こいちゃんの趣味全開!!

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Monthly Archives: 1月 2022


俺に明日は来ない type1 第3章

2022.01/30 by こいちゃん

「こんなにカレーばっかり買ってきて、何を考えてるのよ!」
 学校に戻ると、こそこそ荷下ろしを始めた水上だったが、すぐにバレた。
 静かな中でエンジン音を響かせて走る自動車で帰ってくれば、誰でも帰着したことが分かるだろう。
「カレーは正義だぜ」
 さっきも聞いた一言で片付けようとする。
「そうだけどさ!」
 そうなんだ。それは認めるのか。
「ならいいじゃねえか」
「ちっとも良くないわ!」
 そう言いながらも、朝は見なかった俺たちよりは年上のようだがまだ若い女性は、荷下ろしを手伝う。
「ガキだってみんな喜ぶぜ」
 確かに、カレーと聞きつけて何人かの子どもたちが教室のドアから顔を覗かせている。
「あんたがカレーを作ると、そのあと1週間くらいは調理実習室からカレー臭が抜けないのよ」
「何を、俺はお前より若いぞ。……俺、そんなに臭いかな」
 荷物を抱えながら、自分の脇の下を嗅ぐ。
「気持ち悪いわね、脇の下をくんくんしちゃって。カレーの、スパイスの匂いが抜けないのよ」
「それは別に良いだろ、食いもんの香りだぜ?」
「だから、ちっとも良くないの! 作ってる料理を味見してても分からなくなるのよ」
 どうやら水上はカレーしか作らないから気にならないようだ。
「でもほら、ココナツミルクとかさ、カレー以外の具材だって……」
「前回のは全部、グリーンカレーになったわよね」
「いやまああははは」
 笑って誤魔化した。
「君も君よ、一緒について行って、何で止めないの?」
 俺に話が回ってきた。
「ここではそういう物なのかと思って……」
「そんなわけないでしょ!」
 やっぱりそうだったか。
「自己紹介もしないうちから叱り飛ばしちゃダメだろ」
「それすらさせてくれないような案件を持ち込んだ張本人が言うわけ、ふーん」
「はいごめんなさい俺が悪かったです」
「悪いと思うなら今度からこの半分くらいにしてほしいものね」
「前回の半分以下の量だと思うぜ?」
「2トントラックで行ってほぼ全部カレーかスパイスかその具材だった時のこと?」
 軽トラの隣に駐まっている、黒猫の絵が描かれた宅配便の集配に使うこの車だよな。全部がカレーとはどういう状態だろう。
「まったく。……細野歩美、よろしく」
 唐突に名乗られて面食らう。
「……樋口雅俊です」
「樋口くんね。元の世界のこいつを知ってるなら、こんど手綱の引き方を教えてね」
 口止めもされていたし、明日にはもうここに居ません、もうここに来るつもりもありませんとは言えなかった。
「うす」
 それだけ返事して、最後の荷物を手分けして抱え持つ。
「まあいいわ、持って来ちゃったんだもん。じゃあ水上は今夜の食事係って事で。樋口君はこの中を案内するわね」
 階段を上がりながら、非難がましい目で水上は抗議した。
「俺だけで作れってのか」
 踊り場から見下しながら仁王立ちの細野さんがバッサリ切る。
「だってあんた、あたし達が手を出そうとすると怒るじゃない」
「それはお前らが……!」
「ヨーローシークー!」
 細野さんは最後のカレー缶の箱を川上に押しつけると、ぴしゃりと調理実習室の扉を閉める。
「まったくもう」
 ため息を一つついて、気持ちを切り替えたようだ。
「ここの在校生だったんだって?」
「そうです。2年1組にいました」
「なら、君のロッカーや机はそのままかもね」
 2人でホームルームに向かう。
 机を撤去され、事務所で見るような四角いタイル状のカーペットが敷き詰められている。教室の隅には布団が畳んで積まれていた。
 それでも、教室に貼られた2年1組の時間割や、放課後にいたずら書きされた黒板はそのままだった。誰が描いたのかすら分かるような気がする他愛ない相合い傘が、昨日のことのはずなのに懐かしい。
「これが俺のロッカーです」
 進級して1ヶ月が経ち、扉のへこみや錆びで分かるようになった自分のロッカーを開けると、乱雑に、しかし表紙が折れない程度には教科書やノートが立てて並べてある。
 端にあった英語のノートを手に取ってパラパラ捲れば、見慣れた流し字が5月25日という日付で終わっている。
「おっと学生さん、さては眠かったね?」
 しんみりとした空気を振り払うように、後ろからのぞき込んだ細野さんは字がミミズになっている部分を指さした。
「昼飯を食い過ぎちゃって、しかも直後が体育で、昼下がりなんてみんな眠くなるでしょう」
 俺もそれに合わせて茶化すような口調で応じる。
「分かるー。好きな子とかいたの?」
「いや、特には」
「えーつまんない。この高校は共学だよね。高校生でしょ、青春しなよ」
「気が向いたら?」
「そんなんじゃダメよ、卒業式なんてすぐなんだから」
 そんな歳だったんですか、とか聞いてみたい。
「今、あたしの年がいくつかなって考えたでしょ」
 これが噂に聞く、女の勘というヤツだろうか。
「滅相もない」
「ほんとにー? ならそういうことにしときましょ」
 さ、次へ行こうか。促されてノートをロッカーに戻した。
 とはいえ、勝手知ったる自分の学校だから、案内されるも何もない。
「ここには小学生や中学生から、私より少し上の大人までが住んでいるの。コミュニティの話は聞いた?」
「聞きました、よそには危ない人たちもいるって」
「そう、だから子どもたちを保護したり、おままごとレベルだけど、あたし達が教えるんだけど学校みたいなことをして小さい子に教育をしたりしながら生活しているわ」
「みんなで仲良くっていかなかったのは何故なんですか?」
「もちろん全部のコミュニティと敵対しているわけじゃ無いのよ。酪農を専門にしている人たちもいるわ。でもそう、無法地帯であることには変わりないじゃない?」
「はい」
「だからやっぱり、あっちじゃ犯罪だったことを楽しむだけの奴らもいるわけ。法律があるからやらないとか、そんな半端者たちばっかりだから余計ムカつく」
 細川さんは心底忌々しいと吐き捨てた。
 その表情に同族嫌悪が隠れているように見えたのは気のせいかもしれない。
「樋口くんは今回が初めてなんだよね」
「そうです」
「ああいう奴らみたいになっちゃダメだからね、お姉さんと約束だから」
 お姉さんて。
「なんかちっちゃい子の相手ばかりしてるからかしら、今の保母さんみたいね」
 まあおばさんじゃないか。
「おばさんとか思わなかった?」
「まさか。水上みたなのはいいんですか」
 やっぱり女の勘に思考が読まれているようで怖い。慌てて話題を変えた。
「アイツもダメだけど、ああいうのはまだマシよ。開き直りかたっていうか……堂々としているっていうか?」
「確かに、変な度胸みたいなのはありますよね」
 昔からドライというか、サバサバしているヤツだった。
「それそれ、肝心なときだけは頼れそうな感じがあるよね」
 だからつい、いけないって分かっていることも頼っちゃうんだけど。
「え?」
 小声のつぶやきはふとこぼれたという雰囲気だった。
「な、なんでもない。それより!」
 細野さんはある教室の前に立つと扉をがらりと開けた。
「あたしの子供、かわいいでしょ」
 高校の教室にベビーベッドが置いてあるだけですさまじい違和感を放つのに、さらにそこには乳児が寝ていた。
「赤ちゃんまで居るんだ……ここで産んだんですか?」
「……」
 しまった、聞いてはいけないことだったか。
「かわいいですね」
「でしょー?」
 取り繕うように言葉を重ねると、一瞬だけ固まった表情が動き出す。
 お姉さんだった細野さんが急にお母さんとなった気がした。彼女が優しく抱き上げるとむずがゆそうに声を上げかけたその子は、ゆっくり揺すってやると再び寝つく。
「そろそろご飯だから、みんなの居るところへ戻ろうか」
「はい」
 先ほどまでより少し抑えられた声で遣り取りをした後は、食堂になっている教室まで2人とも黙ったままだった。

