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Monthly Archives: 6月 2013


無題 Type1 第6章 第2稿

2013.06/23 by こいちゃん

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第6章

1
 農業生活を始めて約半年。葉村に指示されるままに地面を耕し、夏植えでも実のなる野菜の初収穫を終えた頃。いくつか気付いたことがあった。
 この道は廃坑へ続く道だが、それなりに往来があること。
 僕らが通ってきた道を、軍用の大型トラックが週に1回くらい通過すること。
 それ以外にも結構乗用車が通ること。
 普通の地形図には60年くらい前に廃坑になった鉱山くらいしか載っていないのにもかかわらず、結構な頻度でこの道を行き来する人たちがいる。おかしいと思ってあちこちのサーバーに侵入して調べてみたら案の定、廃坑のあたりに産業情報庁の秘匿研究所があるらしい。
 葉村には言わなかった。必要ない心配をかけたくないからだ。
 葉村が寝ている隙に、僕はあいつと2人で今後を相談した。

 ――場所、移ったほうがいいと思うか?
 ――その必要はないと思うぜ。というより、ここよりいい場所が多いとは思えねぇ。
 ――そうか。
 ――ただ、見つかる確率が変わるわけじゃない。灯台下暗しになるかもしれねぇが、距離が近い分このあたりの監視もきついだろう。
 ――一理あるな。
 ――どうにかして、戦闘の備えくらいはしておいたほうがいい。
 ――……下の道を通るトラックを襲うか。
 ――もっと穏便な方法はねぇのかよ。
 ――今さら下の街に下りることはできないし、持ってきた道具は必要最低限しかないからな。
 ――今さら葉村を危険なことに巻き込むつもりかよ。あいつは家族に黙って俺らについてきたんだ、世間では俺と一緒に雲隠れだぞ。俺らには、葉村を無事にうちへ返す義務があるんだぜ。
 ――ガタガタうるさいな。……でも、葉村を更なる危険に巻き込むのは上策ではないな。
 ――その通りだ。藪蛇になったら元も子もねぇしな。
 ――葉村が気付かないように注意しつつ、偵察する程度にとどめておくってことで。

 声が少し、口から漏れていたかもしれないが、葉村を起こさずに済んだからいいとするか。

 半年ほどかけて彼らを観察した。週に往復2回行き来するトラックを、毎回場所を変えつつ相手のことを探っていた。すると予想通り、相手はやはり「お役所」の、毎月決まったスケジュールを持っていることが分かった。
 常駐している職員のための食料は毎回積み込まれ、このほかに週によって違うものが一緒に運ばれるようだった。運び込まれる荷物量から予想すると人数規模はおそらく30~40人といったところだろう。
 職員向けの嗜好品や日用品、研究用の消耗品などが第1週目。
 研究に使うのだろう、液体窒素や様々な薬品類が第2週目。
 武器弾薬の補充が第3週目。
 中で自家発電をしているのだろう、その燃料と思しきガソリンが第4週目。
 月曜日にトラックが出発して、荷物を積んで水曜日に帰ってくる。これを毎月毎月ローテーションしていた。
 もちろん、観察だけではない。
 連夜、僕は関係しそうなあちこちのサーバーを渡り歩いて、あのトラックの仕入れ先、次回の積載物は何か、そういった情報を手に入れては、積み荷を観察した。
 一度、送信中の注文リストを発見した。それは日用品の週だったのだが、試しにトイレットペーパーの注文を取り消してみた。取り消してから思い出す。実際に職員が困ったか確認する方法がない。

 そんなくだらないことを繰りかえし、さらに季節が過ぎ去って迎えた2度目の春。
 秋に残しておいた種を畑にまき終え、のんびりしていた頃。
 農作業と2人の山中生活に慣れてきた頃。
 僕らと葉村はともに、18歳になっていた。

 僕らの生活は、再びひっくり返される。

2
 収穫した野菜を料理して朝ごはん。雰囲気は老夫婦の日常、だ。
「今日は何をするんだ? ――この漬物美味いな」
「農作業は今日はお休みかな、水やって育ってるか見るくらいでいいと思う。――くねくねになったきゅうりでも漬けちゃえば同じよ」
「そうか、なら今日は車の整備の日にするか。――漬物のセンスあるな」
 もぐもぐ
「いいんじゃない? 最近やってなかったから。機械油残ってたっけ? ――そして女子高生に対して漬物のセンスを問うとはどういう心づもりだ」
「ああ、まだ残ってる。――単純に料理の腕前を褒めただけだったんだが」
「そっか。――そっか」

 防寒着を着込んでもこもこになった僕らはちょっと離れた畑へ向かう。
 ホウレンソウはそろそろ収穫してもよさそうだ。青い葉がいい感じに育っていた。
「大根もおいしそうだよ」
 水をまきつつ、虫がついていないかチェックする。
「やっぱり、ジャガイモ収穫しちゃおうか」
「そうか。袋とってくる」
「よろしく~」

 勝手口から家の中に入り、土間に置いてあるバケツからレジ袋を2つ3つ取る。引き返して外に出ようとした時。
 奥から物音が聞こえた気がした。
「……」
 半分扉を開けたまま、動きを止める。台所に続くふすまを見つめる。
 しばらくそうしていたが、畑で葉村が待っていることを考え外へ出た。
 きっと気のせいだろう。こんな山奥の田舎の農家に、泥棒を働こうなんて人間はいない。

 早足で畑に向かったが、そこに葉村はいなかった。葉村がさっきまで持っていた小さなシャベルだけがその場に残されている。
「……葉村?」
 呼びかけて待ってみるが声は返ってこない。
 道具を取りに行ったのかと倉庫へ行ってみる。
 ……しかしそこに行った形跡はない。
「葉村!」
 何かがおかしい。
 敷地内をあちこち探しまわっても見つけられない。山に入ったのかと靴箱を見ても、登山靴はきちんとしまわれている。車にエンジンがかけられた様子もない。
 おかしい。葉村がいないことも、……自分の中に生まれた|何か《・・》も。
 得体のしれない、把握できないことが起こっている。
 家の前、車の展開ができるように広くなっている庭の中央で、僕は困惑していた。
 葉村がいないで僕はこれからどうすればいい――?

 と、ここまで分析を進めて違和感に気が付いた。
 僕は、何故こんな必死になって葉村を探しているのか。

 知らず、息が詰まる。思考が空回りする。これは、なんだ。
 懐かしいような、恐ろしいようなこのモノは。

 そんな僕らしくもなく状況を忘れてつまらない思考を続けていたのがまずかった。背にした玄関が軽い音を立てて開いた。1拍おいて振り返って、ごめんごめんちょっとおはなつんでたの、といつものように軽く弁解をする葉村を探し、しかし玄関には誰もいない。
 ただ開いただけに見えた。
 陰に隠れているのかと近づいた。実に不用意に。
 敷居をまたぐ最後の1歩を進もうと足をあげたタイミングで、建物内の暗がりから男が現れた。
「……!?」
 闇に溶け込むような濃灰緑色の作業服を上下に着込み、20リットルくらいのザックを背負ってさらにウエストポーチを装着したヘルメットの男。暗くて顔がよく見えない。
「お前は誰だ。誰に断わってうちに入り込んだんだ」
 僕が誰何しても落ち着き払っている。
 葉村は、彼女はあいつにやられたのか。確認しようとした時、陰に隠れたままの相手は右手に持った銃を僕に向けた。
 逃げようと動き始める前に引き金を引かれる。ガスが抜けるような音。
 ぎりぎり見えるが逃げられるほど遅くはない弾が右頬にあたる。反射的に手を当てると、手が赤く染まった。怪我はない。
「ペイント弾?」
 知り合いによる単なるドッキリだったのか? 葉村も共謀している……?
 怪訝な顔を相手に向け、――突然膝から力が抜けた。
「――!?」
 敷居に腰をぶつけたが、その痛みはすぐに退いていく。
 ようやく理解が追いついた。どうやらペイント弾の中身は揮発性の麻酔薬だったらしい。
 地面に倒れた僕へ、無造作に相手が近づいてきた。朦朧としつつ、必死に顔を覚える。次に目が覚めてから誰だったか思い出すために。

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無題 Type1 第1章 第5稿

2013.06/23 by こいちゃん

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第1章

1
 ざわついている教室の中、窓際の席にて。
 高校に入って初めての中間試験が終わり、僕こと山本祐樹《やまもとゆうき》はのんびりと伸びをしていた時。
「ねぇ、今日こそは付き合ってくれるんでしょうね?」
 席の隣の葉村ななみに話しかけられた。
 入学から約1ヶ月ちょっと。たまたま隣の席で少しずつ話をするようになった相手だった。友達を作るのが苦手な僕にとって、このクラスで誰よりも話しやすい女子、いや同級生だ。これまでにも何回か、一緒に遊びに行かないか、と誘われていたのだがずっと断っていた。
「さすがに試験終了日には勉強もしないでしょ?」
 先に逃げ道をつぶされてしまう。いい加減、適当な言い訳を探すのも億劫になっていたので、たまにはいいか、という気分になる。
 脳内で家計簿を読み込み、確かそんなに使っていなかったと思いながら今月の遊興費の残額を確認した。
 まぁ、いいかな。今日遊びに行っても今月の新刊はちゃんと買えそうだ。
「あまり遅くまではだめだけど、それでいいなら」
 そう返すと、割と大きい声が、まだそれなりに生徒が残っている教室に響いた。
「いよっし。やっと落とせたー!」
 どこぞのシミュレーションゲームをやっているような台詞。教室中の注目を集めるほど大きな声を出してしまうほど、はしゃぐことなのだろうか。僕には分からない。
 一呼吸、教室がしんとなり、視線が集まった。うげ、ヤバい、とつぶやいた葉村が逃げ出そうと動き出す前。
 デートだ、カップル成立だ、よりにもよってあいつが!? はやし立て驚く同級生に僕らはもみくちゃにされた。

