<無題> Type1 第7章原稿リスト
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第7章
1
視界が赤い。瞼を流れる血管の色が、外の光源が強いせいで見えているのだろう。
頭の中心にぼぅっとしたような感覚がある、不自然に鼓動が早い。それを除けば、体に異常はなさそうだ。
目をつぶったままできることをした後。少し考えた末に、そのまま寝たふりをして予想をたてておくことを選ぶ。赤い視界を我慢して、耳を澄ます。
どれくらい経ったのだろうか。不意にすぐ横で人が動く気配があった。
大きな欠伸らしき音。
「ここ、どこ……?」
葉村の声。
「眩しすぎるでしょ、壁がこんなに真っ白なら、電気半分くらいでも十分よ」
電気がもったいない、とつぶやいている。
「……あれ、私、スコップをどこにやったんだっけ。山本と昼寝するつもりで物置に片づけたんだっけ?」
緊張感のない独り言。
「おかしいなぁ、記憶が曖昧で……確かジャガイモを掘ることになって……山本が袋を取って来てくれることになって……それからどうしたんだっけ」
彼女はどうやら、僕が離れたタイミングを狙って襲われたらしい。
それから葉村は記憶を掘り返しているらしく、黙り込んでしまった。
そろそろ起きるか。
「うーん」我ながら実にわざとらしい。
ゆっくり目を開ける。
「あ、山本。おはよう」
「……うん、おはよう」
自分の目でも今いる部屋と葉村を観察する。
広さ6畳、高さ1.8メートルほどの壁も天井も白く塗られている部屋。床だけまだ青い畳敷きなのが何とも不自然だった。天井には教室にあったような2本組の蛍光灯ユニットが4つ張り付いていた。
葉村は昏倒させられる前と全く同じ服装だった。見たところどこも怪我はしていなさそうである。
僕自身は、立ち上がってみると違和感があった。なんとなくふわふわする。まるで船に乗っているようだった。
「葉村。なんとなくふらふらするんだが僕の気のせいかな」
「ふらふらする? どうしたの、立ちくらみ?」
「……そうか。君は何も感じていないのか」
寝起きで葉村の三半規管が働いていないのか、それとも。葉村に断わってから上着を脱いで体をもう一度よく見た。
はたして左腕の内側に、新しい注射痕を見つけた。何を注入されたのだろうか。睡眠薬ならまだマシだが、ここが想像通り、産業情報庁の研究所なら道の薬品の可能性を否定できない。
「葉村、お前、本当に何ともないよな。注射されてたり、電極が貼り付けられていたりしないよな」
「……確かめるからあっち向いて」
同級生男子に見られながらは恥ずかしいのだろう。僕は素直に背中を向けた。
「……未練なくあっち向かれた……そんなに魅力ないのかしら私」
訳の分からないことを葉村がつぶやいていたが、とりあえず無視。
きっとこの小部屋にも、どこかに監視カメラが付いているのだろう。いつかどこかのタイミングで僕らは犯人に、敵に会うことになる。今が何時か分からないが、数時間後に食事が運ばれてくるのではないか。そうでなければ僕らは生きて帰る望みを絶たれたことになるが、その時の脱出法は考えても思いつかない。第一、こちら側から脱出できるような出入り口はない。
さらに僕らが使える道具は来ている作業服と自分自身の体だけだ。
「もう振り向いていいよ。――見てみたけど、特に何もされていなさそうだったわよ」
「そうか、それならいい」
腕を組んだまま身動きせずに思考を続けていたら、背中に温かいものがのしかかってきた。
「葉村? どうしたんだ」
「なんかね。いろいろ考えてるんだなーって。私は置いて行かれちゃうような気がして」
「……」
「かれこれ2年くらい一緒に過ごしてきたわけじゃない。君がどんな時に何を考えてるのか、最近分かってきたと思うの。でね。今みたいな雰囲気のときって、決まって私の手が届かない所へ行こうとしていることが多いなって」
僕は何も言えない。
「ふふっ、心配しすぎかな……? 被害妄想過剰だよね。……なんでだろう。私、いつもはこんなじゃないのに」
なんでだろう、と続いた葉村の声は、少し泣いていた。映画ならここで主人公がヒロインを抱きしめるのだろうが、僕には彼女に向き直ることすらできなかった。それはきっと、葉村の言うことが正しいと、僕自身の予感が告げているからだろう。