 なるほどこれは1週間くらいは匂いが残りそうだ。だが決して不愉快ではない、食欲をそそられる新鮮なカレーの香りが教室に充満している。
 学校の机に置かれたカレーが盛り付けられた器からは、うっすら湯気が立っていた。
 高校生用だから小中学生には少し高そうだったが、二つに分けて作られた机の島の片方には子どもたちが待ち遠しそうに座っている。
「遅えぞ」
 作業着の上からエプロンをした水上が自分の机に着いて貧乏ゆすりをしている。
「ごめんごめん。みんな揃ってたんだ」
「もう、いただきますしていい?」
 小学生くらいの男の子が涎を垂らさんばかりに聞いた。
「そうだね、じゃあみんな手を合わせてー」
「「いただきまーす」」
 きゃいきゃいと温かい騒がしさに囲まれながら、子どもたちの島に空いていた机に細野さんが座ると、子どもたちとカレーを食べ始めた。
「おい樋口、俺たちはこっちだ」
 朝、校門のバリケードで見かけた中学生くらいの男女と、30代中ごろくらいのおっさんが座っている島へ水上に引っ張られた。
「初めまして」
「水上くんから聞いたよ。ようこそ」
 おっさんがにこやかに笑った。
「もう大丈夫ですか」
 男子が聞いてくる。
「バカ思い出させちゃだめよ」
 女子の方がたしなめる。
「ああうん、もう大丈夫。ありがとう」
「食わないのか、冷めるぞ」
 挨拶の遣り取りをよそに、スプーンに山盛りすくったカレーを頬張る水上は、出来映えに納得したのかうんうんとうなずいている。
「そうだね、我々も食べるとしようか」
「いただきます」
「いただきまーす」
 口に入れたときには様々なスパイスの香りが広がり、飲み込む頃には辛さを少し感じる。
「旨いな」
 素直にそう言った。
「良いぜ良いぜ、もっと褒めろ。お代わりも沢山あるぜ」
 少し褒めると調子に乗る奴だったことを思い出す。
「水上さんって、カレーを作る腕だけは良いですよね」
 女子が呟く。「うん、美味しい」
「だけはってなんだよ、いつもだって色々やってるだろ」
「やりすぎて細野さんに怒られてますよね。こないだだって理科の授業だって言って、金属ナトリウムを水槽に投げ込んでたじゃないですか」
「あれは濾紙の残りがもう無かったからであってな……」
「ならやめればいいじゃないですか」
「うるせえやりたかったんだよ」
「やっぱりそうだったんですね……」
 はあ、と中学生にそろってため息を疲れる同い年の姿に、相変わらずなんだなあと少し笑えた。

