こいちゃんの趣味全開!!

クリエイターズネットワーク参加サイトのひとつ。趣味を書き綴ります。そこのあなた、お願い、ひかないでーっ。

Category Archives: 無題


無題 Type1 第5章 第3稿

2014.01/1 by こいちゃん

<無題> Type1 第5章原稿リスト
第4章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第5章

1
 僕の疎開計画は着実にできていった。
 まずは産業情報庁の|顔なじみ《・・・・》の職員にメールを送った。電子戦要員として腕のいい傭兵を雇わないかと持ち掛ける。
 政府が発行する特別徴兵免除証(また“特別”だ)をもらえれば、戦地に赴く必要はなくなる。それさえ発行してもらえるのなら、いけ好かないやつらと職場を共にしてあいつがへそを曲げるのをなだめるのだって構わない。

 赤葉書をもらってから、4日目。

 メールに返信はなかった。その代わり、地下室に引き込んでいた仮設インターホンが来客を告げた。
 本を読んでいた母さんはビクッと肩を震わせ、飽きずに花札をやっていた葉村たちは訝しげに顔を上げ、僕はキーボードを休みなく打ち続けていた手を止めた。
 四半秒に満たない沈黙と硬直。顔を見合わせて目で会話する。インターホンの一番近くにいた僕が出ることにした。座っていたローラー付きのイスを転がして梯子の降り口に置いた受話器を取り上げる。
「はい」
『山本さんのお宅ですか?』
「そうですけど」
『ヤマモトユウキさんにお届けものです』
「……はあ」
 郵便はともかく、宅配便なんてとっくに機能していないと思っていた。振り返りると固唾をのんで見守っている3人、うなづきかけてインターホンの向こうに答える。
「今行きます」
 そう言って受話器を置いた。
「ちょっと行ってくるよ」
 心配そうにしている3人に声をかけ、僕はハンコを持って梯子を登った。

 空襲があった後、毎回閉めている気密扉を警戒しながら押し開けた。宅配便というのは嘘で、押し込み強盗やその類の可能性も残っている。今は平和な日常ではない。
 地下室の入り口には誰もいなかった。
 光差し込む地上へ梯子を登る。頭を出す時にも、地下から持ってきた手鏡で辺りを見回した。
 大人2人が箱を抱えて立っていた。道と私有地の区別のなくなった地面、少し離れたところにミニバンが止まっている。
 危なくなさそうだ、と判断を下す。穴から出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、それにしても、きちんと警戒していらっしゃるんですね」
 そんな会話をしながら段ボール箱を受け取り、伝票に判を押すために一度地面に置く。
「当たり前ですよ、宅配業者に偽ってやってくる人たちがいるかもしれないじゃないですか」
 そう言いながら身を起こそうとした時、右手をひねりあげられた。
「……痛いんですけど」
 僕の前に立ちはだかっているほうの業者が、いや。それに扮した産業情報庁の職員が押し殺した声で問いかけた。
「……いつ気が付いた」
「たった今、確信を得ました。本物の業者なら、お客さんの腕をひねりあげたりしませんから」
「それもそうだ。最近この手の仕事がなかったからな、つい忘れて手を出してしまった」
 うそぶきながらそいつは僕の腕を抑えているもう一人に目くばせをした。
 僕の腕が解放された。左手で右肩をさすりながら、地面に落ちたハンコを拾う。
「それで、わざわざこんなところまで来た用事はなんですか。あなたたちが直接出向くだけの何かがあるのでしょう?」
 クリップボードに貼り付けられた伝票に受領印を押した。
「心当たりがないわけでもあるまい。……さっくり本題に入ろう。君、あのメールの本意はどこにある?」
「読めば分かるように書いたつもりだったのですが」
「用件はな、確かに分かった。俺らがこんな真昼間に派遣されてきた理由は、何故お前があのメールをわざわざ出したのかを聞くため、だ」
「それを本人に聞かせていいのですか」
「知らん。俺は全権を任せると言いつけられた。任せられた以上、俺は俺のやり方でやるまでだ」
 確かにこういう組織だった。だからこそ僕のようなやつがやとわれるともいえる。
「……話を戻しますが。メールの本意、とはどういうことを聞きたいのですか」
「何のきっかけもなくあんなメール送らないだろ、お前は」
「そうですね。でも、特に言う事はないんですが」
「何を焦っている? 別に、君ほどの実力があれば、ただ普通に徴兵されても、どうせうちに来ることになるだろう?」
「そうとも限らないから、焦っているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのくらい、そちらで考えてください。得た情報から発言者が何を考えているかを推測するのも、仕事のうちでしょう?」
「……」
「もう、いいですか? そろそろ、下で待っている家族に心配かけるので」
「……今のが君の答えなんだな?」
「はい」
「了解した。そう報告しておく」
 帽子をかぶりなおし|産業情報庁構成員《スパイ》から宅配業者に戻った2人組が、ありがとうございましたー、と言いながら車に引き返していく背を見送った。
 周りに何もなくなった東京を、砂埃で汚れた、どこにでもありそうなミニバンが走っていく。
 僕はしばらくそのまま突っ立っていたが、届け物を抱えてのろのろと地面にぽっかり空いた穴へ降りて行った。

2
 次の日。計画が完成した。
 他の3人を説得するための資料も抜かりなく用意した。
 4人、昼食が終わったタイミングで床のちゃぶ台を囲むように座る。
 少し身構えていたようだったが、5日間かけて準備した甲斐もあり、特に反対意見もなく計画を説明し終え、納得してもらった。
「これから、東京はより酷く破壊されるだろう。地上から建物はなくなったが、まだ川を決壊させて地下鉄網を水没させることもできるだろう。この地下室自体はシェルターとして申し分ない強度を持っている。だが、下水管が水没したら換気がよりしづらくなるし、いつまでも人口がこれからも減り続ける東京にいたって、発電用の石油が足りなくなってしまうから、生活することはできない。中でこれ以上、人が生活することを想定して設計されていないからだ。それに、いつ出入口の穴がふさがるか分からない。次の攻撃でふさがるかもしれない。だから東京から出て行くべきだ。で、本題だ。行き先はどこがいいと思う?」
 3人に問いかける。帰ってきたのは数秒の沈黙。
 最初に口火を切ったのは葉村だった。
「……うちに来ない?」
「葉村の実家?」
「そう。うちの実家、秩父なんだけど。どう?」
「秩父って、埼玉県西部の山中か」
「山中ってほど山ばっかりじゃないわよ。電話貸してくれれば、うちに来れるか、聞くけど」
「そんな、ご迷惑じゃないかしら」
「うぅん、困った時はお互い様だよ。当分、授業はなさそうだし、そのうち帰ろうと思ってたんだ。古い家だから、無駄に広いし。3人住む人が増えたくらい、どうってことないと思う」
「あ、いや。2人だ。僕は行かない」
「「「……え?」」」
 立ち上がりパソコン机に置いてあった葉書を見せる。母さんが受け取り、2人が覗き込んだ。
「徴兵……」
 呆然とした様子の葉村。なぜすぐに伝えなかった、と視線が怒っている妹。あきれて溜息をもらす母さん。
 葉村の呆然が、がっかりに変わった。
「……そうなんだ、君は来ないのね」
「そうだ」
 再び沈黙が横たわる。何か言おうとして言葉が見つからないようだ。そんな場をとりなしたのは母さんだった。
「これはこれで仕方ないか。あんたも、こういう大事なことはすぐに言いなさい。分かったわね」
「……はい」
「よろしい。改めて、残される私たちがどうすればいいか考えましょう。食べ物とか、足りるのかしら?」
 不満は顔に出ているが、気持ちを無理やり切り替えようとしている女の子2人も母さんと調子をあわせた。
「農家だから大丈夫だと思います。足りなければ使ってない畑を起こせばいいだけなので」
「ななみちゃんのうちかー、あたし行ってみたいなぁ」
 ついに“ななみちゃん”と呼び合うまでの仲になっていたらしい。
「分かりました。気が引けるけど、とりあえず電話してみましょう。いざとなれば私たち2人くらい、どこにだって住めるわ」
「じゃ、山本。電話貸して」
 抜かりはない。既に用意してある。
 パソコンとインカムを手渡すと、この場で発信ボタンをクリックした。
「もしもし……うん、そう、お姉ちゃん。……大丈夫、超元気。あんたは……? そう、よかった。……うん、代わって代わってー」
 そこまで会話して、葉村はおもむろにインカムがつながっていたイヤホン端子を引っこ抜いて言った。
「みんなで聞いたほうがいいよね」
『もしもし? ななみ?』
「うん、そう。久しぶり」
『元気……そうね。今日はどうしたの?』
「あのね――」
 かくかくしかじか。葉村が的確にまとめて、先ほど僕が説明したことを繰り返す。
「――ってことなの。うち、泊まれるよね?」
『ええ、2人くらいどうってことないわよ。……そこに山本君の母上もいらっしゃるの?』
「うん、聞いてるよ」
『あらま、私の声まる聞こえなの? そういう事は先に言ってちょうだい』
 電話の声が遠くなり、咳払いをしている音が聞こえる。
『失礼いたしました、いつも娘がお世話になっております』
「いえいえ、娘さんには愚息がご迷惑をおかけしております」
『いえいえ、そんなことは』
「「お母さん、電話なんだから手短にしようよ!!」」
 2人の娘が声を合わせる。
 お世話になるほどの何が兄さんとの間にあったの、と悶える妹。
 ああミスったキャッチホンにするんじゃなかった、と頭を抱える葉村。
 声がそろったことにすら気づかないほどのダメージを受け、恥ずかしさが振り切れたらしい。そんな娘たちの悲鳴を聞きつけた2人の母が、電話のこちらと向こうで笑った。
 2人で詳細を詰めていく。
「本当に私たちが押しかけてもお邪魔じゃありませんか?」
『お気になさらず。お客様をおもてなしするのは好きなんですの』
「何か不足しているものはありませんか? 一緒に持っていきます」
『そうねぇ、植物の種、もし余っていらしたらお願いしようかしら。今あるのが尽きたら大変ですから。発電装置とかはうちにもありますから結構ですわ』
「分かりました。では、何時そちらに伺えばよろしいですか?」
『いつでも結構ですよ、それこそ今日これからでも。といいますか、車はお持ちですか?』
「え? いえ、持ってないですけど」
『でしたら、私、そちらに伺います』
「そんな、よろしいのですか」
『お気になさらず、構いません」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
『明後日の午後、14時ごろではいかがですか』
「はい、明日の午後2時ですね。よろしくお願いします」
『失礼いたします』
 電話が切れた。
「種……どこに売っているのかしら」
 その場で力尽きたように倒れている娘たちに、その答えを返す気力は残っていなかった。

3
 翌日、僕らは忙しくなった。
 母さんと妹は葉村の実家に疎開するため、空襲が収まったタイミングで外に出て必要になる物資を買い集めに出て行った。池袋駅は地上の駅ビルこそなくなってしまったが、地下街はまだマシと言える被害で済み、そこで闇市が開かれているのだ。
 母さんたちよりも土地勘のない葉村は、持っていく着替えなどをまとめている。
 僕はといえば、一昨日の小包を開けて徴兵に応じる準備をしていた。格好だけでも行くふりをしておかないと、実は応じるつもりなんてないという事がばれてしまう。
 小包の中には圧縮衣服が8つ入っていた。
 大きさ的に考えて灰緑色の上着とズボンが2組、黒い下着が4枚だろう。ビニールをはがした圧縮衣類を、水を張った洗濯機の中にまとめて放り込む。
「さすが国からの届け物だね。今時、圧縮衣類なんて加工が面倒で作られていないと思う」
「いや、製造年を見たら、5年ほど前だったから。まだ余っていたものを箱詰めしたんだろ」
「お母さんたちが子供のころにはあんまり一般的じゃなかったそうだから、なんか気持ち悪く見えるらしいんだけど。私、これを水につけて、膨らんでいくの見てるとドキドキするんだよね」
「分からなくはないな」
 だいたい缶ジュースほどの円柱形だった黒い塊が、みるみるうちに水を吸ってTシャツの形をほぼ取り戻した。茶筒くらいの大きさだった上着はまだもう少しかかりそうだが、既に形が分かるほどにはほどけている。
「……ふえるわかめちゃんみたいだね」
 確かに、色と言い水を吸って元に戻るところと言い、乾燥わかめそっくりだ。

 完全に圧縮衣類が元に戻るまで、2人で洗濯機をのぞいていた。
「そろそろいいか」
 コンセントにプラグを差し、溜まっていたほかの洗濯物も放り込んで洗濯機のスイッチを入れた。
 外に干すことはできないが、乾燥機も使えば明日の朝には乾くだろう。

 母さんは散乱している僕の本を読み、妹は菓子を食べながら古いアニメのビデオを見、葉村はその日一日の日記をつけ、僕はコンピュータに向かって作業をする。
 みんないつもとやっていることは同じなのに、今日はみんな口数が少なかった。母さんと妹があまりしゃべらなくなると、自然に葉村もあまり口を開かなくなった。
 僕ら家族にとっては、暮らしていた土地にいられる最後の夜だ。
 それは分かる。でもいくら考えても、何故、今日に限ってこんなにも静かなのかが分からない。
 僕は数年間にわたってこの地下室全体をコンピュータに守らせるためのプログラムを途切れることなく書きながら、そんなことを考えていた。今日中には完成するだろう――。

 夜が明けた。
 軽く朝食を摂ってから、自分の食器や最後まで使っていた炊事道具などを荷造りする。
 僕は3台のWSにつながったディスプレイを取り外した。いざというとき、精密機器のパソコン周辺機器はきっと高値で売れるはずだからだ。少し考えて、WSも1台譲ることにした。
 ……することがなくなってしまった。
「まだ、11時前じゃない。どうするの、まだ2時間以上あるわよ」
「トランプでもして遊ばない?」
「あまりに暇だものね……」
「僕はパス。本の整理してくる」
 この前応急で片づけた本がそのままになっている。
「あ、そう。つまらないわね」
「いいもん、兄さんがうらやましくなるくらい楽しんじゃうもん」
「……頑張れ」
 そう言って僕はパソコンを持って地下準備室から出た。

 4人で暮らしたこの1ヶ月で雑多にものが散らかっていた地下準備室は、ここから出て疎開するにあたってきれいに片づけられていた。もともとここにあった、葉村たちが生活するためのスペースを埋めるほど多かった本も、本棚ごと下水処理装置操作室に運び込まれている。
 がらんとした地下室は実際の気温以上に冷えているような気分がした。
「……何しよっか」
 トランプを切りまぜながら声をかけると、山本が出て行った鉄扉を放心したように見ていた山本の苗字を持つ親子は、同じしぐさで私を振り返る。
「ななみさん、トランプはやめにしない?」
「……え?」
「遊ぶのをやめよう、ってことじゃなくて。私、母親なのに、最近のあの子のこと何にも知らないなあ、と思ってね」
「学校での祐樹くんの様子、ですか」
「そう。情報交換、しない? 過去のことも知ってるあなたなら、私たちも気兼ねなく、何でも話せるし」
「あたしも、学校での兄さん、知りたいなぁ」
「分かりました、情報交換、しましょう」

 13時をまわった。そろそろ作業を切り上げて、昼食の準備をするべきか。
 適当に積み上げられた文庫本の隙間に入り込んで操作室に設置されたコンソールをいじっていたため、腰が鈍い痛みを伝える。苦労して操作室から出て気密扉の鍵を閉めた。
 キーボックスに鍵束をかけ、そのまま処理装置室を通り抜けて準備室の鉄扉に手をかける。
 何かが、僕の中で動いた気がして思わず後ろを振り返る。暗闇に沈む下水処理装置のパイロットランプが光っていた。
「……」
 今のは……。
 掴めそうで捕まらないモノがするりと逃げて行った。

 4人で地下室の備蓄食料だった魚の缶詰を食べた。
 賞味期限が4年過ぎていたことに葉村が怒っていたが、腐敗して感が膨らんでいないことは確認してある。別に腹を壊すこともないだろうし食べても問題はないだろう。
 そうこうするうちに約束の時間になった。時間ピッタリにインターホンが鳴る。
「……はい」
『はじめまして、葉村ななみの母でございます。山本さんのお宅ですか』
「そうです。これからお世話になります」
 念のため慎重に地上への気密扉を開いて、気持ちのいい快晴、青空の下へ出る。
 妹が、空にこぶしを突き上げて伸びをしていた。
 4人そろって地上に出たのは何日ぶりだろうか。
 葉村母は、軽トラックを背に立っていた。
 僕ら5人は葉村の紹介を受けて、順に自己紹介を済ませる。
「よかった、ずっと地下室にこもっていらっしゃると聞いていたので、もっと顔色が良くないものだと思っておりました。皆様お元気そうで安心です」
「確かに、地下にこもっている、と聞くと不健康そうですね」
「……挨拶はそこそこにして、早く荷物積んで出発しようよ」
「それもそうね。祐樹、この前の荷物を上げ下げするモーター、持ってきてくれる」
「分かった」
 担いでいたロープの束をそこに置き、僕はひとり地下に戻る。
「おーい、ザイルの末端、どっちでもいいから降ろしてくれ」
「はぁい」
 モーターをロープで上げやすいようにカラビナを取り付ける。するする降りてきたロープの先端を簡単な輪に結んでカラビナをかける。
「持ち上げてくれ、結構重いけど1度だけだから」
 地上から了解の声が届く。完全にモーターが宙に浮くまで、壁にぶつからないように上手く支えてやる。
 モーターが地上に届けばあとは楽な作業で、葉村の実家に持っていく荷物を垂れてきたロープに括り付け、地上にあげる繰り返し。
「これが最後の荷物だ」
 段ボールが地下から見えなくなると、地下準備室はがらんとしてしまった。
 僕は長く息をはきだし、発電機の出力を落としに操作室へ向かうことにした。
「地下室、封印してくる」
 地上に声をかけて準備室から出た。

 ここに下水道経由で細々と供給されてくる非常電源が失われたときに、自動的に発電機が稼働するようにセットして、貴重な石油燃料を消費し続ける発電機を一時停止させる。
 途切れない電気が必要なのは、地下室の封印をする電磁ロックと、それを監視・操作するためのWSだけ。僕らが地下室で生活するときほど電気は必要ではない。下水道線が停電したさい、発電機が稼働するまでのつなぎとなる2次電池の電解液を補充してから僕は地下室を出た。
 気密扉脇の外部端子箱に汎用ケーブルでノートパソコンをつなぎ、開錠コードを設定してから完全に地下室を封印する。
 放射線を通過させないだけの厚さと、空爆にも耐えられるだけの強度を持つコンクリート造りの地下室は、壁に穴をあけるのも容易ではない。正規の手段でこの気密扉の鍵を開けるしか、この地下室に入ることはできなくなった。
「……閉まった?」
「ああ、問題なく施錠した。開錠コードの予備は誰に渡せばいい?」
「お母さんに一つ、頂戴。やり方を教えて」
 僕はいまどき骨董品のカートリッジディスクに開錠コードを書き込んで母さんに手渡した。
「ずいぶんと懐かしいメディアねぇ、お母さんの会社でも保管庫でしか見たことないわよ」
「保存には一番いいんだ、壊れにくいから」
「あらそうなの」
「ここの箱を開けて、このスロットに差し込むだけで開錠できるから。もう一回ロックするときにはパソコンが必要だから開錠コード作らないで鍵を閉めないように」
 それだけ言ってから僕は母さんをうながして、地上へ登る。この井戸のような入り口への通路も印だけつけておいて簡単に見つからないように埋めておく。
 結局、葉村の実家に出発できたのは15時をまわっていた。

 都内は道なんてあってないようなものだった。街路樹が植わっていた土がアスファルトにまき散らされ、倒れた標識が折れ曲がって焦げた気に刺さっている。遠くから見ている分には地平線すら見えていたのに、車に乗っていると、立派な幹線道路は細かい亀裂が走っていたりアスファルトがめくれていたり、瓦礫が道をふさいでいたりと無残な有様だった。
 郊外に近づくにつれ瓦礫の山・平らな土地の割合が減り、家や街路樹が増え、出せる速度も上がってくる。山が少しずつ近づいてくるころにはほとんど被害を見受けられなかった。
 荷台に椅子を置いて座っていたせいでいい加減、尻が痛くなってきたころ。2時間ほどで着いた葉村の実家は、古くからそこにあるような貫禄を持つ2階建ての広い日本家屋だった。家の前には家と同じくらいの大きさを持つ車庫があり、軽自動車とトラクターがとめられていた。
 玄関前の広いスペースで車を降り、荷物を下ろす。そうこうしていると家の中から40代くらいの男性と、妹と同じくらいの男子が出てきた。葉村の父親と、僕の妹と同じ年だと聞いていた弟だろう。
「おお、ななみ」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいまー」
「お姉ちゃんの彼氏、っていうのがその人?」
「え、な、彼は彼氏なんかじゃないわよ!?」
 裏返った声で変な日本語を叫ぶ葉村。
「そんなこと言ってなくていいから、その、荷物、うちの中に運び込むの手伝ってよ」
「へーい」
 これ、持ってきます。
 葉村弟が地面に下ろしてあった段ボール箱の一つをかかえた。
「あ、ごめんね。この荷物、どこに運べばいいの?」
 同学年だからだろう、気安く葉村弟に話しかける山本妹。僕と違い社交性の高い彼女のことだ、きっと無事にやっていけるだろう。心配はしていない。

 この夜は、貴重だろう油を大量に使う天ぷらをごちそうになった。油をつかう料理はそれなりに食べていたが、出来立てで温かい揚げ物は久しく食べていなかった。それが当たり前だと思うくらいに。
「そういえば」
「はい、なんでしょう?」
 葉村母はうふふと含み笑いを漏らした。
「祐樹くん、今夜はななみと同じ部屋でいいわよね」
「僕はどこでもいいですよ、それこそ廊下でも」
「こいつ、私が遊びに行ったら、布団足りないから、って寝袋で使わせようとしたのよ」
「あらー、いいじゃない。そのまま襲われちゃえばよかったのに」
「お母さん!」
「なによ、祐樹くんとならお母さん、許しちゃうけど」
「なんで今日車に一緒に乗ったくらいの単なる同級生をそんなに信頼してるのよ! 普通、女子高生の親ならもっと、娘と親しい男子に対して注意を払うものじゃないの!?」
「だって、結構男前だし。なかなか素敵な人だと思うけど」
 本人の前でそういう会話を繰り広げるのはどうかと思うのだが。今は僕が出ているからいいものの、内側ではあいつが恥ずかしい恥ずかしいとのたうち回っている。
 気まずいとは思うが、そんなに赤面してばたばた暴れるほど恥ずかしいものなのだろうか。
「じゃ、そういうわけで、祐樹くんの布団はななみの部屋に運んでおくからね。先にお風呂に入ってらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます」
 本来なら布団を運ぶくらい自分でやるべきなのだろうが。あいつがあまりにこの場から離れたがっているので、葉村母の提案に甘えることにした。

 なかなかいい加減の湯だった。俺は明日の朝、ここを出発しなければならないということになっているので、早めに寝させてもらうことにする。柔らかいふかふかの布団も懐かしいようなにおいがした。既に電灯は消されている。
 そして隣に葉村がいる。
「さっきはゴメン、お母さんが変なこと言って。恥ずかしかったんじゃない?」
 彼女の頬はいまだ赤い。
「かなり、な。よくもまああいつはあのやり取りを生で聞いておきながら平然としてられるもんだぜ」
「あはは、そうだと思った。……山本」
「ん、どうした?」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「当たり前じゃねぇか、何を不吉なことを言ってんだ」
「ご、ゴメン。そうだよね、当たり前、だよね」
 本気で心配してくれているらしい葉村に対して、少し罪悪感を感じる。本当は徴兵なんて、最初から応じるつもりは最初からなかったんだぜ。そうぶちまけたくなって、あいつにたしなめられる。
「……」
 不自然な間が空いたまま、開きかけた口をそのまま閉じた。
 あたりが明るく、お互いが見えるような時間帯だったら何を言おうとしたのか重ねて質問されていただろう。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
 自制が利かなくなってしまう前に、俺は睡眠に逃げることにした。
「……え。そう、寝ちゃうんだ」
「……? 何かしたかったのか?」
「うぅん、別に、特に。なら私も寝るよ」
「そうか」
 なんとなく拍子抜けしたような葉村の応答が釈然としなかったが、俺は無視して目を閉じた。

4
 翌朝は快晴で、少し暑かった。
 僕は先日送られてきた服を袖まくりして着ていた。
「では、いってきます」
 必要な装備を入れたリュックサックを持って、葉村が運転席に座る軽トラックに乗り込んだ。
 荷台には昨日下ろし忘れていた、太陽光発電機一式や僕の野宿道具が積まれたままにされていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 母さんが心配そうに声をかける。妹はそっぽを向きながら横目で僕のことを見ていたし、葉村父は先ほど町内会の会合に突然呼ばれてしまい、手伝いに弟を連れて出て行ったきりだ。
 僕は自分の家族へ、最後に笑いかけて葉村に合図する。
「出すね」
 葉村は一言、そう呟いてアクセルを静かに踏み込んだ。
 彼女達に手を振って、僕は視線を外した。
「――あのね。アドバイスが欲しいんだけど」
「僕が答えられるものなら」
「行動を起こしてから『ああやっちゃった』って後悔するのと、行動を起こさずに『なんでやらなかったんだろう』って後悔するのだったら、どっちがいいと思う?」
「……僕らなら、前者を選ぶかな」
「そっか……」
 車内の空気が沈む。
 葉村は僕の答えを聞いて、2回、落ち着けるように深呼吸をした。
「じゃあ、私もやって後悔することにするわ」
「そうか」
「単刀直入に聞きます。山本くん。君はどこへ行こうとしているの?」

「――え?」

 同時に葉村は、車を一台も見かけない田んぼに囲まれた道、そのわきに車を寄せて停車した。
「ずっと不安だった。なんか、君の“徴兵用意”が、なんとなくどこかが不自然に見えて。だから、ふっと思ったの。もしかしたら、軍に行くつもりなんてないんじゃないか、って」
「……」
 ここで何も言わないのは不自然だと思ったのだが、とっさのことで言葉が継げなかった。
「ウソはつかないでね、お願い。別に、私はまったく怒っていないから。どんな答えが返ってこようと、引き止めたりなんかしないから」
 君を信頼しているのは、何も私のお母さんだけじゃないんだよ?
「昨日ね、君んちを出る前に、3人で情報交換したの。……お母さんも、妹さんも、きっと気づいてたよ。君が嘘をついて、どこか知らないところに行こうとしてるって」
 本の整理をするために、1人になった時だろう。
「でもね。君がいろんなことを考えて出した結論だもん、きっと間違ってることなんてないよね。二人ともそう言ってたし、私もそう思う」
「……間違ってるかもしれない。僕だって人間だ」
「そうかもね、でも君は間違っていると自覚している選択肢を取ることなんてしないじゃない。それに、私が答えて欲しい質問はそれじゃないことくらいわかってるよね」
 仕方がない、意外と強情な所のある葉村には、本当のことを言ってしまうほかないか。押し問答をして無駄な時間を使う事は避けなければならない。
「確かに、ご想像の通りだ。僕は徴兵に応じるつもりなんて全くない」
「やっぱりね。じゃあ、どこへ行こうとしているの?」
「どこか山の中で野宿しようと思ってる。電気と回線とコンピューターさえあれば僕は戦える」
 だろうと思った。
 ハンドルにもたれかかって、葉村が囁いた。
 しばらく、どちらも動かず、どちらも喋らなかった。
 ばれてしまった以上、彼女を巻き込みたくはない。知らなければいくら聞かれたって答えられないが、知ってしまった以上尋問されたら嫌でもいつかは答えてしまうだろう。僕は車から降りようとした。
 その動作を止めるように、葉村は僕の上着の裾をつかみ、運転席に姿勢よく座りなおした。もう一度さっきより深く息を吸い込むと、つかまれた裾を見ていた僕の目を覗き込んで、彼女は言った。
「さっきも言ったけど、私は君を引き止めたりしないわ」
「たった今、引き止めて」
 視線だけで僕の言葉を遮る。
「だから――」
 決心するように葉村は唾を飲み込んで。……もう一度深く息を吸って。
「私もそこへ連れて行って」
 そう言った。
「…………」
 不覚にも、短時間に2度も驚かされてしまった。普段ならこの程度の切り返しは簡単に想定できたはずなのだが。
「……嫌だ」
「嫌? 今表面に出ている山本祐樹は感情を持ってないほうだよね。何でそんな感情的な言葉が出てくるのかな。ちゃんと真剣に考えて言ったんじゃないんでしょう?」
「……」
「私だって、きっちり考えたんだ。今のは、いつもと同じような君を困らせるための冗談みたいな“お願い”じゃない」
「ダメなものはダメだ。連れていくことはできない」
「どうしてもダメだと言うのなら、いつもの君みたいに理由を3つ挙げて、レポート書くように私を説得してみてよ」
「まず、危ないから。政府を敵に回してまで君が僕についてくる理由が『感情的になっているから』意外に考えられない。次に、君が僕についてきたときのメリットがないから。実家の農業を手伝って日本全体の食べ物を少しでも作ったほうがいい。最後に、お前の分の生活を支える道具を持っていないから。僕の野宿セットは1人用だ、もう一人、それも女の子が生活するための物は持ち合わせていない」
「まず、私は君くらい、うぅん。君よりもいろいろ考えた末に君についていく結論を出した。それに私がついていく、って言い出すことを想定に入れていなかったじゃない。普段より視野が狭くなっている証拠だわ。次に、私がついていくことで、君はより健康的な生活を送れるようになる。君、農業なんてやったことないでしょ。何年続くか分からないのに毎日毎日インスタントやレトルト、保存食料で生活するつもり? 最後に、私は自分で使うためのキャンプ道具なら持ってきてあるわ。そこまでおんぶにだっこでいるわけないじゃない」
 なんとなく嫌な予感が、葉村に押し切られてしまいそうな予感がした。
「……いや、だからと言って人様の娘さんを勝手に個人のわがままにつきあわせる訳にはいかないし」
「わがままを言っているのは私よ?」
 彼女と、似たようなやり取りを、ほんの1ヶ月くらい前にしたような覚えがある。
「そのとおり、だが」
「私を連れて行きなさい」
「拒否する」
 僕の過去を聞き出した時だ。つまり、そろそろ彼女はキレて――。
「なんで? 私にはそんなに信用がないっていうの!? 君は、勝手に途中まで人を助けておいて中断するつもりなの? あんまりにも無責任だと思うんだけど!! ……なんか言いなさいよ卑怯者!」
 案の定、爆発した。
 しかし彼女に卑怯者呼ばわりされる筋合いはないと思うのだが……。
「連れていけるものならとっくに相談していたさ。危ない状況にある人間を助けるのはよくあることじゃないのか? せっかく助けた人を、わざわざ危険に近づけるほうが無責任だと思うのだが」
「もう半ば巻き込まれちゃったもん。だったら最後まで付き合わせなさい、って言ってるの」
「勝手に巻き込まれに来たんだろうが」
「だったら私に感づかれないように、もっとうまく立ち回ればよかったんじゃないの?」
「…………ただの言いがかりだ」
「言いがかり上等、いいから私を連れて行け」
「人が変わってるぞ」
「君はたった3ヶ月くらい同じクラスになった女子の性格をばっちり把握できるんだ、凄いね」
「そんなことは」
「まあそんな些細なことはどうでもいいの、話を逸らさないで。私を一緒に連れていくの、行かないの?」
「連れていくわけが……」
「ならこのまま連れ帰る。向こうから人が来るまでうちに縛り付けてやる」
 無茶ばっかりだ。それにさっきと言っていることが正反対だ。引き止めるようなことはしないんじゃなかったのか。
「僕にどうしろと言うんだ。招集に応じればいいのか?」
「あんた馬鹿!? 簡単なことじゃない。『分かった、君も一緒に連れて行ってやるよ』って言って、私にどこへ行けばいいかを教えればいいのよ」
「そんなことを承諾できる訳が――」
「しなさい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 にらみ合う。
 車載時計を見ると、そろそろタイムアップだった。

