
 空になったプラバケツを放り捨てたそいつの顔を見て、混乱していた記憶が脳裏に走る。
 正面から見ると、どこか路地裏に屯しているにはひ弱な印象が残る男だった。おまけに、俺より年下そうに、それこそ木下くんくらいに見える。
 汚らしい青色の髪以上に、似合わないピアスを顔中にしてむしろ痛々しい。
 続けて唾を飛ばしながら何か喚いているが、俺には何て言っているのかさっぱり分からない。
 困って黙り込んでいると顔を殴られた。縛られた椅子ごと後ろに倒れ込む。殴られた顔も、身動きが取れないせいで受け身も取れずに床へぶつけた頭も痛い。目の奥で火花が散るというのはこういうことを言うらしい。
 後から思い返せば、このときは決して冷静なのでは無く、現実逃避に一生懸命だった。
 汚い言葉で罵っているのだろうと想像はついても何を叫んでいるのかも分からないまま、3人組から2人組になった彼らに殴る蹴るの暴行を何も出来ず受けて朦朧としていると、自分の頭もおかしくなってきたのか、段々何を言っているのかが分かるようになってきた。
 どうやら水上は、俺をどうにか助けようとしてあの場でしこたま殴られて、大怪我をした結果リセットして改めて俺を助けようとしたようだ。だから殺された1人の代わりに、自殺されたせいで殺し損ねた水上の代わりに、俺が殺されようとしているらしい。
 段々痛覚が無くなってくる。まあ、水上がやったとおり、こちらの世界では死ねばその日の0時に居た場所で、0時になったときの状態で、戻るらしい。最短の4日で生き返るのは諦めなければいけないが、このまま今日は死んでも良いかと思い始めてきた時だった。
 ふと嵐のような暴行が止んだ。
 晴れ上がって持ち上げるのに難儀するまぶたを持ち上げてみると、1人がいなくなっている。もう1人はと言えば、俺をにらみつけながら返り血を浴びたままで、カップラーメンにお湯を注いでいた。2つを作っているということは、片割れもすぐ戻ると言うことか。
 なんだこいつ。腹が減ったから俺で遊ぶのを止めたのか。
 俺も腹が減ったなあ。
「食い終わったら、一緒にお出かけしようなー」
 ちゃんと普通に通じる日本語を、こいつから初めて聞いた気がする。
 開き直って何か混ぜ返そうと思ったが、腫れ上がって端が切れている唇が上手く動かせない。口の中で気持ち悪い血を吐き捨てようにも頬を涎が垂れていくだけだった。
「俺はシーフード味だからな」
 悠長にトイレ休憩を兼ねていたらしい。社会の窓を閉めながら戻ってきたもう1人も、同じくらいの年頃に見えた。こいつは髪を赤くして、やっぱり同じくらい似合わないドクロのネックレスをじゃらじゃらいくつも首に提げている。
「俺は醤油でいいよ、あと2分で出来る」
「サンキュー」
 俺にも一つくれ。……もらったところで口が食えそうにないが。目を開け続けているのが辛い。まぶたを持ち上げ続けるというのはこんなに疲れることだったのか。
 やがて2人がずるずる音を立ててラーメンを食い始めると、俺の腹が鳴った。
 ラーメンを食いながら爆笑する。
「そんなにボコボコにされてても腹が鳴るのかよ」
「俺たちよりも図太えなあ」
 笑い声が止んでもラーメンをすする音が聞こえてこない。
 不安に駆られて彼らを見ると、二人して暗い目をして俺をにらみつけている。
「俺たちも、こいつくらい脳天気だったら」
「こんなところにいなかったのにな」
 普段なら屁でも無い年下の2人を見て、背筋が寒くなる。
「……こいつ、ただ殺すんじゃつまらなくね?」
「何か思いついたのかよ」
「ちょっと大変だけどな。食い終わったら話す」
 そう言った青い髪の方が、残ったラーメンを流し込むように食べ始めた。
 食べ終わると、まだ熱い汁を俺に掛けた。
 熱湯と言うほどではないが充分火傷できそうな液体を顔に浴びて呻く。
「へへっ。……日付が変わる瞬間にさ、ビルから落としてやろうぜ」
「お前、酷いこと思いつくな。面白そうじゃん」
「3人で見に行ったら胸がすっとしそうだろ」
 この世界では、死んだら死んだ日の0時に居た場所で復活する。
 復活した途端に、また死ぬじゃないか。
 藻掻くがボロボロの体では固く縛られた縄をほどけるわけが無かった。