しばらく、葉村が鼻をすする音が静かに聞こえていた。僕の背中にもたれかかった葉村をどうしても、床についた手がしびれてもそのままにしておきたかった。
2
葉村が泣き止むかというとき、不意にどこからか、スピーカーに電源が入る、ブツッという音がかすかに聞こえた。
『お嬢さんは初めまして、山本くんのご友人かな? 山本くんには久しぶりだ、とでも言っておこうか。私は産業情報局副長の者だ。いくつか名前を持っているのでね、特に名乗らないでおくとしよう』
葉村が緊張して体を固くした。
「……何、知ってる人なの?」
「あまり知り合いたくないタイプの奴だが」
壁にわずかだが反響して聞こえるせいで、どこにスピーカーがあるのか分からない。どうせ探したって見つけられるところにあるとは思えないが。
『お二人は結構仲がいいようだね。そんな君たちの中を引き裂くような真似はしたくないというのが本当の気持ちではあるのだが。済まないが、こちらも仕事なのだ』
感情はその声に混ざっていない。実際、露ほども申し訳ないなどとは思っていないだろう。
『リアクションがなくてつまらないな、せっかくマイクも設置してあるのに。まあいいだろう、本題だ。私たちはあと1時間ほどで山本くんを迎えに行く。彼にはやってもらいたい仕事があるのだ、お嬢さん』
彼女が僕の左腕をつかみなおした。
『申し訳ないが、これは決定事項だ。そもそも彼は私たちの関係者でもある。この非常時に有能な人材にやるべきことをやってもらわないなんて、もったいない話だろう? もう2年も遊べたんだ、やるべきことはやってもらう。何、仕事が終わったら当然、また彼と一緒に入れるさ』
「関係者、なの?」
彼女のつぶやきから嫌悪感と心配がにじみ出た。
『おや、お嬢さんは知らないのかね? そこの山本くんは――』
「あなたたちのサーバーに侵入して酷い目に遭ったってことなら知ってるわ」
『それならば話は早い。我々は彼のその腕を見込んで、今までにもいくつかの仕事を依頼しているのだ。もちろん、対価は相場にあった値段だ、そこのところに心配はいらない』
「他の部分を心配してるの」
『というわけで、君たちが一緒にいられる時間はあと――』
時計を見たのか、一息、言葉が途切れたとき、「ごまかした」と葉村がつぶやいた。
『57分だ。それまでにしばしの別れを済ませておいてくれ。何か質問はあるかな?』
「ここはどこなんだ。人様の娘を預かっている以上、せめてそれくらいは知っていたい」
『お嬢さんはいい彼氏をお持ちだ。いいでしょう、特別に答えてあげます。君たちが暮らしていた、すぐ裏の山です』
予想通りだった。あの、たまに家の前の道路を通っていたトラックの行先だ。
つまりここは産業情報局の秘密基地で、そしてここは僕が最後に請け負った仕事、新しい施設管理システムを導入した場所だ。他の施設には流用できない、完全独自のシステムを作るために設計図を受け取っていた場所でもある。
設計図をにらめっこしたあの時間は無駄ではなかったらしい。まだあの図面は頭に焼き付いている。
……これは、上手くやれば、少なくても彼女だけは、逃がせるかもしれない。
「葉村。聞いてくれ」
10分くらい、こちらを窺ってくる彼女を無視し目を閉じて脱出ルートを考えた後、僕はマイクに拾われないよう小さい声で呼びかけた。
「ここから脱出する」
「そんなことできるの?」
「理論上は、おそらく。というのも、この施設は僕がシステムを作った。その時の設計図なら、まだ覚えている」
「ためしに聞くけど、私たちが今いる場所はここはどこ?」
「第7階層の東端にある倉庫区画のどこかだろう」
「……それはいつ事実だと確かめられるの?」
「奴らが僕を呼びに来た時、この部屋の外を見るタイミングがあるだろう。外を見れば、おそらく天井が高くて長い通路で、両側とも間隔をあけて大きい防火扉のようなものがならでいる」
「分かった、君を信じるわ。それで? どう逃げるの」
「まず、これから君が連れて行かれるのはおそらく第2階層の居住区だろう――」
3
1時間は説明している間に過ぎ去った。場違いなインターホンの音がして、何もないと思っていた壁の一部が空気の漏れる音とともに横にずれる。部屋の外には、ゴーグルとマスクをつけた、灰緑色の作業着の上に白衣を着た男が2人立っていた。顔が半分以上隠れてはいるが、間違いなく彼らは2年前、うちへ荷物を届けに来たあの2人組だった。