2
 その後僕らは池袋のカラオケやゲーセンへ行った。こういうところへ一緒に出掛ける知り合いの少ない僕はめったに来ないし、一人では絶対行かない場所だった。最近の音楽は全然分からなかったためほとんど聞き役に徹していたが、それでもほかの人と騒ぐのは楽しかったし、葉村も楽しんでいたようだった。
 そして今は19時前。僕らは池袋駅東口にいる。2046年、数年前に始まった東アジア戦争で夜間店舗営業縮小令が発令され、18時から翌朝6時まではあらゆる店が閉店することになっていた。既に21時までの深夜営業を許可されたコンビニや、終日稼働の自販機以外、通りに並ぶ店店から漏れる光はない。今日はこれ以上街にいても、もう面白くない。
 百科事典に載っている“大都市の夜景”なんて言うものは今では見ることができないし、それを見るための商業施設も軒並み閉店してしまう。どうしても見たいのなら丹沢や奥武蔵といった首都圏近郊の山に登るか、飛行機などに乗る必要がある。たとえ乗ったって見る光の規模は海辺のコンビナートと高い建物の赤い指示灯だけ、事典の写真とは比べ物にならないくらいつまらないのだが。
 夜は軍事施設と治安維持組織が電気を消費する時間帯。彼らは夜、自分たちの敷地に引きこもり、何をしているのか知らないが何かやっているらしい。都市伝説ではいろいろささやかれているが、僕はそれらに興味はない。
 夜の治安が悪化した都市。面倒事に巻き込まれたくないのなら、そろそろ帰る時間だ。
「送っていくよ」
 一応僕も男だ、そういうと。彼女は丁重に、しっかりと断った。
「いいわ、一人で帰れる。家、反対方向でしょう?」
 買い物もしたいし、これ以上付き合わせるのは悪い気がするもの。
 彼女の家の最寄り駅はJR山手線の高田馬場。僕は地下鉄有楽町線の護国寺だ。
 相手がそう言っているんだし、家を知られたくないのかな。そう思って、僕らは駅前で別れた。

3
 面倒なチンピラにからまれた。
「おいそこの女、いつまでも逃げてんじゃねぇぞ!」
 自分の運の悪さにうんざりしていたのは最初の1分だけ。私《葉村》は暗くなった池袋の繁華街を走り抜ける。
 もともとそれなりに土地勘のあるところでよかった。こう思っていたのはそのあとの30秒。
 私の逃げ足は遅くはないが早くもない、徒競走ではそれなりの順位である。だから逃げ切れるはず、という思いが消えたのはその後の15秒。その後はもう時間の感覚なんてほとんどない。
 しかし特に運動部に入っているわけでもないただの女子高生が、制服で街を逃げ回るのはかなりきついものがある。おそらくもう10分は走り続けているだろう。撒いたと思ったら見つかり、ということを繰り返すのもそろそろ限界だった。
 周りの他人たちは、制服で全力疾走している女子高生に目を向けても、それを追いかけているチンピラを見たとたん、たとえ目が合ったとしても気まずそうに目をそらし道をあける。ぶつかりそうになってあからさまに舌打ちをする人すらいる。誰にも助けを求められない。まずいことに電車・バス共通のIC乗車券は財布の中で鞄に入れてあるためすぐには出せないし、携帯端末のクレジット機能はセットアップをしていないため使えない。何か乗り物に駆け込んで一息つくこともできない。
 もう、逃げられない。
 体力が続かない。
 諦めかけた時。十字路先、前方のコンビニから出てきた、さっき別れたばかりの、同じ制服姿の男が視界に入った。間違えていてもいい、誰か助けて。
「山本ー!」
 走りながら出しうる限りの大声を出す。この時の私に、見た目や印象を気にする余裕はない。
「私の彼氏でし、ゲホッゴホゴボッ!?」
 走り続けた上に叫んだものだから咳で語尾が濁った。
 一度学校帰りに――それも今日――カラオケへ行ったくらいの相手、根も葉もない嘘だけどかまわない。周囲にいた通行人の一部が今さら、驚いたように振り向くが、しかし肝心のあいつは気が付いていないようで、コンビニ前の縁石にしゃがみ込み、手に持っていた肉まんにかぶりつき、呑気にポケットから取り出した携帯端末をいじりだす。私の今の声が聞こえないはずはない、と思う。
 もう嫌、誰でもいい。
 誰もかれも、何で私に気づいて、助けてくれないの!?
 近づいて、気づいてもらえなかった理由が分かった。彼は両耳にイヤホンをつっこんでいた。
 私がこんなつらい目に合ってる、っていうのに、暢気に音楽聴きながら肉まんなんて美味しそうに食べて……!!
 勝手にキレ始める私。それを自覚して、落ち着くために息を吸ったところで足がもつれた。
 こけた。
 捕まる……!
 覚悟した、のだが。
 追いかけていた4人のチンピラは。私を追い抜き、走るのをやめて山本へと近寄っていく。やっと手が届いた獲物をゆっくり追い詰めるように。
「おい、てめえ。あの女の彼氏なんだってなぁ?」
「お前も、あんな馬鹿な彼女持つと苦労すんなぁ、え?」
 感じの悪い笑い声をあげて山本を取り囲むように立ち止まる。
 うつむいて相変わらず携帯端末をいじっている山本。その様子にチンピラの一人がキレた。
 胸ぐらをつかんで無理やり立たせ、威嚇するように至近距離から大声を放つ。
「なんとか言えよこの野郎。彼女が馬鹿なら彼氏は間抜けってか?!」
 彼は驚いたように口を半開きにし、数秒たってから自分の身に何が起こったのか認識すると無造作に手を挙げ、両耳からイヤホンを抜いた。携帯端末にコードを巻きつけてそのままポケットにしまいこむ。
 ちっともおびえた様子がないばかりか、何でもない普通の行動で逆に気圧されかけているチンピラがイラついたように殴りかかる直前、彼はやっと口を開いた。
「どちら様でしょうか。僕のご用ですか? それにしてはいささか乱暴に過ぎると思うのですが」
 私はパニックになりかけて、道のド真ん中に両手をついて息を整えている、っていうのに。山本はちっともおびえてなんかいなかった。
 あっけにとられたのは私だけではなかったらしい。チンピラは振り上げた手を静止させ、言葉を失ったように数度口を数回開け閉めする。チンピラが何か言う前に、主導権を確かにするように山本が言葉を継いだ。
「あと、彼女ってどちら様のことでしょうか。誰とも話していないので、そんな三人称代名詞を使って呼ぶ人はいませんし、僕には恋人もいませんよ」
 丁寧だが相手を完全に馬鹿にした口調。
 喧嘩勃発寸前の殺伐とした雰囲気に足を止めた数人の野次馬たちがくすくすと笑う。
 馬鹿にされたと分かったのだろう、今度こそチンピラに殴られる山本。派手な音がしてその場に崩れ落ちた。
「カノジョのほうはテメェが恋人、だって言ってんだよ」
 地面に倒れたまま、彼は足元に置いてあった荷物を抱え逃げ出そうとしたが、すぐにチンピラに襟首をつかんで起こされる。反動で鞄がふっ飛び、コンビニのガラスにぶち当たって地面に落ちる。
 夜に吸い込まれる、鈍い衝突音で私は我に返り携帯端末を取り出す。……取り出せない。
 映画やドラマでしか見たことのなかった街中でのケンカ騒ぎを前にしているせいか、それも知り合いが巻き込まれているせいか、手が震えてどうしようもなく止まらない。力尽くで抑え込もうとすると今度は手汗で滑ってしまう。落ち着きかけていた意識がパニックへ戻ろうとする。ついに携帯端末を落としてしまった。
 地面に携帯端末を置いたままやっとのことで画面を点けても、震える手ではロックを解除できない。
 私がもたもたしている間にさらに数回殴られてしまった山本を見て、しかしどうしようもなく抜けた腰は立たず、焦りだけが積もっていく。
 無抵抗に、しかしできるだけ衝撃を吸収しようと努力して殴られ続ける山本を見て、何処かへ電話をかけた後の野次馬たちは感心して見ていた。
 関係者ではない|他人《野次馬》たちはせっかくの見世物、少なくなりつつある娯楽を止めようともしない、そればかりか、端末のカメラで撮影しているヤツもいる。
 もしかしたら、彼がさっき私を無視したのはチンピラどもを引き付けるためだったのかしら。
 私の動かない頭はどうでもいいことを考える。
 という事は。私は私の囮になってくれた彼に、暢気だと勝手にキレて、そして今は巻き込まれないように離れた所からただ傍観しているってこと? 声をかけて止めようともしなければ、満足に自分の体を動かすことも出来ないで道に座り込んでいるの……?
 何も出来ない私は、見ているだけの私は、彼に何をしてあげればいいの……?
 こんなことを考えていたら、いたら、いたら……。何かに置かされたように思考がぶつ切りになる。現実から思考が飛ぶ。感情が麻痺して、見ているだけの機械になるってこういう感じなのかな。そんな思考が流れて。