 ――僕らはどうすればいい。
 ――彼女は、決して無能なお荷物にはならねぇだろうな。
 ――ばれてしまった以上、連れていくしかないか。
 ――どだい知られた以上、俺らを何が何でも消そうとしている連中に彼女がひどい目に遭わされないとも言い切れないしな。
 ――僕のミスだ。これ以上、彼女に負担をかけるべきではない。
 ――過ぎたことをいつまでもグダグダ言っても仕方ねぇよ。それよりこれからのことだ。
 ――それもそうだ、な。気付かれる前にできるだけ遠くに、見つからないような場所に逃げ込んだほうがいい。

「分かった」
「……何が?」
「僕の相方となる人間がとんでもない強情だという事が、だよ」
「……それは、連れて行ってくれる、という事かしら」
「その通――」
 僕の言葉は遮られる。
 彼女に抱き着かれたからだ。
「……おい、どうした」
 器用なことに、シートベルトをつけたまま、隣に座る僕の胸に顔をうずめている。
 ……彼女は泣いていた。
「突然なんなんだ」
 鼻をすすりながら、涙を僕の服に染み込ませながら、切れ切れな曇った声が返ってくる。
「ごめん、何でだろ、私にもわからないよ」
 たぶん、ね?
「安心したんだよ。嬉しいんだよ。でもきっと、君に涙を見せたくないんだ、私」
「……」
 おそるおそる手を彼女の背中に回す。
 彼女がこらえきれなかった感情の圧。感情のない僕は、どのような感情があふれたのか、こういう時どう対処すればいいのかを知らない。
 どのくらいの時間だろうか。この前の母さんを見真似て、ぽんぽん、と背中をさすってやると、彼女は泣き止んだ。
「ありがと、もう大丈夫。……今日から、絶対、君と離れてなんかやらないんだから」
 体を起こし運転席にまっすぐ座りなおして、彼女はまだ赤い目で素敵な、綺麗な笑顔を僕に見せた。
「タイムロスしちゃったね、ゴメン」
「どうせ後悔なんてこれっぽっちもしてないんだろ」
「当然じゃない。……で、どこへ行くつもりだったの?」
「……ああ、そうだな。行く場所。道路マップはないのか?」
「ダッシュボードにある、――はい、これ」
「どうも。そうだな、このあたりなんかどうかと思っていたんだが」
「そんな何もないところで暮らすつもりだったの?」
「どこにも行くあてなんてなかったからな」
「だったら、私のおじいちゃんちに行かない?」
「君の祖父の家?」
「そう。おじいちゃんとおばあちゃんが昔住んでたんだけど、2人とも私が小学生のころに亡くなっちゃったから、今は空き家」
「ばれないか」
「大丈夫、割と山の中にあるから。お隣さんとは1キロくらい離れてるし」
「そこはどういう場所なんだ?」
「普通の山に埋もれた農家よ。最近は行ってないけど、私がたまに掃除してるからそこそこ綺麗だし、農具とかも残してあるわ」
「なら、とりあえず行ってみよう」
「うん、わかった。じゃあ、ガソリン積んで、種とか、ホームセンターで買っていこう」
「そうだな。僕は君が言うとおり、農業については全くの素人なんだ。よろしく頼む」
「まっかせなさい!」
 そういうと、彼女はギアをDに入れた。

 県道から林道に入り、状態の悪い山道に入っていく。ホームセンターで買い込んだ様々なものが後ろの荷台でやかましく跳ねる。
「そういえば、葉村、お前まだ16歳だったよな」
「うん、そうよ?」
「なんで車運転できるんだ」
「……お父さんに教えてもらったから」
「免許はどうした」
「当然、持ってるよ」
「18歳にならないと自動車免許は取れないはずなんだが。その免許、原付じゃないのか」
 横顔を見ると、どうやら必死に言い訳を探しているようだ。
「別に怒らないから、正直に言え。お前、自動車免許は持ってないんだろう」
「…………おっしゃる通りでございます……」
「別におどけなくてもいい」
「ごめんなさい」
「要は事故らなければいいんだ、気をつけろよ」
「もちろん、私だって捕まりたくはないわ」
 無免許にしては上手い。農業を手伝っている、というのは事実なのだろう。

 1時間くらい走ると、葉村は左に道を折れた。しばらくして木々の間に小さい畑と民家を見つけた。
「ほら、あそこ」
 敷地内に入ると家の前にある倉庫兼駐車場な建物に車を止めて、僕らは地面に降り立った。

 葉村の祖父母が昔住んでいたという家は普通の民家だった。雑草こそ生えているが綺麗な畑と、古びているが住みやすそうな家。
 50メートルほど坂を下りれば透明な水が勢いよく流れる沢に下りられる。あれだけ勢いがあれば直接飲めない水、なんてことはないだろう。
 反対へ少し登ると、さっき走ってきた道を見下すことができた。
 ここを耕しなおせば立派な野菜がなりそうだ。2人分なら十分育てられるだけの広さがある。

<無題> Type1 第5章原稿リスト
第4章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 無題 |

無題 Type1 第4章 第4稿

2014.01/1 by こいちゃん

<無題> Type1 第4章原稿リスト
第3章原稿リストに戻る 第5章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

第4章

1
 リハビリがてら、久々に本屋へ行こうと新宿まで足を延ばしたその帰り。乗った地下鉄副都心線は座席が半分ほど空いていた。やがて発車ベルが鳴り新宿三丁目を発車して、次の駅よりも手前のトンネルの中で、遠くでかすかに爆発音がした。読んでいた本から顔をあげると同時、電車が前触れなく停止し車内・トンネル内の灯りが一斉に消えた。
 あたりが闇に包まれて、一瞬音もなくなった。
 最初に聞こえた音は驚いた赤ん坊の泣き声で、暗い空間に反響し始める。
「……停電?」
 それからそんな声がすぐ近くで聞こえた。
 そのあとはもう、誰がなんと言っているのか分からない、ざわざわした声の集合がだんだん大きくなっていく。
 僕はといえば、座席に座ったまま、目が暗闇になれるのを待っていた。しばらくそのまま動かずにいたが、蓄光塗料が塗られた消火器の位置を示すシール以外に携帯端末のバックライトという強力な光源が出てきたあたりで、足元に置いていたリュックサックのチャックを開ける。
 自分の端末のバックライトで中身を確認しながら、山に行くときに入れて取り出すのを忘れていた応急装備のヘッドランプを取り出した。
 旧式の超々高輝度LEDだったがトンネルを歩くのには十分役に立つだろう。
 無造作に点灯しかけて、パニックになりかけたほかの乗客に奪われたくはないなと思い直した。僕は携帯端末のバックライトを頼りに電車の先頭車両へ歩き出す。非常用ドアコックを操作して車両の扉を開け、線路に飛び降りる。ここは単線シールド工法のトンネル、もし通電しても逆から電車がやってくることはない。
 カーブで電車から見えなくなるまでバックライトの細い光を頼りにして、完全に見えなくなったところでヘッドランプを点けた。
 暗いトンネルを半径5メートルしか照らせない灯りを頼りにてくてく歩いていった。電車内の動騒が届かない静かな暗闇の中、どこからか重く低い衝撃が聞こえる。それはRPGのダンジョンの中のBGMようで、柄にもなく状況を楽しんでいる自分がいた。

 不意にトンネルが広くなった。線路が分岐している。東新宿の駅にたどり着いたようだ。地上へ上がって何が起きたのか確認するか、それとも駅に設置されている非常用情報端末からインターネットにつないで状況を確認するか。ホームドアのせいでホームに上がれないため、線路を歩きながら考えていると、暗闇にも関わらずドタドタと階段を駆け下りてくる足音がした。嫌な予感がして、あわててヘッドランプを消す。
(暗闇なのに、光源なしで階段を駆け下りる……。駅に暗視装置なんて用意してあるか、普通?)
 どう考えても怪しい。
 ホームの真下にある待避スペースの奥に隠れて気付かれないようにやり過ごすことにした。灯りをつけられないから手探りだ。何とかもぐりこんだところで、線路に何人かが飛び降りてくる気配を感じた。息を殺してよりまるまった。
 首筋に水が垂れてくる。危うく叫ぶところだった。反射的に腰を上げ、頭を打って舌をかんでしまった。声が出ずに済んだからよしとするが、口の中まで痛すぎる。
「~~~~~~~~っ」
 痛いのは刺された背中だけで足りているのに。
 気配はしばらくあたりを探っていた。いい加減、足がしびれてくる。
 やがて僕が歩いてきた方向へ去っていった。それでも120を数えてじっとしていたが、感覚がなくなってきたので線路へ戻ることにする。用心して灯りをつけずに探ったため、ホームの下に設置された接続ボックスを探り当て、持っていたPCと接続するために無駄な時間を使ってしまった。
 接続したことがばれないようにウイルスを流し込み、それからインターネットへつなぐ。内部ネットワークにしか入れないように設定されていたが、相互通信をするためのサーバーに侵入すると簡単に外部ネットワークへ回線が開いた。
 自宅地下に設置したうちのサーバーは、停電してもある程度の時間、稼働し続ける簡易下水処理施設の電源を使って稼働している。とはいっても、実際に停電している時に外部からアクセスを試みたことはない。十中八九停電しているこの状況で自宅サーバーに接続できなければ、流石に今の手持ちの装備では信ぴょう性のあるデータを取ってくることはできない。だからこれはある種の賭けだった。
 しかし無事、うちのサーバーは正常に稼働しているようで、平時と変わりなくログインすることが出来た。
 システムを開発するためにもらった正規のアカウントを使って産業情報庁のサーバーにアクセス。開発・管理用のアカウント権限は強大だった。職権乱用だが、いくつかのコンピュータを経由して、ネットワークの奥深くにしまい込まれている中枢のサーバーに到達した。
 後は速やかに欲しい情報を集めるだけだった。1つ目のウィンドウが接続ログを示す文字に埋め尽くされる。2つ目のウィンドウで軍事衛星が撮影した衛星画像を要求し、3つ目のウィンドウで産業情報庁が収集した警察・自衛隊・米軍の命令系統の記録をざっと検索する。
 分かったのはとんでもないことが起こった、という事。東京が敵国に爆撃されたらしい。

 深呼吸をしてからいつも通りの人間離れしているらしい速さでキーボードを叩いてサーバーからログアウト。文字列がいつも通り律儀に|さよなら《Bye.》を返した。
 意識していつも通りを心掛けないと、葉村に話した、昔のような目に遭うような気がした。接続の痕跡となるログを抹消し、何事もなかったかのように接続ボックスを閉じる。
 端末と通信ケーブルをリュックにしまい込み、ヘッドランプを低輝度に切り替えて池袋方面のトンネルに駆け寄る。
 地上は今も、爆撃の危険にさらされている。爆撃された時、安全性が高いのは防空壕として使えるように補強がなされた地下鉄のトンネルの中だ。僕はトンネルを行くことにした。
 何時、さっきの気配たちが帰ってくるか分からない。後ろから狙われる可能性はできるだけ下げておきたい。だから、僕は暗いトンネルをしっかり確実に、走り出す。
 僕の足音と共に、“日常”が何処かへ逃げ去っていくような気がした。

2
 副都心線で要町駅まで、そこから有楽町線の線路に出て護国寺駅へ。
 途中、立ち往生した列車や、ターミナル駅である池袋を越えるときには見つかるのではないかとひやひやしたが、無事に通過することが出来た。
 人が近くにいないことを確認してから護国寺駅ポンプ室の扉をたたき壊して侵入し、そこから雨水管に潜り込む。コケやらゴミやらネズミやらが支配する臭いトンネルを通って自宅の地下、簡易下水処理施設までたどり着いた。
 下水処理装置の非常電源はまだかろうじて生きているようだが、案の定停電していた。壁の隅にある発電機を起動させる。軽い唸りが生まれ、これで地下施設は電気が使えるようになった。
 天井の蛍光灯を点ける。ヘッドランプでは見えなかった部屋の隅まで人工の光が届く。
 そこは見慣れた自宅地下だったが、自分自身の姿はみすぼらしいものだった。
「かなり汚れたな……夏服だからうちでも洗えるか」
 地上の惨状を見る限り、学校に通える状況なのかは疑問だが。
 すっかり泥だらけのビショビショになってしまった制服を脱いで、処理室のロッカーに置いてあるジャージに着替えた。
 階段を上って点検準備室に移動する。
 10畳ほどの下水処理装置点検準備室。そこは僕の、もう一つの自室だった。
 3台のワークステーション、1台のノートパソコン。20型のディスプレイが3枚、37型のテレビ。壁の2面を埋め、通販で買った可動式の本棚5つにぎっしり詰め込まれ、それでもおさまらずに床に積まれた本本本本……。
 そして部屋の隅に地上へ上がる梯子。その終点、一番下に人がうずくまっている。僕は人影に駆け寄った。
「……母さん? ちょっと母さん、ねぇ」
「……うぅ、……あ、祐樹?」
「うん、そう。ただいま」
「ああ、お帰りなさい」
「梯子から落ちたのか、怪我はない?」
「大丈夫、平気平気、ちゃんと……っ」
 立ち上がろうとして、足をかばってバランスを崩す。母さんは梯子の段にとっさにつかまったので転ぶことはなかったが、見ているこちらとしてはヒヤッとした。
「ちょっと足見せて」
「え、そんな、平気平気。30分も座ってればへっちゃらになるわ」
「……捻挫してちょっと腫れてる、全然大丈夫じゃない」
 僕はパソコン机の引き出しから毛布を取り出して、本の間の狭い床に敷く。
「ほら、肩貸すから。床にいつまでも座ってると体に毒だよ」
「ありがとう」
 母さんを毛布の上に連れて行って座らせ、応急セットを取り出した。
「ほら、湿布貼るから足出して」
「……すっかり頼もしくなったのねぇ、母さん、嬉しいわ」
「馬鹿なこと言ってないで。どれくらいの高さから落ちたの」
「そんな高くなかったんだけど。外でサイレン鳴り始めたから地下にいようと思って降りてきたんだけど。あと何段、ってところで停電しちゃって油断して、つるっと、ね」
「サイレン、って空襲警報?」
「多分ね。私も初めて聞いたもの。テレビでは聞いたことあったけど」
「そうか。……話を戻すけど。いつまでも若いわけないんだから、もうちょっと年相応の気はまわして欲しいな」
「まっ、失礼な」
「40台になったんだから、もうおばさんって言われても仕方ない年なんだよ」
「老けて見えても心は若いの、息子にそんなこと言われるなんて、心外だわ」
「心配してもらえているだけ良いと思って」
「あなたはまだ未成年です。親に心配をかけられる立場なんだから。せめてそういうのは成人してからになさい」
 周りの空気が和やかなものに変わっていく、そんな気がした。
 顔をあげると、母さんと目が合った。するっと気が抜けて、知らず知らずのうちに張っていた緊張が取れていく。
「ん、出来た。あんまり激しい動きしないように」
「言われなくても、湿布貼ってる間はしませんー」
 せっかく息子に張ってもらったんですもの。
 子供みたいに顔全体で笑いながらそんなことを言う。
「でも、ありがとう」
 何故か、急に気恥ずかしくなった。

 1リットルの電子ケトルに水――もちろん水道水のほうだ――を満タン入れてスイッチを入れる。
 非常電源につないでいなかった|WS《ワークステーション》も勝手に起動を開始し、既に待機状態に移行していた。僕は全ディスプレイをスリープモードから復帰させ、全部マスターWSにつなぐ。いつも持ち歩いているほうのパソコンも起動し、無線LANに接続。
 全部で3台のWSの稼働状態を一通り確認したあと、並行演算システムを起動。普通のパソコンよりも高性能なWSを3台並行動作させることで、5年位前の最高速スーパーコンピュータ並みの処理をすることができるようになる。続いて普段は必要だが今からやる処理に必要ない|デーモン《常駐プログラム》をまとめて停止させる。
 ここで湯が沸けた。ポットにティーバッグを3つ入れて湯を注ぐ。とりあえずパソコンデスクにおいて、床の本を本棚の前により高く積みなおし、場所を作ってから折り畳みちゃぶ台を出した。マグカップ2つと砂糖を取り出し、ポットと一緒にちゃぶ台に置いた。
「冷たい床に倒れてたんだし、これ飲んで温まっていなよ」
「あら、忙しそうなのに、ごめんね」
「別に、忙しいわけじゃない」
 僕はスプーン1杯の砂糖を入れた自分のカップに紅茶を注いで、WSにもう一度向き合う。
 クラッキング準備作業の仕上げに、最後片方が処理過多でダウンした時の予備用とクラッキング相手のシステムオペレーターから逆探知された時の攪乱用を兼ねて、インターネット回線を地下室用のものと地上の山本家全体のものと2重に接続する。リンク確立確認のために回線速度と接続情報を取得、ついでにダミー拡散用の偽造データを作成。
 深呼吸を一つ。
 準備作業半自動化プログラムが進行度を表す棒グラフを100%にするのを待つ間、肩を回しておく。
 今日のクラッキングの目的は、先の爆撃の情報を得ること。目標を今一度明確に設定する。

 棒グラフが伸び切った。

 即座。
 Enterを押下、クラッキングツールを作業準備状態から侵入状態に切り替える。
 3つのディスプレイに、効率的に作業を進めるに適した画面配置を行う。
 メイン画面で補助AIを起動。自己診断ログが一瞬にして一つの小画面を埋め尽くし、|コマンド《命令》を待つカーソルが出て止まった。
 侵入対象に敵国の防衛庁、味方国の国防軍、自国の首相官邸、民間の衛星管理企業を指定する。
 AIはコマンドを受領し、指定された相手サーバープログラムのバージョンを検出、最適な方法で侵入を開始した。
 今時、情報を集めたり共有したりするときにインターネットを使わないなどあり得ない。どんなに巧妙にしまい隠そうとも、|開かれたネットワーク《インターネット》から完全に独立していることはない。
 いくつものネットワークに守られたわかりづらい経路も、かなり強固なプロテクトも。3台のWSが全力稼働して時にしらみつぶし、時にサーバーの設定から逆算して。僕とAIはみるみる対象を裸にしていく。
 同時に不正侵入で汚れたログも、管理者権限を奪い取って不都合な箇所を全部削除する。怪しまれないように関係ないログは消さないように教えたが、きちんと学習しているようだ。続いてAIはバックアッププログラムをまず殺し、敵オペレーターが対処を始める前に他の管理用アカウントをバイパス、本物らしき応答をするダミーにシステム操作系を置き換えた。
 そんなAIの働きをサブウィンドウでざっと確認しながら、僕は産業情報庁の|メインフレーム《中枢》に管理用ユーザーでログイン、最上位オペレータ権限を持つアカウントをバックドアとして作成し、再度入りなおす。
 目的のデータがどこにあるか分からないため、それらしきファイルは中身をロクに確認せず、片っ端からダウンロードしていく。ファイル数が多く、結構時間がかかりそうだった。
 AIによる侵入が終わったサーバーから同じようにデータをダウンロード。どれが目的に合ったファイルか、大量に保存されている文書から自動的に選び出してダウンロードできるほど、僕のAIはまだ賢くない。
 毎回の僕の作業を見習いながら少しずつ経験を増やし、いろいろなことができるようになる自動学習ルーチンを入れてある。そう、あと50回ほど同じような経験を積めば、ファイルの選択・取得も任せることが出来るだろうと踏んでいる。
 また捕まるのは御免だ。安心して任せられるところだけをレスポンスの早いAIに任せ、不正侵入時間を減らす。侵入時間が減ればそれだけ、逆探知される可能性が低くなるからだ。

 ダウンロードが終わったサーバーから順に回線を切断する。AIによる後始末の確認を済ませる。
 手に入れたファイルは膨大な数だ。WSで関連のありそうなキーワードの全文検索をかけ、その間に検索できない画像や動画を荒くチェックしていく。侵入・ファイル取得にかかった時間よりも、成果物の確認のほうが圧倒的に疲れるし、時間がかかる。
 単純に腕試しなら確認なんてあっという間だが、今回の目的は情報収集。いわゆるスパイ組織ならそれだけで一つや二つ、専門の部署があるのに、僕の場合は全部一人でこなさなければならない。これは結構な労力を必要とする。得られた情報の正確性を高めるには、こうやって地道な作業を繰り返さなければならないのだ。

 そうして1時間ほど、母さんは散乱している文庫本を読み漁り、僕は得たデータを確認して現状確認をしていた。
 どうやらここ数年ずっと争い続けている大陸の敵国からの爆撃によって主に、東京は副都心と言われる池袋~新宿~渋谷あたりと、交通の中心である上野~東京~日本橋、政府のある霞ヶ関が被害に遭ったらしい。うちの近くは奇跡的に被害が少なかったようだ。ついさっき撮影された衛星写真を見る限り、ぽつんと島のように建物が残っている地域があった。
 真っ先に妹の学校をチェックした。幸い、建物自体は全部残っていた。学校にいてくれれば、きっと助かっているはずだ。半面、僕が通う学校は体育館に直撃を受けていた。この分だとほかの校舎もガラスが飛び散って授業にならない。きっと数日は休校になるだろう。
 しかしそうすると、地下鉄のトンネルで遭遇したあの怪しげな気配は何だったのだろう。警察とか駅員とか、乗客の救助に来た人だったのだろうか。僕もあいつも、直感でその可能性は小さいと思っている。
 そしてもうひとつ、若干不確実な重要な情報を見つけた。信ぴょう性を考えながら目頭を揉んでいると、梯子の上の方から物音がした。
 ガコッ、とふたを開ける音がする。下りてきたのは妹だったが、彼女だけではなかった。
 妹に連れられ、葉村も一緒だった。

3
 普段は無人か、僕一人しかいない地下室。そこに4人の人間が集まっていた。
 かなり消耗している風だった葉村を母さんの隣に寝かせ、看病を任せる。その間、僕ら兄妹は更に床面積を広げるため、地上に戻って取ってきた段ボールに本を詰めていた。
「いつの間にこんな本が増えたの? いくら片付けても減らないんだけど」
「なんか気が付くと増えてるんだ。上に仕舞いきれなくなったものから地下に持ってきて積み上げてそのままで」
「お金持ってるのは知ってるけど、しまう場所考えて買いなさいよね」
「ごめん」
 僕と居るからか、ずっとイライラし通しの妹。後ろから母さんのため息が聞こえた。
 そうして床の半分が見えるようになった時、地下に下りてきてすぐ気を失うように眠ってしまった葉村が目を覚ました。
「お、起きたか」
「……え? ここ、どこ……、あ、山本……君のお母さん!」
「おはよう。気分はいかが?」
「ごめんなさい、私、どのくらい……」
「30分くらいかしら」
「ここは山本家の地下室。覚えてない? あたしとハシゴ降りたこと」
「……思い出した。ありがとう、私、あの時どうすればいいか分からなくなっちゃって、どこもいぐあでなぐっで」
 葉村が泣き始め、よく聞き取れなくなってしまった。
「「「…………」」」
 僕ら家族は黙って顔を見合わせた。視線で思い切り泣かせてやることにしよう、と結論が出た。
 妹は地上に戻り、お茶うけになる菓子を取りに。僕は紅茶を淹れなおし。母さんは葉村の背中をさすってやっていた。

 しばらくして、葉村が泣き止んだ。相変わらず感情の動きというものがよく分からないが、本人曰く「思いっきり泣いてすっきりした」そうだ。
 詳しく話を聞いたところによると、葉村は今時珍しいことに、田舎から親元を離れ、東京に出てきて一人暮らしをしているのだという。しかし、葉村のアパートは爆撃で焼失した地域にあった。帰る家がなくなって途方に暮れた彼女は、訪ねたことのある僕のうちにやってきて、しかしインターホンに誰も出ないので――地下室にインターホンの受話器はない――玄関口に座り込んで誰か帰ってくるのを待っていた。そこに妹が帰ってきて家に入れ、地下室に案内したのだ。
 僕は入院しているときに、早くうちに帰って料理をしなければならない、と彼女が言っていたことを思い出した。どういう事か聞いてみると、葉村のアパートには週に1日2日、お母様がいらっしゃるそうだ。今日は来ない日で、それだけが唯一の救いだと言える。
 そこまで聞いて、母さんが僕に、電話を貸すように言った。
「きっとご両親は心配されていると思うわ。私はずっとここにいたから見たわけじゃないけど、たぶんテレビで速報をやったんじゃないかしら」
「そうだよ、兄さん。電話線が切れてても、兄さんなら電話くらい掛けられるんでしょ?」
 例え電話線や通常の光ファイバーケーブルが切れても、地下室のインターネット回線は下水道管を通っているからそう簡単に使えなくなることはない。
「掛けられるけど。たかが電話、そんな大事なことか?」
「大事なことなの。だから兄さんは……」
 妹の説教が始まる前に遮る。
「あー分かった分かった、電話ね。葉山、実家の番号はいくつだ」
「……いいの?」
「問題ない」
 遠慮する葉村から電話番号を聞き出す。ノートパソコンにインカムの端子を差し込み、IP電話ソフトを立ち上げる。
 無線LANが地下室のネット経由でインターネットに接続されていることを確認してから、葉村にインカムをパソコンごと手渡す。
「電池は1時間くらいなら持つほど充電されてる。家族との電話だ、積もる話があるだろ。気兼ねなく長電話してこい。聞かれたくないのならそこの、鉄扉の向こうですればいい」
「多分冷えるだろうから、この毛布、持ってお行きなさい」
「ありがとうございます。では、ちょっと失礼します」
「ゆっくり電話してきなよ、今度いつ話せるか分からないんだから」
「うん、そうする」
 葉村はパソコンとインカムを抱え、さっき僕が入ってきた鉄扉を開けて準備室を出ていった。

 しかしすぐに戻ってくる。
「どうした」
「……ねぇ、どうすれば電話を掛けられるの?」
 ソフトの使い方が分からなかったらしい。コンピューター音痴め。
 就職できないぞ。
 そうつぶやいたら、聞きつけた妹に後ろから頭を叩かれた。

4
 葉村が電話している間。山本家の3人はこれからの方針を相談することになった。
「まず、これからも爆撃は続く、と思っていて間違いはないのね?」
「残念なことだがその通り、敵は人海戦術で来るつもりだ」
「どういうこと?」
「国民が養えないほど多いことを逆手に取って、爆撃機を100・1000機の規模で差し向けてきた。1発の能力の大きいミサイルを少数撃ってくるのならこちらの自動迎撃ミサイルで間に合うが、1発の規模が小さくてもそれが多数来るとこちらの迎撃が間に合わない」
「だからあんなにたくさん、飛行機が飛んできたんだ」
「あれでも一応、迎撃はしたらしいんだがな。あのサイズの爆撃機1つに積める焼夷弾の数はたかが知れているし、焼夷弾1発で焼き払える面積はそれほど大きくない。だからうちの周りみたいに、ぽっかりと被害をほとんど受けない地域ができる。そこはつまり、迎撃が成功した爆撃機の担当範囲だった場所だな」
「なるほど。じゃあ、今回無事だったからと言って次回も切り抜けられる保証はないのね?」
「むしろ次回は、無事な所を狙ってくるだろう」
「私たちは、焼かれると困るものから、このシェルターになるだけの強度がある地下室に疎開させることが最優先になるのかしら」
「そうね、あたしもなくしたくないもの、いっぱいあるし」
「ではこうしよう。一人がそれぞれの避難させたいものを僕の部屋に持ってくる。一人が地下に、一人が梯子の出口である僕の部屋にいて、持ってきた荷物を地下室に運び込む。交代で役割を替われば効率が上がるだろう」
「うん、兄さんに賛成。お母さんもそれでいい?」
「いい案だと思うわ。誰から上に戻るの?」
「最後でいい」
「じゃあ、あたしがトップバッターになっていい?」
「分かったわ。じゃ、お母さんも一緒に上へ行くわ。まず私が梯子の上で荷降ろしをしましょう」
「母さん、足はもう平気なのか?」
「え、どうしたの」
「さっき慌てちゃって、ハシゴから落ちちゃったの。その時にくじいたんだけど、うん、もう大丈夫」
「ならいい」
 鉄扉が開き、葉村が帰ってきた。また目が少し赤くなっている。
「あ、山本のお母さん、私の母が少し話したいって」
「あら、そうなの。……はい、今代わりました。娘さんの同級生の山本祐樹の母でございます。いつもお世話になっております――」
 母さんがパソコンを持って、喋りながら鉄扉の外へ出て行った。
「……じゃあ、兄さんにはまず、ここの本をどうにかしてもらおうかな。これじゃ、ものを持ってきても置けないから」
「棚も上から持ち込んでくれないか。あまりダンボールに本を詰めたくない」
「いいわ、分かった」
「なに、何の話?」
 電話していた葉村にざっとかいつまんで説明する。
「そういう事。なら、私も下で整理の手伝いをさせてもらおうかしら」
「ダメよ、ななみさんはうちのお客様なんだから。働かせちゃ悪い」
「うぅん、これから短くない間、ここに住むことになると思うの。だから私はお客様じゃない。私もやることはやらなくちゃ」
「本当にいいの?」
「ええ、気にしないで。お姉ちゃんができたとでも思ってくれない? 実は私、可愛い妹ができた気分なの」
「分かった。よろしくね、ななみお姉ちゃん」
「こちらこそ、よろしく」
 女の子同士で、何やら話がまとまったらしい。初めて会った時のあの険悪ぶりは何だったのだろうと思ったが、口に出さないでおいた。可愛いどころか凶暴な妹に、更に嫌われたうえ再び蹴られてはたまらない。

 発電した電気を荷降ろし用の簡易エレベーター用の200Vに流し込む。急に負荷が大きくなり、地下室の蛍光灯が瞬いた。
「ちょっと、私、暗いの苦手なんだからけど!?」
 鉄扉の向こうから葉村の叫び声が聞こえたが無視する。
 既にいつもの元気を取り戻しているようだ。
「モーター、動いたわよー」
 反響して聞きづらくなった母さんの声が梯子の上端から聞こえた。
「この梯子通路、1辺は1.5メートルしかないから、あんまり大きなもの降ろして詰まらせるなよ」
 そう上に怒鳴り返す。
 降ろす荷物をまとめる間、下は暇だ。モーターが動き始める時にはまた蛍光灯がちらつくだろう。それまでの間、僕は先に本を移動させ始めている葉村を手伝うことにした。近くにいてやった方が怖くないだろう。