 11時になった。
 普段なら、教室に敷いた布団でみんなと川の字になって寝るらしい。
 しかし今夜は、水上が俺のアパートまでついてきた。
「ついてきておいてアレなんだけど、あんまり自分のねぐらを他人に言うなよ」
 歩き煙草で夜道を進みながら、彼は唐突に言った。
「何で?」
 俺も吸い込んだ煙をゆっくり吐き出して聞いた。
「もし再びこっちに来ることになったら、お前はそこに現れるんだよ」
「……それが何か?」
「日付が変わる瞬間に何処で何をやっているかは、この世界ではお前が思っているより重要なんだ。互いに守りあえる安全な場所以外では、下手に日付を越えない方が良い。この場所を安全な場所にし続けたいなら、秘密にしておいた方がいいってことさ」
 このときは、彼が何を言いたいのか分からなかった。
「なるほど」
 でももう来ることはないだろうし、聞き流してしまった。
「さて、どの部屋だ」
「201号室、2階の角部屋に住んでる」
 外階段を上がって玄関の前に立つ。
 丸めて持ってきた制服のポケットに鍵が入ったままだった。
 常夜灯にかざしながらごそごそして取り出し、錠に入れて回した。
「電気を点けるなよ」
 俺は慌てて癖でスイッチに掛けていた手を離した。
 荷物を置いて、風呂に入るのも面倒くさくてそのまま作業服を脱ぎ、スエットを履いた。電気を点けないままの暗さでは、どのみち入浴なんて出来ない。
 遅くに自宅へ帰ってきたとき特有の眠気が襲ってくる。
「今日は色々あったから、疲れてるんだろ。俺は気にせず寝ちまえ」
 あくびをしたのを察したらしい彼が言った。
「じゃあ遠慮無く」
 布団に潜り込む。
「まああっちで生き返ったら覚えてないんだけどな。俺は楽しかったぜ」
「こちらこそ、久しぶりに会えて良かった。あっちにはいないんだな」
「そりゃそうさ。同窓会の時に訃報を知って驚け」
 自分の死を笑えるなんて、俺の知らないこいつは何を経験したのだろう。
 急に聞きたくなったが、睡魔に負けてしまった。
「大抵、2回目は来るんだけどな」
 だから、彼のその一言は聞こえていたけど、意味を理解すること無く寝てしまった。