「奇遇ですね、僕をどこかに招待してくださるのはまたしてもあなた方ですか」
皮肉を込めてそう言ってやったが、彼らは顔色一つ変えず、余計な返答ひとつせず、
「ではお時間となりました。山本君は私についてきてください。お嬢さんは彼がご案内いたします」
つまらない事務仕事をこなすようにそう告げた。
僕は黙って立ち上がると、まだ隣でぼうっとしたまま座り込んでいた葉村に右手を伸ばし、肩をつついた。
ゆっくり僕を見上げた彼女は、静かに微笑んで伸ばしたままだった僕の手を取り立ち上がる。
彼女は2人組に向き合い、正面から彼らをにらみつけたが、しかしそのまま、手を離さなかった。
手をつないだ僕らは2人組に歩み寄る。
「申し訳ございませんが、念のため拘束しなくてはいけないことになっております。右手を出していただけますか」
馬鹿にしたかのような丁寧な言い草。隣で彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「その前に。先にどこへ連れて行くか、くらい教えてもらえないのですか?」
「…………お嬢さんの行先は第2階層にある、我々が生活している居住区の一室になります」
「山本君の行先は」
「それは機密だ。残念ながら教えることはできません」
「……そう。ありがとう」
まだ不満そうな葉村は、それでも右手を出した。左手で握っていた僕の手も放す。
目で促された僕も右手を出した。金属製の手錠で、僕と葉村は、それぞれ2人の職員とつながれた。
葉村とは途中、エレベーターホールで引き離された。
葉村に僕の行先を教えないように、だろうか。2基あるエレベーターの両方を使うことなく、葉村たちが乗っていった箱が第2階層で止まり、それが下りてくるのを待っていた。
「僕は具体的にどんな仕事をさせられるのですか?」
「悪いが、俺はお前がやる仕事なんて聞いてないんでね。直接指令に聞いてくれ」
客(という扱いの)葉村がいなくなったからだろう、言葉から丁寧さが剥がれ落ちていた。
話すことがあるわけもなく、僕らは黙り込む。やがて到着したエレベーターが発した電子音がやたら大きく聞こえた。
「ほら、乗れ」
箱の中には上から降りてきた先客がいた。そのまま上へ戻るエレベーターから降りる気配がなかったので、命じられた通り、いつも通り地面を向いたまま乗り込んだ。
「久しぶりに会ったな、山本祐樹くん」
フルネームを呼ばれて、物好きな先客へ顔を上げる。
見えた顔は、すぐに思い出せなかったが、目が合った瞬間に頭の後ろの方が危険信号を発した。
先客はニヤリと笑った。
思い出した。
思い出したくもない相手だった。
「少佐」
「既に昇任したよ、今は中佐だ。この施設の最高責任者でもある」
発言自体は自慢にもかかわらず、全くの無感情な声だった。ここで働くやつはみんなこうだ。声に感情がほとんどない。
嫌な思い出しかないが、ここまで嫌いな相手ならさっさと仕事を済ませて退場したほうが精神衛生上良いだろう。
「つまり、中佐が僕の顧客というわけですね。僕は何をすればいいのでしょう?」
ありったけの精神力を使って感情を押し殺し。僕は仕事内容を尋ねた。
「簡単に言えば、バグ修正と拡張だ。期限内に卸してくれたことには感謝するが、直後に雲隠れされてしまった。そのせいで稼働して初めて分かった諸問題を解決しづらくてね。とりあえず動けばいい、という程度しか手を加えてられていないのだ」
エレベーターが第3階層に着いた。中佐が先に出て行く。
「詳しいことは部下を向かわせる、彼女に聞きたまえ。失礼する」
どうやら同じエレベーターに乗ったのは嫌がらせのためだったらしい。
隣に立った構成員が敬礼して見送るのを視界の隅で見ていた。中佐が部屋に入り、視界から消えるのを待って僕らは再び歩き出す。
“第3電算室”と書かれたプレートの下にある扉の前まで案内された。
構成員が腰につけていた鍵束から探し当てた鍵はほかの鍵と比べてまだ輝いていた。開錠して入ったその部屋は、蛍光灯を点ける前からあちこちで点るパイロットランプの明かりで輪郭が分かるほどだった。