 僕の本は下水処理装置の操作室に詰め込まれることになった。既に地下室に置いてある本を片っ端から操作室に運び込む。
 ここもここで、防水処理がきっちりかかっている場所だ。湿って本が台無しになることはなさそうだった。
 葉村は余りの多さに辟易していたみたいだが、僕としては懐かしい本ばかりだ。つい手を伸ばしては葉村に怒られる。
「にしても、本当に古い本ばっかりだね。それも小説ばっかり、マンガも専門書もない」
「もともとあまり、漫画というものを読まないからな。専門書はたまに使うかも知れないと思って全部上に置いてある。滅多に解説書が必要になることはないけどな」
「専門書って、もしかして。コンピュータ系の技術書と解説書しかないの?」
「その通りだが」
「……。頭痛くなりそう」
「薬がいるのか?」
「そうね、欲しくなってきたかも。あなたを働かせるためのヤツを」
「そうか」
「と言いながら別の本を読み始めない!」
「そうは言うけどな、これ、なかなかいい本なんだぞ。1990年代に書かれた本でな――」
「あーはいはい、それはあとで聞くから、次の運ぼ」
「次って、この本簡単に取り出せなくなるんだぞ……」
「ぶつぶつ言わない」
 葉村が手厳しい。
「あ、小包届いてるじゃない。早くほどいてよ、本は私がやっとくから」
「傷つけるなよ、折るなよ、落とすなよ」
「言われなくたって。人の本を雑には扱いませんー」
 軽く頬を膨らませて葉村が出て行く。後姿を横目に見ながら地上からの小包からカラビナを外し、上から垂れるロープを軽く引っ張る。先端に結び付けられたカラビナが、梯子の横をするすると上がっていった。
 地下に届いたのは鍋2つとおたま、しゃもじ、泡立て器といった調理道具だった。4組のフォークとスプーン、ナイフ、箸がジャラジャラと鍋底で音を立てた。とりあえず部屋の中央に置いておく。
 いつの間にか妹の物は全部おろし終わったらしい。中央に置かれた枕やぬいぐるみ、目覚まし時計やその他こまごました雑貨やアクセサリー。意外と少なかった。
 そんなことを思っていると次の小包が届いた。かちゃかちゃと音がしてかなり重い。液体が入っているようだ。箱のなかみは調味料だろうか。
 荷物を縛っていた細いひもをほどき、カラビナに括り付けてロープを引っ張る。するする上がっていく。
 荷物はあとどれくらいあるのだろう。僕は上にある本だけだが。1000冊もなかったはずだ。ここに下ろしてある冊数と比べれば、たいしたことのない量だ。

5
 ある日、地上に上がったら数年間住んだ自分の家がなくなっていた。快適とは言わないまでも、住み慣れた町が痕跡だけになったその光景は少しショックを受けたが、それでもいつか近いうちに壊されてしまうと覚悟していた分、葉村よりは幾分ましだろう。
 そんな風に過ぎ去った2~3週間。地上の状況とは裏腹に、地下はたまに上から爆撃の振動が伝わってくる以外、平和だった。
 非日常に慣れ、それが日常になるためにはもう少し時間が必要な頃のある日。
 1日1回の郵便物確認の当番だった僕は、3日ぶりに地上へ戻って郵便受けを覗いていた。
 火を噴く金属管の雨が降っていない今、地上は、梅雨が明けて真っ青な青空が広がり、この数週間で新しく作られた地平線と、その向こうに山の連なりがよく見えた。しがらみも何もかもがなくなって、風は気持ちよさそうに吹いていた。
 新聞が来なくなって久しい郵便受けに、珍しく投函されていたのは1枚の薄赤色の葉書。
 切手の部分が丸い、料金後納郵便の印になっていた。宛名面中央には僕の名前、右には住所。左下には何も書かれていない。裏返して通信面を見た。
 想像した通りの内容だった。

憲法特別臨時改正のお知らせ。
戦時特別法の成立。
国民特別徴兵義務について。

 ほかにも。醜いほど細かい活字が並ぶ、やたら“特別”の多い文面。簡素で質素に、それは僕が徴兵に応じる義務を説き、出頭するよう命じていた。
 あくまで冷静に、僕はその葉書を曲げないように来ていたシャツの下に仕舞う。
 地下の3人に怪しまれないような時間で帰らなければならない。短時間でこれからの行動を考える必要があった。
 昔とは違う。僕はまだ、この世界を生き延びたい。
 生き抜く。この命題をかなえる可能性の最も高い行動指針を決定せねばならない。
 目をつぶり、しばらく思いにふけり、――僕は自分の未来を決めた。
 一人で、山の中に逃げる。
 国の内部事情を現在進行形で知りすぎている僕の運命は2つに1つ。
 すなわち、産業情報庁諜報部でシステム開発と敵国中枢への|情報戦担当《不正侵入者》になるか、もしくは全線の一番死にやすい部署に送られるか。
 可能性としては前者のほうが高い。しかし、方々に恨みを買っている僕には後者の可能性も少なからずあった。だとしたら、生き残る可能性が高い案を新しく作るしかない。
 山の中に、僕は隠れよう。そこで一人で生活し、終戦後に改めて身の振り方を決めよう。何食わぬ顔で家族の前に帰ってもいいし、全く違う人間として生きるもいいだろう。
 うちの母屋は全壊してしまったが、屋根に取り付けられていた太陽光発電パネルは爆撃前に回収してある。軽トラをどこかで拾って、その荷台に載せて置けば人里離れた山の中であっても電気は、パソコンは使えよう。
 ただ、できればそんなことはしたくない。見つかった場合のリスクが大きすぎるからだ。逃走決行前に、産業情報庁へ直接、情報戦担当者に志願しておこう。
 ……さあ、もう戻らないと怪しまれる。言い訳になるような要素は、既に焼け野原の仲間入りをしたうちの近くにはない。詳しい“作戦”の立案は、地下室でも十分、間に合う。
 家族や葉村が寝ている早朝なら、立案に気兼ねは要らない。
 出頭命令は1週間後。それだけ時間があれば十分に脱出計画を練れるし、産業情報庁からの返信を待つ時間として適切だろう。
 だとしたら今、気をつけなければいけないのは。
 梯子から落ちて怪我をしないこと。家族に感づかれないようにすること。

<無題> Type1 第4章原稿リスト
第3章原稿リストに戻る 第5章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 無題 |

無題Type1第8章第1稿

2013.10/11 by こいちゃん

<無題> Type1 第8章原稿リスト
第7章原稿リストへ戻る
<無題>トップへ戻る

第8章

1
 私の日課はそれから、基地内の散策になった。あっちへふらふら、こっちへふらふらと歩き回る。もらったカードで入れない場所はわずかな例外を除いてないも同然だった。唯一の難点は、外へ出るためにある唯一のエレベーターが“わずかな例外”の一つだったこと。もうこの2ヶ月というもの、太陽も空も星も月も見ていない。
 私には退屈を紛らわせる手段が散歩しかなかった。学校に通っていたころはあんなに待ち遠しかった暇のある休みが、いまとなっては苦痛でしかない。私はまだ10代だ、やることが無くて夜も早く寝ると、昼寝すら満足にできなくなる。学校に通っていたころはあんなに望んでいた暇な時間は、やること・出来ることが無ければまったく価値がないのだと痛感した。

 しかし山本は今、山と積まれた仕事を一つずつこなしているのだろう。
 なぜ、あんな悲惨な目に遭っておきながら今なおクラッキングを繰り返すのか、聞いたことがあった。その時彼はこともなげにこう言った。
 僕にはもうこれしか残っていないからだ、と。
 私はそれを否定したが、彼は笑って、もう何も言いかえさなかった。そんな彼のことだ、私のことなんて何も考えずキーボードと格闘しているのだ、きっと。
 私がそれを寂しく思うという事を、今さら思い知った。
「彼に次、会えるのは何時だろう」
 油断するとそんな独り言ばかり言っている気がする。

 葉村はどうしているのだろうかと、毎日悶々としながら専用のベッドに縛り付けられたまま僕は課せられた仕事を手当たり次第に片付けていた。
 奴らの監視をかいくぐってどうにか、葉村だけでも逃がしたい。そのための仕掛けを、自分が一人で立つ体力が残っているうちに実行できるようにしておかなければならない。
 自分が帰れなかったときに必要な記録も用意しておいたほうがいいだろう。
 そのためにはさらに仕事のペースを上げて、並行でやるべきことをこなすしかなかった。

2
 そしてその日は何の前触れもなく訪れた。
 停電だ。自前のバッテリーを持つノートPCのバックライトがまぶしい。

「きた、葉村、よし、やった」
 システムに仕掛けておいたトロイの木馬が活動を開始したのだと信じて、僕は逃走の準備を始める。苦労してのっとっておいた拘束具の管理系に開放を命じると、はたして偽の主人のコマンドをあっさり受け付けた。この僕を縛るためのものが、コンピュータによって制御されている。敵は思ったよりマヌケなのかもしれない。ちなみに監視システムは今も、ダミーのデータをサーバーに送信し続けている。
 1ヶ月あまりベッドに固定されていた足が急に全体重をかけられて悲鳴を上げた。一歩、進もうとして僕は派手に転んでしまった。
 それでも僕は自分の着替えに手を伸ばす。
 ストレッチしながら、立ちくらみをこらえながら作業着を着こむと、ベッドに引き返して愛用のノートPCを手に取った。
 経過時間は約1分。停電から無線LANが回復しているのを確認し偽装アドレスで接続を試みる。
 成功。
 やはり、僕のトロイの木馬が動き出していた。マスターサーバーのメインシステムが攻撃を受けたことを認識し、自動的にサブシステムに切り替えようと停電を引き起こし、失敗したために回復までの時間を引き延ばした。
 仕掛けは全て正常に、システムを正常でない状態にしていた。

 これで基地全体を管理するシステムは僕の手の中にある。手始めに監視カメラ網に侵入した。
 僕がいるこの狭い部屋の外に誰かいるのか、葉村は今どこにいるのか。
 それを知るために。

3
 今が夜の時間帯、一番動いている職員が少ない時間帯だったのはひとえに僕らの運がいいからだろう。葉村は食堂にいた。PCに表示される構内図と監視カメラの映像で人のいないルートを選び葉村との合流を図る。
「おい、葉村ななみ!」
「――山本っ!?」
 暗闇のなか、僕が持つ懐中電灯に照らされた彼女は、まぶしそうに光を遮りながら振り返った。
「迎えに来た」

「確かカードキー、持たされていたよな。それ、貸してくれないか」
「パスのこと? うん、いいけど」
 葉村からカードキーを受け取り、裏のバーコードに記載された数字をデータベースに侵入して照会、入室権限を最上位のマスターキーに設定する。
「よし、行くぞ」
 厨房に入る。

「……狭いんだけど」
「文句言うな、連中の盲点を突いたほうがいいとは思わないか」
「というか、重すぎて壊れたりしない?」
「ちゃんと確認してある。余裕だ」
 厨房の隅には荷物用のリフトが設置されていた。恐らく、この下にある各階層の詰所に直接料理を届けるため立ったのだろうが、実際には各階の詰所は使われていないので必要ないらしい。食べ物による汚れよりも埃による汚れのほうが目立っていた。
 普通の店や学校なんかにおいてある機械より、一回りも二回りも大きいリフトに僕らは無理やり乗り込み、第8階層へ向かう。
「いいか、動かすぞ」
 荷物用だから当然外にしかないスイッチを押し、素早く手を引っ込めると、扉が閉まるとがくんと揺れて下降を始めた。
「……真っ暗ね」
 やがてまた揺れて停止し、ブザーの音と共に箱が開いた。

 丸腰の僕らはやっとたどり着いた詰所に職員がすでにいたらゲームオーバーだったが、幸いにも運はまだ僕らの見方をしているらしい。部屋は真っ暗だった。赤外線監視カメラ映像でチェックした後、蛍光灯を点けて再度確認したが、詰所には誰もいなかった。
「これからどうするの?」
「まず、現在位置だが。今いるここは第8階層の職員詰所だ。見ての通り今では使われていない」
 置かれていた事務机の天板に指を走らせると、埃の跡が残った。
「第8階層には何があったか覚えてるか?」
「……確か、倉庫じゃなかったっけ」
「正しくは武器庫と薬品庫、燃料プールだ。まず、敵に見つかった時に使える武器を手に入れる。時間があったら薬品庫と燃料プールの中身でこの階層を使えなくする」
 敵も武器を持っていたらせっかくのアドバンテージが意味をなさなくなってしまう。
「戦う、の?」
「いざという時に備えるためだ、戦わないで済むに越したことはない」
「ノリノリに見えるけど」
「気のせいじゃないか? 僕の目的は葉村がここから逃げ出せるようにすることだ」
「わかった、じゃあさっそく動こ、時間ないんでしょ」

 監視カメラの映像で、まだ誰も第8階層まで下りてきていないことを確認。
 斜向かいにある武器庫をあらかじめ遠隔で開錠しておく。コンピュータシステムから遠隔ロックできるようになっているということは、もちろん逆もできるということでもある。
「行くよ」
 足の遅い僕が詰所から第8階層に入ったことが分からないようにし、葉村には先に武器庫に入って待機してもらう。
「いいぞ」
 廊下の横断、成功。無事武器庫に転がり込む。
「何を探すの?」
「とりあえず手軽に扱えそうな銃だ」
「私、銃なんて詳しくないよ」
「僕もだ。適当に、たくさんあるのを選べばいいんじゃないか?」
 同じものばかりが何十丁もある様子を想像していたが、天井まで届く棚には無機質なラベルが貼られて、長いの細いの丸っこいの、様々な銃が並んでいた。
 どれを選べばいいか見当もつかない。小さければきっと体力不足の僕や女子の葉村にでも扱えそうだと勝手に決めつける。
「こういうのって、素人が下手に使うと危ないんじゃないの?」
「持ってないよりはましだろ、きっと。……よし、次へ行くぞ」
「うん」
 警戒しつつ向かったのは隣の薬品庫だ。

「なんか、思ってたより散らかってないね」
「ここは来たことなかったのか」
「面白くなさそうだったんだもん」
「……まあ、普通はそうだろうな」
「何を探してるの?」
「塩素系漂白剤とさらし粉だ」
「漂白剤? 分かった」
「いや、君は酸を探してくれ」
「さん? 薬品でさんっていうと塩酸とか硫酸とか?」
「そうだ」
 やがて見つかった箱入りの漂白剤と、おそらく風呂の消毒に使うためだろう大量に保管されていた消毒薬。酸に、亜鉛や鉄など金属の粉末試薬を、葉村に頼んで入口の広いスペースに運んでもらう。
 その間に僕は金属を集め、換気扇を止め、必要ない電灯を消しておく。
「何やるの?」
「化学の授業で習ったことだ。塩素と水素を混ぜると何が起きる?」
「え? ……塩酸だっけ」
「正確には塩化水素だが。その時に何が起きる?」
「……ゴメン、覚えてない」
「爆発する」
 NaClO、つまり次亜塩素酸ナトリウムは“混ぜるな危険”と書かれた漂白剤に含まれる物質だが、強酸と混ぜると有毒な塩素ガスを発生させる。さらし粉とも呼ばれるプールの消毒などに使う消毒薬、Ca(ClO)2つまり次亜塩素酸カルシウムも同様に塩酸と反応して塩素を出す。
 この塩素だけでも人が命を落とすには十分な毒性を持つ気体だが、更に金属まで持ってきてもらったのにはわけがある。強酸に金属を入れると発生する水素は、塩素と混ぜると光によって爆発的な反応を引き起こして塩化水素になる。この塩化水素を水に溶かしたものが塩酸、これも強力な酸だが、僕が意図したのはこの、光によって爆発的な反応を起こす、という点だ。
 暗く密閉した部屋で塩素と水素を十分に発生させ、遠隔でその部屋の電灯を点ければ、簡単な遠隔制御の爆弾になるはずだ。はずだ、というのは、実際にやったことがないからだ。
「あっちに塩酸と消毒薬、そのあたりに硫酸と金属を撒いてくれ。僕は漂白剤と余った酸をやる。火傷するなよ」
「分かった」
 最初こそ瓶のふたを開けてちまちま出していたが、途中から面倒になったらしい。葉村は豪快に瓶ごと投げ始めた。ガラスの砕ける音が心地いい。
「……火傷もだが、怪我もするなよ」
「へーきへーきっ」
 ストレス発散ー、と叫びながらガラス瓶をたたきつけている。
 そうこうしているうちに、あっという間に見つけてきた瓶をすべて壊して、もとい中身をすべてぶちまけてしまった。
「嫌な臭いだね」
 薄い緑色の気体が発生しているのが分かる。
「早く出よう。反応しないうちに」
 葉村を促し、薬品庫の扉を閉鎖する。
「次は?」
「燃料庫。ガソリンがあるはずだ」
「了解」
 隣の燃料庫の前に立つ。
「時間がない、行くぞ」「うん」
 発電機が使うギリギリの分を除いて、保管されていた石油が入っていそうな容器のことごとくを倒して回る。すぐに揮発した独特のにおいが充満してきた。
 その時、ちらと見たパソコンの画面に、敵が階段を下りてくる様子が映った。
「まずい、そろそろ行くぞ。敵が下りてくる」
「これで最後、ねっ」
 一抱えほどもある大きな缶を、手近な棒をてこに無理やり倒し、そしてやはり元の通り、隔壁を閉める。
「こっちだ」
 来た方とは反対側にある非常階段室に潜るのと、敵が通路の反対に現れるのはほぼ同時だった。
「……見つかった!?」
 ひそめた声で彼女が聞いてくる。
「いや、ぎりぎり見つかっていないようだ……と思いたい」
 パソコンのディスプレイを見ながら答えた。あやふやな言い方をしたが、おそらく見つかっていないだろう。
 ディスプレイのリアルタイム画像に映る敵は、注意深くわざと不自然な閉まり方をしている武器庫に注意を払っていた。
 重い足に無理をさせながら、足音を立てないように、僕は階段を登り始めた。

4
 第5階層。

 階段室から出て通路のこちら側にある詰所で息をひそめていた。
「さっきの。どうやら見つかっていたらしい」
「……嘘」
「普段ならともかく、こんな時には吐かないさ。どうやら追いかけるまえに罠がないか調べようとしたらしい」
「罠って……頑張って硫酸まいたのに」
「いや、薬品庫は後回しになったみたいだな。やつら、武器庫の点検をしているようだ」
 こわばっていた葉村の肩が少し、緩んだ。
「そっか……。何を盗まれていたかを調べれば、私たちがどんな武器を持ってるか分かる、ってことね」
「そうだ」
「それで、私たちはこれからどうするの?」
「逃げる」
 当たり前だ。まだシステムは僕の手の中にある。
「薬品庫のトラップが成立するまで、あと僕の足が動けるようになったら、ここから出てエレベーターホールまで走る。そこから第1階層まで上がってエレベーターに乗り換えて、地上に出る」
「乗り換えるの?」
「地上に出るエレベーターは第1階層まで行くものしかない。どうしても乗り換えないと地上へは行けないんだ」
「そうなんだ」
 初めて知った、という顔をする葉村。
「あちこち見て回ってたんじゃないのか?」
「入れないところに興味ないもん」
「……」
 分からなくはないが。
「とりあえず行動方針はそれでいいか?」
「うん、いいよ。大丈夫、きっと2人で逃げられるよ」
 にっこり笑った彼女はどこか、遠かった。

「それで、君は何をやってるの?」
 パソコンにつないだ、カートリッジ式の光学ディスクを頻繁に入れ替えながら僕は答える。
「システムのバックアップ。うまく逃げられたって、土産の一つもないんじゃつまらないだろう」
「よかった、ちゃんと君も逃げるつもりなのね」
「……え?」
 つい、まじまじと葉村を見返してしまう。
「だってね。君のこと見てると、山本は一人でここに残るつもりなんじゃないかな、ってそんな気がして、不安になるの」
 黙り込む。肯定ととられるかもしれないが、それでも生半可な言葉が継げなかった。
「自分だけ一人残って、逃げる私を助けるために内側から組織を壊して」
 微笑みながら、遠くを見るような目は笑っていなかった。
「私が一人で家族のいる、“本来私がいたはずの”場所に帰らされるんじゃないかってね」
 いかにも僕が言いそうな、そしてするつもりだったことを言い当てられた。
「……こんなバカなことってないよね。ちゃんと二人で、帰れるよね……?」
 時々鋭いことを言って困らせるのはいい加減やめてほしかった。
 ――もちろん知っている。それは単なる自分のわがままにすぎないということを。
 彼女の言うとおりだ。自分はこの薄暗い研究所を、破壊しつくすつもりだった。
 ――彼女を無事に逃がすためと言い訳して、でもそんなものは個人的な復讐に過ぎない。
「私は、もう、とっくに、決めてるの」
「……何を?」
「一生、君の荷物になり続けることを、君に添い遂げることを」
 ――自分の価値はそんなに――
「だから君がここに残ると言ったら、私は無理やりにでもここに居座るわ」
 ――自分に誰かの何かを失わせる決断するほどの価値は――
「誰が何を言おうとも、君がどんな強引な手を使ってでも」
 ――やめてくれ、僕は、俺は、
「動けなくなっても君の隣にいる。だって私は君のことが」
 ――続きを言わないでくれ、お願いだから、引き返せなくなるから、その続きが向かう相手としての資格がないから……
「好きなの」

 ――俺は誰かに好かれていい理由がないのだから。
「やめてくれよ……っ」
 柄にもなく、反射的に大声が出てしまった。落ち着けと頭の片隅にいる誰かが叫んでいる。
「俺には誰かの告白を受ける資格なんてないんだ、君なら分かってるんだろう!?」
 だが俺は誰かの忠告を無視した。
 人のことを考えず目的のためなら手段を選ばない。人を平気で撃ってなんとも思わない。人らしい感情を持ち合わせていない。そういうやつはすでに人じゃない。つまり、
「俺はすでに人じゃねぇんだよ!!」

 がさつで、食べれられれば構わない程度の飯ばかり作って、1日中コンピュータとにらめっこしてさえいればそれで良くて、人のことなんて考えず目的のためなら手段を選ばなくて、
話すことはつまらなくて頭が良くてもそれを生かそうともしないで頑固で感情が無くて人の役に立たなくて会話が成立することがまれで花の名前もろくに知らなくて。
 俺なんかに葉村みたいな“できた娘”が釣り合うわけがない。
 何しろ彼女は料理が旨くて、自給自足ができて、掃除ができて、人を気遣えて、
可愛くてセンスが良くて話すと面白くてユーモアがあって笑うと左側にだけえくぼができて涙もろくて頭が良くて優しくてよく何もないところで転んでそんなドジなところも魅力的で猫舌でアイスを食べると頭が痛くなって醤油が好きで花粉症で朝顔が好きでちょっと気が強くて

 愕然とした。
 俺はどれだけ彼女の事を観察していたのか。
「……君、ねぇってば、山本くん!?」
 思ったよりショックを受けていないのか。
「え、あ、う、その……どうした」
「怒鳴ったと思ったら今度は急に黙り込んで、なんなのよ!?」
「あれだ、うん……えっとすまん」
 彼女は普段と違わないように見えるのに対して、俺は何故かどこか葉村を意識して普段通りの受け答えができない。
「……?」
 訝しげに首をひねる彼女を見ていられなくて、気まずく顔をそむけた。
「で、どういう事よ。人じゃないって」
「それはその……、俺は。つまり他人のことなんて考えていなくてだな」
「知ってるわよ、そんなこと。考えてないように振舞ってるくせに、誰であっても巻き込まないようにずっと周りばっかり見てることくらい」
 虚を突かれた。
「俺が? 周りを見ている?」
「そうじゃない。おばさまにも妹さんにも勝手をすること黙ってたのは、行き先を知っていると酷いことされるかもしれないからでしょ? 私がついていくって言った時だって必死に止めようとしたし」
「いや、それはただ単に、居場所が知れると面倒だったからであって」
 というか周りの人間を信頼していないのだ。
 だが彼女は違う意見だったらしい。一つ深いため息をついて、
「いい加減、自分をだますのやめたら?」
 あきれたように言う。
 もう絶句するしかない。
「前から思ってはいたのだが。人を疑ったことはあるか?」
「あたりまえじゃない。君を疑ってるから性にあわないこと言ってるんじゃない」
「……そういう意味ではないんだが」
 彼女には勝てなさそうだ。思えば彼女に口で勝ったことが今まであっただろうか。
「でもそんなことどうでもいいわ。重要なのは」
 どうでもいいらしい。確かに、今このシチュエーションにおいてこんな押し問答をしていても仕方がない。たった今、重要なのは、どうやってこの研究所から逃げ出すことだ。
「山本祐樹という名前の人間がたった今、前にしている女をどう思っているか、よ」
 違ったらしい。
「そんなこと、ちっとも重要じゃないだろう。第一答えは簡単じゃないか、俺が葉村をどう思っているかだろ。つまり――」
 ……。
「つまりだな――」
 …………俺は彼女をどう思っているのだろう。
「その――」
 ふと葉村を見ると目が合った。あわてて顔を背けなおすと、視界の隅で彼女が真っ赤になってうつむいていた。

 頭の中は大混乱に陥っていた。彼女をどう思っているか。それを表す言葉を僕は知らなかった。今の俺なら分かる気がするが、“答え”があっているか自信がなかった。
 生半可な考えで“答え”ては失礼だろう。完全な“答え”が欲しい。彼女は命を懸けてついてくると言った。ふさわしい“答え”があるはずだし、間違いは許されない。

 そんなとき、頭の片隅で逃げちゃえとささやかれた。
 “答え”を待っているらしい彼女をまた盗み見て……続いて|思い出した《・・・・・》パソコンのディスプレイを見て、凍り付いた。のっとったままの監視カメラが送る映像に、すぐ下の階層を走る兵士の姿があったからだ。
「まずい……」
「え?」
「今、こんなことをやってる余裕がないことくらいわかるだろ!?」
 自己嫌悪で八つ当たり、葉村を強く怒鳴りつけた自分がますます嫌いになった。
 いらだったようにパソコンを操作する僕を見て、葉村はぽかんとした。すぐに羞恥と悔しさが混ざった表情が浮かんで、背を向けて膝を抱えてしまった。
 馬鹿だ。
 彼女はこんなどうしようもないやつに好意を向けてくれたというのに。どうしようもない奴はやはりどうしようもない最悪の“答え”しか返すことが出来なかった。

 エンターキーを押し込んだ。1拍の後、階下から振動と爆発音が届く。
 塩素と水素は、残っていたガソリンと未使用の弾薬を巻き込んで、想像以上の働きを見せてくれた。
 自分よりはるかに役に立つ2つの気体に、俺は少しばかりの嫉妬を覚えた。

 僕らは詰所を出て、エレベーターホールを目指し第3階層の廊下を縦断する。

5
 足音を立てて走りながら、上がった息の合間に葉村へ話しかける。
「君が逃げるのに、僕はついていけそうもない。申し訳ないがあそこからは1人で逃げてくれ。いいかい、今後の計画を説明するから、よく聞いてほしい。あの突き当たりの……」
「――」
「……あ? 何か言った、よく聞き取れなかった」
「嘘つき」
 前を向いて走りながらそう返すと、斜め後ろにいた葉村が僕のひじをつかんで立ち止まった。
「は?」
 立ち止まらずをえなくなり葉村に向き直ると、彼女は僕を赤い眼で睨みつけていた。
「そんなの嘘だ。いろいろ考えて、ちゃんと実行できる計画を立てる山本祐樹は、そんなつまらないミスなんてしない。私一人で逃げるのは最初からそう決めてたんでしょ?」
 その通りだ。
「ちょっと考えれば私にだってすぐ分かるの。私はここじゃ、天才だけど簡単には言う事を聞いてくれない面倒な|外注《君》を無理やり働かせる、そのためだけにいる無駄飯食いよ。当の本人にはこれっぽっちも、なんとも、思われてないのに。君が仕事を終えるまでって言われてるけど、どうせ次から次へと仕事が尽きることはないでしょう。するといつまでたってもうちに帰ることはできないし、君がここに居続けるという事は君を働かせつづけるために私だって何処へも行けずにこの研究所の中で年を取っていくんだわ。だから君は、はやいうちに私を外に逃がそうと考えてくれたんだ。そしてほとぼりが冷めるまではちゃんと言われたことをやって、そのあとはなるようになれとでも思ってる」
「分かってるなら言うことはない、さっさと逃げろ」
「嫌だ。理由はもうさっき言った」
「いい加減にしてくれよ。いつまでわがまま言ってるんだ」

 俺がわがままなんだ。葉村は本当に、俺がお前の気持ちに気付いていないと思っているのか。
 俺が何故こんなに“他人”の未来を気にしているのか、自分でその理由が分からずに行動している、わけがないだろうに。

「すまないが」
 ある意味では、俺は喜ぶべきだった。こんなどうしようもない人間を好いてくれる相手に巡り合えた運。そして、それを相手に気付かせないでおこうと決め、その思惑が成功していたこと。
 そして彼女は傷つき悲しむ。こんなどうしようのない人間を好いてしまったことを。相手も自分を好きだと気付けなかったことを。
 俺は彼女が傷つくことを理解したうえでしらばっくれる。片思いだと思い込んでいたほうが、長い目で見れば彼女の傷が浅くすむはずだと思うから。
「君が何を言っているのか、僕にはさっぱり分からないよ」

 だからこそ、僕は自分に嘘を吐く。彼女の指摘は間違っていない、僕は自分をだまし続け、だまされ続ける。
 俺が“彼女”のことを好きだという事に。
 決して、“彼女”に気付かれないように。

「……私は、君にとってさえ、価値がないの? 勝手に連れ出した責任感から本来いるべき安全な場所に帰す、それだけなの?」
「そうだ、それだけだ。お前に書ける労力にそれ以上の意味なんてない。だからさっさと、素直に言う事を聞いてここから去ってくれ」
 葉村はしばらく僕をにらみつけたまま黙り込み、おもむろに
「分かった、なら自分の好きにするわ」
 と言った。
「私はここからいなくなって、二度と戻ってこない。……その銃、貸してよ。女の子1人にするのに、武器がないなんて危ないじゃない?」
 半秒ほど逡巡してもっともだと判断する。
「もう予備の弾、こっちのマガジンに入ってる分しかないからな。無駄遣いするなよ」
「大丈夫、私に必要なのは、たった1発だけだから」
 葉村は笑いながら拳銃を受け取り、大きく3歩下がった。ごく自然に銃を上下さかさまに持つ。
「じゃあ、もう会うことはないでしょうけど。――またね」
 そう言って彼女は自分のあごの下に銃口を構えた。
「……おい、待て」
 こんな展開は流石に予想していなかった――。あわてて手を伸ばそうとしたが、鈍った体はついてこれずに足をもつれさせてその場に転んだ。
「やめろ」
 呻き声しか出せない僕は今後の自然な成り行きを脳裏に思い描いて。
 止められない自分を恨みながら、彼女を追い詰めた自分自身を憎みながら、せめて彼女の最後を見届けなければいけない――。

 ……火薬がはじける音がした。

 想像より遠くで。

「っ」
 凍り付いたような世界で、なくなったのは葉村の頭ではなく持っていた銃だった。
「……なんで」
 手からもぎ取られた銃が少し先で地面に落ちた。
 その反対側には、場違いなスーツで決めている男と、守るように立つ灰緑の作業着を着た4人の男がいた。
「中佐」