   ――――

 やがてサイレンの音が遠くから聞こえてくる。それはチンピラにも聞こえたようで、一人が防戦一方で地べたに転がっている山本の体を漁り、財布を探り出すともう3人に合図し、逃走しようとした、が。
 気を失って動かないように見えた山本が跳ね起き、一番近くにいた奴の足に抱きついた。
 せめて逃がさないようにしたのだろう、私も周りの人もそう思った。
「クソ、このっ……」
 振り払おうとするが、山本は。
 私たちの想像を超える行動を起こした。
 抱え込んだチンピラの足に噛みついたのだ。
 反撃。
 上がる野太い悲鳴。
 あまりのグロテスクな絵に後ずさり、息をのむ|傍観者《ギャラリー》。
 道の真ん中で乱闘騒ぎを起こしていて通れず、落ち着くのを待つように喧嘩を見ていた知らない人たちは突然のR-18な光景にぎょっとして。一方的でつまらないとイライラ隣同士でこぼしていた不平が、人の声が消える。
 強調されて聞こえるのはチンピラの絶叫と、近づいてくるサイレンと自動車の音。
 噛みついた山本を引き離そうと、もがくたびに噛みつかれた痕から血が飛び散る。
「てめえ……っ」
 一人が戻ってきて山本の髪をつかんで足から引きはがし、後ろから首を絞めた。
 彼は口から赤い唾液を吐きだし、締めているチンピラの太い腕の上を垂れる。続いて左手を自分のポケットに入れ、すぐ細長いものを取り出して、後ろ手で加害者のわき腹に刺した。
 一瞬力が弱まったのだろう。腕を下へすり抜けて拘束から逃れると、刺した細いもの――文房具屋で1本100円で売っているようなシャープペン――をぐりぐりと回しだした。
 私は不意に込みあがってきた吐き気を必死にこらえた。
 垂れる血液、上がる悲鳴、そして顔色ひとつ変わらない山本。
 ついに目をそらし損ねた一人の女性が路肩にしゃがみこんで嘔吐し始めると、あとは連鎖的に、直接見ていない人も。すぐに空気が酸っぱくなる。
 そして。3人目のチンピラに、いつの間にか背後に回られていた。コンビニのごみ箱に立てかけられた不法投棄の蛍光灯で背を殴られる。直撃は避けたものの、破片は避け損ねた彼の背中に刺さる。滑らないように強く握りしめていたチンピラは握力で蛍光灯を握りつぶし、切り口は手を切り裂いて血だらけにした。
 もう、私には限界だった。だが、今、目の前で起こっている事件は私が呼び込んだようなものだ。
 気持ち悪い、頭が痛い、もう何も見たくない。目に赤い色が焼き付いていた。
 私は失神しかけていると自覚しながらも、体が震えてうまく動かせなくなっていても、全てを見なくてはいけない。
 我慢できずに下を見ると、嘔吐物と血液でどろどろに汚れた側溝があった。この汚れは、私のせいで出たものだ。

4
 背中が感じ続ける重さと痛さ。それを紛らわそうと視線を外に向けると、視界の隅で地面に両手をついた葉村が、下を向かず懸命に俺らの喧嘩を見続けようと努力しているのが見えた。
 責任感の強いやつなのか? そう思うと|意識《メモリ》の隙間に少し余裕ができた気がした。
 かかり続けていたストレスで壊れそうだったもう一人と交代した後に刺されたのが唯一の救いだった。五感に敏感なあいつだけだったら既に錯乱していたかもしれない。
 敵の足に噛みつくなら、これくらいの報復くらい、あらかじめ考えておけよな。
 最後にそう思考を回し、そして余裕が消える前に現状に意識を戻す。
 前には胴体にペンが刺さり、口から泡を吹いて白目を見せているチンピラが、後ろには気が狂って何かをぐいぐいと俺に叩きつけ、刺しているチンピラが。左右に逃げたら背中の傷口が開いてしまうだろう。
 一瞬考えて、俺は仕方なく、後方からこの状態から脱出することにした。
 今さらだ、と思いながら、多少増える鈍い痛覚を覚悟して後ろに体重をかける。見えないが、背中に刺さっている何か――おそらく地面に散らばっている、形状からしておそらく蛍光灯の欠片だろう――がより深く自分自身に入っていく感覚を得る。
 まさか自分から痛い思いをするとは思わなかったのだろう、背後にいた敵は何かから手を放して驚いたように跳ね避けた。後ろの障害物が消えた俺はくるりと180度方向転換。両手に付着したまだ生暖かい赤い液体を凝視して呆然と立ちすくんでいる敵にゆっくり、できる限りの速さで歩み寄り、残った力を使って股間を蹴飛ばした。
「ぐふ――」
 3人目の敵は避けもせず、うめき声をあげて仰向けに倒れる。
 最後の1人はとどめを刺すタイミングをうかがっていたようだったが、残ったのが自分だけになったところで逃げだした。
 逃がしたくはなかったが、もうとっくに限界を超えている俺には追い掛ける力が残されていなかった。
 肩で大きく息をつき、コンビニに向けて投げた鞄を取りに行こうとして、バランスを崩して倒れこむ。
 うつ伏せになれてよかった、とヒヤッとした。仰向けだったら刺さったままのガラス片がさらに突き刺さって飛び出ている部分が割れるところだった。
 立ち上がろうとして、無理そうだったので這いずって鞄を取りに行こうとして。でも時間切れのようだった。救急車が5mくらい先に止まるのが見えた。
 緊張が解けたのだろう、少しずつかすんでくる聴覚にパタパタと足音が届いて、すぐ近くで止まる。視線を向けると葉村だった。
 よかった、これで。
「……なあ」
「!? え、な、なに、どうしたの?」
 もう気絶していると思っていたらしい、少し慌てた返答。
「お願いがあるんだが」
「どんなこと?」
 切羽詰まった葉村の声。死に際の遺言だとでも思っているのだろうか。少しおかしい。俺たちはまだまだ死ぬつもりなんてないのに。
「コンビニの入口に……投げ込んだ……俺のかば……げほっ……鞄、持ってきてくれないか」
 出来心が働いて少し演技を入れてみる。
 泣きそうな顔で“願い”を聞き届けた彼女は、何度もうなづきながら、担架を用意していた救急隊員に引き渡すと破片がばらまかれた地面を踏みつけてコンビニの入口へ近づいていった。
 心底おかしくて、ふふ、と笑いながら、俺は重症患者らしく意識を手放した。
 おい、次に気が付いた時には、お前が表面にいろよ。俺は医者から説明を聞くなんて面倒なことはごめんだからな。

5
 ここはどこだろう。
 私は薄暗い廊下に置いてある長椅子で寝ていたようだった。用意した覚えのない毛布が体にかかっていた。
 きょろきょろと周囲を見回し、ふ、と上を見上げたとき、赤い“手術中”のランプを見つけて昨夜の記憶がよみがえる。
 そうだ、私は――。
 自己嫌悪に陥る寸前。赤いランプが消える。体を起こし、手術室の扉を見つめた。出てきた医師は私を見つけると一直線に歩み寄ってきた。
「あなたが、山本さんの付き添いの方ですか?」
 そういえば彼の家族らしき人はおらず、この場には私一人だけがいた。
 多少の罪悪感を感じたが、とりあえずうなずいた。
「そうですか。では、少々お話があります。私の部屋でしましょう。よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
 長椅子の下から2つの鞄を取り出し、医師の後について病院内を進み始めた。

 彼の病室で枕元に持ってきたパイプ椅子に座って、山本の担当になったという高橋医師から今の状態について詳しく説明してもらったのだが。私はインパクトの強かった一部分しかよく覚えていない。

「先ほども言いましたが、命に別条はありません。ただ、彼の体には不自然なほど傷が多かったのですが、何かご存知ですか?」
「……どういうことですか」
「ご存知ないようですね。……まあいいでしょう。説明します」
 先ほども言いましたが、彼の体には、傷が多い。火傷、切り傷、ほかにもいろいろ。
 まるで、何らかの虐待を受けたような……。

 寝ている山本の顔を眺めている私の頭のなかをぐるぐると、“虐待”という言葉がまわっていく。
 教室で、一人で本を読んでいる。
 体育、暑い日でも下着を脱がずに体操着を着ている。
 にぎやかな昼休み、一人ふらっと教室を出ていく。
 人気のない校舎裏でいつまでもぼぅっとしている。
 情報の授業中、キーボードを尋常でない速度でたたき続ける。
 いつものあいつを思い出しても、私の中の彼はいつも、一人だった。誰かと関わろうとせず、むしろ自らを遠ざけていた。
 何をやっても退屈そうで、誰といてもかったるそうで。
 無視されているわけでもない、勉強やコンピュータについて質問されれば先生より丁寧にわかりやすく答えているし、嫌われているわけでもなさそうなのにいなくてもわからない希薄な存在感、頼まれたって面倒なことは引き受けない。
 引き受けないのに、……なら昨日の彼はどうして私を助けたのだろう。
 彼は目を覚まさず、一人でいくら考えても結論は出ない。
 ……それに、あんなひどい姿を見られてしまった。私は、彼が起きたとして。どんな顔をして向き合えばいいのだろう。