 後ろ手を拘束され、逃げられないように縄を何処とも知れないビルの非常階段に縛り付けられた。五階建ての最上階の踊り場で、雨は止んだが濡れた床に転がされていると金属の冷たさが染みてくる。全身を殴打されて熱を持っているはずなのに、体の芯が冷えていくのが分かる。風邪も引き始めているのかも知れない。
 そんな俺を横目に見ながらチンピラ二人は肉体労働の後は旨いとばかりに缶ビールを飲んでは苦さに顔をしかめている。味が分からないなら飲まなければ良いのに。
「そろそろ0時になるそ」
「ぶらさげるか」
 酔ってふらふらした足で二人が立ち上がると、覚束ない手つきで俺を手すりの下に押してくる。日付が変わってしまえば彼らはまた24時間待たなければいけないから、時間稼ぎに抵抗するのだが、そもそも俺には今が何時何分で、後どれくらいの時間が残されているのか分からない。
 先の見えない中で、不自由な体に鞭打っているのも限界だった。
 ついに濡れて滑る手すりの向こうに落ちる。一瞬の自由落下は、手すりに結ばれている縄の長さで止まる。ぴんと張ったときの衝撃で息がつまる。
 こうなってしまえば、今度は結ばれている縄を日付が変わる前に切って落ちてしまえば、明日の0時に無事な状態で復活できる。体を揺すって結び目が緩くなるのを期待するが、そう上手く事は運ばなかった。
「どうでも良いと思うけど、俺は釣りが趣味だったんだ。結びには自信があるんだぜ」
 赤髪の興奮しきって嘲るような言葉は裏返っている。
「日付が変わるまであと1分」
 千鳥足で赤髪が1階分の階段を駆け下りて、俺がぶら下がっている4階で視線の高さが合った。
「ブランコみたいに揺すれ」
 一つ上の階で結び目に手を掛けている青髪の指示に従って、赤髪が乱暴に俺の体を向こう側に押し込んだ。振り子の要領で大きく空中と階段の上を俺の体が行き来する。
「分かった」
 頭が下を向いているせいで、血が上ってクラクラする。
「さーん、にー」
 どうにか最悪の事態は避けたい俺には、もうどちらのカウントダウンなのか興味も無い。
「いーち」
 俺にとっては運の悪いことに、その瞬間は空中に居た。何か透明なオーロラのようなものが世界を拭った。
「ゼロ」
 あんなに藻掻いてもほどけなかった結び目なのだから簡単には解けないだろうと最後の望みを掛けていたのだが、青髪は無造作にナイフで縄を絶ち切った。

 3回までは数えていた。
 1回目はあっという間に12メーターの高さを落ちて、その速さに覚悟を決める暇も無かった。
 2回目は、宣言されたとおり水上に殺されたはずのもう1人も揃って三人が大笑いしながら落ちていく俺を見ていた。
 3回目はすぐ横を抜けていく各階の踊り場を見ていた。
 どうにか踊り場に当たって、地面に激突するときの勢いを殺そうとしたのだが、どうやっても掠りすらしなかった。
 何回も何回も。
 ただ墜ちていく。

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俺に明日は来ない type1 第4章

2022.02/17 by こいちゃん

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。
 5月25日火曜日、午前7時30分。
 朝から妙にリアルで、しかも自分の死ぬ夢を見て少しばかり目覚めが悪かった。
 それはそれとして、二度寝しないうちに起き上がって頭をかく。避けられるなら遅刻は面倒くさいからしたくなかった。
 通学路のいつものコンビニでパンとおにぎりを買い、通学路を歩いていると後ろから、朝なのに陽気な声が追いかけてきた。
「おーっす樋口、相変わらず寝癖大爆発だな」
「うるせえ」
 声がでけえ、そして俺に掛けられた言葉も、お前は俺の母ちゃんか何かか。
「事実だろうがよ」
「ああその通り、だがモテだのカノジョだのに興味もない、ズボラな高2なんてこんなもんだろ」
 毎朝髪をとかすなんて、面倒すぎて俺には出来ない。
 朝は少しでも遅くまで寝ていたい。しかし慌ただしく登校の用意をするのも、遅刻して大人から何か言われるのももっと面倒くさい。
 ……この遣り取りをした記憶がある。
「どうした急に黙り込んで」
「ああいや、何か既視感があってさ」
「夢にでも出てきたか」
 遂に俺もお前の夢に登場するほどの有名人になったかー。
「ばっかじゃねえの」
 馬鹿なことをほざく高橋の発言を一言で切り捨てて、でもそう、こいつの言うとおりだった。既視感の正体は、夢で見たのだ。
「じゃあ俺は先に行くから。教室で待ってる」
 高橋はそう言い残すと、歩きの俺に合わせて緩めていた自転車を加速させるべく、ペダルを踏み込んた。
 後ろが見えないことを承知で、俺は気怠げに手を振った。
 このときは単なる偶然だと、不思議なことがあるもんだと、それくらいに思っていたのだ。