6
「お嬢さん。誰の許可を得てそんな勝手な真似をしようとしたんです? お渡ししたパスで入れる場所ならどこに行ってもいい、とは言いましたが、その隣で這いつくばっているモノと会談していいだなんて、ましてや死んでいいなんて、誰に言われたんですか?」
「誰かに許可をもらわなきゃいけないの?」
「当たり前じゃないですか、あなたは我々に養われているのです。給料を先に払っているのですから、あなたの仕事が終わるまできちんと働いてもらうのは当然のことでしょう?」
「……最初にそんなこと言わなかったじゃない」
 葉村の言葉に答えず、中佐は話を逸らす。
「そもそもあなたたちは国の呼びかけに応えなかった犯罪者ですからねぇ。戦時中だという事を忘れてはいませんか」
 逸らされたことに気付かないほど頭に血が上った彼女は、言う事がなくなて悔しそうに唇を噛んだ。
「我々が甘い顔をしているうちに、もといた場所に戻ることをお勧めします」
「それは我が家のことじゃなくて、私に割り当てられたあのせまっくるしい部屋のことよね」
「あなたの家は既にあの個室ですよ。相部屋にしなかっただけ親切だと思って欲しいものですが」
「お断りよ。私は彼と一緒に逃げるの」
「その彼はあなた一人だけを逃がすつもりのようですが」
「なら私は今すぐここから“逃げる”だけよ」
「わがままですねぇ。せっかくきれいな顔をしているのに、お嫁に行けませんよ」
「物理的に行けないじゃない」
「私の部下はだめですか。仲人を務めさせていただきますよ」
「断固拒否させていただくわ」
「そうですが、残念ですね。……失礼」
 中佐は耳をおさえた。どうやらトランシーバのイヤホンを着けているらしい。
 満足そうに数度うなずくと、一言二言何かマイクの向こうに言って僕らに向き直った。
「もしかして君、私がただ単に親切心からこんな無駄話をしていると思ってはいませんよね?」
「……どういう意味よ」
「この君との会話は単なる、時間稼ぎにすぎません。私の部下たちに脱走者2人を捕まえるための準備をしてもらっていたのです。それなのに上官が何も仕事をしていないのは申し訳ないじゃないですか」
「……」
「どうやら用意が出来たようです。猶予時間は過ぎました。命令違反を謝らないばかりか、私の大切な部下たちを殺したバカな子供たちに、慈悲を与えるほど優しくはないのでね。残念ですが、君たちの望み通り“逃げて”もらうことにします」
 葉村が絶句した。
「君の相方のウイルスが壊してくれた我々のマスターサーバーをネットワークから切り離す準備が整ったそうです。あと5秒で切り替えます」
 カウントダウン。
「3……2……1……、今」
 通路の様子は何も変わらない。が、僕がまだ持っていた端末の画面に表示された、切り替えられた事を示すメッセージを覗き込んだ葉村が息をのんだ。
「そんな」
「事実ですみません。それにしても残念でしたね、|予備《スレイブ》サーバーへの切り替えにもう少し時間がかかると踏んでいたのでしょうけど。さすがに前科のあるものにシステムをいじらされるわけですから対応策はきちんととってあるのですよ。これで|主《マスター》システムはウイルスの解析用に保存され、ワクチンを適用しますから同じ手は使えません」
「随分優秀なオペレータたちだな。頭が下がるよ」
「そうでしょう? 君にはもう少しばかり働いてもらうつもりだったのですが、今回のことはさすがに許せません。不正プログラムを実行させないための対策は見事に破ったわけですから有能なことには違いありませんが、部下への示しも付きませんしね。せっかくのチャンスを不意にしたのはそちらですから悪くは思わないでください」
「誰が褒めたか。相変わらず詰めが甘いと言ってるんだ、ほら」
 無造作にエンターキーを叩いた。

 照明が一瞬、通路を白い光で焼いて消える。
「……なっ!?」

「葉村、行くぞ」
「えっ、うん」
 直前まで、倒れ込んだ体の陰に隠れて目をつぶっていた僕はともかく、葉村も恐らく光で目をやられているだろう。バックライトで位置を特定されないように端末のディスプレイを閉じて、葉村の手を引いて前へ進む。
「こっちだ」
 エレベーターホールの非常階段に飛び込んだ背後で、銃声が聞こえた。
 閉じて内側から施錠した防火壁に、開くと破裂するようにクラッカーを仕掛ける。
 小さく悲鳴を上げる葉村を前に押して階段を四つん這いで登らせた。
「まだ何も見えないか?」
「うん、……もうちょっと」
「分かった。そのまま2層分、この階段の一番上の第1階層まで登るんだ」
 葉村の四つん這いと僕の立った全速力がほとんど等しい。
「着いた」
 第1階層にたどり着いたところで階下から破裂音が聞こえた。
「そうだ、急げ」
 階段室から転がり出てすかさず防火壁を施錠する。手近なコンセントから導線を引っ張って、触れたら感電するようにしたところでもう一度エンターキーを押した。
 先ほど変圧器の設定を無理やり変えて落としたブレーカーが、自動修復処理をしてから通電を許可する。
「コンピュータ系インフラが他の施設の電気系統から独立してて助かった」
 僕の仕掛けはごく簡単だ。メインサーバーに侵入するとき、電子戦をする時につかうダミーシステムをマスター・スレイブどちらも展開しておいた。それをここの職員は見事に本来修復すべきシステムと勘違いしたのだ。彼らはダミーのメインサーバーをネットワークから切り離し、ダミーのスレイブサーバーをメインとして再設定したのだ。本来侵入者に目的のシステムだと勘違いさせるためのダミーシステムは、その管理者さえもだましおおせた。
「だから実際にはまだ侵入されたままの、本物のメインサーバーが施設を管理してる。僕は思い通りに動かせるメインサーバーに一般電源系の変圧器の設定を変えさせて、3倍くらいの電圧を回路にかけたのさ。すると電灯は一斉に明るくなって故障する。ブレーカーは落ちて停電する。停電してるからむき出しの電線に触っても感電せずに済むけど、今ブレーカーを直したからね。切れた電灯は点かないで薄暗いままだけど、あの金属の防火扉は今頃触るとしびれるだろうね、エアコン用の200Vを流してるから」
 葉村へ勝手に解説しながら、僕は端末を操作する。
「よし、地上行きエレベーターの凍結解除完了、これですぐに来る」
 地上へつながる、今では唯一の生きているエレベーターに遠隔で電源を投入した。
「葉村、まだ動けるよな」
「うん、大丈夫。……やっと外に出られるってのに、実感わかないけど」
「研究所内はある程度、自由に動けたんだったか? ならここまでは来たことあるんだもんな。そりゃそうだよ」
「帰ったら何する?」
「気が早いな」
「そうかな」
「そうだ。まだ逃げ切れるか分からないのに」
「ずっと信じてたもん、助けに来てくれる、って」
「どっちかっていうと僕のほうが助けに来てもらいたい状況だったんだけどなぁ」
「だって自分で逃げれたじゃん」
「それもそうか」
 不意に葉村が黙り込んだ。
「……どうした?」
「ね、本当に、君も一緒にここから出てくれるの?」
「ああ」
「じゃあ、さ。聞かせてよ、私への答え」
 答えようとしたところで、ポーン、と軽い音を立ててエレベーターが僕らを迎え入れようとする。
 不意にエレベーターホールが明るくなった。
「……乗ろうぜ」
「うん」
 ちょっと不満そうだった。
「……あっち、暗くて何にも見えないじゃない?」
 エレベーターに乗りながら、第1階層の通路の奥を指さして葉村がそう言った。
「でもここは非常灯が私たちを照らしてる。状況は全然違うのに、なんか映画のワンシーンにありそうだよね?」
「……写真でも撮るか」
「写真? どうやって?」
「あそこに監視カメラがついてるだろ、それで」
 置き土産を仕込み終え一通りすべきことを終わらせた僕は、改めて施設の監視カメラ網に侵入した。
「ほら、もっと寄って」
「……こんな、かな」
 照れたように、彼女は肩が触れるか触れないかくらいまでしか寄ってこない。
「……もっと、だ」
「え、きゃ」
 じれったくなった僕は彼女を抱き寄せる。暖かかった。
「ほら、はいチーズ」
 瞬時に真っ赤になった葉村を画面越しに見て、すかさずスクリーンショットを撮った。
カシャ
 電子のシャッター音が、冷たい暗闇に反響する。
「――な、ゆ、え、……」
「ほら可愛い。もう一枚――」
 恥ずかしくてぐにゃぐにゃになっている葉村の手を自分の方に回させて、もう一度。
 より頬を染め、目を少しうるませた彼女が笑い方を忘れたようなぎこちない表情の男と写っていた。

「俺さ。感情、戻ったみたいなんだ」
「うん、知ってた」
「そうか。……“答え”があってるか分かんねぇんだけど、さ」
「うん」
「多分、俺もお前のことが、その……」
「うん」
 恥ずかしい。続きが言えない。
「……」
「……」
 くっそ、
「俺もお前がっ、好きになってたみたいなんだ」

「…………そっか」
 彼女は呟くようにそう言った。

 俺らはそのまましばらく動かずにいたが、やがて葉村は背伸びをして、俺の耳に息が届くほど近くまで顔を寄せた。
「ありがとう」

 ゆっくりとエレベーターの扉が閉まる。地上へ動き始める。
 上昇するエレベーターのケージの中で、俺らは――。

<無題> Type1 第8章原稿リスト
第7章原稿リストへ戻る
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 無題 |

無題 Type1 第7章 第1稿

2013.07/25 by こいちゃん

<無題> Type1 第7章原稿リスト
第6章原稿リストへ戻る 第8章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第7章

1
 視界が赤い。瞼を流れる血管の色が、外の光源が強いせいで見えているのだろう。
 頭の中心にぼぅっとしたような感覚がある、不自然に鼓動が早い。それを除けば、体に異常はなさそうだ。
 目をつぶったままできることをした後。少し考えた末に、そのまま寝たふりをして予想をたてておくことを選ぶ。赤い視界を我慢して、耳を澄ます。
 どれくらい経ったのだろうか。不意にすぐ横で人が動く気配があった。
 大きな欠伸らしき音。
「ここ、どこ……?」
 葉村の声。
「眩しすぎるでしょ、壁がこんなに真っ白なら、電気半分くらいでも十分よ」
 電気がもったいない、とつぶやいている。
「……あれ、私、スコップをどこにやったんだっけ。山本と昼寝するつもりで物置に片づけたんだっけ?」
 緊張感のない独り言。
「おかしいなぁ、記憶が曖昧で……確かジャガイモを掘ることになって……山本が袋を取って来てくれることになって……それからどうしたんだっけ」
 彼女はどうやら、僕が離れたタイミングを狙って襲われたらしい。
 それから葉村は記憶を掘り返しているらしく、黙り込んでしまった。
 そろそろ起きるか。
「うーん」我ながら実にわざとらしい。
 ゆっくり目を開ける。
「あ、山本。おはよう」
「……うん、おはよう」
 自分の目でも今いる部屋と葉村を観察する。
 広さ6畳、高さ1.8メートルほどの壁も天井も白く塗られている部屋。床だけまだ青い畳敷きなのが何とも不自然だった。天井には教室にあったような2本組の蛍光灯ユニットが4つ張り付いていた。
 葉村は昏倒させられる前と全く同じ服装だった。見たところどこも怪我はしていなさそうである。
 僕自身は、立ち上がってみると違和感があった。なんとなくふわふわする。まるで船に乗っているようだった。
「葉村。なんとなくふらふらするんだが僕の気のせいかな」
「ふらふらする? どうしたの、立ちくらみ?」
「……そうか。君は何も感じていないのか」
 寝起きで葉村の三半規管が働いていないのか、それとも。葉村に断わってから上着を脱いで体をもう一度よく見た。
 はたして左腕の内側に、新しい注射痕を見つけた。何を注入されたのだろうか。睡眠薬ならまだマシだが、ここが想像通り、産業情報庁の研究所なら道の薬品の可能性を否定できない。
「葉村、お前、本当に何ともないよな。注射されてたり、電極が貼り付けられていたりしないよな」
「……確かめるからあっち向いて」
 同級生男子に見られながらは恥ずかしいのだろう。僕は素直に背中を向けた。
「……未練なくあっち向かれた……そんなに魅力ないのかしら私」
 訳の分からないことを葉村がつぶやいていたが、とりあえず無視。

 きっとこの小部屋にも、どこかに監視カメラが付いているのだろう。いつかどこかのタイミングで僕らは犯人に、敵に会うことになる。今が何時か分からないが、数時間後に食事が運ばれてくるのではないか。そうでなければ僕らは生きて帰る望みを絶たれたことになるが、その時の脱出法は考えても思いつかない。第一、こちら側から脱出できるような出入り口はない。
 さらに僕らが使える道具は来ている作業服と自分自身の体だけだ。
「もう振り向いていいよ。――見てみたけど、特に何もされていなさそうだったわよ」
「そうか、それならいい」
 腕を組んだまま身動きせずに思考を続けていたら、背中に温かいものがのしかかってきた。
「葉村? どうしたんだ」
「なんかね。いろいろ考えてるんだなーって。私は置いて行かれちゃうような気がして」
「……」
「かれこれ2年くらい一緒に過ごしてきたわけじゃない。君がどんな時に何を考えてるのか、最近分かってきたと思うの。でね。今みたいな雰囲気のときって、決まって私の手が届かない所へ行こうとしていることが多いなって」
 僕は何も言えない。
「ふふっ、心配しすぎかな……? 被害妄想過剰だよね。……なんでだろう。私、いつもはこんなじゃないのに」
 なんでだろう、と続いた葉村の声は、少し泣いていた。映画ならここで主人公がヒロインを抱きしめるのだろうが、僕には彼女に向き直ることすらできなかった。それはきっと、葉村の言うことが正しいと、僕自身の予感が告げているからだろう。
 しばらく、葉村が鼻をすする音が静かに聞こえていた。僕の背中にもたれかかった葉村をどうしても、床についた手がしびれてもそのままにしておきたかった。

2
 葉村が泣き止むかというとき、不意にどこからか、スピーカーに電源が入る、ブツッという音がかすかに聞こえた。
『お嬢さんは初めまして、山本くんのご友人かな? 山本くんには久しぶりだ、とでも言っておこうか。私は産業情報局副長の者だ。いくつか名前を持っているのでね、特に名乗らないでおくとしよう』
 葉村が緊張して体を固くした。
「……何、知ってる人なの?」
「あまり知り合いたくないタイプの奴だが」
 壁にわずかだが反響して聞こえるせいで、どこにスピーカーがあるのか分からない。どうせ探したって見つけられるところにあるとは思えないが。
『お二人は結構仲がいいようだね。そんな君たちの中を引き裂くような真似はしたくないというのが本当の気持ちではあるのだが。済まないが、こちらも仕事なのだ』
 感情はその声に混ざっていない。実際、露ほども申し訳ないなどとは思っていないだろう。
『リアクションがなくてつまらないな、せっかくマイクも設置してあるのに。まあいいだろう、本題だ。私たちはあと1時間ほどで山本くんを迎えに行く。彼にはやってもらいたい仕事があるのだ、お嬢さん』
 彼女が僕の左腕をつかみなおした。
『申し訳ないが、これは決定事項だ。そもそも彼は私たちの関係者でもある。この非常時に有能な人材にやるべきことをやってもらわないなんて、もったいない話だろう? もう2年も遊べたんだ、やるべきことはやってもらう。何、仕事が終わったら当然、また彼と一緒に入れるさ』
「関係者、なの?」
 彼女のつぶやきから嫌悪感と心配がにじみ出た。
『おや、お嬢さんは知らないのかね? そこの山本くんは――』
「あなたたちのサーバーに侵入して酷い目に遭ったってことなら知ってるわ」
『それならば話は早い。我々は彼のその腕を見込んで、今までにもいくつかの仕事を依頼しているのだ。もちろん、対価は相場にあった値段だ、そこのところに心配はいらない』
「他の部分を心配してるの」
『というわけで、君たちが一緒にいられる時間はあと――』
 時計を見たのか、一息、言葉が途切れたとき、「ごまかした」と葉村がつぶやいた。
『57分だ。それまでにしばしの別れを済ませておいてくれ。何か質問はあるかな?』
「ここはどこなんだ。人様の娘を預かっている以上、せめてそれくらいは知っていたい」
『お嬢さんはいい彼氏をお持ちだ。いいでしょう、特別に答えてあげます。君たちが暮らしていた、すぐ裏の山です』
 予想通りだった。あの、たまに家の前の道路を通っていたトラックの行先だ。
 つまりここは産業情報局の秘密基地で、そしてここは僕が最後に請け負った仕事、新しい施設管理システムを導入した場所だ。他の施設には流用できない、完全独自のシステムを作るために設計図を受け取っていた場所でもある。
 設計図をにらめっこしたあの時間は無駄ではなかったらしい。まだあの図面は頭に焼き付いている。
 ……これは、上手くやれば、少なくても彼女だけは、逃がせるかもしれない。

「葉村。聞いてくれ」
 10分くらい、こちらを窺ってくる彼女を無視し目を閉じて脱出ルートを考えた後、僕はマイクに拾われないよう小さい声で呼びかけた。
「ここから脱出する」
「そんなことできるの?」
「理論上は、おそらく。というのも、この施設は僕がシステムを作った。その時の設計図なら、まだ覚えている」
「ためしに聞くけど、私たちが今いる場所はここはどこ?」
「第7階層の東端にある倉庫区画のどこかだろう」
「……それはいつ事実だと確かめられるの?」
「奴らが僕を呼びに来た時、この部屋の外を見るタイミングがあるだろう。外を見れば、おそらく天井が高くて長い通路で、両側とも間隔をあけて大きい防火扉のようなものがならでいる」
「分かった、君を信じるわ。それで? どう逃げるの」
「まず、これから君が連れて行かれるのはおそらく第2階層の居住区だろう――」

3
 1時間は説明している間に過ぎ去った。場違いなインターホンの音がして、何もないと思っていた壁の一部が空気の漏れる音とともに横にずれる。部屋の外には、ゴーグルとマスクをつけた、灰緑色の作業着の上に白衣を着た男が2人立っていた。顔が半分以上隠れてはいるが、間違いなく彼らは2年前、うちへ荷物を届けに来たあの2人組だった。
「奇遇ですね、僕をどこかに招待してくださるのはまたしてもあなた方ですか」
 皮肉を込めてそう言ってやったが、彼らは顔色一つ変えず、余計な返答ひとつせず、
「ではお時間となりました。山本君は私についてきてください。お嬢さんは彼がご案内いたします」
 つまらない事務仕事をこなすようにそう告げた。
 僕は黙って立ち上がると、まだ隣でぼうっとしたまま座り込んでいた葉村に右手を伸ばし、肩をつついた。
 ゆっくり僕を見上げた彼女は、静かに微笑んで伸ばしたままだった僕の手を取り立ち上がる。
 彼女は2人組に向き合い、正面から彼らをにらみつけたが、しかしそのまま、手を離さなかった。
 手をつないだ僕らは2人組に歩み寄る。
「申し訳ございませんが、念のため拘束しなくてはいけないことになっております。右手を出していただけますか」
 馬鹿にしたかのような丁寧な言い草。隣で彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「その前に。先にどこへ連れて行くか、くらい教えてもらえないのですか?」
「…………お嬢さんの行先は第2階層にある、我々が生活している居住区の一室になります」
「山本君の行先は」
「それは機密だ。残念ながら教えることはできません」
「……そう。ありがとう」
 まだ不満そうな葉村は、それでも右手を出した。左手で握っていた僕の手も放す。
 目で促された僕も右手を出した。金属製の手錠で、僕と葉村は、それぞれ2人の職員とつながれた。

 葉村とは途中、エレベーターホールで引き離された。
 葉村に僕の行先を教えないように、だろうか。2基あるエレベーターの両方を使うことなく、葉村たちが乗っていった箱が第2階層で止まり、それが下りてくるのを待っていた。
「僕は具体的にどんな仕事をさせられるのですか?」
「悪いが、俺はお前がやる仕事なんて聞いてないんでね。直接指令に聞いてくれ」
 客(という扱いの)葉村がいなくなったからだろう、言葉から丁寧さが剥がれ落ちていた。
 話すことがあるわけもなく、僕らは黙り込む。やがて到着したエレベーターが発した電子音がやたら大きく聞こえた。
「ほら、乗れ」
 箱の中には上から降りてきた先客がいた。そのまま上へ戻るエレベーターから降りる気配がなかったので、命じられた通り、いつも通り地面を向いたまま乗り込んだ。
「久しぶりに会ったな、山本祐樹くん」
 フルネームを呼ばれて、物好きな先客へ顔を上げる。
 見えた顔は、すぐに思い出せなかったが、目が合った瞬間に頭の後ろの方が危険信号を発した。
 先客はニヤリと笑った。
 思い出した。
 思い出したくもない相手だった。
「少佐」
「既に昇任したよ、今は中佐だ。この施設の最高責任者でもある」
 発言自体は自慢にもかかわらず、全くの無感情な声だった。ここで働くやつはみんなこうだ。声に感情がほとんどない。
 嫌な思い出しかないが、ここまで嫌いな相手ならさっさと仕事を済ませて退場したほうが精神衛生上良いだろう。
「つまり、中佐が僕の顧客というわけですね。僕は何をすればいいのでしょう?」
 ありったけの精神力を使って感情を押し殺し。僕は仕事内容を尋ねた。
「簡単に言えば、バグ修正と拡張だ。期限内に卸してくれたことには感謝するが、直後に雲隠れされてしまった。そのせいで稼働して初めて分かった諸問題を解決しづらくてね。とりあえず動けばいい、という程度しか手を加えてられていないのだ」
 エレベーターが第3階層に着いた。中佐が先に出て行く。
「詳しいことは部下を向かわせる、彼女に聞きたまえ。失礼する」
 どうやら同じエレベーターに乗ったのは嫌がらせのためだったらしい。
 隣に立った構成員が敬礼して見送るのを視界の隅で見ていた。中佐が部屋に入り、視界から消えるのを待って僕らは再び歩き出す。
 “第3電算室”と書かれたプレートの下にある扉の前まで案内された。
 構成員が腰につけていた鍵束から探し当てた鍵はほかの鍵と比べてまだ輝いていた。開錠して入ったその部屋は、蛍光灯を点ける前からあちこちで点るパイロットランプの明かりで輪郭が分かるほどだった。
 壁のスイッチを探り当てて部屋を明るくすると内部が分かりやすくなる。6畳ほどの広さがあったが、入口がある壁以外の3面に背より高い機械が設置されているせいでもっと狭苦しく見える。さらに中央にはベッドが設置され、床問いかべといい無造作にはっているコードやチューブのせいで余計狭く感じられた。
 コンクリート打ちっぱなしで冷たそうな空間なのに、機械の廃熱か、もわっと生暖かい、埃っぽかった。
「お前に割り当てられた部屋だ。この部屋の中の設備なら自由に使っていい。何か注文はあるか」
 ベッドに腰掛け、枕元に置かれた端末を触ってみる。
「端末は嫌いなんだ。できればノートパソコンを用意してくれないか。もし可能ならば、僕のノートパソコンを持ってきてくれればベストだが。オリジナルのソースコードも保存されているし、うちのメインサーバーへの接続設定もしてある。そのほうが効率がいいからな」
「検討しておく。他には何かあるか」
「今のところは、特に」
「分かった。詳細はこの後すぐ来る職員に聞いてくれ」
 そう言い残すと構成員は部屋を出た。外から鍵を閉められる。
「……ちっ、やっぱ中からじゃ開けられないか」
 機械を見てまわる。
 それなりのレベルではあったが、必要十分な性能をもつスパコンが1台。
 うちにあるような普通の、秋葉原へ行ってパーツを買い集めれば作れるほどのデスクトップコンピュータの本体が2台、ディスプレイはなし。
 その他の大多数の機械は“コンピュータ”ではないのか、見てもよく分からなかった。
 そうやって時間をつぶしていると、外からノックされた。
「閉まっていますが、どうぞ」
 そう答えると、鍵が開く音がした。一瞬体が飛び出そうとしたが、勝算もなく動くべきではない。引き止めて深呼吸を1回した。
 入ってきたのは女性だった。彼女はすぐに思い出すことができた。当時少佐だった彼の腹心の部下だ。
「今日は懐かしい人によく会う」
「その“あう”は会うそれとも遭う?」
「さて、音だけでどう表現しろと」
「漢字のつくりを説明すればいいのではないかしら」
 軽口をたたき合う。
「それで、本題だ。僕は何をすればいいんだ?」
 この質問も、自問自答を含めれば何回目だろう。やっと答えが返ってくる。
「あなたが約2年前に納めたこの施設の維持管理系の総合システム。これのメンテナンスをお願いするわ。とりあえず問題点の洗い出しを1週間以内に済ませてちょうだい。賃金は7日間でこのくらい――」
 指を数本立てた。
「――でいかが」
「……いいだろう。少しばかり足りないが、連絡を取れない状態にしたお詫びに、少しまけておくよ」
「資料はデータにして、このディスクの中に保存しておきました。あとパソコンでしたね。あなたの私物をお返ししましょう。特にウイルスは入っていないようでしたので」
 ウイルスなんて簡単に作れるからそもそもチェックする意味がないのだが。四角いプラスチックのケースに入ったディスクとともに、使い慣れたノートパソコンを受け取った。
「確かに受け取った。連絡を取る手段なんかも保存されているんだな? ……了解した」
「お礼を言っておくわ、ありがとう。未だに私たちは弱小機関なの。経費削減に協力してもらえるとは思っていなかった。もっと吹っかけられると思って低めに設定しておきましたのに。何か最後に質問はありますか?」
「そうだな。僕がこの仕事を断った時の対応が知りたい」
「簡単なことですわ」
 だろうな。
「想像がつきますでしょう?」
 このいかれた機関のことだ。実力行使に決まって――。
「!?」
 彼女は何かのスプレーを、至近距離で顔に吹き付けてきた。
「私としましては、まだあなたが我々を侮っていることに驚きました」
 げほげほとせき込む。……先ほど目が覚めた時に感じた手足のしびれがまた強くなってきて。
「……麻酔か何かか!?」
 入室した時から表情を全く変えない彼女をにらみつけた。
「あなたのためだけに開発された、まだ実験段階の代物ですけどね」
 罵ろうとしたが、もう声が出なくなっていた。
 もう、意識が続かない。

 目が覚めたのかもわからない。夢の中にも思える。
 真っ暗とも言えない、しかし明るいとも言えないぼぅっとした場所だった。ここはどこだろう。頭の中も何かがおかしい、思考がループしてたった今、何を考えていたのかすら分からない。真っ暗とも言えないここはどこだろう?
 ああ、もしかして、目を開けていないのではないか?
 しばらく目の開け方を考えて、度忘れしてしまっていて、いつの間にか視界の中にさっきまではなかった黄色や緑や橙の小さい光が瞬いていることに気が付いた。
 あたりが見えていることを理解するのにしばらくかかった。
 普段と違う。何かいつもと違うことがあったか。どうやって調べればいいかうんうん考えて、やっと思いついた。自分の体がどういう状態にあるか見てみれば何か手がかりがあるかもしれない。
 どうやれば見ることが出来るか。……単純な話じゃないか。下を向けばいい。下ってどこだっけ。

 そんなこんなで今の状態を確かめる。少しづつ普段通りとまではいかないが落ち着いてきた。
 部屋中央のベッドに寝かされていた。
 腕には3本、透明なチューブが突き刺さっている。2本には赤い液体が流れていて、もう1本の中身は透明だった。さらに下着だけに脱がされた服の下、体のあちこちに電極を貼り付けられ、つながった電線が伸びる。何本ものチューブと電線はベッドから無造作に垂れ下がり、懸垂曲線を描いて壁際の機械に差し込まれていた。僕がさっき見て分からなかった機械は、どうやら医療系のものだったらしい。道理で、判別できないわけだ。
 更に両足首と太もも、腰がベッドに縛り付けられ、身動きできるのは首と両手だけだった。
 黒い無地のTシャツだけ着せられ、それ以外にはなにも着ていなかった。着てきた服は入口わきに置かれた机に畳まれている。
 どうやら気絶している間に、こんな機械につながれた状態にされたらしい。
 なぜこんなことをされたのかを考えかけ、面倒くさくなってやめた。ここは腐っても政府組織、報告書や命令書の一つや二つ、メインフレームを漁れば出てくると思ったからだ。
 奴らはどこまでも、僕を無理やり働かせようとしているらしい。枕元に置かれた自分のノートパソコンを起動し、起動待ちの間に同じくベッドの端にひっかけられていた電源ケーブルとLANコードをパソコンにつないだ。
 持ち主がどういう状態になっていようがお構いなしに、いつも通りログインプロンプトを出すシステムについ「よろしく」と話しかけ、僕は苦笑を漏らした。僕なんかより、ずっと頼もしいような気がした。

 長年連れ添った|相棒《AI》は、うちのサーバーの中に2年間も放置してしまっても呼びかけに答えてくれた。彼に処理の大部分を任せ、僕自身は自分に関する命令を産業情報局のメインフレームから漁って読んで処理待ちの時間をつぶす。
 どうやらこの体を縛り付けている機械群は、延命用の装置らしい。
 自立して動けなくなったが、亡くすには惜しい人材を脳の寿命まで生かす装置。
 食事も排泄もいらない。すべてチューブを通して機械が代行してくれる。
 点滴と共に思考加速剤という名の薬物が流れてきて仕事をさせるには最適だ。
 仕様書を読んでいる限り、どうやらこれは僕一人のために作られたらしいことが分かる。なぜこんなに手間と金を使うのか理解できない。そして対象がコンピュータに詳しいと分かっていながらどうして簡単に侵入できるコンピュータ制御にしたのだろう。
 何か裏があるのか。そこまで考えていなかったのか。設計者が馬鹿だったのか。
 分からないが、そんなところに興味はない。いかに警戒網を潜り抜けてこの装置から自由になるか、それを気付かれないようにするか。それさえわかれば後はどうでもよかった。

 継続的に薬物が体に入ってきているらしい。もう5日くらい意識的に寝ていなかった。それでもまだ、眠気は訪れない。時々意識がふっと飛ぶから、おそらくその時に睡眠をとっているのだろう。
 薬によって無理やり働かされ、無理やり寝かされ、無理やり生かされる。
 そこまでして僕は保護されるべき対象なのだろうか。

 5日で仕事を終わらせた。言いつけられた期限まではあと2日あった。
 やることもなく無気力にぼぅっとしていた。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。そもそも僕は何をしにここへ来たのだろう。

 目をつぶる。見えるものは何もなくなる。考えていることも千々に途切れて消えていく。
 やがて頭の中が空っぽになった。

4
「お嬢さん。私たちはここで降ります」
 山本と別れてエレベーターに乗った後、私は彼の言った通り第2階層に連れてこられた。
 そこはパッと見、ホテルの中と似ていた。エレベーターホールには各室の方向を示す看板と位置を示す地図が貼られている。左に食堂、右が個室のようだった。
「お嬢さんに割り当てられた個室は一番奥にある通路の突き当り、A01号室になります。あなたはこの施設の大事なお客様です。戦前のシティホテル並みのサービスを受けることが出来ます」
 手錠で一緒につながれている職員に促されて私は個室のほうに歩き出す。
「具合が悪くなったら食堂のとなりにある医務室で診察してもらえます。女医もいますのでご安心ください。それと……これがあなたのセキュリティパスです」
 そういって職員は私の開いているほうの手にICカードを持たせた。
「このパスで入ることが出来る場所ならどこへでも行くことが可能です。ドアはオートロックですので、間違って締め出された場合は一つ上のフロアにある事務室までおいでください」
 説明を受けている間に個室の前まで来た。
「私の任務はここまでになります。何か質問はありますでしょうか、答えられるものであればお答えします」
「どうせ山本くんの居場所は答えられないんでしょう? なら特にないわ。案内ありがとう」
「ご協力ありがとうございます」
 手錠が解放される。そこだけ冷たくなっていた手首をさすった。
「失礼いたします」
 敬礼を残して彼は去っていく。一度も振り返ることなく。