6
 感覚が戻りつつある。冬の朝、暖かい布団のなかで起きたくないのに目が覚めていくあの感覚。触覚が意識に接続され、巻かれている包帯類と麻酔で鈍くなった痛覚を認識した。そして、腰のあたりに重さを感じる。
 二度寝せずにさっさと起きやがれ。
 人ごとだと思って声をかけてくるあいつを無視して目を開ける。ベッドで寝ている僕の体の上で、葉村が突っ伏して寝ていた。起こすのも忍びないが、その体勢だと後で体が痛むだろう。僕自身の足もしびれていたし、なにより重さが傷口に響く。
 ここは病院のようだ。治療が終わっているだろうと予想した。出そうになった悲鳴をかみ殺しながらゆっくり、しっかり足を動かす。
 上に載っていた彼女はうめきつつ、目を覚ました。
「ほら、そこの簡易ベッド使いなよ」
「むー。おはよう」
 いまひとつ寝ぼけているようだ。一発で目が覚めるような言葉をしばし考え、
「学校遅刻するぞ、もう8時15分だ」
 始業時刻は8時半である。今が何時か知らないが。
「えっ、や、やばっ、なんで起こしてくれ……」
 案の定、真面目な彼女に効いた。ばっ、と起き上がる。きょろきょろ周囲を見回して。
 ばっちり目が合う。どういう状況だったか、思い出したようだ。彼女は想像していたよりあわてているようで、何も声を出さず、ただ口を開閉している。
 しばらくはまともな会話はできなさそうだな、と赤くなっていく葉村の顔を眺めて考える。だったら会話をすることではなく、思考を遮るようなことを、何か行動をしてもらった方が思考の冷却にはいいかもしれない。
「なぁ、ここって携帯端末使える場所?」
「うん、マナーモードでいいって、先生言ってたよ」
「そうか。じゃあ悪いんだけどさ、僕の PC と携帯端末、それと汎用ケーブルを取ってもらえないかな」
「あ、え、うん、ちょっと待ってね」
 ぴょん、という効果音がつけられそうなほど椅子から器用に跳ね上がるとごそごそと足元に置いてあるらしい鞄をあさりだした。
 あんな状態だったのに、ちゃんと言いつけ通り、鞄を持ってきてくれていたようだ。
「はい、これ」
「どうも。 AC アダプター、どっかにつないでくれないかな」
「……うん」
 壁のコンセントにプラグをさし、PC側の端子を渡してもらう。
 案の定、携帯端末の電池は空っぽになっていた。 PC を立ち上げ、汎用ケーブルで携帯端末をつないで充電開始。
 てきぱきと PC を使う準備をする僕を見て葉村はやることを思い出したように、
「あ、じゃあ私、先生呼んでくるね」
 そう宣言し、席を立つ。
「よろしく、いってらしゃい」
「まったく、自分の事のくせにさ……」
 ぶつぶつ言いながらも僕なんかのために動いてくれる。ありがたい、とは思うものの、こういう世話好きと親密なコミュニケーションをとった経験があまりない。少し戸惑う。
 いつの間にか、 PC がログインプロンプトを出して待機している。ユーザー名とパスワードを半秒かけずに入力し、続いて携帯端末の電源を入れる。
 PCが起動する時間、約1分の間充電すれば、大抵起動できるようになる。
 携帯端末がオンラインになるまでの間、やることがなくなってしまう。手持無沙汰に、無線 LAN 接続認証突破ツールを走らせる。画面いっぱいに16進数の数列が流れては消えていく。
 想定より単純な暗号化。
「割とちゃんとしてそうな総合病院のくせに」
 総当たりで計算をしても、あと5分と暗号キーが持たないと表示された棒グラフが無情に告げる。
 と、そこで医師を連れた葉村が帰ってきた。医師は僕とPCを一瞥してから言葉を発した。
「……おはようございます。思ったより元気そうで安心しました。私が、担当医の高橋というものです」
「初めまして、山本です。この度はありがとうございました」
「こちらこそ、無事に意識が戻ったようでよかったです。それで、その、説明したい事とお聞きしなければならないことがありまして」
「よろしくお願いします。……あ、お座りになってください。君もな?」
 そういうと、彼女が隅に立てかけられていたパイプ椅子をもう一つ用意した。
 2つの椅子にそれぞれ座って、高橋医師は咳ばらいをした。
「まずは怪我の状態についてですが――」
 退屈な10分が始まった。無線 LAN の暗号キーはとっくに解読できていた。命令者の予想より早く仕事を終わらせたと、そう自慢するようにカーソルが同じ場所で点滅している。

「最後に、お聞きしなければいけないことがあります」
「はい、なんでしょうか」
「その、……言いづらいことなんですが――」
「体の傷についてならお話しすることはありません。調べれば出てくるでしょうから」
 口ごもる様子と僕の腹あたりに向いている視線から話題を推測する。
 どんぴしゃりだったようで、医師は目を白黒しながらもごもごとつぶやく。
 あと一押し。少し冗談めかして言葉を継ぐ。
「虐待を疑っていらっしゃるのなら、そんな事実はありませんのでご安心ください。説明しましたら、それこそ先生がこのような目に遭いますので」
 まだ何か言いたそうにしていたが。目に拒否の色を浮かべて口を閉じていたら根負けしたらしい、溜息を一つついて医師が立ち上がる。
「では、何か質問はありますか?」
「いえ、特には」
 この数分で、医師は一気に疲れたようだった。
「そうですか。何かありましたら、枕元のボタンを押してください。ではこれで失礼します」
 それだけ言い残すと一礼して病室を出ていく。
 包帯や固定具で固められた首を動かせるだけ使って会釈を返した。
 葉村はといえば、呆けたように座っていた。医師が出て行き、扉が完全にしまってから。
「……ねぇ。さっきの、本当のこと?」
「さっきの、が何を指しているのか今一つよく分からないんだが」
「虐待されたことはない、って」
「ないよ。断言できる」
 一拍。
 何かが切れたように、葉村は椅子を蹴倒して立ち上がる。
 椅子と床が発するけたたましい音にかぶせて怒鳴る。
「じゃあ、何で傷だらけなのよ!?」
 耳をふさぐジェスチャーをしようとして腕が動かない。仕方がないから苦笑しながら答えてやる。
「落ち着け。……いいか、先に聞くが。君は、日常が、壊れてもいいのか?」
「……何を言ってるの? 意味が分からない。日常、ってどういうこと?」
「言葉通りだ。君の――」
 途中で遮り、葉村は言葉を継いだ。
「いいよ、私はなんとしてでも聞き出す、って決めたもん。そんなに話したくない事なの?」
「そりゃ、人に隠すならそれなりの理由があるだろ」
「でも教えて」
「嫌だ」
「なんで!? 心配するな、っていうの?」
 落ち着いたと思ったら再び怒鳴りだす。
「おい、ここどこか分かってるのか、病院だぞ?」
「分かってる、分かってない。どうしてはぐらかすのよ」
「落ち着けって。支離滅裂だぞ」
「嫌。絶対、教えてくれるまで騒ぎ続ける」
「そんな駄々こねるなって」
「じゃあ教えて」
「ダメだ」
 話が堂々巡りしているうえ、微妙にかみ合ってない。
「なんでそんなに他人が気になるんだ? 理解できない」
「……はぁ? 私は他人なの? そうなの、ねぇ!」
 彼女が爆発した。
「他人だろ。そうでなきゃ単なる同級生――」
「そんなわけないじゃない、馬鹿!! なんで? 私には何も出来なかったって、あてこすっているつもりなの!? そんなこともわからないの?」
 どの単語だったのか知らないが、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。更に過剰に感情をぶちまけ騒ぎ出す。何か拙いことを言っただろうか。
「君、おかしいよ。どうかしてる。私のせいでこんな目にあった、ってストレートに言ってくれたほうがまだマシだよ。なんでそんな皮肉を言って片付けようとするの? 言いたいことがあるなら言えば、見ているだけでなぜ何もしてくれなかったんだって、糾弾したいならすればいいじゃない、本当に君は人間なの? 思いやりって知ってるの? 私を助けてくれたのはうれしかった、でも。こんな仕打ちをするくらいなら、あんな私だけのヒーローみたいなことしておいて。……好きになっちゃった相手にこんなに無神経にひどいこと言われるほうが、傷つけられるほうが何倍も辛いんだって、ねぇ教えて、君は感情を持ってるの? おかしい。変。異常。教えて、どうしてそんなに歪んでるの?」
 一気に畳みかけられた。
 歪んでいる? まあそうかもしれないな。
 感情がない? そうさ、僕の感情は後付で作られたものだ。
 異常だって? 今さら何を言っているんだ、そんなこと自明じゃないか。
 黙り込んでしまった僕を見て、怯んだように押し黙る葉村。
「ごめん、言い過ぎた。……ちょっと頭冷やしてくる」
 そう言い捨てて葉村が出て行く。引き止める隙を逃す。
 はぁ、仕方ない。押し問答を続けるのにこんなに体力を使うなんて知らなかった。
 それに病院にずっと、一晩も付き添ってくれる献身的な女の子を傷つけた、とか看護師さんたちに思われるのも面倒だ。しょうがない、荷物はここに置きっぱなしだし、帰ってきたら少し話してやろうか。
 溜息を一つ。
 PC の画面内で無感動に点滅しつづけるカーソルを眺める。
「……お前はいいな、何も気にせず、ずっと止まっていられて」

 しばらくして傷心したような彼女が帰ってきた。
 目を合わせないように無言で自分の荷物をまとめ、鞄を肩にかける。
 そして何も言わず、視線を逸らせたままおざなりにただ一礼してあいつは病室を出ていこうとした。
「なぁおい、身の上話を聞きたいんじゃなかったのか?」
 足を止め、振り返らずに小さくつぶやく。
「言いたくないんでしょう、私には話してもらえるほどの信用ないんでしょう?」
「そう僻むなよ。悪かった。教えてやるよ、過去を。もしかしたら、僕らも誰かに、自分たちがやったことを自慢したいのかもしれないから」
 彼女がさっと体の向きを変え、僕と視線を合わせる。
 そして最終確認。
「でも、」
 一言一言、語調と表情の調整に細心の注意を払って。
「本当に、君は。周囲が、環境が、日常が、生活が。壊れてもいいのか? 引き返すことも、やり直すことも。なかったことにすることもできなければ、きっと忘れることもできないぞ」
 おそらくは。このことは、他人に教えたことがばれたら、関係者の生活と価値観が激変する。
 それはもう、残酷なまでに。
「それでもいいんだな」
 少しづつ、葉村の表情が変化する。
 何か、痛みをこらえたような顔が、悔しくてたまらない顔に。
 ああ、これは泣くな。
 そう思った直後。涙を流す直前。
「……そんなに私に信用がないの……?」
「いや、たぶん耐えられないだろうな、と危惧している」
「それでも聞きたい、ってさっきから何度も言ってるじゃない……」
「そうか、分かった。準備してきなよ」
「心の準備なら……」
「違う。僕の喉が渇くだろうからなんか飲み物買ってきて欲しいんだ。ついでに君の分も買ってきなよ。財布は……どこやったっけ」
 制服のズボンに入れたままだったか。
 一瞬呆けたような顔をして、勘違いに気付いた葉村の顔がみるみる赤くなっていく。
「い、いい、私が買ってくるから」
 帰るために持っていた鞄を投げ落として逃げるように病室を出て行き、財布を忘れた彼女が更に顔を赤くして慌てて駆け戻ってくる。
 ……お前はサザエさんか。