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俺に明日は来ない type1 第2章

2022.01/29 by こいちゃん

「出かけるなら着替えが欲しい」
 自分の吐瀉物がはねた制服を着たままで生活するのは嫌だ。
「ああ、そうだな。作業をするのに制服だと何かと不便だよな」
 上着はひとまずそのままにして、ワイシャツと制服のズボンだけの出で立ちで保健室を出る。まだ少し肌寒いが我慢だ。水上は作業着のジャケットに袖を通しているのが少し羨ましい。
 彼に連れられてやってきたのは教職員用の駐車場だった。彼はためらいなく端に駐められた軽トラックの運転席に乗り込んだ。
「免許を持ってる……わけ、ないよな」
「こっちの世界には運転免許を交付できるほど、警察官がいないよ」
 そういえば、圧倒的に人が少ない。
「平和だからな、殉職者も多くない。いいことじゃねえか」
 殉職者?
「まあ乗れよ。走りながら説明する」
 水上は慣れた手つきでキーをひねりエンジンを掛ける。
 一抹の不安を抱えながら、おずおずと助手席に座った。
「ここはな、あっちの世界で死んだ奴が来る世界なんだ。俺もそうだし、樋口もそうだろ」
 思ったよりスムーズに車が動き出した。
「山奥の小さい中学で、同級生がもう2人も死んでるのか」
 敷地を出ると、全く車通りのない道で、気持ちよく速度を上げていく。
「そういうことになるな。でも全員かどうかは分からんが、40歳くらいになるとここには来ないみたいだな。あっちからこっちへは記憶を持ち越せるけど、こっちからあっちには出来ないから確かめようがない」
 ここから、記憶を持ち越せない? それはつまり。
「生き返れるってことか?」
「うん、望めば、って言うか望まなくても、法則に従って生き返れる」
「どうやるんだよ!」
 思わず俺は勢い込んで聞いた。詰め寄ったせいで車が揺れた。
「あっぶねえな。あー、その。お前は未練がある派なのか」
「は?」
 死んで生き返りたくない人なんて居るのか?
「やりたいことがあったとか、なりたい自分があったとか?」
「……。」
 改めて問われると、特にこれといってない。ないけど。
「先に言っとくけどな。あんまり他人に言わない方が良いぞ。お前がどういう死に方をしたのか知らないし、話の流れで聞いただけで興味ないから答えなくていいけど、ひとによっちゃあ自分からこっちに来たのだっている」
 まあ、ここに来るとは知らなかっただろうけどな、といって彼は笑った。
 自殺、ということか。
「まあいいや。話を戻すとな、日付が変わる瞬間に色々なことが起こるんだ」
 曰く、あちらで亡くなると、死んだ日の0時にいた場所へ、翌日の0時に「リセット」されるらしい。昨日の0時に、俺は自分のアパートで寝ていた。だから今日の0時に、こちらの世界の自分のアパートに現れたらしい。
「そして新しくこちらに来た人が居た場合、そこから半径50kmくらいにある色んな物も一緒に連れてくる。登校するときにコンビニに寄っただろ、その時に商品が色々並んでいたはずだ。元々こっちに居た俺たちは、そういうのを見て今日は知らないヤツが新しく落ちてきたなって知るわけよ」
 普段なら、特に賞味期限の短い生鮮食品はあっという間に誰かが取ってしまうか、腐っていくためにその場で残り続けることはないらしい。
「だからお前の服を調達したら、スーパーへ行って保存できる食べ物とか色々買い込むのに付き合ってもらうからな」
「もちろん。だから軽トラックなのか」
「いや、違う。もっとでかいトラックは、お前がぶっ倒れている間に別の調達班が使ってる。最後に残ったのがろくに荷物の積めないこの車ってわけさ。ガソリン自体が自分たちじゃ作れねえから、普段は車なんて使わないんだよ。無駄遣いになるから乗用車は最初から用意してない」
 誰が運転しているのかは聞かないでおこう。もしかしたら他にも誰か大人が居るのかもしれないが、今朝から見たのは、自分と同じ歳の水上と、歳下そうに見えた2人だけだった。
「それでな、日付が変わったときにどこに居たかが大切なのはこの世界でも同じなんだ。こっちの世界で死ぬと、やっぱりその日の0時に居た場所で、翌日の0時に復活する」
「復活する?」
「そう。ちゃんと死ぬけどある意味じゃ不死身なんだ」
「ここで死んだらあっちの世界に戻るとかじゃ無いのか」
「そこまで簡単な条件じゃねえよ。何日連続で生き残ったか、それによって決まる」
 最初は1日生き残れば良いらしい。その次にこちらへ来たら2日、更に次は4日と、あちらの世界で生き返るために必要な、生き残らなければいけない日数が増えていくのだと言った。
「だから、これが何回目のあの世なのか、今日が何日目の生き続けた日なのか、あっちに戻りたいなら間違えずに数えとけよ」
「そんなに何度もあの世に来てたまるか」
 俺がそういうと、彼は短く乾いた笑いを上げた。
「作業服でいいよな、農作業もしてもらうしそうすると汚れるから、それでも構わない方が良いだろ」
 笑い方の意味を問う前に、目的地に着いてしまった。後から思えば、最初に生き返る前では聞いて答えをもらったところで、理解できなかったと思う。
「……うん」
 俺も安い下着や冬の上着を買いに来たことがある作業服チェーンの駐車場に、水上は軽トラックを停めた。
「中から助手席側の鍵を閉めるから、先に降りてくれ」
「分かった」
 廃墟みたいなのは今朝のコンビニと似たり寄ったりだが、それほど古くなさそうな幟がはためいている。
「さあて、今回はどれくらい商品が補充されたかな、っと」
「楽しそうだな」
「宝探しみたいだと思わねえ?」
 店内は真っ暗だった。
「やってないじゃん」
「あたりめえだろ、店主が死んでなきゃやってる店なんてねえし、24時間営業してない店が深夜に店内の電気をつけっぱなしにはしないだろ」
 そういうと水上は地面からコンクリートブロックを拾うと、入口の扉へ叩きつけた。
「おい!」
「こうでもしないと入れないんだよ。大丈夫、警察どころか法律がないから、不法侵入ですらない」
 水上は割れたガラスから内側へ手を伸ばし、鍵を開けた。
「いらっしゃいませー」
 自分で言いながら暗い店内へ躊躇無く入っていく。おいていかれそうになった俺は慌てて追いかけた。
 真っ直ぐバックヤードへ歩いて行くのをビクビクしながらついていく。自分が空き巣になったようだった。彼は手探りで電気のスイッチを見つけ、パチンパチンと蛍光灯をつけた。
 明るくなった店内は、少し罪悪感を薄めてくれる。普段は入れないバックヤードがこうなっているのかと感心している自分自身が、現実逃避的な思考へ逃げようとしているのは自覚していた。
「次の用事もあるんだし、早いとこ見繕っていこうぜ」
 普段はアウトドア風の上着や下着の置いてある棚しか行かないが、今回の目的は作業服一式だ。似たように見えても実は色々あるようで、メーカーもサイズも色も、結構細かく揃っているのが斬新だった。
「ちょっとこの辺、試着してくる」
「何処へ行こうとしてる?」
「え、試着コーナー……」
「他の客が来るわけないし、別にここで脱げばいいだろ」
 ぽかんとしてしまった。
「よーし脱がせてやるぜ」
 いたずらをするように、水上がベルトを緩めてくる。
「待て待て分かった! 自分で脱げるから! 大丈夫!」
 同性の前だ、脱ぐこと自体は、言われてみれば恥ずかしくも気遣う必要も無いが、脱がされるのはごめんだった。
「遠慮しなくて良いのに」
 大笑いしながら言われて照れる。
「洗濯も面倒だから、同じ物いくつも持って行けよ。売り物じゃないし金も要らねえし」
 最後の一言で感情が冷えた。忘れていた罪悪感がムクムクと膨らみ出す。
 でも確かに、貨幣経済が成立するほどの人口は居なさそうだった。公民で、貨幣とはその信用を担保する者がいて初めて成立すると習ったのを思い出す。この世界に国はあるのだろうか。
 結局、作業服の上下を3セットとつなぎと、サイズの合いそうな下着を数枚に、安全靴2足を持ち出すことにした。レジに置いてあったはさみでタグを切り、汚れた制服から着替える。
「なんか色合いが水道局の検針員みてえ」
 ……俺も思ったが、人に言われると腹がたつ。
 俺が店と軽トラを往復して荷物を積み込んでいるのを見ながら、彼は煙草に火をつけた。
「……吸うんだ」
「おう、1本いるか」
「いや別に、そういうわけじゃ」
「まあこっちにゃ、年齢なんて関係ないけどな。リセットされるから健康被害とか気にしてもしょうがねえ。お前だって高校生なら吸ったことくらいあるんだろ」
 いつの時代だ。
「ないけど」
「ねえの!?」
 何故そこまで驚く。
「俺、中学の時から吸ってたんだぜ」
 死んでから今更そんなカミングアウトされても困る。
「積み込み終わった」
「よっしゃ行くか」
 荷台の荷物を一目見て、彼はくわえ煙草で運転席に乗り込んだ。
「俺は吸わないって言ったよな」
「聞いた。リセットされるし副流煙とか気にしても無駄だって言っただろ」
「……そうだけどさ!」
「うるせえなあ、じゃあお前も吸え。それだよ、そうすりゃ気になんねえべ」
 胸ポケットから出した箱を振って数本飛び出させると、俺に向ける。
 渋々一本つまむと抜き出す。
 金属のライターで火をつけてくれるが上手くつけられない。ついたと思ったら煙を吸い込みすぎてむせた。
 その不慣れな様子を見た水上がいちいち爆笑しているのが悔しくて、むせずに吸ってやろうと四苦八苦していると体がふわふわしてくる。変な感覚に戸惑う俺に、あいつは更なるツボに入ってしまったようで、腹を抱えながら辛そうに……今度は笑いながら煙草を咥えて自分でもむせた。
「バカ、人のことだと思って笑ってるから」
「いやー面白かったわー。勧めるもんだな」
「保健の授業で習わなかったのか、人に勧めちゃ行けません」
「俺は高校中退したもん、樋口と違ってもう高校生じゃないもん」
「保健体育は中学にだってあっただろ」
 そうか。あの授業を受けながら、こいつは素知らぬ顔で当時も既に喫煙者だったのか。
「そんな昔の事なんざ覚えてねえなあ」
 笑いの発作が落ち着いてきて、やっと水上は車を発進させた。
「なあこれ、どこまで短くなったら捨てて良いの」
「紙の質がフィルター……くわえる部分と火のついてる部分と違うだろ。そこくらいまでだな」
「じゃあもう良いと思う。灰皿は何処に」
「ほい」
 水上はカーゴパンツ右股のポケットから缶を出して寄越した。
「ども」
 キャップ付きコーヒーの空き缶だった。開けると、さっきまでとはまた違った煙草のにおいが漏れだした。
 ちょっと考えて、火のついたまま吸い殻を入れるとキャップを固く閉める。このままでも、酸欠で勝手に消火するだろう。