 ドアのすぐ隣の壁に張りついているセンサにカードをかざすと、ドアは自動で静かに開いた。
 内装は職員が言っていた通り、窓のないシティホテルといった趣だった。
 沓脱はない。短い廊下、ドアをくぐってすぐ左にユニットバスがある。栓をひねるとすぐにお湯が出た。廊下はそのまま部屋につながり、ドアのある壁沿いにデスクランプの置かれた事務机が置かれている。その奥には驚いたことに金庫まで用意されていた。シングルベッドが机のほうへ足を向けるように2つ並んでいる。
 手前のベッドに座ると、スプリングがわずかに鳴る音がやけに大きく響いた。
 力が抜けて、後ろに倒れ込むように寝転がる。
 さっそく私は一人でいることが辛くなる。

 地下で昼夜の区別がないからか、柱時計を模したようなボーンボーンという音が定期的になる。
 7回なって途切れたその音に、いつの間にか寝ていた私は目を覚ました。
 確か最後に聞いたのは3回だった。4時間もぐっすり眠りこけてしまったらしい。
 起き上がろうとして、変な態勢で寝ていた罰だ、体中が痛かった。立ち上がって伸びをする。
 ベッドの下の引き出しにあったカードをぶら下げるネームプレートにICカードを入れ、首から下げると私は部屋を出た。

 誰ともすれ違わずに食堂へ着いた。中は明るく、ICカードを通しても入口は私を拒まなかった。誰もいない。
 食券機の上に掲げられたメニュー表から一番安いミートソーススパゲッティを選んで食券を買った。かざせと自動音声の指示通りICカードを機械に押し当てる。ピロリン、と電子音が聞こえたが食券は出てこない。
「まさか売り切れ……?」
 1分待ったが機械は何も言わない。
 あきらめてほかの商品を買うことにする。めんどくさい、隣のカレーライスでいいや。
 同じように指示通りICカードを押し当てるとピロリンと音がする。が、やはり1分待っても食券は出てこなかった。
「壊れてるんじゃないの?」
 もう一回。

「どうしたんだ、そんなに料理を並べて。お嬢さんは見かけによらず大食いのようだ」
 冷たそうな女性を連れてやってきた偉そうなその男は、私の前に並べられたたくさんの料理を見て笑った。
「違います。その機会が何にも反応をよこさないもんだから、故障か売り切れかと思って何度も注文したのよ。そうしたら、自動調理機と連動していたのね。5分くらいしたら次から次へと料理が運ばれてきて驚いたわ」
「そうだったか。その量は食べきれるのかな?」
「無理ね。もったいないし、あげるわ」
「では遠慮なくいただくことにしよう。……君から選んでいい」
「ありがとうございます。あなたも、ごちそうさま」
「いえ」
 女性がグラタンと苺パフェを、男性のほうは天丼と餃子を手に取って隣の机に座った。

 そして量から考えても当然だが、彼らのほうが先に食べ終わった。食堂を出て行くとき、思い出したように振り返り、
「お嬢さん。我々の仕事を引き受けてくれた山本くんの彼女とは、君のことだね?」
 と聞いた。
「彼女なんて、そんな。あいつのことを知っているのですか?」
「彼に『恋人なら助けて』、って叫んだのは君じゃなかったのか」
 ふと、まだ高校に通えていたころのことを思い出した。
「そんなことも、いいましたね、懐かしい。でもあれはウソ、たんなる方便です」
 なんとなく顔が熱い。
「そうか、そうか。末永くお幸せにね」
「……」
 置き土産のように残されたフレーズがリフレインして、私は何も返すことが出来なかった。
「人の話を聞きなさいよ」
 足音が聞こえなくなった頃ようやく出てきた言葉は、どう聞いても負け惜しみだった。

<無題> Type1 第7章原稿リスト
第6章原稿リストへ戻る 第8章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 第6章 第2稿

2013.06/23 by こいちゃん

<無題> Type1 第6章原稿リスト
第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第6章

1
 農業生活を始めて約半年。葉村に指示されるままに地面を耕し、夏植えでも実のなる野菜の初収穫を終えた頃。いくつか気付いたことがあった。
 この道は廃坑へ続く道だが、それなりに往来があること。
 僕らが通ってきた道を、軍用の大型トラックが週に1回くらい通過すること。
 それ以外にも結構乗用車が通ること。
 普通の地形図には60年くらい前に廃坑になった鉱山くらいしか載っていないのにもかかわらず、結構な頻度でこの道を行き来する人たちがいる。おかしいと思ってあちこちのサーバーに侵入して調べてみたら案の定、廃坑のあたりに産業情報庁の秘匿研究所があるらしい。
 葉村には言わなかった。必要ない心配をかけたくないからだ。
 葉村が寝ている隙に、僕はあいつと2人で今後を相談した。

 ――場所、移ったほうがいいと思うか?
 ――その必要はないと思うぜ。というより、ここよりいい場所が多いとは思えねぇ。
 ――そうか。
 ――ただ、見つかる確率が変わるわけじゃない。灯台下暗しになるかもしれねぇが、距離が近い分このあたりの監視もきついだろう。
 ――一理あるな。
 ――どうにかして、戦闘の備えくらいはしておいたほうがいい。
 ――……下の道を通るトラックを襲うか。
 ――もっと穏便な方法はねぇのかよ。
 ――今さら下の街に下りることはできないし、持ってきた道具は必要最低限しかないからな。
 ――今さら葉村を危険なことに巻き込むつもりかよ。あいつは家族に黙って俺らについてきたんだ、世間では俺と一緒に雲隠れだぞ。俺らには、葉村を無事にうちへ返す義務があるんだぜ。
 ――ガタガタうるさいな。……でも、葉村を更なる危険に巻き込むのは上策ではないな。
 ――その通りだ。藪蛇になったら元も子もねぇしな。
 ――葉村が気付かないように注意しつつ、偵察する程度にとどめておくってことで。

 声が少し、口から漏れていたかもしれないが、葉村を起こさずに済んだからいいとするか。

 半年ほどかけて彼らを観察した。週に往復2回行き来するトラックを、毎回場所を変えつつ相手のことを探っていた。すると予想通り、相手はやはり「お役所」の、毎月決まったスケジュールを持っていることが分かった。
 常駐している職員のための食料は毎回積み込まれ、このほかに週によって違うものが一緒に運ばれるようだった。運び込まれる荷物量から予想すると人数規模はおそらく30~40人といったところだろう。
 職員向けの嗜好品や日用品、研究用の消耗品などが第1週目。
 研究に使うのだろう、液体窒素や様々な薬品類が第2週目。
 武器弾薬の補充が第3週目。
 中で自家発電をしているのだろう、その燃料と思しきガソリンが第4週目。
 月曜日にトラックが出発して、荷物を積んで水曜日に帰ってくる。これを毎月毎月ローテーションしていた。
 もちろん、観察だけではない。
 連夜、僕は関係しそうなあちこちのサーバーを渡り歩いて、あのトラックの仕入れ先、次回の積載物は何か、そういった情報を手に入れては、積み荷を観察した。
 一度、送信中の注文リストを発見した。それは日用品の週だったのだが、試しにトイレットペーパーの注文を取り消してみた。取り消してから思い出す。実際に職員が困ったか確認する方法がない。

 そんなくだらないことを繰りかえし、さらに季節が過ぎ去って迎えた2度目の春。
 秋に残しておいた種を畑にまき終え、のんびりしていた頃。
 農作業と2人の山中生活に慣れてきた頃。
 僕らと葉村はともに、18歳になっていた。

 僕らの生活は、再びひっくり返される。

2
 収穫した野菜を料理して朝ごはん。雰囲気は老夫婦の日常、だ。
「今日は何をするんだ? ――この漬物美味いな」
「農作業は今日はお休みかな、水やって育ってるか見るくらいでいいと思う。――くねくねになったきゅうりでも漬けちゃえば同じよ」
「そうか、なら今日は車の整備の日にするか。――漬物のセンスあるな」
 もぐもぐ
「いいんじゃない? 最近やってなかったから。機械油残ってたっけ? ――そして女子高生に対して漬物のセンスを問うとはどういう心づもりだ」
「ああ、まだ残ってる。――単純に料理の腕前を褒めただけだったんだが」
「そっか。――そっか」

 防寒着を着込んでもこもこになった僕らはちょっと離れた畑へ向かう。
 ホウレンソウはそろそろ収穫してもよさそうだ。青い葉がいい感じに育っていた。
「大根もおいしそうだよ」
 水をまきつつ、虫がついていないかチェックする。
「やっぱり、ジャガイモ収穫しちゃおうか」
「そうか。袋とってくる」
「よろしく~」

 勝手口から家の中に入り、土間に置いてあるバケツからレジ袋を2つ3つ取る。引き返して外に出ようとした時。
 奥から物音が聞こえた気がした。
「……」
 半分扉を開けたまま、動きを止める。台所に続くふすまを見つめる。
 しばらくそうしていたが、畑で葉村が待っていることを考え外へ出た。
 きっと気のせいだろう。こんな山奥の田舎の農家に、泥棒を働こうなんて人間はいない。

 早足で畑に向かったが、そこに葉村はいなかった。葉村がさっきまで持っていた小さなシャベルだけがその場に残されている。
「……葉村?」
 呼びかけて待ってみるが声は返ってこない。
 道具を取りに行ったのかと倉庫へ行ってみる。
 ……しかしそこに行った形跡はない。
「葉村!」
 何かがおかしい。
 敷地内をあちこち探しまわっても見つけられない。山に入ったのかと靴箱を見ても、登山靴はきちんとしまわれている。車にエンジンがかけられた様子もない。
 おかしい。葉村がいないことも、……自分の中に生まれた|何か《・・》も。
 得体のしれない、把握できないことが起こっている。
 家の前、車の展開ができるように広くなっている庭の中央で、僕は困惑していた。
 葉村がいないで僕はこれからどうすればいい――?

 と、ここまで分析を進めて違和感に気が付いた。
 僕は、何故こんな必死になって葉村を探しているのか。

 知らず、息が詰まる。思考が空回りする。これは、なんだ。
 懐かしいような、恐ろしいようなこのモノは。

 そんな僕らしくもなく状況を忘れてつまらない思考を続けていたのがまずかった。背にした玄関が軽い音を立てて開いた。1拍おいて振り返って、ごめんごめんちょっとおはなつんでたの、といつものように軽く弁解をする葉村を探し、しかし玄関には誰もいない。
 ただ開いただけに見えた。
 陰に隠れているのかと近づいた。実に不用意に。
 敷居をまたぐ最後の1歩を進もうと足をあげたタイミングで、建物内の暗がりから男が現れた。
「……!?」
 闇に溶け込むような濃灰緑色の作業服を上下に着込み、20リットルくらいのザックを背負ってさらにウエストポーチを装着したヘルメットの男。暗くて顔がよく見えない。
「お前は誰だ。誰に断わってうちに入り込んだんだ」
 僕が誰何しても落ち着き払っている。
 葉村は、彼女はあいつにやられたのか。確認しようとした時、陰に隠れたままの相手は右手に持った銃を僕に向けた。
 逃げようと動き始める前に引き金を引かれる。ガスが抜けるような音。
 ぎりぎり見えるが逃げられるほど遅くはない弾が右頬にあたる。反射的に手を当てると、手が赤く染まった。怪我はない。
「ペイント弾?」
 知り合いによる単なるドッキリだったのか? 葉村も共謀している……?
 怪訝な顔を相手に向け、――突然膝から力が抜けた。
「――!?」
 敷居に腰をぶつけたが、その痛みはすぐに退いていく。
 ようやく理解が追いついた。どうやらペイント弾の中身は揮発性の麻酔薬だったらしい。
 地面に倒れた僕へ、無造作に相手が近づいてきた。朦朧としつつ、必死に顔を覚える。次に目が覚めてから誰だったか思い出すために。

<無題> Type1 第6章原稿リスト
第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 第1章 第5稿

2013.06/23 by こいちゃん

<無題> Type1 第1章原稿リスト
序章原稿リストへ戻る 第2章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

第1章

1
 ざわついている教室の中、窓際の席にて。
 高校に入って初めての中間試験が終わり、僕こと山本祐樹《やまもとゆうき》はのんびりと伸びをしていた時。
「ねぇ、今日こそは付き合ってくれるんでしょうね?」
 席の隣の葉村ななみに話しかけられた。
 入学から約1ヶ月ちょっと。たまたま隣の席で少しずつ話をするようになった相手だった。友達を作るのが苦手な僕にとって、このクラスで誰よりも話しやすい女子、いや同級生だ。これまでにも何回か、一緒に遊びに行かないか、と誘われていたのだがずっと断っていた。
「さすがに試験終了日には勉強もしないでしょ?」
 先に逃げ道をつぶされてしまう。いい加減、適当な言い訳を探すのも億劫になっていたので、たまにはいいか、という気分になる。
 脳内で家計簿を読み込み、確かそんなに使っていなかったと思いながら今月の遊興費の残額を確認した。
 まぁ、いいかな。今日遊びに行っても今月の新刊はちゃんと買えそうだ。
「あまり遅くまではだめだけど、それでいいなら」
 そう返すと、割と大きい声が、まだそれなりに生徒が残っている教室に響いた。
「いよっし。やっと落とせたー!」
 どこぞのシミュレーションゲームをやっているような台詞。教室中の注目を集めるほど大きな声を出してしまうほど、はしゃぐことなのだろうか。僕には分からない。
 一呼吸、教室がしんとなり、視線が集まった。うげ、ヤバい、とつぶやいた葉村が逃げ出そうと動き出す前。
 デートだ、カップル成立だ、よりにもよってあいつが!? はやし立て驚く同級生に僕らはもみくちゃにされた。

2
 その後僕らは池袋のカラオケやゲーセンへ行った。こういうところへ一緒に出掛ける知り合いの少ない僕はめったに来ないし、一人では絶対行かない場所だった。最近の音楽は全然分からなかったためほとんど聞き役に徹していたが、それでもほかの人と騒ぐのは楽しかったし、葉村も楽しんでいたようだった。
 そして今は19時前。僕らは池袋駅東口にいる。2046年、数年前に始まった東アジア戦争で夜間店舗営業縮小令が発令され、18時から翌朝6時まではあらゆる店が閉店することになっていた。既に21時までの深夜営業を許可されたコンビニや、終日稼働の自販機以外、通りに並ぶ店店から漏れる光はない。今日はこれ以上街にいても、もう面白くない。
 百科事典に載っている“大都市の夜景”なんて言うものは今では見ることができないし、それを見るための商業施設も軒並み閉店してしまう。どうしても見たいのなら丹沢や奥武蔵といった首都圏近郊の山に登るか、飛行機などに乗る必要がある。たとえ乗ったって見る光の規模は海辺のコンビナートと高い建物の赤い指示灯だけ、事典の写真とは比べ物にならないくらいつまらないのだが。
 夜は軍事施設と治安維持組織が電気を消費する時間帯。彼らは夜、自分たちの敷地に引きこもり、何をしているのか知らないが何かやっているらしい。都市伝説ではいろいろささやかれているが、僕はそれらに興味はない。
 夜の治安が悪化した都市。面倒事に巻き込まれたくないのなら、そろそろ帰る時間だ。
「送っていくよ」
 一応僕も男だ、そういうと。彼女は丁重に、しっかりと断った。
「いいわ、一人で帰れる。家、反対方向でしょう?」
 買い物もしたいし、これ以上付き合わせるのは悪い気がするもの。
 彼女の家の最寄り駅はJR山手線の高田馬場。僕は地下鉄有楽町線の護国寺だ。
 相手がそう言っているんだし、家を知られたくないのかな。そう思って、僕らは駅前で別れた。

3
 面倒なチンピラにからまれた。
「おいそこの女、いつまでも逃げてんじゃねぇぞ!」
 自分の運の悪さにうんざりしていたのは最初の1分だけ。私《葉村》は暗くなった池袋の繁華街を走り抜ける。
 もともとそれなりに土地勘のあるところでよかった。こう思っていたのはそのあとの30秒。
 私の逃げ足は遅くはないが早くもない、徒競走ではそれなりの順位である。だから逃げ切れるはず、という思いが消えたのはその後の15秒。その後はもう時間の感覚なんてほとんどない。
 しかし特に運動部に入っているわけでもないただの女子高生が、制服で街を逃げ回るのはかなりきついものがある。おそらくもう10分は走り続けているだろう。撒いたと思ったら見つかり、ということを繰り返すのもそろそろ限界だった。
 周りの他人たちは、制服で全力疾走している女子高生に目を向けても、それを追いかけているチンピラを見たとたん、たとえ目が合ったとしても気まずそうに目をそらし道をあける。ぶつかりそうになってあからさまに舌打ちをする人すらいる。誰にも助けを求められない。まずいことに電車・バス共通のIC乗車券は財布の中で鞄に入れてあるためすぐには出せないし、携帯端末のクレジット機能はセットアップをしていないため使えない。何か乗り物に駆け込んで一息つくこともできない。
 もう、逃げられない。
 体力が続かない。
 諦めかけた時。十字路先、前方のコンビニから出てきた、さっき別れたばかりの、同じ制服姿の男が視界に入った。間違えていてもいい、誰か助けて。
「山本ー!」
 走りながら出しうる限りの大声を出す。この時の私に、見た目や印象を気にする余裕はない。
「私の彼氏でし、ゲホッゴホゴボッ!?」
 走り続けた上に叫んだものだから咳で語尾が濁った。
 一度学校帰りに――それも今日――カラオケへ行ったくらいの相手、根も葉もない嘘だけどかまわない。周囲にいた通行人の一部が今さら、驚いたように振り向くが、しかし肝心のあいつは気が付いていないようで、コンビニ前の縁石にしゃがみ込み、手に持っていた肉まんにかぶりつき、呑気にポケットから取り出した携帯端末をいじりだす。私の今の声が聞こえないはずはない、と思う。
 もう嫌、誰でもいい。
 誰もかれも、何で私に気づいて、助けてくれないの!?
 近づいて、気づいてもらえなかった理由が分かった。彼は両耳にイヤホンをつっこんでいた。
 私がこんなつらい目に合ってる、っていうのに、暢気に音楽聴きながら肉まんなんて美味しそうに食べて……!!
 勝手にキレ始める私。それを自覚して、落ち着くために息を吸ったところで足がもつれた。
 こけた。
 捕まる……!
 覚悟した、のだが。
 追いかけていた4人のチンピラは。私を追い抜き、走るのをやめて山本へと近寄っていく。やっと手が届いた獲物をゆっくり追い詰めるように。
「おい、てめえ。あの女の彼氏なんだってなぁ?」
「お前も、あんな馬鹿な彼女持つと苦労すんなぁ、え?」
 感じの悪い笑い声をあげて山本を取り囲むように立ち止まる。
 うつむいて相変わらず携帯端末をいじっている山本。その様子にチンピラの一人がキレた。
 胸ぐらをつかんで無理やり立たせ、威嚇するように至近距離から大声を放つ。
「なんとか言えよこの野郎。彼女が馬鹿なら彼氏は間抜けってか?!」
 彼は驚いたように口を半開きにし、数秒たってから自分の身に何が起こったのか認識すると無造作に手を挙げ、両耳からイヤホンを抜いた。携帯端末にコードを巻きつけてそのままポケットにしまいこむ。
 ちっともおびえた様子がないばかりか、何でもない普通の行動で逆に気圧されかけているチンピラがイラついたように殴りかかる直前、彼はやっと口を開いた。
「どちら様でしょうか。僕のご用ですか? それにしてはいささか乱暴に過ぎると思うのですが」
 私はパニックになりかけて、道のド真ん中に両手をついて息を整えている、っていうのに。山本はちっともおびえてなんかいなかった。
 あっけにとられたのは私だけではなかったらしい。チンピラは振り上げた手を静止させ、言葉を失ったように数度口を数回開け閉めする。チンピラが何か言う前に、主導権を確かにするように山本が言葉を継いだ。
「あと、彼女ってどちら様のことでしょうか。誰とも話していないので、そんな三人称代名詞を使って呼ぶ人はいませんし、僕には恋人もいませんよ」
 丁寧だが相手を完全に馬鹿にした口調。
 喧嘩勃発寸前の殺伐とした雰囲気に足を止めた数人の野次馬たちがくすくすと笑う。
 馬鹿にされたと分かったのだろう、今度こそチンピラに殴られる山本。派手な音がしてその場に崩れ落ちた。
「カノジョのほうはテメェが恋人、だって言ってんだよ」
 地面に倒れたまま、彼は足元に置いてあった荷物を抱え逃げ出そうとしたが、すぐにチンピラに襟首をつかんで起こされる。反動で鞄がふっ飛び、コンビニのガラスにぶち当たって地面に落ちる。
 夜に吸い込まれる、鈍い衝突音で私は我に返り携帯端末を取り出す。……取り出せない。
 映画やドラマでしか見たことのなかった街中でのケンカ騒ぎを前にしているせいか、それも知り合いが巻き込まれているせいか、手が震えてどうしようもなく止まらない。力尽くで抑え込もうとすると今度は手汗で滑ってしまう。落ち着きかけていた意識がパニックへ戻ろうとする。ついに携帯端末を落としてしまった。
 地面に携帯端末を置いたままやっとのことで画面を点けても、震える手ではロックを解除できない。
 私がもたもたしている間にさらに数回殴られてしまった山本を見て、しかしどうしようもなく抜けた腰は立たず、焦りだけが積もっていく。
 無抵抗に、しかしできるだけ衝撃を吸収しようと努力して殴られ続ける山本を見て、何処かへ電話をかけた後の野次馬たちは感心して見ていた。
 関係者ではない|他人《野次馬》たちはせっかくの見世物、少なくなりつつある娯楽を止めようともしない、そればかりか、端末のカメラで撮影しているヤツもいる。
 もしかしたら、彼がさっき私を無視したのはチンピラどもを引き付けるためだったのかしら。
 私の動かない頭はどうでもいいことを考える。
 という事は。私は私の囮になってくれた彼に、暢気だと勝手にキレて、そして今は巻き込まれないように離れた所からただ傍観しているってこと? 声をかけて止めようともしなければ、満足に自分の体を動かすことも出来ないで道に座り込んでいるの……?
 何も出来ない私は、見ているだけの私は、彼に何をしてあげればいいの……?
 こんなことを考えていたら、いたら、いたら……。何かに置かされたように思考がぶつ切りになる。現実から思考が飛ぶ。感情が麻痺して、見ているだけの機械になるってこういう感じなのかな。そんな思考が流れて。

   ――――

 やがてサイレンの音が遠くから聞こえてくる。それはチンピラにも聞こえたようで、一人が防戦一方で地べたに転がっている山本の体を漁り、財布を探り出すともう3人に合図し、逃走しようとした、が。
 気を失って動かないように見えた山本が跳ね起き、一番近くにいた奴の足に抱きついた。
 せめて逃がさないようにしたのだろう、私も周りの人もそう思った。
「クソ、このっ……」
 振り払おうとするが、山本は。
 私たちの想像を超える行動を起こした。
 抱え込んだチンピラの足に噛みついたのだ。
 反撃。
 上がる野太い悲鳴。
 あまりのグロテスクな絵に後ずさり、息をのむ|傍観者《ギャラリー》。
 道の真ん中で乱闘騒ぎを起こしていて通れず、落ち着くのを待つように喧嘩を見ていた知らない人たちは突然のR-18な光景にぎょっとして。一方的でつまらないとイライラ隣同士でこぼしていた不平が、人の声が消える。
 強調されて聞こえるのはチンピラの絶叫と、近づいてくるサイレンと自動車の音。
 噛みついた山本を引き離そうと、もがくたびに噛みつかれた痕から血が飛び散る。
「てめえ……っ」
 一人が戻ってきて山本の髪をつかんで足から引きはがし、後ろから首を絞めた。
 彼は口から赤い唾液を吐きだし、締めているチンピラの太い腕の上を垂れる。続いて左手を自分のポケットに入れ、すぐ細長いものを取り出して、後ろ手で加害者のわき腹に刺した。
 一瞬力が弱まったのだろう。腕を下へすり抜けて拘束から逃れると、刺した細いもの――文房具屋で1本100円で売っているようなシャープペン――をぐりぐりと回しだした。
 私は不意に込みあがってきた吐き気を必死にこらえた。
 垂れる血液、上がる悲鳴、そして顔色ひとつ変わらない山本。
 ついに目をそらし損ねた一人の女性が路肩にしゃがみこんで嘔吐し始めると、あとは連鎖的に、直接見ていない人も。すぐに空気が酸っぱくなる。
 そして。3人目のチンピラに、いつの間にか背後に回られていた。コンビニのごみ箱に立てかけられた不法投棄の蛍光灯で背を殴られる。直撃は避けたものの、破片は避け損ねた彼の背中に刺さる。滑らないように強く握りしめていたチンピラは握力で蛍光灯を握りつぶし、切り口は手を切り裂いて血だらけにした。
 もう、私には限界だった。だが、今、目の前で起こっている事件は私が呼び込んだようなものだ。
 気持ち悪い、頭が痛い、もう何も見たくない。目に赤い色が焼き付いていた。
 私は失神しかけていると自覚しながらも、体が震えてうまく動かせなくなっていても、全てを見なくてはいけない。
 我慢できずに下を見ると、嘔吐物と血液でどろどろに汚れた側溝があった。この汚れは、私のせいで出たものだ。

4
 背中が感じ続ける重さと痛さ。それを紛らわそうと視線を外に向けると、視界の隅で地面に両手をついた葉村が、下を向かず懸命に俺らの喧嘩を見続けようと努力しているのが見えた。
 責任感の強いやつなのか? そう思うと|意識《メモリ》の隙間に少し余裕ができた気がした。
 かかり続けていたストレスで壊れそうだったもう一人と交代した後に刺されたのが唯一の救いだった。五感に敏感なあいつだけだったら既に錯乱していたかもしれない。
 敵の足に噛みつくなら、これくらいの報復くらい、あらかじめ考えておけよな。
 最後にそう思考を回し、そして余裕が消える前に現状に意識を戻す。
 前には胴体にペンが刺さり、口から泡を吹いて白目を見せているチンピラが、後ろには気が狂って何かをぐいぐいと俺に叩きつけ、刺しているチンピラが。左右に逃げたら背中の傷口が開いてしまうだろう。
 一瞬考えて、俺は仕方なく、後方からこの状態から脱出することにした。
 今さらだ、と思いながら、多少増える鈍い痛覚を覚悟して後ろに体重をかける。見えないが、背中に刺さっている何か――おそらく地面に散らばっている、形状からしておそらく蛍光灯の欠片だろう――がより深く自分自身に入っていく感覚を得る。
 まさか自分から痛い思いをするとは思わなかったのだろう、背後にいた敵は何かから手を放して驚いたように跳ね避けた。後ろの障害物が消えた俺はくるりと180度方向転換。両手に付着したまだ生暖かい赤い液体を凝視して呆然と立ちすくんでいる敵にゆっくり、できる限りの速さで歩み寄り、残った力を使って股間を蹴飛ばした。
「ぐふ――」
 3人目の敵は避けもせず、うめき声をあげて仰向けに倒れる。
 最後の1人はとどめを刺すタイミングをうかがっていたようだったが、残ったのが自分だけになったところで逃げだした。
 逃がしたくはなかったが、もうとっくに限界を超えている俺には追い掛ける力が残されていなかった。
 肩で大きく息をつき、コンビニに向けて投げた鞄を取りに行こうとして、バランスを崩して倒れこむ。
 うつ伏せになれてよかった、とヒヤッとした。仰向けだったら刺さったままのガラス片がさらに突き刺さって飛び出ている部分が割れるところだった。
 立ち上がろうとして、無理そうだったので這いずって鞄を取りに行こうとして。でも時間切れのようだった。救急車が5mくらい先に止まるのが見えた。
 緊張が解けたのだろう、少しずつかすんでくる聴覚にパタパタと足音が届いて、すぐ近くで止まる。視線を向けると葉村だった。
 よかった、これで。
「……なあ」
「!? え、な、なに、どうしたの?」
 もう気絶していると思っていたらしい、少し慌てた返答。
「お願いがあるんだが」
「どんなこと?」
 切羽詰まった葉村の声。死に際の遺言だとでも思っているのだろうか。少しおかしい。俺たちはまだまだ死ぬつもりなんてないのに。
「コンビニの入口に……投げ込んだ……俺のかば……げほっ……鞄、持ってきてくれないか」
 出来心が働いて少し演技を入れてみる。
 泣きそうな顔で“願い”を聞き届けた彼女は、何度もうなづきながら、担架を用意していた救急隊員に引き渡すと破片がばらまかれた地面を踏みつけてコンビニの入口へ近づいていった。
 心底おかしくて、ふふ、と笑いながら、俺は重症患者らしく意識を手放した。
 おい、次に気が付いた時には、お前が表面にいろよ。俺は医者から説明を聞くなんて面倒なことはごめんだからな。

5
 ここはどこだろう。
 私は薄暗い廊下に置いてある長椅子で寝ていたようだった。用意した覚えのない毛布が体にかかっていた。
 きょろきょろと周囲を見回し、ふ、と上を見上げたとき、赤い“手術中”のランプを見つけて昨夜の記憶がよみがえる。
 そうだ、私は――。
 自己嫌悪に陥る寸前。赤いランプが消える。体を起こし、手術室の扉を見つめた。出てきた医師は私を見つけると一直線に歩み寄ってきた。
「あなたが、山本さんの付き添いの方ですか?」
 そういえば彼の家族らしき人はおらず、この場には私一人だけがいた。
 多少の罪悪感を感じたが、とりあえずうなずいた。
「そうですか。では、少々お話があります。私の部屋でしましょう。よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
 長椅子の下から2つの鞄を取り出し、医師の後について病院内を進み始めた。

 彼の病室で枕元に持ってきたパイプ椅子に座って、山本の担当になったという高橋医師から今の状態について詳しく説明してもらったのだが。私はインパクトの強かった一部分しかよく覚えていない。

「先ほども言いましたが、命に別条はありません。ただ、彼の体には不自然なほど傷が多かったのですが、何かご存知ですか?」
「……どういうことですか」
「ご存知ないようですね。……まあいいでしょう。説明します」
 先ほども言いましたが、彼の体には、傷が多い。火傷、切り傷、ほかにもいろいろ。
 まるで、何らかの虐待を受けたような……。

 寝ている山本の顔を眺めている私の頭のなかをぐるぐると、“虐待”という言葉がまわっていく。
 教室で、一人で本を読んでいる。
 体育、暑い日でも下着を脱がずに体操着を着ている。
 にぎやかな昼休み、一人ふらっと教室を出ていく。
 人気のない校舎裏でいつまでもぼぅっとしている。
 情報の授業中、キーボードを尋常でない速度でたたき続ける。
 いつものあいつを思い出しても、私の中の彼はいつも、一人だった。誰かと関わろうとせず、むしろ自らを遠ざけていた。
 何をやっても退屈そうで、誰といてもかったるそうで。
 無視されているわけでもない、勉強やコンピュータについて質問されれば先生より丁寧にわかりやすく答えているし、嫌われているわけでもなさそうなのにいなくてもわからない希薄な存在感、頼まれたって面倒なことは引き受けない。
 引き受けないのに、……なら昨日の彼はどうして私を助けたのだろう。
 彼は目を覚まさず、一人でいくら考えても結論は出ない。
 ……それに、あんなひどい姿を見られてしまった。私は、彼が起きたとして。どんな顔をして向き合えばいいのだろう。