7
「話すのはいいけど、学校はいいのか? 飲み物買いに行ってもらってる間に時間確認しておいたんだけど、今、13時過ぎじゃないか」
「今日はいいの、病院へ行くって電話してきたし。私、ウソは吐いてないよ? 昨日はあんなことなっちゃって寝れなかったからきっと授業中寝ちゃうし、それに……」
 私が居たかったんだもん。
「最後、なんて言った?」
 最後の言葉が小さくて聞こえなかった。
「……いいの、気にしないで。何も言ってないから」
 引いてきた血がまた上ってくる葉村。
「……そうか。あんまりサボるなよ?」
「山本には言われたくないわ」
「心外だなあ、僕はちゃんと授業に参加してるよ」
「いつもノート書いてないじゃない」
「だって要らないし。あんなの、手が疲れて汚れるだけだ」
「ふん、この成績優秀者め」
「もう一つ。君が僕の怪我を心配する必要はない。これは僕が勝手に巻き込まれに行ったもので、その判断に君はまったく関係ない。いいね?」
 不服そうな、申し訳なさそうな表情を見せる葉村。でも言葉は挟まなかった。
 さて、始めようか、つまらない話を。僕の過去と、僕の由来と、僕の犯罪と。教えられる部分だけでもたぶん彼女の許容を超える話を。
 残酷で救いのない、本来なら僕ら2人だけで背負っていくべき話を。

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無題 Type1 第5章 第2稿

2013.06/19 by こいちゃん

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第5章

1
 僕の疎開計画は着実にできていった。
 まずは産業情報庁の|顔なじみ《・・・・》の職員にメールを送った。電子戦要員として腕のいい傭兵を雇わないかと持ち掛ける。
 政府が発行する特別徴兵免除証(また“特別”だ)をもらえれば、戦地に赴く必要はなくなる。それさえ発行してもらえるのなら、いけ好かないやつらと職場を共にしてあいつがへそを曲げるのをなだめるのだって構わない。

 赤葉書をもらってから、4日目。
 メールに返信はなかった。その代わり、地下室に引き込んでいた仮設インターホンが来客を告げた。
 本を読んでいた母さんはビクッと肩を震わせ、飽きずに花札をやっていた葉村たちは訝しげに顔を上げ、僕はキーボードを休みなく打ち続けていた手を止めた。
 四半秒に満たない沈黙と硬直。顔を見合わせて目で会話する。インターホンの一番近くにいた僕が出ることにした。座っていたローラー付きのイスを転がして梯子の降り口に置いた受話器を取り上げる。
「はい」
『山本さんのお宅ですか?』
「そうですけど」
『ヤマモトユウキさんにお届けものです』
「……はあ」
 郵便はともかく、宅配便なんてとっくに機能していないと思っていた。振り返りると固唾をのんで見守っている3人、うなづきかけてインターホンの向こうに答える。
「今行きます」
 そう言って受話器を置いた。
「ちょっと行ってくるよ」
 心配そうにしている3人に声をかけ、僕はハンコを持って梯子を登った。

 空襲があった後、毎回閉めている気密扉を警戒しながら押し開けた。宅配便というのは嘘で、押し込み強盗やその類の可能性も残っている。今は平和な日常ではない。
 地下室の入り口には誰もいなかった。
 光差し込む地上へ梯子を登る。頭を出す時にも、地下から持ってきた手鏡で辺りを見回した。
 大人2人が箱を抱えて立っていた。道と私有地の区別のなくなった地面、少し離れたところにミニバンが止まっている。
 危なくなさそうだ、と判断を下す。穴から出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、それにしても、きちんと警戒していらっしゃるんですね」
 そんな会話をしながら段ボール箱を受け取り、伝票に判を押すために一度地面に置く。
「当たり前じゃないですか、宅配業者に偽ってやってくる人たちがいるかもしれないじゃないですか」
 業者の2人が、いや。それに扮した産業情報庁の職員が押し黙る。
「……いつ気が付いた」
「たった今、確信を得ました。本物の業者なら、ハンコを押させてから荷物を渡すのではありませんか」
「それもそうだ。最近この手の仕事がなかったからな、つい忘れてしまった」
 本当は違うだろう。おそらく僕を試したのだ。新しい部署とはいえ、練度が低い組織では決してない。
 クリップボードに貼り付けられた伝票に受領印を押す。
「それで、わざわざこんなところまで来た用事はなんですか。あなたたちが直接出向くだけの何かがあるのでしょう?」
「心当たりがないわけでもあるまい。……さっくり本題に入ろう。君、あのメールの本意はどこにある?」
「読めば分かるように書いたつもりだったのですが」
「用件はな、確かに分かった。俺らがこんな真昼間に派遣されてきた理由は、何故お前があのメールをわざわざ出したのかを聞くため、だ」
「それを本人に聞かせていいのですか」
「知らん。俺は全権を任せると言いつけられた。任せられた以上、俺は俺のやり方でやるまでだ」
「話を戻しますが。メールの本意、とはどういうことを聞きたいのですか」
「何のきっかけもなくあんなメール送らないだろ、お前は」
「そうですね。……でも、特に言う事はないんですが」
「何を焦っている? 別に、君ほどの実力があれば、ただ普通に徴兵されても、どうせうちに来ることになるだろう?」
「そうとも限らないから、焦っているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのくらい、そちらで考えてください。得た情報から発言者が何を考えているかを推測するのも、仕事のうちでしょう?」
「……」
「もう、いいですか? そろそろ、下で待っている家族に心配かけるので」
「……今のが君の答えなんだな?」
「はい」
「そう報告しよう」
 つかまれていた手首を放される。離れて分かった、少し汗ばんでいた。
 |産業情報庁構成員《スパイ》から宅配業者に戻った2人組が、ありがとうございましたー、と言いながら車に引き返していく背を見送った。
 周りに何もなくなった東京を、砂埃で汚れた、どこにでもありそうなミニバンが走っていく。
 僕はしばらくそのまま突っ立っていたが、のろのろと地面にぽっかり空いた穴へ降りて行った。