 水上が次に車を停めたのは、サンタクロースのような帽子を被ったペンギンが看板に描かれたディスカウントストアだった。
「こっちのほうが保存食の扱いは多いからな。スーパーに行ったところで、新鮮な野菜はもう漁りつくされた後だろ」
 軽トラのラジオが表示する時刻はもう正午を回っていた。
「どんなものが必要なんだ」
「賞味期限の長い乾物や缶詰を狙い目に、色々だけど。布団とか雑貨とかも消耗品だから、めぼしいものがあったら持って帰りたいけど、軽トラじゃ積める量に限界がある」
 まあ、食う物に困るのが一番ひもじい。そう呟きながら、また彼は地面から棒を拾い上げると自動ドアをたたき壊した。
 2軒目ともなれば俺ももうそれほど驚かない。
 ガラスの砕ける大きな音が、辺りに響き渡ることすら、気がつく余裕があった。
「不法侵入はいいとしてさ、こんな静かな町で喧しい音を立てたら、誰か来るんじゃ無いのか」
 まさに無法地帯なのではないかと思ったのだ。
「良いところに気がついたな。その通りだ。だから護身用の武器は持ってるぜ」
 作業着の背中を捲って俺に見せてくれたのは、ベルトに挟んだ拳銃だった。
「ごめん、俺の知り合いの方が危険人物だった」
「俺のことかよ。ヤクザの抗争で殺されたヤツがこっちに来たのに遭遇した時にな、こっちは親切でこの世界を色々教えてやろうと思ったら、近づいた途端にAK47で蜂の巣にされたぜ」
 ゲームで見たことある。もっとでかい銃だろう。
「ご愁傷様だな」
「まあいいってことよ、それ以来そいつに会っていないって事は、無事に1日で生き返れたんだろ」
 抗争で死ぬようなヤクザが生き返り、同級生が生き返っていない。良いことなのだろうか。
「ヤクザほど極端な例は置いといてもな、こっちで生きてる他のコミュニティの連中には友好的とは言えないところもあるから、自分の身を守るのは重要なんだ」
「まさに無法地帯だな」
「住めば都ってやつよ」
 どうせ長生きするのなら、例えやりたいことが決まっていないとしても俺は元の世界の方が良いと思った。思っただけで口にするのはやめておいたが、彼は気付いたかもしれない。
 店内に入るとやっぱり中は真っ暗で、元々込み入った店だけに少し進むだけで自分のてすら見えなくなりそうだった。
「懐中電灯とか持ってねえの」
「現地調達しようと思ってたんだけど、ちと甘かったな」
 仕方が無いからケータイのライトをつけてやる。
「おっと、便利な物を持ってるじゃないの」
「お前は持ってないのか」
「だって電波ねえもん」
 言われて画面を見れば、圏外と表示されていた。
「さっきは電気がついたよな、電気はあるのに電波は無いのか」
「その時による、って言うべきかな。突然入ったり、切れたりするから実用性がない」
 常に使えなければ持ち歩く必要も無いのか。考えてみればそうかもしれない。
「でも時計を見たりとか」
「充電しないといけないだろ。ソーラーの腕時計をしていた方が便利だぜ」
 話しながらまずは懐中電灯を探す。
 やがてキャンプ用品コーナーで電池式のランタンを見つけた。
「こう言うの、宝探しじゃ無くても便利だよな」
 そう言いながら水上がその場で箱を開ける。
「電池が無けりゃただの飾りだがな」
 必要な乾電池は辺りに見当たらない。
「ちくしょー、明かりを見つけたと思ったのに今度は電池探しかよ」
 再び店内をうろつき電池を見つけた。セットしてみると、暗闇に慣れていた目を眩ますには充分まぶしい光量だった。
 店の入口に戻ってカートに籠を二つずつセットすると、2人して食料品コーナーをあれこれ漁った。
「なあ、お前が死んだのって何月何日?」
「5月25日」
「なら今日は26日だな。おっけー、なら賞味期限は問題なしと」
 レトルトの調味料をバサバサ籠に入れていく。
「日付の感覚も違うのか」
「ああ、こっちだとな。あっちに生き返るときは常にあっちで死んだ日の0時に戻るけど、2回目にあっちで死んでこっちに来たら、あっちで過ごした日数はこっちで経過するんだ。だから最初以外は、自分の思っている日付と世界の日付がずれていく」
 続いて赤いカレー粉の缶は棚にあった全部、箱ごとカートに積み込んだ。
「なるほど。……それはそれとして、この量は多くね?」
 調合済みのカレー粉だけでは飽き足らず、クミンやカルダモン、ターメリックにコリアンダーと、スパイス自体もどんどん放り込んでいった。
「カレーは正義だぜ?」
 蜂蜜とリンゴの写真がパッケージに描かれた甘口のルーは、水上のカートに乗りきらなくなって俺のカートに積んでいく。
「ガキもいるからな」
 目の前の棚が空っぽになると、今度はココナツミルクなどの缶詰を籠に入れ始めた。
「それもカレー用だろ」
「もしかしたらチャイとか作るかも」
「なら紅茶の葉を入れる容積を考えてだな……」
 二つのカートはカレーのスパイスで満載になりかけている。
「なら一度、出口までカートを持って行って、空っぽのカートを持ってこようぜ」
 そうして取ってきたは良いものの、再びカレーの具材をパンパンに入れようとするのは流石に止めた。
「パスタ麺や米は結構保存が利くし腹もいっぱいになる。あとは野菜系だな」
 トマトやアスパラ、タケノコなどの水煮をやはり箱ごとカートに載せた。
「後は嗜好品だな。おやつも買っていかないと子どもたちに泣かれる」
 あっという間に籠が山盛りのチョコレートやビスケットで埋まった。
 3往復目のカートはビールの箱と、洗剤や石けんが積まれる。
「大人もいるのか」
「俺より年上ってことか? もちろん居るぜ、俺たちのコミュニティは高校を本拠地にしているし小さい子も多いけど、ちゃんと教える側もいる」
 ひげそりの替え刃やコーヒー用のペーパーフィルタを選びながら、教えてくれた。
「むちゃくちゃ重いんだけど」
「そりゃあ、最後は液体ばっかりだからなあ。じゃあこれ積んどいてくれ、買い残しを見てくる」
「1人でカート8つ分をやれって?」
「ギックリになったら、俺が責任を持ってやるよ」
 湿布とかを持ってきてくれるのだろうか。
「いや? リセットするために殺す」
 人に殺すとか軽く言うな。リセットされれば怪我も元に戻って0時に居た状態へ戻るのか。