6
 感覚が戻りつつある。冬の朝、暖かい布団のなかで起きたくないのに目が覚めていくあの感覚。触覚が意識に接続され、巻かれている包帯類と麻酔で鈍くなった痛覚を認識した。そして、腰のあたりに重さを感じる。
 二度寝せずにさっさと起きやがれ。
 人ごとだと思って声をかけてくるあいつを無視して目を開ける。ベッドで寝ている僕の体の上で、葉村が突っ伏して寝ていた。起こすのも忍びないが、その体勢だと後で体が痛むだろう。僕自身の足もしびれていたし、なにより重さが傷口に響く。
 ここは病院のようだ。治療が終わっているだろうと予想した。出そうになった悲鳴をかみ殺しながらゆっくり、しっかり足を動かす。
 上に載っていた彼女はうめきつつ、目を覚ました。
「ほら、そこの簡易ベッド使いなよ」
「むー。おはよう」
 いまひとつ寝ぼけているようだ。一発で目が覚めるような言葉をしばし考え、
「学校遅刻するぞ、もう8時15分だ」
 始業時刻は8時半である。今が何時か知らないが。
「えっ、や、やばっ、なんで起こしてくれ……」
 案の定、真面目な彼女に効いた。ばっ、と起き上がる。きょろきょろ周囲を見回して。
 ばっちり目が合う。どういう状況だったか、思い出したようだ。彼女は想像していたよりあわてているようで、何も声を出さず、ただ口を開閉している。
 しばらくはまともな会話はできなさそうだな、と赤くなっていく葉村の顔を眺めて考える。だったら会話をすることではなく、思考を遮るようなことを、何か行動をしてもらった方が思考の冷却にはいいかもしれない。
「なぁ、ここって携帯端末使える場所?」
「うん、マナーモードでいいって、先生言ってたよ」
「そうか。じゃあ悪いんだけどさ、僕の PC と携帯端末、それと汎用ケーブルを取ってもらえないかな」
「あ、え、うん、ちょっと待ってね」
 ぴょん、という効果音がつけられそうなほど椅子から器用に跳ね上がるとごそごそと足元に置いてあるらしい鞄をあさりだした。
 あんな状態だったのに、ちゃんと言いつけ通り、鞄を持ってきてくれていたようだ。
「はい、これ」
「どうも。 AC アダプター、どっかにつないでくれないかな」
「……うん」
 壁のコンセントにプラグをさし、PC側の端子を渡してもらう。
 案の定、携帯端末の電池は空っぽになっていた。 PC を立ち上げ、汎用ケーブルで携帯端末をつないで充電開始。
 てきぱきと PC を使う準備をする僕を見て葉村はやることを思い出したように、
「あ、じゃあ私、先生呼んでくるね」
 そう宣言し、席を立つ。
「よろしく、いってらしゃい」
「まったく、自分の事のくせにさ……」
 ぶつぶつ言いながらも僕なんかのために動いてくれる。ありがたい、とは思うものの、こういう世話好きと親密なコミュニケーションをとった経験があまりない。少し戸惑う。
 いつの間にか、 PC がログインプロンプトを出して待機している。ユーザー名とパスワードを半秒かけずに入力し、続いて携帯端末の電源を入れる。
 PCが起動する時間、約1分の間充電すれば、大抵起動できるようになる。
 携帯端末がオンラインになるまでの間、やることがなくなってしまう。手持無沙汰に、無線 LAN 接続認証突破ツールを走らせる。画面いっぱいに16進数の数列が流れては消えていく。
 想定より単純な暗号化。
「割とちゃんとしてそうな総合病院のくせに」
 総当たりで計算をしても、あと5分と暗号キーが持たないと表示された棒グラフが無情に告げる。
 と、そこで医師を連れた葉村が帰ってきた。医師は僕とPCを一瞥してから言葉を発した。
「……おはようございます。思ったより元気そうで安心しました。私が、担当医の高橋というものです」
「初めまして、山本です。この度はありがとうございました」
「こちらこそ、無事に意識が戻ったようでよかったです。それで、その、説明したい事とお聞きしなければならないことがありまして」
「よろしくお願いします。……あ、お座りになってください。君もな?」
 そういうと、彼女が隅に立てかけられていたパイプ椅子をもう一つ用意した。
 2つの椅子にそれぞれ座って、高橋医師は咳ばらいをした。
「まずは怪我の状態についてですが――」
 退屈な10分が始まった。無線 LAN の暗号キーはとっくに解読できていた。命令者の予想より早く仕事を終わらせたと、そう自慢するようにカーソルが同じ場所で点滅している。

「最後に、お聞きしなければいけないことがあります」
「はい、なんでしょうか」
「その、……言いづらいことなんですが――」
「体の傷についてならお話しすることはありません。調べれば出てくるでしょうから」
 口ごもる様子と僕の腹あたりに向いている視線から話題を推測する。
 どんぴしゃりだったようで、医師は目を白黒しながらもごもごとつぶやく。
 あと一押し。少し冗談めかして言葉を継ぐ。
「虐待を疑っていらっしゃるのなら、そんな事実はありませんのでご安心ください。説明しましたら、それこそ先生がこのような目に遭いますので」
 まだ何か言いたそうにしていたが。目に拒否の色を浮かべて口を閉じていたら根負けしたらしい、溜息を一つついて医師が立ち上がる。
「では、何か質問はありますか?」
「いえ、特には」
 この数分で、医師は一気に疲れたようだった。
「そうですか。何かありましたら、枕元のボタンを押してください。ではこれで失礼します」
 それだけ言い残すと一礼して病室を出ていく。
 包帯や固定具で固められた首を動かせるだけ使って会釈を返した。
 葉村はといえば、呆けたように座っていた。医師が出て行き、扉が完全にしまってから。
「……ねぇ。さっきの、本当のこと?」
「さっきの、が何を指しているのか今一つよく分からないんだが」
「虐待されたことはない、って」
「ないよ。断言できる」
 一拍。
 何かが切れたように、葉村は椅子を蹴倒して立ち上がる。
 椅子と床が発するけたたましい音にかぶせて怒鳴る。
「じゃあ、何で傷だらけなのよ!?」
 耳をふさぐジェスチャーをしようとして腕が動かない。仕方がないから苦笑しながら答えてやる。
「落ち着け。……いいか、先に聞くが。君は、日常が、壊れてもいいのか?」
「……何を言ってるの? 意味が分からない。日常、ってどういうこと?」
「言葉通りだ。君の――」
 途中で遮り、葉村は言葉を継いだ。
「いいよ、私はなんとしてでも聞き出す、って決めたもん。そんなに話したくない事なの?」
「そりゃ、人に隠すならそれなりの理由があるだろ」
「でも教えて」
「嫌だ」
「なんで!? 心配するな、っていうの?」
 落ち着いたと思ったら再び怒鳴りだす。
「おい、ここどこか分かってるのか、病院だぞ?」
「分かってる、分かってない。どうしてはぐらかすのよ」
「落ち着けって。支離滅裂だぞ」
「嫌。絶対、教えてくれるまで騒ぎ続ける」
「そんな駄々こねるなって」
「じゃあ教えて」
「ダメだ」
 話が堂々巡りしているうえ、微妙にかみ合ってない。
「なんでそんなに他人が気になるんだ? 理解できない」
「……はぁ? 私は他人なの? そうなの、ねぇ!」
 彼女が爆発した。
「他人だろ。そうでなきゃ単なる同級生――」
「そんなわけないじゃない、馬鹿!! なんで? 私には何も出来なかったって、あてこすっているつもりなの!? そんなこともわからないの?」
 どの単語だったのか知らないが、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。更に過剰に感情をぶちまけ騒ぎ出す。何か拙いことを言っただろうか。
「君、おかしいよ。どうかしてる。私のせいでこんな目にあった、ってストレートに言ってくれたほうがまだマシだよ。なんでそんな皮肉を言って片付けようとするの? 言いたいことがあるなら言えば、見ているだけでなぜ何もしてくれなかったんだって、糾弾したいならすればいいじゃない、本当に君は人間なの? 思いやりって知ってるの? 私を助けてくれたのはうれしかった、でも。こんな仕打ちをするくらいなら、あんな私だけのヒーローみたいなことしておいて。……好きになっちゃった相手にこんなに無神経にひどいこと言われるほうが、傷つけられるほうが何倍も辛いんだって、ねぇ教えて、君は感情を持ってるの? おかしい。変。異常。教えて、どうしてそんなに歪んでるの?」
 一気に畳みかけられた。
 歪んでいる? まあそうかもしれないな。
 感情がない? そうさ、僕の感情は後付で作られたものだ。
 異常だって? 今さら何を言っているんだ、そんなこと自明じゃないか。
 黙り込んでしまった僕を見て、怯んだように押し黙る葉村。
「ごめん、言い過ぎた。……ちょっと頭冷やしてくる」
 そう言い捨てて葉村が出て行く。引き止める隙を逃す。
 はぁ、仕方ない。押し問答を続けるのにこんなに体力を使うなんて知らなかった。
 それに病院にずっと、一晩も付き添ってくれる献身的な女の子を傷つけた、とか看護師さんたちに思われるのも面倒だ。しょうがない、荷物はここに置きっぱなしだし、帰ってきたら少し話してやろうか。
 溜息を一つ。
 PC の画面内で無感動に点滅しつづけるカーソルを眺める。
「……お前はいいな、何も気にせず、ずっと止まっていられて」

 しばらくして傷心したような彼女が帰ってきた。
 目を合わせないように無言で自分の荷物をまとめ、鞄を肩にかける。
 そして何も言わず、視線を逸らせたままおざなりにただ一礼してあいつは病室を出ていこうとした。
「なぁおい、身の上話を聞きたいんじゃなかったのか?」
 足を止め、振り返らずに小さくつぶやく。
「言いたくないんでしょう、私には話してもらえるほどの信用ないんでしょう?」
「そう僻むなよ。悪かった。教えてやるよ、過去を。もしかしたら、僕らも誰かに、自分たちがやったことを自慢したいのかもしれないから」
 彼女がさっと体の向きを変え、僕と視線を合わせる。
 そして最終確認。
「でも、」
 一言一言、語調と表情の調整に細心の注意を払って。
「本当に、君は。周囲が、環境が、日常が、生活が。壊れてもいいのか? 引き返すことも、やり直すことも。なかったことにすることもできなければ、きっと忘れることもできないぞ」
 おそらくは。このことは、他人に教えたことがばれたら、関係者の生活と価値観が激変する。
 それはもう、残酷なまでに。
「それでもいいんだな」
 少しづつ、葉村の表情が変化する。
 何か、痛みをこらえたような顔が、悔しくてたまらない顔に。
 ああ、これは泣くな。
 そう思った直後。涙を流す直前。
「……そんなに私に信用がないの……?」
「いや、たぶん耐えられないだろうな、と危惧している」
「それでも聞きたい、ってさっきから何度も言ってるじゃない……」
「そうか、分かった。準備してきなよ」
「心の準備なら……」
「違う。僕の喉が渇くだろうからなんか飲み物買ってきて欲しいんだ。ついでに君の分も買ってきなよ。財布は……どこやったっけ」
 制服のズボンに入れたままだったか。
 一瞬呆けたような顔をして、勘違いに気付いた葉村の顔がみるみる赤くなっていく。
「い、いい、私が買ってくるから」
 帰るために持っていた鞄を投げ落として逃げるように病室を出て行き、財布を忘れた彼女が更に顔を赤くして慌てて駆け戻ってくる。
 ……お前はサザエさんか。

7
「話すのはいいけど、学校はいいのか? 飲み物買いに行ってもらってる間に時間確認しておいたんだけど、今、13時過ぎじゃないか」
「今日はいいの、病院へ行くって電話してきたし。私、ウソは吐いてないよ? 昨日はあんなことなっちゃって寝れなかったからきっと授業中寝ちゃうし、それに……」
 私が居たかったんだもん。
「最後、なんて言った?」
 最後の言葉が小さくて聞こえなかった。
「……いいの、気にしないで。何も言ってないから」
 引いてきた血がまた上ってくる葉村。
「……そうか。あんまりサボるなよ?」
「山本には言われたくないわ」
「心外だなあ、僕はちゃんと授業に参加してるよ」
「いつもノート書いてないじゃない」
「だって要らないし。あんなの、手が疲れて汚れるだけだ」
「ふん、この成績優秀者め」
「もう一つ。君が僕の怪我を心配する必要はない。これは僕が勝手に巻き込まれに行ったもので、その判断に君はまったく関係ない。いいね?」
 不服そうな、申し訳なさそうな表情を見せる葉村。でも言葉は挟まなかった。
 さて、始めようか、つまらない話を。僕の過去と、僕の由来と、僕の犯罪と。教えられる部分だけでもたぶん彼女の許容を超える話を。
 残酷で救いのない、本来なら僕ら2人だけで背負っていくべき話を。

<無題> Type1 第1章原稿リスト
序章原稿リストへ戻る 第2章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 第5章 第2稿

2013.06/19 by こいちゃん

<無題> Type1 第5章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

断章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第5章

1
 僕の疎開計画は着実にできていった。
 まずは産業情報庁の|顔なじみ《・・・・》の職員にメールを送った。電子戦要員として腕のいい傭兵を雇わないかと持ち掛ける。
 政府が発行する特別徴兵免除証(また“特別”だ)をもらえれば、戦地に赴く必要はなくなる。それさえ発行してもらえるのなら、いけ好かないやつらと職場を共にしてあいつがへそを曲げるのをなだめるのだって構わない。

 赤葉書をもらってから、4日目。
 メールに返信はなかった。その代わり、地下室に引き込んでいた仮設インターホンが来客を告げた。
 本を読んでいた母さんはビクッと肩を震わせ、飽きずに花札をやっていた葉村たちは訝しげに顔を上げ、僕はキーボードを休みなく打ち続けていた手を止めた。
 四半秒に満たない沈黙と硬直。顔を見合わせて目で会話する。インターホンの一番近くにいた僕が出ることにした。座っていたローラー付きのイスを転がして梯子の降り口に置いた受話器を取り上げる。
「はい」
『山本さんのお宅ですか?』
「そうですけど」
『ヤマモトユウキさんにお届けものです』
「……はあ」
 郵便はともかく、宅配便なんてとっくに機能していないと思っていた。振り返りると固唾をのんで見守っている3人、うなづきかけてインターホンの向こうに答える。
「今行きます」
 そう言って受話器を置いた。
「ちょっと行ってくるよ」
 心配そうにしている3人に声をかけ、僕はハンコを持って梯子を登った。

 空襲があった後、毎回閉めている気密扉を警戒しながら押し開けた。宅配便というのは嘘で、押し込み強盗やその類の可能性も残っている。今は平和な日常ではない。
 地下室の入り口には誰もいなかった。
 光差し込む地上へ梯子を登る。頭を出す時にも、地下から持ってきた手鏡で辺りを見回した。
 大人2人が箱を抱えて立っていた。道と私有地の区別のなくなった地面、少し離れたところにミニバンが止まっている。
 危なくなさそうだ、と判断を下す。穴から出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、それにしても、きちんと警戒していらっしゃるんですね」
 そんな会話をしながら段ボール箱を受け取り、伝票に判を押すために一度地面に置く。
「当たり前じゃないですか、宅配業者に偽ってやってくる人たちがいるかもしれないじゃないですか」
 業者の2人が、いや。それに扮した産業情報庁の職員が押し黙る。
「……いつ気が付いた」
「たった今、確信を得ました。本物の業者なら、ハンコを押させてから荷物を渡すのではありませんか」
「それもそうだ。最近この手の仕事がなかったからな、つい忘れてしまった」
 本当は違うだろう。おそらく僕を試したのだ。新しい部署とはいえ、練度が低い組織では決してない。
 クリップボードに貼り付けられた伝票に受領印を押す。
「それで、わざわざこんなところまで来た用事はなんですか。あなたたちが直接出向くだけの何かがあるのでしょう?」
「心当たりがないわけでもあるまい。……さっくり本題に入ろう。君、あのメールの本意はどこにある?」
「読めば分かるように書いたつもりだったのですが」
「用件はな、確かに分かった。俺らがこんな真昼間に派遣されてきた理由は、何故お前があのメールをわざわざ出したのかを聞くため、だ」
「それを本人に聞かせていいのですか」
「知らん。俺は全権を任せると言いつけられた。任せられた以上、俺は俺のやり方でやるまでだ」
「話を戻しますが。メールの本意、とはどういうことを聞きたいのですか」
「何のきっかけもなくあんなメール送らないだろ、お前は」
「そうですね。……でも、特に言う事はないんですが」
「何を焦っている? 別に、君ほどの実力があれば、ただ普通に徴兵されても、どうせうちに来ることになるだろう?」
「そうとも限らないから、焦っているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのくらい、そちらで考えてください。得た情報から発言者が何を考えているかを推測するのも、仕事のうちでしょう?」
「……」
「もう、いいですか? そろそろ、下で待っている家族に心配かけるので」
「……今のが君の答えなんだな?」
「はい」
「そう報告しよう」
 つかまれていた手首を放される。離れて分かった、少し汗ばんでいた。
 |産業情報庁構成員《スパイ》から宅配業者に戻った2人組が、ありがとうございましたー、と言いながら車に引き返していく背を見送った。
 周りに何もなくなった東京を、砂埃で汚れた、どこにでもありそうなミニバンが走っていく。
 僕はしばらくそのまま突っ立っていたが、のろのろと地面にぽっかり空いた穴へ降りて行った。

2
 次の日。計画が完成した。
 他の3人を説得するための資料も抜かりなく用意した。
 4人、昼食が終わったタイミングで床のちゃぶ台を囲むように座る。
 少し身構えていたようだったが、5日間かけて準備した甲斐もあり、特に反対意見もなく計画を説明し終え、納得してもらった。
「これから、東京はより酷く破壊されるだろう。地上から建物はなくなったが、まだ川を決壊させて地下鉄網を水没させることもできるだろう。この地下室自体はシェルターとして申し分ない強度を持っている。だが、下水管が水没したら換気がよりしづらくなるし、いつまでも人口がこれからも減り続ける東京にいたって、発電用の石油が足りなくなってしまうから、生活することはできない。中でこれ以上、人が生活することを想定して設計されていないからだ。それに、いつ出入口の穴がふさがるか分からない。次の攻撃でふさがるかもしれない。だから東京から出て行くべきだ。で、相談だ。行き先はどこがいいと思う?」
「……うちに来ない?」
「葉村の実家?」
「そう。秩父なら、うちの実家があるわ」
「秩父って、埼玉県西部の山中か」
「山中ってほど山ばっかりじゃないわよ。電話貸してくれれば、うちに来れるか、聞くけど」
「そんな、ご迷惑になるんじゃないかしら」
「うぅん、困った時はお互い様だよ。うち、古い家だから、無駄に広いんだ。3人住む人が増えたくらい、どうってことないよ」
「あ、いや。2人だ。僕は行かない」
「「「……え?」」」
 立ち上がりパソコン机に置いてあった葉書を見せる。母さんが受け取り、2人が覗き込んだ。
「徴兵……」
 呆然とした様子の葉村。なぜすぐに伝えなかった、と視線が怒っている妹。あきれて溜息をもらす母さん。
 葉村の呆然が、がっかりに変わった。
「……そうなんだ、君は来ないのね」
「そうだ」
 しばし沈黙が横たわる。そんな場をとりなしたのは母さんだった。
「これはこれで仕方ないか。あんたも、こういう大事なことはすぐに言いなさい。分かったわね」
「……はい」
「よろしい。改めて、残される私たちがどうすればいいか考えましょう。食べ物とか、足りるのかしら?」
 不満は顔に出ているが、気持ちを無理やり切り替えようとしている女の子2人も母さんと調子をあわせた。
「農家だから大丈夫だと思います。足りなければ使ってない畑を起こせばいいだけなので」
「ななみちゃんのうちかー、あたし行ってみたいなぁ」
 ついに“ななみちゃん”と呼び合うまでの仲になっていたらしい。
「分かりました。気が引けるけど、とりあえず電話してみましょう。いざとなれば私たち2人くらい、どこにだって住めるわ」
「じゃ、山本。電話貸して」
 抜かりはない。既に用意してある。
 パソコンとインカムを手渡すと、この場で発信ボタンをクリックした。
「もしもし……あ、お姉ちゃん? ……うん、そう、私。……大丈夫、超元気。……うん、代わって代わってー」
 そこまで会話して、葉村はおもむろにインカムがつながっていたイヤホン端子を引っこ抜いて言った。
「みんなで聞いたほうがいいよね」
『もしもし? ななみ?』
「うん、そう。久しぶり」
『元気……そうね。今日はどうしたの?』
「あのね――」
 かくかくしかじか。葉村が的確にまとめて、先ほど僕が説明したことを繰り返す。
「――ってことなの。うち、泊まれるよね?」
『ええ、2人くらいどうってことないわよ。……そこに山本君の母上もいらっしゃるの?』
「うん、聞いてるよ」
『あらま、私の声まる聞こえなの? そういう事は先に言ってちょうだい』
 電話の声が遠くなり、咳払いをしている音が聞こえる。
『失礼いたしました、いつも娘がお世話になっております。葉村ななみの母でございます』
「はじめまして、山本祐樹の母です。こちらこそ娘さんにはよくしていただいて」
『いえいえ、そんなことは』
「「お母さん、電話なんだから手短にしようよ!!」」
 2人の娘が声を合わせる。
 お世話になるほどの何が兄さんとの間にあったの、と悶える妹。
 ああミスったキャッチホンにするんじゃなかった、と頭を抱える葉村。
 声がそろったことにすら気づかないほどのダメージを受け、恥ずかしさが振り切れたらしい。そんな娘たちの悲鳴を聞きつけた2人の母が、電話のこちらと向こうで笑った。
 2人で詳細を詰めていく。
「本当に私たちが押しかけてもお邪魔じゃありませんか?」
『お気になさらず。お客様をおもてなしするのは好きなんですの』
「何か不足しているものはありませんか? 一緒に持っていきます」
『そうねぇ、植物の種、もし余っていらしたらお願いしようかしら。今あるのが尽きたら大変ですから。発電装置とかはうちにもありますから結構ですわ』
「分かりました。では、何時そちらに伺えばよろしいですか?」
『いつでも結構ですよ、それこそ今日これからでも。といいますか、車はお持ちですか?』
「え? いえ、持ってないですけど」
『でしたら、私、そちらに伺います』
「そんな、よろしいのですか」
『お気になさらず、構いません」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
『明日の午後、14時ごろではいかがですか』
「はい、明日の午後2時ですね。よろしくお願いします」
『失礼いたします』
 電話が切れた。
「種……どこに売っているのかしら」
 その場で力尽きたように倒れている娘たちに、その答えを返す気力は残っていなかった。

3
 それから僕らは忙しくなった。
 母さんと妹は葉村の実家に疎開するため、空襲が収まったタイミングで外に出て必要になる物資を買い集めに出て行った。池袋駅は地上の駅ビルこそなくなってしまったが、地下街はまだマシと言える被害で済み、そこで闇市が開かれているのだ。
 母さんたちよりも土地勘のない葉村は、持っていく着替えなどをまとめている。
 僕はといえば、昨日の小包を開けて徴兵に応じる準備をしていた。格好だけでも行くふりをしておかないと、実は応じるつもりなんてないという事がばれてしまう。
 小包の中には圧縮衣服が8つ入っていた。
 大きさ的に考えて灰緑色の上着とズボンが2組、黒い下着が4枚だろう。ビニールをはがした圧縮衣類を、水を張った洗濯機の中にまとめて放り込む。
「さすが国からの届け物だね。今時、圧縮衣類なんて加工が面倒で作られていないと思う」
「いや、製造年を見たら、5年ほど前だったから。まだ余っていたものを箱詰めしたんだろ」
「お母さんたちが子供のころにはあんまり一般的じゃなかったそうだから、なんか気持ち悪く見えるらしいんだけど。私、これを水につけて、膨らんでいくの見てるとドキドキするんだよね」
「分からなくはないな」
 だいたい缶ジュースほどの円柱形だった黒い塊が、みるみるうちに水を吸ってTシャツの形をほぼ取り戻した。茶筒くらいの大きさだった上着はまだもう少しかかりそうだが、既に形が分かるほどにはほどけている。
「……ふえるわかめちゃんみたいだね」
 確かに、色と言い水を吸って元に戻るところと言い、乾燥わかめそっくりだ。

 完全に圧縮衣類が元に戻るまで、2人で洗濯機をのぞいていた。
「そろそろいいか」
 コンセントにプラグを差し、溜まっていたほかの洗濯物も放り込んで洗濯機のスイッチを入れた。
 外に干すことはできないが、乾燥機も使えば明日の朝には乾くだろう。

 母さんは散乱している僕の本を読み、妹は菓子を食べながら古いアニメのビデオを見、葉村はその日一日の日記をつけ、僕はコンピュータに向かって作業をする。
 みんないつもとやっていることは同じなのに、今日はみんな口数が少なかった。母さんと妹があまりしゃべらなくなると、自然に葉村もあまり口を開かなくなった。
 僕ら家族にとっては、暮らしていた土地にいられる最後の夜だ。
 それは分かる。でもいくら考えても、何故、今日に限ってこんなにも静かなのかが分からない。
 僕は数年間にわたってこの地下室全体をコンピュータに守らせるためのプログラムを途切れることなく書きながら、そんなことを考えていた。今日中には完成するだろう――。

 夜が明けた。
 軽く朝食を摂ってから、自分の食器や最後まで使っていた炊事道具などを荷造りする。
 僕は3台のWSにつながったディスプレイを取り外した。いざというとき、精密機器のパソコン周辺機器はきっと高値で売れるはずだからだ。少し考えて、WSも1台譲ることにした。
 ……することがなくなってしまった。
「まだ、11時前じゃない。どうするの、まだ2時間以上あるわよ」
「トランプでもして遊ばない?」
「あまりに暇だものね……」
「僕はパス。本の整理してくる」
 この前応急で片づけた本がそのままになっている。
「あ、そう。つまらないわね」
「いいもん、兄さんがうらやましくなるくらい楽しんじゃうもん」
「……頑張れ」
 そう言って僕はパソコンを持って地下準備室から出た。

 4人で暮らしたこの1ヶ月で雑多にものが散らかっていた地下準備室は、ここから出て疎開するにあたってきれいに片づけられていた。もともとここにあった、私たちが生活するためのスペースを埋めるほど多かった本も、本棚ごと下水処理装置操作室に運び込まれている。
 がらんとした地下室は実際の気温以上に冷えているような気分がした。
「……何しよっか」
 トランプを切りまぜながら声をかけると、山本が出て行った鉄扉を放心したように見ていた山本の苗字を持つ親子は、同じしぐさで私を振り返る。
「ななみさん、トランプはやめにしない?」
「……え?」
「遊ぶのをやめよう、ってことじゃなくて。私、母親なのに、最近のあの子のこと何にも知らないなあ、と思ってね」
「学校での祐樹くんの様子、ですか」
「そう。情報交換、しない? 過去のことも知ってるあなたなら、私たちも気兼ねなく、何でも話せるし」
「あたしも、学校での兄さん、知りたいなぁ」
「分かりました、情報交換、しましょう」

 13時をまわった。そろそろ作業を切り上げて、昼食の準備をするべきか。
 適当に積み上げられた文庫本の隙間に入り込んで操作室に設置されたコンソールをいじっていたため、腰が鈍い痛みを伝える。苦労して操作室から出て気密扉の鍵を閉めた。
 キーボックスに鍵束をかけ、そのまま処理装置室を通り抜けて準備室の鉄扉に手をかける。
 何かが、僕の中で動いた気がして思わず後ろを振り返る。暗闇に沈む下水処理装置のパイロットランプが光っていた。
「……」
 今のは……。
 掴めそうで捕まらないモノがするりと逃げて行った。

 4人で地下室の備蓄食料だった魚の缶詰を食べた。
 賞味期限が4年過ぎていたことに葉村が怒っていたが、別に腹を壊すこともないだろうし食べても問題はないだろう。
 そうこうするうちに約束の時間になった。時間ピッタリにインターホンが鳴る。
「……はい」
「はじめまして、葉村ななみの母でございます。山本さんのお宅ですか」
「そうです。これからお世話になります」
 念のため慎重に地上への気密扉を開いて、気持ちのいい快晴、青空の下へ出る。
 妹が、空にこぶしを突き上げて伸びをしていた。
 4人そろって地上に出たのは何日ぶりだろうか。
 葉村母は、軽トラックを背に立っていた。
 僕ら5人は葉村の紹介を受けて、順に自己紹介を済ませる。
「よかった、ずっと地下室にこもっていらっしゃると聞いていたので、もっと顔色が良くないものだと思っておりました。皆様お元気そうで安心です」
「確かに、地下にこもっている、と聞くと不健康そうですね」
「……挨拶はそこそこにして、早く荷物積んで出発しようよ」
「それもそうね。祐樹、この前の荷物を上げ下げするモーター、持ってきてくれる」
「分かった」
 担いでいたロープの束をそこに置き、僕はひとり地下に戻る。
「おーい、ザイルの末端、どっちでもいいから降ろしてくれ」
「はぁい」
 モーターをロープで上げやすいようにカラビナを取り付ける。するする降りてきたロープの先端を簡単な輪に結んでカラビナをかける。
「持ち上げてくれ、結構重いけど1度だけだから」
 地上から了解の声が届く。完全にモーターが宙に浮くまで、壁にぶつからないように上手く支えてやる。
 モーターが地上に届けばあとは楽な作業で、葉村の実家に持っていく荷物を垂れてきたロープに括り付け、地上にあげる繰り返し。
「これが最後の荷物だ」
 段ボールが地下から見えなくなると、地下準備室はがらんとしてしまった。
 僕は長く息をはきだし、発電機の出力を落としに操作室へ向かうことにした。
「地下室、封印してくる」
 地上に声をかけて準備室から出た。

 ここに下水道経由で細々と供給されてくる非常電源が失われたときに、自動的に発電機が稼働するようにセットして、貴重な石油燃料を消費し続ける発電機を一時停止させる。
 途切れない電気が必要なのは、地下室の封印をする電磁ロックと、それを監視・操作するためのWSだけ。僕らが地下室で生活するときほど電気は必要ではない。下水道線が停電したさい、発電機が稼働するまでのつなぎとなる2次電池の電解液を補充してから僕は地下室を出た。
 気密扉脇の外部端子箱に汎用ケーブルでノートパソコンをつなぎ、開錠コードを設定してから完全に地下室を封印する。
 放射線を通過させないだけの厚さと、空爆にも耐えられるだけの強度を持つコンクリート造りの地下室は、壁に穴をあけるのも容易ではない。正規の手段でこの気密扉の鍵を開けるしか、この地下室に入ることはできなくなった。
「……閉まった?」
「ああ、問題なく施錠した。開錠コードの予備は誰に渡せばいい?」
「お母さんに一つ、頂戴。やり方を教えて」
 僕はいまどき骨董品のカートリッジディスクに開錠コードを書き込んで母さんに手渡した。
「ずいぶんと懐かしいメディアねぇ、お母さんの会社でも保管庫でしか見たことないわよ」
「保存には一番いいんだ、壊れにくいから」
「あらそうなの」
「ここの箱を開けて、このスロットに差し込むだけで開錠できるから。もう一回ロックするときにはパソコンが必要だから開錠コード作らないで鍵を閉めないように」
 それだけ言ってから僕は母さんをうながして、地上へ登る。この井戸のような入り口への通路も印だけつけておいて簡単に見つからないように埋めておく。
 結局、葉村の実家に出発できたのは15時をまわっていた。