 放課後になり、文房具を買おうと繁華街まで行くことにした。シャープペンシルの芯がなくなってしまい、ルーズリーフの残り枚数も心許なかった。どうせ行くなら、まとめて用事を済ませたい。あれやってこれやって何を買おう。
 考え事をしながら駅で電車を待っていたときだった。
 ――間もなく電車が参ります。
 ――白線の内側までお下がりください。
 自動放送に呼ばれたように、向こうから電車が滑り込んでくる。
 その時だった。後ろから誰かに突き飛ばされた。朝の偶然が、いやそれ以外の何かもが、脳裏に走る。
 一瞬だが全身が硬直した。
 その一瞬が命取りだった。
 夢に見たとおり、俺は線路に落ち、そして電車にひかれた。

 目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
 昨日の記憶が昨日と一昨昨日の分の二つに、昨日は忘れていた一昨日の記憶が一瞬ごちゃ混ぜになって叫びだしそうになる。
 時計を見ると6時を少し過ぎたところだった。
「やっぱりこうなるよな」
 俺しかいないはずの自分のアパートで、他人の声を聞いて今度こそ叫んだ。
 いや、叫びそうになって、寸前に首を絞められて声は出なかった。
「だから自分のねぐらは秘密にしとかないと危ないんだってば」
 耳の後ろから水上の声がする。
 口をふさぎなおされてから、首を絞める彼の腕が緩んだ。
 窒息した後で反射的に咳き込みたいのに手が邪魔だ。
「落ち着け? パニックになるのは俺にも心当たりがあるが。いいな、すぐにはしゃべるなよ」
 そしてそろそろと俺の口をふさぐ手もどいた。
「なんでここにお前がいるんだ」
 低めた声で尋ねた。大声を出さないようにとは言え、容赦なく首を絞めたことを非難すべきだったか。息が出来なくてむちゃくちゃ焦った。
「こうなるだろうと予想していたからさ。俺もそうだった」
 大抵の場合において、最初に生き返ったときはほぼ全く同じ行動を取り、全く同じように死ぬのだそうだ。そして1日ぶりにこちらの世界に来て、記憶がごちゃまぜになって混乱する。
「なんで先に言ってくれなかったんだよ!」
「大声を出すな! こっちの記憶をあっちには持って行けない。それに言ったところで、お前は信じたか?」
「……」
「信じねえだろ。だからだよ」
 百聞は一見にしかず、習うより慣れよ、だ。
 理由を言われて理解は出来たが、感情が納得できない。
「早く出かける支度をしろよ。学校へ行くぞ」