壁のスイッチを探り当てて部屋を明るくすると内部が分かりやすくなる。6畳ほどの広さがあったが、入口がある壁以外の3面に背より高い機械が設置されているせいでもっと狭苦しく見える。さらに中央にはベッドが設置され、床問いかべといい無造作にはっているコードやチューブのせいで余計狭く感じられた。
コンクリート打ちっぱなしで冷たそうな空間なのに、機械の廃熱か、もわっと生暖かい、埃っぽかった。
「お前に割り当てられた部屋だ。この部屋の中の設備なら自由に使っていい。何か注文はあるか」
ベッドに腰掛け、枕元に置かれた端末を触ってみる。
「端末は嫌いなんだ。できればノートパソコンを用意してくれないか。もし可能ならば、僕のノートパソコンを持ってきてくれればベストだが。オリジナルのソースコードも保存されているし、うちのメインサーバーへの接続設定もしてある。そのほうが効率がいいからな」
「検討しておく。他には何かあるか」
「今のところは、特に」
「分かった。詳細はこの後すぐ来る職員に聞いてくれ」
そう言い残すと構成員は部屋を出た。外から鍵を閉められる。
「……ちっ、やっぱ中からじゃ開けられないか」
機械を見てまわる。
それなりのレベルではあったが、必要十分な性能をもつスパコンが1台。
うちにあるような普通の、秋葉原へ行ってパーツを買い集めれば作れるほどのデスクトップコンピュータの本体が2台、ディスプレイはなし。
その他の大多数の機械は“コンピュータ”ではないのか、見てもよく分からなかった。
そうやって時間をつぶしていると、外からノックされた。
「閉まっていますが、どうぞ」
そう答えると、鍵が開く音がした。一瞬体が飛び出そうとしたが、勝算もなく動くべきではない。引き止めて深呼吸を1回した。
入ってきたのは女性だった。彼女はすぐに思い出すことができた。当時少佐だった彼の腹心の部下だ。
「今日は懐かしい人によく会う」
「その“あう”は会うそれとも遭う?」
「さて、音だけでどう表現しろと」
「漢字のつくりを説明すればいいのではないかしら」
軽口をたたき合う。
「それで、本題だ。僕は何をすればいいんだ?」
この質問も、自問自答を含めれば何回目だろう。やっと答えが返ってくる。
「あなたが約2年前に納めたこの施設の維持管理系の総合システム。これのメンテナンスをお願いするわ。とりあえず問題点の洗い出しを1週間以内に済ませてちょうだい。賃金は7日間でこのくらい――」
指を数本立てた。
「――でいかが」
「……いいだろう。少しばかり足りないが、連絡を取れない状態にしたお詫びに、少しまけておくよ」
「資料はデータにして、このディスクの中に保存しておきました。あとパソコンでしたね。あなたの私物をお返ししましょう。特にウイルスは入っていないようでしたので」
ウイルスなんて簡単に作れるからそもそもチェックする意味がないのだが。四角いプラスチックのケースに入ったディスクとともに、使い慣れたノートパソコンを受け取った。
「確かに受け取った。連絡を取る手段なんかも保存されているんだな? ……了解した」
「お礼を言っておくわ、ありがとう。未だに私たちは弱小機関なの。経費削減に協力してもらえるとは思っていなかった。もっと吹っかけられると思って低めに設定しておきましたのに。何か最後に質問はありますか?」
「そうだな。僕がこの仕事を断った時の対応が知りたい」
「簡単なことですわ」
だろうな。
「想像がつきますでしょう?」
このいかれた機関のことだ。実力行使に決まって――。
「!?」
彼女は何かのスプレーを、至近距離で顔に吹き付けてきた。
「私としましては、まだあなたが我々を侮っていることに驚きました」
げほげほとせき込む。……先ほど目が覚めた時に感じた手足のしびれがまた強くなってきて。
「……麻酔か何かか!?」
入室した時から表情を全く変えない彼女をにらみつけた。
「あなたのためだけに開発された、まだ実験段階の代物ですけどね」
罵ろうとしたが、もう声が出なくなっていた。
もう、意識が続かない。
目が覚めたのかもわからない。夢の中にも思える。
真っ暗とも言えない、しかし明るいとも言えないぼぅっとした場所だった。ここはどこだろう。頭の中も何かがおかしい、思考がループしてたった今、何を考えていたのかすら分からない。真っ暗とも言えないここはどこだろう?
ああ、もしかして、目を開けていないのではないか?