 都内は道なんてあってないようなものだった。街路樹が植わっていた土がアスファルトにまき散らされ、倒れた標識が折れ曲がって焦げた気に刺さっている。遠くから見ている分には地平線すら見えていたのに、車に乗っていると、立派な幹線道路は細かい亀裂が走っていたりアスファルトがめくれていたり、瓦礫が道をふさいでいたりと無残な有様だった。
 郊外に近づくにつれ瓦礫の山・平らな土地の割合が減り、家や街路樹が増え、出せる速度も上がってくる。山が少しずつ近づいてくるころにはほとんど被害を見受けられなかった。
 荷台に椅子を置いて座っていたせいでいい加減、尻が痛くなってきたころ。2時間ほどで着いた葉村の実家は、古くからそこにあるような貫禄を持つ2階建ての広い日本家屋だった。家の前には家と同じくらいの大きさを持つ車庫があり、軽自動車とトラクターがとめられていた。
 玄関前の広いスペースで車を降り、荷物を下ろす。そうこうしていると家の中から40代くらいの男性と、妹と同じくらいの男子が出てきた。葉村の父親と、僕の妹と同じ年だと聞いていた弟だろう。
「おお、ななみ」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいまー」
「お姉ちゃんの彼氏、っていうのがその人?」
「え、な、彼は彼氏なんかじゃないわよ!?」
 裏返った声で変な日本語を叫ぶ葉村。
「そんなこと言ってなくていいから、その、荷物、うちの中に運び込むの手伝ってよ」
「へーい」
 これ、持ってきます。
 葉村弟が地面に下ろしてあった段ボール箱の一つをかかえた。
「あ、ごめんね。この荷物、どこに運べばいいの?」
 同学年だからだろう、気安く葉村弟に話しかける山本妹。僕と違い社交性の高い彼女のことだ、きっと無事にやっていけるだろうと心配はしていない。

 この夜は、貴重だろう油を大量に使う天ぷらをごちそうになった。油をつかう料理はそれなりに食べていたが、出来立てで温かい揚げ物は久しく食べていなかった。それが当たり前だと思うくらいに。
「そういえば」
「はい、なんでしょう?」
 葉村母はうふふと含み笑いを漏らした。
「祐樹くん、今夜はななみと同じ部屋でいいわよね」
「僕はどこでもいいですよ、それこそ廊下でも」
「こいつ、私が遊びに行ったら、布団足りないから、って寝袋で使わせようとしたのよ」
「あらー、いいじゃない。そのまま襲われちゃえばよかったのに」
「お母さん!」
「なによ、祐樹くんとならお母さん、許しちゃうけど」
「なんで今日車に一緒に乗ったくらいの単なる同級生をそんなに信頼してるのよ! 普通、女子高生の親ならもっと、娘と親しい男子に対して注意を払うものじゃないの!?」
「だって、結構男前だし。なかなか素敵な人だと思うけど」
 本人の前でそういう会話を繰り広げるのはどうかと思うのだが。今は僕が出ているからいいものの、内側ではあいつが恥ずかしい恥ずかしいとのたうち回っている。
 気まずいとは思うが、そんなに赤面してばたばた暴れるほど恥ずかしいものなのだろうか。
「じゃ、そういうわけで、祐樹くんの布団はななみの部屋に運んでおくからね。先にお風呂に入ってらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます」
 本来なら布団を運ぶくらい自分でやるべきなのだろうが。あいつがあまりにこの場から離れたがっているので、葉村母の提案に甘えることにした。

 なかなかいい加減の湯だった。俺は明日の朝、ここを出発しなければならないということになっているので、早めに寝させてもらうことにする。柔らかいふかふかの布団も懐かしいようなにおいがした。既に電灯は消されている。
 そして隣に葉村がいる。
「さっきはゴメン、お母さんが変なこと言って。恥ずかしかったんじゃない?」
 彼女の頬はいまだ赤い。
「かなり、な。よくもまああいつはあのやり取りを生で聞いておきながら平然としてられるもんだぜ」
「あはは、そうだと思った。……山本」
「ん、どうした?」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「当たり前じゃねぇか、何を不吉なことを言ってんだ」
「ご、ゴメン。そうだよね、当たり前、だよね」
 本気で心配してくれているらしい葉村に対して、少し罪悪感を感じる。本当は徴兵なんて、最初から応じるつもりは最初からなかったんだぜ。そうぶちまけたくなって、あいつにたしなめられる。
「……」
 不自然な間が空いたまま、開きかけた口をそのまま閉じた。
 あたりが明るく、お互いが見えるような時間帯だったら何を言おうとしたのか重ねて質問されていただろう。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
 自制が利かなくなってしまう前に、俺は睡眠に逃げることにした。
「……え。そう、寝ちゃうんだ」
「……? 何かしたかったのか?」
「うぅん、別に、特に。なら私も寝るよ」
「そうか」
 なんとなく拍子抜けしたような葉村の応答が釈然としなかったが、俺は無視して目を閉じた。

4
 翌朝は快晴で、少し暑かった。
 僕は先日送られてきた服を袖まくりして着ていた。
「では、いってきます」
 必要な装備を入れたリュックサックを持って、葉村が運転席に座る軽トラックに乗り込んだ。
 荷台には昨日下ろし忘れていた、太陽光発電機一式や僕の野宿道具が積まれたままにされていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 母さんが心配そうに声をかける。妹はそっぽを向きながら横目で僕のことを見ていたし、葉村父は先ほど町内会の会合に突然呼ばれてしまい、手伝いに弟を連れて出て行ったきりだ。
 僕は自分の家族へ、最後に笑いかけて葉村に合図する。
「出すね」
 葉村は一言、そう呟いてアクセルを静かに踏み込んだ。
 彼女達に手を振って、僕は視線を外した。
「――あのね。アドバイスが欲しいんだけど」
「僕が答えられるものなら」
「行動を起こしてから『ああやっちゃった』って後悔するのと、行動を起こさずに『なんでやらなかったんだろう』って後悔するのだったら、どっちがいいと思う?」
「……僕らなら、前者を選ぶかな」
「そっか……」
 車内の空気が沈む。
 葉村は僕の答えを聞いて、2回、落ち着けるように深呼吸をした。
「じゃあ、私もやって後悔することにするわ」
「そうか」
「単刀直入に聞きます。山本くん。君はどこへ行こうとしているの?」

「――え?」

 同時に葉村は、車を一台も見かけない田んぼに囲まれた道、そのわきに車を寄せて停車した。
「ずっと不安だった。なんか、君の“徴兵用意”が、なんとなくどこかが不自然に見えて。だから、ふっと思ったの。もしかしたら、軍に行くつもりなんてないんじゃないか、って」
「……」
 ここで何も言わないのは不自然だと思ったのだが、とっさのことで言葉が継げなかった。
「ウソはつかないでね、お願い。別に、私はまったく怒っていないから。どんな答えが返ってこようと、引き止めたりなんかしないから」
 君を信頼しているのは、何も私のお母さんだけじゃないんだよ?
「君がいろんなことを考えて出した結論だもん、きっと間違ってることなんてないよね」
「間違ってるかもしれない。僕だって人間だからな」
「そうかもね、でも君は間違っていると自覚している選択肢を取ることなんてしないじゃない。それに、私が答えて欲しい質問はそれじゃないことくらいわかってるよね」
 仕方がない、意外と強情な所のある葉村には、本当のことを言ってしまうほかないか。押し問答をして無駄な時間を使う事は避けなければならない。
「確かに、ご想像の通りだ。僕は徴兵に応じるつもりなんて全くない」
「やっぱりね。じゃあ、どこへ行こうとしているの?」
「どこか山の中で野宿しようと思ってる。電気と回線とコンピューターさえあれば僕は戦える」
 だろうと思った。
 ハンドルにもたれかかって、葉村が囁いた。
 しばらく、どちらも動かず、どちらも喋らなかった。
 ばれてしまった以上、彼女を巻き込みたくはない。知らなければいくら聞かれたって答えられないが、知ってしまった以上尋問されたら嫌でもいつかは答えてしまうだろう。僕は車から降りようとした。
 その動作を止めるように、葉村が起き上がり、もう一度さっきより深く息を吸い込んだ。僕の目を正面から覗き込んで言った。
「さっきも言ったけど、私は君を引き止めたりしないわ。だから――」
 決心するように葉村は唾を飲み込んで。……もう一度深く息を吸って。
「私もそこへ連れて行って」
 そう言った。
「…………」
 不覚にも、短時間に2度も驚かされてしまった。普段ならこの程度の切り返しは簡単に想定できたはずなのだが。
「……嫌だ」
「嫌? 今表面に出ている山本祐樹は感情を持ってないほうだよね。何でそんな感情的な言葉が出てくるのかな。ちゃんと真剣に考えて言ったんじゃないんでしょう?」
「……」
「私だって、きっちり考えたんだ。今のは、いつもと同じような君を困らせるための冗談みたいなお願いじゃない」
「ダメなものはダメだ。連れていくことはできない」
「どうしてもダメだと言うのなら、いつもの君みたいに理由を3つ挙げて、レポート書くように私を説得してみてよ」
「まず、危ないから。政府を敵に回してまで君が僕についてくる理由が『感情的になっているから』意外に考えられない。次に、君が僕についてきたときのメリットがないから。実家の農業を手伝って日本全体の食べ物を少しでも作ったほうがいい。最後に、お前の分の生活を支える道具を持っていないから。僕の野宿セットは1人用だ、もう一人、それも女の子が生活するための物は持ち合わせていない」
「まず、私は君くらい、うぅん。君よりもいろいろ考えた末に君についていく結論を出した。私がついていく、って言い出すことを想定に入れていなかったじゃない。視野が狭くなっている証拠だわ。次に、私がついていくことで、君はより健康的な生活を送れるようになる。君、農業なんてやったことないでしょ。何年続くか分からないのに毎日毎日インスタントやレトルト、保存食料で生活するつもり? 最後に、私は自分で使うためのキャンプ道具なら持ってきてあるわ。そこまでおんぶにだっこでいるわけないじゃない」
 なんとなく嫌な予感が、葉村に押し切られてしまいそうな予感がした。
「……いや、だからと言って人様の娘さんを勝手に個人のわがままにつきあわせる訳にはいかないし」
「わがままを言っているのは私よ?」
 彼女と、似たようなやり取りを、ほんの1ヶ月くらい前にしたような覚えがある。
「そのとおり、だが」
「私を連れて行きなさい」
「拒否する」
 僕の過去を聞き出した時だ。つまり、そろそろ彼女はキレて――。
「なんで? 私にはそんなに信用がないっていうの!? 君は、勝手に途中まで人を助けておいて中断するつもりなの? あんまりにも無責任だと思うんだけど!! ……なんか言いなさいよ卑怯者!」
 案の定、爆発した。
 しかし彼女に卑怯者呼ばわりされる筋合いはないと思うのだが……。
「連れていけるものならとっくに相談していたさ。危ない状況にある人間を助けるのはよくあることじゃないのか? せっかく助けた人を、わざわざ危険に近づけるほうが無責任だと思うのだが」
「もう半ば巻き込まれちゃったもん。だったら最後まで付き合わせなさい、って言ってるの」
「勝手に巻き込まれに来たんだろうが」
「だったら私に感づかれないように、もっとうまく立ち回ればよかったんじゃないの?」
「…………ただの言いがかりだ」
「言いがかり上等、いいから私を連れて行け」
「人が変わってるぞ」
「君はたった3ヶ月くらい同じクラスになった女子の性格をばっちり把握できるんだ、凄いね」
「そんなことは」
「まあそんな些細なことはどうでもいいの、話を逸らさないで。私を一緒に連れていくの、行かないの?」
「連れていくわけが……」
「ならこのまま連れ帰る。向こうから人が来るまでうちに縛り付けてやる」
 無茶ばっかりだ。それにさっきと言っていることが正反対だ。引き止めるようなことはしないんじゃなかったのか。
「僕にどうしろと言うんだ。招集に応じればいいのか?」
「あんた馬鹿!? 簡単なことじゃない。『分かった、君も一緒に連れて行ってやるよ』って言って、私にどこへ行けばいいかを教えればいいのよ」
「そんなことを承諾できる訳が――」
「しなさい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 にらみ合う。
 車載時計を見ると、そろそろタイムアップだった。

 ――僕らはどうすればいい。
 ――彼女は、決して無能なお荷物にはならねぇだろうな。
 ――ばれてしまった以上、連れていくしかないか。
 ――どだい知られた以上、俺らを何が何でも消そうとしている連中に彼女がひどい目に遭わされないとも言い切れないしな。
 ――僕のミスだ。これ以上、彼女に負担をかけるべきではない。
 ――過ぎたことをいつまでもグダグダ言っても仕方ねぇよ。それよりこれからのことだ。
 ――それもそうだ、な。気付かれる前にできるだけ遠くに、見つからないような場所に逃げ込んだほうがいい。

「分かった」
「……何が?」
「僕の相方となる人間がとんでもない強情だという事が、だよ」
「……それは、連れて行ってくれる、という事かしら」
「その通――」
 僕の言葉は遮られる。
 彼女に抱き着かれたからだ。
「……おい、どうした」
 器用なことに、シートベルトをつけたまま、隣に座る僕の胸に顔をうずめている。
 ……彼女は泣いていた。
「突然なんなんだ」
 鼻をすすりながら、涙を僕の服に染み込ませながら、切れ切れな曇った声が返ってくる。
「ごめん、何でだろ、私にもわからないよ」
 たぶん、ね?
「安心したんだよ。嬉しいんだよ。でもきっと、君に涙を見せたくないんだ、私」
「……」
 おそるおそる手を彼女の背中に回す。
 彼女がこらえきれなかった感情の圧。感情のない僕は、どのような感情があふれたのか、こういう時どう対処すればいいのかを知らない。
 どのくらいの時間だろうか、ぽんぽん、と背中をさすってやると、彼女は泣き止んだ。
「ありがと、もう大丈夫。……今日から、絶対、君と離れてなんかやらないんだから」
 体を起こし運転席にまっすぐ座りなおして、彼女はまだ赤い目で素敵な、綺麗な笑顔を僕に見せた。
「タイムロスしちゃったね、ゴメン」
「どうせ後悔なんてこれっぽっちもしてないんだろ」
「当然じゃない。……で、どこへ行くつもりだったの?」
「……ああ、そうだな。行く場所。道路マップはないのか?」
「ダッシュボードにある、――はい、これ」
「どうも。そうだな、このあたりなんかどうかと思っていたんだが」
「そんな何もないところで暮らすつもりだったの?」
「どこにも行くあてなんてなかったからな」
「だったら、私のおじいちゃんちに行かない?」
「君の祖父の家?」
「そう。おじいちゃんとおばあちゃんが昔住んでたんだけど、2人とも私が小学生のころに亡くなっちゃったから、今は空き家」
「ばれないか」
「大丈夫、割と山の中にあるから。お隣さんとは1キロくらい離れてるし」
「そこはどういう場所なんだ?」
「普通の山に埋もれた農家よ。私がたまに行って掃除してるからそこそこ綺麗だし、農具とかも残してあるわ」
「なら、とりあえず行ってみよう」
「うん、わかった。じゃあ、ガソリン積んで、種とか、ホームセンターで買っていこう」
「そうだな。僕は君が言うとおり、農業については全くの素人なんだ。よろしく頼む」
「まっかせなさい!」
 そういうと、彼女はギアをDに入れた。

 県道から林道に入り、状態の悪い山道に入っていく。ホームセンターで買い込んだ様々なものが後ろの荷台でやかましく跳ねる。
「そういえば、葉村、お前まだ16歳だったよな」
「うん、そうよ?」
「なんで車運転できるんだ」
「……お父さんに教えてもらったから」
「免許はどうした」
「当然、持ってるよ」
「18歳にならないと自動車免許は取れないはずなんだが。その免許、原付じゃないのか」
 横顔を見ると、どうやら必死に言い訳を探しているようだ。
「別に怒らないから、正直に言え。お前、自動車免許は持ってないんだろう」
「…………おっしゃる通りでございます……」
「別におどけなくてもいい」
「ごめんなさい」
「要は事故らなければいいんだ、気をつけろよ」
「もちろん、私だって捕まりたくはないわ」
 無免許にしては上手い。農業を手伝っている、というのは事実なのだろう。

 1時間くらい走ると、葉村は左に道を折れた。しばらくして木々の間に小さい畑と民家を見つけた。
「ほら、あそこ」
 敷地内に入ると家の前にある倉庫兼駐車場な建物に車を止めて、僕らは地面に降り立った。

 葉村の祖父母が昔住んでいたという家は普通の民家だった。雑草こそ生えているが綺麗な畑と、古びているが住みやすそうな家。
 50メートルほど坂を下りれば透明な水が勢いよく流れる沢に下りられる。あれだけ勢いがあれば直接飲めない水、なんてことはないだろう。
 反対へ少し登ると、さっき走ってきた道を見下すことができた。
 ここを耕しなおせば立派な野菜がなりそうだ。2人分なら十分育てられるだけの広さがある。

<無題> Type1 第5章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

断章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 第6章 第1稿

2013.05/20 by こいちゃん

<無題> Type1 第6章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第6章

1
 野外生活を始めて約半年。地面を耕し、夏植えでも実のなる野菜の初収穫を終えた頃。いくつか気付いたことがあった。
 この林道は廃坑へ続く道だが、それなりに往来があること。
 僕らが通ってきた林道を、軍用の大型トラックが週に1回くらい通過すること。
 それ以外にも結構乗用車が通ること。
 普通の地形図には60年くらい前に廃坑になった鉱山くらいしか載っていないのにもかかわらず、結構な頻度でこの道を行き来する人たちがいる。おかしいと思ってあちこちのサーバーに侵入して調べてみたら案の定、廃坑のあたりに産業情報庁の秘匿研究所があるらしい。
 葉村には言わなかった。必要ない心配をかけたくないからだ。
 葉村が寝ている隙に、僕はあいつと2人で今後を相談した。

 ――場所、移ったほうがいいと思うか?
 ――その必要はないと思うぜ。いたずらに、葉村が気を回すだけだ。
 ――そうか。
 ――ただ、見つかる確率が変わるわけじゃない。灯台下暗しになるかもしれねぇが、距離が近い分このあたりの監視もきついだろう。
 ――一理あるな。
 ――どうにかして、戦闘の備えくらいはしておいたほうがいい。
 ――……下の林道を通るトラックを襲うか。
 ――もっと穏便な方法はねぇのかよ。
 ――今さら下の街に下りることはできないし、持ってきた道具は必要最低限しかないからな。
 ――今さら葉村を危険なことに巻き込むつもりかよ。あいつは家族に黙って俺らについてきたんだ、世間では俺と一緒に雲隠れだぞ。俺らには、葉村を無事にうちへ返す義務があるんだぜ。
 ――ガタガタうるさいな。……でも、葉村を更なる危険に巻き込むのは上策ではないな。
 ――その通りだ。藪蛇になったら元も子もねぇしな。
 ――葉村が気付かないように注意しつつ、偵察する程度にとどめておくってことで。

 声が少し、口から漏れていたかもしれないが、葉村を起こさずに済んだからいいとするか。

 半年ほどかけて彼らを観察した。週に往復2回行き来するトラックを、毎回場所を変えつつ相手のことを探っていた。すると予想通り、相手はやはり「お役所」の、毎月決まったスケジュールを持っていることが分かった。
 常駐している職員のための食料は毎回積み込まれ、このほかに週によって違うものが一緒に運ばれるようだった。運び込まれる荷物量から予想すると人数規模はおそらく30~40人といったところだろう。
 職員向けの嗜好品や日用品、研究用の消耗品などが第1週目。
 研究に使うのだろう、液体窒素や様々な薬品類が第2週目。
 武器弾薬の補充が第3週目。
 中で自家発電をしているのだろう、その燃料と思しきガソリンが第4週目。
 月曜日にトラックが出発して、荷物を積んで水曜日に帰ってくる。これを毎月毎月ローテーションしていた。
 もちろん、観察だけではない。
 連夜、僕は関係しそうなあちこちのサーバーを渡り歩いて、あのトラックの仕入れ先、次回の積載物は何か、そういった情報を手に入れては、積み荷を観察した。
 一度、送信中の注文リストを発見した。それは日用品の週だったのだが、試しにトイレットペーパーの注文を取り消してみた。取り消してから思い出す。実際に職員が困ったか確認する方法がない。
 そんなくだらないことを繰りかえし、さらに季節が過ぎ去って迎えた2度目の春。
 秋に残しておいた種を畑にまき終え、のんびりしていた頃。
 農作業と2人の山中生活に慣れてきた頃。
 僕らと葉村はともに、18歳になっていた。

 僕らの生活は、再びひっくり返される。

2
 過ごしやすい気候のとある朝。清々しい早朝の空気を吸いに軽トラックから降りると、僕らの畑の前で見知らぬ女の子が倒れていた。
「……!?」
 流石の僕でも驚いた。しばらく行動停止してしまったが、そんな僕を不審に思った葉村も、彼女を見ると口を開けたまま動作を止めた。
「……いつの間にあんな子供をさらってきたの?」
「おい」
「冗談よ、冗談でも言わないと自分が正気か分からなかったの……」
「ならいいが。まずはトラックの中に運び込もう。怪我をしているかもしれん」
 僕らはそっと彼女に近づいて、顔を見ようと仰向けにする。
 右の頬が青く腫れていた。
「なによこれ。未来ある女の子に、なんて仕打ちなの?」
 憤慨する葉村。それは見るからに痛そうな、生々しい傷だった。
「誰よこんな小さい子を殴ったのは!?」
「騒ぐなよ、起こしちまうぞ」
「あ、ごめん、つい」
「早く運んで手当してやるぞ、そっち側から支えてくれ」
「……これでいい?」
「よし、持ち上げるぞ」
 せーの、と声を合わせて女の子を抱えあげ、軽トラックの荷台に断熱シートをしいて寝かせた。
 頬に湿布を貼り、汚れた服を葉村の服に着替えさせる。といっても、相手は女の子だ。僕はその作業を手伝ってはいない。
 誤解を避けるために言っておくが、小学生くらいに見える女の子の裸を見ても発情することはない。だが、とたんに葉村が不機嫌になったのを見て手を引くことにした。それだけだ。
 女の子への応急処置を済ませると、空腹が耐えられなくなってきた。時計を見るとすでに起床してから1時間が経っていた。
 今日の朝食はきゅうりの揉み漬けとカレー風味スープだ。想定より戦争が長引いているせいで、そろそろ持ってきた保存食も尽きてしまうだろう。

 後片付けをしているとき、女の子が目を覚ました。葉村が飛んでいくのを見て僕は作業を続けることにした。無愛想な僕がいても、いい方向に話が弾むとは思えないからだ。
 しかしそんな思惑も、葉村に呼ばれるまでだった。
「この子、産業情報庁の秘密基地から逃げてきたんだって言うんだけど……」
 ついにその存在を葉村に知られてしまった。
「このちょっと行ったところに研究所の入り口があるらしいな」
「知ってたの!?」
「言ってなかったか?」
「聞いてないわよ!」
 案の定、憤慨する羽村。
「それは今は置いておこう、どうして逃げてきたのか、逃げてこられたのかを知ることが先だ」
(置いておこうって、まったく何を考えてるのかしら)
 葉村が小声でつぶやいているが無視。
「君、何て名前か教えてくれないか」
「………………」
「教えたくないんじゃない?」
「そうか、まあどうでもいいといえばどうでもいいか」
「どうでもよくはないっ!」
(まったく人の名前をなんだと思ってるのかしら)
「最近独り言多いふぐっ」
 事実を言ったら叩かれた。
「このバカはほうっといていいからね。で、研究所で何があったか、お姉さんに教えてくれないかな」
 意外にも、葉村は子供の扱いが上手かった。
「……おねえちゃんたちの名前教えて?」
「えっ……あ、そっか。私が葉村ななみで、こっちが山本祐樹」
「おねえちゃんたちは、かなちゃんを町まで連れてってくれないの?」
 この女の子はかな、という名前らしい。
「今すぐは無理、かな。だって研究所の人たちがあなたのことを探しているでしょ?」
 ぐずり始めた。
「ここ、やだ。早くお母さんに会いたいよぅ」
「ごめんね、でも今すぐは無理なんだ。お願い、1時間だけ待ってもらえないかな?」
「ちょっと待った、1時間って……なんでお前までもらい泣きしてるんだよ!?」
「君ならそれだけ時間があればあっちにハッキングして、動きを筒抜けにできるでしょ?」
 いや、できるが。
「なら早くやってよ……ぐすっ」
 泣きながら訴えないでくれ。
「お前、ちょっと前までは犯罪はいけない、ってうるさかったくせに」
 捨て台詞を吐きながらも僕は仕方がないから言われたとおりに運転席からパソコンと通信端末を持ってくる。配線しながらさっきの質問を繰り返した。
「で、なんであそこから逃げてこれたんだ」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………黙秘ですか」
「……………………」
 だめだこりゃ。
「葉村、相手は任せた」
「しょうがないわね」
 台詞こそしぶしぶだが、声の調子がうれしそうだった。

 さて、僕は産業情報庁の研究所に設置されたメインフレームに侵入した。すでにバックドアは作ってあるからサクサク入ってサクサク情報をもらってサクサク出てくるつもりだった。
 だがしかし。
 どうもレスポンスが悪い。相手のサーバーが処理落ち寸前なのだろうか。あの研究所は最近できた施設で、そのシステムは僕が作ったものだ。そんな簡単に処理能力不足に陥るほど弱いシステムにした覚えはないのだが。
 頭の中にわだかまりを残したまま、サーバーの中に潜り込んでいく。たまに阻もうとするセキュリティ障壁も。自分で作ったものだ、解除方法も弱点も知り尽くしている。次々突破できて意味をなしていない。もう少し難しくしたほうが良かったかもしれない。
 やがて目的のファイルを見つけた。ダウンロード。
「スケジュール、見つけたぞ。今日は12時から全体会議らしい。12時半くらいならきっと安全に出て、一番近い村の入り口にこの子を置いてすぐ帰ってくれば、見つかる可能性が一番小さいと思う。今日を逃すと明日は定期的にトラックが通る日だから危ないな」
「もしかして、あのトラックって研究所に必要な物を運ぶための物だったの?」
「ああ、そうだ。だがそれは今は置いておこう、この子をどうするか、だ」
「かなちゃん、どうする? すぐにお母さん探しに行きたい?」
「うん」
 即答だった。さっきまでの黙秘は何だったのだろう。
「分かった、でも、お姉ちゃんたちができるのは、下の人が住んでるところまで連れて行ってあげる事だけなんだ。そこからは、かなちゃん一人でお母さんを探してね」
「……やだ」
「ごめんね、お姉ちゃんもできるならお母さんを一緒に探してあげたいんだけど」
 本気で葉村はこの子にメロメロらしい。いい母親になれそうなやつだ。
「僕らは12時半になったらこの子を車でふもとの村まで連れていき、そこでお別れ。それでいいか?」
「本当は家まで連れてってあげたいけど、そういうわけにもいかないし、ね」
 本心から言っているのだろう、あきらめきれない目をしていた。

 時間になるまで、ボンネットを開けて潤滑油を補充する。ついでに、荷台に載せた太陽光パネルで発電した電気をためているバッテリーと、エンジン起動用のバッテリーを交換しておいた。入れっぱなしのバッテリーでは心もとない。一度からにしてあったガソリンタンクに新品のホワイトガソリンと虎の子のトルエンを流し込み、最後にタイヤが傷んでいないか確認する。
 走れないほどではなかったのでエンジン点火。3回目でやっとかかった。回転数を示すメーターも、異常のない数字を指している。
「大丈夫、走れそう?」
「ああ、問題ない。そろそろ行くぞ」
「3人乗ると窮屈だから、いらないもの下ろしていかない?」
「そうだな、パソコンの周辺機器とか、衛星回線のアンテナとかは置いていくか」
 ホントどこから手に入れてきた代物なのかしらねー、とあきれつつ葉村がアンテナを外しにかかる。ちなみに衛星電話関連の機器類は、非常用に使えと言われて産業情報庁から預かっていたものだ、決して怪しいものではない。

 実に2年振りの「お出かけ」である。
 助手席で、カーステレオから流れてくるちょっと古めのいい歌を聞きながら、窓を少し開けて風を受け、外を流れていく風景を黙って見つめるそんな葉村の横顔は。ミラー越しでしか見れない事は大層――見るのが例え感情のない僕であっても――もったいないと思えた。
 国は外で戦争をしているというのにもかかわらず、山道を下るおんぼろな軽トラックの中には平和な日常が存在していた。

 この時間がずっと、――ずっと。

 続けばいいのに。

 しかし世界は。僕らだけが不公平な平和を過ごすことを、許しはしなかった。

<無題> Type1 第6章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

第5章原稿リストへ戻る 第7章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 第5章 第1稿

2013.03/31 by こいちゃん

<無題> Type1 第5章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

断章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

第5章

1
 僕の疎開計画は着実にできていった。
 まずは産業情報庁の|顔なじみ《・・・・》の職員にメールを送った。電子戦要員として腕のいい傭兵を雇わないかと持ち掛ける。
 政府が発行する特別徴兵免除証(また“特別”だ)をもらえれば、戦地に赴く必要はなくなる。それさえ発行してもらえるのなら、いけ好かないやつらと職場を共にしてあいつがへそを曲げるのをなだめるのだって構わない。

 赤葉書をもらってから、4日目。
 メールに返信はなかった。その代わり、地下室に引き込んでいた仮設インターホンが来客を告げた。
 本を読んでいた母さんはビクッと肩を震わせ、飽きずに花札をやっていた葉村たちは訝しげに顔を上げ、僕はキーボードを休みなく打ち続けていた手を止めた。
 四半秒に満たない沈黙と硬直。座っていたローラー付きのイスを転がして梯子の降り口に置いた受話器を取り上げる。
「はい」
『山本さんのお宅ですか?』
「そうですけど」
『ヤマモトユウキさんにお届けものです』
「……はあ」
 郵便はともかく、宅配便なんてとっくに機能していないと思っていた。
「今行きます」
 そう言い残して受話器を置いた。
 動作を止めたまま聞き耳を立てていた3人にうなずきかけ、ハンコを持って梯子を登った。

 空襲があった後、毎回閉めている気密扉を警戒しながら押し開けた。宅配便というのは嘘で、押し込み強盗やその類の可能性も残っている。今は平和な日常ではない。
 地下室の入り口には誰もいなかった。
 光差し込む地上へ梯子を登る。頭を出す時にも、地下から持ってきた手鏡で辺りを見回した。
 大人2人が箱を抱えて立っていた。少し離れたところにミニバンが止まっている。
 危なくなさそうだ、と判断を下す。穴から出た。
「お待たせしました」
「いえいえ、それにしても、きちんと警戒していらっしゃるんですね」
 そんな会話をしながら、伝票にハンコを押し、差し出された荷物を受け取った。受け取ろうとした。伸ばした手、手首をつかまれた。
「詰めが甘いな」
 声に引きずられるように宅配業者2人の顔を正面から見る。
「……お前ら……っ」
 驚きのあまり、あいつに体の制御権を、一言分とはいえ奪われてしまった。
 自覚しているよりも驚いて、落ち着きを失っているようだ。意識して深呼吸を2回する。
 改めて宅配業者――いや、業者に偽装した産業情報庁構成員、といった方が正確だろう――と目を合わせる。知り合い、というほどでもない、名前の知らない顔見知り程度の2人だ。
 相手がそうと分かれば、特に態度を取り繕う必要はない。
「何の用ですか」
「何の用、とはご挨拶だと思うが。本題から行こう。君、あのメールの本意はどこにある?」
「読めば分かるように書いたつもりだったのですが」
「要件はな、確かに分かった。俺らがこんな真昼間に派遣されてきた理由は、何故お前があのメールをわざわざ出したのかを聞くため、だ」
「それを本人に聞かせていいのですか」
「知らん。全権を任せる、と言いつけられたから、俺は俺のやり方でやるまでだ」
「話を戻しますが。メールの本意、とはどういうことを聞きたいのですか」
「何のきっかけもなくあんなメール送らないだろ、お前は」
「そうですね。……でも、特にいう事はないんですが」
「何を焦っている? 別に、君ほどの実力があれば、ただ普通に徴兵されても、どうせうちに来ることになるだろう?」
「そうとも限らないから、焦っているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのくらい、そちらで考えてください。得た情報から発言者が何を考えているかを推測するのも、仕事のうちでしょう?」
「……」
「もう、いいですか? そろそろ、下で待っている家族に心配かけるので」
「……今のが君の答えなんだな?」
「そうです」
「そう報告しよう」
 つかまれていた手首を放される。離れて分かった、少し汗ばんでいた。
 |産業情報庁構成員《スパイ》から宅配業者に戻った2人組が、ありがとうございましたー、と言いながら車に引き返していく背を見送った。
 周りが道だらけに何もなくなった東京を、砂埃で汚れた、どこにでもありそうなミニバンが走っていく。
 僕はしばらくそのまま突っ立っていたが、のろのろと地面にぽっかり空いた穴へ降りて行った。