 ひーこら言いながら軽トラの荷台に積み込んでいると、汗だくになった。ついでに朝から何も食べていなかったせいで腹の虫が盛大に鳴く。毎日の習慣である朝飯を食わなかった理由を思い出しかけて気分が悪くなる。
 トラックにもたれかかって見上げると、雲一つ無い青空が広がっていた。
「空はこっちも綺麗だな……」
「排気ガスが少ないからじゃねえか」
 感傷ぶち壊しの答えを寄越したことで、水上が戻ってきたことが分かった。
「カート戻そうぜ」
 抱えていた段ボール箱を荷台に降ろして、彼はカートを器用に重ねると四つまとめて店内に引き返した。俺も見習って残り四つをカート置き場に戻しに行く。
「そろそろ帰るか。もうおやつの時間が終わっちまう」
 煙草を咥えながら彼は言い、どこから持ってきたのか、百円玉を自販機に入れた。
「おっ、今日は動くぜ」
 ブラックコーヒーを買った。ゴトンと音がして商品が出てくる。
「お前も好きなの選びなよ」
 外の自販機から飲み物を買う。
 店内にあったヤツの方が安いのに、とも思ったが、どちらにしろその硬貨はきっと彼のものではないのだろう。そもそも、店内にあろうが外だろうが、購入しているわけではないのだ。
「ごっそーさん」
 同じコーヒーを選んだ。
「俺の金じゃねえし」
 やっぱりそうか。
 彼は一口飲むと、先ほど最後に抱えていた段ボール箱からごそごそ何かを取り出した。
「オイルライター、お前のぶんな。あと煙草の銘柄は俺のセブンスターとも他のみんなとも、被らないこれにしとけ」
 勝手に俺の作業着の胸ポケットにねじ込んでくる。
「俺はまだ、吸うとは」
「やること無いとき暇だぜ、趣味くらいこっちでも身につけとけ」
 ねじ込まれた煙草の箱を取り出して眺める。
「なあ」
 蓋を開け閉めするたびに、カチンカチンと鳴る金属で出来たライター。
「なんだよ」
 水色のロゴの、レトロなデザインの煙草。
「ありがと」
 水上は自分の煙草に火をつけようとして、鼻息でライターの火が揺れた。
「どういたしまして」
 照れたように俺から目をそらした。
「でもさ、ポケットに入れるなら、封くらいは切ってから入れてくれよ」
「ライターにオイルは入れてやっただろ、煙草くらい自分でやれ」
 ちょっと笑って、俺も新品のハイライトをくわえた。