しばらく目の開け方を考えて、度忘れしてしまっていて、いつの間にか視界の中にさっきまではなかった黄色や緑や橙の小さい光が瞬いていることに気が付いた。
あたりが見えていることを理解するのにしばらくかかった。
普段と違う。何かいつもと違うことがあったか。どうやって調べればいいかうんうん考えて、やっと思いついた。自分の体がどういう状態にあるか見てみれば何か手がかりがあるかもしれない。
どうやれば見ることが出来るか。……単純な話じゃないか。下を向けばいい。下ってどこだっけ。
そんなこんなで今の状態を確かめる。少しづつ普段通りとまではいかないが落ち着いてきた。
部屋中央のベッドに寝かされていた。
腕には3本、透明なチューブが突き刺さっている。2本には赤い液体が流れていて、もう1本の中身は透明だった。さらに下着だけに脱がされた服の下、体のあちこちに電極を貼り付けられ、つながった電線が伸びる。何本ものチューブと電線はベッドから無造作に垂れ下がり、懸垂曲線を描いて壁際の機械に差し込まれていた。僕がさっき見て分からなかった機械は、どうやら医療系のものだったらしい。道理で、判別できないわけだ。
更に両足首と太もも、腰がベッドに縛り付けられ、身動きできるのは首と両手だけだった。
黒い無地のTシャツだけ着せられ、それ以外にはなにも着ていなかった。着てきた服は入口わきに置かれた机に畳まれている。
どうやら気絶している間に、こんな機械につながれた状態にされたらしい。
なぜこんなことをされたのかを考えかけ、面倒くさくなってやめた。ここは腐っても政府組織、報告書や命令書の一つや二つ、メインフレームを漁れば出てくると思ったからだ。
奴らはどこまでも、僕を無理やり働かせようとしているらしい。枕元に置かれた自分のノートパソコンを起動し、起動待ちの間に同じくベッドの端にひっかけられていた電源ケーブルとLANコードをパソコンにつないだ。
持ち主がどういう状態になっていようがお構いなしに、いつも通りログインプロンプトを出すシステムについ「よろしく」と話しかけ、僕は苦笑を漏らした。僕なんかより、ずっと頼もしいような気がした。
長年連れ添った|相棒《AI》は、うちのサーバーの中に2年間も放置してしまっても呼びかけに答えてくれた。彼に処理の大部分を任せ、僕自身は自分に関する命令を産業情報局のメインフレームから漁って読んで処理待ちの時間をつぶす。
どうやらこの体を縛り付けている機械群は、延命用の装置らしい。
自立して動けなくなったが、亡くすには惜しい人材を脳の寿命まで生かす装置。
食事も排泄もいらない。すべてチューブを通して機械が代行してくれる。
点滴と共に思考加速剤という名の薬物が流れてきて仕事をさせるには最適だ。
仕様書を読んでいる限り、どうやらこれは僕一人のために作られたらしいことが分かる。なぜこんなに手間と金を使うのか理解できない。そして対象がコンピュータに詳しいと分かっていながらどうして簡単に侵入できるコンピュータ制御にしたのだろう。
何か裏があるのか。そこまで考えていなかったのか。設計者が馬鹿だったのか。
分からないが、そんなところに興味はない。いかに警戒網を潜り抜けてこの装置から自由になるか、それを気付かれないようにするか。それさえわかれば後はどうでもよかった。
継続的に薬物が体に入ってきているらしい。もう5日くらい意識的に寝ていなかった。それでもまだ、眠気は訪れない。時々意識がふっと飛ぶから、おそらくその時に睡眠をとっているのだろう。
薬によって無理やり働かされ、無理やり寝かされ、無理やり生かされる。
そこまでして僕は保護されるべき対象なのだろうか。
5日で仕事を終わらせた。言いつけられた期限まではあと2日あった。
やることもなく無気力にぼぅっとしていた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。そもそも僕は何をしにここへ来たのだろう。
目をつぶる。見えるものは何もなくなる。考えていることも千々に途切れて消えていく。
やがて頭の中が空っぽになった。
4
「お嬢さん。私たちはここで降ります」
山本と別れてエレベーターに乗った後、私は彼の言った通り第2階層に連れてこられた。
そこはパッと見、ホテルの中と似ていた。エレベーターホールには各室の方向を示す看板と位置を示す地図が貼られている。左に食堂、右が個室のようだった。
「お嬢さんに割り当てられた個室は一番奥にある通路の突き当り、A01号室になります。あなたはこの施設の大事なお客様です。戦前のシティホテル並みのサービスを受けることが出来ます」