2
 次の日。計画が完成した。
 他の3人を説得するための資料も抜かりなく用意した。
 4人、昼食が終わったタイミングで床のちゃぶ台を囲むように座る。
 少し身構えていたようだったが、5日間かけて準備した甲斐もあり、特に反対意見もなく計画を説明し終え、納得してもらった。
「これから、東京はより酷く破壊されるだろう。この地下室自体はシェルターとして申し分ない強度を持っている。でも、いつまでも人口がこれからも減り続ける東京にいたって、発電用の石油が足りなくなってしまうから、生活することはできない。中でこれ以上、人が生活することを想定して設計されていないからだ。それに、いつ出入口の穴がふさがるか分からない。次の攻撃でふさがるかもしれない。だから東京から出て行くべきだ。行き先としては、|埼玉県西部《秩父山系》やそれより、もうちょっと北がいいと思うんだ」
「秩父なら、うちの実家があるわ」
「葉村の実家?」
「そう。電話貸してくれれば、疎開先になってくれるか聞くけど」
「そんな、ご迷惑になるんじゃないかしら」
「うぅん、困った時はお互い様だよ。うち、古い家だから、無駄に広いんだ。3人住む人が増えたくらい、どうってことないよ」
「あ、いや。2人だ。僕は行かない」
「「「……え?」」」
 立ち上がりパソコン机に置いてあった葉書を見せる。母さんが受け取り、2人が覗き込んだ。
「徴兵……」
 呆然とした様子の葉村。なぜすぐに伝えなかった、と視線が怒っている妹。あきれて溜息をもらす母さん。
 葉村の呆然が、がっかりに変わった。
「……そうなんだ、君は来ないのね」
「そうだ」
 しばし沈黙が横たわる。そんな場をとりなしたのは母さんだった。
「これはこれで仕方ないか。あんたも、こういう大事なことはすぐに言いなさい。分かったわね」
「……はい」
「よろしい。改めて、残される私たちがどうすればいいか考えましょう。食べ物とか、足りるのかしら?」
 不満は顔に出ているが、気持ちを無理やり切り替えようとしている女の子2人も母さんと調子をあわせた。
「うち、農家だから大丈夫。足りなければ使ってない畑、起こせばいいんだし。お母さん、そんなカチカチになることないよ?」
「ななみちゃんのうちかー、あたし行ってみたいなぁ」
 ついに“ななみちゃん”と呼び合うまでの仲になっていたらしい。
「山本、電話貸して」
 抜かりはない。既に用意してある。
 またパソコンとインカムを手渡すと、この場で発信ボタンをクリックした。
「もしもし……あ、お姉ちゃん? ……うん、そう、私。……大丈夫、超元気。……うん、代わって代わってー」
 そこまで会話して、葉村はおもむろにインカムがつながっていたイヤホン端子を引っこ抜いて言った。
「みんなで聞いたほうがいいよね」
『もしもし? ななみ?』
「うん、そう。久しぶり」
『元気……そうね。今日はどうしたの?』
「あのね――」
 かくかくしかじか。葉村が的確にまとめて、先ほど僕が説明したことを繰り返す。
「――ってことなの。うち、泊まれるよね?」
『ええ、2人くらいどうってことないわよ。……そこに山本君の母上もいらっしゃるの?』
「うん、聞いてるよ」
『あらま、私の声まる聞こえなの? そういう事は先に言ってちょうだい』
 電話の声が遠くなり、咳払いをしている音が聞こえる。
『失礼いたしました、いつも娘がお世話になっております。葉村ななみの母でございます』
「はじめまして、山本祐樹の母です。こちらこそ娘さんにはよくしていただいて」
『いえいえ、そんなことは』
「「お母さん、電話なんだから手短にしようよ」」
 2人の娘が声を合わせる。
 電話のこちらと向こうで2人の母親が笑う。
「それもそうですね。本当に私たちが押しかけてもお邪魔じゃありませんか?」
『お気になさらず。お客様をおもてなしするのは好きなんですの』
「何か不足しているものはありませんか? 一緒に持っていきます」
『そうねぇ、植物の種、もし余っていらしたらお願いしようかしら。今あるのが尽きたら大変ですから。発電装置とかはうちにもありますから結構ですわ』
「分かりました。では、何時そちらに伺えばよろしいですか?」
『いつでも結構ですよ、それこそ今日これからでも。といいますか、車はお持ちですか?』
「え? いえ、持ってないですけど」
『でしたら、私、そちらに伺います』
「そんな、よろしいのですか」
『お気になさらず、構いません」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
『明日の午後、14時ごろではいかがですか』
「はい、明日の午後2時ですね。よろしくお願いします」
『失礼いたします』
 電話は切れた。
 しばらく僕ら4人は黙っていた。
「種……どこに売っているのかしら」

3
 それから僕らは忙しくなった。
 母さんと妹は葉村の実家に疎開するために空襲が収まったタイミングで外に出て、必要そうな物資を買い集めに出て行った。池袋の地下街はまだマシと言える被害だそうで、そこで闇市が開かれていたからだ。
 母さんたちよりも土地勘のない葉村は、持っていく着替えなどをまとめていた。
 僕はといえば、昨日の小包を開けて徴兵に応じる準備をしていた。格好だけでも行くふりをしておかないと、実は応じるつもりなんてないという事がばれてしまう。
 小包の中には圧縮衣服が8つ入っていた。
 大きさ的に考えて灰緑色の上着とズボンが2組、黒い下着が4枚だろう。ビニールをはがした圧縮衣類を、水を張った洗濯機の中にまとめて放り込む。
「さすが国からの届け物だね。今時、圧縮衣類なんて加工が面倒で作られていないと思う」
「いや、製造年を見たら、5年ほど前だったから。まだ余っていたものを箱詰めしたんだろ」
「お母さんたちが子供のころにはあんまり一般的じゃなかったそうだから、なんか気持ち悪く見えるらしいんだけど。私、これを水につけて、膨らんでいくの見てるとドキドキするんだよね」
「分からなくはないな」
 だいたい缶ジュースほどの円柱形だった黒い塊が、みるみるうちに水を吸ってTシャツの形をほぼ取り戻した。茶筒くらいの大きさだった上着はまだもう少しかかりそうだが、既に形が分かるほどにはほどけている。
「……ふえるわかめちゃんみたいだね」
 確かに、色と言い水を吸って元に戻るところと言い、乾燥わかめそっくりだ。

 完全に圧縮衣類が元に戻るまで、2人で洗濯機をのぞいていた。
「そろそろいいか」
 コンセントにプラグを差し、溜まっていたほかの洗濯物も放り込んで洗濯機のスイッチを入れた。
 外に干すことはできないが、乾燥機を使えば明日には乾いているだろう。

 母さんは散乱している僕の本を読み、妹は菓子を食べながら古いアニメのビデオを見、葉村はその日一日の日記をつけ、僕はコンピュータに向かって作業をする。
 みんないつもとやっていることは同じなのに、今日はみんな口数が少なかった。母さんと妹があまりしゃべらなくなると、自然に葉村もあまり口を開かなくなった。
 僕ら家族にとっては、暮らしていた土地にいられる最後の夜だ。
 それは分かる。でもいくら考えても、何故、今日に限ってこんなにも静かなのかが分からない。
 僕は数年間にわたってこの地下室全体をコンピュータに守らせるためのプログラムを途切れることなく書きながら、そんなことを考えていた。今日中には完成するだろう――。

 軽く朝食を摂ってから、自分の食器や最後まで使っていた炊事道具などを荷造りする。
 僕は3台のWSにつながったディスプレイを取り外した。いざというとき、精密機器のパソコン周辺機器はきっと高値で売れるはずだからだ。少し考えて、WSも1台譲ることにした。
 ……することがなくなってしまった。
「まだ、11時前じゃない。どうするの、まだ2時間以上あるわよ」
「トランプでもして遊ばない?」
「あまりに暇だものね……」
「僕はパス。本の整理してくる」
 この前応急で片づけた本がそのままになっている。
「あ、そう。つまらないわね」
「いいもん、兄さんがうらやましくなるくらい楽しんじゃうもん」
「……頑張れ」
 そう言って僕はパソコンを持って地下準備室から出た。

 4人で暮らしたこの1ヶ月で雑多にものが散らかっていた地下準備室は、ここから出て疎開するにあたってきれいに片づけられていた。もともとここにあった、私たちが生活するためのスペースを埋めるほど多かった本も、本棚ごと下水処理装置操作室に運び込まれている。
 がらんとした地下室は実際の気温以上に冷えているような気分がした。
「……何しよっか」
 トランプを切りまぜながら声をかけると、山本が出て行った鉄扉を放心したように見ていた山本の苗字を持つ親子は、同じしぐさで私を振り返る。
「ななみさん、トランプはやめにしない?」
「……え?」
「遊ぶのをやめよう、ってことじゃなくて。私、母親なのに、最近のあの子のこと何にも知らないなあ、と思ってね」
「学校での祐樹くんの様子、ですか」
「そう。情報交換、しない? 過去のことも知ってるあなたなら、私たちも気兼ねなく、何でも話せるし」
「あたしも、学校での兄さん、知りたいなぁ」
「分かりました、情報交換、しましょう」

 13時をまわった。そろそろ作業を切り上げて、昼食の準備をするべきか。
 適当に積み上げられた文庫本の隙間に入り込んで操作室に設置されたコンソールをいじっていたため、腰が鈍い痛みを伝える。苦労して操作室から出て気密扉の鍵を閉めた。
 キーボックスに鍵束をかけ、そのまま処理装置室を通り抜けて準備室の鉄扉に手をかける。
 何かが、僕の中で動いた気がして思わず後ろを振り返る。暗闇に沈む下水処理装置のパイロットランプが光っていた。
「……」
 今のは……。
 掴めそうで捕まらないモノがするりと逃げて行った。

 4人で地下室の備蓄食料だった魚の缶詰を食べた。
 賞味期限が4年過ぎていたことに葉村が怒っていたが、別に腹を壊すこともないだろうし食べても問題はないだろう。
 そうこうするうちに約束の時間になった。時間ピッタリにインターホンが鳴る。
「……はい」
「はじめまして、葉村ななみの母でございます。山本さんのお宅ですか」
「そうです。これからお世話になります」
 念のため慎重に地上への気密扉を開いて、気持ちのいい快晴、青空の下へ出る。
 4人そろって地上に出たのは何日ぶりだろうか。
 葉村母は、軽トラックを背に立っていた。
 僕ら5人は葉村の紹介を受けて、順に自己紹介を済ませる。
「よかった、ずっと地下室にこもっていらっしゃると聞いていたので、もっと顔色が良くないものだと思っておりました。皆様お元気そうで安心です」
「確かに、地下にこもっている、と聞くと不健康そうですね」
「……挨拶はそこそこにして、早く荷物積んで出発しようよ」
「それもそうね。祐樹、この前の荷物を上げ下げするモーター、持ってきてくれる」
「分かった」
 担いでいたロープの束をそこに置き、僕はひとり地下に戻る。
「おーい、ザイルの末端、どっちでもいいから降ろしてくれ」
「はぁい」
 モーターをロープで上げやすいようにカラビナを取り付ける。するする降りてきたロープの先端を簡単な輪に結んでカラビナをかける。
「持ち上げてくれ、結構重いけど1度だけだから」
 地上から了解の声が届く。完全にモーターが宙に浮くまで、壁にぶつからないように上手く支えてやる。
 モーターが地上に届けばあとは楽な作業で、葉村の実家に持っていく荷物を垂れてきたロープに括り付け、地上にあげる繰り返し。
「これが最後の荷物だ」
 段ボールが地下から見えなくなると、地下準備室はがらんとしてしまった。
 僕は長く息をはきだし、発電機の出力を落としに操作室へ向かうことにした。
「地下室、封印してくる」
 地上に声をかけて準備室から出た。

 ここに下水道経由で細々と供給されてくる非常電源が失われたときに、自動的に発電機が稼働するようにセットして、貴重な石油燃料を消費し続ける発電機を一時停止させる。
 途切れない電気が必要なのは、地下室の封印をする電磁ロックと、それを監視・操作するためのWSだけ。僕らが地下室で生活するときほど電気は必要ではない。下水道線が停電したさい、発電機が稼働するまでのつなぎとなる2次電池の電解液を補充してから僕は地下室を出た。
 気密扉脇の外部端子箱に汎用ケーブルでノートパソコンをつなぎ、開錠コードを設定してから完全に地下室を封印する。
 放射線を通過させないだけの厚さと、空爆にも耐えられるだけの強度を持つコンクリート造りの地下室は、壁に穴をあけるのも容易ではない。正規の手段でこの気密扉の鍵を開けるしか、この地下室に入ることはできなくなった。
「……閉まった?」
「ああ、問題なく施錠した。開錠コードの予備は誰に渡せばいい?」
「お母さんに一つ、頂戴。やり方を教えて」
 僕はいまどき骨董品のカートリッジディスクに開錠コードを書き込んで母さんに手渡した。
「ずいぶんと懐かしいメディアねぇ、お母さんの会社でも保管庫でしか見たことないわよ」
「保存には一番いいんだ、壊れにくいから」
「あらそうなの」
「ここの箱を開けて、このスロットに差し込むだけで開錠できるから。もう一回ロックするときにはパソコンが必要だから開錠コード作らないで鍵を閉めないように」
 それだけ言ってから僕は母さんをうながして、地上へ登る。この井戸のような入り口への通路も印だけつけておいて簡単に見つからないように埋めておく。
 結局、葉村の実家に出発できたのは15時をまわっていた。

 都内は道なんてあってないようなものだった。郊外に近づくにつれ瓦礫の山・平らな土地の割合が減り、家や街路樹が増えてくる。山が少しずつ近づいてくるころにはほとんど被害を見受けられなかった。
 荷台に椅子を置いて座っていたせいでいい加減、尻が痛くなってきたころ。2時間ほどで着いた葉村の実家は、古くからそこにあるような貫禄を持つ2階建ての広い日本家屋だった。家の前には家と同じくらいの大きさを持つ車庫があり、軽自動車とトラクターがとめられていた。
 玄関前の広いスペースで車を降り、荷物を下ろす。そうこうしていると家の中から40代くらいの男性と、妹と同じくらいの男子が出てきた。葉村の父親と、僕の妹と同じ年だと聞いていた弟だろう。
「おお、ななみ」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいまー」
「お姉ちゃんの彼氏、っていうのがその人?」
「え、な、彼は彼氏なんかじゃないわよ!?」
 裏返った声で変な日本語を叫ぶ葉村。
「そんなこと言ってなくていいから、その、荷物、うちの中に運び込むの手伝ってよ」
「へーい」
 これ、持ってきます。
 葉村弟が地面に下ろしてあった段ボール箱の一つをかかえた。
「あ、ごめんね。この荷物、どこに運べばいいの?」
 同学年だからだろう、気安く葉村弟に話しかける山本妹。僕と違い社交性の高い彼女のことだ、きっと無事にやっていけるだろうと心配はしていない。

 この夜は、貴重だろう油を使うのにもかかわらず天ぷらをごちそうになった。油をつかう料理はそれなりに食べていたが、出来立てで温かい揚げ物は久しく食べていなかった。それが当たり前だと思うくらいに。
「そういえば」
「はい、なんでしょう?」
 葉村母はうふふと含み笑いを漏らした。
「祐樹くん、今夜はななみと同じ部屋でいいわよね」
「僕はどこでもいいですよ、それこそ廊下でも」
「こいつ、私が遊びに行ったら、布団足りないから、って寝袋で使わせようとしたのよ」
「あらー、いいじゃない。そのまま襲われちゃえばよかったのに」
「お母さん!」
「なによ、祐樹くんとならお母さん、許しちゃうけど」
「なんで今日車に一緒に乗ったくらいの単なる同級生をそんなに信頼してるのよ! 普通、女子高生の親ならもっと、娘と親しい男子に対して注意を払うものじゃないの!?」
「だって、結構男前だし。なかなか素敵な人だと思うけど」
 本人の前でそういう会話を繰り広げるのはどうかと思うのだが。今は僕が出ているからいいものの、内側ではあいつが恥ずかしい恥ずかしいとのたうち回っている。
 気まずいとは思うが、そんなに赤面してばたばた暴れるほど恥ずかしいものなのだろうか。
「じゃ、そういうわけで、祐樹くんの布団はななみの部屋に運んでおくからね。先にお風呂は行ってらっしゃいな」
「はい、ありがとうございます」
 本来なら布団を運ぶくらい自分でやるべきなのだろうが。あいつがあまりにこの場から離れたがっているので、葉村母の提案に甘えることにした。

 なかなかいい加減の湯だった。俺は明日の朝、ここを出発しなければならないということになっているので、早めに寝させてもらうことにする。柔らかいふかふかの布団も懐かしいようなにおいがした。
 そして隣に葉村がいる。
「さっきはゴメン、お母さんが変なこと言って。恥ずかしかったんじゃない?」
「かなり、な。よくもまああいつはあのやり取りを生で聞いておきながら平然としてられるもんだぜ」
「あはは、そうだと思った。……山本」
「ん、どうした?」
「ちゃんと、帰ってきてね」
「当たり前じゃねぇか、何を不吉なことを言ってんだ」
「ご、ゴメン。そうだよね、当たり前、だよね」
 本気で心配してくれているらしい葉村に対して、少し罪悪感を感じる。本当は徴兵なんて、最初から応じるつもりは最初からなかったんだぜ。そうぶちまけたくなって、あいつにたしなめられる。
「……」
 不自然な間が空いたまま、開きかけた口をそのまま閉じた。
 あたりが明るく、お互いが見えるような時間帯だったら何を言おうとしたのか重ねて質問されていただろう。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
 自制が利かなくなってしまう前に、俺は睡眠に逃げることにした。
「……え。そう、寝ちゃうんだ」
「……? 何かしたかったのか?」
「うぅん、別に、特に。なら私も寝るよ」
「そうか」
 なんとなく拍子抜けしたような葉村の応答が釈然としなかったが、俺は無視して目を閉じた。

4
 翌朝は快晴で、少し暑かった。
 僕は先日送られてきた服を袖まくりして着ていた。
「では、いってきます」
 必要な装備を入れたリュックサックを持って、葉村が運転席に座る軽トラックに乗り込んだ。
 荷台には昨日下ろし忘れていた、太陽光発電機一式や僕の野宿道具が積まれたままにされていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
 母さんが心配そうに声をかける。妹はそっぽを向きながら横目で僕のことを見ていたし、葉村父は先ほど町内会の会合に突然呼ばれてしまい、手伝いに弟を連れて出て行ったきりだ。
 僕は自分の家族へ、最後に笑いかけて葉村に合図する。
「出すね」
 葉村は一言、そう呟いてアクセルを静かに踏み込んだ。
 彼女達に手を振って、僕は視線を外した。
「――あのね。アドバイスが欲しいんだけど」
「僕が答えられるものなら」
「行動を起こしてから『ああやっちゃった』って後悔するのと、行動を起こさずに『なんでやらなかったんだろう』って後悔するのだったら、どっちがいいと思う?」
「……僕らなら、前者を選ぶかな」
「そっか……」
 車内の空気が沈む。
 葉村は僕の答えを聞いて、2回、落ち着けるように深呼吸をした。
「じゃあ、私もやって後悔することにするわ」
「そうか」
「単刀直入に聞きます。山本くん。君はどこへ行こうとしているの?」

「――え?」

 同時に葉村は、車を一台も見かけない田んぼに囲まれた道、そのわきに車を寄せて停車した。
「ずっと不安だった。なんか、君の“徴兵用意”が、なんとなくどこかが不自然に見えて。だから、ふっと思ったの。もしかしたら、軍に行くつもりなんてないんじゃないか、って」
「……」
 ここで何も言わないのは不自然だと思ったのだが、とっさに言葉が継げなかった。
「ウソはつかないでね、お願い。別に、私はまったく怒っていないから。どんな答えが返ってこようと、引き止めたりなんかしないから」
 君を信頼しているのは、何も私のお母さんだけじゃないんだよ?
「君がいろんなことを考えて出した結論だもん、きっと間違ってることなんてないよね」
「間違ってるかもしれない。僕だって人間だからな」
「そうかもね、でも君は間違っていると自覚している選択肢を取ることなんてしないじゃない。それに、私が答えて欲しい質問はそれじゃないことくらいわかってるよね」
 仕方がない、意外と強情な所のある葉村には、本当のことを言ってしまうほかないか。押し問答をして無駄な時間を使う事は避けなければならない。
「確かに、ご想像の通りだ。僕は徴兵に応じるつもりなんて全くない」
「やっぱりね。じゃあ、どこへ行こうとしているの?」
「どこか山の中で野宿しようと思ってる。電気と回線とコンピューターさえあれば僕は戦える」
 だろうと思った。
 ハンドルにもたれかかって、葉村が囁いた。
 しばらく、どちらも動かず、どちらも喋らなかった。
 ばれてしまった以上、彼女を巻き込みたくはない。知らなければいくら聞かれたって答えられないが、知ってしまった以上尋問されたら嫌でもいつかは答えてしまうだろう。僕は車から降りようとした。
 その動作を止めるように、葉村が起き上がるり、もう一度さっきより深く息を吸い込んだ。僕の目を正面から覗き込んで言った。
「私もそこへ連れて行って」
 不覚にも、短時間に2度も驚かされてしまった。普段ならこの程度の切り返しは簡単に想定できたのに。
「嫌だ」
「嫌? 今表面に出ている山本祐樹は感情を持ってないほうだよね。何でそんな感情的な言葉が出てくるのかな。ちゃんと真剣に考えて言ったんじゃないんでしょう?」
「……」
「私だって、きっちり考えたんだ。今のは、いつもと同じような君を困らせるための物じゃない」
「ダメだ。連れていくことはできない」
「いつも君が言っているみたいに理由を3つ挙げて、レポート書くように私を説得して」
「まず、危ないから。政府を敵に回してまで君が僕についてくる理由を感情的になっているから、意外に考えられない。次に、君が僕についてきたときのメリットがないから。実家の農業を手伝って日本全体の食べ物を少しでも作ったほうがいい。最後に、君の分の生活を支える道具を持っていないから。僕の野宿セットは1人ようだ、もう一人、それも女の子が生活するための物は持ち合わせていない」
「まず、私は君くらい、うぅん。君よりもいろいろ考えた末に君についていく結論を出した。私がついていく、って言い出すことを想定に入れていなかったじゃない。視野が狭くなっている証拠だわ。次に、私がついていくことで、君はより健康的な生活を送れるようになる。君、農業なんてやったことないでしょ。毎日インスタントやレトルト、保存食料で生活するつもり? 最後に、私は自分で使うためのキャンプ道具なら持ってきてあるわ。そこまでおんぶにだっこでいるわけないじゃない」
 なんとなく嫌な予感が、葉村に押し切られてしまいそうな予感がした。
「……いや、だからと言って人様の娘さんを勝手に個人のわがままにつきあわせる訳にはいかない」
「わがままを言っているのは私よ?」
 彼女と、似たようなやり取りを、ほんの1ヶ月くらい前にしたような覚えがある。
「そのとおり、だが」
「私を連れて行きなさい」
「拒否する」
 僕の過去を聞き出した時だ。つまり、そろそろ彼女はキレて――。
「なんで? 私にはそんなに信用がないっていうの!? 君は、勝手に途中まで人を助けておいて中断するつもりなの? あんまりにも無責任だと思うんだけど!! ……なんか言いなさいよ卑怯者!」
 彼女に卑怯者呼ばわりされる筋合いはないように思うのだが……。
「連れていけるものならとっくに相談していたさ。危ない状況にある人間を助けるのはよくあることじゃないのか? せっかく助けた人を、わざわざ危険に近づけるほうが無責任だと思うのだが」
「もう半ば巻き込まれちゃったもん。だったら最後まで付き合わせなさい、って言ってるの」
「勝手に巻き込まれに来たんだろうが」
「だったら私に感づかれないように、もっとうまく立ち回ればよかったんじゃないの?」
「…………ただの言いがかりだ」
「言いがかり上等、いいから私を連れて行け」
「人が変わってるぞ」
「君はたった3ヶ月くらい同じクラスになった女子の性格をばっちり把握できるんだ、凄いね」
「そんなことは」
「まあそんな些細なことはどうでもいいの、話を逸らさないで。私を一緒に連れていくの、行かないの?」
「連れていくわけが……」
「ならこのまま連れ帰る。向こうから人が来るまでうちに縛り付けてやる」
 無茶ばっかりだ。
「僕にどうしろと言うんだ。招集に応じればいいのか?」
「あんた馬鹿!? 簡単なことじゃない。『分かった、君も一緒に連れて行ってやるよ』って言って、私にどこへ行けばいいかを教えればいいのよ」
「そんなことを承諾できる訳が――」
「しなさい」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 にらみ合う。
 車載時計を見ると、そろそろタイムアップだった。

 ――僕らはどうすればいい。
 ――彼女は、決して無能なお荷物にはならねぇだろうな。
 ――ばれてしまった以上、連れていくしかないか。
 ――どだい知られた以上、俺らを何が何でも消そうとしている連中に彼女がひどい目に遭わされないとも言い切れないしな。
 ――僕のミスだ。これ以上、彼女に負担をかけるべきではない。
 ――過ぎたことをいつまでもグダグダ言っても仕方ねぇよ。それよりこれからのことだ。
 ――それもそうだ、な。気付かれる前にできるだけ遠くに、見つからないような場所に逃げ込んだほうがいい。

「分かった」
「……何が?」
「僕の相方となる人間がとんでもない強情だという事が、だよ」
「……それは、連れて行ってくれる、という事かしら」
「その通――」
 僕の言葉は遮られる。
 彼女に抱き着かれたからだ。
「……おい、どうした」
 器用なことに、シートベルトをつけたまま、隣に座る僕の胸に顔をうずめている。
 ……彼女は泣いていた。
「突然なんなんだ」
 鼻をすすりながら、涙を僕の服に染み込ませながら、切れ切れな曇った声が返ってくる。
「ごめん、何でだろ、私にもわからないよ」
 たぶん、ね?
「安心したんだよ。嬉しいんだよ。でもきっと、君に涙を見せたくないんだ、私」
「……」
 おそるおそる手を彼女の背中に回す。
 彼女がこらえきれなかった感情の圧。感情のない僕は、どのような感情があふれたのか、こういう時どう対処すればいいのかを知らない。
 どのくらいの時間だろうか、ぽんぽん、と背中をさすってやると、彼女は泣き止んだ。
「ありがと、もう大丈夫。……今日から、絶対、君と離れてなんかやらないんだから」
 体を起こし運転席にまっすぐ座りなおして、彼女はまだ赤い目で素敵な、綺麗な笑顔を僕に見せた。
「タイムロスしちゃったね。どこへ行こうか」
「……ああ、そうだな。行く場所。道路マップはないのか?」
「ダッシュボードにある、――はい、これ」
「どうも。そうだな、このあたりなんかどうかと思っていたんだが」
「隠れるなら、こっちの鉱山跡のほうがいいと思うな」
「そこはどういう場所なんだ?」
「廃坑への脇道が、草に埋もれながらかろうじて見えたかな、確か」
「ならここにしよう」
「うん、わかった。じゃあ、ガソリン積んで、足りないもの、ホームセンターで買っていこう。種とか、農具とか」
「そうだな。僕は君が言うとおり、農業については全くの素人なんだ。よろしく頼む」
「まっかせなさい!」
 そういうと、彼女はギアをDに入れた。

 県道から林道に入り、状態の悪い山道に入っていく。ホームセンターで買い込んだ様々なものが後ろの荷台でやかましく跳ねる。
「そういえば、葉村、お前まだ16歳だったよな」
「うん、そうよ?」
「なんで車運転できるんだ」
「……お父さんに教えてもらったから」
「免許はどうした」
「当然、持ってるよ」
「18歳にならないと自動車免許は取れないはずなんだが。その免許、原付じゃないのか」
 横顔を見ると、どうやら必死に言い訳を探しているようだ。
「別に怒らないから、正直に言え。お前、自動車免許は持ってないんだろう」
「…………おっしゃる通りでございます……」
「別におどけなくてもいい」
「ごめんなさい」
「要は事故らなければいいんだ、気をつけろよ」
「もちろん、私だって捕まりたくはないわ」
 無免許にしては上手い。おそらく、農業を手伝っているからだろうなと予想する。

 目的地はいい具合に木が生えていて陰になっていた。これなら衛星からでも気を付けてみなければ気付かれることはないだろう。50メートルほど坂を下りれば透明な水が勢いよく流れる沢に下りられる。あれだけ勢いがあれば水が直接飲めない、なんてことはないだろう。
 反対に少し登ると、さっきまで走ってきた林道が見下ろせた。
 平たい草っ原がすぐ近くにあったから、ここを耕して畑にできそうだ。2人分の野菜なら十分育てられるだけの広さがある。
 僕らは手分けしてここを住処にする工夫を始めた。

<無題> Type1 第5章原稿リスト
※このページはIRCの過去ログからのリンク切れを防ぐためのアーカイブページです。 この作品はすでに改稿され、最新版が公開されています。

断章原稿リストへ戻る 第6章原稿リストに進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |

無題 Type1 断章 第1稿

2013.03/24 by こいちゃん

<無題> Type1 断章原稿リスト
第4章原稿リストに戻る 第5章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

断章

 この時点で、私が知らなかったことがある。それは「なぜ彼は徴兵逃れに躍起になっているのか」である。
 後に聞いたところによると、彼は「政府内に僕を邪魔だと思っている人間が少なくない」、「戦地に配属されたら、確実に死にやすい部署に回されるから」だと答えた。
 万事慎重な彼は、捕まった時のリスクの大きい逃走計画の決行前に様々な可能性を考え、裏付けを取っていたという。
 彼は言った。
 国民の一人を特別扱いして危険な隊に配属するためには一人の権限ではできないはずだ。という事は、既に根回しがされているとみていいだろう、と。
 事実、彼が政府内あちこちのメールサーバーに残されたメッセージを盗み読んだところ、それらしきメールが多数残されていたらしい。

 そう、あの時だって、彼は私を逃がすためだけに、自分自身の状態を無視して計画を立て、最後の部分、大事な所を私に告げぬまま実行したのだ。
 彼の逃走計画は成功したのだろう。が、結果みんなが幸せになったかというと答えは否だ。少なくても、私は傷ついたし、後悔した。
 彼は普通の思考回路なんて、私と出会った時には既に持ち合わせていなかった。それを失念していたのは、他でもない私だ。

<無題> Type1 断章原稿リスト
第4章原稿リストに戻る 第5章原稿リストへ進む
<無題>トップへ戻る

Tags: , ,

Posted in 書いてみた, 無題 |