 早朝の通い慣れた道は、やはり人通りが無く、僅かな違いだけでまるで知らない道のようだった。
 イライラと煙草を吹かしながら歩く水上の2歩だけ後ろをついていく。
 そういえば、俺もまだ未成年なのに、躊躇無く煙草を吸ってしまっているなと思った。最初は心理的なハードルが高かったはずなのに、一度経験するとハードルが低くなる。
 ……死も同じなのだろうか。でも本当は、誰にでも死は一度しか訪れない物なのでは?
 歩きながらぐるぐる考える。黙ったままだからしゃべるのが気まずくて、手持ち無沙汰な俺も今朝2本目の煙草に火を点けた。
 ……やっぱり躊躇なんて無かった。
「灰皿、貸してくれよ」
 一口煙を吸い込んで、吐き出すと言った。
「気まずいなら無理に話しかけなくても、その辺にポイ捨てすりゃいいだろ」
 俺の気持ちを読んだかのように、こちらを見ないで水上は言ったが、それでも彼はポケットから出したコーヒーの空き缶をリレーのバトンのように差し出した。
 バトンだとしたら後ろから前へ受け渡しするから、向きが逆か。
「悪りいな」
 キャップを開けて1本目の吸い殻を入れて返す。
「なあ」
「なんだよ」
「水上も最初は、その……こうなったのか?」
 自分の失敗のようで具体的に口に出したくなかったから分かりづらい問いかけになってしまったが、生き返った初回で全く同じ生活を辿ったのか聞きたいという意図は伝わったらしい。
「もちろん、同じ時間に同じ事をやらかして、ここに来た」
「……そうか」
 しかし、究極的には「はい」か「いいえ」で答えられる質問だったせいか、はたまた彼も気まずかったのかもしれない。話題は弾まなかった。
 自分自身の死因なんて、もとより弾む話題でもないかと思い直したら、過去形で話題にしていること自体に、今更ながら強い違和感を持った。
「それで、どうして……まだここに居るんだ」
 今度は無理に、記述式の質問をした。
「昨日……いや一昨日か。こっちで他人に死因を、その理由も聞くなって言わなかったっけ」
「言ってた」
「なら何で不用意にそういうことを聞くんだ」
「いや……お前ならいいかなって。なんとなくだけど」
 彼の大きなため息が煙草のせいで可視化された。
「自分で事故を誘発させたって、答えを充分に受け止められるような覚悟を決めてからしてくれよ。話が続かないのを紛れさせるために載せられるような重さの話題じゃ無いんだぜ?」
 事故を誘発させた?
「それこそなんとなく、さ。色々鬱陶しくなっちゃって」
 茶化そうとしていることが確かな明るさの声だった。
「自分で誘発ってさ、それつまり」
「まあ自殺の一種だろ。高校やめてさ、とりあえずで工事現場で資材運びの見習いみたいなことをしていたんだ。だけどそこの元締めが嫌なやつでなー、それで安全帯をあえて着けずに高所作業してたの。死んでもいっかなって」
「なんだそれ」
 つい、歩みが止まる。
「自分で聞いといて怒るなよ。死にたくて死んだわけじゃないヤツはすぐにこっちの世界に来なくなる。生存バイアスって知ってるだろ」
 水上も俺より数歩だけ前で立ち止まって振り返った。
「生きている人は合致しない条件について、その条件自体を無視してしまう考え方のこと」
「その通り。俺を含めて、こっちの世界に自分から残っている連中だぜ? お前自身の価値観からすれば信じられないような、許せないような理由があるような人間ばっかりなんだよ。だから話題にするなって言ったんだ」
 煙を吐きながら水上は言い訳のように言葉を並べる。
「何があったか知らないけど、それだけで短絡的な……」
「人によって我慢できる『だけ』ってのがどれくらいかは違うんだよ。たったこれだけのことでって言うけど、その『たった』は人によって様々で、許容量が大きいから良いとか小さいとか悪いとか測れるものではない」
 言っていることは分かっても、納得したくなかった。
「あとな、お前はあっちへ帰る側だってことが、最初にあったときすぐに分かったんだ。こっちでお前が会った連中は、いちいち聞いて回ってなんかいないけど、全員が俺と同じように判断したと思うぞ」
 淡々としゃべる水上の目はどこも見ていないようだった。
「一昨日の夜に帰るとき、誰かに『またな』って言われたか」
「いや……さよならやおやすみだけだった」
 思い返してみると、別れの挨拶として『また』と言った人は居なかった。
「そうだろ。最初に生き返ったときは同じ生活をして、もう一度はこっちへ来るんだ。それをみんな知っているのに、再び会うことを願う挨拶をしなかっただろ。偶然だと思うか?」
 再び会うことを願う挨拶を交わした人が居なかった。
 願ってはいけない相手だと、分かっていたから……?
「頭の良いお前ならもう分かってそうだけどさ。多分、いま考えていることが正解だ」
 水上が言うほど俺は自分が頭の良い人間だとは思わないが、彼が明言しない行間は理解できた。
「えっ、じゃあ」
 自分以外は自殺者か、それに類する者か、元々は俺のように事故だったかもしれないが生き返ることを辞めた人たちなのか。
 中学の頃に仲良くしていて、久しぶりに再会して親切にしてくれた、今も目の前に居る水上も?
 肯定する発言をついさっき耳にした。
「話を戻すけど、だからこの手の話題は、特にお前みたいなあっちに帰りたいヤツは特に、タブーなんだ。お前が言うとおり、俺だったから良かったけどさ、下手に聞くなよ。お互いに良いことはない」
 数歩の距離がとても遠く感じた。
「樋口は怒らないんだな」
「……怒るなって言ったくせに」
 単に考えをまとめきれなくなった時の癖で、うっかり混ぜっ返した。
 いつもこうなのだ。肝心なところで言葉を間違えてしまう。このときも、本当は今ここで口にしたかったことは違う台詞だったはずなのに、反射でこぼれた冗談めかした一言が、話題を終わらせる。
 一瞬だけ、薄く水上は笑った。
「……行こうぜ」
「うん」
 ポケットから出した新しい煙草に火を点けて、水上が高校に向けて歩き始める。
「お前さ、吸い過ぎだよ」
「うるせえ、母ちゃんかよ」
 感情は俺の中でまだ荒い波を立てていた。
 もう終わった話題なんて気にしていないという演技で精一杯だったが、何故かそれ以上に自分の感情を隠すのに必死になっていた。
 今度は2日滞在か。