手錠で一緒につながれている職員に促されて私は個室のほうに歩き出す。
「具合が悪くなったら食堂のとなりにある医務室で診察してもらえます。女医もいますのでご安心ください。それと……これがあなたのセキュリティパスです」
そういって職員は私の開いているほうの手にICカードを持たせた。
「このパスで入ることが出来る場所ならどこへでも行くことが可能です。ドアはオートロックですので、間違って締め出された場合は一つ上のフロアにある事務室までおいでください」
説明を受けている間に個室の前まで来た。
「私の任務はここまでになります。何か質問はありますでしょうか、答えられるものであればお答えします」
「どうせ山本くんの居場所は答えられないんでしょう? なら特にないわ。案内ありがとう」
「ご協力ありがとうございます」
手錠が解放される。そこだけ冷たくなっていた手首をさすった。
「失礼いたします」
敬礼を残して彼は去っていく。一度も振り返ることなく。
ドアのすぐ隣の壁に張りついているセンサにカードをかざすと、ドアは自動で静かに開いた。
内装は職員が言っていた通り、窓のないシティホテルといった趣だった。
沓脱はない。短い廊下、ドアをくぐってすぐ左にユニットバスがある。栓をひねるとすぐにお湯が出た。廊下はそのまま部屋につながり、ドアのある壁沿いにデスクランプの置かれた事務机が置かれている。その奥には驚いたことに金庫まで用意されていた。シングルベッドが机のほうへ足を向けるように2つ並んでいる。
手前のベッドに座ると、スプリングがわずかに鳴る音がやけに大きく響いた。
力が抜けて、後ろに倒れ込むように寝転がる。
さっそく私は一人でいることが辛くなる。
地下で昼夜の区別がないからか、柱時計を模したようなボーンボーンという音が定期的になる。
7回なって途切れたその音に、いつの間にか寝ていた私は目を覚ました。
確か最後に聞いたのは3回だった。4時間もぐっすり眠りこけてしまったらしい。
起き上がろうとして、変な態勢で寝ていた罰だ、体中が痛かった。立ち上がって伸びをする。
ベッドの下の引き出しにあったカードをぶら下げるネームプレートにICカードを入れ、首から下げると私は部屋を出た。
誰ともすれ違わずに食堂へ着いた。中は明るく、ICカードを通しても入口は私を拒まなかった。誰もいない。
食券機の上に掲げられたメニュー表から一番安いミートソーススパゲッティを選んで食券を買った。かざせと自動音声の指示通りICカードを機械に押し当てる。ピロリン、と電子音が聞こえたが食券は出てこない。
「まさか売り切れ……?」
1分待ったが機械は何も言わない。
あきらめてほかの商品を買うことにする。めんどくさい、隣のカレーライスでいいや。
同じように指示通りICカードを押し当てるとピロリンと音がする。が、やはり1分待っても食券は出てこなかった。
「壊れてるんじゃないの?」
もう一回。
「どうしたんだ、そんなに料理を並べて。お嬢さんは見かけによらず大食いのようだ」
冷たそうな女性を連れてやってきた偉そうなその男は、私の前に並べられたたくさんの料理を見て笑った。
「違います。その機会が何にも反応をよこさないもんだから、故障か売り切れかと思って何度も注文したのよ。そうしたら、自動調理機と連動していたのね。5分くらいしたら次から次へと料理が運ばれてきて驚いたわ」
「そうだったか。その量は食べきれるのかな?」
「無理ね。もったいないし、あげるわ」
「では遠慮なくいただくことにしよう。……君から選んでいい」
「ありがとうございます。あなたも、ごちそうさま」
「いえ」
女性がグラタンと苺パフェを、男性のほうは天丼と餃子を手に取って隣の机に座った。
そして量から考えても当然だが、彼らのほうが先に食べ終わった。食堂を出て行くとき、思い出したように振り返り、
「お嬢さん。我々の仕事を引き受けてくれた山本くんの彼女とは、君のことだね?」
と聞いた。
「彼女なんて、そんな。あいつのことを知っているのですか?」
「彼に『恋人なら助けて』、って叫んだのは君じゃなかったのか」
ふと、まだ高校に通えていたころのことを思い出した。
「そんなことも、いいましたね、懐かしい。でもあれはウソ、たんなる方便です」
なんとなく顔が熱い。
「そうか、そうか。末永くお幸せにね」
「……」
置き土産のように残されたフレーズがリフレインして、私は何も返すことが出来なかった。
「人の話を聞きなさいよ」
足音が聞こえなくなった頃ようやく出てきた言葉は、どう聞いても負け惜しみだった。
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