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俺に明日は来ない type1 第1章

2022.01/28 by こいちゃん

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。
 買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。
 ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。
 5月25日火曜日、午前7時30分。
 実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。
 入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。
 そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。
 寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。
 学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄って朝飯と昼飯を買う。パンとおにぎりを都合5つ、学校に着いたらそのうちいくつを1限までに食い、いくつを昼飯に回そうか。
「おーっす樋口、相変わらず寝癖大爆発だな」
「うるせえ」
 声がでけえ、そして俺に掛けられた言葉も、お前は俺の母ちゃんか何かか。
「事実だろうがよ」
「ああその通り、だがモテだのカノジョだのに興味もない、ズボラな高2なんてこんなもんだろ」
 毎朝髪をとかすなんて、面倒すぎて俺には出来ない。
 朝は少しでも遅くまで寝ていたい。しかし慌ただしく登校の用意をするのも、遅刻して大人から何か言われるのももっと面倒くさい。
「お前ってやつは、顔は良いのにもったいないよなあ。その怠惰をもう少し改めれば、クラスの女子による残念なイケメンランキング1位の称号はただのイケメンランキング1位に変わるぜ」
 知るか。何だそのランキングは、聞いたこともない。
「じゃあ俺は先に行くから。教室で待ってる」
 高橋はそう言い残すと、歩きの俺に合わせて緩めていた自転車を加速させるべく、ペダルを踏み込んた。
 後ろが見えないことを承知で、俺は気怠げに手を振った。
 てくてく歩けばやがて校門が見えてくる。クラスメイトや先輩後輩と挨拶を交わしあいながら上履きに履き替えてホームルーム教室に入った。

 いつもと変わらない日常は、失って初めてその貴重さが分かる。

 放課後になり、文房具を買おうと繁華街まで行くことにした。シャープペンシルの芯がなくなってしまい、ルーズリーフの残り枚数も心許なかった。どうせ行くなら、まとめて用事を済ませたい。あれやってこれやって何を買おう。
 考え事をしながら駅で電車を待っていたときだった。
 ――間もなく電車が参ります。
 ――白線の内側までお下がりください。
 自動放送に呼ばれたように、向こうから電車が滑り込んでくる。
 その時だった。後ろから誰かに突き飛ばされた。考え事をしていたからとっさに踏ん張れず、足は点字ブロックを越えて白線を越えて、転んだ反射で手をつこうとした場所にホームがなかった。
 全てがゆっくり進んでいくような錯覚を覚えた。
 進行方向へ落ちてきた俺に気付いた電車の運転士が警笛を鳴らし始めた。
 頭から線路へ落ちて、枕木の端を押してホームの下へはねのけようと考えた。
 警笛に気付いたホームの乗客が悲鳴を上げる。
 しかし想定以上の衝撃は腕だけで受け止められず、体はそのまま前転してしまう。
 いつまでも進入する電車は警笛を鳴らしている。
 ならば向こう側へ逃げようと思考は空回りして、地面から出っ張った鉄の線路に尻をぶつけ転がる力が相殺される。
 視界の端に、鉄が擦れあって散らす火花がすぐ横に見えた。
 電車の下って、暗いだけじゃないんだ――。