2
 次の日。計画が完成した。
 他の3人を説得するための資料も抜かりなく用意した。
 4人、昼食が終わったタイミングで床のちゃぶ台を囲むように座る。
 少し身構えていたようだったが、5日間かけて準備した甲斐もあり、特に反対意見もなく計画を説明し終え、納得してもらった。
「これから、東京はより酷く破壊されるだろう。地上から建物はなくなったが、まだ川を決壊させて地下鉄網を水没させることもできるだろう。この地下室自体はシェルターとして申し分ない強度を持っている。だが、下水管が水没したら換気がよりしづらくなるし、いつまでも人口がこれからも減り続ける東京にいたって、発電用の石油が足りなくなってしまうから、生活することはできない。中でこれ以上、人が生活することを想定して設計されていないからだ。それに、いつ出入口の穴がふさがるか分からない。次の攻撃でふさがるかもしれない。だから東京から出て行くべきだ。で、相談だ。行き先はどこがいいと思う?」
「……うちに来ない?」
「葉村の実家?」
「そう。秩父なら、うちの実家があるわ」
「秩父って、埼玉県西部の山中か」
「山中ってほど山ばっかりじゃないわよ。電話貸してくれれば、うちに来れるか、聞くけど」
「そんな、ご迷惑になるんじゃないかしら」
「うぅん、困った時はお互い様だよ。うち、古い家だから、無駄に広いんだ。3人住む人が増えたくらい、どうってことないよ」
「あ、いや。2人だ。僕は行かない」
「「「……え?」」」
 立ち上がりパソコン机に置いてあった葉書を見せる。母さんが受け取り、2人が覗き込んだ。
「徴兵……」
 呆然とした様子の葉村。なぜすぐに伝えなかった、と視線が怒っている妹。あきれて溜息をもらす母さん。
 葉村の呆然が、がっかりに変わった。
「……そうなんだ、君は来ないのね」
「そうだ」
 しばし沈黙が横たわる。そんな場をとりなしたのは母さんだった。
「これはこれで仕方ないか。あんたも、こういう大事なことはすぐに言いなさい。分かったわね」
「……はい」
「よろしい。改めて、残される私たちがどうすればいいか考えましょう。食べ物とか、足りるのかしら?」
 不満は顔に出ているが、気持ちを無理やり切り替えようとしている女の子2人も母さんと調子をあわせた。
「農家だから大丈夫だと思います。足りなければ使ってない畑を起こせばいいだけなので」
「ななみちゃんのうちかー、あたし行ってみたいなぁ」
 ついに“ななみちゃん”と呼び合うまでの仲になっていたらしい。
「分かりました。気が引けるけど、とりあえず電話してみましょう。いざとなれば私たち2人くらい、どこにだって住めるわ」
「じゃ、山本。電話貸して」
 抜かりはない。既に用意してある。
 パソコンとインカムを手渡すと、この場で発信ボタンをクリックした。
「もしもし……あ、お姉ちゃん? ……うん、そう、私。……大丈夫、超元気。……うん、代わって代わってー」
 そこまで会話して、葉村はおもむろにインカムがつながっていたイヤホン端子を引っこ抜いて言った。
「みんなで聞いたほうがいいよね」
『もしもし? ななみ?』
「うん、そう。久しぶり」
『元気……そうね。今日はどうしたの?』
「あのね――」
 かくかくしかじか。葉村が的確にまとめて、先ほど僕が説明したことを繰り返す。
「――ってことなの。うち、泊まれるよね?」
『ええ、2人くらいどうってことないわよ。……そこに山本君の母上もいらっしゃるの?』
「うん、聞いてるよ」
『あらま、私の声まる聞こえなの? そういう事は先に言ってちょうだい』
 電話の声が遠くなり、咳払いをしている音が聞こえる。
『失礼いたしました、いつも娘がお世話になっております。葉村ななみの母でございます』
「はじめまして、山本祐樹の母です。こちらこそ娘さんにはよくしていただいて」
『いえいえ、そんなことは』
「「お母さん、電話なんだから手短にしようよ!!」」
 2人の娘が声を合わせる。
 お世話になるほどの何が兄さんとの間にあったの、と悶える妹。
 ああミスったキャッチホンにするんじゃなかった、と頭を抱える葉村。
 声がそろったことにすら気づかないほどのダメージを受け、恥ずかしさが振り切れたらしい。そんな娘たちの悲鳴を聞きつけた2人の母が、電話のこちらと向こうで笑った。
 2人で詳細を詰めていく。
「本当に私たちが押しかけてもお邪魔じゃありませんか?」
『お気になさらず。お客様をおもてなしするのは好きなんですの』
「何か不足しているものはありませんか? 一緒に持っていきます」
『そうねぇ、植物の種、もし余っていらしたらお願いしようかしら。今あるのが尽きたら大変ですから。発電装置とかはうちにもありますから結構ですわ』
「分かりました。では、何時そちらに伺えばよろしいですか?」
『いつでも結構ですよ、それこそ今日これからでも。といいますか、車はお持ちですか?』
「え? いえ、持ってないですけど」
『でしたら、私、そちらに伺います』
「そんな、よろしいのですか」
『お気になさらず、構いません」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
『明日の午後、14時ごろではいかがですか』
「はい、明日の午後2時ですね。よろしくお願いします」
『失礼いたします』
 電話が切れた。
「種……どこに売っているのかしら」
 その場で力尽きたように倒れている娘たちに、その答えを返す気力は残っていなかった。

3
 それから僕らは忙しくなった。
 母さんと妹は葉村の実家に疎開するため、空襲が収まったタイミングで外に出て必要になる物資を買い集めに出て行った。池袋駅は地上の駅ビルこそなくなってしまったが、地下街はまだマシと言える被害で済み、そこで闇市が開かれているのだ。
 母さんたちよりも土地勘のない葉村は、持っていく着替えなどをまとめている。
 僕はといえば、昨日の小包を開けて徴兵に応じる準備をしていた。格好だけでも行くふりをしておかないと、実は応じるつもりなんてないという事がばれてしまう。
 小包の中には圧縮衣服が8つ入っていた。
 大きさ的に考えて灰緑色の上着とズボンが2組、黒い下着が4枚だろう。ビニールをはがした圧縮衣類を、水を張った洗濯機の中にまとめて放り込む。
「さすが国からの届け物だね。今時、圧縮衣類なんて加工が面倒で作られていないと思う」
「いや、製造年を見たら、5年ほど前だったから。まだ余っていたものを箱詰めしたんだろ」
「お母さんたちが子供のころにはあんまり一般的じゃなかったそうだから、なんか気持ち悪く見えるらしいんだけど。私、これを水につけて、膨らんでいくの見てるとドキドキするんだよね」
「分からなくはないな」
 だいたい缶ジュースほどの円柱形だった黒い塊が、みるみるうちに水を吸ってTシャツの形をほぼ取り戻した。茶筒くらいの大きさだった上着はまだもう少しかかりそうだが、既に形が分かるほどにはほどけている。
「……ふえるわかめちゃんみたいだね」
 確かに、色と言い水を吸って元に戻るところと言い、乾燥わかめそっくりだ。

 完全に圧縮衣類が元に戻るまで、2人で洗濯機をのぞいていた。
「そろそろいいか」
 コンセントにプラグを差し、溜まっていたほかの洗濯物も放り込んで洗濯機のスイッチを入れた。
 外に干すことはできないが、乾燥機も使えば明日の朝には乾くだろう。

 母さんは散乱している僕の本を読み、妹は菓子を食べながら古いアニメのビデオを見、葉村はその日一日の日記をつけ、僕はコンピュータに向かって作業をする。
 みんないつもとやっていることは同じなのに、今日はみんな口数が少なかった。母さんと妹があまりしゃべらなくなると、自然に葉村もあまり口を開かなくなった。
 僕ら家族にとっては、暮らしていた土地にいられる最後の夜だ。
 それは分かる。でもいくら考えても、何故、今日に限ってこんなにも静かなのかが分からない。
 僕は数年間にわたってこの地下室全体をコンピュータに守らせるためのプログラムを途切れることなく書きながら、そんなことを考えていた。今日中には完成するだろう――。

 夜が明けた。
 軽く朝食を摂ってから、自分の食器や最後まで使っていた炊事道具などを荷造りする。
 僕は3台のWSにつながったディスプレイを取り外した。いざというとき、精密機器のパソコン周辺機器はきっと高値で売れるはずだからだ。少し考えて、WSも1台譲ることにした。
 ……することがなくなってしまった。
「まだ、11時前じゃない。どうするの、まだ2時間以上あるわよ」
「トランプでもして遊ばない?」
「あまりに暇だものね……」
「僕はパス。本の整理してくる」
 この前応急で片づけた本がそのままになっている。
「あ、そう。つまらないわね」
「いいもん、兄さんがうらやましくなるくらい楽しんじゃうもん」
「……頑張れ」
 そう言って僕はパソコンを持って地下準備室から出た。

 4人で暮らしたこの1ヶ月で雑多にものが散らかっていた地下準備室は、ここから出て疎開するにあたってきれいに片づけられていた。もともとここにあった、私たちが生活するためのスペースを埋めるほど多かった本も、本棚ごと下水処理装置操作室に運び込まれている。
 がらんとした地下室は実際の気温以上に冷えているような気分がした。
「……何しよっか」
 トランプを切りまぜながら声をかけると、山本が出て行った鉄扉を放心したように見ていた山本の苗字を持つ親子は、同じしぐさで私を振り返る。
「ななみさん、トランプはやめにしない?」
「……え?」
「遊ぶのをやめよう、ってことじゃなくて。私、母親なのに、最近のあの子のこと何にも知らないなあ、と思ってね」
「学校での祐樹くんの様子、ですか」
「そう。情報交換、しない? 過去のことも知ってるあなたなら、私たちも気兼ねなく、何でも話せるし」
「あたしも、学校での兄さん、知りたいなぁ」
「分かりました、情報交換、しましょう」

 13時をまわった。そろそろ作業を切り上げて、昼食の準備をするべきか。
 適当に積み上げられた文庫本の隙間に入り込んで操作室に設置されたコンソールをいじっていたため、腰が鈍い痛みを伝える。苦労して操作室から出て気密扉の鍵を閉めた。
 キーボックスに鍵束をかけ、そのまま処理装置室を通り抜けて準備室の鉄扉に手をかける。
 何かが、僕の中で動いた気がして思わず後ろを振り返る。暗闇に沈む下水処理装置のパイロットランプが光っていた。
「……」
 今のは……。
 掴めそうで捕まらないモノがするりと逃げて行った。

 4人で地下室の備蓄食料だった魚の缶詰を食べた。
 賞味期限が4年過ぎていたことに葉村が怒っていたが、別に腹を壊すこともないだろうし食べても問題はないだろう。
 そうこうするうちに約束の時間になった。時間ピッタリにインターホンが鳴る。
「……はい」
「はじめまして、葉村ななみの母でございます。山本さんのお宅ですか」
「そうです。これからお世話になります」
 念のため慎重に地上への気密扉を開いて、気持ちのいい快晴、青空の下へ出る。
 妹が、空にこぶしを突き上げて伸びをしていた。
 4人そろって地上に出たのは何日ぶりだろうか。
 葉村母は、軽トラックを背に立っていた。
 僕ら5人は葉村の紹介を受けて、順に自己紹介を済ませる。
「よかった、ずっと地下室にこもっていらっしゃると聞いていたので、もっと顔色が良くないものだと思っておりました。皆様お元気そうで安心です」
「確かに、地下にこもっている、と聞くと不健康そうですね」
「……挨拶はそこそこにして、早く荷物積んで出発しようよ」
「それもそうね。祐樹、この前の荷物を上げ下げするモーター、持ってきてくれる」
「分かった」
 担いでいたロープの束をそこに置き、僕はひとり地下に戻る。
「おーい、ザイルの末端、どっちでもいいから降ろしてくれ」
「はぁい」
 モーターをロープで上げやすいようにカラビナを取り付ける。するする降りてきたロープの先端を簡単な輪に結んでカラビナをかける。
「持ち上げてくれ、結構重いけど1度だけだから」
 地上から了解の声が届く。完全にモーターが宙に浮くまで、壁にぶつからないように上手く支えてやる。
 モーターが地上に届けばあとは楽な作業で、葉村の実家に持っていく荷物を垂れてきたロープに括り付け、地上にあげる繰り返し。
「これが最後の荷物だ」
 段ボールが地下から見えなくなると、地下準備室はがらんとしてしまった。
 僕は長く息をはきだし、発電機の出力を落としに操作室へ向かうことにした。
「地下室、封印してくる」
 地上に声をかけて準備室から出た。