 この2日間は、記録に残しておこうと思うほど大したことは無かった。
 高校に暮らすみんなと畑作業をしたり(小さい頃から親の手伝いで土いじりをしていた俺にとってはむしろ慣れた作業で、農業は見よう見まねで本を読んだきりだった彼らには随分ありがたがられた)、あっちの世界ではまだ運転してはいけない大きさのトラックを運転してみたり(他に車がいないから、町中が教習コースだ)。
「俺、高校卒業したらトラックのドライバーになろうかな」
 2日目の夜、また俺のアパートに着いてきた水上に話したら、鼻で笑われた。
「でも向いてるかもな、俺より丁寧な運転だったし。樋口は昔から、社交性が高そうに見えて実は精神的引きこもりだもんな」
「精神的引きこもりって」
「そうだろ、人見知りはしないで誰とでも話すけど、あんまり他人と深く付き合おうとしない。運転中はずっと1人な仕事の方が楽なんじゃねえ?」
 表現は酷いが、確かに幼なじみだけあって俺のことをよく分かっている。
「その通りだけど、もうちょっと言い方ってものがあるだろ」
「今更かよ。高校でもどうせお前に彼女はいないんだろ。仲良くなって放課後や休みの日に、どこか遊びへ行く友達はいるのか?」
「……いないけど」
「ほら見ろ。高校生で一人暮らしなんてしていたら、彼女つくって連れ込み放題じゃねえか。普通ならとっかえひっかえしていちゃいちゃするのに都合が良くて、羨ましがられるんじゃねえ?」
「羨ましがられるけど。でも家事を全部自分でやらなきゃいけないんだぜ。面倒くせえ」
 良いなあと軽々しく言うクラスメイトたちを思い浮かべて、そんな良いものではないと何度も彼らに否定したことを思い浮かべる。
「……ろくに家事してなさそうだなあ」
 俺のアパートを見回し、洗ったまま積み上げられた冷凍食品のトレイや、洗濯したまま洗濯機の上に積み上げた服を見て、水上が笑う。
「じろじろ見るなよ、恥ずかしいだろ」
「何というか中途半端に几帳面だよな。汚い物は綺麗にするけどそれを片付けない。そういう所は昔から変わらねえ」
「言われてみれば、この部屋に家族以外で上げたの、お前が初めてなんだぜ」
「友達いねえんだ」
 誰か、知り合いと友達の違いを定義してくれ。貶されている気がするのに、肯定も否定もできないじゃないか。
「あっちで生きていくなら、俺以外ともちゃんと誰かと仲良くなれよ」
「頑張ります」
「実は偏屈で面倒くさい幼なじみを置いて逝くのは悪かったけど、俺は戻るつもりないから」
「……」
 自分が引き留められれば良かったのに。こいつみたいに仲良くなった誰かが急にいなくなるかもしれないと思うと、これまで以上に誰かと仲良くなるのが怖くなる。
「さて、寝ようぜ」
「うん」
 人の家だというのに、水上は我が物顔で予備の布団を引っ張り出して寝る準備をし出す。
 俺ものろのろと着替えて、床に就く。
「俺の代わりを見つけろってのは、割と本気で心配してるんだからな」
 心配するくらいならお前が戻ってこいよ。
 言いたかったが、声が泣いてしまいそうで、言えなかった。

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