 ケータイに仕込んだ目覚ましのアラームが鳴った。
 手を伸ばして引き寄せて鳴り止ませようとしたら、充電用のクレードルをベッドの下に落とした。
 買ったらサービスで付いてきたから使っているものの、ケータイにカバーをつけられないから少し不便なのだが、不便と言えばいちいちケーブルを直接挿すのも寝るために部屋の蛍光灯を消した後だと何処に指せば良いのか、端子の向きはどちらなのかを手探るのも面倒で、使い続けている。
 ……俺は朝っぱらから思考自体が面倒くさいな。
 5月25日火曜日、午前7時30分。
 実家が山奥なせいで去年の春に高校へ入学した時から、学校近くにワンルームのアパートを借りて一人暮らしをすることになった。そうしたら、怠惰な男子学生の1人である俺は寝間着と下着の区別がいつの間にかなくなってしまった。実家に帰れば寝るときに着替え、起きたときにもう一度着替える。実家に住んでいた中学の時もそうしていた。確か冬になって起きたときに冷えた部屋で寝間着を脱いですっぽんぽんになるのが嫌だったからだと思う。
 入学式は、きちんと白い下着にワイシャツを着て、下ろしたての学ランをホックまで留めて登校した。どうやらそこまでしなくても良さそうだと分かった翌日の始業式は、ホックはせずにそれでもボタンは上まで掛けていた。4月が終わる頃には、先輩達もうるさくなさそうだと一番上のボタンもしなくなった。
 そんな人間だもので、現在は、つまり入学後1年が経った高校2年生の5月には、真夏に外へそのまま着て行くにはよれすぎてみっともないTシャツを寝間着にし、起きたときそのまま上からワイシャツを着ている。形ばかりズボンにシャツの裾をしまい込むと、上着を着て荷物の入れ替えなんてしないカバンを肩に引っかけて、家を出た。
 寝起きにのそのそやっていれば、貴重な朝の30分なんてあっという間に過ぎている。
 学校まで徒歩10分の道のりを歩きしな、途中のコンビニに寄ったら、昨日までは当たり前に営業していた店舗が略奪されて廃屋になっていた。
 ……寝ぼけた頭が急速に覚醒してゆく。
 俺は起きてからここまで、昨日も全く同じ事を考えて行動した気がする。
 改めて来た道を振り返り、これから行く学校への道を見れば、どこかすすけて人通りが恐ろしく少ない。というか、今朝はここまでで誰1人として見ていない。
「今更気付くことかよ。違和感でけえだろ」
 知らず呟いた俺の独り言が辺りに響く。自動車の音すらしない。周りが静かすぎる。
 響いたと言うより、それは震えていたかもしれない。
 割れて中途半端に空いたままになっているコンビニの入口をくぐると、ガラスの破片は散らばって、商品棚は所々が酷く壊れているのに、無事な棚には見慣れた風に商品が並んでいる。
 目の前のちぐはぐな環境におののきながら、鳴く腹の虫に従っていつも通りおにぎりとパンを合わせて五つ選んで、……店員がいない。
「ごめんくださーい」
 今度の声は自分でもはっきり分かるほど震えていた。自覚してしまうと、体の中心が冷えて、膝が笑ってきてしまった。
 恐怖を振り切って生唾を飲み込み、謎の罪悪感を押さえ込んでカバンにパンなどを詰め込むと、早足でコンビニを出た。
 真っ直ぐ前だけを向いて、少しの違和感には気がつかなかった振りをして、学校へ急ぐ。気がつくと、普段なら早歩きすら疲れると面倒くさがる怠惰な俺が、走って登校していた。
 その時は、学校は何も変わらないと思っていたのかもしれない。
 だって俺の家は普段と全く変わったところがなかったんだから。
 そう思いたかっただけだと知るのは、学校が見えるまでだった。
 校門にはバリケードが設えられ、横の門扉から小学生らしき年齢の女の子が敷地に入ろうとしている。柵の隙間から見えた校庭は掘り返され、何やら野菜が植えられている。
「なんだよこれ」
 俺は校門の前で呆然とするしかなかった。
「お前は誰だ!」
 ヘルメットと鉄パイプで武装した、これまた俺よりいくつか年下に見える男子が、バリケードの中から叫んだ。
「この高校の生徒だよ、多分……」
 頭がいっぱいで、考える暇もなく反射で答えた。
「この高校? ここは高校だったのか?」
「そうだ、この高校……俺は県立西山高校2年1組の樋口雅俊だ」
「……もしかして1周目か?」
「1周目って何だ」
「……いい、分かった。ちょっとそこで待ってろ」
 その時の俺には、年下が自分の高校の敷地に入れてくれないことなんてちっぽけなことを、疑問に思う余地すらなかった。
 待てと言われて意義もなくその場に呆けて立ち尽くす。
「曹長、教員室から生徒名簿が出てきました! やっぱりあっちの今日、誰かが死んだみたいです」
 校舎から、門番と同じくらいの歳に見える女の子が走ってきた。
「なんだって? ……そうだおい、2年1組のページはあるか」
「はい? 2年……、1組。ありました!」
「見せてみろ。ひ、ひ、樋口……雅俊。あった。なあお前」
「俺のこと? 何?」
「昨日の最期の記憶って、なんだ」
「昨日の、最後の記憶?」
 朝飯にパン1個とおにぎり2個を食い、昼飯に残ったパンとおにぎりを1個ずつ食ったけどやっぱり腹が減って、購買で焼きそばパンとあんパンとイチゴミルクを買って食った。
 午後一番の体育で長距離走をやらされて腹が痛くなって、その次の英語はくそ眠くて爆睡した。
 放課後はクラスメイトと馬鹿話をした後、文房具を買おうと駅へ行って……。
 そこまで口にしながら思いだして、その後は言葉になる前に全てを同時に思いだしてしまった。
 見てしまった車輪に踏まれ絶たれる大腿部に散った火花でかすかに見える枕木やバラストと車輌の床下機器との間に挟まってすりつぶされる上半身と、もう全身の何処が主張しているのか分からない壮絶な痛みと、電車や線路と自分の血液とどちらに由来するのか分からない鉄の味と匂いと、そして高い高いブレーキやホームで目撃直視してしまった客の悲鳴。
「うぷっ」
 吐いた。
 その場で、みっともなく、年下のガキに見られながらだったが、そんなことは気にもならなかった。
 ついでに意識も失った。

 気がつくと保健室らしき場所に寝かされていた。
「よう樋口、目が覚めた?」
 足下に座っていたのは日に焼けた中学の同級生だった。
「久しぶり、水上裕吾、俺のこと覚えてる?」
「覚えてる。お前、高校中退したって聞いたけど、何で学校に居るんだ」
「ここが現世じゃないからさ」
 現世とは、つまりここは死んだものの住まう世界ということで、俺は何で死んだと言われたんだっ……。
 吐いた。
「あーはいはい、やっぱり今日のお客様は樋口なんだな。その様子だと1周目か」
 まだ朝飯を食っていないのに、朝から2回目ともなれば吐き気はしても出てくる物は殆どない。少しして落ち着いた俺へ、彼は慣れたようにペットボトルに入った水を寄越した。
「その瞬間のことを思い出すたびに吐いてちゃ、そのうち背中とお腹がくっつくぞ」
「……もう既にくっついてるさ、腹減ったはずなのに食欲が全くない」
「食えるようになる前に餓死するんじゃねえ? まあそれでもいいけどさ、命は大切にしろよ」
「死んだ後の世界で、命を大切にって、何を言ってんだ」
「まあ説明するよ、日付が変わる前までには、さ」
 水上は窓の外の遠くを見て言った。
 落ち着いてみると、彼の格好はどこかの建設現場から抜け出てきたみたいで、高校の保健室には似つかない物だった。
 ヘルメットはあごひもを引っかけ被らず後ろにぶら下げていて、灰緑色の胸ポケット付き長袖Tシャツをズボンの中に仕舞い、広いズボンの裾はハイカットの安全靴の中に仕舞ってある。
 しかもポケットの中に入っているのはどうやら煙草らしい。校内で未成年者が堂々と持ち歩けるものではないはずだ。彼は特別に老け顔というわけではないから、顔かたちだけなら充分に10代だ。だがよく見てみればその表情はどことなく、同い年のはずなのにいくつか年上に見える。
「なんか食ってから出かけるか、それともまだ食えないか」
「……何かを腹に入れたらすぐにリバースする自信がある」
「じゃあ、気晴らしに出かけようか。色々教えてやるよ」
 顔を俺の方に向け直してにっこり笑った彼からは、さっきの年上に感じた雰囲気はさっぱり消えていた。
 

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