 ここに下水道経由で細々と供給されてくる非常電源が失われたときに、自動的に発電機が稼働するようにセットして、貴重な石油燃料を消費し続ける発電機を一時停止させる。
 途切れない電気が必要なのは、地下室の封印をする電磁ロックと、それを監視・操作するためのWSだけ。僕らが地下室で生活するときほど電気は必要ではない。下水道線が停電したさい、発電機が稼働するまでのつなぎとなる2次電池の電解液を補充してから僕は地下室を出た。
 気密扉脇の外部端子箱に汎用ケーブルでノートパソコンをつなぎ、開錠コードを設定してから完全に地下室を封印する。
 放射線を通過させないだけの厚さと、空爆にも耐えられるだけの強度を持つコンクリート造りの地下室は、壁に穴をあけるのも容易ではない。正規の手段でこの気密扉の鍵を開けるしか、この地下室に入ることはできなくなった。
「……閉まった?」
「ああ、問題なく施錠した。開錠コードの予備は誰に渡せばいい?」
「お母さんに一つ、頂戴。やり方を教えて」
 僕はいまどき骨董品のカートリッジディスクに開錠コードを書き込んで母さんに手渡した。
「ずいぶんと懐かしいメディアねぇ、お母さんの会社でも保管庫でしか見たことないわよ」
「保存には一番いいんだ、壊れにくいから」
「あらそうなの」
「ここの箱を開けて、このスロットに差し込むだけで開錠できるから。もう一回ロックするときにはパソコンが必要だから開錠コード作らないで鍵を閉めないように」
 それだけ言ってから僕は母さんをうながして、地上へ登る。この井戸のような入り口への通路も印だけつけておいて簡単に見つからないように埋めておく。
 結局、葉村の実家に出発できたのは15時をまわっていた。

 都内は道なんてあってないようなものだった。街路樹が植わっていた土がアスファルトにまき散らされ、倒れた標識が折れ曲がって焦げた気に刺さっている。遠くから見ている分には地平線すら見えていたのに、車に乗っていると、立派な幹線道路は細かい亀裂が走っていたりアスファルトがめくれていたり、瓦礫が道をふさいでいたりと無残な有様だった。
 郊外に近づくにつれ瓦礫の山・平らな土地の割合が減り、家や街路樹が増え、出せる速度も上がってくる。山が少しずつ近づいてくるころにはほとんど被害を見受けられなかった。
 荷台に椅子を置いて座っていたせいでいい加減、尻が痛くなってきたころ。2時間ほどで着いた葉村の実家は、古くからそこにあるような貫禄を持つ2階建ての広い日本家屋だった。家の前には家と同じくらいの大きさを持つ車庫があり、軽自動車とトラクターがとめられていた。
 玄関前の広いスペースで車を降り、荷物を下ろす。そうこうしていると家の中から40代くらいの男性と、妹と同じくらいの男子が出てきた。葉村の父親と、僕の妹と同じ年だと聞いていた弟だろう。
「おお、ななみ」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいまー」
「お姉ちゃんの彼氏、っていうのがその人?」
「え、な、彼は彼氏なんかじゃないわよ!?」
 裏返った声で変な日本語を叫ぶ葉村。
「そんなこと言ってなくていいから、その、荷物、うちの中に運び込むの手伝ってよ」
「へーい」
 これ、持ってきます。
 葉村弟が地面に下ろしてあった段ボール箱の一つをかかえた。
「あ、ごめんね。この荷物、どこに運べばいいの?」
 同学年だからだろう、気安く葉村弟に話しかける山本妹。僕と違い社交性の高い彼女のことだ、きっと無事にやっていけるだろうと心配はしていない。

 この夜は、貴重だろう油を大量に使う天ぷらをごちそうになった。油をつかう料理はそれなりに食べていたが、出来立てで温かい揚げ物は久しく食べていなかった。それが当たり前だと思うくらいに。
「そういえば」
「はい、なんでしょう?」
 葉村母はうふふと含み笑いを漏らした。
「祐樹くん、今夜はななみと同じ部屋でいいわよね」
「僕はどこでもいいですよ、それこそ廊下でも」
「こいつ、私が遊びに行ったら、布団足りないから、って寝袋で使わせようとしたのよ」
「あらー、いいじゃない。そのまま襲われちゃえばよかったのに」
「お母さん!」
「なによ、祐樹くんとならお母さん、許しちゃうけど」
「なんで今日車に一緒に乗ったくらいの単なる同級生をそんなに信頼してるのよ! 普通、女子高生の親ならもっと、娘と親しい男子に対して注意を払うものじゃないの!?」
「だって、結構男前だし。なかなか素敵な人だと思うけど」
 本人の前でそういう会話を繰り広げるのはどうかと思うのだが。今は僕が出ているからいいものの、内側ではあいつが恥ずかしい恥ずかしいとのたうち回っている。
 気まずいとは思うが、そんなに赤面してばたばた暴れるほど恥ずかしいものなのだろうか。
「じゃ、そういうわけで、祐樹くんの布団はななみの部屋に運んでおくからね。先にお風呂に入ってらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます」
 本来なら布団を運ぶくらい自分でやるべきなのだろうが。あいつがあまりにこの場から離れたがっているので、葉村母の提案に甘えることにした。

 なかなかいい加減の湯だった。俺は明日の朝、ここを出発しなければならないということになっているので、早めに寝させてもらうことにする。柔らかいふかふかの布団も懐かしいようなにおいがした。既に電灯は消されている。
 そして隣に葉村がいる。
「さっきはゴメン、お母さんが変なこと言って。恥ずかしかったんじゃない?」
 彼女の頬はいまだ赤い。
「かなり、な。よくもまああいつはあのやり取りを生で聞いておきながら平然としてられるもんだぜ」
「あはは、そうだと思った。……山本」
「ん、どうした?」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「当たり前じゃねぇか、何を不吉なことを言ってんだ」
「ご、ゴメン。そうだよね、当たり前、だよね」
 本気で心配してくれているらしい葉村に対して、少し罪悪感を感じる。本当は徴兵なんて、最初から応じるつもりは最初からなかったんだぜ。そうぶちまけたくなって、あいつにたしなめられる。
「……」
 不自然な間が空いたまま、開きかけた口をそのまま閉じた。
 あたりが明るく、お互いが見えるような時間帯だったら何を言おうとしたのか重ねて質問されていただろう。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
 自制が利かなくなってしまう前に、俺は睡眠に逃げることにした。
「……え。そう、寝ちゃうんだ」
「……? 何かしたかったのか?」
「うぅん、別に、特に。なら私も寝るよ」
「そうか」
 なんとなく拍子抜けしたような葉村の応答が釈然としなかったが、俺は無視して目を閉じた。

4
 翌朝は快晴で、少し暑かった。
 僕は先日送られてきた服を袖まくりして着ていた。
「では、いってきます」
 必要な装備を入れたリュックサックを持って、葉村が運転席に座る軽トラックに乗り込んだ。
 荷台には昨日下ろし忘れていた、太陽光発電機一式や僕の野宿道具が積まれたままにされていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 母さんが心配そうに声をかける。妹はそっぽを向きながら横目で僕のことを見ていたし、葉村父は先ほど町内会の会合に突然呼ばれてしまい、手伝いに弟を連れて出て行ったきりだ。
 僕は自分の家族へ、最後に笑いかけて葉村に合図する。
「出すね」
 葉村は一言、そう呟いてアクセルを静かに踏み込んだ。
 彼女達に手を振って、僕は視線を外した。
「――あのね。アドバイスが欲しいんだけど」
「僕が答えられるものなら」
「行動を起こしてから『ああやっちゃった』って後悔するのと、行動を起こさずに『なんでやらなかったんだろう』って後悔するのだったら、どっちがいいと思う?」
「……僕らなら、前者を選ぶかな」
「そっか……」
 車内の空気が沈む。
 葉村は僕の答えを聞いて、2回、落ち着けるように深呼吸をした。
「じゃあ、私もやって後悔することにするわ」
「そうか」
「単刀直入に聞きます。山本くん。君はどこへ行こうとしているの?」

「――え?」

 同時に葉村は、車を一台も見かけない田んぼに囲まれた道、そのわきに車を寄せて停車した。
「ずっと不安だった。なんか、君の“徴兵用意”が、なんとなくどこかが不自然に見えて。だから、ふっと思ったの。もしかしたら、軍に行くつもりなんてないんじゃないか、って」
「……」
 ここで何も言わないのは不自然だと思ったのだが、とっさのことで言葉が継げなかった。
「ウソはつかないでね、お願い。別に、私はまったく怒っていないから。どんな答えが返ってこようと、引き止めたりなんかしないから」
 君を信頼しているのは、何も私のお母さんだけじゃないんだよ?
「君がいろんなことを考えて出した結論だもん、きっと間違ってることなんてないよね」
「間違ってるかもしれない。僕だって人間だからな」
「そうかもね、でも君は間違っていると自覚している選択肢を取ることなんてしないじゃない。それに、私が答えて欲しい質問はそれじゃないことくらいわかってるよね」
 仕方がない、意外と強情な所のある葉村には、本当のことを言ってしまうほかないか。押し問答をして無駄な時間を使う事は避けなければならない。
「確かに、ご想像の通りだ。僕は徴兵に応じるつもりなんて全くない」
「やっぱりね。じゃあ、どこへ行こうとしているの?」
「どこか山の中で野宿しようと思ってる。電気と回線とコンピューターさえあれば僕は戦える」
 だろうと思った。
 ハンドルにもたれかかって、葉村が囁いた。
 しばらく、どちらも動かず、どちらも喋らなかった。
 ばれてしまった以上、彼女を巻き込みたくはない。知らなければいくら聞かれたって答えられないが、知ってしまった以上尋問されたら嫌でもいつかは答えてしまうだろう。僕は車から降りようとした。
 その動作を止めるように、葉村が起き上がり、もう一度さっきより深く息を吸い込んだ。僕の目を正面から覗き込んで言った。
「さっきも言ったけど、私は君を引き止めたりしないわ。だから――」
 決心するように葉村は唾を飲み込んで。……もう一度深く息を吸って。
「私もそこへ連れて行って」
 そう言った。
「…………」
 不覚にも、短時間に2度も驚かされてしまった。普段ならこの程度の切り返しは簡単に想定できたはずなのだが。
「……嫌だ」
「嫌? 今表面に出ている山本祐樹は感情を持ってないほうだよね。何でそんな感情的な言葉が出てくるのかな。ちゃんと真剣に考えて言ったんじゃないんでしょう?」
「……」
「私だって、きっちり考えたんだ。今のは、いつもと同じような君を困らせるための冗談みたいなお願いじゃない」
「ダメなものはダメだ。連れていくことはできない」
「どうしてもダメだと言うのなら、いつもの君みたいに理由を3つ挙げて、レポート書くように私を説得してみてよ」
「まず、危ないから。政府を敵に回してまで君が僕についてくる理由が『感情的になっているから』意外に考えられない。次に、君が僕についてきたときのメリットがないから。実家の農業を手伝って日本全体の食べ物を少しでも作ったほうがいい。最後に、お前の分の生活を支える道具を持っていないから。僕の野宿セットは1人用だ、もう一人、それも女の子が生活するための物は持ち合わせていない」
「まず、私は君くらい、うぅん。君よりもいろいろ考えた末に君についていく結論を出した。私がついていく、って言い出すことを想定に入れていなかったじゃない。視野が狭くなっている証拠だわ。次に、私がついていくことで、君はより健康的な生活を送れるようになる。君、農業なんてやったことないでしょ。何年続くか分からないのに毎日毎日インスタントやレトルト、保存食料で生活するつもり? 最後に、私は自分で使うためのキャンプ道具なら持ってきてあるわ。そこまでおんぶにだっこでいるわけないじゃない」
 なんとなく嫌な予感が、葉村に押し切られてしまいそうな予感がした。
「……いや、だからと言って人様の娘さんを勝手に個人のわがままにつきあわせる訳にはいかないし」
「わがままを言っているのは私よ?」
 彼女と、似たようなやり取りを、ほんの1ヶ月くらい前にしたような覚えがある。
「そのとおり、だが」
「私を連れて行きなさい」
「拒否する」
 僕の過去を聞き出した時だ。つまり、そろそろ彼女はキレて――。
「なんで? 私にはそんなに信用がないっていうの!? 君は、勝手に途中まで人を助けておいて中断するつもりなの? あんまりにも無責任だと思うんだけど!! ……なんか言いなさいよ卑怯者!」
 案の定、爆発した。
 しかし彼女に卑怯者呼ばわりされる筋合いはないと思うのだが……。
「連れていけるものならとっくに相談していたさ。危ない状況にある人間を助けるのはよくあることじゃないのか? せっかく助けた人を、わざわざ危険に近づけるほうが無責任だと思うのだが」
「もう半ば巻き込まれちゃったもん。だったら最後まで付き合わせなさい、って言ってるの」
「勝手に巻き込まれに来たんだろうが」
「だったら私に感づかれないように、もっとうまく立ち回ればよかったんじゃないの?」
「…………ただの言いがかりだ」
「言いがかり上等、いいから私を連れて行け」
「人が変わってるぞ」
「君はたった3ヶ月くらい同じクラスになった女子の性格をばっちり把握できるんだ、凄いね」
「そんなことは」
「まあそんな些細なことはどうでもいいの、話を逸らさないで。私を一緒に連れていくの、行かないの?」
「連れていくわけが……」
「ならこのまま連れ帰る。向こうから人が来るまでうちに縛り付けてやる」
 無茶ばっかりだ。それにさっきと言っていることが正反対だ。引き止めるようなことはしないんじゃなかったのか。
「僕にどうしろと言うんだ。招集に応じればいいのか?」
「あんた馬鹿!? 簡単なことじゃない。『分かった、君も一緒に連れて行ってやるよ』って言って、私にどこへ行けばいいかを教えればいいのよ」
「そんなことを承諾できる訳が――」
「しなさい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 にらみ合う。
 車載時計を見ると、そろそろタイムアップだった。

 ――僕らはどうすればいい。
 ――彼女は、決して無能なお荷物にはならねぇだろうな。
 ――ばれてしまった以上、連れていくしかないか。
 ――どだい知られた以上、俺らを何が何でも消そうとしている連中に彼女がひどい目に遭わされないとも言い切れないしな。
 ――僕のミスだ。これ以上、彼女に負担をかけるべきではない。
 ――過ぎたことをいつまでもグダグダ言っても仕方ねぇよ。それよりこれからのことだ。
 ――それもそうだ、な。気付かれる前にできるだけ遠くに、見つからないような場所に逃げ込んだほうがいい。

「分かった」
「……何が?」
「僕の相方となる人間がとんでもない強情だという事が、だよ」
「……それは、連れて行ってくれる、という事かしら」
「その通――」
 僕の言葉は遮られる。
 彼女に抱き着かれたからだ。
「……おい、どうした」
 器用なことに、シートベルトをつけたまま、隣に座る僕の胸に顔をうずめている。
 ……彼女は泣いていた。
「突然なんなんだ」
 鼻をすすりながら、涙を僕の服に染み込ませながら、切れ切れな曇った声が返ってくる。
「ごめん、何でだろ、私にもわからないよ」
 たぶん、ね?
「安心したんだよ。嬉しいんだよ。でもきっと、君に涙を見せたくないんだ、私」
「……」
 おそるおそる手を彼女の背中に回す。
 彼女がこらえきれなかった感情の圧。感情のない僕は、どのような感情があふれたのか、こういう時どう対処すればいいのかを知らない。
 どのくらいの時間だろうか、ぽんぽん、と背中をさすってやると、彼女は泣き止んだ。
「ありがと、もう大丈夫。……今日から、絶対、君と離れてなんかやらないんだから」
 体を起こし運転席にまっすぐ座りなおして、彼女はまだ赤い目で素敵な、綺麗な笑顔を僕に見せた。
「タイムロスしちゃったね、ゴメン」
「どうせ後悔なんてこれっぽっちもしてないんだろ」
「当然じゃない。……で、どこへ行くつもりだったの?」
「……ああ、そうだな。行く場所。道路マップはないのか?」
「ダッシュボードにある、――はい、これ」
「どうも。そうだな、このあたりなんかどうかと思っていたんだが」
「そんな何もないところで暮らすつもりだったの?」
「どこにも行くあてなんてなかったからな」
「だったら、私のおじいちゃんちに行かない?」
「君の祖父の家?」
「そう。おじいちゃんとおばあちゃんが昔住んでたんだけど、2人とも私が小学生のころに亡くなっちゃったから、今は空き家」
「ばれないか」
「大丈夫、割と山の中にあるから。お隣さんとは1キロくらい離れてるし」
「そこはどういう場所なんだ?」
「普通の山に埋もれた農家よ。私がたまに行って掃除してるからそこそこ綺麗だし、農具とかも残してあるわ」
「なら、とりあえず行ってみよう」
「うん、わかった。じゃあ、ガソリン積んで、種とか、ホームセンターで買っていこう」
「そうだな。僕は君が言うとおり、農業については全くの素人なんだ。よろしく頼む」
「まっかせなさい!」
 そういうと、彼女はギアをDに入れた。

 県道から林道に入り、状態の悪い山道に入っていく。ホームセンターで買い込んだ様々なものが後ろの荷台でやかましく跳ねる。
「そういえば、葉村、お前まだ16歳だったよな」
「うん、そうよ?」
「なんで車運転できるんだ」
「……お父さんに教えてもらったから」
「免許はどうした」
「当然、持ってるよ」
「18歳にならないと自動車免許は取れないはずなんだが。その免許、原付じゃないのか」
 横顔を見ると、どうやら必死に言い訳を探しているようだ。
「別に怒らないから、正直に言え。お前、自動車免許は持ってないんだろう」
「…………おっしゃる通りでございます……」
「別におどけなくてもいい」
「ごめんなさい」
「要は事故らなければいいんだ、気をつけろよ」
「もちろん、私だって捕まりたくはないわ」
 無免許にしては上手い。農業を手伝っている、というのは事実なのだろう。

 1時間くらい走ると、葉村は左に道を折れた。しばらくして木々の間に小さい畑と民家を見つけた。
「ほら、あそこ」
 敷地内に入ると家の前にある倉庫兼駐車場な建物に車を止めて、僕らは地面に降り立った。

 葉村の祖父母が昔住んでいたという家は普通の民家だった。雑草こそ生えているが綺麗な畑と、古びているが住みやすそうな家。
 50メートルほど坂を下りれば透明な水が勢いよく流れる沢に下りられる。あれだけ勢いがあれば直接飲めない水、なんてことはないだろう。
 反対へ少し登ると、さっき走ってきた道を見下すことができた。
 ここを耕しなおせば立派な野菜がなりそうだ。2人分なら十分育てられるだけの広さがある。

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